自転車ときどき世界1周

2021年03月

 特段海外に興味を抱いてない人が異国のことを知らないのは無理もないと思うし、そもそも知る機会が無いのだとも思う。

 普通に生活してても入ってくる外国情報ってのは、学生時代の勉強とマスメディアからの放送が主だと私は考える。本とかネットとか色々あるじゃねーか!と言われる方も多かろうが、そういう能動的な活動して得られる系の情報ってのは元々その分野に興味がある人がアクセスするものだ。

 普通に生活して見聞きする情報において、異国の観光地でもない普通の町ってのはその範疇にないのである。

 何故なら一般にニュースとは異国の問題や事件といった「悪いこと」を取り上げて放送するもので、その国の日常は取り上げないからだ。これはもうマスメディアの構造的な問題であり、この点を考慮に入れずニュースバリューのない放送を続けるには視聴率(もっと平たく言えば利益)を度外視することになるので仕方ない。

 このため大多数の日本人にとって例えばアフリカは「野生動物の王国」で「黒人の住む土地」で「危険で治安の悪い世界」という、あまりにも偏った地域となってしまう。「それはそういう側面もあるけれど・・・」ってヤツだ。

 この事象は日本においても同様で、私は旅行中に「日本人だよ」って話すと結構な割合で「日本か!大きな地震のあった国だろ!」と返されたのであり、その国が作り上げてきたイメージは1度の事件や災害で一挙に塗り替えられてしまうのだということを思い知らされた。

 今(2021年3月)の時点で「ミャンマーってどういう国のイメージ?」という質問したら「軍事クーデター起きてるトコ」という答えが過半数を占めることになるのは想像に難くない。

 上座部仏教としての仏教寺院やパゴダといった独特な建築群、何にでもやたら油を使いまくるヘビーな料理に人ズレしておらず底抜けに優しい人々、1国の中に多数の少数民族が混在しておりビルマ人というのはその中における最大の民族でしかない等々。東南アジアの中でも特に印象深く様々な魅力に溢れた国だと思ってる私にとって、彼の国がそうしたイメージで染まってしまうのは悲しい。

 こういう思いがあるので、私は本ブログにおいて訪れた国の「私から見た日常」という側面は大切にしたいと思っている。観光地でもなければ特別なことが起きたワケでもない日の、自転車で通り過ぎていく異国の日常風景だ。

 そうした異国の「当たり前の日々」とか「普通の人々」というメディアで伝えられることの少ない、もっと言えば先に挙げた本やネットでも「興味持たれないから」と題材にされる頻度が非常に低い、本では行間に隠されてしまうような、その国の普通で当たり前の景色と人たちを私は書いておきたいと思っている。

 これの問題は先に自分で言った通り「それじゃ興味のある人しか見ないじゃん!」という点で、 ひいてはブログPVにも関わってくる話ではあるのだが。誰かに見てもらうため自分が大切に思うことを曲げたり書きたくもないこと書くならば、そもそも私はブログなどやってない。

 色々あるとは思うけどブログ強みの1つがそういう「個人が好きに書きたいことを書ける」という点であるはず。私はあまり周囲の注目とか評判を気にせず自分の好きを押し出してる人の記録が好みだし、そういう旅行ブログがあるなら自転車旅行関係なく読んでみたいと常日頃思っている。


 なお余談であり愚痴なのだが、今となってはそういう好きを追求したブログの発見は難しく、悲しいかなSEO対策だとか検索上位に引っかかるテクニックだけで内容の薄い記事が検索欄を埋め尽くすようになってしまった。

 別にいいねの数やPV数を気にすんな!とは言わないが、読み手からすれば目を引く文句や大仰な言葉で煽っといて内容の伴わない記事を見せられるの勘弁願いたいのだが。

 現状「自転車世界1周」って検索入れても1ページ目に出てくる自転車旅行のブログは2つだけでさ。その一方で自転車旅行をしたこともない輩が歌う「自転車で世界1周がしたいなら!」みたいな記事が溢れてるのには流石にガッカリする。
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 これだけ海外に行けない日々が続くと「別に海外旅行だけが楽しみじゃないよね!」と別方面へ興味が移り変わる人も多いのではないかと想像する。

 実際のところ旅行ってのは人生を彩る余暇であり心の栄養ではあれど、人が生きてくための必須要項とは言えない。極論すれば他の物事で生活や精神を充足させることは可能なのである。別に旅行は全てじゃない。

 だがしかし。やっぱり海外旅行でしか体験できなかったり発見できないことってのはある。もっと言えば、海外を自転車で旅行することでしか分からないことだってあると思う。

 そうした発見の多くは「自分自身」についてなのだ。

 異国でも特に後進国の田舎だと、私が知ってる当たり前や常識が全然通用しない、オマケに言葉も通じないということが頻繁に発生する。

 そこで色々とイベントあるワケだけど、それは決して良いことばかりじゃないのが常。前例もなければ何が正しいのかも分からない状況で、向こうから怒涛のように押し寄せてくるアレコレを受けていると、そこで思いも寄らない対応をしている自分がいる。

 それなりに長い年月付き合ってきた己の中に、こんな知らなかった自分自身を発見することがあるなんて驚くより他にない。

 しかもそうして発見した未知の自分は格好悪かったり情けなかったりすることの方が多い。というかほとんどの場合そうである。

 後で考えればツマラナイことに本気で腹を立てていた自分、取るに足らないことでやる気も気持ちも失ってしまう自分、思っていたよりビビリでヘタレな自分、困窮してるのにしょうもない見栄を張ってしまう自分。

 海外で1人旅をするということは、それまで自分が身に纏っていた自信とか信念がボロボロ剥がされてむき出しの自分と否応無く相対することなのだと思う。

 世界はこんなにも広く深いのか!と感嘆するとともに、自身にこれほど知らない面が潜んでいたのかと、別方向の未知を発見できる。

 海外旅行というのはそうした「知らないを知る」ことに対し、これ以上ないほど適している趣味ではなかろうか?

 世の中に面白いことはたくさんある。でもやっぱり海外旅行でしか得られない発見というのがあると私は思っている。
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