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2023.09/08 [Fri]
鍛冶職人ゆかりの浜松の金山神社
金山神社は、天正年間(1573年〜1593年)、徳川家康が浜松に城を構えるにあたり、釘鎹(くぎかすがい)・蝶番(ちょうつがい)・飾り金具を金銀銅鉄で鋳造するため、場内三の丸に鍛冶衆を常駐させ、同時に美濃国の南宮大社よりご分霊を勧請して祀ったことに始まるとされています。
元和元年には、浜松城拡張工事のため、徳川秀忠の産土神たる五社神社を城外に、現在地の常寒山に遷座させ、それに伴い、当社も清水谷入り口へ鍛冶衆と共に移転したといいます。
浜松の鍛冶集団は、1582(天正10)年、織田信長と徳川家康が武田氏を滅亡させたことを契機に甲斐の国から技術者を移住させたのが起源とされます。この鍛冶集団が当地に勧請したのが金山神社で、もとは浜松城内にあったものが、寛永年間(1624~1644)、浜松城下の鍛冶町の形成と同時に現在地に移ったといわれています。神社は栄町にありますが、現在も鍛冶町の氏神として信仰を集めています。([家康の散歩道」より)
現在の鍛冶町
江戸時代には浜松城の城下町で、現在では繁華街の一角となっています。
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- at 00:00
- [どうする家康:徳川家康(どうする家康)]
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NoTitle
浜松にこんなふうにして鍛冶の町あり。
それはそれは当時はいまもそうでしょうが、
鍛冶といえばでそれは重宝してたことでしょうから、
大切な町の宝だったに違いなかったことでしょう。
けさもいい話でした、ありがとうございました。🤩