「賽の河原の歌」: アンケートの纏め
- 2017/11/28
- 21:30
ブログ記事〈「賽の河原の地蔵和讃」と「水子地蔵」は矛盾する〉でお願いしたアンケートの纏めをします。コメントをお寄せくださったチョルスさん、「むじゃもと」さん、「106」さん、メールなどでご意見をお知らせくださった多数の皆様、ありがとうございます。質問アンケートの質問は、次の通りでした。*****記事の第三段落に書いたように、F爺は「賽の河原の地蔵和讃」を「脅し歌」だと考えています。皆様のご意見をお聞かせく...
「水子地蔵」: アンケートの纏め
- 2017/11/24
- 20:32
ブログ記事〈「水子地蔵」って何?〉でお願いしたアンケートの纏めをします。コメントをお寄せ下さった「106」さん、「むじゃもと」さん、チョルスさん、火狐さん、風花さん、メールなどでご意見をお知らせくださった多数の皆様、誠にありがとうございます。質問は、次の通りでした。[1]「水子」の1960年代までの定義(*)をご存じでしたか。[2]「水子」の1970年代以降の定義(**)を「正当」だと思いますか。(*)【死産したか、生まれて...
「賽の河原の地蔵和讃」と「水子地蔵」は矛盾する
- 2017/07/15
- 17:44
「賽の河原の歌」あるいは「賽の河原の地蔵和讃」というものがあります。ブログ記事〈「水子地蔵」って何?〉に「むじゃもと」さんから届いた二通目のコメントに「賽の河原の唄・・・」という記載があったので思い出しました。この歌は、親よりも先に死んだ幼子(おさなご)が、「親不孝の罪ゆえに」三途の川を渡ることが出来ず、賽の河原で責め苦を受けて最後は地蔵菩薩に救ってもらうという内容です。むごい描写が延々と続く残酷な...
「水子地蔵」って何?
- 2017/07/13
- 20:07
1968年7月に横浜港から渡仏したF青年は、帰国の予定を何度か延期した後、フランスでの永住権を得るに至りました。その後、何度か帰国はしたのですが、最初に日本を離れてから2013年まで45年間ずうっと、白髪の爺になるまで、「水子」という言葉を昔々の意味でだけ知っていました。1960年代までは、【死産したか、生まれて間も無く、お七夜に名付けをしてもらう前に、死んでしまった赤子】という意味が「常識」だったのです。それが...
立江寺の水子地蔵
- 2013/11/07
- 05:09
追記 この記事には【特殊な心理状態による誤認】に起因する誤記があります。そのことに2016年に気付いたのですが、敢えて修正しないことに決めています。事情を知りたい方は、〈「水子地蔵」って何?〉と題した記事をご覧ください。 xxxxx xxxxx xxxxx xxxxx2012年9月某日2012年9月某日にF爺が徳島県小松島市の立江町に着き19番札所・立江寺(たつえじ)を探し当てて参拝した時には、若い道連れのR君が一緒でした(*)。(*...