牛角の女性割引問題について下書きを書いたのだが、以下の記事が言いたいことを全部書いてくれていたので、ほとんど言うことがなくなった。最近の流れは、日本のジェンダー史に残る重大な出来事かもしれない。
女性アナ「男の体臭キャンセル事件」が意味すること…「すべての男性は強者だから何を言ってもいい」という「おかしな理屈」の終焉
牛角が「女性半額セール」で大炎上…「男性差別じゃない」「非モテの僻み」と言い張る人たちの「お粗末すぎる擁護論」
本来的には男性差別や男性への偏見を助長するものでありながら、女性に関する言説よりも世間的な反発のトーンが小さく、うやむやにされていた――このような男女の非対称性は「それが本来は差別や蔑視ではなかったから」ではなく、「男性が寛大にゆるしていた」からこそ、かろうじて成立していたものだ。
個人的には、「男性が寛大にゆるしていた」というよりは、「男性は反論できなかった」が正確なように思う。女性に好き放題言われても、男性には反論の機会もなかったし、女性権利団体のように圧力をかけられる組織もなかった。弱者男性は、代弁者のいる弱者女性よりも弱者であるとここでも書いてきた。
なお、今回のことに関する女性の反論がさらに男性に怒りを増大させているのも事実だ。いくつか挙げて見ると、
「男のくせに器が小さい」
性別での差別を止めろと言いながら、男性に器の大きさを求めるのもおかしい。「女のくせに家事が出来ないのか」と言われたら、必ず反論するだろう。男性差別をしている自覚がないのだろうか。
「こんなことに反対している男はモテない」
別にモテる必要もないし、このような反論をしている時点で主題の論争には負けているということに気付いていないのであれば愚かとしか言いようがない。それに、女性の性をエサに男性を手なずけようとも取れる発言で、男性を動物のように思っているのだろう。もう1つ、例えば「家事をしない女はモテない」と言われたら、どう思うのだろうか?
「民間企業がやっているだけ」
これまでも多くの民間企業が女性差別として批判されてきた。男性批判になった途端、民間企業がやっているだけと言うのはおかしい。というか、女性が差別されていたら烈火のごとく怒るのに、男性差別には緩いのはダブルスタンダード以外の何物でもないし、男性の人権を軽視する意識の現れだ。
「女性の分が安くなったら支払う男性も得をする」
典型的なダブルスタンダードで男尊女卑時代の価値観を引きずっている。まず、なぜ男性が女性の分を支払うことになっているのか。これは、性別による役割分担を決めつけるものであり、「女性なんだから家事をしろ」と言ったら間違いなく炎上するが、それと同じ種類の発言と言える。結局、こういう発言をする女性は、男性には昔からの性別による役割分担を押し付ける、もしくは全くそのことについて考えたことがない一方で、「女性なんだから家事をしろ」と言われたら激高するという、矛盾した態度を取っている。自分でも差別主義者であるという自覚がないのかもしれない。こういう自覚なき性別による役割分担の決めつけが性差別の生まれる大きな要因だろう。
また、男性の利用の時に女性も来ていることがセットになっている点も大問題だ。これが男女逆なら「なんで女性のみの利用を差別するのか!」とか「女性は男性の付録なのか!」などとこれまた大激怒していたに違いない。正直言って、男女逆にしたらどうなるかという小学生レベルの単純な発想が欠けているのは、日本の教育の失敗な気もする。これは、論理的思考が出来ないのかという疑問を呈されても仕方がないんじゃないか?
他方、男性の見解としては、
「男女平等と言いながら女性優遇には何も言わなかったことに対するカウンター攻撃」
これはよくわかる。結局、一部の女性が言う「男女平等」は「女性優遇」の意味だったのであり、男性としてはだまされた感が強い。また、年々悪化する男性批判に対し、ストレスはもちろん、声を上げないといけないという危機感も男性側にはあった。このため、今回の批判は、発言当事者への個人攻撃というよりは、これ以上一方的な男性批判を許さないという男性の意志を示すための示威運動という見方もされている。
「同じ仕事で男女が賃金が違えば性差別」が理解できるのに「同じサービスを受けて男女で代金が違えば性差別」がなぜ理解できないのか
この指摘もその通りだと思う。まあ、男女で食べる量の違いはあるかもしれないが、もっと細かく考えれば、男女ではなく、食べる量は個人に由来するわけであるから、例えば体重で料金を変える方が合理的かもしれない。まあ、体重計に乗らないと入店できない店に行くかという問題はあるが。
「女性にしてはいけないことは、男性にもしてはいけない」
女性アナ「男の体臭キャンセル事件」が意味すること…「すべての男性は強者だから何を言ってもいい」という「おかしな理屈」の終焉
牛角が「女性半額セール」で大炎上…「男性差別じゃない」「非モテの僻み」と言い張る人たちの「お粗末すぎる擁護論」
本来的には男性差別や男性への偏見を助長するものでありながら、女性に関する言説よりも世間的な反発のトーンが小さく、うやむやにされていた――このような男女の非対称性は「それが本来は差別や蔑視ではなかったから」ではなく、「男性が寛大にゆるしていた」からこそ、かろうじて成立していたものだ。
個人的には、「男性が寛大にゆるしていた」というよりは、「男性は反論できなかった」が正確なように思う。女性に好き放題言われても、男性には反論の機会もなかったし、女性権利団体のように圧力をかけられる組織もなかった。弱者男性は、代弁者のいる弱者女性よりも弱者であるとここでも書いてきた。
なお、今回のことに関する女性の反論がさらに男性に怒りを増大させているのも事実だ。いくつか挙げて見ると、
「男のくせに器が小さい」
性別での差別を止めろと言いながら、男性に器の大きさを求めるのもおかしい。「女のくせに家事が出来ないのか」と言われたら、必ず反論するだろう。男性差別をしている自覚がないのだろうか。
「こんなことに反対している男はモテない」
別にモテる必要もないし、このような反論をしている時点で主題の論争には負けているということに気付いていないのであれば愚かとしか言いようがない。それに、女性の性をエサに男性を手なずけようとも取れる発言で、男性を動物のように思っているのだろう。もう1つ、例えば「家事をしない女はモテない」と言われたら、どう思うのだろうか?
「民間企業がやっているだけ」
これまでも多くの民間企業が女性差別として批判されてきた。男性批判になった途端、民間企業がやっているだけと言うのはおかしい。というか、女性が差別されていたら烈火のごとく怒るのに、男性差別には緩いのはダブルスタンダード以外の何物でもないし、男性の人権を軽視する意識の現れだ。
「女性の分が安くなったら支払う男性も得をする」
典型的なダブルスタンダードで男尊女卑時代の価値観を引きずっている。まず、なぜ男性が女性の分を支払うことになっているのか。これは、性別による役割分担を決めつけるものであり、「女性なんだから家事をしろ」と言ったら間違いなく炎上するが、それと同じ種類の発言と言える。結局、こういう発言をする女性は、男性には昔からの性別による役割分担を押し付ける、もしくは全くそのことについて考えたことがない一方で、「女性なんだから家事をしろ」と言われたら激高するという、矛盾した態度を取っている。自分でも差別主義者であるという自覚がないのかもしれない。こういう自覚なき性別による役割分担の決めつけが性差別の生まれる大きな要因だろう。
また、男性の利用の時に女性も来ていることがセットになっている点も大問題だ。これが男女逆なら「なんで女性のみの利用を差別するのか!」とか「女性は男性の付録なのか!」などとこれまた大激怒していたに違いない。正直言って、男女逆にしたらどうなるかという小学生レベルの単純な発想が欠けているのは、日本の教育の失敗な気もする。これは、論理的思考が出来ないのかという疑問を呈されても仕方がないんじゃないか?
他方、男性の見解としては、
「男女平等と言いながら女性優遇には何も言わなかったことに対するカウンター攻撃」
これはよくわかる。結局、一部の女性が言う「男女平等」は「女性優遇」の意味だったのであり、男性としてはだまされた感が強い。また、年々悪化する男性批判に対し、ストレスはもちろん、声を上げないといけないという危機感も男性側にはあった。このため、今回の批判は、発言当事者への個人攻撃というよりは、これ以上一方的な男性批判を許さないという男性の意志を示すための示威運動という見方もされている。
「同じ仕事で男女が賃金が違えば性差別」が理解できるのに「同じサービスを受けて男女で代金が違えば性差別」がなぜ理解できないのか
この指摘もその通りだと思う。まあ、男女で食べる量の違いはあるかもしれないが、もっと細かく考えれば、男女ではなく、食べる量は個人に由来するわけであるから、例えば体重で料金を変える方が合理的かもしれない。まあ、体重計に乗らないと入店できない店に行くかという問題はあるが。
「女性にしてはいけないことは、男性にもしてはいけない」
ごくごく当たり前のことであって、「女のくせに」が駄目なら「男のくせに」も駄目に決まっている。女性に家事を求めることは批判されるのに、なぜ男性が女性の分も支払うと決めつけるのか? このような常識的なことから指摘しないといけないことに男性は怒りを持っているし、論理的には男性が正しいので「こんなことを言う男はモテない」としか言い返せない。これは、負けを認めるに等しい去り際の捨て台詞だ。