10人はねられ女児ら2人死亡 87歳が運転 池袋事故@朝日新聞2019/4/19より
19日午後0時25分ごろ、東京都豊島区東池袋4丁目の都道の横断歩道2カ所で、高齢男性が運転する乗用車が歩行者らを次々とはねた。
警視庁と東京消防庁によると10人が負傷した。このうち自転車に乗っていた30代の女性と、3歳ぐらいの女児が心肺停止で病院に搬送されたが、死亡が確認された。
少し前の話ですが池袋で痛ましい事故が発生しました。まず亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被害者の方への哀悼の意を表します。
立川志らく 池袋の母子死亡事故に「年配者の免許返上を国は考えていかないと」@LivedoorNews2019/4/25より85歳を超えた高齢者の起こした事故であり、30代の母親と3歳の子供が犠牲になったことから高齢者の免許保有に関して感情的な厳しい意見が多く出てきています。
志らくは「誰だって運転してればミスることもあるし、いろんなことがあるんだけど、お年寄りの場合は本当に認知機能が低下して、それでわけが分かんなくなっちゃう」と指摘。年配者の事故が多発している現状があるとし「免許を何らかの形で返上されるってことを国がどんどん考えていかないとこういう事故はなくならない」と訴えた。さらに「免許返上っていうのは真剣に考えていかないとだめですよね。いい国とは言えないですよ。年配者が認知機能が低下して子どもを殺しちゃうなんて決していい国とはいえない」と強調していた。
一定の年齢に達した高齢者の免許更新を厳しくしなければならないわけ @BLOGOS(猪野 亨)2019/4/29より
さて、これが高齢になれば、身体能力、判断能力は落ちていきます。昨日までできたことが今日にはできなかったということはよく聞くことです。急速に衰えることもあるわけです。
それが高齢になる前の人たちとの大きな違いです。高齢になる前は一定の技術水準を維持するかアップしていく、これに対して高齢者は落ちていく一方です。
だから一定の年齢に達したら、免許の更新が厳しくなって当たり前。しかし、今の現行制度はほとんど落ちることのない甘い甘い制度です。
表:年齢階層別自動車又は原動機付自転車(以下「自動車等」という。)の運転者が第1当事者となる交通死亡事故件数(免許保有者10万人当たり)@平成30年交通安全白書より
しかし冷静になって高齢者の事故率を見ていくと意外なことに気づきます。上は年齢階層別の人口10万人当たりの死亡事故件数、確かに70歳以上の高齢者の事故率は高いですが、80歳以上は16~19歳を下回り、70~79歳は20~29歳世代と同程度であること、平成19年と29年の比較でみれば70~79歳が9.4→4.7と半減、80歳以上は20.9→10.6とほぼ半減していて他の世代よりも減少していることが見て取れます。平成29年の70代の死亡事故率は、平成19年のどの世代よりも低くなっているというのは注目されてもよいと思います。確かに高齢者の身体能力は衰えていくのかもしれませんが、一方で経済力を生かして新しい安全性能の高い車の導入を積極的に行うことでその衰えをカバーしたということなのでしょう。
相次ぐ高齢者事故 生活の足確保も求めたい@熊本日日新聞2019/4/24より特に気になったのは、特に公共交通が壊滅的な過疎地域の状況を軽視している点です。現実の過疎地域も含めた地方の視点として、地方紙である熊本日日新聞の記事では、「自家用車に頼らず生活できるような地域づくり、支援策も求められる」としているのに対し、免許を取り上げられた高齢者へのフォローを言っている人はほとんどいません。技能が十分でない高齢者から免許を取り上げるのは正義かもしれませんし、読者は喜ぶかもしれません。しかし免許を取り上げられる彼らにも買い物に行ったり、病院に行ったり、様々なしがらみの中で会合に出たりする場合があるわけです。そういった際に単純に「移動の自由」という話よりも「生存権」に近くなっていくと思われますし、「免許保有者数10万人で10件(80代以上)程度起こる死亡事故」という前提で考えると「移動の自由」より、被害者の「生命・身体の自由」というのは今の段階では乱暴に過ぎると思われます。特に恐ろしいのはこれを弁護士という法の専門家が書いていることです。
過疎地域では、公共交通機関の縮小・廃止などで高齢であっても車が欠かせない人が多い。少子高齢化の影響で高齢者の雇用機会が拡大する中、今後さらに仕事や生活の「足」として車を必要とする人が増えることが予想される。
高齢者が自家用車に頼らず生活できるような地域づくり、支援策も求められる。
池袋母子死亡事故、能力低下の高齢ドライバーに「運転させない制度」づくりが急務@弁護士ドットコムニュース2019/4/29より
●「移動の自由」より、被害者の「生命・身体の自由」の保障
池袋の母子死亡事故をはじめ、高齢者ドライバーによる深刻な交通事故は後を絶ちません。高齢者にも憲法上、「移動の自由」が保障されていますが、被害者の「生命・身体の自由」の保障と衝突する場合、後者の保障をより重視すべきではないでしょうか。
一定の年齢に達した高齢者の免許更新を厳しくしなければならないわけ @BLOGOS(猪野 亨)2019/4/29より
そうなると地方で買物の足がない高齢者はどうするんだという批判が必ずと言ってよいほど出て来るのですが、運転免許が危険物取り扱いという発想を失念した議論には全く価値はありません。
地方だったら運転技能がなくても運転していいんですか。
地方の高齢者の足がなくなるから、都市部での技能ない高齢者に運転免許の保有を認めろというのですか。
本末転倒です。
本来であれば免許制度の制限を厳しくするならば、まず考えなくてはならないのはそれで免許を持つことによって得られる利益を喪失する人たちへのフォローではないでしょうか?
運転免許証自主返納支援制度(平成31年度)@前橋市よりまた免許返上後の生活のしやすさに格差が出るのも大きな問題です。上は車社会といえる群馬県前橋市の運転免許自主返納支援制度での支援内容、地元のローカル鉄道、地元の路線バス、市がかかわるコミュニティバス、乗り合いタクシー等充実したメニューが見て取れます。これは前橋市が財政的なものを含めて公共交通を維持したりコミュニティバスや乗り合いタクシーを設定したりすること等投資を行ったからこそ出来たことです。逆に公共交通が壊滅した地域であったらどうでしょうか?
支援内容
1.運転経歴証明書交付手数料(1,100円)を全額助成
2.公共交通利用券の交付
次のうちいずれか一つを選択し、申請者本人のみ利用できます。
(1)運転免許証自主返納支援バスカード(ころとんバスカ)
(2)ふるさとバス回数券
(3)るんるんバス回数乗車券
(4)上電マイレール回数券
3.マイタクの登録
マイタクのご案内はこちら (PDF: 932.9KB)
表:タクシー運転者推移(一般社団法人全国タクシー・ハイヤー連合会資料)
バスや電車がなければタクシーという手もあるかもしれませんがそれも簡単にいくかどうかはわかりません。上はタクシー業界の団体が出している資料から、2009年に37.6万人いたドライバーが2016年には28.9万人と1/4近くも減少していることが見て取れます。そうなると公共交通の壊滅した地域で都合よくタクシーがあるとは限らないとすらいえます。
そうなった時、その地域の免許を取り上げられた高齢者たちは素直に車も手放すでしょうか?多分それで失うものと天秤をかけらうえで相当数無免許で運転するのではないでしょうか?だったら免許制度を現状で維持して、その枠組みで高齢者ドライバーの安全性を高めていく努力及び車なしでも暮らせるような地域を広げていく努力を行うのが現実的なように感じます。そしてそれが少なくとも現状で有効なことは最初に示した「年齢階層別自動車又は原動機付自転車(以下「自動車等」という。)の運転者が第1当事者となる交通死亡事故件数(免許保有者10万人当たり)」のデータが示しているとおりです。
池袋事故で加熱する"上級国民"叩きの深層 鬱積する「不公平感」のマグマ@President Online 2019/4/29より今回の事故は85歳を超えた高齢者の起こした事故であり、30代の母親と3歳の子供が犠牲になったこと、また起こした人が骨折で入院したことが主原因だからか逮捕されなかったことから多くの人たちが「上級国民」というキーワードで感情的な反発を覚えたことも印象的でした。大勢の人がこぞってバッシングに加わり、怒号や罵声を浴びせる――その列に自分も参加することで、「自分はいまもただしい側にいるのだ」と再確認することができる。平時の自分ではとてもかなわない相手を糾し打倒することで、「自分はけっして無力な存在ではないし、ただしい行いもできる」と肯定される。
いま苛烈を極めている「上級国民バッシング」は、殺人事件による死者も自殺者も減少し、自動車事故の死者数も年々減少する平和で安全で穏やかな社会のなかで「ただしさの不在」におびえる人びとの反動として吹き荒んでいるのではないだろうか。
しかし最も恐ろしいのは本来知見があり、社会的な地位のある人たちがそれに便乗するかのような言動を繰り広げることではないでしょうか?本来であれば彼らの役割はじっくりとかつ広い視野で起こった状況を考察し、感情的になっている人たちを重厚な知で諭す事であると思うのですが、平成を通じて起こったのは広い視野も重厚な知も投げ捨てた「知識人」達が安い芸人のように感情的な人たちに媚びる光景というのはなるほど反知性主義という手本を示してくれているように感じます。
さて平成も終わっていきますがこの時代はいかがだったでしょうか?新しい令和がみなさんによって良き時代であることを祈ります。