Category [足利義輝 ] 記事一覧
足利将軍室町第跡~花の御所
上京区室町通今出川に、足利将軍室町第跡があります。足利3代将軍義満が1378年(永和4)に造営した邸宅で、室町幕府が置かれていました。室町通に面して正門が設けられたことから室町殿、室町御所と呼ばれました。もとは、崇光(すこう)上皇の仙洞御所で、庭内には鴨川から水を引き、各地の守護大名から献上された四季の花木を植え、花亭・「花の御所」とも称しました。烏丸通と室町通、今出川通と上立売通に囲まれた東西110メート...
斯波氏武衛陣・足利義輝邸
改めて、京都御所西側の足利義輝邸跡を訪ねてみました。此付近 斯波氏武衛陣 足利義輝邸 遺址永禄8年(1565年)足利義輝は、衛陣(斯波武衛家旧邸)に自らの城を築きました。武衛とは斯波氏の職名を由来とし、現在の旧二条城跡地の地名が「武衛陣町」であるのはこれを由来としています。このイラストに描かれているように、当時の足利義輝邸は、平安女学院中高校と平安女学院大学の両方にまたがっていました。永禄8年(1565年)5月...
足利将軍の邸宅・花の御所
花の御所は、足利将軍家の邸宅の通称で、足利義満が、正室の叔母・日野宣子に花の御所内の岡松殿を与えて住まわせたことに始まるとされています。室町殿と呼ばれ、これが幕府、将軍の通称となりました。もとは、崇光(すこう)上皇の仙洞御所で、庭内には鴨川から水を引き、各地の守護大名から献上された四季の花木を植え、花亭・「花の御所」と称しました。上杉家本『洛中洛外図』には「公方様」と記され,応仁・文明の乱で焼失前の...
足利将軍菩提寺の等持院(5)足利尊氏の墓
9月6日放送予定だった「麒麟がくる」が放送中止になりましたので、過去の記事より、足利将軍ゆかりの等持院の記事を再アップします。等持院の境内には、足利尊氏の墓があります。方丈北の中央に尊氏の墓である宝筐印塔がある。塔の台座は四面に立派な格挟間があり、宝瓶に蓮華を挿した紋様があって、室町時代の形を示している。台座の正面に延文三年四月の文字がみられる。(等持院HPより)足利尊氏像(浄土寺蔵)室町幕府初代将軍...
足利将軍菩提寺の等持院(4) 清漣亭
9月6日放送予定だった「麒麟がくる」が放送中止になりましたので、過去の記事より、足利将軍ゆかりの等持院の記事を再アップします。足利尊氏公百年忌の長禄元年(1457年)に復興した際、庭園の小高い築山の上に清漣亭の茶室が新築され、義政好みとよばれました。村田珠光や相阿弥らと茶道を興じたという清漣亭は、上段一畳を貴人床とする二畳台目の席で、ここから望む芙蓉池苑はまた格別なのだそうです。上段の中敷居窓は、衣笠山...
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