高山(客貨車区)に配置されていた客車を製作しています。○完 成▼オハフ61-1▲1950年(昭和25年)8月、名古屋工場にて製造し、高山へ配置
1967年(昭和42年)10月26日、高山にて廃車
▼オハフ61-2▲1950年(昭和25年)9月、名古屋工場にて製造し、高山へ配置
1968年(昭和43年)8月15日、高山にて廃車
▼オハフ61-3▲1950年(昭和25年)9月、名古屋工場にて製造し、高山へ配置
1968年(昭和43年)8月15日、高山にて廃車
▼オハフ61-4▲1950年(昭和25年)9月、名古屋工場にて製造し、名古屋を経て高山へ配置(時期不明)
1966年(昭和41年)12月、高山にて廃車後、
名古屋工場にてオヤ60-1(職用車)に改造
▼オハフ61-1,2,3,4▼オハフ61-285▲1952年(昭和27年)6月、長野工場にて製造し、高山へ配置
1967年(昭和42年)3月、高山にて廃車後、
名古屋工場にてオヤ60-3(職用車)に改造
▼オハフ61-286▲1952年(昭和27年)7月、長野工場にて製造し、高山へ配置
1967年(昭和42年)3月、高山にて廃車後、
名古屋工場にてオヤ60-4(職用車)に改造
▼オハフ61-287▲1951年(昭和26年)8月、長野工場にて製造し、高山へ配置
1968年(昭和43年)6月13日、高山にて廃車
▼オハフ61-285,286,287▼オハフ61-568▲1953年(昭和28年)1月、高砂工場にて製造し、高山へ配置
1966年(昭和41年)10月、高山にて廃車後、
オエ61-2(救援車)に改造
高山(客貨車区)に配置されていた客車を製作しています。○塗 装▼製品は塗装済みですが、手を加えた手すり部分を中心にガイアノーツのぶどう色2号(1004)を吹き付けました。▼車内床は車体色のぶどう色2号(1004)、モケット張り座席はクレオスのインディーブルー(65)を筆塗りしました。なお、背もたれ(背ずり)は板張りのままなので、無塗装としました。▼床下機器の電気暖房用のトランスとヒューズ箱を取り除いてプラ材で修復したパーツをガイアノーツの黒(1011)で塗装しました。▼幌パーツは成型色が黒なので、クレオスの明灰白色(35)を吹き付けました。○インレタ貼り▼TOMIX製には車体番号のインレタが付属していますが、レボリューションファクトリーのインレタに統一することにしました。▼レボリューションファクトリーの「オハフ61インレタ」(658)と「所属インレタ」(5199)を用いることにしました。▼KATOの製品は標記類が印刷済みなので、赤い矢印の部分を客貨車区所属車に変更します。▼変更する所属標記と車体番号部分(赤矢印)を2000番の紙やすりで削り取ります。▼車体番号は538から568に修正しました。▼インレタ貼り終了後、その保護とつやの統一を図るため、クレオスのスーパークリア半光沢(181)を吹き付けました。(続く)
高山(客貨車区)に配置されていた客車を製作しています。
▼TOMIX製は電気暖房車として製品化されていますが、蒸気暖房車にしたいので、加工が必要です。そのトランスとヒューズ箱のパーツは他の床下機器パーツとは別パーツなので、そのパーツから削り取ります。▲ちなみに高山のオハフ61は9両中、電気暖房車(2000番代)は1969年(昭和44年)3月末時点で3両が配置され、蒸気機関車からディーゼル機関車(DD51形)への移行が進んでいたことを物語っています。
▼削り取った後に穴をふさいで、プラ板で修復しました。▼TOMIX製のオハフ61のカプラーにはボディマウントタイプの自連形TNカプラー(0373)が用意されているので、使用することにしました。▼写真は製品の台車に付けられているアーノルドカプラーとTNカプラーを並べたもので、TNカプラーがリアルであることが分かります。▼TNカプラーは梁端の突起にパチンとはめるだけで簡単に装着できます。なお、その場合は台車のアーノルドカプラーは切り離す必要があります。▼KATOとTOMIXのカプラーはそのままでは連結できないので、KATOの台車にはTOMIXの密自連形TNカプラー(0391)を用いることにしました。▼KATOの台車からアーノルドカプラーを取り外してTNカプラーをそのまま取り付けることができました。写真はアーノルドカプラーとTNカプラーの比較です。▼写真はKATOカプラーNとの比較で、今後はリアル感が高いTOMIXのTNカプラーで統一することにしました。(続く)
高山(客貨車区)に配置されていた客車を製作しています。○市販キットの比較▼車体側面の比較▲KATO製は車番などの標記類が印刷済みで、TOMIX製は車番用インレタが付属して任意の番号が選択できます。
また、乗降用の手すりはKATO製はモールドで表現されていますが、TOMIX製は省略されています。▼屋根の比較▲ベンチレーターの配置位置が同じですが、TOMIX製のベンチレーターは屋根とは異なる明るい成形色になっています。▼車内(座席)の比較▲車内は茶色(ウッドブラウン)の成形色で表現され、KATO製は尾灯点灯用回路により座席表現が一部省略されて実感を損ねているのが残念です。
▼床下・足まわりの比較▲床下機器の配置は基本的に同じですが、TOMIX製は電気暖房用のトランス(赤矢印)とそのヒューズ箱が表現されています。
▼乗降ドアの比較▲TOMIX製の乗降ドアはパーツ交換により他のドアへの変更が可能ですが、KATO製と比較して浅いことが指摘されています。
▼実車写真を参考にしてTOMIXのドアを引っ込めることにしました。○オハフ61の製作▼写真上はドアとそれを固定する部分で、深くするためにドアを固定する部分を切り取り、ドアを直接取り付けます。▼ドアの両側にある手すりを0.2ミリ径の燐青銅線で再現しました。▼参考にした実車の手すりで、中央部分が膨らんでいますが、模型ではそこまで表現しません。(続く)
高山(客貨車区)に配置されていた客車を製作しています。
○オハフ61とは
同車は1950年(昭和25年)から1956年(昭和31年)までに木製客車を改造した定員80名の三等緩急車で、795両(0番台)が製造されました。
車掌室を車端とし客室との間に出入台(デッキ)を設けた初めてのレイアウトで、以降の緩急車に継承されました。
また、60系の側窓が700mm幅であったものを61系では1,000mmに拡大し、便所の便器や乗降用ドア、尾灯などが改められています。
※形式称号
「オ」車両の重量区分(32.5~37.5トン未満)
「ハ」用途表示記号(3等車)
「フ」用途表示記号(緩急車)
「6」形式番号(鋼製化客車)
「1」形式番号(2軸ボギー車)○緩急車とは 緊急時にブレーキを掛ける装置が取り付けられた車両で、この車両では車掌室にあります。
▼写真はオハフ33(蒲郡市博物館)の車掌室内の「手ブレーキ」で、ハンドルを回すことでブレーキが掛かります。○高山客貨車区の配置 1950年(昭和25年)に名古屋工場で製造された1号車(トップナンバー)から3号車までが高山に初めて配置され、廃車になるまで同区にて使用されました。
その後、1951年(昭和26年)に長野工場で製造された3両(287~289)、1952年(昭和27年)に長野工場で製造された2両(285、286)、1953年(昭和28年)に高砂工場で製造された2両(567、568)が配置されました。
なお、オハフ61の配置数量は1958年(昭和33年)10月1日及び1964年(昭和39年)4月1日時点で共に11両でした。○保存車両▼オハフ61-2752が日中線記念館(福島県喜多方市)に保存展示されており、製作の参考にしました。▲車番が2000番台でも分かるように蒸気暖房から電気暖房に改造された車両であり、床下機器に特徴が見られます。○参考資料▼鉄道ピクトリアル2001年5月号「特集60系鋼体化客車(Ⅰ)」▼鉄道ピクトリアル2001年6月号「特集60系鋼体化客車(Ⅱ)」▼国鉄鋼製客車Ⅰ(岡田誠一著、JTBパブリッシング、2008年刊)○市販キット▼TOMIX製(2008年12月発売)▼KATO製(2017年3月発売)(続く)