こうして世界は誤解する ジャーナリズムの現場で私が考えたこと(ヨリス・ライエンダイク)
内容に入ろうと思います。
本書は、オランダの新聞の特派員としてアラブ諸国に駐在し、後に『ジュナリスト』誌のジャーナリストオブザイヤーに選ばれた著者による、報道するとはどういうことかやアラブ諸国の現実などについて書き綴った作品です。
本書は、報道についての本でもあるし、アラブ諸国についての本でもある。でも、一般的なジャーナリストの手になる本とはなんか少し違う。普通は、著者自身が見たものを描く。しかし本書は、ただそれだけではない。普通僕たちはものを見る時に、何らかの視点に立って見る。それを、『眼鏡を掛ける』と表現してみよう。僕たちは、あらゆる物事を、自分なりの眼鏡を掛けて見る。本書は、著者が書けている眼鏡を疑うところから始まる。そうして、自分が書いている記事が誰かにどんな眼鏡を掛けさせていることになるのかを自覚し、自分が見た本当の現実はその眼鏡を掛けたままでは見ることは出来ない、という思いから執筆されている、そんな風に感じました。
冒頭で著者はこんな風に書く。
『が、そうはならなかった。テクノロジーが革命を経験したからだ。アラブ世界もまた革命を経験した。本質的には何も変わらなかったのは伝道者、つまり主要メディアだけだった。』
『今までのところ、自社の用語選択の理由をウェブサイトなどで説明している組織は、大手メディアの中にはひとつもない。(中略)同様に、ある問題をなぜ報道するのか、いかに報道するのかといった選択についての説明もまったくない。メディアは、ほとんど無意識の領域といってもいいほど根深いところに、独裁者的な、あるいは少なくとも家父長制的な要素を抱え込んでしまっている。』
『個々のジャーナリストが自分の選択について読者や視聴者とオープンに対話することは、”絵”から抜け落ちてしまう事柄を伝える強力な手段になりうるのではないか。私はずっとそう思っている。』
著者は大学でジャーナリズムについて学んだわけではありません。政治学とアラビア語を学んでいた著者は、恐らくアラビア語が出来るというだけの理由で新聞社から声が掛かり、アラブ諸国の特派員となることになりました。
ジャーナリズムについて学んでこなかった著者にとって、報道の仕事はまるでわからないままのスタートだった。著者は、実際に現地で取材を進める過程で、少しずつ報道の現実というものを学んでいく。
それは、著者がそれまで抱いていたイメージを根こそぎひっくり返すものだった。
アラブ諸国を取材し始めた著者は、こんなことを思う。
『現地に行くまえの私には、中東について明らかに先入観があった。大半はメディアから仕入れたものだ。ひとたび現地に到着すると、その先入観が現実に取って代わられた。そして、その現実はメディアがつくった絵よりはるかに一貫性がなく、はるかにわかりづらかった。』
『特派員だった私は、あるひとつの状況についていくつかの話をすることができた。しかし、メディアはひとつを選ぶしかなく、その際に選ばれるのはたいてい広く行き渡ったイメージを補強する話だった。』
現地で取材を続ける中で著者が理解したことは、「特派員はその場にいることが重要である」ということだった。
僕もそうだったけど、例えばアラブ諸国に関するニュースなどは、現地の特派員が足で動いて情報を得て、それを伝えているものだ、と思っていた。著者ももちろんそう思っていた。
しかし、現実は違っていた。
世界のいくつかの通信社が、世界中あらゆるところに人員を配置している。彼らが世界の目や耳となっている。そして、ほとんどの新聞・テレビ・雑誌は、その通信社から送られてくる情報をただ選ぶだけ、なのだ。そしてそれは、現地にいなくても、オランダの新聞社のデスクにいても出来ることだ。
では現地にいる特派員は一体何をするのか?
それは、「この情報は現地から届いたものですよ」ということをアピールするためのものなのだ。新聞の記事なら「日付記入線(デートライン)」というものがある。これは、記事が発信された場所を記載するところだ。オランダから送られてきた通信社からの情報を元に、アンマンで著者が記事を書く。するとデートラインは「アンマン」と記載されるのだ。テレビであれば、同じくオランダから送られてきた情報を元に書き起こした記事をカメラの前で喋る。現地で取材した情報ですよ、という風を装って。
『それまでは、特派員というのは歴史的瞬間の目撃者だと思っていた。何か重要な出来事が起こったときにはそれを追いかけ、なりゆきを調査し、報道するものだと思っていた。が、私は事件を調べにいったりはしなかった。それはもうずっとまえになされていた。私は現地リポートをするために向かうだけだった。』
『私は以前、国際部というのは見識ある人員が世界を見渡し、真剣な熱慮の末、どれをニュースとして流すか決める場所だと思っていた。(中略)しかし、世界中を見渡しているわけではなかった。彼らが見ているのは通信社で、そこから上司―業界用語で言うなら国際部長―が選択をする。』
現地での取材・報道を繰り返すことで、そういう仕組みでなければ回っていかない、ということも理解していった。しかしそれと同時に、これでいいはずがない、という思いも膨らんでいく。
『私の記事ではアラブ世界でのポジティブな体験は隠されていまっていた。それだけでなく、ご多分に洩れず、アラブは異質で悪質で危険であるというイメージを広めてしまっていた。ニュースというもののありようと考えると、旗を燃やしスローガンを唱える”怒れる人々”について書くことはできても、カメラの外で何が起こっているかを読者に伝える余地はなかった。』
『私は常々、”ニュース”というのは世界の最も重要な出来事を集めたものだと思っていた。けれども特派員として半年を過ごして、現実が分かった。ニュースとは、非日常を―規則の中の例外を―扱うだけのものだ。アラブのようにあまりよく知られていない世界ではこれが曲解を生む。』
『私はハゼム(人名です)を見て思った。”私はエジプトで実際に起こっていることだけを書くべきなのだろうか、それとも、ここの人々が実際に起こっていると「思っている」ことも書くべきなのだろうか?”』
こうしてジャーナリズムというものについて深く考えさせられた著者であったが、それと同時に、ジャーナリズムと独裁政治の関係についても考えさせられた。
著者は、独裁政治というものは見聞きして知っていた。しかしそれはやはり知識だけであり、独裁政治というものを体感すると、アラブ諸国でのジャーナリズムの難しさがより一層理解することが出来た。
『特派員としてカイロに到着したとき、ジャーナリズムの実践とはひと揃いの道具のようなもので、世界中どこに行っても荷解きして使えると私は思っていた。しかし、独裁政治と民主主義は、型ちがいの二台の車、というわけにはいかなかった。』
独裁政治というのは、その中にいて経験しないと、どういう状況なのかまるで理解出来ない。例えば著者は、オランダから、ある急ぎのメールに返信がなかった、と言ってなじられたことがある。そこで著者は、「その時私がイラクにいたことは知ってましたよね?」という。しかし、これだけではやはり話は通じない。独裁政治下においては、他国にメールを送ることさえままならないのだ。
ジャーナリズムの現実を少しずつしった著者は、少しずつ自分の視点で自分が伝えたいと思う記事を書こうと思うようになる。しかし、それは不可能なのだ。ある国では、ジャーナリスト一人につき一人の秘密警察がつく。その秘密警察の監視下でなければ、取材どころか何かの行動ひとつ行えない。また、独裁政治下では、周囲に密告者がはびこっているので、市民は自分の思っていることを口に出すことは出来ない。何かの取材をしても、それが相手の本心である可能性は実に低いのである。
『昨日、警察に呼び止められてね、と言う実業家もいた。(中略)「Uターンしようとしているうちに」とその実業家は言った。「四歳の娘がもう警官に千リラ紙幣を差し出していたよ。何もかもが賄賂で動くことになれきってるんだね」』
『「アラブ人ならきっとこう言うでしょうね」イラクを出たところで、ヨルダン人の運転手が言った。「ハミハ・ハラミハ―あなたを守る者があなたから奪う」』
『後年、バグダット陥落後、あるイラク人女性がBBCに語ったところによれば、フセイン政権下での彼女の暮らしは「アタマの中に誰かがいて、何かを言おうとするたびに危険がないかどうかチェックしている感じ」だったそうだ。』
『おれはね、もし捕まった場合におれのかわりに刑務所に行ってくれる男も特別に雇ってるんだ。エジプトでも賄賂なしで運営してるなんていうヨーロッパの会社があったら、そいつらは嘘つきだね。賄賂を払わなければ、とっくの昔に破産しているよ』
『デモというのは自分が賛成する、あるいは反対するものについて表現するために市民が自由におこなうものと普通は思うだろう。しかし、独裁政権下ではこうした”怒りの爆発”は当局によって仕組まれている、もしくは少なくとも厳重に管理されていることが多い。デモ参加者の多くが秘密警察で働いているか、少なくとも密に監視されている。』
著者は、一般の人のイメージに合う記事ばかり書くことに疑問を持ち、もっと個人を、生活を伝えようという取材を精力的にしたから、こういう話はいくらもある。そういう中で著者は、やがてこういう事実に気づくことになる。アラブ諸国でジャーナリストとして取材を続ける以前には、いや取材を始めた当初もまったく理解していなかった事柄だ。
『今このカイロの会議場で、中東に関する最も重要な要素がニュースから抜け落ちていることに気づかされた。良質なジャーナリズムにとって独裁政治は、たとえば常日頃の旅行代理店の腹立たしい無能さなどと同じレベルの障害ではない。アラブ世界では、独裁政治それ自体が報道すべき最も重要な事柄なのだ。』
多くのメディアは、『独裁政治下で何が起きているのか』を報道する。しかしそれは、小さな檻に閉じ込められたホッキョクグマの生態を記録しているようなものだ。小さな檻に閉じ込められたホッキョクグマは、野生にいる時とはまるで違った生活をするだろう。ここで重要なのは、その小さな檻という環境がホッキョクグマにどういう影響を及ぼしているか、だ。つまり、独裁政治そのものがもっとも伝えられるべきことなのだ。
しかし、主流のメディアではそういう報道がなされない。その檻が映らないようにしてホッキョクグマの生態を描く。すると、ホッキョクグマというのはこんない凶暴で、始終イライラし、人間が近寄ると恐ろしいことになる、という部分だけが伝わる。しかしそれは、小さな檻に入っているからだ。その事実をすっぽりがすっぽりと抜け落ちたまま、ホッキョクグマの生態を伝えても、何も伝わったことにならない。著者はそのことに気づかされることになる。
『典型的な事例であるかどうかも、事実であるかどうかすらわからない個人的な印象や逸話で、ラジオのニュース番組や新聞紙面を埋めるわけにはいかない。だからこそ、私よりアラビア語が達者で経験もコネも豊富な同業者さえ、通信社から流れてくるニュースに固執するのである。だからこそ、最も容赦のない独裁者さえ通信社を国外追放することはしなかった。その必要がなかったからだ。通信社はすでに自分で自分にさるぐつわをかませていたのだから。』
『わたしはラジオで叫びたかった。新聞に大文字で書きたかった。「私にはわからない。質ことができないのだ。独裁政権下なのだから」と。』
『何を見せられて「いない」かは知りようがない。』
著者は、イスラエルとパレスチナの取材もする。そこで知った現実は、イスラエルの広報能力の高さと、パレスチナの広報能力の低さだった。
『メディア戦争はマーケティングだ。対象となるグループにどれだけ頻繁にメッセージを届けられるか。それがメッセージの内容そのものと同じくらい重要なのだ。』
イスラエルは、自らを弱者に仕立てあげるのがうまい。あらゆるカードを使い、あらゆる金を使い、欧米諸国に自国のイメージを伝えている。それが悪いことだ、と書いてあるわけではない。良い悪いを判断できる話ではないのだ。そうではなく、報道に接する際、イスラエル側の報道については、かなりイスラエル側の主張をそのまま報道せざるを得ない現実があるのだ、ということをきちんと知っておかなくてはいけない。
また著者は、イスラエルでの占領の現実を知る。なんと著者は、イスラエルに移住して、そこから取材活動をするのだ。そうした中で著者は、占領という事実がメディアに乗らない理由を知る。
『占領された国々では、アラブの独裁政権下にあるのと同じ力が作用していたからだ。ニュースにする価値のある進展がないのだ。つまり、占領下の日常については、特派員はせいぜい背景記事に書くしかない。ニュースの流れはつねに事件によって形づくられる。言い換えれば、占領自体はニュースにならないが、新しくなされた攻撃はそのつどニュースになる。』
『何か日常から逸れた出来事があり、検証可能な情報が手に入れば、それはニュースになる。しかし、ニュースでありつづけるためには問題に足がなければならない。問題そのものが動き続けていなければならない。』
というわけで、僕の方の事情で、ここまで(P210)までしか読めてないのに感想を書いた。あと残り70ページに何が書いてあるかは、まだ分からない。分からないけど、それまでの部分と同様、僕らの目を開いてくれるような事実が多く書かれていることだろう。
今回は、かなり引用を中心に感想をまとめた。その方がいい、と判断したのだ。この作品は、是非とも読んで欲しい。本書は確かに、アラブ諸国での取材の話だ。けれども、日本にいてテレビや新聞に接する際にも、本書で警告されているのと同じ事柄が当てはまるはずだ。報道というものがどんな病理を抱えているのか、ニュースとして伝えるということが一体どういうことなのか。そういうことをきちんと捉えた上で、様々な情報に接しなくてはいけないのではないか、と考えさせられました。素晴らしい作品だと思います。是非とも読んでみてください。
1月6日深夜追記
この感想を書いた時点では未読だった部分でよかった文章を引用します。
『第二次インティファーダの最初の三年で、イスラエルの暴力によって死亡したパレスチナの民間人の数は、その反対のケースの三倍にのぼった。それでも、話題になるのは”血なまぐさい攻撃”であって、”血なまぐさい占領”と言われることはほとんどなかった。パレスチナの攻撃によってイスラエル人の犠牲者が六人出れば、中東では”緊張が高まって”いることになった。一方、イスラエルの暴力によってパレスチナ人市民が十五人死亡した週は、”比較的平穏な時期”としてほとんど無視された。パレスチナ自治政府は頻繁に”テロが怒らないような対策を十分にしているかどうか”の説明を強いられたが、イスラエルの政治家たちが”占領をしなくてすむような対策を充分にしているかどうか”の説明を強いられたことなど一度もなかった。BBCのウェブサイトでは”いかにテロをやめさせるか”が議論された。しかし”いかに占領をやめさせるか”についてのフォーラムはなかった。』
『預言されたがゆえに恐怖が実現されてしまうことがある。が、希望や信頼も同じだ。ニュースが恐怖を煽る光景を流すのをやめ、希望や自身を鼓舞する物事を好意的に取り上げたら何が起こるだろう?』
『独裁政治も戦争なのだ、と私は言いたい。政権当局が自国民に対して仕掛ける戦争なのだ、と。』
『ちなみに<ソニー>はまだ戦闘が終わらないうちから「Shock and Awe(衝撃と畏怖)」を新しいゲームのための商標として登録した。』
『幼児が最初に発することばもパパやママではなく、”爆弾””殉教者””飛行機”になった。』
『戦争による損害に保険金は支払われない。(中略)だからもし階段から落ちたり、何かほかの自己にあったりしても、警戒解除の合図が出るまでは待たなければならない。』
『それがニュースにとってのもうひとつの本質的なフィルターだった―視聴者だ。』
『私がエジプトでアラビア語の勉強をしていた1996年には、インターネットも電子メールもなく、取り立てて言うほどの衛星放送もなく、携帯電話もなかったが、それがたった17年前のことだとは信じがたい思いがする。二度と戻れない別世界であり、子供たちの世代に説明するのは難しい。』
『カメラ付き携帯電話の出現は恒久的な変化を報道界にももたらすことになった。』
『イランのデモの報道からわかるのは、情報の供給が自由化されたからといって問題がすべて解決されるわけではないということだ。さらに理知的かつ多面的に情報を利用することが要求されるということだ。
これは誰がどう考えても西欧の特派員にとっては不可能である。西欧のメディアが支持する思想を全力で叩き潰そうとする政権について報道する際、いったいどうしたら中立を保てる?』
『すべてのメッセージはメディアによって報道された瞬間に歪められる、というメッセージを込めて本を書いたら何が起こったか?そのメッセージもまた歪められてしまったのである。』
『同業者たちとも面白いやりとりや対決があった。同業者はたいていこう言う。オーケー、きみの本の内容を一分で説明してくれ。私はこう答える。あるひとつの状況を一文で説明するのは不可能である、ということを書いた本だよ。』
『本書は、個々のジャーナリストがコントロールできる範囲を超えたところにある要因―それでいて報道の内容や方法に影響を与える要因―について書いたものである。』
『ニュースを報道するメディアには視聴者に対し、自分たちが追っているのはあくまで”ニュース”であるという注意を促す必要がある。(中略)それでも、ジャーナリストには、あなたが眼にしているものは”例外”であって”通常のこと”ではありませんよと確実に視聴者に知らせる責任がある。』
『私たちの知っている形でジャーナリズムが存在しうる独裁国家は、もはや独裁国家ではないのである。』
『印刷に値するものを記事にするという従来のジャーナリズムの手法は、それが培われてきた政治システム―つまり、民主主義―にしか適さないという事実をひとたび受け入れることができれば、従来にない報道の余地が生まれるはずだ。』
『ジャーナリストは記事を書く際、ニュースとは世界を描写するものであると同時に世界に影響を与えるものであるという事実を織り込んだほうがいい。とりわけPR会社や省庁の通信部などがなんの縛りもなく活動している現状にはなんとか手を打たなければならない。彼らがそうやって活動をしていられるのは、主要メディアが彼らの存在に気づかないふりをしつづけているからだ。』
『ニュース・メディアは、問題ひとつに対し多数の見解があることを受け手に率直に打ち明けたほうがいい。コンセンサスなど存在しないということが唯一のコンセンサスであると、読者や視聴者にしっかり認識してもらう必要がある。』
『情報の選択について市民が投票にも似た決定を下す際に、”何を聞く必要があるか”ではなく”何を聞きたいか”を基準にするなら、民主主義はどうやったら生き延びられる?非常に難しい問題である。ほしいと思う食べ物だけを与えられれば、人は肥満する。聞きたいと思うニュースだけを与えられれば、人は無知に、そして独善的になる。』
『だから、私もまた読者を操作しているのだということを、どうか心に留めておいていただきたい。避けられないことではあるのだが、私としては正直に言っておく必要があるだろう。』
『』
ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する ジャーナリズムの現場で私が考えたこと」
本書は、オランダの新聞の特派員としてアラブ諸国に駐在し、後に『ジュナリスト』誌のジャーナリストオブザイヤーに選ばれた著者による、報道するとはどういうことかやアラブ諸国の現実などについて書き綴った作品です。
本書は、報道についての本でもあるし、アラブ諸国についての本でもある。でも、一般的なジャーナリストの手になる本とはなんか少し違う。普通は、著者自身が見たものを描く。しかし本書は、ただそれだけではない。普通僕たちはものを見る時に、何らかの視点に立って見る。それを、『眼鏡を掛ける』と表現してみよう。僕たちは、あらゆる物事を、自分なりの眼鏡を掛けて見る。本書は、著者が書けている眼鏡を疑うところから始まる。そうして、自分が書いている記事が誰かにどんな眼鏡を掛けさせていることになるのかを自覚し、自分が見た本当の現実はその眼鏡を掛けたままでは見ることは出来ない、という思いから執筆されている、そんな風に感じました。
冒頭で著者はこんな風に書く。
『が、そうはならなかった。テクノロジーが革命を経験したからだ。アラブ世界もまた革命を経験した。本質的には何も変わらなかったのは伝道者、つまり主要メディアだけだった。』
『今までのところ、自社の用語選択の理由をウェブサイトなどで説明している組織は、大手メディアの中にはひとつもない。(中略)同様に、ある問題をなぜ報道するのか、いかに報道するのかといった選択についての説明もまったくない。メディアは、ほとんど無意識の領域といってもいいほど根深いところに、独裁者的な、あるいは少なくとも家父長制的な要素を抱え込んでしまっている。』
『個々のジャーナリストが自分の選択について読者や視聴者とオープンに対話することは、”絵”から抜け落ちてしまう事柄を伝える強力な手段になりうるのではないか。私はずっとそう思っている。』
著者は大学でジャーナリズムについて学んだわけではありません。政治学とアラビア語を学んでいた著者は、恐らくアラビア語が出来るというだけの理由で新聞社から声が掛かり、アラブ諸国の特派員となることになりました。
ジャーナリズムについて学んでこなかった著者にとって、報道の仕事はまるでわからないままのスタートだった。著者は、実際に現地で取材を進める過程で、少しずつ報道の現実というものを学んでいく。
それは、著者がそれまで抱いていたイメージを根こそぎひっくり返すものだった。
アラブ諸国を取材し始めた著者は、こんなことを思う。
『現地に行くまえの私には、中東について明らかに先入観があった。大半はメディアから仕入れたものだ。ひとたび現地に到着すると、その先入観が現実に取って代わられた。そして、その現実はメディアがつくった絵よりはるかに一貫性がなく、はるかにわかりづらかった。』
『特派員だった私は、あるひとつの状況についていくつかの話をすることができた。しかし、メディアはひとつを選ぶしかなく、その際に選ばれるのはたいてい広く行き渡ったイメージを補強する話だった。』
現地で取材を続ける中で著者が理解したことは、「特派員はその場にいることが重要である」ということだった。
僕もそうだったけど、例えばアラブ諸国に関するニュースなどは、現地の特派員が足で動いて情報を得て、それを伝えているものだ、と思っていた。著者ももちろんそう思っていた。
しかし、現実は違っていた。
世界のいくつかの通信社が、世界中あらゆるところに人員を配置している。彼らが世界の目や耳となっている。そして、ほとんどの新聞・テレビ・雑誌は、その通信社から送られてくる情報をただ選ぶだけ、なのだ。そしてそれは、現地にいなくても、オランダの新聞社のデスクにいても出来ることだ。
では現地にいる特派員は一体何をするのか?
それは、「この情報は現地から届いたものですよ」ということをアピールするためのものなのだ。新聞の記事なら「日付記入線(デートライン)」というものがある。これは、記事が発信された場所を記載するところだ。オランダから送られてきた通信社からの情報を元に、アンマンで著者が記事を書く。するとデートラインは「アンマン」と記載されるのだ。テレビであれば、同じくオランダから送られてきた情報を元に書き起こした記事をカメラの前で喋る。現地で取材した情報ですよ、という風を装って。
『それまでは、特派員というのは歴史的瞬間の目撃者だと思っていた。何か重要な出来事が起こったときにはそれを追いかけ、なりゆきを調査し、報道するものだと思っていた。が、私は事件を調べにいったりはしなかった。それはもうずっとまえになされていた。私は現地リポートをするために向かうだけだった。』
『私は以前、国際部というのは見識ある人員が世界を見渡し、真剣な熱慮の末、どれをニュースとして流すか決める場所だと思っていた。(中略)しかし、世界中を見渡しているわけではなかった。彼らが見ているのは通信社で、そこから上司―業界用語で言うなら国際部長―が選択をする。』
現地での取材・報道を繰り返すことで、そういう仕組みでなければ回っていかない、ということも理解していった。しかしそれと同時に、これでいいはずがない、という思いも膨らんでいく。
『私の記事ではアラブ世界でのポジティブな体験は隠されていまっていた。それだけでなく、ご多分に洩れず、アラブは異質で悪質で危険であるというイメージを広めてしまっていた。ニュースというもののありようと考えると、旗を燃やしスローガンを唱える”怒れる人々”について書くことはできても、カメラの外で何が起こっているかを読者に伝える余地はなかった。』
『私は常々、”ニュース”というのは世界の最も重要な出来事を集めたものだと思っていた。けれども特派員として半年を過ごして、現実が分かった。ニュースとは、非日常を―規則の中の例外を―扱うだけのものだ。アラブのようにあまりよく知られていない世界ではこれが曲解を生む。』
『私はハゼム(人名です)を見て思った。”私はエジプトで実際に起こっていることだけを書くべきなのだろうか、それとも、ここの人々が実際に起こっていると「思っている」ことも書くべきなのだろうか?”』
こうしてジャーナリズムというものについて深く考えさせられた著者であったが、それと同時に、ジャーナリズムと独裁政治の関係についても考えさせられた。
著者は、独裁政治というものは見聞きして知っていた。しかしそれはやはり知識だけであり、独裁政治というものを体感すると、アラブ諸国でのジャーナリズムの難しさがより一層理解することが出来た。
『特派員としてカイロに到着したとき、ジャーナリズムの実践とはひと揃いの道具のようなもので、世界中どこに行っても荷解きして使えると私は思っていた。しかし、独裁政治と民主主義は、型ちがいの二台の車、というわけにはいかなかった。』
独裁政治というのは、その中にいて経験しないと、どういう状況なのかまるで理解出来ない。例えば著者は、オランダから、ある急ぎのメールに返信がなかった、と言ってなじられたことがある。そこで著者は、「その時私がイラクにいたことは知ってましたよね?」という。しかし、これだけではやはり話は通じない。独裁政治下においては、他国にメールを送ることさえままならないのだ。
ジャーナリズムの現実を少しずつしった著者は、少しずつ自分の視点で自分が伝えたいと思う記事を書こうと思うようになる。しかし、それは不可能なのだ。ある国では、ジャーナリスト一人につき一人の秘密警察がつく。その秘密警察の監視下でなければ、取材どころか何かの行動ひとつ行えない。また、独裁政治下では、周囲に密告者がはびこっているので、市民は自分の思っていることを口に出すことは出来ない。何かの取材をしても、それが相手の本心である可能性は実に低いのである。
『昨日、警察に呼び止められてね、と言う実業家もいた。(中略)「Uターンしようとしているうちに」とその実業家は言った。「四歳の娘がもう警官に千リラ紙幣を差し出していたよ。何もかもが賄賂で動くことになれきってるんだね」』
『「アラブ人ならきっとこう言うでしょうね」イラクを出たところで、ヨルダン人の運転手が言った。「ハミハ・ハラミハ―あなたを守る者があなたから奪う」』
『後年、バグダット陥落後、あるイラク人女性がBBCに語ったところによれば、フセイン政権下での彼女の暮らしは「アタマの中に誰かがいて、何かを言おうとするたびに危険がないかどうかチェックしている感じ」だったそうだ。』
『おれはね、もし捕まった場合におれのかわりに刑務所に行ってくれる男も特別に雇ってるんだ。エジプトでも賄賂なしで運営してるなんていうヨーロッパの会社があったら、そいつらは嘘つきだね。賄賂を払わなければ、とっくの昔に破産しているよ』
『デモというのは自分が賛成する、あるいは反対するものについて表現するために市民が自由におこなうものと普通は思うだろう。しかし、独裁政権下ではこうした”怒りの爆発”は当局によって仕組まれている、もしくは少なくとも厳重に管理されていることが多い。デモ参加者の多くが秘密警察で働いているか、少なくとも密に監視されている。』
著者は、一般の人のイメージに合う記事ばかり書くことに疑問を持ち、もっと個人を、生活を伝えようという取材を精力的にしたから、こういう話はいくらもある。そういう中で著者は、やがてこういう事実に気づくことになる。アラブ諸国でジャーナリストとして取材を続ける以前には、いや取材を始めた当初もまったく理解していなかった事柄だ。
『今このカイロの会議場で、中東に関する最も重要な要素がニュースから抜け落ちていることに気づかされた。良質なジャーナリズムにとって独裁政治は、たとえば常日頃の旅行代理店の腹立たしい無能さなどと同じレベルの障害ではない。アラブ世界では、独裁政治それ自体が報道すべき最も重要な事柄なのだ。』
多くのメディアは、『独裁政治下で何が起きているのか』を報道する。しかしそれは、小さな檻に閉じ込められたホッキョクグマの生態を記録しているようなものだ。小さな檻に閉じ込められたホッキョクグマは、野生にいる時とはまるで違った生活をするだろう。ここで重要なのは、その小さな檻という環境がホッキョクグマにどういう影響を及ぼしているか、だ。つまり、独裁政治そのものがもっとも伝えられるべきことなのだ。
しかし、主流のメディアではそういう報道がなされない。その檻が映らないようにしてホッキョクグマの生態を描く。すると、ホッキョクグマというのはこんない凶暴で、始終イライラし、人間が近寄ると恐ろしいことになる、という部分だけが伝わる。しかしそれは、小さな檻に入っているからだ。その事実をすっぽりがすっぽりと抜け落ちたまま、ホッキョクグマの生態を伝えても、何も伝わったことにならない。著者はそのことに気づかされることになる。
『典型的な事例であるかどうかも、事実であるかどうかすらわからない個人的な印象や逸話で、ラジオのニュース番組や新聞紙面を埋めるわけにはいかない。だからこそ、私よりアラビア語が達者で経験もコネも豊富な同業者さえ、通信社から流れてくるニュースに固執するのである。だからこそ、最も容赦のない独裁者さえ通信社を国外追放することはしなかった。その必要がなかったからだ。通信社はすでに自分で自分にさるぐつわをかませていたのだから。』
『わたしはラジオで叫びたかった。新聞に大文字で書きたかった。「私にはわからない。質ことができないのだ。独裁政権下なのだから」と。』
『何を見せられて「いない」かは知りようがない。』
著者は、イスラエルとパレスチナの取材もする。そこで知った現実は、イスラエルの広報能力の高さと、パレスチナの広報能力の低さだった。
『メディア戦争はマーケティングだ。対象となるグループにどれだけ頻繁にメッセージを届けられるか。それがメッセージの内容そのものと同じくらい重要なのだ。』
イスラエルは、自らを弱者に仕立てあげるのがうまい。あらゆるカードを使い、あらゆる金を使い、欧米諸国に自国のイメージを伝えている。それが悪いことだ、と書いてあるわけではない。良い悪いを判断できる話ではないのだ。そうではなく、報道に接する際、イスラエル側の報道については、かなりイスラエル側の主張をそのまま報道せざるを得ない現実があるのだ、ということをきちんと知っておかなくてはいけない。
また著者は、イスラエルでの占領の現実を知る。なんと著者は、イスラエルに移住して、そこから取材活動をするのだ。そうした中で著者は、占領という事実がメディアに乗らない理由を知る。
『占領された国々では、アラブの独裁政権下にあるのと同じ力が作用していたからだ。ニュースにする価値のある進展がないのだ。つまり、占領下の日常については、特派員はせいぜい背景記事に書くしかない。ニュースの流れはつねに事件によって形づくられる。言い換えれば、占領自体はニュースにならないが、新しくなされた攻撃はそのつどニュースになる。』
『何か日常から逸れた出来事があり、検証可能な情報が手に入れば、それはニュースになる。しかし、ニュースでありつづけるためには問題に足がなければならない。問題そのものが動き続けていなければならない。』
というわけで、僕の方の事情で、ここまで(P210)までしか読めてないのに感想を書いた。あと残り70ページに何が書いてあるかは、まだ分からない。分からないけど、それまでの部分と同様、僕らの目を開いてくれるような事実が多く書かれていることだろう。
今回は、かなり引用を中心に感想をまとめた。その方がいい、と判断したのだ。この作品は、是非とも読んで欲しい。本書は確かに、アラブ諸国での取材の話だ。けれども、日本にいてテレビや新聞に接する際にも、本書で警告されているのと同じ事柄が当てはまるはずだ。報道というものがどんな病理を抱えているのか、ニュースとして伝えるということが一体どういうことなのか。そういうことをきちんと捉えた上で、様々な情報に接しなくてはいけないのではないか、と考えさせられました。素晴らしい作品だと思います。是非とも読んでみてください。
1月6日深夜追記
この感想を書いた時点では未読だった部分でよかった文章を引用します。
『第二次インティファーダの最初の三年で、イスラエルの暴力によって死亡したパレスチナの民間人の数は、その反対のケースの三倍にのぼった。それでも、話題になるのは”血なまぐさい攻撃”であって、”血なまぐさい占領”と言われることはほとんどなかった。パレスチナの攻撃によってイスラエル人の犠牲者が六人出れば、中東では”緊張が高まって”いることになった。一方、イスラエルの暴力によってパレスチナ人市民が十五人死亡した週は、”比較的平穏な時期”としてほとんど無視された。パレスチナ自治政府は頻繁に”テロが怒らないような対策を十分にしているかどうか”の説明を強いられたが、イスラエルの政治家たちが”占領をしなくてすむような対策を充分にしているかどうか”の説明を強いられたことなど一度もなかった。BBCのウェブサイトでは”いかにテロをやめさせるか”が議論された。しかし”いかに占領をやめさせるか”についてのフォーラムはなかった。』
『預言されたがゆえに恐怖が実現されてしまうことがある。が、希望や信頼も同じだ。ニュースが恐怖を煽る光景を流すのをやめ、希望や自身を鼓舞する物事を好意的に取り上げたら何が起こるだろう?』
『独裁政治も戦争なのだ、と私は言いたい。政権当局が自国民に対して仕掛ける戦争なのだ、と。』
『ちなみに<ソニー>はまだ戦闘が終わらないうちから「Shock and Awe(衝撃と畏怖)」を新しいゲームのための商標として登録した。』
『幼児が最初に発することばもパパやママではなく、”爆弾””殉教者””飛行機”になった。』
『戦争による損害に保険金は支払われない。(中略)だからもし階段から落ちたり、何かほかの自己にあったりしても、警戒解除の合図が出るまでは待たなければならない。』
『それがニュースにとってのもうひとつの本質的なフィルターだった―視聴者だ。』
『私がエジプトでアラビア語の勉強をしていた1996年には、インターネットも電子メールもなく、取り立てて言うほどの衛星放送もなく、携帯電話もなかったが、それがたった17年前のことだとは信じがたい思いがする。二度と戻れない別世界であり、子供たちの世代に説明するのは難しい。』
『カメラ付き携帯電話の出現は恒久的な変化を報道界にももたらすことになった。』
『イランのデモの報道からわかるのは、情報の供給が自由化されたからといって問題がすべて解決されるわけではないということだ。さらに理知的かつ多面的に情報を利用することが要求されるということだ。
これは誰がどう考えても西欧の特派員にとっては不可能である。西欧のメディアが支持する思想を全力で叩き潰そうとする政権について報道する際、いったいどうしたら中立を保てる?』
『すべてのメッセージはメディアによって報道された瞬間に歪められる、というメッセージを込めて本を書いたら何が起こったか?そのメッセージもまた歪められてしまったのである。』
『同業者たちとも面白いやりとりや対決があった。同業者はたいていこう言う。オーケー、きみの本の内容を一分で説明してくれ。私はこう答える。あるひとつの状況を一文で説明するのは不可能である、ということを書いた本だよ。』
『本書は、個々のジャーナリストがコントロールできる範囲を超えたところにある要因―それでいて報道の内容や方法に影響を与える要因―について書いたものである。』
『ニュースを報道するメディアには視聴者に対し、自分たちが追っているのはあくまで”ニュース”であるという注意を促す必要がある。(中略)それでも、ジャーナリストには、あなたが眼にしているものは”例外”であって”通常のこと”ではありませんよと確実に視聴者に知らせる責任がある。』
『私たちの知っている形でジャーナリズムが存在しうる独裁国家は、もはや独裁国家ではないのである。』
『印刷に値するものを記事にするという従来のジャーナリズムの手法は、それが培われてきた政治システム―つまり、民主主義―にしか適さないという事実をひとたび受け入れることができれば、従来にない報道の余地が生まれるはずだ。』
『ジャーナリストは記事を書く際、ニュースとは世界を描写するものであると同時に世界に影響を与えるものであるという事実を織り込んだほうがいい。とりわけPR会社や省庁の通信部などがなんの縛りもなく活動している現状にはなんとか手を打たなければならない。彼らがそうやって活動をしていられるのは、主要メディアが彼らの存在に気づかないふりをしつづけているからだ。』
『ニュース・メディアは、問題ひとつに対し多数の見解があることを受け手に率直に打ち明けたほうがいい。コンセンサスなど存在しないということが唯一のコンセンサスであると、読者や視聴者にしっかり認識してもらう必要がある。』
『情報の選択について市民が投票にも似た決定を下す際に、”何を聞く必要があるか”ではなく”何を聞きたいか”を基準にするなら、民主主義はどうやったら生き延びられる?非常に難しい問題である。ほしいと思う食べ物だけを与えられれば、人は肥満する。聞きたいと思うニュースだけを与えられれば、人は無知に、そして独善的になる。』
『だから、私もまた読者を操作しているのだということを、どうか心に留めておいていただきたい。避けられないことではあるのだが、私としては正直に言っておく必要があるだろう。』
『』
ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する ジャーナリズムの現場で私が考えたこと」
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