世界の終わりと夜明け前(浅野いにお)
内容に入ろうと思います。
本書は、何を1つとカウントするかで何編収録されているかが変わっちゃうけど、大雑把に8編の短編と1編の中編が収録された短篇集、という感じのマンガです。
どれも、言葉で内容紹介をするのは凄く難しいので、タイトルだけ列挙しようと思います。
「夜明け前」
「アルファルファ」
「日曜、午後、六時半」
「超妄想A子の日常と憂鬱」
「休日の過ごし方」
「17」
「素晴らしい世界」
「東京」
「世界の終わり」
これ以外に、「無題」となっているカラーのイラストと、「時空大戦スネークマン」という、「東京」の中に出てきた漫画家が少年時代に描いた、という設定のマンガが収録されています。
浅野いにおのコミックは初めて読んだんだけど、これすげー好きだな。あんまり普段マンガは読まないから、他の作品と比べてどうかっていう話は出来ないんだけど。
とにかく、まず絵が好きですね。
これはたぶん、浅野いにおが描く女の子が結構好き、ってことだと思います。どこがいいのかは、自分でもうまくは説明できる気がしないんだけど、なんというか、「マンガっぽくない」感じがいいのかもしれません。
昔、情熱大陸で浅野いにおが特集されているのを見ました。浅野いにおは、マンガの舞台となる街を設定して、そしてそこの風景を忠実に再現するのが好きだ、というようなことを言っていました。だから、取材のために色んな街を訪れては写真を撮りまくり、その写真の通りに忠実にマンガを再現する。実際に、街に赴いて撮った写真と、実際に描いたマンガを比較していて、確かにその通り忠実に描かれていました。
その時は人物をどう描いてるのかって話はなかったように思うんだけど、人物についても「本当っぽさ」みたいなものを追求しているんじゃないかな、と思いました。モデルとなる人物がいるのかどうかは知らないけど、でも浅野いにおの中で、「こいつなら現実にいそうだな」っていう形で人物を描いていくんじゃないかと感じました。
そんな風に描かれる人物は、リアルさを追求した街の風景に、凄くしっくりと馴染む。ピタッと収まっている感じがある。なんかそういう全体のしっくり感みたいなのもいいなと思います。
それでいて、元々ギャグ漫画でデビューしたからか、人物の描き方にしても展開のさせ方にしても、「外す」時はきちんと外している。どれも短編で短い物語なのに、全体に緩急がついているのは、「外し」をうまいこと挟み込んでいるからなのかなぁ、という気がしました。
さっき街の描写のことを書いたけど、街の描写については、「正確に、忠実に」描いているからか、「その街が持つ記憶」みたいなものまで一緒に写し取られているような印象がある。まあこれは、僕の錯覚かもしれないけど、でもそう思う。
僕は、映画でもマンガでも、視覚的なメディアである場合は、セリフが少ない方が好きだったりする。本書も、基本的にはセリフが少ない物語が多くて凄く僕好みなんだけど、セリフが少ない物語は、展開やストーリーを何かで補わないといけない。映画の場合は、ナレーションって手が使えるし、マンガでも心の声を描写するようなやり方があるけど、本書を読んでいると、その「街の記憶」みたいなものも欠落を補うのに有効活用されているような気がする。その光景がバーンと描かれることで、言葉では語られない多くのことが読者に伝わる。そんな気がする。
セリフが少ないって言えば、登場人物が何か喋る時に、その喋っている人物の顔が描かれないことが多い気がする。それも、巧くは説明できないけど、なんか僕好みだなぁ。それは、喋っているのを聞いている相手が描かれていたり、喋っている人間が描かれているんだけど首から下しか描写されないとか、色んな形を取るんだけど、そういうのも好きだなぁ、と思いました。
そんな感じで、詳しいわけでもないのに絵についてあーだこーだ書いてみましたけど、本書を読んで一番好きだなと思ったのは、ところどころに挟み込まれる文章。主人公の心の声だったり、登場人物のセリフだったりするんだけど、この文章がすげぇー刺さるんだよなぁ。
『自分にだってそんな時期があったはずなのに、今じゃもう、あたしはこの商店街の風景の一部なんだろうな』
『あたし達このままヤな感じに大人になっちゃうのかな?他人のことも、自分の人生も、だんだんどうでもよくなってゆくね』
『結局一歩でも外に出たら、バカで声の大きな奴が勝つ世の中なのさ』
『晴にも見えるでしょ!?おんなじ未来が』
『それを今更孤独だなんて言われても、同情できねぇよ。自分で選んだ道じゃねぇか』
もっともっと一杯あるんだけど、このぐらいにしとこう。こういう文章に、本当に共感させられる。
ってなことを言うと大人に、「はいはいわかったわかった」みたいな反応をされるんだろうなぁ。ってまあ僕だってもう十分大人なんだろうけど、でもどうなんだろう。僕はいつの間に大人になったんだろうなぁ。20歳を超えた時?お酒を飲んだ時?「自分って大人になったんだ!」なんて実感できた瞬間なんて今までなかったし、今この場所から過去を振り返ってみても、自分が大人になっている実感はない。子どもの頃から、大人になることを否定したがっていたからだろうか?責任なんて全然ないんだみたいなフリをして、嫌なことから目を背けて、でもなんだかんだどこかに留まることは出来てしまえていて、まいっかみたいな感じで生きてきた人間が大人であるはずがないと思うんだ。
みたいな薄っぺらくてくだらねーことを考えているような僕みたいな人間には、浅野いにおの作品はウケるだろうなぁ。んで、そういう人は世の中にどんどん増えているような気がするし、それに「ちゃんとした大人」が眉をひそめていることも知っているし、でもまあしょうがないよねなんていってお互いに見ないフリをしている。
人生は、一瞬一瞬の積み重ねで出来たモザイク模様だ。でも僕らは、都合よく色んなことを忘れていって、一瞬一瞬を取りこぼしていくから、自分の人生はあんまりモザイク模様には見えない。ツルツルですっきりとしたデザインにさえ見えているかもしれない。でも、時々こうやって、物語がその一瞬を拾い上げて、僕の人生にくっつけてくれる。「ほら、お前の一瞬、落ちてたよ」とかなんとか言って。そうやって僕らは、自分の人生がモザイク模様であることを再認識させられる。
普段は視界から外していられる「絶望」が、この作品では描かれていく。それは、「漠然とした絶望」ではない。僕らはもう、どこかからミサイルが飛んでくるかもしれないとか、日本経済が破綻するかもしれないみたいな、自分から遠すぎる(ように見える)「漠然とした絶望」に目を向けている余裕はない。ここで描かれているのは、「日常と癒着してしまった絶望」だ。「日常」と「絶望」はもう不可分で、同じ括りの中に入っている。それを分離して、「日常」だけを取り出すなんてことは、もう出来ないのだ。「そこに当然あるもの」として、「抜け出すとか抜け出さないとかではない対象」として「絶望」というものと接し続けてきた世代にとって、この作品で描かれる「絶望」は、逆説的に心地いいとさえ思えるかもしれない。
当たり前のものとしてすぐ傍に存在する「絶望」に、自分の何かを少しずつ削り取られていくように思える人生。みんなでそんな環境の中にいると、自分が努力していないことが原因であっても、「絶望」に削り取られちまうからなぁ、と諦めることさえできてしまう。そういう世代の感覚を絶妙に捉えるなぁと感心しました。
浅野いにおの作品は、たぶん読んだら好きになるだろうなぁ、と思っていたのだけど、ここまでドンピシャで合う作品とは想像していませんでした。浅野いにおのマンガは、ちょっと他の作品も読んでみたくなりました。是非読んでみてください。
浅野いにお「世界の終わりと夜明け前」
本書は、何を1つとカウントするかで何編収録されているかが変わっちゃうけど、大雑把に8編の短編と1編の中編が収録された短篇集、という感じのマンガです。
どれも、言葉で内容紹介をするのは凄く難しいので、タイトルだけ列挙しようと思います。
「夜明け前」
「アルファルファ」
「日曜、午後、六時半」
「超妄想A子の日常と憂鬱」
「休日の過ごし方」
「17」
「素晴らしい世界」
「東京」
「世界の終わり」
これ以外に、「無題」となっているカラーのイラストと、「時空大戦スネークマン」という、「東京」の中に出てきた漫画家が少年時代に描いた、という設定のマンガが収録されています。
浅野いにおのコミックは初めて読んだんだけど、これすげー好きだな。あんまり普段マンガは読まないから、他の作品と比べてどうかっていう話は出来ないんだけど。
とにかく、まず絵が好きですね。
これはたぶん、浅野いにおが描く女の子が結構好き、ってことだと思います。どこがいいのかは、自分でもうまくは説明できる気がしないんだけど、なんというか、「マンガっぽくない」感じがいいのかもしれません。
昔、情熱大陸で浅野いにおが特集されているのを見ました。浅野いにおは、マンガの舞台となる街を設定して、そしてそこの風景を忠実に再現するのが好きだ、というようなことを言っていました。だから、取材のために色んな街を訪れては写真を撮りまくり、その写真の通りに忠実にマンガを再現する。実際に、街に赴いて撮った写真と、実際に描いたマンガを比較していて、確かにその通り忠実に描かれていました。
その時は人物をどう描いてるのかって話はなかったように思うんだけど、人物についても「本当っぽさ」みたいなものを追求しているんじゃないかな、と思いました。モデルとなる人物がいるのかどうかは知らないけど、でも浅野いにおの中で、「こいつなら現実にいそうだな」っていう形で人物を描いていくんじゃないかと感じました。
そんな風に描かれる人物は、リアルさを追求した街の風景に、凄くしっくりと馴染む。ピタッと収まっている感じがある。なんかそういう全体のしっくり感みたいなのもいいなと思います。
それでいて、元々ギャグ漫画でデビューしたからか、人物の描き方にしても展開のさせ方にしても、「外す」時はきちんと外している。どれも短編で短い物語なのに、全体に緩急がついているのは、「外し」をうまいこと挟み込んでいるからなのかなぁ、という気がしました。
さっき街の描写のことを書いたけど、街の描写については、「正確に、忠実に」描いているからか、「その街が持つ記憶」みたいなものまで一緒に写し取られているような印象がある。まあこれは、僕の錯覚かもしれないけど、でもそう思う。
僕は、映画でもマンガでも、視覚的なメディアである場合は、セリフが少ない方が好きだったりする。本書も、基本的にはセリフが少ない物語が多くて凄く僕好みなんだけど、セリフが少ない物語は、展開やストーリーを何かで補わないといけない。映画の場合は、ナレーションって手が使えるし、マンガでも心の声を描写するようなやり方があるけど、本書を読んでいると、その「街の記憶」みたいなものも欠落を補うのに有効活用されているような気がする。その光景がバーンと描かれることで、言葉では語られない多くのことが読者に伝わる。そんな気がする。
セリフが少ないって言えば、登場人物が何か喋る時に、その喋っている人物の顔が描かれないことが多い気がする。それも、巧くは説明できないけど、なんか僕好みだなぁ。それは、喋っているのを聞いている相手が描かれていたり、喋っている人間が描かれているんだけど首から下しか描写されないとか、色んな形を取るんだけど、そういうのも好きだなぁ、と思いました。
そんな感じで、詳しいわけでもないのに絵についてあーだこーだ書いてみましたけど、本書を読んで一番好きだなと思ったのは、ところどころに挟み込まれる文章。主人公の心の声だったり、登場人物のセリフだったりするんだけど、この文章がすげぇー刺さるんだよなぁ。
『自分にだってそんな時期があったはずなのに、今じゃもう、あたしはこの商店街の風景の一部なんだろうな』
『あたし達このままヤな感じに大人になっちゃうのかな?他人のことも、自分の人生も、だんだんどうでもよくなってゆくね』
『結局一歩でも外に出たら、バカで声の大きな奴が勝つ世の中なのさ』
『晴にも見えるでしょ!?おんなじ未来が』
『それを今更孤独だなんて言われても、同情できねぇよ。自分で選んだ道じゃねぇか』
もっともっと一杯あるんだけど、このぐらいにしとこう。こういう文章に、本当に共感させられる。
ってなことを言うと大人に、「はいはいわかったわかった」みたいな反応をされるんだろうなぁ。ってまあ僕だってもう十分大人なんだろうけど、でもどうなんだろう。僕はいつの間に大人になったんだろうなぁ。20歳を超えた時?お酒を飲んだ時?「自分って大人になったんだ!」なんて実感できた瞬間なんて今までなかったし、今この場所から過去を振り返ってみても、自分が大人になっている実感はない。子どもの頃から、大人になることを否定したがっていたからだろうか?責任なんて全然ないんだみたいなフリをして、嫌なことから目を背けて、でもなんだかんだどこかに留まることは出来てしまえていて、まいっかみたいな感じで生きてきた人間が大人であるはずがないと思うんだ。
みたいな薄っぺらくてくだらねーことを考えているような僕みたいな人間には、浅野いにおの作品はウケるだろうなぁ。んで、そういう人は世の中にどんどん増えているような気がするし、それに「ちゃんとした大人」が眉をひそめていることも知っているし、でもまあしょうがないよねなんていってお互いに見ないフリをしている。
人生は、一瞬一瞬の積み重ねで出来たモザイク模様だ。でも僕らは、都合よく色んなことを忘れていって、一瞬一瞬を取りこぼしていくから、自分の人生はあんまりモザイク模様には見えない。ツルツルですっきりとしたデザインにさえ見えているかもしれない。でも、時々こうやって、物語がその一瞬を拾い上げて、僕の人生にくっつけてくれる。「ほら、お前の一瞬、落ちてたよ」とかなんとか言って。そうやって僕らは、自分の人生がモザイク模様であることを再認識させられる。
普段は視界から外していられる「絶望」が、この作品では描かれていく。それは、「漠然とした絶望」ではない。僕らはもう、どこかからミサイルが飛んでくるかもしれないとか、日本経済が破綻するかもしれないみたいな、自分から遠すぎる(ように見える)「漠然とした絶望」に目を向けている余裕はない。ここで描かれているのは、「日常と癒着してしまった絶望」だ。「日常」と「絶望」はもう不可分で、同じ括りの中に入っている。それを分離して、「日常」だけを取り出すなんてことは、もう出来ないのだ。「そこに当然あるもの」として、「抜け出すとか抜け出さないとかではない対象」として「絶望」というものと接し続けてきた世代にとって、この作品で描かれる「絶望」は、逆説的に心地いいとさえ思えるかもしれない。
当たり前のものとしてすぐ傍に存在する「絶望」に、自分の何かを少しずつ削り取られていくように思える人生。みんなでそんな環境の中にいると、自分が努力していないことが原因であっても、「絶望」に削り取られちまうからなぁ、と諦めることさえできてしまう。そういう世代の感覚を絶妙に捉えるなぁと感心しました。
浅野いにおの作品は、たぶん読んだら好きになるだろうなぁ、と思っていたのだけど、ここまでドンピシャで合う作品とは想像していませんでした。浅野いにおのマンガは、ちょっと他の作品も読んでみたくなりました。是非読んでみてください。
浅野いにお「世界の終わりと夜明け前」
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