ぐろぐろ(松沢呉一)
内容に入ろうと思います。
本書は、『BURRN!』という音楽雑誌に連載されていた、『アナルは負けず嫌い』というコラムを書籍化したものです。
という紹介だけでももはや意味不明という、なかなか変度の高い本である。
本書では、とにかく『不快なるもの』を徹底的に取り上げている。ゴキブリやSMなんてのはまったく普通で、スカトロやゲロや痰や食虫など、とにかく『不快なるもの』ばかりについてのコラムばっかりである。
著者はそういう方面に好奇心のある人で(ただしのめり込むほどではない)、元々は音楽を中心に様々な文章を書けるライターとして色んな文章を書いていたのだけど、次第にこういう方面の仕事ばかりになって行ってしまったらしい。
しかしこの『アナルは負けず嫌い』というコラム、元々は『不快なるもの』を書くようなコーナーではなかったのだ。
では元々はどういう目論見の連載のつもりだったのか、というと、特に何も考えはなかったらしい。アナルマニア方面の人から耳にした「アナルは負けず嫌い」という言葉が強烈で、とりあえず連載のタイトルにしてみた。連載第一回は、その『アナルは負けず嫌い』というコラムタイトルの背景を説明するために、アナルだのSMだのということについて延々と書いている。
で、この『アナルは負けず嫌い』という連載の方向性を決めたのが、まさにこの第一回のコラムだったのだ。正確に言えば、この第一回のコラムを読んだたった一人の読者の抗議によってだった。
『不愉快なことを書くな』という趣旨のその抗議を知り、著者はこのコラムの方向性を、『不快なるもの』とすることに決定。以後、どこからそんな話を仕入れてくるんだか、それはそれは不快な話のオンパレードで素晴らしい。
いや、僕は別にそういう『不快なもの』に特別興味があるわけでもなく、っていうかスカトロとかゲロとか痰とか食虫とか全面的に無理なんですけど、別に写真があるわけでもなく、臭いが漂ってくるわけでもなく、ただ文章で読む分にはまったく平気。スカトロの話を読みながら飯を食う、なんて場面もありましたよ。まあ決して、愉快な食事じゃないですけどね。
前半の方は、飲食店で客が残した料理を使いまわしているとか、幽霊の話とか、エログロ方面ではない話も結構あるんだけど、後半はかなり、スカトロだのゲロだのって話ばっかりになる。
しかしこれ読んでると、世の中は広いって思いますよ、ホントに。僕にはウンコ食べる人間の気持ちがしれないけど、それに快感を感じる人間もいるわけだし、痰の話を書いた後で(著者は痰とウンコのプールのどっちかで泳がなければいけないと言われたらウンコを選ぶ、と書いている)、40代の女性から、痰の何が不快なのか全然理解出来ない、という手紙が来るなど、ホント凄い。三和出版という、社内の人間がほぼ何らかの形で変態という会社にいるとあるスカトロマニアの話にはホント爆笑した。
『もとはウンコが好きだったんですよ。小学校の頃から、女の子と駅までシックスナインの格好をしてウンコを食べ合う夢をよく見てました。』
って文章にはノックアウトですよ。そんな小学生、いるんだなぁ。
他にはどんな話が出てくるのかは是非読んで欲しいものなのだけど、いやはやホント、世界は広いです。著者は作中で、
『かくも人間の感覚はさまざまだ。自分が不快だからといって、他人も同じだと思い込むのは慎みましょう』
って書いてて、まさにこの本全体に通じる言葉だなぁ、と思いました。この本を読むと、異なる神への信仰を理由に戦争することなんか馬鹿らしくなる気がします。人間の振れ幅はここまで広いんだぞ、と。
とまあ、とにかくメチャクチャな内容で、ここまで僕の文章を読んだ人の中には、そんな本自分とは合わない、どうせ頭のネジの狂った人間の書いてることなんだろう、と思われるかもしれないけど(そんなこと思わないかな?だとしたら著者に申し訳ない感じだけど)、そうではないのだ。著者は、確かにこういうエログロ系の方面に好奇心を持っているのだけど、著者本人は至ってまともであって、多少趣味趣向は一般人からズレている部分はあるかもしれないけど、感覚は非常に真っ直ぐなのである。
それを端的に表現している文章がこれ。
『どんなセックスをしようと勝手、でも道にゴミを捨ててはいけない』
著者は、例えばエロ系雑誌の編集者と喫茶店で打ち合わせをしたりすることがあるけど、雑誌によっては、「チンコ」「マンコ」などの言葉を平気で口にし、性器の写った写真をテーブルにおおっぴらに並べる編集者がいるらしく、著者はそれをたしなめる。人に迷惑を掛けてはいけない、という当然の良識を持っているのだ。
また、セクハラについて考察している文章は非常に論理的に筋が通っていて、筋が通らないことに納得の出来ないことが多い僕にも共感できる部分は多かった。例えば、立場にものを言わせてセックスを迫るなんてのはもちろんアウトだし、「◯◯さん(女性)はホント貧相な体ね」なんていうのも、「君はビッコだから歩き方が面白いなぁ」というのと同じなのであってもちろんいけない。
その一方で、「君はどんなセックスをするのかね?」という雑談はいいのではないか、という。もちろん、立場を利用してそれを無理矢理言わせようとするのはダメだけど、ただの雑談レベルであれば、その質問は、「君には彼氏がいるのか」という質問と大差なのではないか、と。
もちろん人が聞きたくない話をするべきではない、という意見もあるだろうけど、じゃあ、「私は独身だから、他の人が家庭の話をしているのが不快だ」という人がいたら、そこでは家庭の話は出来ないことになってしまう。それを不快だという人が一人でもいればその話はしてはいけない、というのであれば一貫性があっていいのだけど、セックス的な話だけがセクハラ扱いされてしまうのはちょっとおかしいのではないか。
というような趣旨の意見で、僕は非常に納得しました。僕は個人的に、一貫性のない矛盾したルールや決まりや意見や価値観には結構敏感な方で、そういうものにすぐ反応してしまいます。僕個人は、もちろん出来ていない部分もあるだろうけど、なるべく一貫性ということを重視して日々行動しています。逆に、意見や行動に一貫性のない人間にはかなり腹が立ちます。
著者はそういう意味で、非常に好感の持てる人です。一貫性というものを大事にしていて、結構共感できる。エログロ的な、非常に不快な話をしているにも関わらず、それを書いている著者に大して不快感を抱かなかったのは、そういう一貫性をきちんと持った人だということが感じられたからだろうなぁ、と思います。
また、『はっきりした理由もなく嫌っている』という状態をよしとせず、何でもチャレンジしてみる、というのはとにかく素晴らしい。ウンコについての本(本書ではない別の本)を書くのにウンコを食べたことがないとかダメだろと思いとりあえず舐めてみたりとか、ゴキブリ入りのキャンディを、食べ物を粗末するのが嫌いだからと言ってゴキブリも食べたりする姿勢は、僕はまったく真似したいとは思わないけど、素晴らしいと思いました。
エログロ的な話はまったく受け付けない、鳥肌がたって気持ち悪くなる、というような人には勧めませんが、スカトロやらゲロの話をしている割にはそこまで不快感は強くないのでは、と思います。著者の人柄によるんじゃないかなぁ、と思うのですけども。色んな意味で世界が広がると思います。是非読んでみてください。
松沢呉一「ぐろぐろ」
本書は、『BURRN!』という音楽雑誌に連載されていた、『アナルは負けず嫌い』というコラムを書籍化したものです。
という紹介だけでももはや意味不明という、なかなか変度の高い本である。
本書では、とにかく『不快なるもの』を徹底的に取り上げている。ゴキブリやSMなんてのはまったく普通で、スカトロやゲロや痰や食虫など、とにかく『不快なるもの』ばかりについてのコラムばっかりである。
著者はそういう方面に好奇心のある人で(ただしのめり込むほどではない)、元々は音楽を中心に様々な文章を書けるライターとして色んな文章を書いていたのだけど、次第にこういう方面の仕事ばかりになって行ってしまったらしい。
しかしこの『アナルは負けず嫌い』というコラム、元々は『不快なるもの』を書くようなコーナーではなかったのだ。
では元々はどういう目論見の連載のつもりだったのか、というと、特に何も考えはなかったらしい。アナルマニア方面の人から耳にした「アナルは負けず嫌い」という言葉が強烈で、とりあえず連載のタイトルにしてみた。連載第一回は、その『アナルは負けず嫌い』というコラムタイトルの背景を説明するために、アナルだのSMだのということについて延々と書いている。
で、この『アナルは負けず嫌い』という連載の方向性を決めたのが、まさにこの第一回のコラムだったのだ。正確に言えば、この第一回のコラムを読んだたった一人の読者の抗議によってだった。
『不愉快なことを書くな』という趣旨のその抗議を知り、著者はこのコラムの方向性を、『不快なるもの』とすることに決定。以後、どこからそんな話を仕入れてくるんだか、それはそれは不快な話のオンパレードで素晴らしい。
いや、僕は別にそういう『不快なもの』に特別興味があるわけでもなく、っていうかスカトロとかゲロとか痰とか食虫とか全面的に無理なんですけど、別に写真があるわけでもなく、臭いが漂ってくるわけでもなく、ただ文章で読む分にはまったく平気。スカトロの話を読みながら飯を食う、なんて場面もありましたよ。まあ決して、愉快な食事じゃないですけどね。
前半の方は、飲食店で客が残した料理を使いまわしているとか、幽霊の話とか、エログロ方面ではない話も結構あるんだけど、後半はかなり、スカトロだのゲロだのって話ばっかりになる。
しかしこれ読んでると、世の中は広いって思いますよ、ホントに。僕にはウンコ食べる人間の気持ちがしれないけど、それに快感を感じる人間もいるわけだし、痰の話を書いた後で(著者は痰とウンコのプールのどっちかで泳がなければいけないと言われたらウンコを選ぶ、と書いている)、40代の女性から、痰の何が不快なのか全然理解出来ない、という手紙が来るなど、ホント凄い。三和出版という、社内の人間がほぼ何らかの形で変態という会社にいるとあるスカトロマニアの話にはホント爆笑した。
『もとはウンコが好きだったんですよ。小学校の頃から、女の子と駅までシックスナインの格好をしてウンコを食べ合う夢をよく見てました。』
って文章にはノックアウトですよ。そんな小学生、いるんだなぁ。
他にはどんな話が出てくるのかは是非読んで欲しいものなのだけど、いやはやホント、世界は広いです。著者は作中で、
『かくも人間の感覚はさまざまだ。自分が不快だからといって、他人も同じだと思い込むのは慎みましょう』
って書いてて、まさにこの本全体に通じる言葉だなぁ、と思いました。この本を読むと、異なる神への信仰を理由に戦争することなんか馬鹿らしくなる気がします。人間の振れ幅はここまで広いんだぞ、と。
とまあ、とにかくメチャクチャな内容で、ここまで僕の文章を読んだ人の中には、そんな本自分とは合わない、どうせ頭のネジの狂った人間の書いてることなんだろう、と思われるかもしれないけど(そんなこと思わないかな?だとしたら著者に申し訳ない感じだけど)、そうではないのだ。著者は、確かにこういうエログロ系の方面に好奇心を持っているのだけど、著者本人は至ってまともであって、多少趣味趣向は一般人からズレている部分はあるかもしれないけど、感覚は非常に真っ直ぐなのである。
それを端的に表現している文章がこれ。
『どんなセックスをしようと勝手、でも道にゴミを捨ててはいけない』
著者は、例えばエロ系雑誌の編集者と喫茶店で打ち合わせをしたりすることがあるけど、雑誌によっては、「チンコ」「マンコ」などの言葉を平気で口にし、性器の写った写真をテーブルにおおっぴらに並べる編集者がいるらしく、著者はそれをたしなめる。人に迷惑を掛けてはいけない、という当然の良識を持っているのだ。
また、セクハラについて考察している文章は非常に論理的に筋が通っていて、筋が通らないことに納得の出来ないことが多い僕にも共感できる部分は多かった。例えば、立場にものを言わせてセックスを迫るなんてのはもちろんアウトだし、「◯◯さん(女性)はホント貧相な体ね」なんていうのも、「君はビッコだから歩き方が面白いなぁ」というのと同じなのであってもちろんいけない。
その一方で、「君はどんなセックスをするのかね?」という雑談はいいのではないか、という。もちろん、立場を利用してそれを無理矢理言わせようとするのはダメだけど、ただの雑談レベルであれば、その質問は、「君には彼氏がいるのか」という質問と大差なのではないか、と。
もちろん人が聞きたくない話をするべきではない、という意見もあるだろうけど、じゃあ、「私は独身だから、他の人が家庭の話をしているのが不快だ」という人がいたら、そこでは家庭の話は出来ないことになってしまう。それを不快だという人が一人でもいればその話はしてはいけない、というのであれば一貫性があっていいのだけど、セックス的な話だけがセクハラ扱いされてしまうのはちょっとおかしいのではないか。
というような趣旨の意見で、僕は非常に納得しました。僕は個人的に、一貫性のない矛盾したルールや決まりや意見や価値観には結構敏感な方で、そういうものにすぐ反応してしまいます。僕個人は、もちろん出来ていない部分もあるだろうけど、なるべく一貫性ということを重視して日々行動しています。逆に、意見や行動に一貫性のない人間にはかなり腹が立ちます。
著者はそういう意味で、非常に好感の持てる人です。一貫性というものを大事にしていて、結構共感できる。エログロ的な、非常に不快な話をしているにも関わらず、それを書いている著者に大して不快感を抱かなかったのは、そういう一貫性をきちんと持った人だということが感じられたからだろうなぁ、と思います。
また、『はっきりした理由もなく嫌っている』という状態をよしとせず、何でもチャレンジしてみる、というのはとにかく素晴らしい。ウンコについての本(本書ではない別の本)を書くのにウンコを食べたことがないとかダメだろと思いとりあえず舐めてみたりとか、ゴキブリ入りのキャンディを、食べ物を粗末するのが嫌いだからと言ってゴキブリも食べたりする姿勢は、僕はまったく真似したいとは思わないけど、素晴らしいと思いました。
エログロ的な話はまったく受け付けない、鳥肌がたって気持ち悪くなる、というような人には勧めませんが、スカトロやらゲロの話をしている割にはそこまで不快感は強くないのでは、と思います。著者の人柄によるんじゃないかなぁ、と思うのですけども。色んな意味で世界が広がると思います。是非読んでみてください。
松沢呉一「ぐろぐろ」
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