太陽のパスタ 豆のスープ(宮下奈都)
内容に入ろうと思います。
もし大事な話を―それもよくない話を―されるなら、食事の前がいいか、後がいいか。あすわは後、譲さんは前。そんな話をしたことがある。
それなのに、食事中にそんな話をするなんて、反則だ。
婚約を解消したい、と譲さんは言う。式場も決まっているし、友人にも話をしている。しかし、そんなことが些末なことに思えるくらい、譲さんは婚約を解消したいということなのだろう。
どうやって家まで帰ったのだったか。まるで覚えていない。家族や親友に心配されても、何も言うことが出来なかった。
あすわに筋道を与えてくれたのは、、ドリフターズ・リストだった。
叔母のロッカは、泣きはらしているあすわにも、脳天気な感じで関わってくる。ドリフターズ・リストを作りなさいよ、と。漂流する者たちの、指針になるリスト。明日へのリストだ。
あすわは、やりたいことを書きだした。
1、食べたいものを好きなだけ食べる
2、髪を切る
3、ひっこし
4、おみこし
5、たまのこし
リストは少しずつ増えたり減ったりを繰り返しながら、あすわの行動に関わっていった。自分の隣から婚約者がいなくなったというだけで、何もなくなってしまった。これほどまでに、何もなかったのだろうか…。
というような話です。
やっぱり素敵です、宮下奈都の作品は。じんわり暖まってくるような感じで、静かに満たされていくような、そんな小説でした。
しかし、いつものことだけど、宮下作品の良さを文章にするのは非常に難しい。
ドーナツの穴の話を書こうと思います。
宮下さんは、ドーナツの穴のようなものを必死で掴もうと言葉を紡いでいるんじゃないか、とふと思ったんです。
ドーナツの穴って、『あるのにない。ないのにある』ものだと思うんです。ドーナツの穴って、ただの空間であって、モノとしての存在はない。でも、ドーナツの穴と呼ばれている何かがそこにはある。
ドーナツの穴のように、輪郭を切り取ることでしか表現できないもの、名前のついていないもの、あるいは、名前はついているのだけどそれだけだと大事な何かがこぼれ落ちてしまいようなもの、そういう『何か』を必死で掴み取ろうとしている感じがします。
主人公のあすわは、冒頭からそういう『何か』でいっぱいいっぱいになっていきます。婚約破棄という衝撃を受け止めきれずに、輪郭があやふやな、名前のついていない感情や考えにどんどんと支配されていきます。
そういう部分を、本当にうまく掬い上げていくなぁと思うんです。それだけじゃなくて、あすわがそこからどんな風に歩き出していくのか、どの方向を目指して行こうと決意するのか、そういう複雑な心の動きも、輪郭をなんとか捉えて文章に置き換えることで、読者にその道筋を見せてくれる。細部のニュアンスを諦め、零れ落ちてしまう多くのものに目を瞑って、よく使われている単語や感情の名前なんかを使えば、もっと簡単に表現できてしまうだろう部分を、でも決してそんな風にはしない。円周率を、3.14じゃなく3にしてしまえば多くのものが零れ落ちるだろうけど、計算が簡単だという理由で3が選ばれる(今はもう3.14に戻ってるのかもですけど)。でも宮下さんは、計算の簡単さ(執筆の容易さ)を捨てて、3.14を使い続ける。そういう感じがします。
もちろん、作家というのはそういうものだ、何をそんな特別なことみたいに評しているんだ、なんて反論はあるかもだけど、でも、そういうことが出来る作家って、そう多くないと思うんですね、僕は。
あと宮下さんの描写は、外側からではなく内側から描いている、という感じがします。これもより説明しにくいんだけど、感情や心の動きなんかを描く時に、その人物の主観が非常に大事にされていると思うんですね。巧い例ではないけど、普通の作家が『哀しいから泣く』というような描写をするところを、『泣いていることに気づいて、自分が哀しかったんだと知る』というような描写をしている、というような感じです。心の動きを、より精密に分解している、なんていう表現はちょっとおかしいかもだけど、宮下さんの描き方を見ていると、人間の複雑な部分が明確に立ち上ってくるようで、そうだよなー人間ってそうだよなー、とか思います。人間って、凄く分かりにくい生き物だし、自分以外の他人はもっと分かりにくいわけで、そういう現実の分かりにくさ・複雑さみたいなものを小説の中できちんと表しているのはさすがだなぁ、という感じがします。
主人公のあすわについては、一挙手一投足が描かれていてもちろん凄く興味深い人物なのだけど、僕が一番気になるのは(そして、読んだ人はみな結構気になるんじゃないかと思うんだけど)、やっぱりロッカさんでしょう。
ロッカさんは、本当に掴みどころがない感じがする人で、段々なんとなく、なるほどこの人はこういう人なのかって分かってくるんだけど、初めの内は意味不明でしかない。落ち込んでるあすわの部屋に突然やってきて、でも何を話すわけでもなくジャンプを読んでるとか、言ってることがコロコロ変わっているように見えるとか、凄くマズイ料理を作るのに自信満々とか。確かに作中で、あすわに次いで登場回数の多い人物だと思うんだけど、それを抜きにしても、存在感が抜群だなと思います。
あすわを立ち直らせた環境というのは、もちろん色んな要素が組み合わさってのものだろうけど、ロッカさんの存在はかなり大きかっただろうと思います。そもそも、婚約破棄された女性とどんな風に接したらいいのか、まあ僕だったらまったく分からないし、ロッカさんの接し方がどんな場合でも正解なのかそれも分からないけど、少なくともあすわには的確だったのだろうなぁと思います。ロッカさんの場合は、絡まりあった糸を解くのを手伝ってくれる人では全然なくて、絡まりあった糸を必死で解いているその手を時々握ってくれるという感じの人。必死で糸を解いている手を握られると糸を解く邪魔になるんだけど、でもそのぬくもりは嫌なわけじゃない、というような、なかなか高度な(?)テクニックです。
それにしても、あすわの周りにいる人たちはなかなか素敵な人が多い。幼なじみの京はのブレないっぷりやお仕着せではない優しさはもの凄くカッコイイし、郁ちゃんはなんか色んなことがどうでもよくなるような一瞬を垣間見て面白い。あすわの兄にしたって、結構良いこと言ってたりするんだよなぁ。本書の中で幼なじみの京が、
『あすわ、自分がどれくらいかわいがられてきたか、考えたことある?』
って聞く場面があるんだけど、確かに、あすわは凄く良い環境で育ったんだろうなぁ、と思う。もちろん、それが当たり前として育ったあすわにその自覚が薄かったとしても責めるのはなかなか難しいだろうけど、京からすれば歯がゆかったんだろうなぁというのもなんとなく伝わる感じでした。
宮下さんの作品の主人公って、割とどの人も、漠然とした悩みを抱えていることが多い。本書にしても、婚約破棄は漠然とはしてないけど、でも、婚約破棄をされた自分の未来という漠然としたものに不安を抱えている。そういう、どちらかと言えば決して明るいとは言えない作品が多いのに、どの作品でも、文章はウキウキしているように僕には感じられます。哀しい描写のシーンでも、何故か文章は弾んでいるような感じがする。僕はそういう部分も好きです。希望がある感じがするのだ。悲しくて辛くて仕方ない場面でも、文章が弾んでいるように思えるのは、その人物が心のどこかで希望を抱いているからだ、と僕には感じられるんです。それが、読んでいる人にも、何らかの形で勇気を与えるんじゃないかな、と。
あすわが最後にたどり着く心境は、僕も紆余曲折を経てたどり着いた場所でした。そう、頑張らなくたっていい。頑張っていないことで、焦ることなんてない。もっと気楽でいい。頑張りたい、そう思える時がくれば頑張ればいい。日本人って、どうも頑張りすぎている人が多い気がするから(まあ、お前はもっと頑張れよっていう人もそりゃあいるけど)、そういう人には何か染み込むものがあるんじゃないかな、と思います。
今弱っているという人には特にオススメしたい作品です。本書は、決して特効薬にはならないだろうけど、湿布のようにじわりじわりと効いていく、そんな作品ではないかと思います。自分の生き方を見つめ直すきっかけになれる一冊かもしれません。是非読んでみてください。
宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ」
もし大事な話を―それもよくない話を―されるなら、食事の前がいいか、後がいいか。あすわは後、譲さんは前。そんな話をしたことがある。
それなのに、食事中にそんな話をするなんて、反則だ。
婚約を解消したい、と譲さんは言う。式場も決まっているし、友人にも話をしている。しかし、そんなことが些末なことに思えるくらい、譲さんは婚約を解消したいということなのだろう。
どうやって家まで帰ったのだったか。まるで覚えていない。家族や親友に心配されても、何も言うことが出来なかった。
あすわに筋道を与えてくれたのは、、ドリフターズ・リストだった。
叔母のロッカは、泣きはらしているあすわにも、脳天気な感じで関わってくる。ドリフターズ・リストを作りなさいよ、と。漂流する者たちの、指針になるリスト。明日へのリストだ。
あすわは、やりたいことを書きだした。
1、食べたいものを好きなだけ食べる
2、髪を切る
3、ひっこし
4、おみこし
5、たまのこし
リストは少しずつ増えたり減ったりを繰り返しながら、あすわの行動に関わっていった。自分の隣から婚約者がいなくなったというだけで、何もなくなってしまった。これほどまでに、何もなかったのだろうか…。
というような話です。
やっぱり素敵です、宮下奈都の作品は。じんわり暖まってくるような感じで、静かに満たされていくような、そんな小説でした。
しかし、いつものことだけど、宮下作品の良さを文章にするのは非常に難しい。
ドーナツの穴の話を書こうと思います。
宮下さんは、ドーナツの穴のようなものを必死で掴もうと言葉を紡いでいるんじゃないか、とふと思ったんです。
ドーナツの穴って、『あるのにない。ないのにある』ものだと思うんです。ドーナツの穴って、ただの空間であって、モノとしての存在はない。でも、ドーナツの穴と呼ばれている何かがそこにはある。
ドーナツの穴のように、輪郭を切り取ることでしか表現できないもの、名前のついていないもの、あるいは、名前はついているのだけどそれだけだと大事な何かがこぼれ落ちてしまいようなもの、そういう『何か』を必死で掴み取ろうとしている感じがします。
主人公のあすわは、冒頭からそういう『何か』でいっぱいいっぱいになっていきます。婚約破棄という衝撃を受け止めきれずに、輪郭があやふやな、名前のついていない感情や考えにどんどんと支配されていきます。
そういう部分を、本当にうまく掬い上げていくなぁと思うんです。それだけじゃなくて、あすわがそこからどんな風に歩き出していくのか、どの方向を目指して行こうと決意するのか、そういう複雑な心の動きも、輪郭をなんとか捉えて文章に置き換えることで、読者にその道筋を見せてくれる。細部のニュアンスを諦め、零れ落ちてしまう多くのものに目を瞑って、よく使われている単語や感情の名前なんかを使えば、もっと簡単に表現できてしまうだろう部分を、でも決してそんな風にはしない。円周率を、3.14じゃなく3にしてしまえば多くのものが零れ落ちるだろうけど、計算が簡単だという理由で3が選ばれる(今はもう3.14に戻ってるのかもですけど)。でも宮下さんは、計算の簡単さ(執筆の容易さ)を捨てて、3.14を使い続ける。そういう感じがします。
もちろん、作家というのはそういうものだ、何をそんな特別なことみたいに評しているんだ、なんて反論はあるかもだけど、でも、そういうことが出来る作家って、そう多くないと思うんですね、僕は。
あと宮下さんの描写は、外側からではなく内側から描いている、という感じがします。これもより説明しにくいんだけど、感情や心の動きなんかを描く時に、その人物の主観が非常に大事にされていると思うんですね。巧い例ではないけど、普通の作家が『哀しいから泣く』というような描写をするところを、『泣いていることに気づいて、自分が哀しかったんだと知る』というような描写をしている、というような感じです。心の動きを、より精密に分解している、なんていう表現はちょっとおかしいかもだけど、宮下さんの描き方を見ていると、人間の複雑な部分が明確に立ち上ってくるようで、そうだよなー人間ってそうだよなー、とか思います。人間って、凄く分かりにくい生き物だし、自分以外の他人はもっと分かりにくいわけで、そういう現実の分かりにくさ・複雑さみたいなものを小説の中できちんと表しているのはさすがだなぁ、という感じがします。
主人公のあすわについては、一挙手一投足が描かれていてもちろん凄く興味深い人物なのだけど、僕が一番気になるのは(そして、読んだ人はみな結構気になるんじゃないかと思うんだけど)、やっぱりロッカさんでしょう。
ロッカさんは、本当に掴みどころがない感じがする人で、段々なんとなく、なるほどこの人はこういう人なのかって分かってくるんだけど、初めの内は意味不明でしかない。落ち込んでるあすわの部屋に突然やってきて、でも何を話すわけでもなくジャンプを読んでるとか、言ってることがコロコロ変わっているように見えるとか、凄くマズイ料理を作るのに自信満々とか。確かに作中で、あすわに次いで登場回数の多い人物だと思うんだけど、それを抜きにしても、存在感が抜群だなと思います。
あすわを立ち直らせた環境というのは、もちろん色んな要素が組み合わさってのものだろうけど、ロッカさんの存在はかなり大きかっただろうと思います。そもそも、婚約破棄された女性とどんな風に接したらいいのか、まあ僕だったらまったく分からないし、ロッカさんの接し方がどんな場合でも正解なのかそれも分からないけど、少なくともあすわには的確だったのだろうなぁと思います。ロッカさんの場合は、絡まりあった糸を解くのを手伝ってくれる人では全然なくて、絡まりあった糸を必死で解いているその手を時々握ってくれるという感じの人。必死で糸を解いている手を握られると糸を解く邪魔になるんだけど、でもそのぬくもりは嫌なわけじゃない、というような、なかなか高度な(?)テクニックです。
それにしても、あすわの周りにいる人たちはなかなか素敵な人が多い。幼なじみの京はのブレないっぷりやお仕着せではない優しさはもの凄くカッコイイし、郁ちゃんはなんか色んなことがどうでもよくなるような一瞬を垣間見て面白い。あすわの兄にしたって、結構良いこと言ってたりするんだよなぁ。本書の中で幼なじみの京が、
『あすわ、自分がどれくらいかわいがられてきたか、考えたことある?』
って聞く場面があるんだけど、確かに、あすわは凄く良い環境で育ったんだろうなぁ、と思う。もちろん、それが当たり前として育ったあすわにその自覚が薄かったとしても責めるのはなかなか難しいだろうけど、京からすれば歯がゆかったんだろうなぁというのもなんとなく伝わる感じでした。
宮下さんの作品の主人公って、割とどの人も、漠然とした悩みを抱えていることが多い。本書にしても、婚約破棄は漠然とはしてないけど、でも、婚約破棄をされた自分の未来という漠然としたものに不安を抱えている。そういう、どちらかと言えば決して明るいとは言えない作品が多いのに、どの作品でも、文章はウキウキしているように僕には感じられます。哀しい描写のシーンでも、何故か文章は弾んでいるような感じがする。僕はそういう部分も好きです。希望がある感じがするのだ。悲しくて辛くて仕方ない場面でも、文章が弾んでいるように思えるのは、その人物が心のどこかで希望を抱いているからだ、と僕には感じられるんです。それが、読んでいる人にも、何らかの形で勇気を与えるんじゃないかな、と。
あすわが最後にたどり着く心境は、僕も紆余曲折を経てたどり着いた場所でした。そう、頑張らなくたっていい。頑張っていないことで、焦ることなんてない。もっと気楽でいい。頑張りたい、そう思える時がくれば頑張ればいい。日本人って、どうも頑張りすぎている人が多い気がするから(まあ、お前はもっと頑張れよっていう人もそりゃあいるけど)、そういう人には何か染み込むものがあるんじゃないかな、と思います。
今弱っているという人には特にオススメしたい作品です。本書は、決して特効薬にはならないだろうけど、湿布のようにじわりじわりと効いていく、そんな作品ではないかと思います。自分の生き方を見つめ直すきっかけになれる一冊かもしれません。是非読んでみてください。
宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ」
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こんばんわです。僕は小売業のくせに、カレンダー通り休む不届き者なので、連休あったりしますね。でも特に予定はないですけど(笑)
宮下さんの作品は、ホントそうですね。一見して、分かりやすい魅力っていうのがないんだけど、読むと引き込まれる。いろいろ適当に分析してみたりしましたけど、不思議な魅力ですね。
あすわは、一定の自制をしつつ、もちろん不安定の中にいて、それでもなんとか立ち直っていく姿がいいですね。周りの人にも本当によく支えられていると思いました。
宮下さんの作品は、タイトルから内容を想像しにくいというのはその通りですけど、そもそも読んでもその魅力をうまく説明できない作品が多いんで、タイトルをつけるのも難しいでしょうね。どれも、なかなか巧いタイトルだと思いますけどね。
田牧大和は、うむむ、知りませんです…。書店員なのに、いかんですね。時代小説はなかなか守備範囲が狭くて、売り場づくりもままなりませんです。時代小説を読むのは、今後の課題です!
花粉の時期はそろそろ終わりなんですね。花粉症ではない僕は本当にラッキーだと思います。なんとか耐え忍んでください!
宮下さんの作品は、ホントそうですね。一見して、分かりやすい魅力っていうのがないんだけど、読むと引き込まれる。いろいろ適当に分析してみたりしましたけど、不思議な魅力ですね。
あすわは、一定の自制をしつつ、もちろん不安定の中にいて、それでもなんとか立ち直っていく姿がいいですね。周りの人にも本当によく支えられていると思いました。
宮下さんの作品は、タイトルから内容を想像しにくいというのはその通りですけど、そもそも読んでもその魅力をうまく説明できない作品が多いんで、タイトルをつけるのも難しいでしょうね。どれも、なかなか巧いタイトルだと思いますけどね。
田牧大和は、うむむ、知りませんです…。書店員なのに、いかんですね。時代小説はなかなか守備範囲が狭くて、売り場づくりもままなりませんです。時代小説を読むのは、今後の課題です!
花粉の時期はそろそろ終わりなんですね。花粉症ではない僕は本当にラッキーだと思います。なんとか耐え忍んでください!
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宮下奈津さんの作品は、ストーリーの展開でぐいぐい読ませるわけでもなく、内容自体もそんなに特別なものではありませんが、魅力的ですよね。さりげない淡さ加減が絶妙なのでしょうか。
私は随分前に読みましたので、ほとんど覚えていませんが、通りすがりさんの書評を読んで、あっ、確かに…とやや思い出しました(泣)。あすわは、婚約破棄という不幸に見舞われますが、自棄を起こすこともなく淡々と事実を受け止めていますよね。勿論、内心の葛藤は凄まじいと思いますが、一定の節度を保っていますよね。その辺りが共感できるのでファンが多いのだと思います。
『田舎の紳士服~』のときも思いましたが、タイトルも独特ですよね。内容が想像しにくいので、読むしかないかなぁ、とついつい考えてしまいます(笑)。宮下さん、次作も頑張って欲しいですね。
私は最近、田牧大和作品を読んでいます。通りすがりさんを相手に説明するのも気が引けますが、若手の時代小説作家です。『散り残る』を読みましたが、余韻を持った終わり方が巧いです!時代小説では恋愛も淡い感じで、現代小説とは一線を引いていますので、オバサンには合っていると思います。
では、この辺で。花粉の季節ももうじき終わりそうで嬉しいです。杉が終わり、今度は檜だそうですが、どうぞお手柔らかに…とお願いしたいです(笑)。