ダブルダウン勘繰郎(西尾維新)
というわけで、相も変わらず西尾維新。
まずは<JDC>について説明しなくてはいけないだろう。<Japan Detective Club>、「日本探偵倶楽部」という、名が体を表すというお手本のような名前。日本中の名探偵中の名探偵がこぞって目指す、探偵界の最高峰。日本最高の知能を有する知的集団の巣窟。
さて注目すべきは、この<JDC>、西尾維新の世界ではないということ。異常なミステリー狂には比較的名が知れているだろう、清涼院流水。作家、というか大説家(もちろん小説家のもじり)にして、ミステリー界の異端児中の異端児。ミステリーの限界をあっさり超え、というか寧ろ小説としての限界も軽く飛び越え、果て無き地表を目指す変わり者。その世界を西尾維新氏が借り受ける形になっている。これは珍しくなく、あの同じく異端児中の異端児、ミステリーから軽く文学へ、そしてさらに文学すらもあっさり飛び越えてしまった究極の文筆家、舞城王太郎氏も、自身の「九十九十九」という作品でこの<JDC>の世界を借り受けている。
さて前置きが長くなった。
今回はその<JDC>に入りたいと思っている15歳の虚野勘操郎と、奇しくも<JDC>の建物の前で勘操郎と出会ってしまった蘿蔔むつみの物語。二人は出会った瞬間から、何かに押し出されるように展開していく。<JDC>は試験の他に、未解決事件の持ち込み推理によっても選別していて、勘操郎はそれを狙い、ばく進していく。むつみの方はそんな勘操郎の勢いに押されるがまま、ついていく。
現在進行形で起こっている未解決事件に乗り出す二人。夢を追いかけ、自分なりのかっこよさを追求し、何もかも受け入れる覚悟で夢に突き進んでいく勘操郎。それを見てむつみは、かつて探偵になりたかった頃の自分を思い出し、過去を呪い、地獄を愛し、自分を省みる。ルーチンワークをこなすだけの毎日に突如現れた、エネルギーの塊のような勘操郎。
そんな話。
一番印象に残っているシーンは、やはりブラックジャック(カードゲームの)だろう。あそこで語られる「論理」の見事さに、確かに知識のなさはあったけれども、感動すら覚えた。これですら論理。負けても引き分けに持ち込もうとする執念。恐れ入った。
というわけで、いつものように印象に残った場面を抜き出すことにします。
(前略)「つーかあれだよね。本気でそう思ってるんだとしたら、むつみってすっげー傲慢な奴だよね」と続けた。
「なんでもかんでもむつみに責任があるんだと思ってりゃ、世話ねーよ。できることをやらなかったって人間がいたら、まあそいつは悪いかもしんない。けど至らなかったんだとしても、むつみ、できることやったじゃん。だったら俺は何も言うことないよ。そういうもんだろ?」(後略)
「(前略)自由ってのはそもそも不自由なもんなんだよ。不自由こそが最高だ。退屈な幸せなんて、地獄どころか牢獄だぜ」(後略)
(前略)いつからだったか勘違いしていた。ドライなのが格好いいと思っていた。熱くならないのが格好いいと思っていた。必至になるなんて格好悪いと思っていた。そっけなく冷めた眼でいるのが格好いいと思っていた。でも違った。勘操郎はその全ての逆を行きながら、惚れ惚れとするほど格好よかった。(後略)
西尾維新「ダブルダウン勘繰郎」
まずは<JDC>について説明しなくてはいけないだろう。<Japan Detective Club>、「日本探偵倶楽部」という、名が体を表すというお手本のような名前。日本中の名探偵中の名探偵がこぞって目指す、探偵界の最高峰。日本最高の知能を有する知的集団の巣窟。
さて注目すべきは、この<JDC>、西尾維新の世界ではないということ。異常なミステリー狂には比較的名が知れているだろう、清涼院流水。作家、というか大説家(もちろん小説家のもじり)にして、ミステリー界の異端児中の異端児。ミステリーの限界をあっさり超え、というか寧ろ小説としての限界も軽く飛び越え、果て無き地表を目指す変わり者。その世界を西尾維新氏が借り受ける形になっている。これは珍しくなく、あの同じく異端児中の異端児、ミステリーから軽く文学へ、そしてさらに文学すらもあっさり飛び越えてしまった究極の文筆家、舞城王太郎氏も、自身の「九十九十九」という作品でこの<JDC>の世界を借り受けている。
さて前置きが長くなった。
今回はその<JDC>に入りたいと思っている15歳の虚野勘操郎と、奇しくも<JDC>の建物の前で勘操郎と出会ってしまった蘿蔔むつみの物語。二人は出会った瞬間から、何かに押し出されるように展開していく。<JDC>は試験の他に、未解決事件の持ち込み推理によっても選別していて、勘操郎はそれを狙い、ばく進していく。むつみの方はそんな勘操郎の勢いに押されるがまま、ついていく。
現在進行形で起こっている未解決事件に乗り出す二人。夢を追いかけ、自分なりのかっこよさを追求し、何もかも受け入れる覚悟で夢に突き進んでいく勘操郎。それを見てむつみは、かつて探偵になりたかった頃の自分を思い出し、過去を呪い、地獄を愛し、自分を省みる。ルーチンワークをこなすだけの毎日に突如現れた、エネルギーの塊のような勘操郎。
そんな話。
一番印象に残っているシーンは、やはりブラックジャック(カードゲームの)だろう。あそこで語られる「論理」の見事さに、確かに知識のなさはあったけれども、感動すら覚えた。これですら論理。負けても引き分けに持ち込もうとする執念。恐れ入った。
というわけで、いつものように印象に残った場面を抜き出すことにします。
(前略)「つーかあれだよね。本気でそう思ってるんだとしたら、むつみってすっげー傲慢な奴だよね」と続けた。
「なんでもかんでもむつみに責任があるんだと思ってりゃ、世話ねーよ。できることをやらなかったって人間がいたら、まあそいつは悪いかもしんない。けど至らなかったんだとしても、むつみ、できることやったじゃん。だったら俺は何も言うことないよ。そういうもんだろ?」(後略)
「(前略)自由ってのはそもそも不自由なもんなんだよ。不自由こそが最高だ。退屈な幸せなんて、地獄どころか牢獄だぜ」(後略)
(前略)いつからだったか勘違いしていた。ドライなのが格好いいと思っていた。熱くならないのが格好いいと思っていた。必至になるなんて格好悪いと思っていた。そっけなく冷めた眼でいるのが格好いいと思っていた。でも違った。勘操郎はその全ての逆を行きながら、惚れ惚れとするほど格好よかった。(後略)
西尾維新「ダブルダウン勘繰郎」
きみとぼくの壊れた世界(西尾維新)
<戯言シリーズ>ですっかりはまってしまった西尾維新の作品を続けて読む。
今回も相も変わらず異常な話。主要な登場人物は少ないくせに、それぞれが個性の塊のような人間。
櫃内様刻と櫃内夜月は兄弟で共に同じ高校に通う。この二人は禁じられた一線を現在進行形で踏み越えつつある、つまるところ近親相姦レベルの関係。不安定な妹のために常に最大の努力で最善の選択をし続ける兄。二人は際どいラインで何かを守りつつあるが・・・
迎槻箱彦と琴原いりすは、様刻の友達。そして保健室のひきこもりであり、なおかつ学園最大の知能を備える極めて激しい対人恐怖症(対視線恐怖症?人込み恐怖症?)の病院坂黒猫。だいたいこんな感じが登場人物たち。
妹を守ろうとし、妹にちょっかいをだす数沢という生徒が、体育館で殺されているのが見付かる。この学園は登下校の際に、登下校時の時間が記録されるシステムがあり、そのために事件は複雑になる。
警察関係者からの情報は一切なく、つまり死亡推定時刻やアリバイなどは知る由もなく、様刻と黒猫はこの殺人事件に首を突っ込みはするのだが・・・
ほぼ推理の過程はない。殺人は起きるが、その後も推理よりも彼等の一風変わった日常が描かれ、登場人物たちがあーだこーだ推理するようなことはない。この殺人事件をきっかけに様刻・夜月・いりす・箱彦・黒猫の世界はどんどん崩壊していき、というか崩壊する。
ミステリーであることは確かに間違いないんだけど、それがメインってわけでもない、みたいな。まあなんとも説明しにくいことは確かだし、まあ興味をもってくれれば読んでみてください。
ちなみに、印象的なセリフやシーンを抜き出してみます。
「・・・嘘をつくのは簡単だ。嘘をつき続けるのが、難しいんだよ。好きなものを、好きでい続けるのが、難しいのと同じでね。(後略)」
「(前略)世界に対して嘘をついたきみは-今、世界から騙されている気がして、ならないんだ。嘘ばかりついてきたから、誰も信用できない。そう、『嘘つき』が抱える真の悩みはそこなのさ。誰にも信用してもらえないなんて、そんなのは問題じゃない-誰も、信用できなくなってしまう。(後略)」
そんな感じです。
西尾維新「きみとぼくの壊れた世界」
今回も相も変わらず異常な話。主要な登場人物は少ないくせに、それぞれが個性の塊のような人間。
櫃内様刻と櫃内夜月は兄弟で共に同じ高校に通う。この二人は禁じられた一線を現在進行形で踏み越えつつある、つまるところ近親相姦レベルの関係。不安定な妹のために常に最大の努力で最善の選択をし続ける兄。二人は際どいラインで何かを守りつつあるが・・・
迎槻箱彦と琴原いりすは、様刻の友達。そして保健室のひきこもりであり、なおかつ学園最大の知能を備える極めて激しい対人恐怖症(対視線恐怖症?人込み恐怖症?)の病院坂黒猫。だいたいこんな感じが登場人物たち。
妹を守ろうとし、妹にちょっかいをだす数沢という生徒が、体育館で殺されているのが見付かる。この学園は登下校の際に、登下校時の時間が記録されるシステムがあり、そのために事件は複雑になる。
警察関係者からの情報は一切なく、つまり死亡推定時刻やアリバイなどは知る由もなく、様刻と黒猫はこの殺人事件に首を突っ込みはするのだが・・・
ほぼ推理の過程はない。殺人は起きるが、その後も推理よりも彼等の一風変わった日常が描かれ、登場人物たちがあーだこーだ推理するようなことはない。この殺人事件をきっかけに様刻・夜月・いりす・箱彦・黒猫の世界はどんどん崩壊していき、というか崩壊する。
ミステリーであることは確かに間違いないんだけど、それがメインってわけでもない、みたいな。まあなんとも説明しにくいことは確かだし、まあ興味をもってくれれば読んでみてください。
ちなみに、印象的なセリフやシーンを抜き出してみます。
「・・・嘘をつくのは簡単だ。嘘をつき続けるのが、難しいんだよ。好きなものを、好きでい続けるのが、難しいのと同じでね。(後略)」
「(前略)世界に対して嘘をついたきみは-今、世界から騙されている気がして、ならないんだ。嘘ばかりついてきたから、誰も信用できない。そう、『嘘つき』が抱える真の悩みはそこなのさ。誰にも信用してもらえないなんて、そんなのは問題じゃない-誰も、信用できなくなってしまう。(後略)」
そんな感じです。
西尾維新「きみとぼくの壊れた世界」
ZOKU(森博嗣)
なんというか、シュールな話だった。
とにかくあまりにもくだらない悪戯が次々に起こる。映画館で、いいシーンに笑い声を流したり、畑の芋を全て芋判に変えてしまったり、授業中携帯のバイブ機能が一斉に振動したりと、とにかく事件にもならないくだらないことが起こる。
誰がやっているかは、初めからはっきりしている。
<ZOKU>というグループ。正式には<Zionist Organization of Karma Underground>。黒古葉善蔵という、何かの企業のトップでありながら、<ZOKU>という完全非営利組織のトップにたつ男。まったくもって、他に表現のしようがない、どうしようもない「悪戯」を熱意を持って実行しようとする男。真っ黒なジャンボジェット機を基地とするも、費用が掛かりすぎるのであまり飛ばさない。
それに対し。
<ZOKU>の悪戯を調査し、その悪戯を止めさせようとする、<TAI>というグループ。正式名称は<Technological Abstinence Institute>、あるいは<科学技術禁欲研究所>。木曽川大安が所長を務める。
そして、木曽川と黒古葉は幼なじみで、よく顔をあわせる。真っ白な機関車を基地とし、木曽川は嬉々としてその運転をする。
<ZOKU>はひたすらくだらない悪戯をし続け、<TAI>はそれを阻止しようとし続ける。<ZOKU>があるから<TAI>がいて、<TAI>がいるから<ZOKU>がいる、みたいな関係。
とにかくそれ以外特にストーリーはない。
それぞれの組織では、まあ部下というべき人間達がいて、それぞれ面白おかしい会話だとかをし(特にストーリーに関係あるとは思えない)、トップ同士も意味のわからない悪戯を最後にし、そして唐突に終わる。
これが森博嗣の作品でなかったら、どうだっただろうな、と思う。別の作家が、その人の書き方で同じようなストーリーを書いても、成立しないだろうな、と。森博嗣が、彼独特の文体でこのストーリーを描くからこそ、作品として成立しているんだろうな、と。
でも、暇つぶしに軽く読む本としてはかなりいいけど、何かを期待して読むような本ではないことを言っておきましょう。まあ言ってしまえば、この本を読む時間があるなら、他の本を読んだ方がいいと思う。
森博嗣「ZOKU」
とにかくあまりにもくだらない悪戯が次々に起こる。映画館で、いいシーンに笑い声を流したり、畑の芋を全て芋判に変えてしまったり、授業中携帯のバイブ機能が一斉に振動したりと、とにかく事件にもならないくだらないことが起こる。
誰がやっているかは、初めからはっきりしている。
<ZOKU>というグループ。正式には<Zionist Organization of Karma Underground>。黒古葉善蔵という、何かの企業のトップでありながら、<ZOKU>という完全非営利組織のトップにたつ男。まったくもって、他に表現のしようがない、どうしようもない「悪戯」を熱意を持って実行しようとする男。真っ黒なジャンボジェット機を基地とするも、費用が掛かりすぎるのであまり飛ばさない。
それに対し。
<ZOKU>の悪戯を調査し、その悪戯を止めさせようとする、<TAI>というグループ。正式名称は<Technological Abstinence Institute>、あるいは<科学技術禁欲研究所>。木曽川大安が所長を務める。
そして、木曽川と黒古葉は幼なじみで、よく顔をあわせる。真っ白な機関車を基地とし、木曽川は嬉々としてその運転をする。
<ZOKU>はひたすらくだらない悪戯をし続け、<TAI>はそれを阻止しようとし続ける。<ZOKU>があるから<TAI>がいて、<TAI>がいるから<ZOKU>がいる、みたいな関係。
とにかくそれ以外特にストーリーはない。
それぞれの組織では、まあ部下というべき人間達がいて、それぞれ面白おかしい会話だとかをし(特にストーリーに関係あるとは思えない)、トップ同士も意味のわからない悪戯を最後にし、そして唐突に終わる。
これが森博嗣の作品でなかったら、どうだっただろうな、と思う。別の作家が、その人の書き方で同じようなストーリーを書いても、成立しないだろうな、と。森博嗣が、彼独特の文体でこのストーリーを描くからこそ、作品として成立しているんだろうな、と。
でも、暇つぶしに軽く読む本としてはかなりいいけど、何かを期待して読むような本ではないことを言っておきましょう。まあ言ってしまえば、この本を読む時間があるなら、他の本を読んだ方がいいと思う。
森博嗣「ZOKU」
エンジェル(石田衣良)
なんというか、普通だった。
純一は、ゲーム製作に関わる資金提供をする会社を経営する青年実業家。彼は、何故か自分の死体が埋められている現場を幽霊として目撃してしまい、さらにそれから自分の過去を追体験するかのように、様々な瞬間をフラッシュバックしていく。
そして、死ぬ前の二年間の記憶がなくなっていることに気づく。
純一は、幽霊としての存在のまま、自分がどうして殺されなくてはいけないのか、知らべ始める。
調べていくうちに、普通ではありえない資金提供の事実、黒い世界との関係、映画制作にまつわるごたごたなどを知ることになり、そして一人の女性と出会う。幽霊でありながら彼女を好きになってしまい、やがて狙われることになる彼女を必至で守ることにする・・・
どうして彼が殺されたのか、一体自分の失われた期間の間に何があったのか。まあその部分の内容はそんなにたいした話ではない。
さて、幽霊だとかなんだとか書くと、眉唾でアンチリアルでなんてイメージを抱くかもしれないけど、至って真面目な作品。その点は保証してもいい。
ただ、なんか普通で、特にこれといって感動するところもなかった。振れ幅が狭くて、淡々としている感じ。そうした作品も嫌いじゃないけど、起伏があんまりないような気がした。
でも女性に人気の高い石田衣良のことだから、女性が読んだらまた違うような気がする。別にお勧めはしないけど。
石田衣良「エンジェル」
純一は、ゲーム製作に関わる資金提供をする会社を経営する青年実業家。彼は、何故か自分の死体が埋められている現場を幽霊として目撃してしまい、さらにそれから自分の過去を追体験するかのように、様々な瞬間をフラッシュバックしていく。
そして、死ぬ前の二年間の記憶がなくなっていることに気づく。
純一は、幽霊としての存在のまま、自分がどうして殺されなくてはいけないのか、知らべ始める。
調べていくうちに、普通ではありえない資金提供の事実、黒い世界との関係、映画制作にまつわるごたごたなどを知ることになり、そして一人の女性と出会う。幽霊でありながら彼女を好きになってしまい、やがて狙われることになる彼女を必至で守ることにする・・・
どうして彼が殺されたのか、一体自分の失われた期間の間に何があったのか。まあその部分の内容はそんなにたいした話ではない。
さて、幽霊だとかなんだとか書くと、眉唾でアンチリアルでなんてイメージを抱くかもしれないけど、至って真面目な作品。その点は保証してもいい。
ただ、なんか普通で、特にこれといって感動するところもなかった。振れ幅が狭くて、淡々としている感じ。そうした作品も嫌いじゃないけど、起伏があんまりないような気がした。
でも女性に人気の高い石田衣良のことだから、女性が読んだらまた違うような気がする。別にお勧めはしないけど。
石田衣良「エンジェル」
クビシメロマンチスト-人間失格・零崎人識-(西尾維新)
登場人物のほとんどが壊れている作品を読むのはかなり心地いい。
前回と同じく、語り部は「いーちゃん」。「いーちゃん」が「烏の濡れ場島」から帰ってきて、大学に行き始めたところから。対人の記憶力が絶望的に悪い「いーちゃん」は、食堂で突然話し掛けられた女の子のことを思い出すことができない。
葵井巫女子。「いーちゃん」のクラスメート。思うがままに感情を発露することができ、ネジがぶっ飛んだようにテンションが高い。他にも、人に対して心を開かない少女・江本智恵、レディースのトップのような威圧感を持つが基本的にはいい人・貴宮むいみ、チャラ男のようで実は友達に対する仁義みたいのには篤い男・宇佐美秋春。これら四人が「いーちゃん」のクラスメートにして、物語の主要人物たち。
江本の誕生日会に「いーちゃん」は何故か誘われ、騒がしい時を過ごし、酔っ払った葵井を隣人の浅野みいこさんに預け、その翌日、江本の死体が発見される。
さて一方、完全なる人格破綻者にして、京都で殺人をしまくる通り魔殺人者・零崎人識に「いーちゃん」は狙われる。が間一髪かわし、何故か話す。鏡に映したようにそっくり。お互いがそう感じるほど似ている二人。人格破綻者と敗北者にして傍観者の出会いは、やがて人類最強の請負人・哀川潤の知るところとなり、零崎は警察にも哀川にも追われることになる。
江本の事件は、やがて連続殺人に発展し、葵井が死に、宇佐美も死ぬ。時には零崎とともに事件を調べ、主体性のない「いーちゃん」が、事件に首を突っ込み、というか影響を与え、そんな感じ。
まあこれだけ書いてみたけど、意味不明でしょう。読んでみてください。
今まで小説を読んでいて、登場人物の誰かに感情移入したことがほぼなくて、でもこれは初かもしれないぐらい「いーちゃん」に感情移入している。いや、自ら感情がないと言い切っている「いーちゃん」なわけだから、敢えて言うなら「スタイル移入」という感じか。
自分の思考のスタイルや、存在に付随する何かや、何かに対する距離なんかを、ここまでスパっと・クリアに・鮮やかに・不足なく・型でも取るかのように抉り取られ表現されたことは初めて。びっくりしたというのが本音。
俺のような人間がそう多いとは思えないし、もしかしたら他の一般の普通の人には意味のわからない小説なのかもしれないけど、どうなんだろう。
是非誰かに読んで欲しいな。受け入れられるだろうか。
ちなみに「西尾維新」はローマ字で「NISIOISIN」。つまりそういうこと。まあこれを見たからあれを考えたんではない、と言い訳してみる(この言い訳はある一人に対してもものだけど、その人がこのブログを見ているかは不明)。
まあ戯言だけどね(みたいな)。
西尾維新「クビシメロマンチスト-人間失格・零崎人識-」
前回と同じく、語り部は「いーちゃん」。「いーちゃん」が「烏の濡れ場島」から帰ってきて、大学に行き始めたところから。対人の記憶力が絶望的に悪い「いーちゃん」は、食堂で突然話し掛けられた女の子のことを思い出すことができない。
葵井巫女子。「いーちゃん」のクラスメート。思うがままに感情を発露することができ、ネジがぶっ飛んだようにテンションが高い。他にも、人に対して心を開かない少女・江本智恵、レディースのトップのような威圧感を持つが基本的にはいい人・貴宮むいみ、チャラ男のようで実は友達に対する仁義みたいのには篤い男・宇佐美秋春。これら四人が「いーちゃん」のクラスメートにして、物語の主要人物たち。
江本の誕生日会に「いーちゃん」は何故か誘われ、騒がしい時を過ごし、酔っ払った葵井を隣人の浅野みいこさんに預け、その翌日、江本の死体が発見される。
さて一方、完全なる人格破綻者にして、京都で殺人をしまくる通り魔殺人者・零崎人識に「いーちゃん」は狙われる。が間一髪かわし、何故か話す。鏡に映したようにそっくり。お互いがそう感じるほど似ている二人。人格破綻者と敗北者にして傍観者の出会いは、やがて人類最強の請負人・哀川潤の知るところとなり、零崎は警察にも哀川にも追われることになる。
江本の事件は、やがて連続殺人に発展し、葵井が死に、宇佐美も死ぬ。時には零崎とともに事件を調べ、主体性のない「いーちゃん」が、事件に首を突っ込み、というか影響を与え、そんな感じ。
まあこれだけ書いてみたけど、意味不明でしょう。読んでみてください。
今まで小説を読んでいて、登場人物の誰かに感情移入したことがほぼなくて、でもこれは初かもしれないぐらい「いーちゃん」に感情移入している。いや、自ら感情がないと言い切っている「いーちゃん」なわけだから、敢えて言うなら「スタイル移入」という感じか。
自分の思考のスタイルや、存在に付随する何かや、何かに対する距離なんかを、ここまでスパっと・クリアに・鮮やかに・不足なく・型でも取るかのように抉り取られ表現されたことは初めて。びっくりしたというのが本音。
俺のような人間がそう多いとは思えないし、もしかしたら他の一般の普通の人には意味のわからない小説なのかもしれないけど、どうなんだろう。
是非誰かに読んで欲しいな。受け入れられるだろうか。
ちなみに「西尾維新」はローマ字で「NISIOISIN」。つまりそういうこと。まあこれを見たからあれを考えたんではない、と言い訳してみる(この言い訳はある一人に対してもものだけど、その人がこのブログを見ているかは不明)。
まあ戯言だけどね(みたいな)。
西尾維新「クビシメロマンチスト-人間失格・零崎人識-」
クビキリサイクル-青色サヴァンと戯言遣い-(西尾維新)
初打席にしてホームラン、みたいな感じ(意味不明)。
西尾維新という、森博嗣に憧れて、氏のデビューのきっかけとなったメフィスト賞を、立命館大学在学中に受賞し(ちなみに今23歳)作家になった人物の作品を初めて読んだ。かなり期待はしていたけど、それ以上によかった。
話は「鴉の濡れ羽島」という絶海の孤島の、三日目の描写から突然始まる。語り部は、玖渚友(くなぎさとも、と読む。ずっとくさなぎだと勘違いしていた)という工学系の天才の付添い人である「いーちゃん」という人物で、その他この島には、超絶的な天才が集められている。伊吹かなみ・画家、佐代野弥生・料理人、園山赤音・七愚人(世界中の七人の天才のうちの一人)、姫菜真姫・占術師といった感じ。
「鴉の濡れ羽島」というのは、ある超大金持ち一族である「赤神家」というところの娘が所有する島であり、ある事情により勘当され、一生遊んで暮らせる金とこの島を与えられ、ある意味ここに「島流し」されたといってもいい。絶海の孤島から出られなくなったその娘・赤神イリアは、暇つぶしのために世界中の天才を島に招き、余暇をすごさせているというわけである。
そして唐突に事件は始まる。お決まりのように死体が発見される。しかも首なし。現場はある意味密室。そして絶海の孤島であり、主人であるイリアが警察の介入を拒んだため、警察の捜査もなし、というまさにミステリーではありがちであり、何でもありの世界。
事件は連続殺人に発展し、さまざまな謎が転がっているのだが、密室やらアリバイやらを「いーちゃんん」と「玖渚友」がそれなりに(これは重要)解き明かして、「人類最強の請負人」である「哀川潤」の介入を待たずして、島の生活を後にする。
事件解決後もいくつかの謎がさらに解明されていき、どんでん返しの連続。「それなり」の推理が「完全」になるのに、「人類最強の請負人」は一役買っている。
まあそんなミステリー的なところも確かにいいんだけど、それ以上に思想というかスタイルというか、登場人物たちの作り出す世界がとてもいい。スタイリッシュで洗練されていて、くどくなくて控えめ。天才であるが故の何かと、凡人であるが故の何か、あるいは犯罪者であるが故の何かが入り混じり、混沌としていく。それぞれのキャラクターが際立ちすぎるぐらいで、読んでいて笑ってしまうし心地いい。
森博嗣の小説が好きな人は間違いなく好きになれるだろうと思う。
ちなみに「いーちゃん」と俺はけっこうどんぴしゃで考え方が似ていたりすると思う。それもヒットの一員にはなっていると思う。消極的で状況に流され、積極的に死のうとは思わないけど、とりあえず生きている、みたいな。
ちなみに、本作では「犯人はなぜ首を切ったのか」という、首切断ものには必ず付随する理由がもちろん明らかにされるんだけど、まじ衝撃的だった。こんな理由で首を斬ろうという発想は、並みの犯罪者では出てこないだろうな、と。すごいです。
表紙だけみると、キャラ萌え系のライトノベルだと思われると思いますが、そしてカバーなしで人前で読むには多少恥ずかしいかもしれないけど(俺はそういうのは気にしないけど)、そういう抵抗を一切無視して読んでみてください。森博嗣好き、ミステリー好きは間違いなく楽しめると思います。それ以外の読書趣味を持っている人にも、ぜひお勧めしたいです。
西尾維新「クビキリサイクル-青色サヴァンと戯言遣い-」
西尾維新という、森博嗣に憧れて、氏のデビューのきっかけとなったメフィスト賞を、立命館大学在学中に受賞し(ちなみに今23歳)作家になった人物の作品を初めて読んだ。かなり期待はしていたけど、それ以上によかった。
話は「鴉の濡れ羽島」という絶海の孤島の、三日目の描写から突然始まる。語り部は、玖渚友(くなぎさとも、と読む。ずっとくさなぎだと勘違いしていた)という工学系の天才の付添い人である「いーちゃん」という人物で、その他この島には、超絶的な天才が集められている。伊吹かなみ・画家、佐代野弥生・料理人、園山赤音・七愚人(世界中の七人の天才のうちの一人)、姫菜真姫・占術師といった感じ。
「鴉の濡れ羽島」というのは、ある超大金持ち一族である「赤神家」というところの娘が所有する島であり、ある事情により勘当され、一生遊んで暮らせる金とこの島を与えられ、ある意味ここに「島流し」されたといってもいい。絶海の孤島から出られなくなったその娘・赤神イリアは、暇つぶしのために世界中の天才を島に招き、余暇をすごさせているというわけである。
そして唐突に事件は始まる。お決まりのように死体が発見される。しかも首なし。現場はある意味密室。そして絶海の孤島であり、主人であるイリアが警察の介入を拒んだため、警察の捜査もなし、というまさにミステリーではありがちであり、何でもありの世界。
事件は連続殺人に発展し、さまざまな謎が転がっているのだが、密室やらアリバイやらを「いーちゃんん」と「玖渚友」がそれなりに(これは重要)解き明かして、「人類最強の請負人」である「哀川潤」の介入を待たずして、島の生活を後にする。
事件解決後もいくつかの謎がさらに解明されていき、どんでん返しの連続。「それなり」の推理が「完全」になるのに、「人類最強の請負人」は一役買っている。
まあそんなミステリー的なところも確かにいいんだけど、それ以上に思想というかスタイルというか、登場人物たちの作り出す世界がとてもいい。スタイリッシュで洗練されていて、くどくなくて控えめ。天才であるが故の何かと、凡人であるが故の何か、あるいは犯罪者であるが故の何かが入り混じり、混沌としていく。それぞれのキャラクターが際立ちすぎるぐらいで、読んでいて笑ってしまうし心地いい。
森博嗣の小説が好きな人は間違いなく好きになれるだろうと思う。
ちなみに「いーちゃん」と俺はけっこうどんぴしゃで考え方が似ていたりすると思う。それもヒットの一員にはなっていると思う。消極的で状況に流され、積極的に死のうとは思わないけど、とりあえず生きている、みたいな。
ちなみに、本作では「犯人はなぜ首を切ったのか」という、首切断ものには必ず付随する理由がもちろん明らかにされるんだけど、まじ衝撃的だった。こんな理由で首を斬ろうという発想は、並みの犯罪者では出てこないだろうな、と。すごいです。
表紙だけみると、キャラ萌え系のライトノベルだと思われると思いますが、そしてカバーなしで人前で読むには多少恥ずかしいかもしれないけど(俺はそういうのは気にしないけど)、そういう抵抗を一切無視して読んでみてください。森博嗣好き、ミステリー好きは間違いなく楽しめると思います。それ以外の読書趣味を持っている人にも、ぜひお勧めしたいです。
西尾維新「クビキリサイクル-青色サヴァンと戯言遣い-」
天井裏の散歩者-幸福荘殺人日記-(折原一)
やはり折原氏の作品はトリッキーだ。
話は、ある男が「幸福荘」という古びたアパートに入居するところから始まる。この「幸福荘」とは、そこに住む小宮山という作家を慕って、作家志望者や編集者なんかが集まる、あの「トキワ荘」のような場所だった。男も作家志望で、201号室に入り、そこに備え付けられているパソコンの中に、一枚のフロッピーを見つける。
その中には、<文書1>から<文書6>までの文書が収められていた。そして物語の大半をこの六つの、フロッピーに収められているという設定の文章に費やされている。
それぞれの文章は書き手がそれぞれ変わって、内容は「幸福荘」を舞台とした、事実なのかフィクションなのか判断のつかない物語である。前の人の文章を踏まえて次の物語が進み、それが収められたフロッピーの持ち主も転々として、フロッピーに収められた文章であることを意識していないと取り残されてしまう。少しだけ複雑。
そして最後にいくにしたがって二転三転。まあその点はさすがだなと思う。
もしかしたらわざとそうしているのかもしれないけど、いつも文章や会話がひどい。わざとそうすることでトリックを鮮やかに見せる、みたいな意図があるのかもしれないけど、どうなんだろう。これでもう少し文章やら会話やらがよければもう少し普通の人も手に取るんではないかと思うのだが。
まあさすがの日本の叙述ミステリーの旗手、といった作品です。
折原一「天井裏の散歩者-幸福荘殺人日記-」
話は、ある男が「幸福荘」という古びたアパートに入居するところから始まる。この「幸福荘」とは、そこに住む小宮山という作家を慕って、作家志望者や編集者なんかが集まる、あの「トキワ荘」のような場所だった。男も作家志望で、201号室に入り、そこに備え付けられているパソコンの中に、一枚のフロッピーを見つける。
その中には、<文書1>から<文書6>までの文書が収められていた。そして物語の大半をこの六つの、フロッピーに収められているという設定の文章に費やされている。
それぞれの文章は書き手がそれぞれ変わって、内容は「幸福荘」を舞台とした、事実なのかフィクションなのか判断のつかない物語である。前の人の文章を踏まえて次の物語が進み、それが収められたフロッピーの持ち主も転々として、フロッピーに収められた文章であることを意識していないと取り残されてしまう。少しだけ複雑。
そして最後にいくにしたがって二転三転。まあその点はさすがだなと思う。
もしかしたらわざとそうしているのかもしれないけど、いつも文章や会話がひどい。わざとそうすることでトリックを鮮やかに見せる、みたいな意図があるのかもしれないけど、どうなんだろう。これでもう少し文章やら会話やらがよければもう少し普通の人も手に取るんではないかと思うのだが。
まあさすがの日本の叙述ミステリーの旗手、といった作品です。
折原一「天井裏の散歩者-幸福荘殺人日記-」
探偵倶楽部(東野圭吾)
大分久しぶりに東野圭吾の本を読んだ。
本作は連作短編集である。「探偵倶楽部」といういかにもありふれた名前のそのクラブは、金持ちしか相手にしない高級探偵クラブ。正確な調査と徹底した秘密厳守がモットーで、調査員は美男美女というコンビ。この二人がクールに鮮やかに、事件の真相を看破していく。
と盛り上げるように書いてみたけど、まあそこまでの作品ではない。一つ一つの作品にはしっかりトリックがあって、いくつかにはどんでん返しがあったりして悪くはないんだけど、東野圭吾の作品としてみてしまうと物足りなさを感じる。好きな作家ゆえ、評価が厳しくなってしまうこともある。ただ東野圭吾独特のキレのようなものは十分に味わえると思う。
ミステリ-好きには少し物足りない作品だとは思うけど、ミステリーの入門として、あるいは東野圭吾の入門として読む分にはいいのではないかと思う。
東野圭吾「探偵倶楽部」
本作は連作短編集である。「探偵倶楽部」といういかにもありふれた名前のそのクラブは、金持ちしか相手にしない高級探偵クラブ。正確な調査と徹底した秘密厳守がモットーで、調査員は美男美女というコンビ。この二人がクールに鮮やかに、事件の真相を看破していく。
と盛り上げるように書いてみたけど、まあそこまでの作品ではない。一つ一つの作品にはしっかりトリックがあって、いくつかにはどんでん返しがあったりして悪くはないんだけど、東野圭吾の作品としてみてしまうと物足りなさを感じる。好きな作家ゆえ、評価が厳しくなってしまうこともある。ただ東野圭吾独特のキレのようなものは十分に味わえると思う。
ミステリ-好きには少し物足りない作品だとは思うけど、ミステリーの入門として、あるいは東野圭吾の入門として読む分にはいいのではないかと思う。
東野圭吾「探偵倶楽部」
スプートニクの恋人(村上春樹)
今まで読んだ村上作品の中で(といっても本作を含めて三作だけど)一番良かった。
とにかくストーリーは説明しずらいけど、きっと恋愛ものなんだろう。「ぼく」と「すみれ」と「ミュウ」が主な登場人物で、「ぼく」は「すみれ」に好意を抱いていて、「すみれ」は「ミュウ」に激しく恋を抱く、と言う話。ちなみに「すみれ」と「ミュウ」は女性。
これ以外に一体どんな説明が出来るというのだろうか。
とにかく、俺の言葉ではわかりずらいかもしれないけど、どんどん物語が拡散していくようで、なかなかついていくことが難しい。論理的に何かを捕らえることが困難で、論理の扉を開放していても、そこから入ってくるものはほとんどない。どこから入ってきたのかわからない言葉や文章や装飾や何かによってどこかが一杯になって、収拾がつかなくなって、透明度を失って物語の輪郭が奪われてしまうような気がする。
でも、その意味をちゃんと把握できている自信はまるでないけど、ちりばめられた言葉達は結構好き。色んな意味を含んでいるようで多面的で、しかし近付くとぼやけて、うまくつかめない。文章という塊になるともお手上げで、雰囲気しかつかめない。でも、文章という流れから切り離さなければならないのだけど、個々の言葉やフレーズは結構よかったりしたと思う。
突然だけど、俺は割と「ぼく」っぽいかなと思った。表面上どう見えるか、という点は違うかもしれないけど、形作る要素は似ているんではないかと。まあ「すみれ」のような人間にあっている自覚はないけれども。
最後に。まだそんなに読んでいないけど、村上春樹の作品には解説がないのではないかと思う。今まではなかった。作品全体を通して解説のない作家は村上氏を含めて二人しか知らない。もう一人は「歌野晶午」といって、歌野氏は自ら、「自分の作品は解説が必要なほど難しくはない」とよく書いている。それとは逆で、村上氏は人に自分の作品を解説されたり、もっといえば解釈されたりするのが嫌いなのではないか、と邪推してみる。どうかは知らないけど。
俺も内容の半分も理解できているとは思えないけど(そもそも理解するという行為がこの作品に対して正当かどうか不明だけど)、悪くはないと思うので読んでみるのはいいと思います。
村上春樹「スプートニクの恋人」
とにかくストーリーは説明しずらいけど、きっと恋愛ものなんだろう。「ぼく」と「すみれ」と「ミュウ」が主な登場人物で、「ぼく」は「すみれ」に好意を抱いていて、「すみれ」は「ミュウ」に激しく恋を抱く、と言う話。ちなみに「すみれ」と「ミュウ」は女性。
これ以外に一体どんな説明が出来るというのだろうか。
とにかく、俺の言葉ではわかりずらいかもしれないけど、どんどん物語が拡散していくようで、なかなかついていくことが難しい。論理的に何かを捕らえることが困難で、論理の扉を開放していても、そこから入ってくるものはほとんどない。どこから入ってきたのかわからない言葉や文章や装飾や何かによってどこかが一杯になって、収拾がつかなくなって、透明度を失って物語の輪郭が奪われてしまうような気がする。
でも、その意味をちゃんと把握できている自信はまるでないけど、ちりばめられた言葉達は結構好き。色んな意味を含んでいるようで多面的で、しかし近付くとぼやけて、うまくつかめない。文章という塊になるともお手上げで、雰囲気しかつかめない。でも、文章という流れから切り離さなければならないのだけど、個々の言葉やフレーズは結構よかったりしたと思う。
突然だけど、俺は割と「ぼく」っぽいかなと思った。表面上どう見えるか、という点は違うかもしれないけど、形作る要素は似ているんではないかと。まあ「すみれ」のような人間にあっている自覚はないけれども。
最後に。まだそんなに読んでいないけど、村上春樹の作品には解説がないのではないかと思う。今まではなかった。作品全体を通して解説のない作家は村上氏を含めて二人しか知らない。もう一人は「歌野晶午」といって、歌野氏は自ら、「自分の作品は解説が必要なほど難しくはない」とよく書いている。それとは逆で、村上氏は人に自分の作品を解説されたり、もっといえば解釈されたりするのが嫌いなのではないか、と邪推してみる。どうかは知らないけど。
俺も内容の半分も理解できているとは思えないけど(そもそも理解するという行為がこの作品に対して正当かどうか不明だけど)、悪くはないと思うので読んでみるのはいいと思います。
村上春樹「スプートニクの恋人」
妊娠カレンダー(小川洋子)
とても不思議な物語である。
三つの短編からなっていて、その内表題作である「妊娠カレンダー」は、芥川賞を受賞している。
「妊娠カレンダー」
出産を控えた姉は、しばらくしてつわりになる。食べ物を受け付けなく、臭いに敏感になる。「わたし」は家中のあらゆる臭いを消し、食事は庭で作り庭で食べるという生活を始めることになる。
ある日突然姉のつわりが終わり、一転膨大な量の食事をするようになる。「わたし」はバイト先でひょんなことから大量にもらったグレープフルーツを使ってジャムを作る。姉は喜んでそのジャムを食べるのだが、「わたし」の脳裏には、『アメリカ産の果実、農薬まみれ』という、昔何かの授業で聞いた知識が浮かんでいる。それでもそのジャムを姉に食べさせ続ける・・・
「ドミトリィ」
いとこが大学進学にあたり上京することになったのだが、貧乏なためいい物件が見付からない。そんななか「わたし」にそのいとこから電話が掛かってくる。昔住んでいた学生寮を紹介してよ。そう言われて久しぶりにその学生寮を訪れる「わたし」。そこは右足しかない管理人のいる、ひどく寂れた学生寮だった。その管理人は、この学生寮は変性していると繰り返す。何度いとこを尋ねても会えない「わたし」は、ある日天井のしみに注意を向けるようになる・・・
「夕暮れの夕食室と雨のプール」
結婚を控えた夫婦が新居を見つけ、飼い犬とともにまずは「わたし」がそこに住み始めるようになる。三ヶ月後には結婚式。手を掛けるべきところの多い新居で、まず浴槽のペンキ塗りをしている時、子供づれの男性が訪問してくる。宗教関係の勧誘だと思ったが、しばらく会話をし、そして男性はあっさりと帰っていった。ある日散歩途中で再会するのだが、彼等は学校の給食室を眺めていた。男性は給食室と雨のプールにまつわる自分の話しを始めていく・・・
どの話も掴み所がない、という表現しかできない。おそらくどこにも「論理」が存在しないからだろうと思う。「理由」というか。何故?の部分がまるで説明されないから、なんか不安定な気がする。
最後の「夕暮れの給食室と雨のプール」はまったくわからなかったけど、「ドミトリィ」は結構最後はふーんって感じで終わるし、「妊娠カレンダー」は妹の「悪意」と呼んでいいのかよくわからない心理というのが面白いと思った。
かなり文学に近い(まあ芥川賞を取っているぐらいだし)から、そういうのが嫌いでない人は読んでみてください。
小川洋子「妊娠カレンダー」
三つの短編からなっていて、その内表題作である「妊娠カレンダー」は、芥川賞を受賞している。
「妊娠カレンダー」
出産を控えた姉は、しばらくしてつわりになる。食べ物を受け付けなく、臭いに敏感になる。「わたし」は家中のあらゆる臭いを消し、食事は庭で作り庭で食べるという生活を始めることになる。
ある日突然姉のつわりが終わり、一転膨大な量の食事をするようになる。「わたし」はバイト先でひょんなことから大量にもらったグレープフルーツを使ってジャムを作る。姉は喜んでそのジャムを食べるのだが、「わたし」の脳裏には、『アメリカ産の果実、農薬まみれ』という、昔何かの授業で聞いた知識が浮かんでいる。それでもそのジャムを姉に食べさせ続ける・・・
「ドミトリィ」
いとこが大学進学にあたり上京することになったのだが、貧乏なためいい物件が見付からない。そんななか「わたし」にそのいとこから電話が掛かってくる。昔住んでいた学生寮を紹介してよ。そう言われて久しぶりにその学生寮を訪れる「わたし」。そこは右足しかない管理人のいる、ひどく寂れた学生寮だった。その管理人は、この学生寮は変性していると繰り返す。何度いとこを尋ねても会えない「わたし」は、ある日天井のしみに注意を向けるようになる・・・
「夕暮れの夕食室と雨のプール」
結婚を控えた夫婦が新居を見つけ、飼い犬とともにまずは「わたし」がそこに住み始めるようになる。三ヶ月後には結婚式。手を掛けるべきところの多い新居で、まず浴槽のペンキ塗りをしている時、子供づれの男性が訪問してくる。宗教関係の勧誘だと思ったが、しばらく会話をし、そして男性はあっさりと帰っていった。ある日散歩途中で再会するのだが、彼等は学校の給食室を眺めていた。男性は給食室と雨のプールにまつわる自分の話しを始めていく・・・
どの話も掴み所がない、という表現しかできない。おそらくどこにも「論理」が存在しないからだろうと思う。「理由」というか。何故?の部分がまるで説明されないから、なんか不安定な気がする。
最後の「夕暮れの給食室と雨のプール」はまったくわからなかったけど、「ドミトリィ」は結構最後はふーんって感じで終わるし、「妊娠カレンダー」は妹の「悪意」と呼んでいいのかよくわからない心理というのが面白いと思った。
かなり文学に近い(まあ芥川賞を取っているぐらいだし)から、そういうのが嫌いでない人は読んでみてください。
小川洋子「妊娠カレンダー」
時には懺悔を(打海文三)
何とも重い話だ。
話は米本という探偵が殺害されたことから始まる。その第一発見者に偶然になった佐竹という探偵と、探偵見習の聡子という女。警察が介入する前に現場から必要な情報を得、独自に米本の死の真相を探っていく。
戸籍調査やら盗聴やらを繰り帰し、細い糸を辿っていくと、一人の障害児の存在が浮かび上がってくる。新という名前のその子は一体何に巻き込まれているのか?誰のどんな思惑が絡み合っているのか?中盤はそういったことを中心に話が進んでいく。
そして障害児にまつわる真相、そして米本殺しの真相もわかるのだが、それがこの小説の芯ではない。確かにミステリーの形式は取っているけれども、文庫の裏表紙のあらすじで既に解かれるべき謎が書かれてあって(この文章にはそのことは書いてないけど)、つまりこの小説がその謎を主軸に置いているのではないということがわかる。
つまり、障害児を生んでしまったらどうするか、ということ。
このテーマは常に重くのしかかる。それぞれの登場人物が、それぞれの立場でこの問題に取り組む。現実という容赦のない波の中で、障害児というのはあまりにも無力で、関わる人は孤独へとひきずりこまれてしまう。
諦めれば世間からの冷たい目。育てようとすれば周囲から孤立。支えてくれる存在、その大きさを感じる。
この小説の設定に取り入れられている状況にもし陥ったら、どういう選択をするか。それはもしかしたらいつか自分の身にも降りかかる選択なのかもしれない。そこまで大げさでなくても、同じような何かを選び取らなければいけない状況に陥るかもしれない。
俺は、表面上はやはり戻ってくることを期待して、内心ではそうでないことを一心に願ってしまうのではないかと思う。
どうせ裏表紙に書いてあるから書いてしまうけど、要するに、障害児を誘拐されたらどうするか、ということです。
悲しく重い話です。読んでみて、そして考えてみてください。
打海文三「時には懺悔を」
話は米本という探偵が殺害されたことから始まる。その第一発見者に偶然になった佐竹という探偵と、探偵見習の聡子という女。警察が介入する前に現場から必要な情報を得、独自に米本の死の真相を探っていく。
戸籍調査やら盗聴やらを繰り帰し、細い糸を辿っていくと、一人の障害児の存在が浮かび上がってくる。新という名前のその子は一体何に巻き込まれているのか?誰のどんな思惑が絡み合っているのか?中盤はそういったことを中心に話が進んでいく。
そして障害児にまつわる真相、そして米本殺しの真相もわかるのだが、それがこの小説の芯ではない。確かにミステリーの形式は取っているけれども、文庫の裏表紙のあらすじで既に解かれるべき謎が書かれてあって(この文章にはそのことは書いてないけど)、つまりこの小説がその謎を主軸に置いているのではないということがわかる。
つまり、障害児を生んでしまったらどうするか、ということ。
このテーマは常に重くのしかかる。それぞれの登場人物が、それぞれの立場でこの問題に取り組む。現実という容赦のない波の中で、障害児というのはあまりにも無力で、関わる人は孤独へとひきずりこまれてしまう。
諦めれば世間からの冷たい目。育てようとすれば周囲から孤立。支えてくれる存在、その大きさを感じる。
この小説の設定に取り入れられている状況にもし陥ったら、どういう選択をするか。それはもしかしたらいつか自分の身にも降りかかる選択なのかもしれない。そこまで大げさでなくても、同じような何かを選び取らなければいけない状況に陥るかもしれない。
俺は、表面上はやはり戻ってくることを期待して、内心ではそうでないことを一心に願ってしまうのではないかと思う。
どうせ裏表紙に書いてあるから書いてしまうけど、要するに、障害児を誘拐されたらどうするか、ということです。
悲しく重い話です。読んでみて、そして考えてみてください。
打海文三「時には懺悔を」
バイバイ、エンジェル(笠井潔)
作者存命中に、その作品が既に古典となった笠井潔の作品を初めて読んだ。
舞台は革命だとか闘争だとかが盛んな時代のスペイン、パリ。モガール警視の娘ナディアが書き手で、彼女が矢吹駆という一人の日本人に出会うところから始まる。矢吹は現象学に興味を持っており、一方その生活は質素を極める学生だった。ナディアは矢吹のことを掴みかねるが、次第に親しくなっていく。
事件は首を切断された死体の発見から始まる。死体の身元を正確に断定する根拠がなかったが、現場の物証やアリバイなどから、モガール警視は事件に対してそれなりの仮説を持つ。
そしてさらなる事件が発生する。ホテルの一室で爆弾による死者が出る。現場には何故か第一の事件の関係者が勢ぞろいしている。状況からモガール警視は持っていた仮説の方向性があっているだろうと思うのだが、どうもしっくりこないものを感じている。
一方娘ナディアは、矢吹との推理合戦に負けぬよう仮説を組み立て、ついに間違いないと思しき推論をまとめ、発表することになる・・・
その後その推論が間違っていることを知り、そして何にも惑わされることなく、現象学を応用した矢吹が、ついに真相に辿り着く。
みたいな話です。
話自体は、まあ普通に本格ミステリー的で、トリックも多少複雑だけど納得いくし、悪くはないんだけど・・・
あまりにも哲学的・抽象的過ぎて、特に最後の数十ページは、何を言っているのやらさっぱり理解できなくて、ほとんど流し読みだった。雰囲気としては、国語の授業の評論を読んでいる感じ。頭が痛くなる。
なんとなく京極夏彦を思わせるんだけど、長くても京極の方が読みやすい、と俺は思います。
笠井潔「バイバイ、エンジェル」
舞台は革命だとか闘争だとかが盛んな時代のスペイン、パリ。モガール警視の娘ナディアが書き手で、彼女が矢吹駆という一人の日本人に出会うところから始まる。矢吹は現象学に興味を持っており、一方その生活は質素を極める学生だった。ナディアは矢吹のことを掴みかねるが、次第に親しくなっていく。
事件は首を切断された死体の発見から始まる。死体の身元を正確に断定する根拠がなかったが、現場の物証やアリバイなどから、モガール警視は事件に対してそれなりの仮説を持つ。
そしてさらなる事件が発生する。ホテルの一室で爆弾による死者が出る。現場には何故か第一の事件の関係者が勢ぞろいしている。状況からモガール警視は持っていた仮説の方向性があっているだろうと思うのだが、どうもしっくりこないものを感じている。
一方娘ナディアは、矢吹との推理合戦に負けぬよう仮説を組み立て、ついに間違いないと思しき推論をまとめ、発表することになる・・・
その後その推論が間違っていることを知り、そして何にも惑わされることなく、現象学を応用した矢吹が、ついに真相に辿り着く。
みたいな話です。
話自体は、まあ普通に本格ミステリー的で、トリックも多少複雑だけど納得いくし、悪くはないんだけど・・・
あまりにも哲学的・抽象的過ぎて、特に最後の数十ページは、何を言っているのやらさっぱり理解できなくて、ほとんど流し読みだった。雰囲気としては、国語の授業の評論を読んでいる感じ。頭が痛くなる。
なんとなく京極夏彦を思わせるんだけど、長くても京極の方が読みやすい、と俺は思います。
笠井潔「バイバイ、エンジェル」
解体諸因(西澤保彦)
その名の通り、解体された死体を扱った連作短編集だ。
読んでいくと、なかなか面白い趣向の小説だな、と思った。探偵らしき登場人物は決まっていなく、それぞれの章で探偵役が変わっていきます。それぞれの章に出てくる登場人物は相互に関係しているんだけど、それぞれの章の中ではその関係性を登場人物達は知らない、という感じで、さらに章の順番と時系列も一定ではなく、「死体の解体」と「登場人物同士の僅かな繋がり」という以外各章があまり関係性のないつくりになっています。
しかし最終章を読んで、なるほどなと感心してしまう。
各章とも構成的にはいわゆる「アームチェアディテクティブ(安楽椅子探偵)」といった感じで、探偵役は事件そのものには関わらず、なんらかの形で外部から持ち込まれた情報をもとに推理していきます。当然論理的に推論するだけで、それが真実であるかということは明かされません(この点はとても重要なのでした)。
そして一章、戯曲形式の中篇があって、これすらもただの中篇ではないという凝った仕掛けです。
それぞれの物語は、誰が殺したかということよりも、むしろ何故死体を解体したのかという点に焦点が当てられます。それぞれに合理的な理由があって、「人を殺す動機」には納得がいかなくても、「人を解体した理由」には思わず納得してしまうのではないかと思います。
面白かったのは、熊のぬいぐるみの腕がもがれ、さらにそれが血のついたハンカチで再度くっつけられていたという事件「解体守護」と、8階でエレベーターに乗ってから1階に着くまでのわずか16秒で首と左手足が切られ、それらがエレベーター外に放置されていた事件「解体昇降」ですね。論理的に構築された物語を読んでみたい方、どうぞ。
西澤保彦「解体諸因」
読んでいくと、なかなか面白い趣向の小説だな、と思った。探偵らしき登場人物は決まっていなく、それぞれの章で探偵役が変わっていきます。それぞれの章に出てくる登場人物は相互に関係しているんだけど、それぞれの章の中ではその関係性を登場人物達は知らない、という感じで、さらに章の順番と時系列も一定ではなく、「死体の解体」と「登場人物同士の僅かな繋がり」という以外各章があまり関係性のないつくりになっています。
しかし最終章を読んで、なるほどなと感心してしまう。
各章とも構成的にはいわゆる「アームチェアディテクティブ(安楽椅子探偵)」といった感じで、探偵役は事件そのものには関わらず、なんらかの形で外部から持ち込まれた情報をもとに推理していきます。当然論理的に推論するだけで、それが真実であるかということは明かされません(この点はとても重要なのでした)。
そして一章、戯曲形式の中篇があって、これすらもただの中篇ではないという凝った仕掛けです。
それぞれの物語は、誰が殺したかということよりも、むしろ何故死体を解体したのかという点に焦点が当てられます。それぞれに合理的な理由があって、「人を殺す動機」には納得がいかなくても、「人を解体した理由」には思わず納得してしまうのではないかと思います。
面白かったのは、熊のぬいぐるみの腕がもがれ、さらにそれが血のついたハンカチで再度くっつけられていたという事件「解体守護」と、8階でエレベーターに乗ってから1階に着くまでのわずか16秒で首と左手足が切られ、それらがエレベーター外に放置されていた事件「解体昇降」ですね。論理的に構築された物語を読んでみたい方、どうぞ。
西澤保彦「解体諸因」
ROMMY-越境者の夢-(歌野晶午)
若くして命を落とすことになるROOMYという一人のアーティストの生涯を、ある一つの事件を中心に展開した作品である。
事件そのものは比較的単純なものだ。海外の大物アーティストであるFMとのレコーディングを控えた最中、控え室で死体が発見される。だがそこではさまざまな思惑が混じり、すぐには警察が呼ばれることはない。内部の人間だと疑って掛かる人間と、それぞれの思惑に縛られる人々。そうしたなかそれぞれの思惑が現実に作用し、混迷を極めていく。
不可能状況(密室など)があるわけでもないし、犯人当てがそこまで難しいわけでもない。そういう点に焦点を当てた物語ではなく、ROOMYというアーティストの生涯が積み重ねられていく。
事件の展開に挟み込むように、ROOMYの生涯が手紙や、後に作られたという設定のビデオ映像、そういったものを交えながらROOMYというものが形作られていく。
ページをめくるごとに何故が増え、さらにめくるごとに何故が解決されて行きます。伝説を残して逝った孤高のアーティストの人生を楽しんでみてください。
歌野晶午「ROMMY-越境者の夢-」
事件そのものは比較的単純なものだ。海外の大物アーティストであるFMとのレコーディングを控えた最中、控え室で死体が発見される。だがそこではさまざまな思惑が混じり、すぐには警察が呼ばれることはない。内部の人間だと疑って掛かる人間と、それぞれの思惑に縛られる人々。そうしたなかそれぞれの思惑が現実に作用し、混迷を極めていく。
不可能状況(密室など)があるわけでもないし、犯人当てがそこまで難しいわけでもない。そういう点に焦点を当てた物語ではなく、ROOMYというアーティストの生涯が積み重ねられていく。
事件の展開に挟み込むように、ROOMYの生涯が手紙や、後に作られたという設定のビデオ映像、そういったものを交えながらROOMYというものが形作られていく。
ページをめくるごとに何故が増え、さらにめくるごとに何故が解決されて行きます。伝説を残して逝った孤高のアーティストの人生を楽しんでみてください。
歌野晶午「ROMMY-越境者の夢-」
失踪症候群(貫井徳郎)
期待しすぎるからだろうか、貫井作品を最近いいと思えなくなってきている。
話は若者達の相次ぐ失踪から始まる。一つ一つは取るに足らないただの失踪事件で、警察としても失踪人名簿に名前を載せる以外捜査の仕様もない瑣末な事件。それを刑事部長の勅命で捜査を命じられたのが環敬吾という、警務部人事二課という部署に勤める男。環は私立探偵の原田、托鉢僧の武藤隆、肉体労働者の倉持真栄の、警察とは無関係の人間達とチームを組んでおり、司令塔を環として、四人で各失踪事件を追っていく。
調べていくうちにいろいろわかり、まあ一応の解決を見る、といった流れとしては単純な物語。
なんというか、まず点を線で結ぶような話はあまり好きではないということ。ある手がかりをもとに次の手がかりを得て、最後には真相に辿り着く、みたいなのはもうお決まり過ぎてちょっとつまらない。
それに視点がどやどや変わるのもちょっと疲れる。視点の数でいえば20を超えるのではないかと思う。一人の視点で物語を書くべきだとはいわないけど、ある程度限定した登場人物の視点で話しを進めて欲しいと思った。
「症候群」三部作の第一作目として書かれたもので、著者としては初のシリーズものだということだが、一作目がこれだとすると、二作目以降もあまり期待はできない。
デビュー作の「慟哭」がかなりよかったので期待して読んでいるのだが、外れることが多くなってきたのであまり期待はしないようにと努めようと思う。
貫井徳郎「失踪症候群」
話は若者達の相次ぐ失踪から始まる。一つ一つは取るに足らないただの失踪事件で、警察としても失踪人名簿に名前を載せる以外捜査の仕様もない瑣末な事件。それを刑事部長の勅命で捜査を命じられたのが環敬吾という、警務部人事二課という部署に勤める男。環は私立探偵の原田、托鉢僧の武藤隆、肉体労働者の倉持真栄の、警察とは無関係の人間達とチームを組んでおり、司令塔を環として、四人で各失踪事件を追っていく。
調べていくうちにいろいろわかり、まあ一応の解決を見る、といった流れとしては単純な物語。
なんというか、まず点を線で結ぶような話はあまり好きではないということ。ある手がかりをもとに次の手がかりを得て、最後には真相に辿り着く、みたいなのはもうお決まり過ぎてちょっとつまらない。
それに視点がどやどや変わるのもちょっと疲れる。視点の数でいえば20を超えるのではないかと思う。一人の視点で物語を書くべきだとはいわないけど、ある程度限定した登場人物の視点で話しを進めて欲しいと思った。
「症候群」三部作の第一作目として書かれたもので、著者としては初のシリーズものだということだが、一作目がこれだとすると、二作目以降もあまり期待はできない。
デビュー作の「慟哭」がかなりよかったので期待して読んでいるのだが、外れることが多くなってきたのであまり期待はしないようにと努めようと思う。
貫井徳郎「失踪症候群」
パワーオフ(井上夢人)
それなりに楽しめた作品だった。
始まりはある高校での授業風景から始まる。コンピューター管理の板金加工機械である電動ドリルが高校生の掌を突き刺してしまう。原因はウイルスによるもので、このウイルスを巡って物語が進んでいく。
このウイルスを作ったのはある小さなソフトメーカーで、ワクチンを売り出すためにウイルスを流布させるという詐欺まがいのことをしようとしていた。ウイルスを作った室伏という男は、そんな経営者の目論見にまんまと騙されているだけで、ウイルスを作ったことを後悔している。
一方JAM-NET(恐らくYAHOOのようなプロバイダーだと思うけど)では、ウイルス対策にやっきになる。単純で悪質ではないが、なかなか高度に作られたプログラムで、解析にもイライラするほどの時間がかかる。
またある電気機器メーカーは、自ら進化していく、まさに生命のようなアルファというA-LIFE(人工生命)の開発に取り組む一人の女性と誰も会ったことのない謎の天才プログラマが出てくる。
こうした三つの線がページをめくるごとに進んでいき、交わっていく。ウイルスとアルファの出会いが、ネットの世界を大きく変えていく。そんな話だ。
こうして普段から使っているインターネット。それなりに安全で(ハッカーのような人はいるけど)、かなり便利でいまや生活には欠かせなくなってきているネット。その世界に、この小説で起きているまさに同じことが起こったら、と思うと、脆弱な基盤に支えられた生活を送っているのだな、と思う。しかも現実的にありえるかもしれない話だからより怖い。
さらに、「生命とは?」という話に踏み込んでいく。一体「生きていること」をいかに定義するか。進化するプログラムは生命ではないのか?そういった、今でこそそういう分野は進んでいるだろうけど、96年に発表当時まだそこまでネットが広まっているとは言えない頃に出た小説だと考えれば、それなりに衝撃は大きかったかもしれないと思う。
井上氏はパソコン関係に詳しい作家として有名なようで、この作品もかなりそうした知識が出てくる。しかし、パソコン初心者の俺でも何とか理解できる範囲だから、かなり噛み砕いて説明がされていると思うし、読みやすいと思う。今では当たり前に言われている「サイバーテロ」を10年近く前に物語にしているわけで、エンターテイメントとして見れば割と面白い作品だと思います。
井上夢人「パワーオフ」
始まりはある高校での授業風景から始まる。コンピューター管理の板金加工機械である電動ドリルが高校生の掌を突き刺してしまう。原因はウイルスによるもので、このウイルスを巡って物語が進んでいく。
このウイルスを作ったのはある小さなソフトメーカーで、ワクチンを売り出すためにウイルスを流布させるという詐欺まがいのことをしようとしていた。ウイルスを作った室伏という男は、そんな経営者の目論見にまんまと騙されているだけで、ウイルスを作ったことを後悔している。
一方JAM-NET(恐らくYAHOOのようなプロバイダーだと思うけど)では、ウイルス対策にやっきになる。単純で悪質ではないが、なかなか高度に作られたプログラムで、解析にもイライラするほどの時間がかかる。
またある電気機器メーカーは、自ら進化していく、まさに生命のようなアルファというA-LIFE(人工生命)の開発に取り組む一人の女性と誰も会ったことのない謎の天才プログラマが出てくる。
こうした三つの線がページをめくるごとに進んでいき、交わっていく。ウイルスとアルファの出会いが、ネットの世界を大きく変えていく。そんな話だ。
こうして普段から使っているインターネット。それなりに安全で(ハッカーのような人はいるけど)、かなり便利でいまや生活には欠かせなくなってきているネット。その世界に、この小説で起きているまさに同じことが起こったら、と思うと、脆弱な基盤に支えられた生活を送っているのだな、と思う。しかも現実的にありえるかもしれない話だからより怖い。
さらに、「生命とは?」という話に踏み込んでいく。一体「生きていること」をいかに定義するか。進化するプログラムは生命ではないのか?そういった、今でこそそういう分野は進んでいるだろうけど、96年に発表当時まだそこまでネットが広まっているとは言えない頃に出た小説だと考えれば、それなりに衝撃は大きかったかもしれないと思う。
井上氏はパソコン関係に詳しい作家として有名なようで、この作品もかなりそうした知識が出てくる。しかし、パソコン初心者の俺でも何とか理解できる範囲だから、かなり噛み砕いて説明がされていると思うし、読みやすいと思う。今では当たり前に言われている「サイバーテロ」を10年近く前に物語にしているわけで、エンターテイメントとして見れば割と面白い作品だと思います。
井上夢人「パワーオフ」
ネジ式ザゼツキー(島田荘司)
島田作品で、初めての大当たりだった。
内容はとにかく謎に満ち溢れている。お馴染みの名探偵御手洗潔の元に、エゴンという記憶喪失の男がやってくる。この男は御手洗と様々なやりとりをするのだが、短期的な記憶もおぼつかず、そうした状況から救って上げようと御手洗は努力することになる。エゴンは、自分はどこかに帰るべき場所があるのだが、それが思い出せないということで御手洗の元を訪れたのだ。
エゴンは記憶喪失になってから一編の童話を書いている。「タンジール蜜柑共和国への帰還」と題されたその童話は、蜜柑の樹の上にある村、ネジ式の関節を持つ妖精、人口筋肉で羽ばたく飛行機、鼻のない老人、何故か空を飛ぶことのできる空間。そういった様々な不思議な出来事が描かれている。御手洗はこの童話だけを元に、エゴンが一体何者で、どういった体験をし、何故記憶喪失になったのかを、その素晴らしい推理力で解き明かしていく。
真相が少しずつわかっていくにつれて、もうわくわくしてくる。一体どういう結末になるんだろう。どうこれを現実の世界に落とし込むのだろう、と興味が尽きない。「タンジール蜜柑共和国への帰還」という童話の挿入部を除けば、舞台は御手洗の研究室から動かない。登場人物も御手洗とハインリッヒ(彼が誰なのか俺は知らないけど)とエゴン、あと最後の方に数人出てくるぐらいで、本当に舞台で出来てしまうような場面展開と登場人物の少なさなんだけど、それなのに面白い。
今まで読んできた島田作品はあまり馴染めなかった。理由は恐らくその解決にあるだろうと思う。島田作品においては、謎の設定は天才的に魅力的だ。これでもかというほど不可解で現実的ではない謎が与えられる。それは確かに素晴らしいんだけど、それを解決する段になって強引さと無理矢理さが目立ってどうも好きになれなかった。
でも今回の解決はかなりスマートだし、納得できる。島田作品をこれからも読もう、と希望を持てた作品でした。
島田荘司「ネジ式ザゼツキー」
ネジ式ザゼツキー講談社ノベルス
内容はとにかく謎に満ち溢れている。お馴染みの名探偵御手洗潔の元に、エゴンという記憶喪失の男がやってくる。この男は御手洗と様々なやりとりをするのだが、短期的な記憶もおぼつかず、そうした状況から救って上げようと御手洗は努力することになる。エゴンは、自分はどこかに帰るべき場所があるのだが、それが思い出せないということで御手洗の元を訪れたのだ。
エゴンは記憶喪失になってから一編の童話を書いている。「タンジール蜜柑共和国への帰還」と題されたその童話は、蜜柑の樹の上にある村、ネジ式の関節を持つ妖精、人口筋肉で羽ばたく飛行機、鼻のない老人、何故か空を飛ぶことのできる空間。そういった様々な不思議な出来事が描かれている。御手洗はこの童話だけを元に、エゴンが一体何者で、どういった体験をし、何故記憶喪失になったのかを、その素晴らしい推理力で解き明かしていく。
真相が少しずつわかっていくにつれて、もうわくわくしてくる。一体どういう結末になるんだろう。どうこれを現実の世界に落とし込むのだろう、と興味が尽きない。「タンジール蜜柑共和国への帰還」という童話の挿入部を除けば、舞台は御手洗の研究室から動かない。登場人物も御手洗とハインリッヒ(彼が誰なのか俺は知らないけど)とエゴン、あと最後の方に数人出てくるぐらいで、本当に舞台で出来てしまうような場面展開と登場人物の少なさなんだけど、それなのに面白い。
今まで読んできた島田作品はあまり馴染めなかった。理由は恐らくその解決にあるだろうと思う。島田作品においては、謎の設定は天才的に魅力的だ。これでもかというほど不可解で現実的ではない謎が与えられる。それは確かに素晴らしいんだけど、それを解決する段になって強引さと無理矢理さが目立ってどうも好きになれなかった。
でも今回の解決はかなりスマートだし、納得できる。島田作品をこれからも読もう、と希望を持てた作品でした。
島田荘司「ネジ式ザゼツキー」
ネジ式ザゼツキー講談社ノベルス
猛禽の宴(楡周平)
まあまあ、という感想の作品。
「続・Cの福音」となっているように、Cの福音の続編であり、朝倉恭介が主人公である。今回は恭介の慕うファルージオが率いる組織と、チャイニーズ勢力と、ラティーノやそのたイタリア系マフィアのごたごたの話。とにかくノンストップでいろんなことが起こって、各組織がいろいろ大変なことになって、そして朝倉恭介が頑張ってなんとかする、みたいな。なんと稚拙な説明でしょうか。
展開も速いしストーリーもしっかりしているし、確かに読ませる作家だとは思う。でも単なるちょっと面白いエンターテイメント作品、という粋を出ない。
似たような組織だとかのごたごたを書く作家として馳星周とか大沢在昌とか思い浮かぶけど、そういう作家のほうが全然面白いと思う。どう違うのかうまく説明できないことがくやしいけど。たぶん朝倉恭介というキャラクターをそこまで好きになれないからだろう、と書いてみる。
あと描写が細かすぎるのが少し苦手。リアリティ=正確で細かい描写、というのが一般的に考えられている気がするけど、そうした風潮はあまり好きじゃない。よく「リアリティがない」とか書く書評家がいたりするわけで、それはきっともと調べてもっと正確に細かく書け、ってことなんだろうけど、果たしてそれで本当に「リアル」なのかが疑問。
俺だけかもしれないけど、描写が正確で細かいほどより場面を想像することができない。情報が多すぎて読んでいる間に処理できない。たぶん、場面を想起させるのに必要でない情報もあるはずで、そういったものがやたらと詰め込まれているからわからなくなる。登場人物がどういった場所にいて、どういった状況にいるのかを細かく説明されるよりは、彼等がどう考え何を思っているのかをもっと細かく書いて欲しい、とそう思う。
というわけで本書の感想からは大分外れたような気がするけど、まあ映画にしたらターミネーターみたいな感じになって、それはそれで悪くないかも、というような作品です。
楡周平「猛禽の宴」
「続・Cの福音」となっているように、Cの福音の続編であり、朝倉恭介が主人公である。今回は恭介の慕うファルージオが率いる組織と、チャイニーズ勢力と、ラティーノやそのたイタリア系マフィアのごたごたの話。とにかくノンストップでいろんなことが起こって、各組織がいろいろ大変なことになって、そして朝倉恭介が頑張ってなんとかする、みたいな。なんと稚拙な説明でしょうか。
展開も速いしストーリーもしっかりしているし、確かに読ませる作家だとは思う。でも単なるちょっと面白いエンターテイメント作品、という粋を出ない。
似たような組織だとかのごたごたを書く作家として馳星周とか大沢在昌とか思い浮かぶけど、そういう作家のほうが全然面白いと思う。どう違うのかうまく説明できないことがくやしいけど。たぶん朝倉恭介というキャラクターをそこまで好きになれないからだろう、と書いてみる。
あと描写が細かすぎるのが少し苦手。リアリティ=正確で細かい描写、というのが一般的に考えられている気がするけど、そうした風潮はあまり好きじゃない。よく「リアリティがない」とか書く書評家がいたりするわけで、それはきっともと調べてもっと正確に細かく書け、ってことなんだろうけど、果たしてそれで本当に「リアル」なのかが疑問。
俺だけかもしれないけど、描写が正確で細かいほどより場面を想像することができない。情報が多すぎて読んでいる間に処理できない。たぶん、場面を想起させるのに必要でない情報もあるはずで、そういったものがやたらと詰め込まれているからわからなくなる。登場人物がどういった場所にいて、どういった状況にいるのかを細かく説明されるよりは、彼等がどう考え何を思っているのかをもっと細かく書いて欲しい、とそう思う。
というわけで本書の感想からは大分外れたような気がするけど、まあ映画にしたらターミネーターみたいな感じになって、それはそれで悪くないかも、というような作品です。
楡周平「猛禽の宴」