歩き遍路・トレッキング讃歌
- 2014/01/31
- 00:50
2013年1月初め、年末年始の休暇中に出来た新曲は、奇妙な生まれ方をしました。「・・・が映える 歩き続けろ 渡り鳥よ」という歌詞で、一番(?)の最後の四小節だけが最初に頭に浮かんだのです。何を主題にした歌なのかも、自分でさえ見当が付きません。一体、何が何に「映える」んだろう ?追記 2014年01月31日、フランス時間で12時15分= 日本時間で20時15分 ある読者の方から「二度も国外退去させられたトルコも『南の国』のうち...
純正調と平均律
- 2014/01/30
- 00:26
風来坊さんお寄せくださったコメントのご質問「電子楽器のデジタルの音程とバイオリンなどのアナログ楽器の音程の違い」には、風来坊さんが挙げていない「平均律と純正調の違い」の重要な問題が絡んでいます。長二度(doとre、si♭とdo、など)の音程は、平均律だと不協和音ですが、純正調で歌えばハモります。音楽の教科書に書いてあることとは裏腹に、協和音なのです。陰旋法や陽旋法の日本音楽を合唱曲にする場合、純正調で歌うこ...
伴奏の大切さ
- 2014/01/29
- 00:36
「自分に聞こえる自分の声」と「他人の耳に届く自分の声」とは違うこの記事は、「三坂馬子唄」(カテゴリー: 音楽・日本)にお寄せいただいた2014年1月21日と23日付けの「風来坊」さんからのコメントでのご質問に答えるものです。(もう一つのご質問「電子楽器のデジタルの音程とバイオリンなどのアナログ楽器の音程」の違いについては、次号の記事でお答えします)歌っている本人に聞こえる自分の声は、「声帯から骨や筋肉を伝わって...
絶対音感
- 2014/01/28
- 00:30
F爺は、「自分には絶対音感は無い」と知っています。絶対音感の定義である「基準になる楽音が全く聞こえない所で正確に特定の高さの音が歌える」にも「楽音を一つ聞いてすぐにどの高さの音なのか判る」にも相当しないのですから。ところが、ストラスブールなどには「F爺さんには絶対音感がある」という根強い噂があります。どんなに否定しても誰も信じてくれません。どうしてこんなことになっているのでしょうか。ずっと昔、1970年...
動画像記憶(= 動く直観像記憶)
- 2014/01/27
- 01:32
フランスに住み始めて数ヶ月経った頃、ある科学雑誌を廻し読みする仲だったフランス人の友人から、その雑誌に載っているという「mémoire photographique」という言葉を聞きました。逐語訳すると「写真的記憶」です。またの名を「mémoire eidétique」こちらは「本質的記憶」あるいは「直観像素質者の記憶」と訳せます。その「写真的記憶」なるものは、どうやら、過去の出来事の一コマを精密な写真のように思い出して細部まで正確に...
赤褌で水泳特訓
- 2014/01/26
- 01:10
F爺が子供の頃、夏になると「○○川で子供が水死した」という痛ましいニュースをラジオがよく流していました。それを聞くたびに父は、「海でしか泳いだことの無い子は川で簡単に溺れてしまう。川で泳げる子は海でもちょっとやそっとでは溺れない」と言っていました。その方針を自分の子にも適用したのでしょう。幼い頃のF爺は、父親に川で泳ぎを教えられました。赤褌を初めて締めてもらったのはその頃です。子供用だから六尺(= 181,8...
ブログ内検索
- 2014/01/25
- 00:43
多くの読者から「F爺・小島剛一のブログ」のブログ内検索は可能なのか、可能だとしたらやり方を教えてくれ、という要望が来ています。このブログは、フランスで開設したため、記事を日本語で書いても枠組みはフランス語になっているのです。フランス語をご存じない方々のために、以下に使い方を説明します。 画面の右側のコラム(*)またはカラム(**)(*)(**)「コラム」も「カラム」も同じ意味で、元は英語の「column」です。そ...
「雪割草に寄せて」
- 2014/01/24
- 00:38
F爺の作詞作曲した合唱曲の中に、2012年5月に「胸の底から瞬時に湧き上がった」曲があります。「雪割草に寄せて」と題しました。ラズ人の友人から前年の春に届いていた雪割草(*)の写真を見直した翌朝のことでした。追記 2014-01-26(*) トルコ語のkardelen (雪を突き破る[花])、フランス語のperce-neige (雪を突き破る[花])をこう訳しました。植物学上の名称ではありません。ラズ語Çamlıhemşinチャムルヘムシン郡Ğvantグワント村方...
悲愴なコンサート(後)
- 2014/01/23
- 00:26
この記事の主題は、前篇と同じ日の同じ合唱コンサートの別の側面です。2011年3月25日の「F爺・合唱団」のコンサートには、想定外の訪問者が来ていました。コンサート自体は、滞り無く出来たのです。地元のアルザス州の新聞が広報記事を載せてくれたこともあって、満席でした。どの曲も綺麗にまとまって、勇壮だったり、しめやかだったり、華やかだったり、曲想が生きて大喝采。アンコールが五回もかかりました。終わってからも巨大...
悲愴なコンサート(前)
- 2014/01/22
- 05:33
「F爺・合唱団」は、ここ30年あまりの間にたくさんのコンサートを催して来ましたが、その中に一つだけ、何人もの団員が「あの時は・・・実は・・・とても辛かった」とずっと後になってから指揮者のF爺に個別に感想を漏らしたものがあります。それは、2011年3月の東日本大震災の僅か二週間後のコンサートです。このコンサートを3月25日に催すことは、何ヶ月も前から決まっていました。会場を確保し、宣伝ポスターを作ってあちこちに...