国鉄高山駅の製作15
■駅本屋の製作(4)
●改札口(ラッチ)の製作
こちらは取り壊し前の旧駅舎の改札口
改札係員が入るブースは「フネ」と呼ばれ、舟形をしていました。
旧駅舎の改札口は当初、駅中央と駅北側(富山側)の2箇所に設けられていました。
駅開業の1934年(昭和9年)から1960年(昭和35年)までの改札口は駅中央の玄関の突き当たりにありました。
▼写真は映画「遠い雲」(1955年(昭和30年)撮影)で見られた駅中央の改札口
▲改札口が北側に移設されたのは1960年(昭和35年)で、増加した乗客用に待合室を増やすための措置でした。
▼駅北側(富山側)の改札口は開業当初からあり、大勢の降車客の切符を回収する集札が主な役目でした。(写真は映画「遠い雲」の一場面)
▼当時の改札口は木製柵でした。(写真は映画「遠い雲」の一場面)
▼こちらは京都鉄道博物館の復元された木製柵ですが、旧高山駅のものとは少し形状が違うようです。
▼こちらは旧熱梅駅(福島県)の改札口で、これを参考にして模型を作ることにしました。
▼こちらは自作した改札口
▼集札口も0.5×0.5ミリのプラ角材で作りました。
次に地下道入口周囲の柵を作ります。
▼こちらは旧駅舎の地下道入口で昭和30年代のものとは変化が無いようなので、これを参考にしました。
▼この柵もプラ角材で作りました。
▼柵を塗装して土台に取り付けました。(続く)
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●改札口(ラッチ)の製作
こちらは取り壊し前の旧駅舎の改札口
改札係員が入るブースは「フネ」と呼ばれ、舟形をしていました。
旧駅舎の改札口は当初、駅中央と駅北側(富山側)の2箇所に設けられていました。
駅開業の1934年(昭和9年)から1960年(昭和35年)までの改札口は駅中央の玄関の突き当たりにありました。
▼写真は映画「遠い雲」(1955年(昭和30年)撮影)で見られた駅中央の改札口
▲改札口が北側に移設されたのは1960年(昭和35年)で、増加した乗客用に待合室を増やすための措置でした。
▼駅北側(富山側)の改札口は開業当初からあり、大勢の降車客の切符を回収する集札が主な役目でした。(写真は映画「遠い雲」の一場面)
▼当時の改札口は木製柵でした。(写真は映画「遠い雲」の一場面)
▼こちらは京都鉄道博物館の復元された木製柵ですが、旧高山駅のものとは少し形状が違うようです。
▼こちらは旧熱梅駅(福島県)の改札口で、これを参考にして模型を作ることにしました。
▼こちらは自作した改札口
▼集札口も0.5×0.5ミリのプラ角材で作りました。
次に地下道入口周囲の柵を作ります。
▼こちらは旧駅舎の地下道入口で昭和30年代のものとは変化が無いようなので、これを参考にしました。
▼この柵もプラ角材で作りました。
▼柵を塗装して土台に取り付けました。(続く)
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