Category [毛利輝元 ] 記事一覧
萩紀行(57)天樹院 毛利輝元・長井元房の墓所
もともとここは毛利輝元の隠居所(四本松邸)で、輝元亡くなった後に、天樹院という菩提寺が建てられ、維新後に廃寺になりました。毛利家の墓所は、山口市の香山墓所・萩の大照院・東光寺にもありますが、こちらには輝元と夫人、そして殉死者の長井元房の墓石があります。輝元の火葬場跡毛利輝元夫妻の墓長井元房の墓長井元房は、輝元の死後に彼の後を追って殉死した輝元の家臣で、その元房の可愛がっていた猫も飼い主の後を追うよう...
香山公園(1)瑠璃光寺の五重塔
瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口市香山町にある曹洞宗の寺院で、国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれています。室町時代、大内氏25代の大内義弘が、現在の場所に香積寺を建立。義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし、足利義満に敗れて戦死。義弘の弟である26代大内盛見が兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を建設中、盛見もまた九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死。五重塔はその後、嘉吉...
萩紀行(50)常念寺
萩市下五間町の常念寺は、毛利輝元が萩城の築城時に宿舎にした寺で、表門は、もともと京都の聚楽第の裏門として建てられたものを輝元が豊臣秀吉から拝領し、1633(寛永10)年に移築したといわれています。和様四脚門で、屋根は切妻造り本瓦葺き、両袖に潜戸が付いています。国の重要文化財に指定されています。FC2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加し...
萩紀行(44) 萩城跡 東園~毛利輝元像
楫取素彦寄進の井戸万歳橋の横には、1879年(明治12年)楫取素彦が寄進した井戸が残されています。東園東園は、萩城の北東部にある池の周囲一帯をさし、かつては藩主の遊息の庭園でした。復元された二の丸土塀 (銃眼土塀)鉄砲狭間があるため「銃眼土塀」と名付けられています。ここから海に出られます。萩城址碑毛利輝元像萩城は、関ヶ原の戦いで、西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広...
萩紀行(42) 萩城跡 本丸跡~天守閣跡
萩城は、慶長9年(1604)に毛利輝元が、指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれています。山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が残されています。 本丸石垣の階段 本丸跡から見た堀 指月山 本丸跡から見る天守閣跡 天守閣跡への階段 天守閣跡から見る堀 天守閣跡から見る指月山 ...
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