D51形蒸気機関車の製作8
高山機関区に配置されていた蒸気機関車を製作しています。
■機関車の完成(3)
このブログでは高山機関区に1962年(昭和37年)において配置されていた4両のD51形蒸気機関車を可能な限り実機を再現すべく製作してきましたが、何とか完成することができましたので、1両ずつご紹介します。
●D51338号車
▼塗装前の状態(公式側)
▲逆転ロッドは車体と一体成形になっているので、0.4ミリ厚0.5ミリ幅真鍮帯板で作り、逆転機カバーをプラ板で再現しました。(201号車とはカバー形状が異なります。)
また、省略されている蒸気管は0.35ミリのエナメル線で再現ししました。
▼塗装前の状態(非公式側)
▲ATS用発電機と150L清缶剤タンクのパーツを取り外して、その取付穴をふさぎました。
▼塗装前の状態(炭水車)
▲炭水車後部妻面の開放テコはKATOのAssyパーツ「D51標準型 開放テコ」(Z02L1541)に取り替え、省略されている標識灯はやえもんデザインの「標識灯セット」(Y-080)に、暖房ホースはやえもんデザインの「暖房ホース」(Y-068)を取り付けました。
▼カプラー(連結器)は製品に付属するKATOナックルカプラーを利用し、手すりは一体成形されているので、0.25ミリ径の燐青銅線で表現しました。
▼塗装・完成
▲ガイアノーツのフラットブラック(012)を吹き付け、乾燥後に自作したナンバープレートや区名札、架線注意表示のシールを貼りました。
▼1968年3月に美濃太田で撮影された時は前照灯はLP42でしたが、同年8月高山で撮影された際はLP-405(シールドビーム)でした。なお、模型は1962年(昭和37年)を設定しているため、製品のままです。
▼この機関車は1940年(昭和15年)1月9日に日立製作所笠戸工場で製造され、1959年(昭和34年)4月1日に稲沢第一機関区から高山に配車されました。
▼1969年(昭和44年)12月4日付けで高山機関区にて廃車になりました。
■機関車の完成(3)
このブログでは高山機関区に1962年(昭和37年)において配置されていた4両のD51形蒸気機関車を可能な限り実機を再現すべく製作してきましたが、何とか完成することができましたので、1両ずつご紹介します。
●D51338号車
▼塗装前の状態(公式側)
▲逆転ロッドは車体と一体成形になっているので、0.4ミリ厚0.5ミリ幅真鍮帯板で作り、逆転機カバーをプラ板で再現しました。(201号車とはカバー形状が異なります。)
また、省略されている蒸気管は0.35ミリのエナメル線で再現ししました。
▼塗装前の状態(非公式側)
▲ATS用発電機と150L清缶剤タンクのパーツを取り外して、その取付穴をふさぎました。
▼塗装前の状態(炭水車)
▲炭水車後部妻面の開放テコはKATOのAssyパーツ「D51標準型 開放テコ」(Z02L1541)に取り替え、省略されている標識灯はやえもんデザインの「標識灯セット」(Y-080)に、暖房ホースはやえもんデザインの「暖房ホース」(Y-068)を取り付けました。
▼カプラー(連結器)は製品に付属するKATOナックルカプラーを利用し、手すりは一体成形されているので、0.25ミリ径の燐青銅線で表現しました。
▼塗装・完成
▲ガイアノーツのフラットブラック(012)を吹き付け、乾燥後に自作したナンバープレートや区名札、架線注意表示のシールを貼りました。
▼1968年3月に美濃太田で撮影された時は前照灯はLP42でしたが、同年8月高山で撮影された際はLP-405(シールドビーム)でした。なお、模型は1962年(昭和37年)を設定しているため、製品のままです。
▼この機関車は1940年(昭和15年)1月9日に日立製作所笠戸工場で製造され、1959年(昭和34年)4月1日に稲沢第一機関区から高山に配車されました。
▼1969年(昭和44年)12月4日付けで高山機関区にて廃車になりました。