Category [三条実美(西郷どん) ] 記事一覧
七卿落ち(7)朝倉八幡宮
山口市の朝倉八幡宮は、貞観元年(859)宇佐八幡宮から勧請したと伝えられる古社です。湯田へ落ち延びてきた三条実美ら七卿は、尊王攘夷の祈願のためにたびたびここに参拝していました。境内には、三条実美・三条西季知・壬生基修・東久世通禧の歌碑が建っています。七卿歌碑朝倉八幡宮にまうでてゆうたすきかくる祈りはうけよ神わたくしならぬ願なりけり 三条西季知ゆうたすきかけて祈るも一すぢにわがまごころをつくす...
七卿落ち(6)太田家住宅 「鞆七卿落遺跡」
福山の景勝地として知られる鞆の浦の太田家住宅は、元は福山藩の御用名酒屋を務めた保命酒の蔵元「中村家」の屋敷で、明治時代に太田家の所有となりました。瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える、歴史的価値のある建造物で、1991年に国の重要文化財指定を受けました。建物は、主屋や保命酒醸造蔵など9棟からなり、見事に保存されています。これらの建物群は江戸時代中期から後期にかけて「旧保命酒屋」中村家が拡張...
七卿落ち(5)延寿王院
数年前、JR博多駅より西鉄太宰府駅までバスで太宰府天満宮へ行きました。途中、福岡空港、太宰府政庁跡を経由して行きます。約42分で太宰府駅に到着。ここから太宰府天満宮の表参道を歩いて行きます。歩いていて目を惹いたのが、木組み構造のスタバこれも天満宮に合わせたデザインなのですね。鳥居が見えてきました。太宰府天満宮は、福岡県太宰府市にある菅原道真を祀る天満宮の一つです。菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原...
七卿落ち(3)七卿一行三田尻へ
八月十八日の政変により、京を追われることになった三条実美をはじめとする尊王攘夷派の7人の公家らは、京都の妙法院に集結した後、兵庫津を経て、海路で長州藩の三田尻港(山口県防府市)を目指したのですが、途上悪天候のため、3隻のうち2隻が徳山藩の徳山港(山口県周南市)に上陸し、ここから陸路、三田尻に向かうことに。七卿らを兵庫まで警護した責任者は長州藩士、益田親施(ますだちかのぶ)でした。親施は、益田家第33代...
七卿落ち(2)妙法院
京都市東山区の妙法院は、文久3年(1863年)八月十八日の政変によって、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が京都から追放された「七卿落ち」の舞台ともなっています。大玄関妙法院の宸殿に集合した長州藩士と三条実美ら七人の公卿は、話し合いの結果、長州に落ち延びて再起を図ることを決断。宸殿久坂玄瑞が、その時の切ない心情を、後に「七卿都落舞歌」と呼ばれる歌に籠めたといいます。「久坂玄瑞義助七卿落舞歌」世は刈り菰と乱れ...
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