Category [孝明天皇 ] 記事一覧
京都御苑に残る史跡(8)近衛邸跡
京都御苑の北側、今出川御門近くに五摂家筆頭であった近衛家の邸跡があります近衛邸跡この辺りが近衛邸があった場所です。近衛家は、五摂家の一つで、江戸時代までに多くの人が摂政や関白になっています。かつてはこの庭園の池の西側に大きな屋敷があり、御所炎上の際は仮の皇居ともなりました。池のほとりは、昔から糸桜の名所で、孝明天皇も次の歌を詠まれています。「昔より 名にはきけども 今日みればむへめかれせぬ 糸さく...
鳥羽伏見の戦い(2)城南宮
平安遷都にあたり、王城の南に守護神として創建されたといいます。応徳三年(1086年)に白河上皇が当地に鳥羽殿を造営した時、鎮守社として崇めたと伝えられ、代々の天皇、上皇が行幸しました。古くより方除けの神として信仰を集めていますが、現在は交通安全の神としても有名です。応仁の乱などで荒廃しましたが、江戸時代に復興。幕末には、鳥羽伏見の戦いの戦場になりました。文久3年(1863年)には、孝明天皇が攘夷祈願に行幸し...
皇室ゆかりの泉湧寺
前回の放送、孝明天皇と松平容保の最後の面会の場面泣けました~(/_;)その孝明天皇、突然の発病?からわずか13日で崩御してしまいました。真偽のほどは闇の中でが、毒殺説もいまだ根強いですね。京都の泉湧寺は、皇室の帰依が篤く、四条天皇、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、江戸時代の後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀が当山で執り行われ、霊明殿の東側に山稜設けられ、「月輪陵(つきのわのみさぎ)」と名づ...
御陵衛士屯所跡
京都・高台寺の塔頭の月真院の前に御陵衛士屯所跡の碑があります。(画像は、綾部のブロガー 四方氏からお借りしました)ここ高台寺月真院は、慶応3年(1867)6月から11月にかけて、熱烈な勤王主義者で、孝明天皇の御陵衛士伊東甲子太郎(いとうかしたろう)ら15名が屯所とした所である。伊東は常陸(ひたち)(茨城県)の出身で学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。新撰組に入り、その参謀となったが、隊長近藤...
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