Category [奥山朝藤 ] 記事一覧
奥山方広寺(7)亀背橋~総門
亀背橋を渡り、下山していきます。椎河大龍王堂方広寺にゆかりのある龍神様をお祀りしています。その昔、方広寺の開山さまが行脚をされていた時、現在の浜松市天竜区鹿島のあたりで、増水した河を渡るのに難儀されていたところ、龍神様が現れ、姿を橋に変え、開山さまを渡したという伝説があります。五百羅漢さまが点在してるので、自分に似た羅漢様を探しながら森林浴を満喫できます。橋の上の羅漢様の数が見るときによって変わる...
奥山方広寺(6)奥山半僧坊大権現
奥山半僧坊奥山半僧坊大権現方広寺の鎮守さま。伝えによると、無文元選禅師が中国より船に乗船して帰国の折、東シナ海において台風に遭遇されました。風は帆柱を折れよとばかりに吹き荒れ、雨は滝のごとく落ち、波は逆巻いて禅師のお乗りになっている船をいまにも飲み込もうとする勢いでありました。大きく揺れる船のなかで、禅師は一心に観音経をおよみになっておられました。そこに法衣を着て袈裟をまとった、鼻の高い一人の異人...
奥山方広寺(5)勅使門~開山堂
勅使門の奥に開山堂が建っています。勅使門開山・無文元選(円明大師)は、元亨3年(1323)2月15日、後醍醐天皇の皇子として、京都において誕生されました。母は昭慶門院。父の後醍醐天皇が崩御した翌年の1340年に建仁寺で出家し、明窓宗鑑・雪村友梅などに師事。1343年、中国の元に渡ることを志し、博多聖福寺の無隠元晦(むいんげんかい)に参禅。その後元に渡り福州大覚寺で古梅正友に参禅し、各地を巡拝。日本に帰国した後は、...
奥山方広寺(2)本堂
方広寺の本堂は、明治38年から大正7年にかけて竣工されたもので、間口32m奥行27mの東海屈指の建物です。中央の大額「深奥山」は山岡鉄舟の書によるものです。 それでは本堂の中に入ってみましょう。中は撮影OKです。役行者像利休像本堂から見た鐘楼秘仏・阿弥陀如来像山門に安置されていた阿弥陀如来像が、本堂に特別公開されていました。案内板によるとこの像が彫られたのは、天正10年(1582年)、織田信長が明智光秀に討たれた年、...
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