コンサート1999-6-8・鶴岡八幡宮の宮司(5)
- 2015/12/24
- 20:39
1999年6月8日のF爺合唱団のコンサートは、期せずして「LN夫人事件」と絡(から)み合うことになりました。絡み合ってもすぐに解(ほど)けたので、鎌倉の鶴岡八幡宮の宮司は、このことを知らないはずです。
LN夫人は、宮司のストラスブール再訪の時にF爺を利用しようという明確な意思があってこのコンサートを聴きに来たのです。
コンサートは、LN夫人が自発的に、自分が勤めている某ラジオ放送局のストラスブール支局に掛け合って、無料で数日続けて広告してくれました。そのお蔭かどうか、いつもよりも聴衆の数が多かったのは事実です。
この日の演目は、20曲。たまたま、短い曲を多数集めていました。そのうち日本の歌は13曲。わらべ歌や民謡だけでも次の6曲ありました。
ずいずいずっころばし(1) わらべ歌
草津節(2) 群馬県民謡
貝殻節(3) 鳥取県民謡
デカンショ節(4) 兵庫県民謡
島原の子守歌(5) 長崎県民謡
お江戸日本橋(6) 古謡
(1)〽ずいずいずっころばし ごまみそずい ちゃつぼにおわれて とっぴんしゃん・・・
(2)〽草津良いとこ 一度はおいで アードッコイショ・・・
(3)〽何の因果で貝殻漕ぎ習うた カワイヤノーカワイヤノー・・・
(4)〽丹波篠山山家の猿がヨイヨーイ 花のお江戸で芝居する・・・
(5)〽おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ・・・
(6)〽お江戸日本橋七つ立ち 初上り 行列揃えてアレワイサノサ・・・
これに野口雨情作詞・中山晋平作曲の「証城寺の狸囃子」と新作民謡の「最上川舟唄」(*)を加えると8曲になります。
(*)『岩波文庫 日本民謡集』(町田嘉章・浅野建二編、1969)によると、「昭和11年頃、左沢(あてらざわ)町の渡辺国俊・後藤岩太郎氏等が中心となって、原曲を復活・編曲したもので、徳川末期から明治の中頃まで酒田港に流行した「酒田追分」の前唄を船唄としそれに船頭達の掛声を組み合わせたもの」だということです。「復活・編曲」と言っても、もともと最上川に舟唄は無かったのですから、新作民謡です。
この中から3~5曲選んで余興に歌うことは可能です。
LN夫人が夫君と一緒に聴きに来て、
「素晴らしいわ。来年の春には、すごいことが出来そう」
この時点でF爺は、LN夫人が自分の団体の催しに「閉鎖空間でのF爺合唱団の演奏」を求めているのだとばかり思っていました。F爺がそのように提案したのですから文字通りに理解したはずだと考えたのです。そこに想定不可能な誤解があったと分かったのは、二ヶ月後のことです。
第六篇に続きます。
LN夫人は、宮司のストラスブール再訪の時にF爺を利用しようという明確な意思があってこのコンサートを聴きに来たのです。
コンサートは、LN夫人が自発的に、自分が勤めている某ラジオ放送局のストラスブール支局に掛け合って、無料で数日続けて広告してくれました。そのお蔭かどうか、いつもよりも聴衆の数が多かったのは事実です。
この日の演目は、20曲。たまたま、短い曲を多数集めていました。そのうち日本の歌は13曲。わらべ歌や民謡だけでも次の6曲ありました。
ずいずいずっころばし(1) わらべ歌
草津節(2) 群馬県民謡
貝殻節(3) 鳥取県民謡
デカンショ節(4) 兵庫県民謡
島原の子守歌(5) 長崎県民謡
お江戸日本橋(6) 古謡
(1)〽ずいずいずっころばし ごまみそずい ちゃつぼにおわれて とっぴんしゃん・・・
(2)〽草津良いとこ 一度はおいで アードッコイショ・・・
(3)〽何の因果で貝殻漕ぎ習うた カワイヤノーカワイヤノー・・・
(4)〽丹波篠山山家の猿がヨイヨーイ 花のお江戸で芝居する・・・
(5)〽おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ・・・
(6)〽お江戸日本橋七つ立ち 初上り 行列揃えてアレワイサノサ・・・
これに野口雨情作詞・中山晋平作曲の「証城寺の狸囃子」と新作民謡の「最上川舟唄」(*)を加えると8曲になります。
(*)『岩波文庫 日本民謡集』(町田嘉章・浅野建二編、1969)によると、「昭和11年頃、左沢(あてらざわ)町の渡辺国俊・後藤岩太郎氏等が中心となって、原曲を復活・編曲したもので、徳川末期から明治の中頃まで酒田港に流行した「酒田追分」の前唄を船唄としそれに船頭達の掛声を組み合わせたもの」だということです。「復活・編曲」と言っても、もともと最上川に舟唄は無かったのですから、新作民謡です。
この中から3~5曲選んで余興に歌うことは可能です。
LN夫人が夫君と一緒に聴きに来て、
「素晴らしいわ。来年の春には、すごいことが出来そう」
この時点でF爺は、LN夫人が自分の団体の催しに「閉鎖空間でのF爺合唱団の演奏」を求めているのだとばかり思っていました。F爺がそのように提案したのですから文字通りに理解したはずだと考えたのです。そこに想定不可能な誤解があったと分かったのは、二ヶ月後のことです。
第六篇に続きます。