検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む(倉山満)
内容に入ろうと思います。
本書は、内容紹介をし始めると実に長くなると思うので、先に読後の感想を書いておきましょう。
メチャクチャ面白かった!
たぶん面白いだろうなぁ、って感じで読み始めたんですけど、読み始める前に思った以上に面白い作品で、これは素晴らしいと思いました。
本書をひと言で説明しようとすればこうなります。
『財務省(旧大蔵省)から見た、明治維新以来の日本の歴史』
これはつまり、こういうことです。
『お金から読む日本の歴史』
本書は、予算権限を持つ大蔵省の動向・大蔵省を操る政治家の動き・実際のお金の流れと言った観点から日本の近現代史を見た場合、「常識的な歴史観」がどんな感じで覆るか、ということを様々な場面で示す作品です。
そして、本書の最終的な目的地はこうです。
『何故財務省は、増税をしようとしているのか』
本書には、元々大蔵省の伝統には、増税というものはなかった、と書かれています。大蔵省は、増税という「悪手」を使うことなく、エリート揃いの智慧と、政治家ともやりあえるほどの度胸などによって、日本の経済を守ってきた存在でした。本書の「おわりに」でも、こんな風に書かれています。
『明治以来、大蔵省ほど、絶大な力を持ちながらも注目されてこなかった組織はないでしょう。しかし現在、財務省は日本の歴史上、最も注目されていると言っても過言ではありません。その注目のされ方は、長期デフレ不況。大震災の最中に増税を強行しようとしている「悪の権化」としてです。
しかし、繰り返しますが、これは財務省だけでなく、国民にとって不幸なことだと思います。大蔵省は明治以来、日本の近代化を支え、間違った時流に抗し、敗戦から高度成長の繁栄へと導いてきた組織です。大蔵官僚こそ、常に黒子として日本に尽くしてきたのです。その様子の一端は、本書で述べた通りです。この歴史を抜きにして、いま行われつつある目の前の現象だけを取り上げても、本質は決して見えてこないでしょう。また、そうであっては未来への解決策も見つからないでしょう。』
本書を読むと、何故今財務省が「増税」を「したくないのにしなければならいのか」が分かります。その二つの理由を端的に書くと、
『政治の再現のない財政拡大圧力を抑制する自信がないこと』
『日銀の独立により金融政策の自由を奪われたこと』
です。
前者については、主に田中角栄や竹下登らによる暗黒時代の記憶があります。大蔵省は、様々な歴史の変転を経て、ある時から最強の官庁として、時には政治家さえも抑えこむほどの権限を持つことになります。しかし、様々なことがあり、田中角栄や竹下登と言った政治家に翻弄される中で、大蔵省や財務省は、政治家の暴走を止めるだけの力を持てなくなってしまいました。本書では、その流れが示されます。
そして後者については、元々大蔵省の一機関でしかなかった日銀が、新しく制定された日銀法によってほぼ独立常態となり、財務省が管理し切れなくなってしまった、という現実があります。この日銀の話は後半のほんの少ししか出てきませんが、現在の長期デフレ不況の大きな原因の一つが、日銀の暴走、そしてその暴走を結果的に保証することになっている日銀の独立にあると書かれています。
これだけでも充分に興味のある内容ではないかと思います。今、デフレがどうだのと言った様々な本が出版されているけれども、大蔵省や財務省の歴史や背景などを読み解くことで現在のデフレを説明するような本というのはなかなかないのではないかと思います。著者自身も、本書を執筆する過程であれこれ調べている中で、自分自身でも知らなかったことが山ほど出てきて、そうであれば一般の国民はまず知るはずがないと思ったと書いています。確かにそうだろうなぁと思います。
でも、本書の面白さは、現在の「増税」という悪手を説明してくれるというだけではありません。
というかそれは、あくまでも本書の目標の一つであって、本書の大きな目標というのは、『大蔵省の歴史から日本の歴史を読み解く』というものです。
これがまあ面白い。僕は、ホントにホントに歴史に関する知識がなくて、歴史ってものを基本的に嫌悪しているんだけど、本書は、大蔵省がその発足時から記録し続けている『正史』である「財政史」や「大蔵省史」などの公にされている公式の記録を丹念に読み解き(「おわりに」の中で、現存する当事者に取材をして執筆するべきだとは分かっているけど、それは私の手に余る、とか枯れていて、つまり本書は基本的に、先に挙げたような大蔵省が残し続けている記録を元にして描かれています)、そこの記述をなるべくそのまま受け入れることで、「常識とされている歴史観」を結果的に覆すことになっている、という点が実に面白いです。もちろん、歴史に関する知識のない僕には、本書で否定されている「常識とされている歴史観」が本当に「常識」なのか判断は出来ないのですけども。とはいえ、お金の流れを元に歴史を読み解くという視点は相当に面白く、なるほど「予算権限」を握るということはこういうことなのか、と実感させられました。
というわけで、以上が長々とした前置きで(笑)、これから内容をざっくりと紹介したいのですけど、まず全体の流れをざっくり説明したその後で、本書の中で僕が凄く面白いと思った部分について触れようと思います。
明治維新というのは要するに、藩毎にお金を集めて使うんじゃ効率が悪いから、国でまとめて集めてそれを諸外国と対抗するのに使おう、というものでした。つまり、お金を集めて、そしてそれを使う部署がいる。というわけで大蔵省が設立されます。内務省というものも設立され、地方自治に関する雑務はその内務省が引き受けることになったので、大蔵省は超優秀な人材だけを集められるようになります。当初大蔵省の官僚は、自分たちは非政治的な存在であると思っていたようです。
当初は、お金を集める「主税局」が主流だったのが、予算を承認する衆議院を押さえた大蔵省は、そこから、税金を使う「主計局」が主流となり、ここで強権を振るったのが、城山三郎の「男子の本懐」の主人公であった井上準之助です。後で書きますが、本書は「男子の本懐」を『世紀の悪書』とします(物語の面白さは認めていますが)。
予算権限を握った大蔵省は最強です。軍部でさえも、陸海軍が共に、相手に予算を取られたくないという思惑から、大蔵省には頭が上がりません。二・二六事件で高橋是清を失った大蔵省は痛手を負いますが、しかしその最強は揺るぎません。
しかしこの時代、世間一般には無名だが、大蔵省としては最も許しがたい人物が蔵相につきます。それが、馬場鍈一です。この馬場が、初めて大蔵省に「増税の遺伝子」を植え付けます。それまで、どれほど苦境に立たされようが、井上準之助も高橋是清も増税だけは口にしなかったものを、馬場を止めることが出来なかった大蔵省は敗北を喫します。結果的にこの馬場の暴走が、歴史学では「軍部の独走」と評される様々な出来事の布石となり、現在に至るまで禍根を残すことになります。
敗戦後の大蔵省は、日本を弱体化させようとする占領軍と闘いますが、その内次第に、内側から日本を弱体化させようという勢力の存在に気づきます。アカ、いわゆるソ連のスパイたちです。大蔵省は彼らとも闘い続けます。
池田勇人がグランドデザインを成功させますが、その後田中角栄が台頭し始め、衆議院を掌握し族議員たちに予算をバラマキまくる田中角栄を大蔵省は抑えることができなくなっていきます。
その後、大蔵省と当時の蔵相だった竹下登が組んで、10年の準備期間を経て田中角栄を打倒しますが、しかし今度は竹下登が田中角栄以上に暗躍し、大蔵省は連戦敗北というような様相を呈していくことになります。
そうした中で、大蔵省は若干の権限を奪われ、名前を財務省に解明させられ、かつては下部機関であった日銀が独立し、と様々な敗北を喫する中で、政治家の介入も抑え切れないし、独立した日銀にも介入できないのだから、もう「増税」以外打つ手がない、というところまで追い込まれてしまうことになりました。経済原則から判断して当然である「お札を刷る」という施策を日銀が一向にしないが故に続いてしまっている長期デフレ不況。財務省は、あらゆる権限を奪われ、連戦敗北という状況の中、国を維持するために仕方なく「増税」を主張している。
というような内容です。
僕の理解が間違っている部分も多々あるかもしれませんが、大雑把に言うとこんな感じの内容です。
僕は歴史の授業が本当に嫌いだったので、授業をほとんど聞かずに内職をしてました。だから、歴史をどんな風に教わったのか覚えていないんですけど、本書のように、『お金の流れやそれに伴う権限』なんかを中心に歴史を語るなんて授業はまずなかっただろうと思います。本書では、『お金』という観点から見た場合、満州事変も盧溝橋事件も小泉首相の大勝利も財務省による「増税」の主張も、全部ちょっと違った風に見えませんか?という視点を提示してくれる作品で、実に面白い。特に、昭和史では「軍部は最強だった」と語られることが多いらしいんですけど、本書を読む限り、陸軍も海軍も結局予算権限を持つ大蔵省には頭が上がらないし、上がらないどころか軍部が大蔵省の官僚に露骨に接待をしたりなんていう描写もあって、これは面白いなと思いました。田中角栄が闇将軍などと言われていたけど、実は竹下登の方がもっと暗躍していたなんて話とか、敗戦後大蔵省は、外務省並に英語が出来るエリート揃いだから、占領軍に対してないことないこと吹きかけて大蔵省という組織維持に走ったなど、面白い話が満載です。後半の方になってくると、人間関係やら利害関係やらが複雑になって、なかなか追うのが難しくなっていっちゃうんですけど、前半は構図や人間関係もシンプルで、凄く面白いなと思いました。
本書で最大に面白いなと思ったのが、先にチラッと挙げた、城山三郎の「男子の本懐」について。
僕は「男子の本懐」を読んでないので、本書に書かれていた内容からざっくり説明すると、高橋是清と意見を異にしていた井上準之助という立場の弱い政治家が、「金解禁」という秘策をどうにか実行するため、強大な抵抗勢力に立向いついにこれを成し遂げるまでを描いた作品、だそうです。
著者は、「男子の本懐」の物語は素晴らしく面白いと書きながらも(「書かれている話が嘘だとわかっていても感動してしまう」と書いています)、大きな三つの誤りがあるために、この作品は「世紀の悪書」だと断言します。
それは確かに、本書で描かれていることを読むと納得できる話で、逆に、どうしてこんな井上準之助の話が、「男子の本懐」のような感動話になったのだろうか、という方が不思議だなという感じがします。三つの誤りについてはここでは書かないので、是非読んでみてください。
他にも触れたい話は山ほどあるんだけど、一つ一つ書いてるとなんか全部紹介する感じになっちゃいそうで、止めておきます。後は、いくつか気になったものを引用しながらあれこれ書いて終わろうと思います。
まず、高橋是清について。本書を読んで僕は、高橋是清という人物にメチャクチャ興味が湧きました。高橋是清という人は、経済的な危難を乗り切る天才だったようです。ある時、大蔵大臣の失言から始まった恐慌を、高橋是清はお札をすることで収束させようとします。この時、「間に合いません」と言い訳する大蔵省や日銀に対して、高橋是清はこう言い切ったそうです。
『だったら裏面は白紙でよい!』
凄いですよね。なかなかこんなこと言えないんじゃないかと思います。裏面が白紙のお札とかって、まだどこかに残ってたりするのかなぁ。凄いレアそうな気がします。
次は、池田勇人。池田勇人についても結構関心があるんだけど、池田勇人についてはこの文章が素晴らしい。
『池田のグランドデザインは、こうして見事に実現しました。有能な人材の英知を結集し、責任者が勇気を持って決断すれば、理想は実現できるという実例です。
平成のエコノミストは「もはや経済成長はできない」などと、あきらめ気分の物言いをしますが、成長は天から降って湧いてくるものではないのです。人間の努力で生み出すものなのです。』
次は、国債についての話。日本の借金がとんでもない金額で、みたいな話がありますが、こんな一文があります。
『大蔵官僚は経済学研修という講座を必ず受講するのですが、もし「日本は国債発行という借金で破産する」などと言う大蔵官僚がいたとしたら、その人はこれまで一体何を学んできたのかという話になります。』
これは、最終的に国債を強制的に日銀に引き受けさせればいい、という話のようで、どうして日銀が引き受ければ全部オッケーになるのか、僕にはよくわかんないんですけど、とにかく赤字国債で国が破産することはない、らしいですよ。
最後に日銀とデフレ不況について。
『デフレ不況の最も単純にして最大の処方箋は「お札を刷ること」です。それは、経済理論では基礎中の基礎dえあり、歴史的事実としても有効性は証明されています。しかし、歴代日銀総裁は頑としてお札を刷ることだけは拒否します。』
詳しいことはわかりませんけど、お札を刷ればデフレは解消されるらしいですよ。お札、刷って欲しいものですねぇ。
というわけで、メチャクチャ面白い新書でした。予想以上の面白さだったなぁ。僕は、経済と歴史と政治についてはホントに無知と言っていいレベルで、基本的な知識さえまったく持ちあわせていません。だから、特に後半、なかなかついていくのが大変だったんだけど、でも全体としては非常に読みやすく、知識のまるでない僕にも楽しめる作品でした。世の中には、デフレがどうの日本の借金がどうのという本が山ほどありますが、本書で描かれていることの真偽はともかく(僕には判断できませんよ、という意味ですが)、大蔵省の歴史から日本の歴史を読み解くことで、何故現在のような状況に陥ってしまったのか、という流れが分かる本書は、実に素晴らしいテキストではないかなという感じがします。是非是非読んでみてください。
倉山満「検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む」
本書は、内容紹介をし始めると実に長くなると思うので、先に読後の感想を書いておきましょう。
メチャクチャ面白かった!
たぶん面白いだろうなぁ、って感じで読み始めたんですけど、読み始める前に思った以上に面白い作品で、これは素晴らしいと思いました。
本書をひと言で説明しようとすればこうなります。
『財務省(旧大蔵省)から見た、明治維新以来の日本の歴史』
これはつまり、こういうことです。
『お金から読む日本の歴史』
本書は、予算権限を持つ大蔵省の動向・大蔵省を操る政治家の動き・実際のお金の流れと言った観点から日本の近現代史を見た場合、「常識的な歴史観」がどんな感じで覆るか、ということを様々な場面で示す作品です。
そして、本書の最終的な目的地はこうです。
『何故財務省は、増税をしようとしているのか』
本書には、元々大蔵省の伝統には、増税というものはなかった、と書かれています。大蔵省は、増税という「悪手」を使うことなく、エリート揃いの智慧と、政治家ともやりあえるほどの度胸などによって、日本の経済を守ってきた存在でした。本書の「おわりに」でも、こんな風に書かれています。
『明治以来、大蔵省ほど、絶大な力を持ちながらも注目されてこなかった組織はないでしょう。しかし現在、財務省は日本の歴史上、最も注目されていると言っても過言ではありません。その注目のされ方は、長期デフレ不況。大震災の最中に増税を強行しようとしている「悪の権化」としてです。
しかし、繰り返しますが、これは財務省だけでなく、国民にとって不幸なことだと思います。大蔵省は明治以来、日本の近代化を支え、間違った時流に抗し、敗戦から高度成長の繁栄へと導いてきた組織です。大蔵官僚こそ、常に黒子として日本に尽くしてきたのです。その様子の一端は、本書で述べた通りです。この歴史を抜きにして、いま行われつつある目の前の現象だけを取り上げても、本質は決して見えてこないでしょう。また、そうであっては未来への解決策も見つからないでしょう。』
本書を読むと、何故今財務省が「増税」を「したくないのにしなければならいのか」が分かります。その二つの理由を端的に書くと、
『政治の再現のない財政拡大圧力を抑制する自信がないこと』
『日銀の独立により金融政策の自由を奪われたこと』
です。
前者については、主に田中角栄や竹下登らによる暗黒時代の記憶があります。大蔵省は、様々な歴史の変転を経て、ある時から最強の官庁として、時には政治家さえも抑えこむほどの権限を持つことになります。しかし、様々なことがあり、田中角栄や竹下登と言った政治家に翻弄される中で、大蔵省や財務省は、政治家の暴走を止めるだけの力を持てなくなってしまいました。本書では、その流れが示されます。
そして後者については、元々大蔵省の一機関でしかなかった日銀が、新しく制定された日銀法によってほぼ独立常態となり、財務省が管理し切れなくなってしまった、という現実があります。この日銀の話は後半のほんの少ししか出てきませんが、現在の長期デフレ不況の大きな原因の一つが、日銀の暴走、そしてその暴走を結果的に保証することになっている日銀の独立にあると書かれています。
これだけでも充分に興味のある内容ではないかと思います。今、デフレがどうだのと言った様々な本が出版されているけれども、大蔵省や財務省の歴史や背景などを読み解くことで現在のデフレを説明するような本というのはなかなかないのではないかと思います。著者自身も、本書を執筆する過程であれこれ調べている中で、自分自身でも知らなかったことが山ほど出てきて、そうであれば一般の国民はまず知るはずがないと思ったと書いています。確かにそうだろうなぁと思います。
でも、本書の面白さは、現在の「増税」という悪手を説明してくれるというだけではありません。
というかそれは、あくまでも本書の目標の一つであって、本書の大きな目標というのは、『大蔵省の歴史から日本の歴史を読み解く』というものです。
これがまあ面白い。僕は、ホントにホントに歴史に関する知識がなくて、歴史ってものを基本的に嫌悪しているんだけど、本書は、大蔵省がその発足時から記録し続けている『正史』である「財政史」や「大蔵省史」などの公にされている公式の記録を丹念に読み解き(「おわりに」の中で、現存する当事者に取材をして執筆するべきだとは分かっているけど、それは私の手に余る、とか枯れていて、つまり本書は基本的に、先に挙げたような大蔵省が残し続けている記録を元にして描かれています)、そこの記述をなるべくそのまま受け入れることで、「常識とされている歴史観」を結果的に覆すことになっている、という点が実に面白いです。もちろん、歴史に関する知識のない僕には、本書で否定されている「常識とされている歴史観」が本当に「常識」なのか判断は出来ないのですけども。とはいえ、お金の流れを元に歴史を読み解くという視点は相当に面白く、なるほど「予算権限」を握るということはこういうことなのか、と実感させられました。
というわけで、以上が長々とした前置きで(笑)、これから内容をざっくりと紹介したいのですけど、まず全体の流れをざっくり説明したその後で、本書の中で僕が凄く面白いと思った部分について触れようと思います。
明治維新というのは要するに、藩毎にお金を集めて使うんじゃ効率が悪いから、国でまとめて集めてそれを諸外国と対抗するのに使おう、というものでした。つまり、お金を集めて、そしてそれを使う部署がいる。というわけで大蔵省が設立されます。内務省というものも設立され、地方自治に関する雑務はその内務省が引き受けることになったので、大蔵省は超優秀な人材だけを集められるようになります。当初大蔵省の官僚は、自分たちは非政治的な存在であると思っていたようです。
当初は、お金を集める「主税局」が主流だったのが、予算を承認する衆議院を押さえた大蔵省は、そこから、税金を使う「主計局」が主流となり、ここで強権を振るったのが、城山三郎の「男子の本懐」の主人公であった井上準之助です。後で書きますが、本書は「男子の本懐」を『世紀の悪書』とします(物語の面白さは認めていますが)。
予算権限を握った大蔵省は最強です。軍部でさえも、陸海軍が共に、相手に予算を取られたくないという思惑から、大蔵省には頭が上がりません。二・二六事件で高橋是清を失った大蔵省は痛手を負いますが、しかしその最強は揺るぎません。
しかしこの時代、世間一般には無名だが、大蔵省としては最も許しがたい人物が蔵相につきます。それが、馬場鍈一です。この馬場が、初めて大蔵省に「増税の遺伝子」を植え付けます。それまで、どれほど苦境に立たされようが、井上準之助も高橋是清も増税だけは口にしなかったものを、馬場を止めることが出来なかった大蔵省は敗北を喫します。結果的にこの馬場の暴走が、歴史学では「軍部の独走」と評される様々な出来事の布石となり、現在に至るまで禍根を残すことになります。
敗戦後の大蔵省は、日本を弱体化させようとする占領軍と闘いますが、その内次第に、内側から日本を弱体化させようという勢力の存在に気づきます。アカ、いわゆるソ連のスパイたちです。大蔵省は彼らとも闘い続けます。
池田勇人がグランドデザインを成功させますが、その後田中角栄が台頭し始め、衆議院を掌握し族議員たちに予算をバラマキまくる田中角栄を大蔵省は抑えることができなくなっていきます。
その後、大蔵省と当時の蔵相だった竹下登が組んで、10年の準備期間を経て田中角栄を打倒しますが、しかし今度は竹下登が田中角栄以上に暗躍し、大蔵省は連戦敗北というような様相を呈していくことになります。
そうした中で、大蔵省は若干の権限を奪われ、名前を財務省に解明させられ、かつては下部機関であった日銀が独立し、と様々な敗北を喫する中で、政治家の介入も抑え切れないし、独立した日銀にも介入できないのだから、もう「増税」以外打つ手がない、というところまで追い込まれてしまうことになりました。経済原則から判断して当然である「お札を刷る」という施策を日銀が一向にしないが故に続いてしまっている長期デフレ不況。財務省は、あらゆる権限を奪われ、連戦敗北という状況の中、国を維持するために仕方なく「増税」を主張している。
というような内容です。
僕の理解が間違っている部分も多々あるかもしれませんが、大雑把に言うとこんな感じの内容です。
僕は歴史の授業が本当に嫌いだったので、授業をほとんど聞かずに内職をしてました。だから、歴史をどんな風に教わったのか覚えていないんですけど、本書のように、『お金の流れやそれに伴う権限』なんかを中心に歴史を語るなんて授業はまずなかっただろうと思います。本書では、『お金』という観点から見た場合、満州事変も盧溝橋事件も小泉首相の大勝利も財務省による「増税」の主張も、全部ちょっと違った風に見えませんか?という視点を提示してくれる作品で、実に面白い。特に、昭和史では「軍部は最強だった」と語られることが多いらしいんですけど、本書を読む限り、陸軍も海軍も結局予算権限を持つ大蔵省には頭が上がらないし、上がらないどころか軍部が大蔵省の官僚に露骨に接待をしたりなんていう描写もあって、これは面白いなと思いました。田中角栄が闇将軍などと言われていたけど、実は竹下登の方がもっと暗躍していたなんて話とか、敗戦後大蔵省は、外務省並に英語が出来るエリート揃いだから、占領軍に対してないことないこと吹きかけて大蔵省という組織維持に走ったなど、面白い話が満載です。後半の方になってくると、人間関係やら利害関係やらが複雑になって、なかなか追うのが難しくなっていっちゃうんですけど、前半は構図や人間関係もシンプルで、凄く面白いなと思いました。
本書で最大に面白いなと思ったのが、先にチラッと挙げた、城山三郎の「男子の本懐」について。
僕は「男子の本懐」を読んでないので、本書に書かれていた内容からざっくり説明すると、高橋是清と意見を異にしていた井上準之助という立場の弱い政治家が、「金解禁」という秘策をどうにか実行するため、強大な抵抗勢力に立向いついにこれを成し遂げるまでを描いた作品、だそうです。
著者は、「男子の本懐」の物語は素晴らしく面白いと書きながらも(「書かれている話が嘘だとわかっていても感動してしまう」と書いています)、大きな三つの誤りがあるために、この作品は「世紀の悪書」だと断言します。
それは確かに、本書で描かれていることを読むと納得できる話で、逆に、どうしてこんな井上準之助の話が、「男子の本懐」のような感動話になったのだろうか、という方が不思議だなという感じがします。三つの誤りについてはここでは書かないので、是非読んでみてください。
他にも触れたい話は山ほどあるんだけど、一つ一つ書いてるとなんか全部紹介する感じになっちゃいそうで、止めておきます。後は、いくつか気になったものを引用しながらあれこれ書いて終わろうと思います。
まず、高橋是清について。本書を読んで僕は、高橋是清という人物にメチャクチャ興味が湧きました。高橋是清という人は、経済的な危難を乗り切る天才だったようです。ある時、大蔵大臣の失言から始まった恐慌を、高橋是清はお札をすることで収束させようとします。この時、「間に合いません」と言い訳する大蔵省や日銀に対して、高橋是清はこう言い切ったそうです。
『だったら裏面は白紙でよい!』
凄いですよね。なかなかこんなこと言えないんじゃないかと思います。裏面が白紙のお札とかって、まだどこかに残ってたりするのかなぁ。凄いレアそうな気がします。
次は、池田勇人。池田勇人についても結構関心があるんだけど、池田勇人についてはこの文章が素晴らしい。
『池田のグランドデザインは、こうして見事に実現しました。有能な人材の英知を結集し、責任者が勇気を持って決断すれば、理想は実現できるという実例です。
平成のエコノミストは「もはや経済成長はできない」などと、あきらめ気分の物言いをしますが、成長は天から降って湧いてくるものではないのです。人間の努力で生み出すものなのです。』
次は、国債についての話。日本の借金がとんでもない金額で、みたいな話がありますが、こんな一文があります。
『大蔵官僚は経済学研修という講座を必ず受講するのですが、もし「日本は国債発行という借金で破産する」などと言う大蔵官僚がいたとしたら、その人はこれまで一体何を学んできたのかという話になります。』
これは、最終的に国債を強制的に日銀に引き受けさせればいい、という話のようで、どうして日銀が引き受ければ全部オッケーになるのか、僕にはよくわかんないんですけど、とにかく赤字国債で国が破産することはない、らしいですよ。
最後に日銀とデフレ不況について。
『デフレ不況の最も単純にして最大の処方箋は「お札を刷ること」です。それは、経済理論では基礎中の基礎dえあり、歴史的事実としても有効性は証明されています。しかし、歴代日銀総裁は頑としてお札を刷ることだけは拒否します。』
詳しいことはわかりませんけど、お札を刷ればデフレは解消されるらしいですよ。お札、刷って欲しいものですねぇ。
というわけで、メチャクチャ面白い新書でした。予想以上の面白さだったなぁ。僕は、経済と歴史と政治についてはホントに無知と言っていいレベルで、基本的な知識さえまったく持ちあわせていません。だから、特に後半、なかなかついていくのが大変だったんだけど、でも全体としては非常に読みやすく、知識のまるでない僕にも楽しめる作品でした。世の中には、デフレがどうの日本の借金がどうのという本が山ほどありますが、本書で描かれていることの真偽はともかく(僕には判断できませんよ、という意味ですが)、大蔵省の歴史から日本の歴史を読み解くことで、何故現在のような状況に陥ってしまったのか、という流れが分かる本書は、実に素晴らしいテキストではないかなという感じがします。是非是非読んでみてください。
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