Category [織田信長(どうする家康) ] 記事一覧
信長、秀吉に崇敬された犬山の瑞泉寺
犬山の瑞泉寺は、織田信長、豊臣秀吉らに崇敬され、尾張徳川家にも庇護された寺です。山門犬山城の門を移築したものといわれています。 当寺は名鉄犬山遊園駅のすぐ東にあり、日峰宗舜禅師が創建した臨済宗妙心寺派の古刹である。室町初期応永年間、犬山の継鹿尾観音の一房で大蔵経を学ぶう ち、内田の人、内田左衛門次郎が自分の山に一寺建立を懇請した。現地を見た禅師は、この山に水が出ないことを知り、弟子蜂屋玄瑞(土岐一...
犬山城下町~三光稲荷神社
犬山城下町は犬山城の創建に伴い、商人や職人の同業者を近くに住まわせて、町の発展を促したとされ、もともとあった町を整備して作られました。鍛冶屋町・魚屋町などの町名に名残が見られます。あちらこちらに町名由来看板があって、町の由来を教えてくれます。どんでん館犬山祭で曳かれる巨大な車山が展示されています。この灯篭は、元禄13年に徳川家康の孫・瑞龍院(尾張2代藩主・光友)が建中寺に建てたものを津田応助が拝領し...
清州を訪ねて(2)清洲会議が行われた清洲城
大手橋を通って清洲城へ。清洲古城跡の五条川対岸に、平成元年(1989年)に天守閣が建てられ、ふれあい郷土館として郷土文化・文化・歴史・産業展示室を設け、芸能文化館・黒木書院、日本庭園・土蔵・大手門等が作られました。室町時代、尾張の守護職であった斯波義重が下津城(稲沢市)の別郭として建てたのが清洲城の始まりといわれています。戦乱により、下津城が焼失後、文明10年(1478年)守護所が清洲に移転することにより、清洲...
清須を訪ねて(1)清州古城と信長像
先月、久しぶりに織田信長ゆかりの地・清須を歩いてみました。織田氏の居城である清洲城(清須城)があったことで知られています。「きよす」の表記は、「清須」と「清洲」の両方が混在しており、歴史書によって異なります。弘治元年(1555年)織田信長と結んだ織田信光によって、守護代織田・信友が殺害され、以降信長が那古野城から移って大改修を加えた後、本拠として居城しました。桶狭間の戦いの際、信長はこの清洲城から出陣...
織田信長・信忠を祀る京都の建勲神社
建勲神社は、京都市北区の船岡山の中腹にある神社で、織田信長を主祭神とし、息子の織田信忠を配祀しています。正式名称は「たけいさおじんじゃ」通称「けんくんじんじゃ」と呼ばれています。天下を統一した織田信長の偉勲を称え、明治2年明治天皇が創建し、1910年(明治43)船岡山の山腹にあった社を山頂に遷祀しました。船岡山は平安京造営の際、玄武の山として北の基点、応仁の乱の際は西方の陣地となりました。10月19日の大祭...
最新コメント