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漢字の読み方の思い出
F爺様
小学校に上がるかどうかの年齢の「106」坊やが初めて、「上り」「下り」を目にしたのは確か、駅でのことでしたので、「のぼり列車が参ります」という構内アナウンスも併せて耳にすることができたため、正しい読み方を知ることができたことを思い出しました。
また、それとほぼ同時期に、チョコレートを使用したお菓子の包装袋に「(チョコレートの)ほろ苦い」と印刷されているのを見て、祖母に「ほろくい、って何」と質問して、祖母をきょとんとさせたことも思い出しました。
今となっては、日常で目にする漢字の殆どは、何も考えずに読むことができますが、子供の視点からすれば、そして漢字を学ぶ外国人からすれば、漢字の読解は非常に難しいものですね。
小学校に上がるかどうかの年齢の「106」坊やが初めて、「上り」「下り」を目にしたのは確か、駅でのことでしたので、「のぼり列車が参ります」という構内アナウンスも併せて耳にすることができたため、正しい読み方を知ることができたことを思い出しました。
また、それとほぼ同時期に、チョコレートを使用したお菓子の包装袋に「(チョコレートの)ほろ苦い」と印刷されているのを見て、祖母に「ほろくい、って何」と質問して、祖母をきょとんとさせたことも思い出しました。
今となっては、日常で目にする漢字の殆どは、何も考えずに読むことができますが、子供の視点からすれば、そして漢字を学ぶ外国人からすれば、漢字の読解は非常に難しいものですね。
Re: 漢字の読み方の思い出
「106」さん
>また、それとほぼ同時期に、チョコレートを使用したお菓子の包装袋に「(チョコレートの)ほろ苦い」と印刷されているのを見て、祖母に「ほろくい、って何」と質問して、祖母をきょとんとさせたことも思い出しました。
おやおや、そうでしたか。「苦」という漢字の音読みの「く」のほうを先に習得していたのですね。その年齢だと、ご存じだったのは「苦労」や「苦心」という熟語だったのでしょうか。「苦難」や「艱難辛苦」を習得するのは、普通は、もう少し後でしょうね。
>小学校に上がるかどうかの年齢の「106」坊やが初めて、「上り」「下り」を目にしたのは確か、駅でのことでしたので、「のぼり列車が参ります」という構内アナウンスも併せて耳にすることができたため、正しい読み方を知ることができたことを思い出しました。
「106」坊やは、同じ年頃のF坊やよりも常識があったのですね。F坊やは、
【東京は秋田よりも南だから、東京行きの列車は下りと言うのが正しい】
と主張して周りの大人を爆笑させたことがあります。
「南下する」「北上する」という言葉は知っていて、まだ「上京する」という動詞も「都落ち」という表現も獲得していなかった頃です。
>また、それとほぼ同時期に、チョコレートを使用したお菓子の包装袋に「(チョコレートの)ほろ苦い」と印刷されているのを見て、祖母に「ほろくい、って何」と質問して、祖母をきょとんとさせたことも思い出しました。
おやおや、そうでしたか。「苦」という漢字の音読みの「く」のほうを先に習得していたのですね。その年齢だと、ご存じだったのは「苦労」や「苦心」という熟語だったのでしょうか。「苦難」や「艱難辛苦」を習得するのは、普通は、もう少し後でしょうね。
>小学校に上がるかどうかの年齢の「106」坊やが初めて、「上り」「下り」を目にしたのは確か、駅でのことでしたので、「のぼり列車が参ります」という構内アナウンスも併せて耳にすることができたため、正しい読み方を知ることができたことを思い出しました。
「106」坊やは、同じ年頃のF坊やよりも常識があったのですね。F坊やは、
【東京は秋田よりも南だから、東京行きの列車は下りと言うのが正しい】
と主張して周りの大人を爆笑させたことがあります。
「南下する」「北上する」という言葉は知っていて、まだ「上京する」という動詞も「都落ち」という表現も獲得していなかった頃です。
No title
F爺様
私の場合、小さい頃に母親から「私が大学を卒業するときに、学長から『苦労は、買ってでもせい』と言われた。若いうちの苦労は、後で自分の身になるんだよ」と教わったので、その時、ついでに漢字も習ったのだと思います。
流石に、「苦難」、「艱難辛苦」は、小学校の中~高学年頃に知ったぐらいです。
>【東京は秋田よりも南だから、東京行きの列車は下りと言うのが正しい】
日本で一般的に見る地図においては、北上、南下、となりますから、このように感じるのも当然ですよね。
当時の私が「のぼり」を駅で聞いたときは、F坊やくんと似たようなことを思ったかもしれませんが、母から即座に、「東京を起点に考えるからこのような表現になる」という意味の説明を受けたので、まあ、そのようなものなんだな、と理解できました。
もちろんその当時の「106」坊やも、「上京」も「都落ち」も、全く知らなかったはずです。もし、これらを知っていれば、駅における「のぼり」「くだり」と表現する意図を簡単に見抜けていたでしょうね。
私の場合、小さい頃に母親から「私が大学を卒業するときに、学長から『苦労は、買ってでもせい』と言われた。若いうちの苦労は、後で自分の身になるんだよ」と教わったので、その時、ついでに漢字も習ったのだと思います。
流石に、「苦難」、「艱難辛苦」は、小学校の中~高学年頃に知ったぐらいです。
>【東京は秋田よりも南だから、東京行きの列車は下りと言うのが正しい】
日本で一般的に見る地図においては、北上、南下、となりますから、このように感じるのも当然ですよね。
当時の私が「のぼり」を駅で聞いたときは、F坊やくんと似たようなことを思ったかもしれませんが、母から即座に、「東京を起点に考えるからこのような表現になる」という意味の説明を受けたので、まあ、そのようなものなんだな、と理解できました。
もちろんその当時の「106」坊やも、「上京」も「都落ち」も、全く知らなかったはずです。もし、これらを知っていれば、駅における「のぼり」「くだり」と表現する意図を簡単に見抜けていたでしょうね。
Re: No title
「106」さん
「若い時の苦労は買ってもせよ」
という諺(ことわざ)は、実際に苦労する場面に直面する前に聞かされていたほうが有効です。大学を卒業する年齢で初耳だったとしたら遅過ぎるような気がしますが・・・F爺が日本に住んでいた頃とは、時代が変わってしまったのでしょうか。
でも、お母さんは、それを自分の子供には、小さいうちに言い聞かせていたのですね。正しく理解していたわけです。
>母から即座に、「東京を起点に考えるからこのような表現になる」という意味の説明を受けたので、まあ、そのようなものなんだな、と理解できました。
F坊やは、同様の説明を受けて、
「京都が都だった時代には、東京から京都へ行くのを『上り列車』って言ってたの?」
と質問して、
「いや、その時代には、鉄道はまだ無かった」
と聞かされました。
「あ、でも、今でも東京の人は京都と大阪のことを『上方(かみがた)』って言うんだよ」
という続きがあって納得したのを憶えています。
「若い時の苦労は買ってもせよ」
という諺(ことわざ)は、実際に苦労する場面に直面する前に聞かされていたほうが有効です。大学を卒業する年齢で初耳だったとしたら遅過ぎるような気がしますが・・・F爺が日本に住んでいた頃とは、時代が変わってしまったのでしょうか。
でも、お母さんは、それを自分の子供には、小さいうちに言い聞かせていたのですね。正しく理解していたわけです。
>母から即座に、「東京を起点に考えるからこのような表現になる」という意味の説明を受けたので、まあ、そのようなものなんだな、と理解できました。
F坊やは、同様の説明を受けて、
「京都が都だった時代には、東京から京都へ行くのを『上り列車』って言ってたの?」
と質問して、
「いや、その時代には、鉄道はまだ無かった」
と聞かされました。
「あ、でも、今でも東京の人は京都と大阪のことを『上方(かみがた)』って言うんだよ」
という続きがあって納得したのを憶えています。
No title
F爺様
>「若い時の苦労は買ってもせよ」
>という諺(ことわざ)は、実際に苦労する場面に直面する前に聞かされていたほうが有効です。大学を卒業する年齢で初耳だったとしたら遅過ぎるような気がしますが・・・
おっしゃる通りです。あるいは、私の母が大学生であった頃から、いわゆる「遊学生」と呼ばれるような、親の脛齧りをしながら、学問よりも遊びに主眼を置く生活を送る学生が現れるようになってきたのかもしれませんね。
この格言は、私がどこまでこれを実行できたかは別としても、小さい頃に聞いておいて良かった、と、今にして思います。
>「京都が都だった時代には、東京から京都へ行くのを『上り列車』って言ってたの?」
と質問して、
~~
>「あ、でも、今でも東京の人は京都と大阪のことを『上方(かみがた)』って言うんだよ」
>という続きがあって納得した
東京を便宜上、一番高い場所として考える、ということを習って、直ちに京都が都だった頃に思いを馳せていらっしゃるということは、
幼少時には既に、日本の歴史の大まかなところが、整理された状態で頭に入っていたのですね。
そこで新たに、「上方」という概念を習い、考えたことにまつわる知識が加わり、と、勉強とはまさに、こういうことなんだな、と改めて思います。
>「若い時の苦労は買ってもせよ」
>という諺(ことわざ)は、実際に苦労する場面に直面する前に聞かされていたほうが有効です。大学を卒業する年齢で初耳だったとしたら遅過ぎるような気がしますが・・・
おっしゃる通りです。あるいは、私の母が大学生であった頃から、いわゆる「遊学生」と呼ばれるような、親の脛齧りをしながら、学問よりも遊びに主眼を置く生活を送る学生が現れるようになってきたのかもしれませんね。
この格言は、私がどこまでこれを実行できたかは別としても、小さい頃に聞いておいて良かった、と、今にして思います。
>「京都が都だった時代には、東京から京都へ行くのを『上り列車』って言ってたの?」
と質問して、
~~
>「あ、でも、今でも東京の人は京都と大阪のことを『上方(かみがた)』って言うんだよ」
>という続きがあって納得した
東京を便宜上、一番高い場所として考える、ということを習って、直ちに京都が都だった頃に思いを馳せていらっしゃるということは、
幼少時には既に、日本の歴史の大まかなところが、整理された状態で頭に入っていたのですね。
そこで新たに、「上方」という概念を習い、考えたことにまつわる知識が加わり、と、勉強とはまさに、こういうことなんだな、と改めて思います。
Re: No title
「106」さん
>東京を便宜上、一番高い場所として考える、ということを習って、直ちに京都が都だった頃に思いを馳せていらっしゃるということは、
幼少時には既に、日本の歴史の大まかなところが、整理された状態で頭に入っていたのですね。
百人一首に伊勢大輔(いせのおおすけ)の次の歌が入っていますね。
〽古(いにしへ)の奈良の都の八重桜(やへざくら)
今日(けふ)九重(ここのへ)に匂(にほ)ひぬるかな
F坊やは、この歌を諳(そら)んじた年代に周りの大人に質問して
「日本の最初の固定した都は奈良だった」
「その後、京都に遷都した」
といったことを聞き憶えました。
日本に最初に鉄道が出来たのは明治開国の後のことだという知識も、この時に獲得したのです。
百人一首は、「歴史的仮名遣いや古語の手解(てほど)き」にもなり「日本の古代史や近代史に興味を持たせる糸口」にもなる素晴らしい教育玩具(おもちゃ)です。
>東京を便宜上、一番高い場所として考える、ということを習って、直ちに京都が都だった頃に思いを馳せていらっしゃるということは、
幼少時には既に、日本の歴史の大まかなところが、整理された状態で頭に入っていたのですね。
百人一首に伊勢大輔(いせのおおすけ)の次の歌が入っていますね。
〽古(いにしへ)の奈良の都の八重桜(やへざくら)
今日(けふ)九重(ここのへ)に匂(にほ)ひぬるかな
F坊やは、この歌を諳(そら)んじた年代に周りの大人に質問して
「日本の最初の固定した都は奈良だった」
「その後、京都に遷都した」
といったことを聞き憶えました。
日本に最初に鉄道が出来たのは明治開国の後のことだという知識も、この時に獲得したのです。
百人一首は、「歴史的仮名遣いや古語の手解(てほど)き」にもなり「日本の古代史や近代史に興味を持たせる糸口」にもなる素晴らしい教育玩具(おもちゃ)です。
百人一首
F爺様
>百人一首は、「歴史的仮名遣いや古語の手解(てほど)き」にもなり「日本の古代史や近代史に興味を持たせる糸口」にもなる素晴らしい教育玩具(おもちゃ)です。
百人一首の解説本やカルタそのものは恐らく、多くの日本の家庭に「何となく」常備されているように感じますが、
実際にそれを読み込んだ人はどれだけいるのか、と思いました。
私自身、今でも諳んじている歌は僅かしかなく、これは反省事項です。
幸い、自宅に解説本はあるので、再勉強する気が起こりました。ご教示ありがとうございます。
>百人一首は、「歴史的仮名遣いや古語の手解(てほど)き」にもなり「日本の古代史や近代史に興味を持たせる糸口」にもなる素晴らしい教育玩具(おもちゃ)です。
百人一首の解説本やカルタそのものは恐らく、多くの日本の家庭に「何となく」常備されているように感じますが、
実際にそれを読み込んだ人はどれだけいるのか、と思いました。
私自身、今でも諳んじている歌は僅かしかなく、これは反省事項です。
幸い、自宅に解説本はあるので、再勉強する気が起こりました。ご教示ありがとうございます。
Re: 百人一首
「106」さん
>百人一首の解説本やカルタそのものは恐らく、多くの日本の家庭に「何となく」常備されているように感じますが、
実際にそれを読み込んだ人はどれだけいるのか、と思いました。
「遊び」として楽しむ人は多いかと思いますが、読み込み、意味を考え、子供の言語教育に役立てる親は、さほど多くないかもしれませんね。
>私自身、今でも諳んじている歌は僅かしかなく、これは反省事項です。
幸い、自宅に解説本はあるので、再勉強する気が起こりました。ご教示ありがとうございます。
お役に立てて嬉しいことです(^_^)。
ただ百人一首の中には、
〽おほけなく・・・
と始まる歌のように、何が言いたいのかさっぱり分からないものもあります。
全てが秀作ではないことは、知っておいたほうが良いでしょうね。
>百人一首の解説本やカルタそのものは恐らく、多くの日本の家庭に「何となく」常備されているように感じますが、
実際にそれを読み込んだ人はどれだけいるのか、と思いました。
「遊び」として楽しむ人は多いかと思いますが、読み込み、意味を考え、子供の言語教育に役立てる親は、さほど多くないかもしれませんね。
>私自身、今でも諳んじている歌は僅かしかなく、これは反省事項です。
幸い、自宅に解説本はあるので、再勉強する気が起こりました。ご教示ありがとうございます。
お役に立てて嬉しいことです(^_^)。
ただ百人一首の中には、
〽おほけなく・・・
と始まる歌のように、何が言いたいのかさっぱり分からないものもあります。
全てが秀作ではないことは、知っておいたほうが良いでしょうね。