Category [大久保利通(西郷どん) ] 記事一覧
大久保利通の墓
1878年(明治11年)5月14日、紀尾井坂で暗殺された大久保利通の墓は、東京都港区の青山霊園にあります。5月15日に大久保に正二位右大臣が追贈され、大久保および御者の中村の慰霊式が行われ、17日に両者の葬儀が行われました。大久保の葬儀は大久保邸に会する者1,200名近く、費用は4,500円余りという近代日本史上最初の国葬級葬儀となりましたが、西郷隆盛と敵対していた大久保は故郷には受け入れられず、遺骨は鹿児島に帰されませ...
紀尾井坂の変と大久保利通哀悼の碑
紀尾井坂の変は、明治11年(1878年)5月14日、内務卿大久保利通が東京・麹町の紀尾井坂で不平士族6名によって暗殺された事件です。西南戦争の最中に木戸孝允が病死、西郷隆盛が西南戦争で自決すると、大久保は岩倉具視と結んで内務省を中心に独裁体制を敷きました。これに対し、不平士族や士族民権家たちは不満を募らせ、大久保が明治天皇に謁見するため、2頭立ての馬車で自邸から赤坂仮皇居へ向かう途中、紀尾井坂で、待ち伏せてい...
鹿児島の旅(35)大久保利通の銅像
JR鹿児島中央駅より徒歩5分、鹿児島市西千石町にあるフロックコートを翻す大久保利通の銅像は、大久保の功績を讃え、没後100年を記念して昭和54年(1979年)9月26日に中村晋也氏によって、大久保の生誕地近くの甲突川河畔に建立されました。本体4.3メートル。 像の足元には、大久保が暗殺された際に一緒に亡くなった馬車夫と馬の像も彫られているそうですが・・・そこまではわかりませんでした(^^;大久保利通1830‐78(天保1‐明治11)...
鹿児島の旅(25) 大久保利通誕生地
大久保利通誕生の地は、鹿児島中央駅から桜島方面に進んだナポリ通り沿いの高麗町にあります。大久保利通は、文政13年8月10日(1830年9月26日)鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)に、琉球館附役の薩摩藩士・大久保利世と皆吉鳳徳のニ女・福の長男として生まれました。幼名は正袈裟(しょうけさ)。大久保家の家格は御小姓与と呼ばれる身分で下級藩士であった。幼少期に加治屋町(下加治屋町方限)に移住し、下加治屋...
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