Category [藤原道長 ] 記事一覧
東福寺の塔頭 同聚院
東福寺の塔頭・同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。同聚院臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が...
藤原道長の御嶽詣(2)金峯神社
金峯神社は、吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祀る神社です。二の鳥居金峯神社に伝わる経筒は、金峯山から出土したもので国宝となっています。令和6年(2024)には、金峯神社と金峯山寺が所有する藤原道長直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」が国宝に指定されました。拝殿 吉野神宮の旧拝殿を移築したもの義経隠れ塔源頼朝に追われた源義経がここに隠れていたという塔。その際に追っ手に囲まれてしまい、屋根を蹴...
藤原道長の御嶽詣(1)金峯山寺
御嶽詣(みたけもうで)とは、吉野郡金峰山(きんぶせん)に参拝すること。藤原宣孝は、正暦元年(990年)3月頃に御嶽詣を行いますが、『枕草子』によると「御嶽は『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって長男の隆光とともに派手な衣装で参詣したことが書かれています。帰京後の同年8月に筑前守に任ぜられたことから、「あのとき言った通りであった」と噂されたといいます。吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、...
曲水の宴と毛越寺
曲水の宴は、(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、庭園の曲水に沿って参会者が座り、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、杯を手に取って酒を飲んでから杯を次へ流すという遊びで、もとは中国で行われたものです。奈良時代には宮廷行事として確立していたとみられ、平城天皇の代に一時中止されましたが嵯峨天皇により復活。平安時代には宮廷や貴族の邸宅などでも行われるように...
藤原氏の墓(2)宇治陵32号墳
このの細い参道を上って行くと、住宅地の間に宇治陵32号墳があります。この宇治陵32号墳を藤原道長の墓とする説もありますが、誰がどこに埋葬されているかは特定されていないそうです。ここを見学していたら、住人の人が反対側にも陵墓の入口があると説明してくださいました。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お...
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