新潟県の29657号(保存蒸機5)

 今回は高山機関区に配属されていた蒸気機関車で、新潟県魚沼市に現存する車両をご紹介します。

○29657号の車歴
 この車両は、1919年(大正8年)に川崎造船所兵庫で9600形蒸気機関車としては158番目に製造され、高山機関区には1966年(昭和41年)8月17日から翌年9月1日までの約1年間在籍していました。
 ほぼ1年単位で各地の機関区を転々としていましたが、1976年(昭和51年)3月1日に滝川機関区(現北海道滝川市)にて廃車となりました。
 1970年代のSLブームに便乗して国鉄から自治体に無償譲渡された蒸気機関車に寝台車を連結したSLホテルが各地に誕生し、新潟県北沼郡守門(すもん)村では農林省(当時)の自然休養村事業(国から補助金が出る事業)を利用して村の守門温泉への誘客手段として、この地域とは全く縁がない蒸気機関車を誘致しました。
 しかし、客室及びベットが窮屈なため、ブームの終わりとともに客足が遠退きました。

▼この車両は守門温泉SLランド跡地に青い寝台車両とともに設置されていました。(2016年5月28日撮影)

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▼敷地はロープが張られ、立入禁止になっていましたが、事前に魚沼市の撮影許可をいただき、撮影しました。
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▼車両の全景ですが、屋根が無いことから塗膜が剥離し、悲惨な状態になっていました。
手前の棒は測量用ポールで、紅白の塗装が剥げ落ちて元が何か分からなくなっています。

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▼複式空気圧縮機(コンプレッサー)などには穴が開いていますが、部品の欠落は余り無いようです。
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▼運転室の窓ガラスは残っていますが、ナンバープレート(レプリカ?)は保たれています。
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▼運転室内は意外と綺麗な状態です。
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▼炭水車(テンダー)の雨だれが皮肉にも綺麗な模様を描いています。
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▼車体右側の除煙板(デフレクター)は曲がっており、ここが特別豪雪地帯であることを物語っています。(1981年に守門地区は歴代3位の4m63cmの積雪を記録)
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 守門村は2004年(平成16年)11月、合併により魚沼市となりましたが、財政力が弱い自治体なので、この車両の修復は困難で解体廃棄の可能性が高いと思われます。
 また、この地域と縁が無い車両なので、国鉄OBが中心の住民協力も難しいでしょうね。

車歴
1919年(大正8年)1月   川崎造船所兵庫(現川崎重工業) 新製
1919年(大正8年)1月   西部局管内にて使用開始
1930年(昭和5年)8月   亀山機関庫
1938年(昭和13年)4月   福知山機関区
1942年(昭和17年)11月   早岐機関区
1944年(昭和19年)10月   鳥栖機関区
1947年(昭和22年)3月   鳥栖機関区佐賀支部
1947年(昭和22年)11月   佐賀機関区(本区昇格)
1949年(昭和24年)9月   西唐津機関区
1950年(昭和25年)9月   鹿児島機関区
1957年(昭和32年)2月   富山機関区
1963年(昭和38年)9月   福井機関区
1964年(昭和39年)7月   金沢運転所
1966年(昭和41年)8月   高山機関区
1967年(昭和42年)9月   稲沢第一機関区
1971年(昭和46年)4月   北見機関区
1975年(昭和50年)4月   滝川機関区
1976年(昭和51年)3月1日 廃車(滝川機関区)
1976年(昭和51年)12月4日 新潟県北沼郡守門村へ無償貸与
1979年(昭和54年)     自然休養村守門温泉星雲館
             SLランドとして営業開始
1998年(平成10年)     SLホテル営業廃止
2015年(平成27年)3月   守門温泉星雲館が老朽化により廃止
走行距離 不明

「デゴイチよく走る!機関車データベース」より

北九州の19633号(保存蒸機4)

 今回は高山機関区に配属されていた蒸気機関車で、福岡県北九州市に現存する車両をご紹介します。
○19633号の車歴
 この車両は、1914年(大正3年)に川崎造船所兵庫で9600形蒸気機関車としては134番目に製造され、高山機関区には戦時中の1941年(昭和16年)2月12日から翌年10月31日まで在籍していました。
 ほぼ1年単位で各地の機関区を転々としていましたが、戦後1950年3月15日に若松機関区(現北九州市若松区)に配属されてからは廃車までの20年以上、同機関区に在籍していました。


○若松駅操車場  1955年(昭和30年)の若松機関区の蒸気機関車は8620形が8両、9600形が16両(19633号含む)、C51形が9両配置されて、筑豊から若松駅操車場までの石炭の運搬を担当し、隣接する若松港にて船に積みかえられて国内各地へ送り出されていました。最盛期には年間約830万トンの石炭が積み出され、長い間、日本一の貨物取扱量を誇っていました。
 しかし、エネルギー革命による石炭の衰退に伴い、操車場は廃止され、北九州市はこの広大な跡地を1986年(昭和61年)から2005年(平成17年)までに都市計画事業により公営住宅を建設し、1989年(平成元年)に敷地の一画に若松駅操車場跡地のシンボルとして、この19633号が移設展示されました。

▼この車両は久岐の浜広場の一画に設置されていました。ちなみに背景の建物は公営団地です。(2017年3月25日撮影)

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▼この広場が若松駅操車場跡を示す立派な石碑が建てられていました。
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▼跡地の説明看板を北九州市教育委員会が設置していました。
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▼車両の全景ですが、屋根も無く、海に近いことから塗膜が剥離し、悲惨な状態になっていました。
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▼複式空気圧縮機(コンプレッサー)は穴が開いています。
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▼運転室の窓ガラスは無くなり、開口部は金網で塞がれています。
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▼炭水車(テンダー)の後方も大きな穴が開いています。ナンバープレートはレプリカなので盗まれていません。
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▼隣接する団地の通路から車体上面を撮影しました。こちらは完全に塗膜が剥がれ、鉄の酸化が進んでいます。
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▼炭水車の上面もボロボロの状態です。
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▼もう一度、車両の全景。撮影していたらご近所の老婦人が「若松の恥だ。早く直してほしいと要望しているのですが・・・」と嘆いておられました。
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▼最後に車両の説明看板。「若松の発展と象徴を願い・・・郷土資料として保存展示することになりました。」の説明文が悲しい。この場所にふさわしい車両なので、なんとかしっかり保存してもらいたいと願うのは私だけでしょうか。
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車歴
1917年(大正6年)11月   川崎造船所兵庫(現川崎重工業) 新製
1917年(大正6年)11月   中部局管内にて使用開始
1931年(昭和6年)1月   中津川機関庫
1934年(昭和9年)1月   稲沢機関庫(1936年から機関区に改称)
1938年(昭和13年)2月   上諏訪機関区
1941年(昭和16年)2月   高山機関区
1942年(昭和17年)10月   大館機関区
1944年(昭和19年)7月   熊本機関区
1945年(昭和20年)10月   宮機関区
1948年(昭和23年)6月   鳥栖機関区
1950年(昭和25年)3月   若松機関区
1973年(昭和48年)3月14日 廃車(若松機関区)
1973年(昭和48年)8月31日 北九州市へ無償貸与
1973年(昭和48年)     城山一丁目公園にて保存
1989年(平成元年)3月   久岐の浜広場に移転、保存
走行距離 2,825,836.4km

「デゴイチよく走る!機関車データベース」より
プロフィール

高山のキューロク

Author:高山のキューロク
岐阜県高山市在住で、高山駅の歴史を調べたり、それを鉄道模型で再現することをライフワークにしています。

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