自転車ときどき世界1周

2021年08月

 私は自転車で知らない土地を走りたい・・・という理念で旅行してるので、必然的に長期旅行になってしまった人であり、海外旅行という楽しみにおいてその期間が「長い・短い」ということには関心の薄いタイプだと思ってる。思ってるだけで周囲からどう見られてるのかは知らん。

 ・・・というのは出会うなり第一声で旅行期間や訪問国数を声高に歌ってくる旅行者がいる(聞いてくる人も多い)からで、海外旅行でそんな数字の大小に何の意味があるのだ?とか私は思ってしまう。その土地でどういう体験をして何を思ったか・・・というのが大切じゃないか。

 ヨーロッパ20カ国を1週間で周遊することと、アラスカという1地域を同じ期間散策することは旅行の価値という点で優劣つけるものでは無いはずなのに、訪問国という数字で比較すると前者は20倍凄い!ということになってしまう。

 旅行期間というのも同じことで、酒飲んでクダ巻いてたり安宿に籠ってダラけ続けてる「外篭り」状態の長期旅行者は存外多い。その行動自体は個人での旅行だし好きにすれば良いと思うが、少なくともその状態で長期滞在してることは誇らしく言うべきでは無いだろう。

 ・・・とまぁ私はそういうスタンスなのだが、それでも長期的な旅行でないと見えてこないモノもあるとは思う。その土地でゆっくりと時間をかけることで見えたり気づけたりすることは確かにあるのだ。


 日々の生活において「自分の目でじっくりと見る」という行為は普段それほどしていないと思うことがある。日常生活で毎日たくさんのモノを見ているけれど、それは「見たいから見ている」のではなく「見なくちゃいけないから見ている」モノだ。

 電車に乗っていて次々と流れてくる景色をただ目で追っている・・・という感じだ。自分の目で見ようとしているのではなく、ただ目で追いかけてるだけの「見ているけど見えてない」状態。

 旅行中でもそういうことはたくさんある。下手すりゃ世界遺産となってる建造物とか見ても、ガイドとの情報を照らし合わせるのに精一杯で、巡ってくる景色を確認してるだけになってしまうこともあろう。短期旅行ってのは時間が限られてるのだから尚のこと。

 時間がある・・・というのは対象を見ることで色々考える余裕があるということだ。観光地や遺跡、国立公園等々何でも良いのだが、対象をじっくり眺めて想像を膨らませるという行為はなかなか大変なのである。

 というのも日本と歴史も価値観も異なる場所で見る景色は、私の(日本人の)基準やノウハウを当てはめて簡単に理解したり処理するのは難しいから。

 だから色々なことを想像しその光景を「よく見て」自分なりに情報を解釈しなくてはならない。これは結構疲れることなんだけど、ただ情報を受け取る旅行よりずっと旅行という行為が楽しくなる。そして他の誰のでもない「自分の旅行」になる。

 もっといえば、そうして旅行を続けると自分が旅行に対して何を求めているのかが徐々に見えてくる。海外旅行が好き、という人はそれなりの数いると思うが、海外旅行の何が具体的に好き?というのをクッション置かず答えることができるのは、それなりに旅行を経験した人ではなかろうか?


 そんなワケで私は自分の旅行を語るとき「自分の目で見て(体験して)思ったこと」に焦点を当てたいと考えてる。そうした実体験と、拙かろうが何だろうがそこで自分で感じた思いこそが旅行における価値であり、意義であると思ってるからだ。

 余談だが私は自分が訪れた国の数が幾つなのか知らないし、偶さか訪問国数を数えても直ぐに忘れてしまう。これが同じ数字であっても累計走行距離はバッチリ覚えているあたり、私が海外旅行において何を大切に思ってるかがよく分かるよね。
    mixiチェック

 自転車旅行において体力はそれほど重要なファクターじゃない・・・というのはこれまでにも何度か書いてきた(ような気がする)。もちろん体力がなくちゃお話にならない場面もあるけれど、旅行期間が長期になればなるほど精神力がモノを言う遊びである。

 じゃあ「強い精神力」って何だよ?

 ストレス耐性が高いこと、初志貫徹できる継続力があること、物怖じしないこと、どれも精神の強さだろうし自転車旅行するにおいて大切な要素だと思う。

 でもここでは「色々な物事に挑戦してる」という点を挙げてみたい。それは「経験値が高い」ってことで精神力じゃないぞ!とか言われそうだが。

 この挑戦というのは自転車や旅行じゃなくて人生における様々な経験という意味で、要するに人生色々経験しとく方が良いという言葉で極々一般的に語られてること。

 こんなこと言ってるけど、私は「人生経験が豊富」という言葉は好きじゃない。人生で経験できるのは自分の1回分だけで、他人の人生は他人のもの。言葉だけで取るならば「人生経験が豊富な人」というのは嘘でしかない。自分の人生をどう捉えるかが大切なのだろう。

 それはともかく海外自転車旅行というのもまた多様な遊びであり、どこでそれまでの経験がトリガーになるかは分からない。ただ未知の世界で体験することと既知の経験が結びつく瞬間というのは、なかなかどうして得難い喜びを与えてくれるものだ。そのキッカケになるためにもフックは沢山あった方が楽しいじゃないか。

 私は器用貧乏にもなれないクセして割と様々な遊びに手を伸ばしてる自覚があるが、そうした経験が旅行の糧になってると思ったらこれほど嬉しいことはない。消防の仕事辞めた時に、水難救助で身につけた専門的な技術も今後使うことはないだろうな・・・とか思ったことあったけど、後にアマゾン川のイカダ下りで大活躍することになろうとは。分からんものである。

 これとは別にリスク回避という「正しい意味で経験値を上げておく」ことの意義もある。私も旅行中散々トラブルに遭遇してきた身だが、それは別に自転車に関係した出来事ばかりではない。むしろ自転車とは関係ないことでトラブルの方が多かったとも思う。

 「満月の月明かりがどれほど強いか」ということを体感として知ってる人は野営の危険度が大きく違ってくるが、これは光源の豊富な土地に住む都会人にはなかなか実感にくい感覚だろう。田舎の夜道を練り歩く・・・なんて大したことでもない経験だけど、そんなことが案外役に立つものだ。

 つくづく思うのだが、問題が何かというのが分かるのはたいてい何度も間違ったあとだ。でも色んな経験を積んだ人は、だんだんそれを見つけ出すのが上手になる。

 賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ・・・というのは私が好きな言葉だが、賢くなれない私は痛い目にあいつつ旅行やってきてて、今にして思えば「何であんな馬鹿な行動を取ったのか・・・」とか反省することも多い。これは旅行に限らず。それでもその後何かしら対策取るのだから人間ではあるのだろう。

 旅の恥はかき捨てと言うけれど、恥はともかく酷い目に合わない方が良いに決まってる。何かトラブル起きた時の対処や心の置きどころも大切だけど、トラブル起きないよう色々知っておいて損はない。そうした経験はふとした時に「何か嫌な予感がする」といった形で自身を助けてくれる。

 そんなわけで色んな挑戦やっとくべきだよね。多分自転車旅行でなくともその経験は役に立つし、何よりチャレンジする精神は自転車旅行でいつも傍らに寄り添って励ましてくれる。ヘイ・ヤー
    mixiチェック

↑このページのトップヘ

  翻译: