9600形蒸気機関車の製作16
■機関車の完成(2)
このブログでは高山機関区に1962年(昭和37年)において配置されていた8両の9600形蒸気機関車を可能な限り実機を再現すべく製作してきましたが、何とか完成することができましたので、1両ずつご紹介したいと思います。
●49610号車
▼塗装前の状態(公式側)
▲基本的に外観はKATOの製品と同じなので、配管類を銅線や真鍮線に置き換えてディテールアップしました。
▼塗装前の状態(非公式側)
▲こちら側も配管類を銅線や真鍮線に置き換えてディテールアップしました。
▼塗装・完成
▲ガイアノーツのフラットブラック(012)を吹き付け、乾燥後に自作したナンバープレートや区名札、架線注意表示のシールを貼りました。
▼炭水車は側面のリベットのモールドを削り、標準型から初期二段に改造して増炭板を取り付け、後照灯は小さいパーツと交換しました。
▼この機関車は1920年(大正9年)5月に川崎造船所兵庫で製造され、1942年(昭和18年)10月に多治見機関区から高山に配車されました。
▼1967年(昭和42年)11月24日に高山機関区にて廃車になりました。
●49632号車
▼塗装前の状態(公式側)
▲ランニング・ボード(ランボード)を二段から一段に改造し、空気溜をプラ棒で自作して車体前部に取り付けました。それに伴い、複式空気圧縮機を後ろに移し、繰出管(放熱管)などを真鍮線で自作して配管しました。
▼塗装前の状態(非公式側)
▲こちらもランボードを一段に改造し、製品の空気溜を取り外し、大型の空気溜をプラ棒で自作して前に設置しました。また、煙室ハンドルは丸穴タイプなので、そのパーツを取り付けました。
▼塗装・完成
▲ガイアノーツのフラットブラック(012)を吹き付け、乾燥後に自作したナンバープレートや区名札、架線注意表示のシールを貼りました。
▼炭水車は側面のリベットのモールドを削り、標準型から初期二段に改造して増炭板を取り付けました。また、蒸機管がこの車体では左側に配置されているので、真鍮線で再現しました。
▼1920年(大正9年)7月に川崎造船所兵庫で製造され、1942年(昭和17年)10月に多治見機関区から高山に配車されました。
▼1968年(昭和43年)3月14日に高山から米沢機関区に移り、1972年(昭和47年)4月10日に同機関区にて廃車となりました。(続く)
このブログでは高山機関区に1962年(昭和37年)において配置されていた8両の9600形蒸気機関車を可能な限り実機を再現すべく製作してきましたが、何とか完成することができましたので、1両ずつご紹介したいと思います。
●49610号車
▼塗装前の状態(公式側)
▲基本的に外観はKATOの製品と同じなので、配管類を銅線や真鍮線に置き換えてディテールアップしました。
▼塗装前の状態(非公式側)
▲こちら側も配管類を銅線や真鍮線に置き換えてディテールアップしました。
▼塗装・完成
▲ガイアノーツのフラットブラック(012)を吹き付け、乾燥後に自作したナンバープレートや区名札、架線注意表示のシールを貼りました。
▼炭水車は側面のリベットのモールドを削り、標準型から初期二段に改造して増炭板を取り付け、後照灯は小さいパーツと交換しました。
▼この機関車は1920年(大正9年)5月に川崎造船所兵庫で製造され、1942年(昭和18年)10月に多治見機関区から高山に配車されました。
▼1967年(昭和42年)11月24日に高山機関区にて廃車になりました。
●49632号車
▼塗装前の状態(公式側)
▲ランニング・ボード(ランボード)を二段から一段に改造し、空気溜をプラ棒で自作して車体前部に取り付けました。それに伴い、複式空気圧縮機を後ろに移し、繰出管(放熱管)などを真鍮線で自作して配管しました。
▼塗装前の状態(非公式側)
▲こちらもランボードを一段に改造し、製品の空気溜を取り外し、大型の空気溜をプラ棒で自作して前に設置しました。また、煙室ハンドルは丸穴タイプなので、そのパーツを取り付けました。
▼塗装・完成
▲ガイアノーツのフラットブラック(012)を吹き付け、乾燥後に自作したナンバープレートや区名札、架線注意表示のシールを貼りました。
▼炭水車は側面のリベットのモールドを削り、標準型から初期二段に改造して増炭板を取り付けました。また、蒸機管がこの車体では左側に配置されているので、真鍮線で再現しました。
▼1920年(大正9年)7月に川崎造船所兵庫で製造され、1942年(昭和17年)10月に多治見機関区から高山に配車されました。
▼1968年(昭和43年)3月14日に高山から米沢機関区に移り、1972年(昭和47年)4月10日に同機関区にて廃車となりました。(続く)