Category [真田昌幸(どうする家康) ] 記事一覧
上田城(4)尼ヶ淵
かつての上田城二ノ丸の堀跡は、昭和になってから上田電鉄が走っていましたが、現在はけやき並木遊歩道として整備されています。現在も電車跡の名残が見られます。上田城は、上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」とも呼ばれていました。この辺りはもろく崩れやすいのがわかりますね。南・西櫓の下段には、享保の洪水後に設置された大規模な石垣があります。南櫓ここから、西...
上田城(3)真田神社
真田神社は、上田城跡公園内にある神社で、創建は明治13年(1880年)。真田・仙石・松平の歴代の上田藩主を祀っており、主神は真田昌幸と長男の真田信之父子、仙石氏・松平氏を祭神として奉られています。徳川の軍勢を二度も撃退し、大阪の陣で大活躍した真田氏の神霊は「知恵の神様」として崇敬され、真田氏の知略や勝運にあやかろうという人達が多く訪れる人気パワースポットにもなっています。境内には、真田軍のシンボル・赤備...
上田城(2)本丸西虎口~隅欠~上田城本丸跡
上田城の3つの櫓の見学を終え、お城の周りをぐるっと散策。花木園では、ツツジ、ハナミズキをはじめ、春の花が満開でした。上田招魂社当招魂社は、戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ、日清・日露戦争から大東亜戦争に至る間国家のために亡くなった人々の英霊を祀っています。お濠に沿って歩いていると、隅欠(すみおとし)という看板が見えてきます。隅欠は、上田城の特徴のひとつで、鬼門の方角である北東の隅の土塁を切り込んで、鬼...
上田城(1)東虎口櫓門~北櫓~南櫓~西櫓
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。東虎口櫓門から城内に入ります。櫓門の手前から見た空堀。櫓門をくぐる前、右側の石垣の中に真田石があります。高さ2.5m、幅3mの城内最大の石です。真田信之が上田城から松代に移る際、父の形見として持ち去ろうとしたが動かなかったという伝説が残されています。この楼門は、北櫓と...
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