高山機関区ジオラマの機関車
展覧会でご好評をいただいたジオラマの製作過程については拙ブログにて紹介してきましたが、今回はジオラマに配置した蒸気機関車です。
ジオラマでは扇形車庫に蒸気機関車をずらりと並べましたが、実際に高山区であった光景ではなく、京都鉄道博物館の頭出しイベントに影響を受けて、模型で実現させたものです。
機関車はどれも同じように見えますが、資料に基づいて1台ごとに手を加えていますので、ご確認ください。
■蒸気機関車を作る上でのポイント
模型では高山区らしく、車体前部に雪かき用のスノープラウを装着し、前照灯はシールドビーム(LP405)、模型の時代設定(昭和37年)からATS(自動列車停止装置)用の発電機と旋回窓は無い状態としました。
●9600形蒸気機関車
国産初の貨物列車牽引用車両で、1913年(大正2年)から1926年(大正15年)までの間に770両が製造されました。
制動装置は当初真空ブレーキが使われていましたが、1921年(大正10年)に鉄道省が圧縮空気を利用した自動空気ブレーキの導入を決定したことから、9600形では1923年(大正12年)生産分から自動空気ブレーキ用の空気圧縮機(コンプレッサー)や空気溜(エアータンク)の搭載が始まり、それ以前に製造された車体には順次後付けされ、その改造は各地の国鉄工場で行われたため、コンプレッサーやエアーアンク種類、取付位置が異なります。さらに各機関区では地域の事情に合わせた改良・改造が行われたため、1両ごとに外観が違います。
模型としてはKATOから2014年に販売されたNゲージ「9600(デフ無し)」を利用し、8両の車両を当時の写真を参考にしてそれぞれの違いを再現しました。
(1)29668号車
▼塗装前
▼塗装後
(2)49608号車
▼塗装前
▼塗装後
(3)49610号車
▼塗装前
▼塗装後
(4)49632号車
▼塗装前
▼塗装後
(5)49676号車
▼塗装前
▼塗装後
(6)79639号車
▼塗装前
▼塗装後
(7)79642号車
▼塗装前
▼塗装後
(8)79643号車
▼塗装前
▼塗装後
●C58形蒸気機関車
8620形と9600形の後継機として設計された車輌で、国鉄では初めて密閉式の運転室が採用されました。
1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)までの間に431両が汽車製造と川崎車輌の2社で製造され、「シゴハチ」の愛称で親しまれ、大きく戦前形と戦後形の2種類に分類されています。
高山機関区では輸送量の増加により1941年(昭和16年)から6760形と8620形に代わり、C58形12両が配備されるようになり、1945年(昭和20年)以降は9両体制で運行されました。
模型としては2023年12月にTOMIXから発売された「C58 239」(2009)を利用しましたが、製品は復活蒸機のSL銀河を再現しており、東北仕様であるため、高山区のC58とは相違点があります。
▼本体は配管を中心に改造
▼炭水車は重油タンクを撤去して国鉄形に改造しています。
▼高山区の8両(C58108、C58109、C58116、C58153、C58215、C58216、C58266、C58368)は外観に大きな相違は見られません。
▼高山機関区に配置されたC58の中で唯一戦後型なのがC58 389号車です。戦後型は1946年(昭和21年)から1947年(昭和22年)までに汽車製造が製造したC58 383からC58 427までの42両をいい、特に炭水車に外観上の違いがあります。
戦後型炭水車は6-17型(石炭6t、水17t)から10-20型(石炭10t、水20t)に大型化され、構造は資材節約と生産工程を簡略した船底型に、台車は板枠ボギー台車から、生産が容易な鋳造製の菱形ボギー台車に変更されました。
TOMIXの製品は戦前型なので外観上に違いがあるため、そのままでは使えません。
▼そこで、2024年(令和6年)2月にやえもんデザインから「C58船底型テンダーベースセット」(YS-20)が発売されたので、この製品を使用することにしました。
▼戦前型と戦後型の比較
▼C58 389号車
● D51形蒸気機関車
主に貨物列車牽引用車両で、1936年(昭和11年)から1945年(昭和20年)までの間に1,115両が製造され、「デゴイチ」の愛称は蒸気機関車の代名詞となりました。
なお、この機関車は製造時期により初期形、標準形、戦時形の3種類に分類されています。
高山機関区では1950年代後半、高度経済成長の中、急激に鉄道による貨物輸送量が増大し、牽引能力の高い貨物用機関車の大型化が求められたことから、1959年(昭和34年)4月1日に高山機関区にD51が3両(D51201,338,1119)配備され、同年10月には1両(D511106)が追加され、その後は4両体制となりました。
製作する4両はいずれも標準形なので、模型ではKATOから2012年に発売された「D51 標準形」(2016)を改造することにしました。
なお、高山区の特徴であるシールドビーム(LP405)への取り替えはD51ではC58や9600より遅く、写真判定から1968年(昭和43年)頃と推定されるため、本来のライトのままにしています。
(1)D51201号車
▼塗装前
標準形でもD5186~90、D51101~106、D51199~211の計24両は、炭水車の台車が初期形(通称ナメクジ)と同じ鋳鉄形台車が採用されていました。(復活蒸機のD51200の炭水車はこの台車が装備された8-20Aを牽引しているはずですが、板枠台車を装備した8-20Bを連結しています。)
▼模型では鋳鉄形台車をKATOのAssyパーツ「D51 1次形東北テンダー台車」(2018-1D5)を取り寄せて取り替えました。
▼塗装後
(2)D51212号車
▼塗装前
▲逆転機カバーが製品では無いですが、高山区ではあり、その形状も車体ごとに異なるのでプラ板で再現しています。
▼塗装後
(3)D51338号車
▼塗装前
▼塗装後
(4)D51522号車
▼塗装前
▲製品には150L清缶剤タンクが取り付けられていますが、高山機関区の車両では途中から取り外しているので、削り取りました。
また、製品ではシリンダやロッドに潤滑油を給油するための油ポンプが右側ランボードの下に取り付けられていますが、現存するD51201(蒲郡)とD51522(金沢)(いずれも濵松工場製の車体)ではランボード上に取り付けられているので、製品の油ポンプのパーツを削り取り、銀河モデルの「オイルポンプ箱」(N-434)を取り付けました。
▼塗装後
いかがでしたか ? 車両に対する私のこだわりが感じていただけたら幸いです。
次回からは高山区に配置されたすべての蒸気機関車の配置状況を紹介します。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
ジオラマでは扇形車庫に蒸気機関車をずらりと並べましたが、実際に高山区であった光景ではなく、京都鉄道博物館の頭出しイベントに影響を受けて、模型で実現させたものです。
機関車はどれも同じように見えますが、資料に基づいて1台ごとに手を加えていますので、ご確認ください。
■蒸気機関車を作る上でのポイント
模型では高山区らしく、車体前部に雪かき用のスノープラウを装着し、前照灯はシールドビーム(LP405)、模型の時代設定(昭和37年)からATS(自動列車停止装置)用の発電機と旋回窓は無い状態としました。
●9600形蒸気機関車
国産初の貨物列車牽引用車両で、1913年(大正2年)から1926年(大正15年)までの間に770両が製造されました。
制動装置は当初真空ブレーキが使われていましたが、1921年(大正10年)に鉄道省が圧縮空気を利用した自動空気ブレーキの導入を決定したことから、9600形では1923年(大正12年)生産分から自動空気ブレーキ用の空気圧縮機(コンプレッサー)や空気溜(エアータンク)の搭載が始まり、それ以前に製造された車体には順次後付けされ、その改造は各地の国鉄工場で行われたため、コンプレッサーやエアーアンク種類、取付位置が異なります。さらに各機関区では地域の事情に合わせた改良・改造が行われたため、1両ごとに外観が違います。
模型としてはKATOから2014年に販売されたNゲージ「9600(デフ無し)」を利用し、8両の車両を当時の写真を参考にしてそれぞれの違いを再現しました。
(1)29668号車
▼塗装前
▼塗装後
(2)49608号車
▼塗装前
▼塗装後
(3)49610号車
▼塗装前
▼塗装後
(4)49632号車
▼塗装前
▼塗装後
(5)49676号車
▼塗装前
▼塗装後
(6)79639号車
▼塗装前
▼塗装後
(7)79642号車
▼塗装前
▼塗装後
(8)79643号車
▼塗装前
▼塗装後
●C58形蒸気機関車
8620形と9600形の後継機として設計された車輌で、国鉄では初めて密閉式の運転室が採用されました。
1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)までの間に431両が汽車製造と川崎車輌の2社で製造され、「シゴハチ」の愛称で親しまれ、大きく戦前形と戦後形の2種類に分類されています。
高山機関区では輸送量の増加により1941年(昭和16年)から6760形と8620形に代わり、C58形12両が配備されるようになり、1945年(昭和20年)以降は9両体制で運行されました。
模型としては2023年12月にTOMIXから発売された「C58 239」(2009)を利用しましたが、製品は復活蒸機のSL銀河を再現しており、東北仕様であるため、高山区のC58とは相違点があります。
▼本体は配管を中心に改造
▼炭水車は重油タンクを撤去して国鉄形に改造しています。
▼高山区の8両(C58108、C58109、C58116、C58153、C58215、C58216、C58266、C58368)は外観に大きな相違は見られません。
▼高山機関区に配置されたC58の中で唯一戦後型なのがC58 389号車です。戦後型は1946年(昭和21年)から1947年(昭和22年)までに汽車製造が製造したC58 383からC58 427までの42両をいい、特に炭水車に外観上の違いがあります。
戦後型炭水車は6-17型(石炭6t、水17t)から10-20型(石炭10t、水20t)に大型化され、構造は資材節約と生産工程を簡略した船底型に、台車は板枠ボギー台車から、生産が容易な鋳造製の菱形ボギー台車に変更されました。
TOMIXの製品は戦前型なので外観上に違いがあるため、そのままでは使えません。
▼そこで、2024年(令和6年)2月にやえもんデザインから「C58船底型テンダーベースセット」(YS-20)が発売されたので、この製品を使用することにしました。
▼戦前型と戦後型の比較
▼C58 389号車
● D51形蒸気機関車
主に貨物列車牽引用車両で、1936年(昭和11年)から1945年(昭和20年)までの間に1,115両が製造され、「デゴイチ」の愛称は蒸気機関車の代名詞となりました。
なお、この機関車は製造時期により初期形、標準形、戦時形の3種類に分類されています。
高山機関区では1950年代後半、高度経済成長の中、急激に鉄道による貨物輸送量が増大し、牽引能力の高い貨物用機関車の大型化が求められたことから、1959年(昭和34年)4月1日に高山機関区にD51が3両(D51201,338,1119)配備され、同年10月には1両(D511106)が追加され、その後は4両体制となりました。
製作する4両はいずれも標準形なので、模型ではKATOから2012年に発売された「D51 標準形」(2016)を改造することにしました。
なお、高山区の特徴であるシールドビーム(LP405)への取り替えはD51ではC58や9600より遅く、写真判定から1968年(昭和43年)頃と推定されるため、本来のライトのままにしています。
(1)D51201号車
▼塗装前
標準形でもD5186~90、D51101~106、D51199~211の計24両は、炭水車の台車が初期形(通称ナメクジ)と同じ鋳鉄形台車が採用されていました。(復活蒸機のD51200の炭水車はこの台車が装備された8-20Aを牽引しているはずですが、板枠台車を装備した8-20Bを連結しています。)
▼模型では鋳鉄形台車をKATOのAssyパーツ「D51 1次形東北テンダー台車」(2018-1D5)を取り寄せて取り替えました。
▼塗装後
(2)D51212号車
▼塗装前
▲逆転機カバーが製品では無いですが、高山区ではあり、その形状も車体ごとに異なるのでプラ板で再現しています。
▼塗装後
(3)D51338号車
▼塗装前
▼塗装後
(4)D51522号車
▼塗装前
▲製品には150L清缶剤タンクが取り付けられていますが、高山機関区の車両では途中から取り外しているので、削り取りました。
また、製品ではシリンダやロッドに潤滑油を給油するための油ポンプが右側ランボードの下に取り付けられていますが、現存するD51201(蒲郡)とD51522(金沢)(いずれも濵松工場製の車体)ではランボード上に取り付けられているので、製品の油ポンプのパーツを削り取り、銀河モデルの「オイルポンプ箱」(N-434)を取り付けました。
▼塗装後
いかがでしたか ? 車両に対する私のこだわりが感じていただけたら幸いです。
次回からは高山区に配置されたすべての蒸気機関車の配置状況を紹介します。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村