Category [母里太兵衛 ] 記事一覧
母里太兵衛生誕地の碑
久し振りに姫路の記事です。山陽本線の妻鹿で下車。飾磨高校を目指して歩いていくと、目の前には国府山(甲山)が見えてきます。国府山城といえば、黒田官兵衛が秀吉に姫路城を明け渡した後、居城としたところでしたね。母里太兵衛生誕地之碑は、妻鹿の元宮八幡神社の境内の中にあります。ちょうど飾磨高校の西側になります。この碑は、平成25(2013)年7月14日、妻鹿連合自治会により記念碑として建てられました。妻鹿では、秋祭...
福岡めぐり(5)母里太兵衛屋敷跡と長屋門
天神の福岡天神センタービル、野村証券福岡支店の建つ場所に母里太兵衛屋の下屋敷跡の碑があります。太兵衛といえば酒豪 槍の呑み取りのエピソードで有名ですね。肖像画ではこのようなお顔ですが、私の中ではすっかり速水もこみち君になっています 母里太兵衛屋敷跡之碑 この地は黒田二十三騎のひとり母里太兵衛(ぼりたべい)(母里但馬友信)の下屋敷跡である。 母里太兵衛は勇猛かつ思慮に富む武将であると同時に無類の酒...
福岡めぐり(4)母里太兵衛の黒田節像
博多駅博多口の前に、右手に大きな杯、左手に名槍「日本号」を持つ黒田節像があります。この像のモデルは、母里太兵衛だそうです。さけはのめのめ のむならば ひのもといちの このやりを のみとるほどに のむならば これぞまことの くろだ武士黒田節の由来 文禄五年(1596年)正月、黒田長政の家臣、母里太兵衛は主命により福島正則の邸に使いした。 宴酣となつて、正則は、酒杯を固辞する太兵衛に、この大杯で飲むならば...
黒田家家臣・母里太兵衛(友信)
母里友信は、黒田氏の家臣。幼名は万助、通称は太兵衛。「もりたへえ」の名で知られていますが、姓は「ぼり」と読むのが正しいそうです。父・曽我一信は播磨国で勢力を持っていた小寺氏に仕え、黒田職隆の与力的な立場にあったため太兵衛も官兵衛に仕えました。その際、黒田家の旧臣の姓で、母方の姓である「母里」と名乗ったとされています。槍術に優れた剛勇の武将として知られ、栗山善助と共に黒田軍の先手両翼の大将を務めまし...
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