Category [武田信玄 ] 記事一覧
一言坂の戦い~挑燈野の戦い
一言坂の戦いは、元亀3年(1572年)10月13日に遠江国二俣城をめぐり、武田信玄と徳川家康の間で行われた戦いです。信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、二俣城の戦い(三方原の戦い)の前哨戦ともいえます。元亀3年(1572年)、武田信玄は信長包囲網に応える形で西上作戦を発動する。信玄は軍を3つに分け、山県昌景率いる5,000の兵を三河へ、秋山虎繁(信友)率いる伊那衆を美濃へと先行させる。そして10月10日には、自ら率...
向源寺(上田)
真田家とは関係ありませんが、上田で訪ねたお寺のひとつです。矢出沢川に架かる向源寺橋の向こうに山門が見えます。向源寺は浄土真宗のお寺で、1520年、浄空が開基となり上田原に創建したのが始まりと伝えられています。寛永3年(1626年)に、現在の場所に移りました。永禄9年(1566年)には、武田信玄が、このお寺に陣をとることを禁じる朱印状を出しており、その朱印状は上田市の指定文化財に指定されています。文政元年(1818年)には...
川中島古戦場(八幡原史跡公園(2)
三太刀七太刀之跡の碑上杉謙信・武田信玄一騎討ちの場所と伝えられ、三度斬りつけ軍配団扇には七つの傷が残っていたことから、「みたち・ななたちのあと」と言われています。逆槐(さかさえんじゅ)永禄4年(1561)の川中島合戦で、山本勘助の進言によって「啄木鳥の戦法」をとることにした武田信玄は、八幡原のこの場所に土塁を積み重ね、矢来を組み、盾をめぐらして上杉軍挟撃の本陣をおいた際、土塁の土留めとして自生していた...
川中島古戦場(八幡原史跡公園) (1)
明けましておめでとうございます!昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございましたm(__)m今年もよろしくお願いいたします。新年最初の記事は、川中島古戦場(八幡原史跡公園)です。5度にわたって繰り広げられた武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年(1561)の戦いの舞台になったのが八幡原です。ここでの戦いが最も激しく、副将・武田典厩信繁、山本勘助らが戦死しました。川中島古戦場は、現在八幡原史跡公...
生島足島神社(3)歌舞伎舞台
歌舞伎舞台 武田信玄が必勝を祈った「願文」などの古文書が常設展示されています 。 この日は、朝早過ぎて、まだ開館していなかったので、歌舞伎舞台の前にあった案内板を写してきました。FC2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)...
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