Category [藤田東湖(青天を衝け) ] 記事一覧
水戸の旅(3)徳川光圀・斉昭を祀る常盤神社~藤田東湖を祀る東湖神社
水戸偕楽園に隣接する常盤神社は、水戸藩・第2代藩主・徳川光圀(義公)と第9代藩主・徳川斉昭(烈公)を祀る神社です。常磐神社は、明治の初めに義公・烈公の徳を慕う人々によって偕楽園内に創立された祠堂に由来します。明治6(1873)年には勅旨をもって「常磐神社」の社号を賜り、翌明治7(1874)年、現在地に社殿を造営しました。昭和20(1945)年の戦災で本殿以下を焼失しますが、昭和33(1958)年現在の社殿が再建されました...
隅田公園(2)藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑
隅田公園の一角には、徳川斉昭の側近・藤田東湖の詩碑があります。藤田東湖 「天地正大気」の漢詩碑石碑の文字はかすれていて読めませんが、隣に説明板があります。 藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑所在地 墨田区向島一丁目三番 隅田公園内 江戸末期の尊王攘夷論者として知られた水戸藩士藤田彪(号は東湖)の「和文天祥正氣歌」の刻まれた漢詩碑です。 弘化2年(1845)11月、藤田東湖はこの地にあった小梅の水戸徳川家下屋...
水戸の旅(2)藤田東湖の墓
弘化元年(1844年)5月に徳川斉昭が隠居謹慎処分を受けると、藤田東湖も共に失脚し、小石川藩邸(上屋敷)に幽閉され、同年9月には禄を剥奪されます。弘化2年(1845年)2月に幽閉のまま、小梅藩邸(下屋敷)に移り、幽閉・蟄居中に『弘道館記述義』『常陸帯』『回天詩史』などを執筆、幕末の志士たちに深い影響を与えることとなった。弘化4年(1847年)には水戸城下竹隈町の蟄居屋敷に移され、嘉永5年(1852年)にようやく処分を解...
水戸の旅(1)水戸観光案内所~藤田東湖生誕の地
平日の連休が取れ、今回急遽決めた水戸初上陸。水戸駅に降り立って、最初に向かったのが、JR水戸駅構内にある水戸観光案内所。下調べの時間が足りず、水戸観光案内所にいろいろと質問していたら、事前に資料を送ってくださいました。これが実に歴史マニアにはたまらないマニアックな資料が含まれておりました。行く前に読むのと後に読むのとでは大違い。やはりできるだけ、情報を頭に入れていくべきですね。今までも、各地の案内所...
小石川後楽園(2)藤田東湖の碑
9代藩主・徳川斉昭の側近で、学者の藤田東湖も、小石川に住居を構えていました。東湖は、尊皇攘夷を説き、数々の著書を出版したことにより、幕末の志士たちに絶大な人気を誇っていました。その一人が西郷隆盛で、江戸薩摩藩邸に勤務してすぐ、斉昭の側近、樺山三円に仲介してもらい、東湖と面会を果たしたのだといいます。東湖の思想に感銘を受けた西郷は何度も小石川に足を運んだのだそうです。(西郷どんWalker参照)この庭園に...
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