終戦記念日、歴史に学ぶ必要性をさらに痛感しました/横須賀日中友好協会主催の映画「望郷の鐘〜満蒙開拓団の落日〜」上映会へ@横須賀市議会・無所属・藤野英明 | 「福祉のまち、よこすか」をめざしてよりさて当blogでも何度か取り上げている横須賀市議会のイケメン市議である藤野英明氏が終戦の日に満蒙開拓団の悲劇に関する映画を見てかつ追加で色々調べて勉強したそうです。同じころ旅行を楽しんでいた同年代の人間としては頭の下がる思いです。そして今、いち市議会議員ではありますが『権力者の側』に立つ者として、「絶対に平和を守らねばならない」と常に強く意識しています。
その為には絶えず『歴史に学ぶ』ことが必要だと信じています。
歴史を学ぶとともにそこから教訓を得て、今の政治に反映させていかねばならない、歴史に学ぶ姿勢を常に持つことが不可欠だと信じています。
こうした想いで毎日を生きているのですが、ようやく終戦を迎えることができた8月15日は特に大切な日だと感じています。
「自分が知らなかったことを改めて積極的に学ぶ日にしよう」と決めて、毎年この日を迎えています。
昨年は、浦賀港引揚船の悲劇について改めて深く学びました。
そして今年は、満蒙開拓団の悲劇と中国残留邦人の帰国に奔走した人物について学ぶ機会を頂きました。
望郷の鐘〜満蒙開拓団の落日〜
時論公論 「"満蒙開拓団"の史実に学ぶ」@NHK
望郷の鐘〜満蒙開拓団の落日〜より
満州はユートピアだと言われ大勢の民間人が中国大陸に向かいました昭和二十年三月十日の東京大空襲以後、東京他都市という都市は空襲によって壊滅状態となり、八月には広島・長崎へ原子爆弾を落とされて日本は敗戦を迎えますが、その直前の昭和二十年五月一日長野県より、東京は八月四日に、その他の県からも中国大陸の東北部の満州に疎開と称して出かけて行ったのです。
さてこの映画昭和20年に長野から満州に移住した人たちの終戦後の引き上げの苦渋を描いた映画なのですが、8月にソ連軍が満州に侵攻してくることを知っている今の視点から見ると無謀そのものなのですが・・・。
日本 戦時日欧横断記(第二部)より長野の人達の移住した人たちが移住した昭和20年5月というのはちょうどヨーロッパにおいてドイツが降伏し第2次世界大戦の欧州戦線が終了した時期に当たり、多くの日本人が日ソ中立条約によってソ連の協力でヨーロッパから日本への引き上げを行っている最中だった時期に当たります。この日ソ中立条約そのものはその先月である4月にソ連側から破棄の通告が行われ翌昭和21年4月である期限の延長の見込みは薄かったのですが、このヨーロッパからの引揚者たちはソ連の協力により8月の終戦以降の引揚者からすると考えられないほど安全で快適な引き上げを行っています。一方国内に関しては3月の東京大空襲以降硫黄島陥落、米軍沖縄上陸と戦況が厳しくなったこと昭和19年末からの国内近海における米軍の海上封鎖により朝鮮半島・満州などの植民地からの食糧移入が難しくなったことから飢餓の危険性が非常に高まってきたこと等を考えると国内で座して飢え死にを待つかソ連が中立を保つことにかけて一か八かで満州に移住するかと言う話になったのだと思われます。
五月十三日、日本人会によって園遊会が企画された。そしてソ連兵も招待した。~中略~
十八日早朝、ベルリンよりソ連国境警備師団長が来て、本日中に全員ベルリンに発ちそこからモスクワ経由で帰国させると伝えた。軍の命令であるから従うほかなく、一行は四時、トラック四台に分乗してベルリンのリヒテンベルク駅向かう。同駅に着くと、そのまま近くの民家に二泊する。そこにはベルリンの大使館の地下壕に篭城していた大使館員のほか、スイス、スエーデンといった他の中立国の人々もいた。みな知恵を出して、戦禍を逃れたのであった。~中略~
以上のように、多くの被害者が出た欧州においても邦人は、引き揚げに際しては一人も犠牲者が出ることなく全員が日本、満州に引き揚げることが出来た。そして欧州に日本人は、現地人と結婚したものを除き、実質一人もいなくなった。
終戦記念日、歴史に学ぶ必要性をさらに痛感しました/横須賀日中友好協会主催の映画「望郷の鐘〜満蒙開拓団の落日〜」上映会へ@横須賀市議会・無所属・藤野英明 | 「福祉のまち、よこすか」をめざしてよりそうはいっても昭和20年に満州に送り込まれたのはそれほど多くはなく、満州に入植した27万人もの人たちの大半は戦争がはげしくなる前に送り込まれた人だと思われます。
『満蒙開拓団』とは、日本から27万人も旧満州(日本が造った傀儡国家=満州国、特に北部へと送り込まれた)に入植する為に送り込まれた人々のことです。
no more war! no more deflation!!よりそしてその多くは昭和恐慌時に行き詰まり娘を売春宿に売ったり、子供たちの学校の弁当の準備もできなくなるほど追い込まれた貧農たちではないでしょうか?そして昭和20年に移住した人にもその前に移住した人たちにも共通しているのは「今のままでは食べていけない」と追い込まれ切羽詰まった事です。
そしてあふれたのは借金返済のために身売りする娘や欠食児童と呼ばれる餓死寸前の子供たち、
終戦記念日、歴史に学ぶ必要性をさらに痛感しました/横須賀日中友好協会主催の映画「望郷の鐘〜満蒙開拓団の落日〜」上映会へ@横須賀市議会・無所属・藤野英明 | 「福祉のまち、よこすか」をめざしてより果たして現代の我々が学ばなければならないのは「戦争をしない」と言う法律を後生守り続けることでしょうか?確かにそのことに効果がないとは思わないもののそれ以上に『権力者の側』に立つ者として考えなくてはならないのは「今のままでは食べていけない」と追い込まれ切羽詰まる人を一人でも減らすことではないでしょうか?特に今、政府が『戦争法案』を成立させようとしていますが、絶対に止めねばなりません。
たくさんの犠牲を払ってもなお学ばない。それでは失われた命に対して申し訳がたちません。
我々の国が70年以上前に行った戦争は確かに悲惨な事でしょう、ただ戦争だけしないで昭和恐慌時に行き詰まり娘を売春宿に売ったり、子供たちの学校の弁当の準備もできなくなるほど追い込まれた貧農たちを放置していたら悲惨でなかったとはとてもいえないのではないでしょうか?
二宮尊徳(二宮金次郎)の名言よりさて最後にチートな先人にお出ましくださいましょう。戦争反対、戦争をしてはいけないと言うのは確かに道徳的に正しい事なのでしょう。ただその為に「今のままでは食べていけない」と追い込まれ切羽詰まる人を減らすためにいかに努力していくか=経済を運営していくかと言う努力なくしてそれを言っても『権力者の側』に立つ者としては寝言、意味のない事なのではないでしょうか?道徳を忘れた経済は、罪悪である。
経済を忘れた道徳は、寝言である。