あがり(松崎有理)
内容に入ろうと思います。
本書は、北の方にあるとある街にある蛸足大学(色んな学部が蛸足のようにあちこちに散らばっている大学)を舞台にした5編の短編が収録された連作短編集です。明言はされないけど、著者の出身大学を考えると、あの街が舞台なんだろうなぁ、という感じがします。
「あがり」
生命科学研究所で共に研究をする幼なじみのイカルとアトリ。研究所内でたった二人しかいない女子の内の一人であるアトリは、研究所一の問題児と思われているイカルの同類と思われている。確かにアトリも、金魚鉢で金魚を飼ったり、恒温槽でうずらの卵を孵化させようとする変人だ。
イカルが尊敬していたジェイ先生が死んでしまってから、イカルはちょっとおかしくなってしまった。6つある温度反復機をすべて占拠して何かやっており、他の人の実験計画に大いに支障をきたしている。それを注意してくれと、二人の共通の指導教官に頼まれた。
イカルは、ジェイ先生の主張を裏付ける実験をしているようだ。
ジェイ先生は、生物進化の原動力となる自然淘汰は、あくまでも個体に対して働く、と主張していた。しかしそれに反対売る遺伝子淘汰論者は、個々の遺伝子はその数を最大にするために生物体を利用しているのだ、と。
ならば。もし遺伝子淘汰論者の言い分が正しいなら、ある一つの遺伝子がものすごくたくさん、ほかの遺伝子たちが追いつけないくらいたくさん増えたら、そこで『あがり』というわけで、進化は終わってしまうのか、と。それを確かめたいんだ。
「ぼくの手のなかでしずかに」
数学科に席を置く僕は、教養部時代からの友人で、理学研究科から医学研究科に入った変わり者から、お前なら興味を持つだろうという論文をもらった。確かに興味深い。
しかし、それを実行してみようと思った直接のきっかけは、ある日たまたま書店で出会ったある人物によるところが大きい。
一般向けの数宇学書の新刊を眺めることが習慣である僕は、その日も書店の数学書売り場にいた。そこで、素数分布予想に関する本を手に持っている美しい女性を見かけ、思わず声を掛けてしまった。
素数分布予想は、ぼくの生涯の目標の一つだ。300年以上誰にも解かれていない、数学界における超難問だ。ぼくはこれを解くことで、寿命を延ばそう。そんな野心を胸に秘めている…。
「代書屋ミクラの幸運」
代書屋というのは、研究者の代わりに論文を書いてあげる仕事だ。ミクラは、トキトーさんに引きずり込まれるようにして代書屋になった。一分野だけではなく、ありとあらゆることに関心があるミクラにとってはうってつけの仕事だ。まだ駆け出しで、トキトーさんほどの仕事は出来ていないのだけど。
学内で、『出すか出さないか法』と呼ばれる、3年以内に論文を一度も発表しない人間は即解雇という厳しい法律ができて以来、代書屋の存在価値は増した。今日呼ばれた文学部社会学科応用数理社会講座の教授も、どうにもならなくて代書屋に依頼するしかなくなったのだった。
その教授の生涯のテーマは、幸運と不運だ。数式にとって、近い将来であれば幸運と不運が起こるかどうか算出できる、という。どうにか掲載されるように頑張らねばならない。
ミクラがあまりその研究を信用していないと見て取った教授は、試しにとミクラの幸運と不運を算出する…。
「不可能もなく裏切りもなく」
おれと友人は、あと半年以内に論文を発表しなくては大学を追い出されてしまう。おれは、研究もだが教育も面白く、そっちにかまけている間に時間が過ぎて行ってしまったくちだが、友人は違う。論文を、書けないのだ。
おれは、友人が専門書を複写している場面で、論文のテーマを思いつき、友人に、共同で論文を書かないか、と持ちかける。研究というのは、立案・検証の準備・検証・結果の記録という四段階があり、貢献度が同じであれば、複数著者を第一著者として認められるのだ。友人は、自身で論文を書かなくていいというおれの申し出に喜んで乗った。
おれが考えたのは、遺伝子間領域に関する仮説だ。ヒトの全塩基配列は既に解読されているのだけど、その内実に9割以上が『がらくた配列』と呼ばれ、情報がまったくない部分だ。この壮大なムダが何故存在するのかは、遺伝子操作技術の勃興期に発見されて以来ずっと謎のままだ。
おれはこの遺伝子間領域に関して、画期的な仮説を思いついた。これは、遺伝子たまりと進化で読み解ける問題なのではないか?さっそく立案し、実験屋である友人に実験を頼む…。
「へむ」
少年は、ヒトと関わることが苦手で、クラスの中では浮いている。絵を描くことが得意で、周囲は遠巻きに一目置いているという感じ。少女は、自身を『永遠の転校生』と呼ぶ。他者に心を開くことのなかった少年は、少女にだけは関わった。
少女は少年を、母親が働く大学の研究室に連れて行く。そこには人体の骨があり、少年はその骨を丁寧に描写する。
大学の地下には、雨の日用に書く施設を渡り歩くための地下通路が発達していて、そこに『へむ』がいる。少年と少女は、時間さえあれば『へむ』たちと戯れる…。
というような話です。
いやはや。ちょっとびっくりしました!この作品、凄くいいなぁ。
著者は、理学部を卒業したいわゆるリケジョで、だから理系の研究室の雰囲気がものすごくリアルだ。僕は理系のくせに、研究室的なところに行く前に大学を辞めているんで、直接的にその雰囲気を知っているわけではないんだけど、きっとこういう感じなんだろうなぁ、という雰囲気が凄くいい形でにじみ出ている。
それを表現しようとすると、『研究室は、何かが起こる場所だ』となるだろうか。
世の中には様々な研究分野があるけど、特に理系の研究分野では、大学の研究室からすべてが始まる、ということが多い(他にも、企業の研究室なんて場合もあるだろうけど)。過去の様々な叡智も、大学の研究室から始まったものが多いだろう。時代や環境などによって様々違いはあるだろうけど、理系の研究所を取り巻く状況は決して豊かではないだろう。金はないし、設備も古い。それでも、そんな場所から、何かが起こり、何かが見つかる。本書の中で、研究をすることは物語を物語ることに似ている、というような感じの文章が出てきたけど、まさにそうだと思う。本書は、『物語が始まる場所』としての研究室の姿を、非常にうまく描き出している。そこがまず一番素敵だと思う。
科学を扱ったり、研究室を舞台にしたりする小説は、これまでも多くあっただろう。でも本書は、上記の理由で他の作品とは一線を画す。本書は、科学を中核に据えた物語、というわけではない。何かが起こる予感を孕んだ研究室という場を見事に切り取る作品なのだ。
それはこんな風に表現してもいいかもしれない。例えばサッカーという競技は、サッカーボールがなくては始まらないけど、でも観客はサッカーボールを見ているわけではなく、サッカーボールを追う選手の動きを見ている。本書もそれに近いものがあると思う。本書におけるサッカーボールは、科学だ。しかし、それは物語の核ではない。その科学という名のサッカーボールを追いかけたり蹴ったりしている人びとの動きを描き出す作品なのだ。だから、本書で描かれる科学そのものが理解出来なくても、致命的な問題にはならない。例えばサッカーの試合で、選手には見えるけど観客には見えないボールで試合が行われるとしただろうだろう。確かにボールが見えないことの不自由さはあるけど、それでも、試合はある程度充分に楽しめるのではないだろうか。本書はそういうイメージで読んでもらえたらいいかな、と思います。
というのも、実際本書で扱われている分野って、かなり高度だったりします。遺伝子だまりがどうとか、遺伝子間領域がどうとか、あるいは数学だけどリーマン予想の話なんかも出てきます。それぞれについて、理系の人ならまだしも、文系の人は理解することはおろか、ものによってはイメージすることも出来ないだろうなと思います(特にリーマン予想)。それでも、臆することはありません。本書は、それらそのものがメインというわけではありません。
本書は、表題作である「あがり」で第一回創元SF短編賞を受賞した著者の作品なわけですが、実際のところ「あがり」以外はあまりSFという感じはありません。
「あがり」は、SF読みではない僕にはきちんと評価は出来ないだろうけど、なかなか面白い設定のSFだと思いました。この作品こそまさに、『何かが起こる予感を孕んだ研究室』という雰囲気をうまく醸し出しているからこそ成り立っているのだろうな、という気がします。なかなかの荒唐無稽さという点ではSFチックだけど、本書のような雰囲気の中で描かれると、もしかすると?という気がしてしまうところが凄くいいです。
「ぼくの手のなかでしずかに」と「代書屋ミクラの幸運」と「不可能もなく裏切りもなく」はまったくSFではありません。
「ぼくの手のなかでしずかに」と「代書屋ミクラの幸運」では、淡い恋愛が描かれているところがなかなか面白いですね。この二つにはあまり、『何かが起こる予感を孕んだ研究室』という雰囲気はないんですけど、とにかく全体的な雰囲気が素敵な作品です。研究というもののもつ先の見えなさみたいなものと恋愛がなんとなく淡く重なり、研究者というどうしようもない世界を身を置いていることの悲哀みたいなものが感じられる作品です。
そして「不可能もなく裏切りもなく」です!僕の中でとにかくこの作品はメチャクチャ素晴らしいと思いました!ちょっとビックリしたなぁ。本書の中で、ダントツにいいと思います。
まず、遺伝子間領域に関する仮説が面白い。「あがり」に出てきた仮説もなかなか面白かったけど、この遺伝子間領域に関する仮説は、ホントに実際そうなんじゃないか?と思わせるものがありました。この仮説って、実際に検証されたりしてないのかなぁ。既に実験が行われてて否定されているなら仕方ないけど、そうでないなら、この仮説、すっげー面白いと思うんだよなぁ。著者のオリジナルなんだろうか。だとしたら凄いなぁ。
そしてそれよりも何よりも、おれと友人を取り巻く、本当に狭い狭い世界でのどうにもならない関係性みたいなものが本当に素晴らしかった。これは本当にうまく説明できなくて、雰囲気がいいとしか言えないんだけど、遺伝子間領域の仮説以外の部分はほんとさほどなんてことない物語の展開だと思うんだけど、ブワッと立ち上るものがある。研究者同士だからこそ通じる感覚、そしてその大学で研究をしている者同士だからこそ通じる感覚が、読んでいるものを遠ざける、その感覚がまた凄くいいと思う。その場に身を置いていない人間には到底届かない感情の深さみたいなものをほんの一瞬だけど見えるようにしてくれている感じがたまらない。新人でここまで書ける作家ってホント凄いなと思います。
最後の「へむ」は、ちょっとファンタジックな感じを取り込んでいて、それまでの作品とはかなりタイプが違っている。子供が主人公というのも大きな違い。でも、他の作品と世界観は共通していて、これだけ違うタイプの作品でも同じ雰囲気を漂わせることが出来ることに驚きました。この作品を単体で読んだらそこまで強く評価はしないかもしれないけど、本書の中の一作として収録されていることで、凄く良い収まりを獲得しているというような、そんな印象を受けました。
さてちょっと時間がないので駆け足で行くと、本書のもう一つの特徴は、横文字がまったく出てこない、ということ。横文字で出てくるのは人名のみで、後はすべて和名で書かれている。たとえば、
「電子レンジ」→「電磁波調理器」
「リーマン予想」→「素数分布予想」
「コンクリート」→「人造石灰岩」
というような感じです。
これがまた、作品の雰囲気に合っているんですね。この雰囲気を醸し出すために意図的にやっているのか、それとも横文字を使うのがただ嫌いなだけなのかはちょっと分からないけど、本当にうまく雰囲気に合っていると僕は感じました。こういうことを、小手先の目新しさを出すためにやるような新人とかもたまにいるような気がするけど、本書の場合はそんな感じはまったくありません。意識的にせよ無意識的にせよ、横文字を使わないという選択は正解だったなぁ、と思います。
SF作品にしか見えないでしょうけど、SFっぽいのは表題作だけです。本書は基本的には、『物語が始まる場所』としての、『何がが起こる予感を孕んだ』研究室という場所の雰囲気を濃密に立ち上らせている作品です。またちょっと凄い新人が出てきたものだと思います。是非読んでみてください。
松崎有理「あがり」
本書は、北の方にあるとある街にある蛸足大学(色んな学部が蛸足のようにあちこちに散らばっている大学)を舞台にした5編の短編が収録された連作短編集です。明言はされないけど、著者の出身大学を考えると、あの街が舞台なんだろうなぁ、という感じがします。
「あがり」
生命科学研究所で共に研究をする幼なじみのイカルとアトリ。研究所内でたった二人しかいない女子の内の一人であるアトリは、研究所一の問題児と思われているイカルの同類と思われている。確かにアトリも、金魚鉢で金魚を飼ったり、恒温槽でうずらの卵を孵化させようとする変人だ。
イカルが尊敬していたジェイ先生が死んでしまってから、イカルはちょっとおかしくなってしまった。6つある温度反復機をすべて占拠して何かやっており、他の人の実験計画に大いに支障をきたしている。それを注意してくれと、二人の共通の指導教官に頼まれた。
イカルは、ジェイ先生の主張を裏付ける実験をしているようだ。
ジェイ先生は、生物進化の原動力となる自然淘汰は、あくまでも個体に対して働く、と主張していた。しかしそれに反対売る遺伝子淘汰論者は、個々の遺伝子はその数を最大にするために生物体を利用しているのだ、と。
ならば。もし遺伝子淘汰論者の言い分が正しいなら、ある一つの遺伝子がものすごくたくさん、ほかの遺伝子たちが追いつけないくらいたくさん増えたら、そこで『あがり』というわけで、進化は終わってしまうのか、と。それを確かめたいんだ。
「ぼくの手のなかでしずかに」
数学科に席を置く僕は、教養部時代からの友人で、理学研究科から医学研究科に入った変わり者から、お前なら興味を持つだろうという論文をもらった。確かに興味深い。
しかし、それを実行してみようと思った直接のきっかけは、ある日たまたま書店で出会ったある人物によるところが大きい。
一般向けの数宇学書の新刊を眺めることが習慣である僕は、その日も書店の数学書売り場にいた。そこで、素数分布予想に関する本を手に持っている美しい女性を見かけ、思わず声を掛けてしまった。
素数分布予想は、ぼくの生涯の目標の一つだ。300年以上誰にも解かれていない、数学界における超難問だ。ぼくはこれを解くことで、寿命を延ばそう。そんな野心を胸に秘めている…。
「代書屋ミクラの幸運」
代書屋というのは、研究者の代わりに論文を書いてあげる仕事だ。ミクラは、トキトーさんに引きずり込まれるようにして代書屋になった。一分野だけではなく、ありとあらゆることに関心があるミクラにとってはうってつけの仕事だ。まだ駆け出しで、トキトーさんほどの仕事は出来ていないのだけど。
学内で、『出すか出さないか法』と呼ばれる、3年以内に論文を一度も発表しない人間は即解雇という厳しい法律ができて以来、代書屋の存在価値は増した。今日呼ばれた文学部社会学科応用数理社会講座の教授も、どうにもならなくて代書屋に依頼するしかなくなったのだった。
その教授の生涯のテーマは、幸運と不運だ。数式にとって、近い将来であれば幸運と不運が起こるかどうか算出できる、という。どうにか掲載されるように頑張らねばならない。
ミクラがあまりその研究を信用していないと見て取った教授は、試しにとミクラの幸運と不運を算出する…。
「不可能もなく裏切りもなく」
おれと友人は、あと半年以内に論文を発表しなくては大学を追い出されてしまう。おれは、研究もだが教育も面白く、そっちにかまけている間に時間が過ぎて行ってしまったくちだが、友人は違う。論文を、書けないのだ。
おれは、友人が専門書を複写している場面で、論文のテーマを思いつき、友人に、共同で論文を書かないか、と持ちかける。研究というのは、立案・検証の準備・検証・結果の記録という四段階があり、貢献度が同じであれば、複数著者を第一著者として認められるのだ。友人は、自身で論文を書かなくていいというおれの申し出に喜んで乗った。
おれが考えたのは、遺伝子間領域に関する仮説だ。ヒトの全塩基配列は既に解読されているのだけど、その内実に9割以上が『がらくた配列』と呼ばれ、情報がまったくない部分だ。この壮大なムダが何故存在するのかは、遺伝子操作技術の勃興期に発見されて以来ずっと謎のままだ。
おれはこの遺伝子間領域に関して、画期的な仮説を思いついた。これは、遺伝子たまりと進化で読み解ける問題なのではないか?さっそく立案し、実験屋である友人に実験を頼む…。
「へむ」
少年は、ヒトと関わることが苦手で、クラスの中では浮いている。絵を描くことが得意で、周囲は遠巻きに一目置いているという感じ。少女は、自身を『永遠の転校生』と呼ぶ。他者に心を開くことのなかった少年は、少女にだけは関わった。
少女は少年を、母親が働く大学の研究室に連れて行く。そこには人体の骨があり、少年はその骨を丁寧に描写する。
大学の地下には、雨の日用に書く施設を渡り歩くための地下通路が発達していて、そこに『へむ』がいる。少年と少女は、時間さえあれば『へむ』たちと戯れる…。
というような話です。
いやはや。ちょっとびっくりしました!この作品、凄くいいなぁ。
著者は、理学部を卒業したいわゆるリケジョで、だから理系の研究室の雰囲気がものすごくリアルだ。僕は理系のくせに、研究室的なところに行く前に大学を辞めているんで、直接的にその雰囲気を知っているわけではないんだけど、きっとこういう感じなんだろうなぁ、という雰囲気が凄くいい形でにじみ出ている。
それを表現しようとすると、『研究室は、何かが起こる場所だ』となるだろうか。
世の中には様々な研究分野があるけど、特に理系の研究分野では、大学の研究室からすべてが始まる、ということが多い(他にも、企業の研究室なんて場合もあるだろうけど)。過去の様々な叡智も、大学の研究室から始まったものが多いだろう。時代や環境などによって様々違いはあるだろうけど、理系の研究所を取り巻く状況は決して豊かではないだろう。金はないし、設備も古い。それでも、そんな場所から、何かが起こり、何かが見つかる。本書の中で、研究をすることは物語を物語ることに似ている、というような感じの文章が出てきたけど、まさにそうだと思う。本書は、『物語が始まる場所』としての研究室の姿を、非常にうまく描き出している。そこがまず一番素敵だと思う。
科学を扱ったり、研究室を舞台にしたりする小説は、これまでも多くあっただろう。でも本書は、上記の理由で他の作品とは一線を画す。本書は、科学を中核に据えた物語、というわけではない。何かが起こる予感を孕んだ研究室という場を見事に切り取る作品なのだ。
それはこんな風に表現してもいいかもしれない。例えばサッカーという競技は、サッカーボールがなくては始まらないけど、でも観客はサッカーボールを見ているわけではなく、サッカーボールを追う選手の動きを見ている。本書もそれに近いものがあると思う。本書におけるサッカーボールは、科学だ。しかし、それは物語の核ではない。その科学という名のサッカーボールを追いかけたり蹴ったりしている人びとの動きを描き出す作品なのだ。だから、本書で描かれる科学そのものが理解出来なくても、致命的な問題にはならない。例えばサッカーの試合で、選手には見えるけど観客には見えないボールで試合が行われるとしただろうだろう。確かにボールが見えないことの不自由さはあるけど、それでも、試合はある程度充分に楽しめるのではないだろうか。本書はそういうイメージで読んでもらえたらいいかな、と思います。
というのも、実際本書で扱われている分野って、かなり高度だったりします。遺伝子だまりがどうとか、遺伝子間領域がどうとか、あるいは数学だけどリーマン予想の話なんかも出てきます。それぞれについて、理系の人ならまだしも、文系の人は理解することはおろか、ものによってはイメージすることも出来ないだろうなと思います(特にリーマン予想)。それでも、臆することはありません。本書は、それらそのものがメインというわけではありません。
本書は、表題作である「あがり」で第一回創元SF短編賞を受賞した著者の作品なわけですが、実際のところ「あがり」以外はあまりSFという感じはありません。
「あがり」は、SF読みではない僕にはきちんと評価は出来ないだろうけど、なかなか面白い設定のSFだと思いました。この作品こそまさに、『何かが起こる予感を孕んだ研究室』という雰囲気をうまく醸し出しているからこそ成り立っているのだろうな、という気がします。なかなかの荒唐無稽さという点ではSFチックだけど、本書のような雰囲気の中で描かれると、もしかすると?という気がしてしまうところが凄くいいです。
「ぼくの手のなかでしずかに」と「代書屋ミクラの幸運」と「不可能もなく裏切りもなく」はまったくSFではありません。
「ぼくの手のなかでしずかに」と「代書屋ミクラの幸運」では、淡い恋愛が描かれているところがなかなか面白いですね。この二つにはあまり、『何かが起こる予感を孕んだ研究室』という雰囲気はないんですけど、とにかく全体的な雰囲気が素敵な作品です。研究というもののもつ先の見えなさみたいなものと恋愛がなんとなく淡く重なり、研究者というどうしようもない世界を身を置いていることの悲哀みたいなものが感じられる作品です。
そして「不可能もなく裏切りもなく」です!僕の中でとにかくこの作品はメチャクチャ素晴らしいと思いました!ちょっとビックリしたなぁ。本書の中で、ダントツにいいと思います。
まず、遺伝子間領域に関する仮説が面白い。「あがり」に出てきた仮説もなかなか面白かったけど、この遺伝子間領域に関する仮説は、ホントに実際そうなんじゃないか?と思わせるものがありました。この仮説って、実際に検証されたりしてないのかなぁ。既に実験が行われてて否定されているなら仕方ないけど、そうでないなら、この仮説、すっげー面白いと思うんだよなぁ。著者のオリジナルなんだろうか。だとしたら凄いなぁ。
そしてそれよりも何よりも、おれと友人を取り巻く、本当に狭い狭い世界でのどうにもならない関係性みたいなものが本当に素晴らしかった。これは本当にうまく説明できなくて、雰囲気がいいとしか言えないんだけど、遺伝子間領域の仮説以外の部分はほんとさほどなんてことない物語の展開だと思うんだけど、ブワッと立ち上るものがある。研究者同士だからこそ通じる感覚、そしてその大学で研究をしている者同士だからこそ通じる感覚が、読んでいるものを遠ざける、その感覚がまた凄くいいと思う。その場に身を置いていない人間には到底届かない感情の深さみたいなものをほんの一瞬だけど見えるようにしてくれている感じがたまらない。新人でここまで書ける作家ってホント凄いなと思います。
最後の「へむ」は、ちょっとファンタジックな感じを取り込んでいて、それまでの作品とはかなりタイプが違っている。子供が主人公というのも大きな違い。でも、他の作品と世界観は共通していて、これだけ違うタイプの作品でも同じ雰囲気を漂わせることが出来ることに驚きました。この作品を単体で読んだらそこまで強く評価はしないかもしれないけど、本書の中の一作として収録されていることで、凄く良い収まりを獲得しているというような、そんな印象を受けました。
さてちょっと時間がないので駆け足で行くと、本書のもう一つの特徴は、横文字がまったく出てこない、ということ。横文字で出てくるのは人名のみで、後はすべて和名で書かれている。たとえば、
「電子レンジ」→「電磁波調理器」
「リーマン予想」→「素数分布予想」
「コンクリート」→「人造石灰岩」
というような感じです。
これがまた、作品の雰囲気に合っているんですね。この雰囲気を醸し出すために意図的にやっているのか、それとも横文字を使うのがただ嫌いなだけなのかはちょっと分からないけど、本当にうまく雰囲気に合っていると僕は感じました。こういうことを、小手先の目新しさを出すためにやるような新人とかもたまにいるような気がするけど、本書の場合はそんな感じはまったくありません。意識的にせよ無意識的にせよ、横文字を使わないという選択は正解だったなぁ、と思います。
SF作品にしか見えないでしょうけど、SFっぽいのは表題作だけです。本書は基本的には、『物語が始まる場所』としての、『何がが起こる予感を孕んだ』研究室という場所の雰囲気を濃密に立ち上らせている作品です。またちょっと凄い新人が出てきたものだと思います。是非読んでみてください。
松崎有理「あがり」
Comment
[7448] 心ユルくなる本ですね
[7451]
確かに、ふんわりした作品でしたね。
僕はやっぱり、デビュー作の「あがり」の方が好きなんですけどね。
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[155045]
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[155251]
I needed to thank you for this great read!! I definitely loved every bit of it.
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ふんわりしてたな〜。
birthday-energy.co.jp/ってサイトは松崎有理さんの本質にまで踏み込んでましたよ。宿命を読み取ると、体温を感じない、飄々としたひと、なんだそうな。コラムをぜひ読んでね♪今後に期待です!
「ハレる運命2014」も配信中!!