ただマイヨ・ジョーヌのためでなく(ランス・アームストロング)
自転車は昔、金属で出来ていたのだという。今となっては想像も出来ない。金属なんかで出来た自転車に乗って、何が出来たというのだろう。痛くなかったのだろうか。自転車と意思の疎通など出来なかったことだろう。改めて、技術の進歩というものは素晴らしいものだと思わされる。
iPS細胞という、どんな種類の細胞にでも出来る細胞が発見され、その実用化に様々なアイデアが考えられた。初めの内は主に移植に使われることになったが、ある時ドイツのある企業が、iPS細胞から発展させたコアiPS細胞というものを生み出した。これは特殊な方法で細胞に設計図を読み込ませることで、あらゆる機能や形態を付与させることが出来るという新しい技術だった。
さっそくこのコアiPS細胞は、工業製品に使われるようになった。一番初めに取り入れられたのはパソコンだった。これまでの、入力されたことしか出来ないものではなく、自分で考え判断を下す、人間の脳に近い形のパソコンを設計することが可能になったのだ。
それ以外にも様々な工業製品に応用されるようになった。より直感的に運転の出来る車や、常に最大効率を目指し、ロスを極力減らすように自ら作業効率を調整できる工業機械など、その応用範囲は広かった。
さらにコアiPS細胞は、スポーツの世界にも使われるようになっていった。選手の直感を反映するスパイクや、空気抵抗を自動的に最小限に抑えるユニフォームなどに使われた。
そして自転車競技にも取り入れられるようになったのだ。自転車そのものがコアiPS細胞によって設計されるようになった。これにより、マシンと選手がより一体となり、マシンがまるで身体の一部であるかのように扱えるようになっていったのだ。
しかしこのコアiPS細胞には、一つだけ大きな欠点があった。それは、コアiPS細胞が発見され、工業的に広く応用されるようになってから40年近く経ってからわかったことだ。
それは、コアiPS細胞によって設計された工業製品は、癌を発病するということだった。生体細胞を使用しているので確かにそうなる可能性を予見することは出来たかもしれないが、しかし世界中の科学者にとってはやはり予想外の出来事だった。
コアiPS細胞が使われたものすべてが発症するわけではもちろんない。その発生率は、一説には3%以下だと言われている。しかし、自分が使っているパソコンや車が癌になるというのは、やはり感覚的に理解するのに時間が掛かったものだ。
僕が乗っている自転車も、癌に掛かってしまった。今では、製品癌保険も充実しているし、その保険を使って新しいものを買い換えてしまえばいいのだ。しかし、どうにもそれが出来なかった。壊れてしまったのなら諦めもつくが、癌になったというだけのことだ。今ではこの自転車は、僕の身体の一部と言ってもいい。どうせなら闘ってみようか。僕は今そんな風に思っている。コイツと一緒に癌を乗り越えて、またレースで優勝するんだ。
一銃「コアiPS細胞」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あるアメリカ人の闘いの記録です。
ランス・アームストロングは、21歳の時、史上最年少で世界自転車選手権で優勝し、また世界で最も過酷なスポーツの一つと言われているツール・ド・フランスのステージ優勝(区間賞のようなもの)をしたりと、順調に世界トップクラスのライダーへと突き進んでいった。元々自転車レースはヨーロッパが主流で、アメリカではほとんど知られていなかった。そんなアメリカから、ヨーロッパの選手を脅かす男が出てきたので、注目されるようになった。
しかし、25歳の時に睾丸癌を発病する。しかも彼の癌は最悪なケースだった。異常を感じてはいたが、それをしばらく放っておいたため状況は悪化。睾丸から肺に転移しており、さらに脳にまで転移していた。当初医師らは、治る可能性は五分五分だという風に言うが、病気から回復した著者が実際はどうだったのかと聞くと、治る可能性はとんでもなく低いと思っていた、と語った(どれぐらいの数字だと思っていたのか、というのも本作の最後の方に出てきます)。それくらい、絶望的な状況に立たされていた。
しかし彼は、ありとあらゆる困難を退けて癌と闘った。その結果彼は回復し、その後、ツール・ド・フランスで総合優勝をするのだ。
と書くと、本作は一人の人間の、不屈の精神や諦めない生き方、どんな時でも負けない気持ちや弱さを克服する力、なんかが書かれていると思うだろう。しかし、決してそうではない。本作で著者は、自分の弱い部分を惜しげもなくさらけだしている。病気の治療をしている時どうだったのか、どんな風に辛かったのか、そして何よりも、病気が回復した後の、すべての無気力な自分というのもきちんと描いている。彼は、癌と闘っている時は、まだ好戦的だった。なんとしてでも癌をやっつけてやる、と気力だけは強かった。しかし、病気が治ってからしばらくは、まさに腑抜けと言ってもいい生活だった。何もやる気が起きない、自転車の世界なんかもちろん戻りたくない、不摂生な生活をし、毎日ゴルフをしているだけの日々。しかもその間、結婚を前提に付き合っていた女性がいたのだ(この女性がまあなかなか凄いんですね)。それでも彼は、何もかも放り投げたかったし、実際周囲の人間の踏ん張りがなければ、彼はそのままダメになってしまっただろう。
けれども、彼はそんな腑抜けの人生からも回復した。そしてツール・ド・フランス総合優勝という栄冠を勝ち取るのだ。
僕は読んだことはないけど、「五体不満足」と似ているようで似ていない作品なのかなという気がします。僕のイメージでは、「五体不満足」というのは徹頭徹尾前向きなことが書かれている気がします。障害があっても大丈夫、どんな生き方だって出来る、という強いメッセージが発信されているような気がします。でも本作は、もちろん諦めなければいいことがある、というような強いメッセージももちろん発信しているんだけど、それだけじゃないんですね。なんというか、弱い自分だって自分なんだから仕方ないじゃないか、というようなメッセージも込められているような気がします。自分は確かに、癌から回復してツール・ド・フランス優勝という栄冠を勝ち取ることが出来た。でもこれは、自分一人のお陰なんかじゃもちろんない。自分自身はこれほど酷かった時だってあるし、こんなに弱かったこともある。でも、周囲の人の支えやちょっとした幸運のお陰で、僕はいい方向に進むことが出来た。そんなメッセージを込めているような気がします。
本作ではとにかくありとあらゆることを包み隠さず書いていて、癌治療によって生殖機能の減退してしまった著者が、妻と不妊治療を行う話まで書かれています。本作の原題は「It's Not About the Bike(自転車についての話じゃない)」なんだけど、確かにそうだなという気がします。もちろん癌だけの話でもありません。これは、一人の男がどう生きたかという記録であり、その証なんだなという気がします。
僕は小説やノンフィクションで癌についての話を読む度に、自分だったらどうするだろう、と思います。僕は正直、癌になったら諦めるような気がするんですね。化学治療や放射線治療は、どういう描写を読んでも辛そうで、もともと生きる気力の少ない僕としては耐えられないような気がするんですよね。
本作を読んでいて、「僕が癌になったのは、僕がそれを克服できる人間だからだ」というようなセリフがあって、その言葉の意味自体はちょっと無理がありすぎるとしても、しかしそんな風に前向きに考えられるのは本当にすごいなと思いました。とにかく著者の、癌と闘っている部分は本当に凄くて、あらゆる本を読みまくって知識を得て、看護婦や医者を質問攻めにしたりして、彼自身も治療に積極的に参加していきます。今では、睾丸癌だけについてだったら専門家になれる、と言うくらい知識があるそうです。また、無茶苦茶辛い化学治療の間も自転車に乗っていたりと、本当に強いなと思いました。
だからこそその反動で、その後の無気力に繋がっていってしまうのかなと思ったりもしました。本当にこの時期の著者は最悪で、この時未来の妻となる女性と付き合っていなかったらたぶん自転車の世界には戻れなかったのではないか、と思ったりします。この女性はなかなか肝が据わっていて惹かれますね。すごいと思います。
本作を読むと、とにかく周りの人たちの支えが素晴らしいと思います。時には、契約を切られるなど哀しい出来事もあったけど、概ね彼の周りにいる人々は彼のために全力になってくれています。これほど素晴らしい仲間がいたことが、彼の復活にも大きく関わっているのだろうなと思います。
かなりいい本だと思います。「やれば出来る」なんていう強すぎるメッセージだけじゃない、「人間は誰だって弱さを抱えているんだ」と思える作品です。読んでみてください。
ランス・アームストロング「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」
iPS細胞という、どんな種類の細胞にでも出来る細胞が発見され、その実用化に様々なアイデアが考えられた。初めの内は主に移植に使われることになったが、ある時ドイツのある企業が、iPS細胞から発展させたコアiPS細胞というものを生み出した。これは特殊な方法で細胞に設計図を読み込ませることで、あらゆる機能や形態を付与させることが出来るという新しい技術だった。
さっそくこのコアiPS細胞は、工業製品に使われるようになった。一番初めに取り入れられたのはパソコンだった。これまでの、入力されたことしか出来ないものではなく、自分で考え判断を下す、人間の脳に近い形のパソコンを設計することが可能になったのだ。
それ以外にも様々な工業製品に応用されるようになった。より直感的に運転の出来る車や、常に最大効率を目指し、ロスを極力減らすように自ら作業効率を調整できる工業機械など、その応用範囲は広かった。
さらにコアiPS細胞は、スポーツの世界にも使われるようになっていった。選手の直感を反映するスパイクや、空気抵抗を自動的に最小限に抑えるユニフォームなどに使われた。
そして自転車競技にも取り入れられるようになったのだ。自転車そのものがコアiPS細胞によって設計されるようになった。これにより、マシンと選手がより一体となり、マシンがまるで身体の一部であるかのように扱えるようになっていったのだ。
しかしこのコアiPS細胞には、一つだけ大きな欠点があった。それは、コアiPS細胞が発見され、工業的に広く応用されるようになってから40年近く経ってからわかったことだ。
それは、コアiPS細胞によって設計された工業製品は、癌を発病するということだった。生体細胞を使用しているので確かにそうなる可能性を予見することは出来たかもしれないが、しかし世界中の科学者にとってはやはり予想外の出来事だった。
コアiPS細胞が使われたものすべてが発症するわけではもちろんない。その発生率は、一説には3%以下だと言われている。しかし、自分が使っているパソコンや車が癌になるというのは、やはり感覚的に理解するのに時間が掛かったものだ。
僕が乗っている自転車も、癌に掛かってしまった。今では、製品癌保険も充実しているし、その保険を使って新しいものを買い換えてしまえばいいのだ。しかし、どうにもそれが出来なかった。壊れてしまったのなら諦めもつくが、癌になったというだけのことだ。今ではこの自転車は、僕の身体の一部と言ってもいい。どうせなら闘ってみようか。僕は今そんな風に思っている。コイツと一緒に癌を乗り越えて、またレースで優勝するんだ。
一銃「コアiPS細胞」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あるアメリカ人の闘いの記録です。
ランス・アームストロングは、21歳の時、史上最年少で世界自転車選手権で優勝し、また世界で最も過酷なスポーツの一つと言われているツール・ド・フランスのステージ優勝(区間賞のようなもの)をしたりと、順調に世界トップクラスのライダーへと突き進んでいった。元々自転車レースはヨーロッパが主流で、アメリカではほとんど知られていなかった。そんなアメリカから、ヨーロッパの選手を脅かす男が出てきたので、注目されるようになった。
しかし、25歳の時に睾丸癌を発病する。しかも彼の癌は最悪なケースだった。異常を感じてはいたが、それをしばらく放っておいたため状況は悪化。睾丸から肺に転移しており、さらに脳にまで転移していた。当初医師らは、治る可能性は五分五分だという風に言うが、病気から回復した著者が実際はどうだったのかと聞くと、治る可能性はとんでもなく低いと思っていた、と語った(どれぐらいの数字だと思っていたのか、というのも本作の最後の方に出てきます)。それくらい、絶望的な状況に立たされていた。
しかし彼は、ありとあらゆる困難を退けて癌と闘った。その結果彼は回復し、その後、ツール・ド・フランスで総合優勝をするのだ。
と書くと、本作は一人の人間の、不屈の精神や諦めない生き方、どんな時でも負けない気持ちや弱さを克服する力、なんかが書かれていると思うだろう。しかし、決してそうではない。本作で著者は、自分の弱い部分を惜しげもなくさらけだしている。病気の治療をしている時どうだったのか、どんな風に辛かったのか、そして何よりも、病気が回復した後の、すべての無気力な自分というのもきちんと描いている。彼は、癌と闘っている時は、まだ好戦的だった。なんとしてでも癌をやっつけてやる、と気力だけは強かった。しかし、病気が治ってからしばらくは、まさに腑抜けと言ってもいい生活だった。何もやる気が起きない、自転車の世界なんかもちろん戻りたくない、不摂生な生活をし、毎日ゴルフをしているだけの日々。しかもその間、結婚を前提に付き合っていた女性がいたのだ(この女性がまあなかなか凄いんですね)。それでも彼は、何もかも放り投げたかったし、実際周囲の人間の踏ん張りがなければ、彼はそのままダメになってしまっただろう。
けれども、彼はそんな腑抜けの人生からも回復した。そしてツール・ド・フランス総合優勝という栄冠を勝ち取るのだ。
僕は読んだことはないけど、「五体不満足」と似ているようで似ていない作品なのかなという気がします。僕のイメージでは、「五体不満足」というのは徹頭徹尾前向きなことが書かれている気がします。障害があっても大丈夫、どんな生き方だって出来る、という強いメッセージが発信されているような気がします。でも本作は、もちろん諦めなければいいことがある、というような強いメッセージももちろん発信しているんだけど、それだけじゃないんですね。なんというか、弱い自分だって自分なんだから仕方ないじゃないか、というようなメッセージも込められているような気がします。自分は確かに、癌から回復してツール・ド・フランス優勝という栄冠を勝ち取ることが出来た。でもこれは、自分一人のお陰なんかじゃもちろんない。自分自身はこれほど酷かった時だってあるし、こんなに弱かったこともある。でも、周囲の人の支えやちょっとした幸運のお陰で、僕はいい方向に進むことが出来た。そんなメッセージを込めているような気がします。
本作ではとにかくありとあらゆることを包み隠さず書いていて、癌治療によって生殖機能の減退してしまった著者が、妻と不妊治療を行う話まで書かれています。本作の原題は「It's Not About the Bike(自転車についての話じゃない)」なんだけど、確かにそうだなという気がします。もちろん癌だけの話でもありません。これは、一人の男がどう生きたかという記録であり、その証なんだなという気がします。
僕は小説やノンフィクションで癌についての話を読む度に、自分だったらどうするだろう、と思います。僕は正直、癌になったら諦めるような気がするんですね。化学治療や放射線治療は、どういう描写を読んでも辛そうで、もともと生きる気力の少ない僕としては耐えられないような気がするんですよね。
本作を読んでいて、「僕が癌になったのは、僕がそれを克服できる人間だからだ」というようなセリフがあって、その言葉の意味自体はちょっと無理がありすぎるとしても、しかしそんな風に前向きに考えられるのは本当にすごいなと思いました。とにかく著者の、癌と闘っている部分は本当に凄くて、あらゆる本を読みまくって知識を得て、看護婦や医者を質問攻めにしたりして、彼自身も治療に積極的に参加していきます。今では、睾丸癌だけについてだったら専門家になれる、と言うくらい知識があるそうです。また、無茶苦茶辛い化学治療の間も自転車に乗っていたりと、本当に強いなと思いました。
だからこそその反動で、その後の無気力に繋がっていってしまうのかなと思ったりもしました。本当にこの時期の著者は最悪で、この時未来の妻となる女性と付き合っていなかったらたぶん自転車の世界には戻れなかったのではないか、と思ったりします。この女性はなかなか肝が据わっていて惹かれますね。すごいと思います。
本作を読むと、とにかく周りの人たちの支えが素晴らしいと思います。時には、契約を切られるなど哀しい出来事もあったけど、概ね彼の周りにいる人々は彼のために全力になってくれています。これほど素晴らしい仲間がいたことが、彼の復活にも大きく関わっているのだろうなと思います。
かなりいい本だと思います。「やれば出来る」なんていう強すぎるメッセージだけじゃない、「人間は誰だって弱さを抱えているんだ」と思える作品です。読んでみてください。
ランス・アームストロング「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」
ハローサマー、グッドバイ(マイクル・コーニイ)
ある占い師の助言を受けて、Z県まで旅行に来た。一人旅なんて学生時代ぶりだろうか。失恋の痛手を癒したい、そう占い師に告げると、ここに来ればいいと言われてやってきたのだ。
そこは、旅行会社に行ってもパンフレットすら存在しないような、観光的にはまったく何もないところだった。周りは田んぼか畑かあるいは山。神社やお寺があるわけでもなく、海水浴や潮干狩りが楽しめるわけでも、紅葉狩りやハイキングが出来るわけでもなく、観光名所になるようなものもまったくないところだった。そもそも泊まれるような場所も限られていて、行ったところで何をするというわけでもなく時間を過ごすしかないような場所だった。
当然観光客の姿なんかないだろうと思っていたのだけど、しかしそれは大いに間違いだったと言わざるをえない。行く場所など何もないはずの土地を、観光客らしい人々がたくさん歩いているのだった。いつの間にここはそんなに有名な観光地になったのだろうと、私は不思議な気分になった。
まあいい。何もないところをブラブラ歩いているだけでも充分気が晴れるし、それに占い師がここが良いって言ってくれたんだから、たぶん間違ってはいないんだろう。あそこに田んぼで農作業をしているおばあさんがいる。飛び入りで手伝ったりしたら迷惑かな?
僕はZ県の役所で働いていたのだけど、どういうわけか今は東京にいる。何でこんなことになったんだろうか。
Z県の役所内にある観光課では、どうしたらこの県に観光客を呼べるかという議論をよくしていた。もちろんいい案が浮かぶわけもない。そもそもこの県には、観光の目玉に出来るようなものが何一つないのだ。
そこである職員が奇抜なことを考え出した。
「占い師に扮して、この県に人を呼んだらどうだろう」
何故かその案が採用されて、そして何でか知らないけど僕が東京に出て占い師の真似事をする羽目になった。
初めの内はふてくされていた。こんなの、役所の人間の仕事じゃないだろ、と。来てくれた人におざなりに相手をして、そして最後に、Z県に行くといいですよ、と付け加えるだけの適当なことをずっとやっていた。
しかし、何が幸いするのか分からない。いつしか僕の占いは評判になっていたのだ。よく当たる、なんて紹介されることが多いんだけど、みんなどんな勘違いをしてるんだろう?
今では僕は人気占い師として注目されている。一応義理でZ県への案内は続けているけど、別にもう止めてもいいかなって思ってる。占い師として食っていく方がお金になりそうだしね。
一銃「占い師の招待」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、地球ではないどこか別の惑星を舞台にした話です。しかし、そこでの異星人は人間型で、感情や思考なんかも地球の人間に近い、っていう設定になっています。
政府の高官である父を持つドローヴは、毎年恒例の夏休暇を過ごすために港町バラークシを訪れる。そこには、去年ほんの少しだけ話したことがある宿屋の少女ブラウンアイズが住んでいて、ドローヴは彼女との念願の再会を果たす。他にも同世代の遊び相手が出来て、ドローヴは彼らと日々共に過ごすことになる。
戦争の陰が町を覆っていき、また町の住人と政府の人間との対立も深くなっていく。粘流というこの惑星特有の現象も近づいて来て慌しくなっている。お互い気になっていたドローヴとブラウンアイズは気持ちを確かめ合い、急速に仲良くなっていく。
しかし、誰もが予想し得なかった壮大な計画が進行していて、そしてその時がやってきてしまう…。
というような話です。
ちょっと今日は時間がないので急ぎ目で感想を書くけど、割と面白い作品だと思います。ただ帯や表紙裏の内容紹介のところに、『SF恋愛小説の最高峰』とか、『SF史上屈指の青春恋愛小説』とか書いてあるんですけど、さすがにそれは言いすぎじゃないかなと思います。そういう文言をそのまま信じて読むと、ちょっと肩透かしを食らわされるような気がします。
僕はいつ思っているんですけど、帯の文句とかはちょっとやりすぎだなと思うわけなんです。確かに出版社としても本を売らないといけないわけで、誇大広告気味の文句を書いて読みたいという気を煽るしかない、というのもわからなくはないんだけど、でも帯の文句で余計に期待を煽りすぎる分、その作品がたとえ素晴らしい作品であっても感動が薄れてしまうと思うんです。僕も今まで何度もそういうことがあったけど、そうなると帯の文句に信用を置けなくなっていきますよね。そうなるとまたどんどん本が売れなくなるという悪循環になっていくと思うわけです。
本作は、『SF』と呼ばれるけど、SF的な部分はあんまり多くはありません。もちろん最後の最後でSF的な展開が活かされるし、粘流や奇妙な動物の存在などSF的な要素はあるんだけど、基本的には青春小説のウェイトの方が大きいと思います。ドローヴという少年の成長物語という風な読み方でいいと思います。
実際ドローヴを中心として様々な出来事が起こります。両親との対立、新しく知り合った友人とのあれこれ、バラークシの住人との触れあい、ちょっとした悪戯や冒険、そして何よりもブラウンアイズとの恋愛。こういういろんな要素が組み合わさって物語が進んでいきます。
後半、壮大な機密計画の全貌が明らかになって、ドローヴは非常に苦しい立場に立たされることになります。もし自分が同じ立場だったらと思うとやりきれないものがありますね。しかし、これが救いだと思うんだけど、最後の最後でドローヴは勝利することになります。この、『ドローヴの勝利』と僕が呼ぶ展開はなかなかうまいと思いました。それまでに出てきた伏線をうまく使って、なかなか大きな仕掛けに持っていったなと思いました。
SFと言われるとちょっと臆する人もいるかもしれないけど、基本的には青春小説だと思っていいと思います。一人の少年の成長を描いた作品で、文章も読みやすいいしなかなか面白い作品だと思います。すごくオススメするわけではないですけど、興味があったら読んでみてください。
マイクル・コーニイ「ハローサマー、グッドバイ」
そこは、旅行会社に行ってもパンフレットすら存在しないような、観光的にはまったく何もないところだった。周りは田んぼか畑かあるいは山。神社やお寺があるわけでもなく、海水浴や潮干狩りが楽しめるわけでも、紅葉狩りやハイキングが出来るわけでもなく、観光名所になるようなものもまったくないところだった。そもそも泊まれるような場所も限られていて、行ったところで何をするというわけでもなく時間を過ごすしかないような場所だった。
当然観光客の姿なんかないだろうと思っていたのだけど、しかしそれは大いに間違いだったと言わざるをえない。行く場所など何もないはずの土地を、観光客らしい人々がたくさん歩いているのだった。いつの間にここはそんなに有名な観光地になったのだろうと、私は不思議な気分になった。
まあいい。何もないところをブラブラ歩いているだけでも充分気が晴れるし、それに占い師がここが良いって言ってくれたんだから、たぶん間違ってはいないんだろう。あそこに田んぼで農作業をしているおばあさんがいる。飛び入りで手伝ったりしたら迷惑かな?
僕はZ県の役所で働いていたのだけど、どういうわけか今は東京にいる。何でこんなことになったんだろうか。
Z県の役所内にある観光課では、どうしたらこの県に観光客を呼べるかという議論をよくしていた。もちろんいい案が浮かぶわけもない。そもそもこの県には、観光の目玉に出来るようなものが何一つないのだ。
そこである職員が奇抜なことを考え出した。
「占い師に扮して、この県に人を呼んだらどうだろう」
何故かその案が採用されて、そして何でか知らないけど僕が東京に出て占い師の真似事をする羽目になった。
初めの内はふてくされていた。こんなの、役所の人間の仕事じゃないだろ、と。来てくれた人におざなりに相手をして、そして最後に、Z県に行くといいですよ、と付け加えるだけの適当なことをずっとやっていた。
しかし、何が幸いするのか分からない。いつしか僕の占いは評判になっていたのだ。よく当たる、なんて紹介されることが多いんだけど、みんなどんな勘違いをしてるんだろう?
今では僕は人気占い師として注目されている。一応義理でZ県への案内は続けているけど、別にもう止めてもいいかなって思ってる。占い師として食っていく方がお金になりそうだしね。
一銃「占い師の招待」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、地球ではないどこか別の惑星を舞台にした話です。しかし、そこでの異星人は人間型で、感情や思考なんかも地球の人間に近い、っていう設定になっています。
政府の高官である父を持つドローヴは、毎年恒例の夏休暇を過ごすために港町バラークシを訪れる。そこには、去年ほんの少しだけ話したことがある宿屋の少女ブラウンアイズが住んでいて、ドローヴは彼女との念願の再会を果たす。他にも同世代の遊び相手が出来て、ドローヴは彼らと日々共に過ごすことになる。
戦争の陰が町を覆っていき、また町の住人と政府の人間との対立も深くなっていく。粘流というこの惑星特有の現象も近づいて来て慌しくなっている。お互い気になっていたドローヴとブラウンアイズは気持ちを確かめ合い、急速に仲良くなっていく。
しかし、誰もが予想し得なかった壮大な計画が進行していて、そしてその時がやってきてしまう…。
というような話です。
ちょっと今日は時間がないので急ぎ目で感想を書くけど、割と面白い作品だと思います。ただ帯や表紙裏の内容紹介のところに、『SF恋愛小説の最高峰』とか、『SF史上屈指の青春恋愛小説』とか書いてあるんですけど、さすがにそれは言いすぎじゃないかなと思います。そういう文言をそのまま信じて読むと、ちょっと肩透かしを食らわされるような気がします。
僕はいつ思っているんですけど、帯の文句とかはちょっとやりすぎだなと思うわけなんです。確かに出版社としても本を売らないといけないわけで、誇大広告気味の文句を書いて読みたいという気を煽るしかない、というのもわからなくはないんだけど、でも帯の文句で余計に期待を煽りすぎる分、その作品がたとえ素晴らしい作品であっても感動が薄れてしまうと思うんです。僕も今まで何度もそういうことがあったけど、そうなると帯の文句に信用を置けなくなっていきますよね。そうなるとまたどんどん本が売れなくなるという悪循環になっていくと思うわけです。
本作は、『SF』と呼ばれるけど、SF的な部分はあんまり多くはありません。もちろん最後の最後でSF的な展開が活かされるし、粘流や奇妙な動物の存在などSF的な要素はあるんだけど、基本的には青春小説のウェイトの方が大きいと思います。ドローヴという少年の成長物語という風な読み方でいいと思います。
実際ドローヴを中心として様々な出来事が起こります。両親との対立、新しく知り合った友人とのあれこれ、バラークシの住人との触れあい、ちょっとした悪戯や冒険、そして何よりもブラウンアイズとの恋愛。こういういろんな要素が組み合わさって物語が進んでいきます。
後半、壮大な機密計画の全貌が明らかになって、ドローヴは非常に苦しい立場に立たされることになります。もし自分が同じ立場だったらと思うとやりきれないものがありますね。しかし、これが救いだと思うんだけど、最後の最後でドローヴは勝利することになります。この、『ドローヴの勝利』と僕が呼ぶ展開はなかなかうまいと思いました。それまでに出てきた伏線をうまく使って、なかなか大きな仕掛けに持っていったなと思いました。
SFと言われるとちょっと臆する人もいるかもしれないけど、基本的には青春小説だと思っていいと思います。一人の少年の成長を描いた作品で、文章も読みやすいいしなかなか面白い作品だと思います。すごくオススメするわけではないですけど、興味があったら読んでみてください。
マイクル・コーニイ「ハローサマー、グッドバイ」
重力波とアインシュタイン(ダニエル・ケネフィック)
「いつでも、僕にはそれが見えました」
ある一人の物理学者が、最晩年に残したあるインタビューである。その冒頭でその物理学者はそう語りだした。
「私は昔から視力に問題があった。私の両親は、私の視力が弱いのが原因だと思い、眼科に行ったり適切なメガネを求めたりと奔走してくれた。しかし、状況は一向に改善されなかった」
その物理学者は今、世界中から大いに注目を集めている。その特殊な視覚そのものにも注目が集まっているが、しかしそれ以上に、その視覚によって見えるものの方への関心の方が強いだろう。
「病院にも何度も通わされたけど、原因はまったく分からなかった。あらゆる検査をしたけど、機能的には何の問題もなかった。その内、精神的な問題かもしれないと両親は考えたのだろう。カウンセラーや精神科医と話す事も多くなっていきました」
その物理学者が見ている光景は、他の人間には決して見ることが出来ないものだ。彼が本当にそういう光景を見ているのかどうかも、ほとんど確かめようがない。それでも、彼が嘘をついているように見えないこと、そしてその理由がまったく見当たらないことを根拠に、多くの物理学者が彼の話を信じようとしている。
「私にも、初め何が起こっているのかまったくわかりませんでした。私には、何かが見えていた。しかしそれは、他の人が見ている光景ではないようだったし、何よりも日常生活に意味のある光景ではなかった。今でも私には、鉛筆や夕陽や人間と言ったものはまったく見えません。そういう意味で私は失明していると言っていいでしょう」
物理学は大いに期待しているのだ。これまで謎だった理論が、彼によって進んでいくのではないかと。
「その内物理学を学ぶようになり、私は自分が見ているものが何なのか分かるようになっていきました。要するに私の視覚は、顕微鏡のようなものだったわけです。倍率が極端に大きく、極限的に小さなものしか見えない。そういう眼だったのです。
私に見えていたのは、ひも状のものが振動している様子でした。それは、すべての粒子はひもの振動によって説明できるとするひも理論を目の当たりにしているということだと私は思いました。
ただ私は、このことをこれまで誰にも言いませんでした。言って信用されるとは思わなかったからです。私はもう老い先短い。今なら、私の発言がどう受け取られようと後悔はしないだろう。もしかすると、私の発言によって、理論に何か新たな展開があるかもしれない。そう期待したいと思う」
彼のインタビューから10年後、まさに彼の発言をきっかけとして研究が加速したことで、ひも理論は正しいものとして公に認められることになった。
一銃「とある物理学者の告白」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、タイトルにもあるように「重力波」と呼ばれるものに関する本です。
重力波というのはそもそも、アインシュタインが発表した一般相対性理論に端を発します。一般相対性理論からの帰結として、重力波というものが考えうるという考えが出てきたわけです。
この重力波というのは多分に、電磁気学からのアナロジーとして現れました。電磁気学では、場の理論というものがあります。これは、電磁場と呼ばれるものがあり、それが電磁波という波を出しているのだ、というような解釈です。
これと同じようなアナロジーで、重力場というものが存在し、そこから重力波と呼ばれる波が出ているのではないか。そういう風に考えられたわけです。
しかしこの重力波に関しては、様々な紆余曲折を経ることになります。そもそもアインシュタインでさえも、二度重力波は存在しないという立場に回っています。重力波という考えが出された当初は、その存在に対して懐疑的な物理学者の方が多かったわけですが、しかし時を経るにつれ重力波は間違いなく存在するだろうという風に傾いていき、今ではもうそろそろ観測されるのではないか、とまで言われているわけです。
本作では、その重力波に関わる紆余曲折を描いています。
まあそんな感じの作品なんですけど、この作品はちょっと難しすぎました。僕は読んでて、ほぼ理解できませんでした。本作はまず間違いなく一般向けの作品ではないですね。少なくとも、大学とかで一般性相対性理論について少しぐらい齧ったりしていないと無理じゃないかなと思います。結構難しめの用語が説明なく使われていたり、そもそも現役の若手物理学者が書いている本なので、一般人の目線で描かれていないという点があります。
僕は本作のような理系作品をよく読むんですけど、そういう作品は大きく以下の四つに分けられると思います。
①内容が簡単で、文章が読みやすい
②内容が簡単で、文章が読みにくい
③内容が難しく、文章が読みやすい
④内容が難しく、文章が読みにくい
本作は残念ながら、明らかに④です。内容のレベルの高さもさることながら、とにかく文章が読みにくくて仕方ありません。これは先ほども書いた通り、現役の物理学者が書いているために、一般人の目線で描かれていないという部分が大きいと思いますが、訳の方も問題があったりするんじゃないかなと思います。そもそもの文章が難解なのでこれ以上の訳は無理だったのかもしれないけど、でもこの文章はちょっと読みにくすぎます。
①の例としては、集英社新書から出ている「時間はどこで生まれるのか」が挙げられますね。これは、量子論を扱っていながら内容は結構分かりやすく書かれていて、かつ著者が予備校の先生ということもあるだろうけど、文章が読みやすいです。
②というのはあんまりなさそうな気がしますね。
③の例としては、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」が挙げられるでしょう。これはこれまで読んだ理系作品の中でもトップクラスに素晴らしい作品でした。内容は、現代物理学の総括みたいなものなので、相当レベルが高いです。かなり難しいと言っていいでしょう。でも、文章がとんでもなく読みやすいんですね。著者も、周囲の人に何度も読んでもらったと書いているし、そもそも僕のような一般人にむけて書いているので、内容がかなり難しい本でもどうにかついていけました。近年の物理学についてそこそこのレベルでちゃんと知りたいという人にはまさにうってつけの作品です。
あと、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」もこの④に分類できそうな感じですが、しかしこのサイモン・シンの作品というのはあまりにも文章が読みやすいので、内容までも簡単に感じられるという部分があります。なので、実際は④なんだけど、感覚的には①のように思える作品だったりします。
まあそんなわけで、本作はちょっと一般人には難しすぎると思いますね。
少しだけ内容に触れましょう。と言ってもほとんど理解できなかったので書けることは多くないんですけど、重力波の研究というのがいかに普通の物理学とかけ離れているかという話を書いて終わりにしようと思います。
普通物理学というのがどのように進歩していくかという話をまずはしましょう。普通は、これまで考えられてきた物理学に反するある観測結果が現れるわけです。例えば有名なのは地動説でしょうかね。昔は太陽が地球の周りを回っていると考えられていたけど、しかしそれだけ火星の軌道を説明するのに酷く骨の折れる理屈が必要でした。火星の軌道をもっと簡単に説明するには、地球が太陽の周りを回っているとする方が自然だ、という考えになるわけですね。一般性相対性理論は結果的にエーテルの存在を否定することになったし、量子論にしても、これまでの理屈では説明できない現象を理解するために生み出され発展していったわけです。つまり物理の進歩には何にせよ、何らかの実験結果や観測結果が必要だということです。
しかし重力波というのはそういう分野とはまったく違う進展をします。そもそも重力波というのは、未だに予想でしかありません。あるかどうかまだ分からないわけです。そもそもが、一般相対性理論の帰結として考えられたもので、こういうものがあるかもしれない、というところからスタートしています。しかしこの重力波というのは、もし存在するとしても、あまりにも小さすぎて限りなく検出が難しいと言われているもので、1910年代に重力波が提唱されてから今まで、結局一度も実験によるデータのない分野になってしまったわけです。だから理論物理学者は、もしあるとしたらこういう性質だろう、もしあるとしたらこういう現象が起きるだろう、というようなことを熱心に考えているわけです。
しかしいかんせん観測による結果がないわけで、未だに何が正しくて何が間違っているのかが渾沌としているし、そもそも存在するのかどうかもはっきりしていないという、実に不安定な分野だったりするわけです。いろいろあって一時期重力波の研究は廃れてしまったらしいんだけど、しかしそれでも今こうして復活しているわけで、なかなかそれはすごいことだなと思ったりします。
まあそんなわけで、もし重力波というものに興味があっても、是非別の本を読んだ方がいいだろうなと思います。ホント、普通の人には難しすぎると思います。内容もですが、文章も、昔国語の授業で読まされた評論文のような感じでものすごく難解でした。これを読んで理解出来る人はそもそも頭がいいんだろうなと僕は思ったりします。
ダニエル・ケネフィック「重力波とアインシュタイン」
ある一人の物理学者が、最晩年に残したあるインタビューである。その冒頭でその物理学者はそう語りだした。
「私は昔から視力に問題があった。私の両親は、私の視力が弱いのが原因だと思い、眼科に行ったり適切なメガネを求めたりと奔走してくれた。しかし、状況は一向に改善されなかった」
その物理学者は今、世界中から大いに注目を集めている。その特殊な視覚そのものにも注目が集まっているが、しかしそれ以上に、その視覚によって見えるものの方への関心の方が強いだろう。
「病院にも何度も通わされたけど、原因はまったく分からなかった。あらゆる検査をしたけど、機能的には何の問題もなかった。その内、精神的な問題かもしれないと両親は考えたのだろう。カウンセラーや精神科医と話す事も多くなっていきました」
その物理学者が見ている光景は、他の人間には決して見ることが出来ないものだ。彼が本当にそういう光景を見ているのかどうかも、ほとんど確かめようがない。それでも、彼が嘘をついているように見えないこと、そしてその理由がまったく見当たらないことを根拠に、多くの物理学者が彼の話を信じようとしている。
「私にも、初め何が起こっているのかまったくわかりませんでした。私には、何かが見えていた。しかしそれは、他の人が見ている光景ではないようだったし、何よりも日常生活に意味のある光景ではなかった。今でも私には、鉛筆や夕陽や人間と言ったものはまったく見えません。そういう意味で私は失明していると言っていいでしょう」
物理学は大いに期待しているのだ。これまで謎だった理論が、彼によって進んでいくのではないかと。
「その内物理学を学ぶようになり、私は自分が見ているものが何なのか分かるようになっていきました。要するに私の視覚は、顕微鏡のようなものだったわけです。倍率が極端に大きく、極限的に小さなものしか見えない。そういう眼だったのです。
私に見えていたのは、ひも状のものが振動している様子でした。それは、すべての粒子はひもの振動によって説明できるとするひも理論を目の当たりにしているということだと私は思いました。
ただ私は、このことをこれまで誰にも言いませんでした。言って信用されるとは思わなかったからです。私はもう老い先短い。今なら、私の発言がどう受け取られようと後悔はしないだろう。もしかすると、私の発言によって、理論に何か新たな展開があるかもしれない。そう期待したいと思う」
彼のインタビューから10年後、まさに彼の発言をきっかけとして研究が加速したことで、ひも理論は正しいものとして公に認められることになった。
一銃「とある物理学者の告白」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、タイトルにもあるように「重力波」と呼ばれるものに関する本です。
重力波というのはそもそも、アインシュタインが発表した一般相対性理論に端を発します。一般相対性理論からの帰結として、重力波というものが考えうるという考えが出てきたわけです。
この重力波というのは多分に、電磁気学からのアナロジーとして現れました。電磁気学では、場の理論というものがあります。これは、電磁場と呼ばれるものがあり、それが電磁波という波を出しているのだ、というような解釈です。
これと同じようなアナロジーで、重力場というものが存在し、そこから重力波と呼ばれる波が出ているのではないか。そういう風に考えられたわけです。
しかしこの重力波に関しては、様々な紆余曲折を経ることになります。そもそもアインシュタインでさえも、二度重力波は存在しないという立場に回っています。重力波という考えが出された当初は、その存在に対して懐疑的な物理学者の方が多かったわけですが、しかし時を経るにつれ重力波は間違いなく存在するだろうという風に傾いていき、今ではもうそろそろ観測されるのではないか、とまで言われているわけです。
本作では、その重力波に関わる紆余曲折を描いています。
まあそんな感じの作品なんですけど、この作品はちょっと難しすぎました。僕は読んでて、ほぼ理解できませんでした。本作はまず間違いなく一般向けの作品ではないですね。少なくとも、大学とかで一般性相対性理論について少しぐらい齧ったりしていないと無理じゃないかなと思います。結構難しめの用語が説明なく使われていたり、そもそも現役の若手物理学者が書いている本なので、一般人の目線で描かれていないという点があります。
僕は本作のような理系作品をよく読むんですけど、そういう作品は大きく以下の四つに分けられると思います。
①内容が簡単で、文章が読みやすい
②内容が簡単で、文章が読みにくい
③内容が難しく、文章が読みやすい
④内容が難しく、文章が読みにくい
本作は残念ながら、明らかに④です。内容のレベルの高さもさることながら、とにかく文章が読みにくくて仕方ありません。これは先ほども書いた通り、現役の物理学者が書いているために、一般人の目線で描かれていないという部分が大きいと思いますが、訳の方も問題があったりするんじゃないかなと思います。そもそもの文章が難解なのでこれ以上の訳は無理だったのかもしれないけど、でもこの文章はちょっと読みにくすぎます。
①の例としては、集英社新書から出ている「時間はどこで生まれるのか」が挙げられますね。これは、量子論を扱っていながら内容は結構分かりやすく書かれていて、かつ著者が予備校の先生ということもあるだろうけど、文章が読みやすいです。
②というのはあんまりなさそうな気がしますね。
③の例としては、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」が挙げられるでしょう。これはこれまで読んだ理系作品の中でもトップクラスに素晴らしい作品でした。内容は、現代物理学の総括みたいなものなので、相当レベルが高いです。かなり難しいと言っていいでしょう。でも、文章がとんでもなく読みやすいんですね。著者も、周囲の人に何度も読んでもらったと書いているし、そもそも僕のような一般人にむけて書いているので、内容がかなり難しい本でもどうにかついていけました。近年の物理学についてそこそこのレベルでちゃんと知りたいという人にはまさにうってつけの作品です。
あと、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」もこの④に分類できそうな感じですが、しかしこのサイモン・シンの作品というのはあまりにも文章が読みやすいので、内容までも簡単に感じられるという部分があります。なので、実際は④なんだけど、感覚的には①のように思える作品だったりします。
まあそんなわけで、本作はちょっと一般人には難しすぎると思いますね。
少しだけ内容に触れましょう。と言ってもほとんど理解できなかったので書けることは多くないんですけど、重力波の研究というのがいかに普通の物理学とかけ離れているかという話を書いて終わりにしようと思います。
普通物理学というのがどのように進歩していくかという話をまずはしましょう。普通は、これまで考えられてきた物理学に反するある観測結果が現れるわけです。例えば有名なのは地動説でしょうかね。昔は太陽が地球の周りを回っていると考えられていたけど、しかしそれだけ火星の軌道を説明するのに酷く骨の折れる理屈が必要でした。火星の軌道をもっと簡単に説明するには、地球が太陽の周りを回っているとする方が自然だ、という考えになるわけですね。一般性相対性理論は結果的にエーテルの存在を否定することになったし、量子論にしても、これまでの理屈では説明できない現象を理解するために生み出され発展していったわけです。つまり物理の進歩には何にせよ、何らかの実験結果や観測結果が必要だということです。
しかし重力波というのはそういう分野とはまったく違う進展をします。そもそも重力波というのは、未だに予想でしかありません。あるかどうかまだ分からないわけです。そもそもが、一般相対性理論の帰結として考えられたもので、こういうものがあるかもしれない、というところからスタートしています。しかしこの重力波というのは、もし存在するとしても、あまりにも小さすぎて限りなく検出が難しいと言われているもので、1910年代に重力波が提唱されてから今まで、結局一度も実験によるデータのない分野になってしまったわけです。だから理論物理学者は、もしあるとしたらこういう性質だろう、もしあるとしたらこういう現象が起きるだろう、というようなことを熱心に考えているわけです。
しかしいかんせん観測による結果がないわけで、未だに何が正しくて何が間違っているのかが渾沌としているし、そもそも存在するのかどうかもはっきりしていないという、実に不安定な分野だったりするわけです。いろいろあって一時期重力波の研究は廃れてしまったらしいんだけど、しかしそれでも今こうして復活しているわけで、なかなかそれはすごいことだなと思ったりします。
まあそんなわけで、もし重力波というものに興味があっても、是非別の本を読んだ方がいいだろうなと思います。ホント、普通の人には難しすぎると思います。内容もですが、文章も、昔国語の授業で読まされた評論文のような感じでものすごく難解でした。これを読んで理解出来る人はそもそも頭がいいんだろうなと僕は思ったりします。
ダニエル・ケネフィック「重力波とアインシュタイン」
慟哭 小説・林郁夫裁判(佐木隆三)
「99%探偵って知ってる?」
「何それ?ドラマとか?」
「じゃなくて。ホントにいる人みたいなんだけどね。的中率が99%を超えるんだって」
「的中率って何が?」
「だから、よくマンガとかであるでしょ?殺人事件とかが起きてさ、『犯人はこの中にいる!』ってやつ。現実にそういう探偵さんがいてね、しかもほとんど間違わないんだって」
「へぇ、すごいじゃん。じゃあその99%探偵がいれば、警察なんてもう全然いらないよね」
「そのはずなんだけどねぇ。でもさ、そんな探偵がホントにいたらさ、もっとニュースとかにバンバン出てきてもよくない?」
「何それ?じゃあホントはいないの?」
「わかんないんだってば。どうなんだろう。ホントにいるのかなぁ、99%探偵」
その頃、99%探偵は。
「犯人はこの中にいる」
99%探偵は声を張り上げた。
「犯人は、二人の人間を殺し、その後発見を遅らせる目的で密室状態を作りだし、またさらに3人を殺害しその死体をバラバラにした。どちらの犯行においても関係者全員にアリバイがなく決め手に欠けていたが…(中略)…、だから、犯人はお前だ!」
そう言って99%探偵は一人の男を指差す。
その男は、腰縄をつけ、裁判長の前に正対している。
被告人である。
そして、99%探偵は、その被告人の弁護人である。
99%探偵は、ミステリー小説が大好きだった。いつか自分も探偵になって、事件をバンバン解決したい、そんな風に思っていたのだ。
しかしもちろんそんな風になれるわけもなく、彼は弁護士になった。しかし彼は、自分の希望を満足させる方法を思いついたのだ。
それが、法廷で探偵ごっこをするということ。
法廷には被告人がいて、その被告人がほぼ間違いなく犯人である。だからこそ彼は、「犯人はこの中にいる」と宣言して探偵の真似事をするのだ。そりゃあほとんど当たるというものである。何せ、日本の有罪率は99%を超えるのだから。
彼は優秀な弁護士であり、この法廷での奇行を差し引いても依頼したいと思う人が多い。裁判所としても、さして重大な問題でもないから放っておいている。
今日も99%探偵は、ほぼ間違えようのない犯人指摘をし、満足したのであった。
一銃「99%探偵」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、かつて社会を大混乱に陥れたあのオウム真理教の治療大臣であった林郁夫の、逮捕から裁判の結審までを追ったノンフィクションです。副題に、「小説・林郁夫裁判」とありますが、小説風のまとめ方をしているというだけであって、基本的にはノンフィクションです。
林郁夫は、元々優秀な心臓外科医でしたが、ある時を境に家族と共にオウム真理教に出家をしています。そのきっかけになったのが、オウム真理教による「坂本弁護士一家殺人事件」でした。元々オウム真理教に対するシンパシーは感じていたのだけど、この坂本弁護士の事件がオウム真理教の手によるものだと報道されると、オウム真理教はそんな団体ではないということを証明したいという思いが強くなり出家を決意したとのことです。
それからはオウム真理教内で主に診療を担当することになるのだけど、池田大作をポアしようとして、間違ってサリンを吸引してしまった患部を治療したり、「ナルコ」「ニューナルコ」と呼ばれる記憶を消す技術を開発し実行したり、あるいは指紋の除去手術をしたりと、様々なことをやらされるようになります。
そして最後には、あの「地下鉄サリン事件」の5人の実行者の一人として、サリンをまいたわけです。
林郁夫は当初、別の事件で逮捕されていました。元々捜査本部も、林郁夫が地下鉄サリン事件の実行犯の一人であることはまったく掴んでいなかったところに、様々な心境の変化のあった林郁夫が自ら自供したという展開です。
拘置所の中で麻原への信仰心が消え、オウム真理教と訣別する決意をし、また自らが極刑になる可能性を増大させる結果になるとしても、真実を明らかにするために積極的に証言を行った、オウム真理教絡みの事件で起訴された189人の被告の中でも特段に際立った展開をみせた林郁夫のすべてを追ったノンフィクションです。
なかなかすごい作品でした。正直そこまで期待しないで読んだんですけど、これはノンフィクションとしてなかなか素晴らしい作品なんではないかなと思いました。
オウム真理教の事件があってからもう大分時間が流れました。今でも覚えているのが、地下鉄サリン事件のあった日が小学校の卒業式で、麻原が逮捕された日が、中学校の遠足の日だったということですね。また、当時報道でよく耳にした上九一色村というのがあったと思いますけど、あれが僕の住んでたとこからそこそこ近いところにあったんですね。だからというわけでもないですけど、あの当時は結構ニュースとか見てすごいなと思っていたような気がします。
とは言え、やはりどんな大事件があっても時間はそれを風化させるわけで、今ではオウム真理教の事件なんかすっかり忘れ去られてしまっています。もちろん、オウム真理教が起こした事件によって何らかの被害を受けた人は忘れることは出来ないでしょうが、しかし一般の人からすればその後に起こった9.11の方がさらに印象深いでしょうし、その9.11さえももはや忘れ去られようとしているような気がします。
事件のあった当時中学生ぐらいだったわけで、ニュースを見ていても分からないことも多いし、そもそも報道に乗らないことも多かったでしょう。大分時間は経ちましたけど、改めてこうして当時何があったのかというのを振り返ってみるというのは大事かもしれないなと思いました。
本作はノンフィクションですが、普通のノンフィクションとは大分違った感じがします。
まず、先ほども書きましたが、副題に「小説・林郁夫裁判」とあるように、本作は全体的に小説風の構成になっています。様々な場面を、そこにカメラを置いて撮影していたかのように描写している感じで、もちろんこういう手法のノンフィクションは他にもあるでしょうけど、僕はそこまで読んだことがなかったので新鮮でした。
また、本作の特徴的な点は、著者の意見がほぼ含まれていないということですね。これに関しては賛否両方ありそうですが、僕はかなりいいと思いました。
普通ノンフィクションというのは、あるテーマや対象に対してどういう切り込み方をするのか、という点が重要になります。そのアプローチの仕方にこそ、著者の考えが反映されることになります。また、本文中にも、その時々で著者がどんな風に感じたのかという点についてどんどん描写がされるのが普通だと思います。
でも本作にはそういう部分はほとんどありません。本作は、基本的に『こういう流れで事実は推移していきましたよ』ということぉお提示しているだけの本です。オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、それから林郁夫が別の事件で逮捕され、突然地下鉄サリン事件の実行犯であると告白し、それから心を入れ替えて真相究明に全力を尽くしていく過程を、その事実の部分だけを追って描かれています。著者がどう感じたのか、というような文章はほぼありません。林郁夫に関して、起こった出来事をすべて並べた、そういう作りになっています。
上質なノンフィクションの場合、著者の意見というのは邪魔にならないんですけど、でも大抵のノンフィクションを読むと僕は、どうも著者がどう感じたのかという部分が鬱陶しく感じてしまうんですね。それはたぶん、マスコミというもの全般に不信感みたいなものがあるからなんだと思います。マスコミというのは大なり小なりいろいろありますが、基本的には知る権利や報道の自由を振りかざして、踏み込んではいけない一線まで踏み込んで無理矢理何かを明らかにしようとしているような、そんな印象があります。僕は、人が人を裁くのかなかなか難しいと思っていて、でも印象的には、マスコミに関わる人というのは何らかの形で人を裁いているように思うわけです。テレビのニュースなんかを見ていても、事実だけを報道してくれればいいのに、とよく思います。コメンテーターの推測や、野次馬的な些事はいいから、ちゃんとした事実だけを報道してほしい。細かい部分はこっちがちゃんと判断するから、と。
本作は、著者の意見は挟み込まれることはなく、こういうことがあったという事実の提示だけをしています。読んだ結果どう判断するかという部分はきちんと読者の側に残してくれています。そういうノンフィクションというのは僕は好きですね。そういう意味で、僕はこの作品が結構好きだったりします。
ただすごいなと思うのは、事実を提示するだけで一冊の本になってしまんだな、ということです。普通何か事件に関するノンフィクションを書こうとしても、事実を書き並べるだけでは到底分量が足りないでしょう。だからこそ著者独自の視点というのが必要となるんでしょうけど、この林郁夫の裁判に関しては、事実を提示するだけでドラマチックなんですね。特に前半、林郁夫が逮捕されてから自供に至るまでの取調室でのやり取りというのはかなり読み応えがあります。特にこの部分が小説風だなと僕は思うわけですけど、警部補と巡査部長が、林郁夫というなかなか理解しがたい相手と相対し、最終的に心を開かせる過程を読むと、事実は小説よりも奇なりと実感できます。
また裁判部分もなかなかいいと思います。僕はそもそも、林郁夫にどんな判決が下されたのか知らなかったので、この裁判の流れでどういう判決になるのだろうか、という興味も併せて読んでいました。裁判の部分を読むと、いかに林郁夫という人物が元々頭がいい人間だったのかということがよくわかりますね。本当に、何でこんなに頭のいい人がオウム真理教なんかに騙されてしまったんだろうなと思います。
僕はこれまで、オウム真理教関連の被疑者というのはすべて一緒くたに見ていましたけど、どうやらこの林郁夫という人物だけはちょっと違うようです。他の被疑者に関して詳しいことはまったく知らないので完全に憶測ですが、林郁夫ほど真摯で正しいことをしようとした人間はいなかったでしょう。もちろん、地下鉄サリン事件を含め、様々な違法行為に手を染めたことはダメですが、しかし、地下鉄サリン事件によって命を落とした被害者の遺族からもその態度に対して寛容な言葉が出るほど、裁判においては真摯な態度だったようです。オウム真理教に騙されさえしなければ、素晴らしい人格者であったことでしょう。それが残念です。
多くの被害者がいる事件を扱った作品を読んで面白いと書くのは不謹慎でしょうが、なかなか興味深い作品でした。すでに風化しつつある事件だからこそ、こういう作品は読まれるべきだなと思いました。僕は人間を信じていないので、また同じような宗教が現れ、同じような事件を起こすことだってありえるでしょう。恐らくそこで、僕達は過去の教訓を活かすことは出来ないでしょう。それでも、こういうことがあったのだということを知っておくのは意味のあることではないかと思います。是非読んでみてください。
佐木隆三「慟哭 小説・林郁夫裁判」
「何それ?ドラマとか?」
「じゃなくて。ホントにいる人みたいなんだけどね。的中率が99%を超えるんだって」
「的中率って何が?」
「だから、よくマンガとかであるでしょ?殺人事件とかが起きてさ、『犯人はこの中にいる!』ってやつ。現実にそういう探偵さんがいてね、しかもほとんど間違わないんだって」
「へぇ、すごいじゃん。じゃあその99%探偵がいれば、警察なんてもう全然いらないよね」
「そのはずなんだけどねぇ。でもさ、そんな探偵がホントにいたらさ、もっとニュースとかにバンバン出てきてもよくない?」
「何それ?じゃあホントはいないの?」
「わかんないんだってば。どうなんだろう。ホントにいるのかなぁ、99%探偵」
その頃、99%探偵は。
「犯人はこの中にいる」
99%探偵は声を張り上げた。
「犯人は、二人の人間を殺し、その後発見を遅らせる目的で密室状態を作りだし、またさらに3人を殺害しその死体をバラバラにした。どちらの犯行においても関係者全員にアリバイがなく決め手に欠けていたが…(中略)…、だから、犯人はお前だ!」
そう言って99%探偵は一人の男を指差す。
その男は、腰縄をつけ、裁判長の前に正対している。
被告人である。
そして、99%探偵は、その被告人の弁護人である。
99%探偵は、ミステリー小説が大好きだった。いつか自分も探偵になって、事件をバンバン解決したい、そんな風に思っていたのだ。
しかしもちろんそんな風になれるわけもなく、彼は弁護士になった。しかし彼は、自分の希望を満足させる方法を思いついたのだ。
それが、法廷で探偵ごっこをするということ。
法廷には被告人がいて、その被告人がほぼ間違いなく犯人である。だからこそ彼は、「犯人はこの中にいる」と宣言して探偵の真似事をするのだ。そりゃあほとんど当たるというものである。何せ、日本の有罪率は99%を超えるのだから。
彼は優秀な弁護士であり、この法廷での奇行を差し引いても依頼したいと思う人が多い。裁判所としても、さして重大な問題でもないから放っておいている。
今日も99%探偵は、ほぼ間違えようのない犯人指摘をし、満足したのであった。
一銃「99%探偵」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、かつて社会を大混乱に陥れたあのオウム真理教の治療大臣であった林郁夫の、逮捕から裁判の結審までを追ったノンフィクションです。副題に、「小説・林郁夫裁判」とありますが、小説風のまとめ方をしているというだけであって、基本的にはノンフィクションです。
林郁夫は、元々優秀な心臓外科医でしたが、ある時を境に家族と共にオウム真理教に出家をしています。そのきっかけになったのが、オウム真理教による「坂本弁護士一家殺人事件」でした。元々オウム真理教に対するシンパシーは感じていたのだけど、この坂本弁護士の事件がオウム真理教の手によるものだと報道されると、オウム真理教はそんな団体ではないということを証明したいという思いが強くなり出家を決意したとのことです。
それからはオウム真理教内で主に診療を担当することになるのだけど、池田大作をポアしようとして、間違ってサリンを吸引してしまった患部を治療したり、「ナルコ」「ニューナルコ」と呼ばれる記憶を消す技術を開発し実行したり、あるいは指紋の除去手術をしたりと、様々なことをやらされるようになります。
そして最後には、あの「地下鉄サリン事件」の5人の実行者の一人として、サリンをまいたわけです。
林郁夫は当初、別の事件で逮捕されていました。元々捜査本部も、林郁夫が地下鉄サリン事件の実行犯の一人であることはまったく掴んでいなかったところに、様々な心境の変化のあった林郁夫が自ら自供したという展開です。
拘置所の中で麻原への信仰心が消え、オウム真理教と訣別する決意をし、また自らが極刑になる可能性を増大させる結果になるとしても、真実を明らかにするために積極的に証言を行った、オウム真理教絡みの事件で起訴された189人の被告の中でも特段に際立った展開をみせた林郁夫のすべてを追ったノンフィクションです。
なかなかすごい作品でした。正直そこまで期待しないで読んだんですけど、これはノンフィクションとしてなかなか素晴らしい作品なんではないかなと思いました。
オウム真理教の事件があってからもう大分時間が流れました。今でも覚えているのが、地下鉄サリン事件のあった日が小学校の卒業式で、麻原が逮捕された日が、中学校の遠足の日だったということですね。また、当時報道でよく耳にした上九一色村というのがあったと思いますけど、あれが僕の住んでたとこからそこそこ近いところにあったんですね。だからというわけでもないですけど、あの当時は結構ニュースとか見てすごいなと思っていたような気がします。
とは言え、やはりどんな大事件があっても時間はそれを風化させるわけで、今ではオウム真理教の事件なんかすっかり忘れ去られてしまっています。もちろん、オウム真理教が起こした事件によって何らかの被害を受けた人は忘れることは出来ないでしょうが、しかし一般の人からすればその後に起こった9.11の方がさらに印象深いでしょうし、その9.11さえももはや忘れ去られようとしているような気がします。
事件のあった当時中学生ぐらいだったわけで、ニュースを見ていても分からないことも多いし、そもそも報道に乗らないことも多かったでしょう。大分時間は経ちましたけど、改めてこうして当時何があったのかというのを振り返ってみるというのは大事かもしれないなと思いました。
本作はノンフィクションですが、普通のノンフィクションとは大分違った感じがします。
まず、先ほども書きましたが、副題に「小説・林郁夫裁判」とあるように、本作は全体的に小説風の構成になっています。様々な場面を、そこにカメラを置いて撮影していたかのように描写している感じで、もちろんこういう手法のノンフィクションは他にもあるでしょうけど、僕はそこまで読んだことがなかったので新鮮でした。
また、本作の特徴的な点は、著者の意見がほぼ含まれていないということですね。これに関しては賛否両方ありそうですが、僕はかなりいいと思いました。
普通ノンフィクションというのは、あるテーマや対象に対してどういう切り込み方をするのか、という点が重要になります。そのアプローチの仕方にこそ、著者の考えが反映されることになります。また、本文中にも、その時々で著者がどんな風に感じたのかという点についてどんどん描写がされるのが普通だと思います。
でも本作にはそういう部分はほとんどありません。本作は、基本的に『こういう流れで事実は推移していきましたよ』ということぉお提示しているだけの本です。オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、それから林郁夫が別の事件で逮捕され、突然地下鉄サリン事件の実行犯であると告白し、それから心を入れ替えて真相究明に全力を尽くしていく過程を、その事実の部分だけを追って描かれています。著者がどう感じたのか、というような文章はほぼありません。林郁夫に関して、起こった出来事をすべて並べた、そういう作りになっています。
上質なノンフィクションの場合、著者の意見というのは邪魔にならないんですけど、でも大抵のノンフィクションを読むと僕は、どうも著者がどう感じたのかという部分が鬱陶しく感じてしまうんですね。それはたぶん、マスコミというもの全般に不信感みたいなものがあるからなんだと思います。マスコミというのは大なり小なりいろいろありますが、基本的には知る権利や報道の自由を振りかざして、踏み込んではいけない一線まで踏み込んで無理矢理何かを明らかにしようとしているような、そんな印象があります。僕は、人が人を裁くのかなかなか難しいと思っていて、でも印象的には、マスコミに関わる人というのは何らかの形で人を裁いているように思うわけです。テレビのニュースなんかを見ていても、事実だけを報道してくれればいいのに、とよく思います。コメンテーターの推測や、野次馬的な些事はいいから、ちゃんとした事実だけを報道してほしい。細かい部分はこっちがちゃんと判断するから、と。
本作は、著者の意見は挟み込まれることはなく、こういうことがあったという事実の提示だけをしています。読んだ結果どう判断するかという部分はきちんと読者の側に残してくれています。そういうノンフィクションというのは僕は好きですね。そういう意味で、僕はこの作品が結構好きだったりします。
ただすごいなと思うのは、事実を提示するだけで一冊の本になってしまんだな、ということです。普通何か事件に関するノンフィクションを書こうとしても、事実を書き並べるだけでは到底分量が足りないでしょう。だからこそ著者独自の視点というのが必要となるんでしょうけど、この林郁夫の裁判に関しては、事実を提示するだけでドラマチックなんですね。特に前半、林郁夫が逮捕されてから自供に至るまでの取調室でのやり取りというのはかなり読み応えがあります。特にこの部分が小説風だなと僕は思うわけですけど、警部補と巡査部長が、林郁夫というなかなか理解しがたい相手と相対し、最終的に心を開かせる過程を読むと、事実は小説よりも奇なりと実感できます。
また裁判部分もなかなかいいと思います。僕はそもそも、林郁夫にどんな判決が下されたのか知らなかったので、この裁判の流れでどういう判決になるのだろうか、という興味も併せて読んでいました。裁判の部分を読むと、いかに林郁夫という人物が元々頭がいい人間だったのかということがよくわかりますね。本当に、何でこんなに頭のいい人がオウム真理教なんかに騙されてしまったんだろうなと思います。
僕はこれまで、オウム真理教関連の被疑者というのはすべて一緒くたに見ていましたけど、どうやらこの林郁夫という人物だけはちょっと違うようです。他の被疑者に関して詳しいことはまったく知らないので完全に憶測ですが、林郁夫ほど真摯で正しいことをしようとした人間はいなかったでしょう。もちろん、地下鉄サリン事件を含め、様々な違法行為に手を染めたことはダメですが、しかし、地下鉄サリン事件によって命を落とした被害者の遺族からもその態度に対して寛容な言葉が出るほど、裁判においては真摯な態度だったようです。オウム真理教に騙されさえしなければ、素晴らしい人格者であったことでしょう。それが残念です。
多くの被害者がいる事件を扱った作品を読んで面白いと書くのは不謹慎でしょうが、なかなか興味深い作品でした。すでに風化しつつある事件だからこそ、こういう作品は読まれるべきだなと思いました。僕は人間を信じていないので、また同じような宗教が現れ、同じような事件を起こすことだってありえるでしょう。恐らくそこで、僕達は過去の教訓を活かすことは出来ないでしょう。それでも、こういうことがあったのだということを知っておくのは意味のあることではないかと思います。是非読んでみてください。
佐木隆三「慟哭 小説・林郁夫裁判」
神に頼って走れ!(高野秀行)
それは突然の出来事だった。
雨が降りそうな嫌な天気の中、僕は遅刻すまいと学校に向けて必至でペダルを漕いでいた。このまま行けば、ぎりぎり間に合うか間に合わないかという時間。とにかく飛ばすしかない。
そうやってめったやたらにペダルを漕いでいる時だった。身体がふっと軽くなる瞬間があって、それから僕の身体は自転車毎宙に浮いていたのである。
マジかよ!
ちょうどそのタイミングで雨が降ってきた。何だか知らないけど、宙に浮いてはいるけど、ペダルを漕げば前に進む。とにかく遅れないようにと必至だった。
ほとんど学校近くになると、よくわからないけど僕はまた地面に戻った。
もちろん僕はクラスメイトに自慢した。
「空飛ぶ自転車を手に入れたんだ!」
もちろん皆信じようとはしなかった。しかし僕を嘘つき呼ばわるする奴もいなかった。僕は普段真面目な人間なのだ。そんな僕が突然おかしなことを言い出したので、みんな戸惑っているように見える。
僕は嘘じゃないことを証明しようとした。外じゃあまだ雨は降ってるけど、そんなことは関係ない。僕は濡れるのも構わず外に飛び出して、自転車にまたがった。しかし、漕げども漕げども宙に浮く気配はない。
みんなは優しい言葉をかけてくれた。夢でも見てたんだって。ちょっと疲れてるんじゃないか。そんな風に言われる度に、僕は自分が嘘つきになってしまったみたいで悲しくなった。
どうして飛べないんだろう。っていうか、何であの時は飛べたんだろう。
次の日。僕は何だか自転車に乗る気になれなくて、ちょっと遠いけど歩いていくことにした。っていうか天気もいいし、ちょっと走っていこうかな。風を切って僕は走る。
すると僕の身体はふわりと浮かんだのだ。
僕はそれからもいろいろ考えて研究した。その上で友達を家に呼んでみることにしたのだ。
実験は扇風機の前で。自分の前髪を扇風機の風に当てる。
すると僕の身体はふわりと浮き上がったのだ。前髪が風でなびくと浮く。僕はそういう身体になっていたようである。
一銃「浮遊」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、とある事情によりとある願いを叶えたいと願った著者が、その願いを神様に祈るべく、自転車で東京から沖縄までを走破し、その途中で見つけた神様にひたすら祈りまくる、という話です。何を願っているのかについては、「怪魚ウモッカ格闘記」のネタバレになってしまうので書かないですが、でも本作の冒頭にばっちり書いてあるので別にいいのかなとも思ったり。いやでもまあ、ネタバレはやっぱいかんのでやめときます。
とにかく自転車に乗って走る走る走る。神社やお寺やそれらしいところを見つけてはひたすら祈る。その旅の過程を本にまとめたものです。
正直、あんまり面白くないです。高野秀行の作品はこれまで外れなしでしたが、本作は初めての外れでしたね。まあ内容が内容なんで仕方ないかなとも思いますけど。
高野秀行が動くと大抵何かが起こるのだけど、今回はそれがどうも少ない。あんまり何も起こらない。そこそこ面白い出来事がいくつかあるぐらいである。それ以外はまあ割と普通。ってまあ、いつだって面白いことが起こるわけでもないし、そんなアホみたいな期待をずっとされてるのもうっとうしいでしょうが、でもやっぱり何か起こって欲しいですよね、高野秀行には。
まあそんなわけで、あんまり面白くない作品でした。まあたまにはこういうのも仕方ないでしょう。
ホントは数時間前にきちんとこの感想を書き終えていて、それからすぐちゃんと蒲団で寝ているはずだったんですけど、何故かこんな時間…。おかしい。おかしいなぁ。というわけで、さっさと寝ます。
高野秀行「神に頼って走れ!」
雨が降りそうな嫌な天気の中、僕は遅刻すまいと学校に向けて必至でペダルを漕いでいた。このまま行けば、ぎりぎり間に合うか間に合わないかという時間。とにかく飛ばすしかない。
そうやってめったやたらにペダルを漕いでいる時だった。身体がふっと軽くなる瞬間があって、それから僕の身体は自転車毎宙に浮いていたのである。
マジかよ!
ちょうどそのタイミングで雨が降ってきた。何だか知らないけど、宙に浮いてはいるけど、ペダルを漕げば前に進む。とにかく遅れないようにと必至だった。
ほとんど学校近くになると、よくわからないけど僕はまた地面に戻った。
もちろん僕はクラスメイトに自慢した。
「空飛ぶ自転車を手に入れたんだ!」
もちろん皆信じようとはしなかった。しかし僕を嘘つき呼ばわるする奴もいなかった。僕は普段真面目な人間なのだ。そんな僕が突然おかしなことを言い出したので、みんな戸惑っているように見える。
僕は嘘じゃないことを証明しようとした。外じゃあまだ雨は降ってるけど、そんなことは関係ない。僕は濡れるのも構わず外に飛び出して、自転車にまたがった。しかし、漕げども漕げども宙に浮く気配はない。
みんなは優しい言葉をかけてくれた。夢でも見てたんだって。ちょっと疲れてるんじゃないか。そんな風に言われる度に、僕は自分が嘘つきになってしまったみたいで悲しくなった。
どうして飛べないんだろう。っていうか、何であの時は飛べたんだろう。
次の日。僕は何だか自転車に乗る気になれなくて、ちょっと遠いけど歩いていくことにした。っていうか天気もいいし、ちょっと走っていこうかな。風を切って僕は走る。
すると僕の身体はふわりと浮かんだのだ。
僕はそれからもいろいろ考えて研究した。その上で友達を家に呼んでみることにしたのだ。
実験は扇風機の前で。自分の前髪を扇風機の風に当てる。
すると僕の身体はふわりと浮き上がったのだ。前髪が風でなびくと浮く。僕はそういう身体になっていたようである。
一銃「浮遊」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、とある事情によりとある願いを叶えたいと願った著者が、その願いを神様に祈るべく、自転車で東京から沖縄までを走破し、その途中で見つけた神様にひたすら祈りまくる、という話です。何を願っているのかについては、「怪魚ウモッカ格闘記」のネタバレになってしまうので書かないですが、でも本作の冒頭にばっちり書いてあるので別にいいのかなとも思ったり。いやでもまあ、ネタバレはやっぱいかんのでやめときます。
とにかく自転車に乗って走る走る走る。神社やお寺やそれらしいところを見つけてはひたすら祈る。その旅の過程を本にまとめたものです。
正直、あんまり面白くないです。高野秀行の作品はこれまで外れなしでしたが、本作は初めての外れでしたね。まあ内容が内容なんで仕方ないかなとも思いますけど。
高野秀行が動くと大抵何かが起こるのだけど、今回はそれがどうも少ない。あんまり何も起こらない。そこそこ面白い出来事がいくつかあるぐらいである。それ以外はまあ割と普通。ってまあ、いつだって面白いことが起こるわけでもないし、そんなアホみたいな期待をずっとされてるのもうっとうしいでしょうが、でもやっぱり何か起こって欲しいですよね、高野秀行には。
まあそんなわけで、あんまり面白くない作品でした。まあたまにはこういうのも仕方ないでしょう。
ホントは数時間前にきちんとこの感想を書き終えていて、それからすぐちゃんと蒲団で寝ているはずだったんですけど、何故かこんな時間…。おかしい。おかしいなぁ。というわけで、さっさと寝ます。
高野秀行「神に頼って走れ!」
走れ!T校バスケット部(松崎洋)
「面白いバスケ考えたんだ」
「何だよ、唐突に。面白いバスケ?」
「そうそう。名づけて『竹馬バスケ』」
「はぁ。何だそりゃ?」
「名前の通り、竹馬に乗ってバスケするんだよ」
「んじゃ手が塞がってるじゃんか」
「あぁ、そうか。いや、大丈夫大丈夫。ほら、下駄みたいなのを想像してよ。歯の部分がさ、異常に長いみたいな。それなら手も使えるでしょ」
「まあね。それで?」
「ゴールをね、無茶苦茶高くするわけ。3メートル以上は欲しいね」
「なるほど、それで竹馬だと」
「そうそう。竹馬ってさ、高ければ高いほど動き難くて不利でしょ?けどね、得点に秘密があるわけ?」
「ダンクシュートだと点が高いとか?」
「そう!まさにその通り!普通のシュートやスリーポイントシュートは同じだけど、ダンクシュートだけ得点が10点なんだ。これで、竹馬を高くしてダンクを狙うか、竹馬を低くして安定性を狙うかっていう戦略が生まれるわけだな」
「なるほどなぁ」
「しかも、床に足がついたら反則で点がどんどん減ってくんだよ」
「斬新だね。球技で減点方式なんて、これまでなかっただろうからね」
「だろ。結構面白そうだと思わないか?」
こうして、背の低い二人は、自分達には不利なスポーツであるバスケットボールをいかに楽しもうかと日々妄想しているのである。
一銃「バスケットボール」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、都立T校という、それまでは試合で一回戦負けしかしたことのない弱小バスケットボールチームを舞台にした小説です。
T校バスケットボールは、陽一が入ってきたことですべてが動き始めます。陽一はかつて、超一流校でバスケをしていたけど、とある事情でT校にやってくることになったのでした。
先輩達にせめて一勝だけでもさせて卒業させてあげたい。そう願う部員たちに後押しされるようにして、陽一は彼らに基礎からバスケを教えることになります。
その内に、一人一人の特徴がわかってきます。
とにかく足が速いメガネ。ジャンプボールに強いのぞき魔。文句ばかり言うクセにここぞという時はちゃんとやるチビ。むちゃくちゃな巨体でゴール下に立ちはだかる健太。そして俊介は…まあいろいろあるわけだけど、それは読んでのお楽しみ。
弱小だったはずのバスケットボールチームがにわかに強くなっていき、マネージャーもつき、試合にもどんどん勝てるようになっていき、バスケを通じた知り合いもどんどん増え、そうして彼らは、ついにあの高校と戦うことになるのである…。
というような話です。
さて本作はですね、非常にベタなスポーツ小説ですね。ごくごく普通です。なんて書くと貶しているように感じるかもですがそんなことはなくて、結構面白かったです。ただスポーツ物の小説ってどうしてもレベルがはっきり分かれてしまう部分があって、本作はやっぱり中くらいの出来かなと思います。
スポーツ物の小説はどうしても僕の中で、三浦しをんの「風が強く吹いている」、佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」、森絵都の「DIVE!!」が3強なので、どうしてもこれと比べてしまうわけです。そうなると、大抵のスポーツ物の小説は普通に見えてしまいますね。本作も、割合面白い小説だと思うんですけど、まあ全体的には普通かなと思います。
小説の展開はベタな感じです。王道というか、よくあるというか。弱小チームに強い選手が入り、それが刺激になって周りも頑張るようになっていき、またいい出会いに恵まれたりして、試合にどんどん勝っていく、という感じですね。
キャラクターはですね、なかなかよく出来てると思います。キャラクターがしっかりしてるから、読んでてなかなか面白い小説になっているなという感じがします。
超一流校から転校してきたにも関わらず、バスケについて自慢するでもなくひたむきな陽一。女の子に目移りするのぞき魔。いつも文句ばっかり言って場を和ませたり盛り上げたりするチビ。チビとのコンビが面白いメガネ。底抜けの食欲の健太。スマートだけど努力家の俊介。
そして何よりも、顧問の先生である小山先生がなかなかいいキャラしてますね。こんな顧問の先生だったら面白いだろうなと思わせる先生でした。
本作には著者の略歴がまったく載ってないんですけど、いろんなことを総合して考えると、この著者は恐らく、現役かどうかは別として、バスケの監督でしょうね。有名校(と思われる)のバスケの監督からの推薦があったり、本になる前にバスケ部員でコピーして回し読みしてたとか書いてあるので、どこかのバスケの監督が書いた小説なんでしょう。
しかし、この本なかなかすごいんですよ。去年の2月に発売されたんですけど、去年の10月の段階で10刷まで行ってます。一回の重版が3000部(確か重版の最低ロットがそれぐらいだった気がする)だとしても、10刷で3万部。去年の10月の時点で3万部ということは、今現在では最低でも5万部、もしかしたら8万部は超えてるかもしれません。
この本が売れない世の中にあって、『彩雲出版』なんていう本屋で働いている僕でさえも聞いたことのないような弱小出版社が出した本が、最低でも5万部超えてる(かもしれない)というのはちょっとすごいですね。小説に限らず本というのは大体、10万部を超えればかなり売れてる、20万部を超えればベストセラーと言ってもいいくらいの世界です。その中で5万部という数字はかなり頑張ってるわけで、すごいなと思いました。
確かに一時期この本よく聞かれたんですよね。どこかで話題になっていたんでしょうね。口コミで広がっている本なのかもしれません。まあなかなか面白いです。買って損することはないと思います。まあでも、帯の文句はちょっと言いすぎだと思いますけどね。機会があれば読んでみてください。
松崎洋「走れ!T校バスケット部」
「何だよ、唐突に。面白いバスケ?」
「そうそう。名づけて『竹馬バスケ』」
「はぁ。何だそりゃ?」
「名前の通り、竹馬に乗ってバスケするんだよ」
「んじゃ手が塞がってるじゃんか」
「あぁ、そうか。いや、大丈夫大丈夫。ほら、下駄みたいなのを想像してよ。歯の部分がさ、異常に長いみたいな。それなら手も使えるでしょ」
「まあね。それで?」
「ゴールをね、無茶苦茶高くするわけ。3メートル以上は欲しいね」
「なるほど、それで竹馬だと」
「そうそう。竹馬ってさ、高ければ高いほど動き難くて不利でしょ?けどね、得点に秘密があるわけ?」
「ダンクシュートだと点が高いとか?」
「そう!まさにその通り!普通のシュートやスリーポイントシュートは同じだけど、ダンクシュートだけ得点が10点なんだ。これで、竹馬を高くしてダンクを狙うか、竹馬を低くして安定性を狙うかっていう戦略が生まれるわけだな」
「なるほどなぁ」
「しかも、床に足がついたら反則で点がどんどん減ってくんだよ」
「斬新だね。球技で減点方式なんて、これまでなかっただろうからね」
「だろ。結構面白そうだと思わないか?」
こうして、背の低い二人は、自分達には不利なスポーツであるバスケットボールをいかに楽しもうかと日々妄想しているのである。
一銃「バスケットボール」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、都立T校という、それまでは試合で一回戦負けしかしたことのない弱小バスケットボールチームを舞台にした小説です。
T校バスケットボールは、陽一が入ってきたことですべてが動き始めます。陽一はかつて、超一流校でバスケをしていたけど、とある事情でT校にやってくることになったのでした。
先輩達にせめて一勝だけでもさせて卒業させてあげたい。そう願う部員たちに後押しされるようにして、陽一は彼らに基礎からバスケを教えることになります。
その内に、一人一人の特徴がわかってきます。
とにかく足が速いメガネ。ジャンプボールに強いのぞき魔。文句ばかり言うクセにここぞという時はちゃんとやるチビ。むちゃくちゃな巨体でゴール下に立ちはだかる健太。そして俊介は…まあいろいろあるわけだけど、それは読んでのお楽しみ。
弱小だったはずのバスケットボールチームがにわかに強くなっていき、マネージャーもつき、試合にもどんどん勝てるようになっていき、バスケを通じた知り合いもどんどん増え、そうして彼らは、ついにあの高校と戦うことになるのである…。
というような話です。
さて本作はですね、非常にベタなスポーツ小説ですね。ごくごく普通です。なんて書くと貶しているように感じるかもですがそんなことはなくて、結構面白かったです。ただスポーツ物の小説ってどうしてもレベルがはっきり分かれてしまう部分があって、本作はやっぱり中くらいの出来かなと思います。
スポーツ物の小説はどうしても僕の中で、三浦しをんの「風が強く吹いている」、佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」、森絵都の「DIVE!!」が3強なので、どうしてもこれと比べてしまうわけです。そうなると、大抵のスポーツ物の小説は普通に見えてしまいますね。本作も、割合面白い小説だと思うんですけど、まあ全体的には普通かなと思います。
小説の展開はベタな感じです。王道というか、よくあるというか。弱小チームに強い選手が入り、それが刺激になって周りも頑張るようになっていき、またいい出会いに恵まれたりして、試合にどんどん勝っていく、という感じですね。
キャラクターはですね、なかなかよく出来てると思います。キャラクターがしっかりしてるから、読んでてなかなか面白い小説になっているなという感じがします。
超一流校から転校してきたにも関わらず、バスケについて自慢するでもなくひたむきな陽一。女の子に目移りするのぞき魔。いつも文句ばっかり言って場を和ませたり盛り上げたりするチビ。チビとのコンビが面白いメガネ。底抜けの食欲の健太。スマートだけど努力家の俊介。
そして何よりも、顧問の先生である小山先生がなかなかいいキャラしてますね。こんな顧問の先生だったら面白いだろうなと思わせる先生でした。
本作には著者の略歴がまったく載ってないんですけど、いろんなことを総合して考えると、この著者は恐らく、現役かどうかは別として、バスケの監督でしょうね。有名校(と思われる)のバスケの監督からの推薦があったり、本になる前にバスケ部員でコピーして回し読みしてたとか書いてあるので、どこかのバスケの監督が書いた小説なんでしょう。
しかし、この本なかなかすごいんですよ。去年の2月に発売されたんですけど、去年の10月の段階で10刷まで行ってます。一回の重版が3000部(確か重版の最低ロットがそれぐらいだった気がする)だとしても、10刷で3万部。去年の10月の時点で3万部ということは、今現在では最低でも5万部、もしかしたら8万部は超えてるかもしれません。
この本が売れない世の中にあって、『彩雲出版』なんていう本屋で働いている僕でさえも聞いたことのないような弱小出版社が出した本が、最低でも5万部超えてる(かもしれない)というのはちょっとすごいですね。小説に限らず本というのは大体、10万部を超えればかなり売れてる、20万部を超えればベストセラーと言ってもいいくらいの世界です。その中で5万部という数字はかなり頑張ってるわけで、すごいなと思いました。
確かに一時期この本よく聞かれたんですよね。どこかで話題になっていたんでしょうね。口コミで広がっている本なのかもしれません。まあなかなか面白いです。買って損することはないと思います。まあでも、帯の文句はちょっと言いすぎだと思いますけどね。機会があれば読んでみてください。
松崎洋「走れ!T校バスケット部」
地図男(真藤順丈)
こうして街中で地図を配っていると、あの頃の記憶がまざまざと蘇ってくる。ちょうど30年前、僕はあの地図を受け取ったのだった。
大学受験がちょうど終わって、解放感に浸っていた時だった。まだ合格できるかわからないけど、これまでの自分にお疲れさまみたいな意味で、何か旨いものでも食べて帰ろうかなと思ってブラブラしていた時のことだった。
初めはそこまで意識しなかった。ただのティッシュ配りだと思ったのだ。もらうとももらわないとも決めずに、というか本当に特別意識なんてせずに、でもその男の方へと向かっていった。
そして差し出されたのが地図だったのだ。
それは、地図帳の1ページを強引に破いたもののようで、僕がもらったのは北海道全域の地図だった。
何だコリャ、と思った。地図なんか、それも遠く離れた北海道の地図なんかもらっても、嬉しくもないし使い道もない。ただ、その時は受験が終わって機嫌がよかったのと、行こうと思っていたファミレスがもうすぐそこだったのとで、深く考えることはしなかった。持っていたバッグにしまう直前、地図の端っこに「10950」って数字が書かれていたけど、それもそこまで気に止めなかった。
翌日、バッグの中でぐちゃぐちゃになっていた地図を取り出した。もはやゴミにしか見えなかったが、地図に書かれていた数字が「10949」になっていて僕は驚いた。昨日は「10950」じゃなかったっけ?カウントダウンしてる?でも一体何を?
そんなわけで、何となく気になった僕は、それからその地図をずっととっておくことにしたのだ。
それから30年後。
毎日地図上の数字は一つずつ減っていき、そして30年後ちょうど0になった。と同時に、地図上にあるマークと文章が浮かび上がったのだ。
『ここに宝がある』
もちろん僕だって信じたわけじゃない。けど、本当にちょうど絶妙なタイミングで北海道に行くことになっていた。結婚20周年の記念に、息子が旅行をプレゼントしてくれたのだ。予定では、地図に示された付近には行かないが、その辺の変更はなんとかなるだろう。どうせだからちょっと寄って見よう。別に何もなくたって損するわけでもないし。
旅行の途中、地図上の場所を訪れると、何か勘が働いて足が勝手に動き、それを見つけ出してしまった。電話ボックスを二つくっつけたような大きさの箱が、人目につかないように絶妙に隠してあったのだ。
内部には、一枚の紙切れと、そしてたくさんの地図。
『おめでとう。これはタイムマシンだ。君に贈呈しよう。しかし一つだけお願いがある。30年前に戻って、そこにある地図を配ってもらいたい。よろしく頼む』
だから僕は今地図を配っている。もしかしたら、30年前の自分に会えるのだろうか、と思いながら。これが終われば、後はタイムマシンは自由に使っていいのだろう。どこへ行こうか。何だって出来るじゃないか。しかしまずは、妻を引き入れないとな。あいつは信じてくれるだろうか。
一銃「地図配り」
そろそろ内容に入ろうと思います。
仕事中の俺は、奇妙な男に出会う。
俺はそいつを、「地図男」と呼ぶことにした。
とにかくすごいんだ。関東周辺なら、ありとあらゆる場所を正確に把握している。ここからどれぐらいの距離なのか、どの方向から見たらどう見えるのか、番地や地名の由来まで、何も見ないで即答できるんだ。
でも、すごいのはそれだけじゃない。
地図男が持ってる地図がまたすごいんだ。
地図男は、必要な情報はすべて頭の中に入っているのに、地図を持ち歩いている。何故か。それは、地図に物語を書き込むためだ。
物語。
地図男は、地図の余白に物語を書き込んでいる。それは、ポップでリズミカルな内容で、そして読み手を惹き付ける物語だ。地図男は、その物語を口で語りながら、同時に地図に書き込んでいる。
俺は仕事の合間に地図男を探すようになり、仕事の手伝いをしてもらいながら、同時に地図男の物語も読ませてもらうことにした。
俺は思う。
地図男は、一体誰に向けて物語を綴っているのだろうか。
というような話です。
この著者、今割と話題だったりします。というのも、今年別々の作品で三つの新人賞を受賞した注目の新人だからです。
本作は、ダ・ヴィンチ文学賞受賞作です。で、「庵堂三兄弟の聖職」で日本ホラー小説大賞受賞、そして「RANK」でポプラ社小説大賞特別賞を受賞しています。同じ年に新人賞三つということだけでもすごいですが、その内の一つがホラー小説大賞というのがかなりすごいですね。ダ・ヴィンチ文学賞とポプラ小説大賞については、割と最近創設された新人賞なので、言い方は悪いけどそれなりに獲りやすいという面はあると思います。ただ、日本ホラー小説大賞は割と伝統ある新人賞で、かつこの賞は、賞に該当するだけの作品がない場合受賞作なしという判断をすることでも有名な賞です(一般的に新人賞にしても文学賞にしても、該当なしという判断はなかなかしません)。それだけレベルの高い賞なので、日本ホラー小説大賞を受賞しているというのはなかなかレベルが高いなと思いました。
ちょっと前にも、久保寺健彦という新人作家が、同じ年に別々の作品で、ドラマ原作大賞選考委員特別賞・パピルス新人賞・日本ファンタジーノベル大賞優秀賞の三つを受賞してデビューというのがありましたけど、最近の新人はなかなか頑張るなぁ、なんて思ったりしました。すごいものですね。
で内容ですけど、これはかなり面白いですね。140ページぐらいのすごい短い小説なんですけど、ぎゅっと凝縮されたような密度の濃い作品で読み応えがあるなと思いました。ストーリーは、主人公である俺と地図男とのやり取りと、地図男が書いた物語が交互に描かれる形で進んでいくんですけど、とにかく地図男の書いた物語には惹き込まれます。グイグイ読まされる感じで、本作を読み終わった後も、地図男の書いた物語をもっと読みたいな、と思えてきます。地図男の地図帳に書かれた物語を全部読んでやりたいですね。
本作では、ミステリではないけど一応ラストにオチみたいなものがあって、僕的にそのオチは大したことはないなぁ、という感じだったんですけど、それでも作品全体としては非常に面白かったし、レベルは高いなと思いました。
読んでて思ったのが、非常に古川日出男に似てるな、ということなんですね。著者は絶対古川日出男の作品を読んでいて、古川日出男のファンだと思うんです。もしこれで、著者が古川日出男の作品なんか一作も読んでないんだとしたら、ちょっとそのシンクロっぷりにびっくりすると思います。それぐらい、文章のリズムや紡がれる物語そのものが、古川日出男小説っぽい雰囲気なんですね。もちろん古川日出男の作品と比べたら重厚さやスケールで負けるし、まあその分本作の方が断然読みやすいわけなんですけど、著者が古川日出男をリスペクトしてるんだろうなぁ、という雰囲気は伝わってきます。
地図男が書いた物語がいくつか描かれるわけなんですけど、ラスト近くで紡がれるムサシとアキルの物語はなかなか圧巻ですね。そしてこれが一番古川日出男っぽい雰囲気を漂わせていると思います。ムサシという少年とアキルという少女がそれぞれ別々に環境を飛び出してその後出会うみたいなストーリーなんだけど、何だかいい話なんですね。他にも、東京都二十三区の区章を賭けて争うバトルだとか、天才的な音楽的才能を持って生まれた赤ちゃんの話とか、短い話しなんだけど読ませます。読めば読むほど、地図男に会いたくなってしまうようなそんな作品ですね。
主要な登場人物は、俺と地図男とあと俺の職場の後輩の名倉という男の三人しか出てこないのに、非常に面白い作品ですね。本作を読めば、間違いなく地図男に会いたくなるだろうと思います。ホントに読んでみたいですね、地図男の地図帳。まあそんなわけで、確かになかなか注目すべき作家かもしれません。他の作品も読んでみたくなりました。是非読んでみてください。
真藤順丈「地図男」
大学受験がちょうど終わって、解放感に浸っていた時だった。まだ合格できるかわからないけど、これまでの自分にお疲れさまみたいな意味で、何か旨いものでも食べて帰ろうかなと思ってブラブラしていた時のことだった。
初めはそこまで意識しなかった。ただのティッシュ配りだと思ったのだ。もらうとももらわないとも決めずに、というか本当に特別意識なんてせずに、でもその男の方へと向かっていった。
そして差し出されたのが地図だったのだ。
それは、地図帳の1ページを強引に破いたもののようで、僕がもらったのは北海道全域の地図だった。
何だコリャ、と思った。地図なんか、それも遠く離れた北海道の地図なんかもらっても、嬉しくもないし使い道もない。ただ、その時は受験が終わって機嫌がよかったのと、行こうと思っていたファミレスがもうすぐそこだったのとで、深く考えることはしなかった。持っていたバッグにしまう直前、地図の端っこに「10950」って数字が書かれていたけど、それもそこまで気に止めなかった。
翌日、バッグの中でぐちゃぐちゃになっていた地図を取り出した。もはやゴミにしか見えなかったが、地図に書かれていた数字が「10949」になっていて僕は驚いた。昨日は「10950」じゃなかったっけ?カウントダウンしてる?でも一体何を?
そんなわけで、何となく気になった僕は、それからその地図をずっととっておくことにしたのだ。
それから30年後。
毎日地図上の数字は一つずつ減っていき、そして30年後ちょうど0になった。と同時に、地図上にあるマークと文章が浮かび上がったのだ。
『ここに宝がある』
もちろん僕だって信じたわけじゃない。けど、本当にちょうど絶妙なタイミングで北海道に行くことになっていた。結婚20周年の記念に、息子が旅行をプレゼントしてくれたのだ。予定では、地図に示された付近には行かないが、その辺の変更はなんとかなるだろう。どうせだからちょっと寄って見よう。別に何もなくたって損するわけでもないし。
旅行の途中、地図上の場所を訪れると、何か勘が働いて足が勝手に動き、それを見つけ出してしまった。電話ボックスを二つくっつけたような大きさの箱が、人目につかないように絶妙に隠してあったのだ。
内部には、一枚の紙切れと、そしてたくさんの地図。
『おめでとう。これはタイムマシンだ。君に贈呈しよう。しかし一つだけお願いがある。30年前に戻って、そこにある地図を配ってもらいたい。よろしく頼む』
だから僕は今地図を配っている。もしかしたら、30年前の自分に会えるのだろうか、と思いながら。これが終われば、後はタイムマシンは自由に使っていいのだろう。どこへ行こうか。何だって出来るじゃないか。しかしまずは、妻を引き入れないとな。あいつは信じてくれるだろうか。
一銃「地図配り」
そろそろ内容に入ろうと思います。
仕事中の俺は、奇妙な男に出会う。
俺はそいつを、「地図男」と呼ぶことにした。
とにかくすごいんだ。関東周辺なら、ありとあらゆる場所を正確に把握している。ここからどれぐらいの距離なのか、どの方向から見たらどう見えるのか、番地や地名の由来まで、何も見ないで即答できるんだ。
でも、すごいのはそれだけじゃない。
地図男が持ってる地図がまたすごいんだ。
地図男は、必要な情報はすべて頭の中に入っているのに、地図を持ち歩いている。何故か。それは、地図に物語を書き込むためだ。
物語。
地図男は、地図の余白に物語を書き込んでいる。それは、ポップでリズミカルな内容で、そして読み手を惹き付ける物語だ。地図男は、その物語を口で語りながら、同時に地図に書き込んでいる。
俺は仕事の合間に地図男を探すようになり、仕事の手伝いをしてもらいながら、同時に地図男の物語も読ませてもらうことにした。
俺は思う。
地図男は、一体誰に向けて物語を綴っているのだろうか。
というような話です。
この著者、今割と話題だったりします。というのも、今年別々の作品で三つの新人賞を受賞した注目の新人だからです。
本作は、ダ・ヴィンチ文学賞受賞作です。で、「庵堂三兄弟の聖職」で日本ホラー小説大賞受賞、そして「RANK」でポプラ社小説大賞特別賞を受賞しています。同じ年に新人賞三つということだけでもすごいですが、その内の一つがホラー小説大賞というのがかなりすごいですね。ダ・ヴィンチ文学賞とポプラ小説大賞については、割と最近創設された新人賞なので、言い方は悪いけどそれなりに獲りやすいという面はあると思います。ただ、日本ホラー小説大賞は割と伝統ある新人賞で、かつこの賞は、賞に該当するだけの作品がない場合受賞作なしという判断をすることでも有名な賞です(一般的に新人賞にしても文学賞にしても、該当なしという判断はなかなかしません)。それだけレベルの高い賞なので、日本ホラー小説大賞を受賞しているというのはなかなかレベルが高いなと思いました。
ちょっと前にも、久保寺健彦という新人作家が、同じ年に別々の作品で、ドラマ原作大賞選考委員特別賞・パピルス新人賞・日本ファンタジーノベル大賞優秀賞の三つを受賞してデビューというのがありましたけど、最近の新人はなかなか頑張るなぁ、なんて思ったりしました。すごいものですね。
で内容ですけど、これはかなり面白いですね。140ページぐらいのすごい短い小説なんですけど、ぎゅっと凝縮されたような密度の濃い作品で読み応えがあるなと思いました。ストーリーは、主人公である俺と地図男とのやり取りと、地図男が書いた物語が交互に描かれる形で進んでいくんですけど、とにかく地図男の書いた物語には惹き込まれます。グイグイ読まされる感じで、本作を読み終わった後も、地図男の書いた物語をもっと読みたいな、と思えてきます。地図男の地図帳に書かれた物語を全部読んでやりたいですね。
本作では、ミステリではないけど一応ラストにオチみたいなものがあって、僕的にそのオチは大したことはないなぁ、という感じだったんですけど、それでも作品全体としては非常に面白かったし、レベルは高いなと思いました。
読んでて思ったのが、非常に古川日出男に似てるな、ということなんですね。著者は絶対古川日出男の作品を読んでいて、古川日出男のファンだと思うんです。もしこれで、著者が古川日出男の作品なんか一作も読んでないんだとしたら、ちょっとそのシンクロっぷりにびっくりすると思います。それぐらい、文章のリズムや紡がれる物語そのものが、古川日出男小説っぽい雰囲気なんですね。もちろん古川日出男の作品と比べたら重厚さやスケールで負けるし、まあその分本作の方が断然読みやすいわけなんですけど、著者が古川日出男をリスペクトしてるんだろうなぁ、という雰囲気は伝わってきます。
地図男が書いた物語がいくつか描かれるわけなんですけど、ラスト近くで紡がれるムサシとアキルの物語はなかなか圧巻ですね。そしてこれが一番古川日出男っぽい雰囲気を漂わせていると思います。ムサシという少年とアキルという少女がそれぞれ別々に環境を飛び出してその後出会うみたいなストーリーなんだけど、何だかいい話なんですね。他にも、東京都二十三区の区章を賭けて争うバトルだとか、天才的な音楽的才能を持って生まれた赤ちゃんの話とか、短い話しなんだけど読ませます。読めば読むほど、地図男に会いたくなってしまうようなそんな作品ですね。
主要な登場人物は、俺と地図男とあと俺の職場の後輩の名倉という男の三人しか出てこないのに、非常に面白い作品ですね。本作を読めば、間違いなく地図男に会いたくなるだろうと思います。ホントに読んでみたいですね、地図男の地図帳。まあそんなわけで、確かになかなか注目すべき作家かもしれません。他の作品も読んでみたくなりました。是非読んでみてください。
真藤順丈「地図男」
河岸忘日抄(堀江敏幸)
その船は、空も飛べたし、陸も走れたし、もちろん水の上も進むことが出来たという。地球上のどんな場所にだって行くことが出来た。
ただその船は、どうしても湖だけには入りたがらなかった。後に船はこう語った。一度入ったら出られなくなってしまうような気がするんだ、と。
一銃「船」
今日はちょっと時間がないのでショートショートも感想も適当にいきます。
主人公はとある事情から、異国の繋留船で暮すことになった。耳の遠い大家、時折やってくる少女と郵便配達員。時々買い出しに出る以外船から出ない、そんな日常を送っている。
そんな中で、日々主人公が感じる言葉の集積が本作です。
どうにも僕には合わない作品でした。堀江敏幸の作品は、「雪沼とその周辺」というのを読んだことがありますが、これは短編だったからよかったのだろうな、と思います。ちょっと僕には、この作家の長編を読むのはなかなかキツイ気がします。書いていることが難しすぎてイマイチ理解できないのと、どうにもストーリーがなさすぎてちょっと退屈に感じてしまうわけなんですね。
ストーリーはほとんどなくて、たまに訪れる人との交流を除けば、後は主人公が読んでる本・聞いている音楽・昔見た映画、そういうものについて触れられていきます。他にも、ちょっとしたことから深く考えることになる思索や、前の住人に関するちょっとした謎めいた出来事なんかが描かれますが、やはり読んでてどうも退屈なんですね。ものすごく文学寄りの作品だろうと思いました。ストーリーやキャラクター重視の現代の小説を読みなれている僕には、ちょっと厳しかったです。
まあそんなわけで僕はオススメしませんが、この著者はうんざりするほど数々の賞を様々な作品で獲っているし、本作でも読売文学賞を受賞しているようです。かなり評価の高い作家なので、読んでみるのもいいかもしれません。
堀江敏幸「河岸忘日抄」
ただその船は、どうしても湖だけには入りたがらなかった。後に船はこう語った。一度入ったら出られなくなってしまうような気がするんだ、と。
一銃「船」
今日はちょっと時間がないのでショートショートも感想も適当にいきます。
主人公はとある事情から、異国の繋留船で暮すことになった。耳の遠い大家、時折やってくる少女と郵便配達員。時々買い出しに出る以外船から出ない、そんな日常を送っている。
そんな中で、日々主人公が感じる言葉の集積が本作です。
どうにも僕には合わない作品でした。堀江敏幸の作品は、「雪沼とその周辺」というのを読んだことがありますが、これは短編だったからよかったのだろうな、と思います。ちょっと僕には、この作家の長編を読むのはなかなかキツイ気がします。書いていることが難しすぎてイマイチ理解できないのと、どうにもストーリーがなさすぎてちょっと退屈に感じてしまうわけなんですね。
ストーリーはほとんどなくて、たまに訪れる人との交流を除けば、後は主人公が読んでる本・聞いている音楽・昔見た映画、そういうものについて触れられていきます。他にも、ちょっとしたことから深く考えることになる思索や、前の住人に関するちょっとした謎めいた出来事なんかが描かれますが、やはり読んでてどうも退屈なんですね。ものすごく文学寄りの作品だろうと思いました。ストーリーやキャラクター重視の現代の小説を読みなれている僕には、ちょっと厳しかったです。
まあそんなわけで僕はオススメしませんが、この著者はうんざりするほど数々の賞を様々な作品で獲っているし、本作でも読売文学賞を受賞しているようです。かなり評価の高い作家なので、読んでみるのもいいかもしれません。
堀江敏幸「河岸忘日抄」
8時だョ!全員集合伝説(居作昌果)
今ならはっきりと断言することが出来る。あの頃の自分はどうかしていたのだ。悪魔に魂を売り飛ばしてしまった。そういう表現が正しかったのだろうと思う。血迷っていたし、正常な判断が出来なかった。ただ、長年の夢を叶えたい。ただそれだけのためにあんなことをしてしまったのだ。
私はワラテレビというテレビ局で、主にバラエティ番組のプロデューサーをしている。今でも一応プロデューサー業だが、しかし今ではもはやその価値はないと言っていいだろう。
私は、高視聴率番組をいくつも手掛けてきた。「鬼がトレントブッチャーマン」「回して廻して舞わして」「トラテラモラ」「遅いぞ鉄平!三段跳び」などは、多くの人が知ってくれているのではないかと思う。どれも、年間平均視聴率39%以上、最高視聴率46%以上というお化け番組である。
しかし、私は満足出来なかった。
もし私が、視聴率20%代のごく普通の番組ばかり手掛けていたら、そんな風には思わなかっただろう。しかし私は、手掛ける番組どれもが高視聴率だった。だから私は、もっと上を目指したい、もっと視聴率を取りたいという妄念に取り付かれていったのである。
そんな時だった。あの悪魔に出会ったのは。未だにあいつが何者だったのか、私にはわからない。しかし、本当に悪魔だったのではないか、と思うこともある。私は悪魔に魂を売り渡してしまったのである。
そいつは私にこう持ちかけてきた。
「ありえない視聴率を君に取らせてあげるよ」
私は、その言葉を信じた。ただ信じたかっただけだが、長年の夢を叶えてくれるという相手に出会って舞い上がってしまった。
そいつは、どんな計画を立てているのかまるで教えてくれなかった。細かな仕事や指示を出されるだけで、全体像が把握できなかった。恐らく、私以外にも数多くの助っ人を抱えていたのだろう。そういう人間に分業させることで、計画全体を進行させたに違いない。
だから初めそれが起こった時も、自分が関わっていることと関係があるなんてまるで思いもしなかった。
6年前の9月17日、日本にある、私がいたテレビ局を除くすべてのテレビ局が爆破された。惨劇は一瞬にして同時であり、ダイナマイトによるものだと後で判明した。
細かな情報が入ってくるようになり、そうやく私はあいつが考えていたことを理解することが出来た。確かに、テレビ局が一つしかなければ、視聴率はものすごく高くなることだろう。確かにあいつは嘘を言ってはいなかった。しかし、そんな風にして手に入れた視聴率にどんな意味があるというのだろうか。
私は、唯一残ったテレビ局で、今も番組を作っている。私の作る番組は、平均視聴率が85%を超える。しかし、仕事へのやりがいはほとんどなくなってしまった。
一銃「視聴率」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あの伝説的なお化け番組「8時だョ!全員集合」のプロデューサーが、過去を振り返ってあの番組についての様々な騒動やトラブル、スタッフやドリフターズの努力などを書いた作品です。
伝説的なお化け番組、と書きましたけど、僕は「8時だョ!全員集合」をリアルタイムで見たことはありません。僕が2歳の頃までやってたようですけど、さすがに見てるわけないですよね。
ただ、とんでもない番組だったということだけは知っています。それは主に視聴率についてですが、最高視聴率が50.5%なんだそうです。国民の半分がこの番組を見ていたということになるわけです。スポーツ中継やオリンピック、あるいは紅白歌合戦なんかではもっと視聴率の高いmのはあるかもしれないけど、バラエティーでここまでの視聴率というのは本当にありえないでしょう。当時としてもとんでもない数字だったわけで、テレビ離れが進んでいると言われている現在ではもっと無理でしょうね。今活躍しているタレントの誰が、視聴率50.5%なんか稼ぎ出せるでしょうかね。
まあそういう視聴率の部分での知識はあるんですけど、それ以外の基本的なことについてはほとんど知らなかったですね。
そもそも「8時だョ!全員集合」が、公開録画番組だということもちゃんと知らなかったような気がします。なんとなく知っていたような気もするんですけど、ちゃんとは知らなかったですね。
しかし、毎週毎週まったく別のコントを、しかも公開生録画でやるわけで、これはとんでもないですね。ドリフターズは、木曜・金曜・土曜のスケジュールをすべて「全員集合」に費やしていたそうです。まず木曜日に、来週の分のコントについて考えて、舞台の発注をする。この木曜の夜は長い。何よりも沈黙の時間が長い。話し合いをするでもなく、遊んでいたり雑談をしたりという時間も多い。その中で、誰かの(主にいかりや長介の)アイデアがポツリと出て、また沈黙。その繰り返しである。そうやって、大まかなアイデアを詰めていく。
金曜日は、前週の木曜日に決めたコントを大体やってみる。でも、これも進まない。現場でまた考えるのだ。だから沈黙の時間が多くなる。進まない。
そうやって、本番当日の土曜が来る。この日は、会場で舞台を使って通しをやる。しかし、ここでもどんどん変更が加わる。何せ、セットにもガンガン注文がつくのだ。ドアを内開きから外開きにしてほしい、水の出し方を変えて欲しい、なんてのは序の口。書割りのバックにドアをつけて欲しいなんて注文も出たりする。書割りというのは、上から吊ってある布で、後ろの背景なんかが書かれている。それにドアをつけるなんて前代未聞。しかし、「全員集合」のスタッフはとにかくすごかった。美術スタッフの総大将は、一度も「無理です」と言ったことがなかったらしい。常識では考えられない注文がバンバン毎週飛び出すのに、それを全部やってのけたというのだ。「全員集合」はやはりドリフターズの活躍によって大きくなっただろうが、スタッフのレベルもものすごく高かったようだ。
またゲストについても様々書いている。今でこそ、バラエティ番組に俳優や歌手が出るのは当たり前になっているけど、当時としては考えられないことだった。しかも「全員集合」に出てくるのは超一流と言っていいメンツばかりである。しかもそういう人達が、事務所のNGさえも無視して面白おかしいことをやってくれるのだからすごい。
泣かず飛ばずだったキャンディーズが、「全員集合」のレギュラーを経てスターになっていった話や、ピンクレディーが「全員集合」のレギュラーになるはずだったが、デビュー曲があまりにも売れすぎてしまって実現しなかったというような話も出てきて面白いです。
また、「全員集合」という番組とドリフターズというグループを襲う数々のトラブルについても描かれています。加藤茶が人身事故を起こしてしまったり、志村けんと仲本工事がノミ屋から券を買ったために謹慎になったり、あるいは喉のポリープの手術のためにいかりや長介が二週間声を出せなくなってしまうとか、まあそういうもろもろの出来事が起こるのである。また、事務所とテレビ局の間で大問題になった前代未聞の話とか、公開生録画だからこその火事や停電などのハプニングなんかもあったりで、とにかく16年間落ち着いている暇がないという有り様だったようである。外から見ている分には毎週順調に見えていたかもしれないけど、その陰では様々にいろんなことが起こっていたようです。
メンバーの変遷についても面白いです。本作ではそもそも、現在のドリフターズの前身となるバンドの話や、それぞれのメンバーがどうやって集まってきたのかという話、それぞれのメンバーの来歴なんかも紹介されています。また、体力を理由に荒井注が辞めた経緯や、付き人だった志村けんがドリフターズに入り、そこからお客さんに笑ってもらえない地獄の数年をすごした後突如ブレイクしていく話なんかも書かれています。
そういうわけで全体的に、「全員集合」のプロデューサーという視点で見た「全員集合とドリフターズ」が描かれていて、当時のことを直接知らない僕でも、その後の志村けんや加藤茶やいかりや長介を知っているわけで、なかなか面白く読めました。
テレビの世界というのは、僕らの日常とはあまりにもかけ離れていて、だからそういう裏側を知るって言うのは結構面白いですね。ただ、番組プロデューサーが本を出しているというのはあんまり例がないように思うので、割と貴重な本なんじゃないかなと思ったりします。
本作に書かれていることでちょっとこれは面白いなと思った部分があります。これは、当時いかに「全員集合」が人気だったかを示すエピソードだと思います。
「全員集合」は、低俗番組としてPTAなんかからかなり批判を集めていました。子供に悪い影響を与えるから見せないように、なんて通達を普通にしていたようですね。
さて、著者の奥さんがなんとPTAの会長を務めていたらしいのだけど、まあそれはいい。面白いのは、生徒に「全員集合」を見るなと言っている教師が、著者の奥さんに「全員集合のチケットをなんとか手に入れて欲しい」とよく頼まれていたんだそうです。言ってることとやってることが違うけど、まあそれも仕方なかったんでしょうね。子供は見たいって言うでしょうしね。「全員集合」が社会に大きな影響を与えていたんだなぁ、と思わせるエピソードでした。
そんなわけで、当時リアルタイムで「全員集合」を見ていた人にはなかなか面白い本なんじゃないかなと思います。こういう時代もあったんだなぁ、と思える本なので、「全員集合」を直接知らない人が読んでも案外楽しめるのではないかなと思います。
居作昌果「8時だョ!全員集合伝説」
私はワラテレビというテレビ局で、主にバラエティ番組のプロデューサーをしている。今でも一応プロデューサー業だが、しかし今ではもはやその価値はないと言っていいだろう。
私は、高視聴率番組をいくつも手掛けてきた。「鬼がトレントブッチャーマン」「回して廻して舞わして」「トラテラモラ」「遅いぞ鉄平!三段跳び」などは、多くの人が知ってくれているのではないかと思う。どれも、年間平均視聴率39%以上、最高視聴率46%以上というお化け番組である。
しかし、私は満足出来なかった。
もし私が、視聴率20%代のごく普通の番組ばかり手掛けていたら、そんな風には思わなかっただろう。しかし私は、手掛ける番組どれもが高視聴率だった。だから私は、もっと上を目指したい、もっと視聴率を取りたいという妄念に取り付かれていったのである。
そんな時だった。あの悪魔に出会ったのは。未だにあいつが何者だったのか、私にはわからない。しかし、本当に悪魔だったのではないか、と思うこともある。私は悪魔に魂を売り渡してしまったのである。
そいつは私にこう持ちかけてきた。
「ありえない視聴率を君に取らせてあげるよ」
私は、その言葉を信じた。ただ信じたかっただけだが、長年の夢を叶えてくれるという相手に出会って舞い上がってしまった。
そいつは、どんな計画を立てているのかまるで教えてくれなかった。細かな仕事や指示を出されるだけで、全体像が把握できなかった。恐らく、私以外にも数多くの助っ人を抱えていたのだろう。そういう人間に分業させることで、計画全体を進行させたに違いない。
だから初めそれが起こった時も、自分が関わっていることと関係があるなんてまるで思いもしなかった。
6年前の9月17日、日本にある、私がいたテレビ局を除くすべてのテレビ局が爆破された。惨劇は一瞬にして同時であり、ダイナマイトによるものだと後で判明した。
細かな情報が入ってくるようになり、そうやく私はあいつが考えていたことを理解することが出来た。確かに、テレビ局が一つしかなければ、視聴率はものすごく高くなることだろう。確かにあいつは嘘を言ってはいなかった。しかし、そんな風にして手に入れた視聴率にどんな意味があるというのだろうか。
私は、唯一残ったテレビ局で、今も番組を作っている。私の作る番組は、平均視聴率が85%を超える。しかし、仕事へのやりがいはほとんどなくなってしまった。
一銃「視聴率」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あの伝説的なお化け番組「8時だョ!全員集合」のプロデューサーが、過去を振り返ってあの番組についての様々な騒動やトラブル、スタッフやドリフターズの努力などを書いた作品です。
伝説的なお化け番組、と書きましたけど、僕は「8時だョ!全員集合」をリアルタイムで見たことはありません。僕が2歳の頃までやってたようですけど、さすがに見てるわけないですよね。
ただ、とんでもない番組だったということだけは知っています。それは主に視聴率についてですが、最高視聴率が50.5%なんだそうです。国民の半分がこの番組を見ていたということになるわけです。スポーツ中継やオリンピック、あるいは紅白歌合戦なんかではもっと視聴率の高いmのはあるかもしれないけど、バラエティーでここまでの視聴率というのは本当にありえないでしょう。当時としてもとんでもない数字だったわけで、テレビ離れが進んでいると言われている現在ではもっと無理でしょうね。今活躍しているタレントの誰が、視聴率50.5%なんか稼ぎ出せるでしょうかね。
まあそういう視聴率の部分での知識はあるんですけど、それ以外の基本的なことについてはほとんど知らなかったですね。
そもそも「8時だョ!全員集合」が、公開録画番組だということもちゃんと知らなかったような気がします。なんとなく知っていたような気もするんですけど、ちゃんとは知らなかったですね。
しかし、毎週毎週まったく別のコントを、しかも公開生録画でやるわけで、これはとんでもないですね。ドリフターズは、木曜・金曜・土曜のスケジュールをすべて「全員集合」に費やしていたそうです。まず木曜日に、来週の分のコントについて考えて、舞台の発注をする。この木曜の夜は長い。何よりも沈黙の時間が長い。話し合いをするでもなく、遊んでいたり雑談をしたりという時間も多い。その中で、誰かの(主にいかりや長介の)アイデアがポツリと出て、また沈黙。その繰り返しである。そうやって、大まかなアイデアを詰めていく。
金曜日は、前週の木曜日に決めたコントを大体やってみる。でも、これも進まない。現場でまた考えるのだ。だから沈黙の時間が多くなる。進まない。
そうやって、本番当日の土曜が来る。この日は、会場で舞台を使って通しをやる。しかし、ここでもどんどん変更が加わる。何せ、セットにもガンガン注文がつくのだ。ドアを内開きから外開きにしてほしい、水の出し方を変えて欲しい、なんてのは序の口。書割りのバックにドアをつけて欲しいなんて注文も出たりする。書割りというのは、上から吊ってある布で、後ろの背景なんかが書かれている。それにドアをつけるなんて前代未聞。しかし、「全員集合」のスタッフはとにかくすごかった。美術スタッフの総大将は、一度も「無理です」と言ったことがなかったらしい。常識では考えられない注文がバンバン毎週飛び出すのに、それを全部やってのけたというのだ。「全員集合」はやはりドリフターズの活躍によって大きくなっただろうが、スタッフのレベルもものすごく高かったようだ。
またゲストについても様々書いている。今でこそ、バラエティ番組に俳優や歌手が出るのは当たり前になっているけど、当時としては考えられないことだった。しかも「全員集合」に出てくるのは超一流と言っていいメンツばかりである。しかもそういう人達が、事務所のNGさえも無視して面白おかしいことをやってくれるのだからすごい。
泣かず飛ばずだったキャンディーズが、「全員集合」のレギュラーを経てスターになっていった話や、ピンクレディーが「全員集合」のレギュラーになるはずだったが、デビュー曲があまりにも売れすぎてしまって実現しなかったというような話も出てきて面白いです。
また、「全員集合」という番組とドリフターズというグループを襲う数々のトラブルについても描かれています。加藤茶が人身事故を起こしてしまったり、志村けんと仲本工事がノミ屋から券を買ったために謹慎になったり、あるいは喉のポリープの手術のためにいかりや長介が二週間声を出せなくなってしまうとか、まあそういうもろもろの出来事が起こるのである。また、事務所とテレビ局の間で大問題になった前代未聞の話とか、公開生録画だからこその火事や停電などのハプニングなんかもあったりで、とにかく16年間落ち着いている暇がないという有り様だったようである。外から見ている分には毎週順調に見えていたかもしれないけど、その陰では様々にいろんなことが起こっていたようです。
メンバーの変遷についても面白いです。本作ではそもそも、現在のドリフターズの前身となるバンドの話や、それぞれのメンバーがどうやって集まってきたのかという話、それぞれのメンバーの来歴なんかも紹介されています。また、体力を理由に荒井注が辞めた経緯や、付き人だった志村けんがドリフターズに入り、そこからお客さんに笑ってもらえない地獄の数年をすごした後突如ブレイクしていく話なんかも書かれています。
そういうわけで全体的に、「全員集合」のプロデューサーという視点で見た「全員集合とドリフターズ」が描かれていて、当時のことを直接知らない僕でも、その後の志村けんや加藤茶やいかりや長介を知っているわけで、なかなか面白く読めました。
テレビの世界というのは、僕らの日常とはあまりにもかけ離れていて、だからそういう裏側を知るって言うのは結構面白いですね。ただ、番組プロデューサーが本を出しているというのはあんまり例がないように思うので、割と貴重な本なんじゃないかなと思ったりします。
本作に書かれていることでちょっとこれは面白いなと思った部分があります。これは、当時いかに「全員集合」が人気だったかを示すエピソードだと思います。
「全員集合」は、低俗番組としてPTAなんかからかなり批判を集めていました。子供に悪い影響を与えるから見せないように、なんて通達を普通にしていたようですね。
さて、著者の奥さんがなんとPTAの会長を務めていたらしいのだけど、まあそれはいい。面白いのは、生徒に「全員集合」を見るなと言っている教師が、著者の奥さんに「全員集合のチケットをなんとか手に入れて欲しい」とよく頼まれていたんだそうです。言ってることとやってることが違うけど、まあそれも仕方なかったんでしょうね。子供は見たいって言うでしょうしね。「全員集合」が社会に大きな影響を与えていたんだなぁ、と思わせるエピソードでした。
そんなわけで、当時リアルタイムで「全員集合」を見ていた人にはなかなか面白い本なんじゃないかなと思います。こういう時代もあったんだなぁ、と思える本なので、「全員集合」を直接知らない人が読んでも案外楽しめるのではないかなと思います。
居作昌果「8時だョ!全員集合伝説」
9坪ハウス狂想曲(萩原百合)
我が家の周囲を取り囲むようにして、5軒の家がほぼ同時に建った。見た目も大きさもほとんど同じ一軒家である。何がすごいって、その建坪がわずか9坪なのである。9坪なんて言われても全然想像つかないが、しかしとにかく狭いというのは確かである。
5軒同時に建ったのを境に、ほぼ同時に5組の家族が引越しの挨拶にやってきた。初めの内はただ適当に挨拶をしていただけだが、最後の一組の時、やはり気になって聞いてしまった。
「どうして同じような家が5軒も建ったんですか?」
「あぁ、あれはね、何かあった時にロボットになるんだ」
父親らしき男性は、真顔でそう言った。冗談を言っている風でもない。
「ロボットですが。それはすごいですね。でも、何かって何ですか?」
「少なくとも3年以内にハルマゲドンが起こるとアビダル様が仰ってるんです。そのための準備ですね」
激しく危なそうだ。つまり宗教ってことだろう。大丈夫かなぁ。
「そうなんですか。でもちょっと信じがたいですね」
「何なら今ちょっと合体してみましょうか?」
合体って…。何とか戦隊じゃないんだからさ。でも見せてくれるというなら見せてもらうことにした。
しかし、彼らが準備を進めている間ふと思った。5軒の家は私の家を取り囲むようにして建っている。もし本当にロボットに変身するとして、私の家は大丈夫だろうか?
そこのところを聞いてみると、
「えぇ、もちろんお宅の家は木っ端微塵になりますけど」
と平然と言われた。
私が中止を宣言したのは当然の判断である。
一銃「9坪ハウス×5」
今日は諸事情あって時間がないので、かなり適当です。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、わずか9坪しかない家を建て、そこに実際住み続けているある一家の妻が書いた、魅力溢れる最小限住宅の生活についての本です。
彼ら一家は、かなり変わった展開から、家を建てることになります。
家族構成は、詳しくは分からないけど家関係のメーカーに勤めている夫と、当時は専業主婦だった(今はライターなんかをやっているらしい)本書の著者である妻、そして二人の娘である。
話は、夫の勤めるメーカー主催で、柱展なるものが企画されたことに始まる。柱展というのはその名の通り、住宅に使う柱を展示するというなかなかマニアックな展覧会であり、その目玉として、増沢邸という、建築を勉強している人間にはあまりにも有名な邸宅の柱だけを組み立てて展示してしまおう、ということになった。
その増沢邸、建坪が9坪である。
さてでは、その増沢邸の設計を真似して、9坪の家を建ててしまった、なんて話かと思いきや、まったくさにあらず。
さて柱展に関わっていた夫は、この増沢邸の骨組みにすっかり魅了されてしまいました。これは決して夫だけではなく、関係者の多くが同じ感想を持ったようです。
さてそこで夫は大胆なことを考えます。展示が終わった後、この骨組みを引き取って家を建ててしまおうではないか。
もともと夫は、賃貸の家でいいという考えの持ち主でした。気軽に移動出来る方がいいじゃん、という主張です。しかしここにきて夫、一気に方向転換です。増沢邸の骨組みを使って家を建てるため、妻を説得に掛かります。
もともと妻は、家を建てたかったわけですが、しかし夫の言う9坪の家というのがどうも想像できませんでした。9坪って言ったら、今住んでる賃貸の家より狭いってことでしょう?そこに家族四人、どうやって住むわけ?
しかし、何故だか知らないけど、夫が人生で初めて家を建てることに積極的になったわけです。このチャンスを逃すわけにはいかない。というわけで妻は、増築するならという条件をつけてオッケーしたのでした。
さてここから夫婦のすったもんだが始まります。
まず何にせよ彼らには土地がなかったわけです。土地もないのに、建物のしかも骨組みだけがあるという異常な状態。まず土地を見つけるのにすったもんだ。そして設計を決めるのにまたすったもんだ。そして建ってからそこに住んでみてまたすったもんだ…、となかなかいろんなことが起こります。
それでも、著者はこの8坪の家にかなり満足しているようです。そもそも途中から、夫よりもこの家を建てる計画に熱心に取り組むようになったほどです。
そんな9坪ハウスにまつわるあれこれをまとめたのがこの作品です。
非常に面白い作品でした。というか、興味深かったですね。なるほど、と新しい発見が様々にある本でした。
9坪の家というのは僕にはまったく想像できないけど、でも一軒家としては相当狭いんでしょう。写真も載っていますが、でも狭いという印象はありません。何故なら、南面が前面ガラスで、外から丸見えだからです。その開放的な作りが、9坪という狭さを感じさせないようになっています。
初めはその、外から丸見えという生活には慣れなかったようですが、すぐに気にならなくなったとのことです。家から丸々景色が見えるので、外との境界が非常に曖昧な家だと著者も書いています。
著者は初め、増築を条件にしていましたが、結局増築はしませんでした。それにより、生活に関わる様々な問題が噴出することになりましたが、しかし著者はいろいろと発想を転換したり、時には諦めたりして、その問題を解決していきます。
その過程が本作の中で一番面白いんですね。つまり、9坪の家というのはいろんな意味で物理的な限界があるわけです。出来ないことも様々にあります。じゃあそれをどう解決して日々住んで行くかという発想になるわけで、つまり家の存在に生活を合わせるということになるわけです。普通一軒屋を建てる時は、自分の思い描いた生活が出来るように設計をするものでしょうが、今回の場合初めから枠組みが決まっているというかなりイレギュラーな家作りだったわけです。その中でいかに工夫して生活していくか、という部分が非常に新鮮で面白かったなと思います。
また非常に面白いと思ったのが、この9坪の家でパーティーとかイベントとかをかなり頻繁に開いているみたいなんですね。初めはただ、人を呼んで飲み食いするというだけだったのが、段々陶芸家の作品を展示するだの、寿司職人を呼んで握り方の講習をしてもらうだのと言ったことをやり始めるようになります。しかもそういうイベントに、100人200人の人が集まるわけです、無茶苦茶ですね。僕は人見知りなんでそういうイベントとかは得意じゃないですけど、でももし自宅がこの9坪ハウスで、両親が率先してそういうイベントをやっていたら普通に楽しめただろうし、もう少し社交的になっていたかもしれないな、と思ったりもしました。
最後の最後に書いてありましたが、今この9坪ハウスは売ってるそうです。と言っても著者が住む家そのものではなくて、要するに著者が住んでるのと同じ形の9坪ハウスを業者が売ってるということですね。値段とかは知りませんけど、ちょっと面白いかもしれないな、と思ったりしました。まあ僕が自分の家を持つようなことはありえないと思うけど、もし万が一そんな機会があったら考えてみようと思います。
そんなわけで、非常に面白い作品でした。これから家を建てようと思っている人は参考になると思います(9坪ハウスを買っても買わなくても)。生活するということが、いかに常識に囚われているか、そしてその常識を脱したところにどんな生活スタイルがあるのか、ということがよくわかると思います。是非読んでみてください。
萩原百合「9坪ハウス狂想曲」
5軒同時に建ったのを境に、ほぼ同時に5組の家族が引越しの挨拶にやってきた。初めの内はただ適当に挨拶をしていただけだが、最後の一組の時、やはり気になって聞いてしまった。
「どうして同じような家が5軒も建ったんですか?」
「あぁ、あれはね、何かあった時にロボットになるんだ」
父親らしき男性は、真顔でそう言った。冗談を言っている風でもない。
「ロボットですが。それはすごいですね。でも、何かって何ですか?」
「少なくとも3年以内にハルマゲドンが起こるとアビダル様が仰ってるんです。そのための準備ですね」
激しく危なそうだ。つまり宗教ってことだろう。大丈夫かなぁ。
「そうなんですか。でもちょっと信じがたいですね」
「何なら今ちょっと合体してみましょうか?」
合体って…。何とか戦隊じゃないんだからさ。でも見せてくれるというなら見せてもらうことにした。
しかし、彼らが準備を進めている間ふと思った。5軒の家は私の家を取り囲むようにして建っている。もし本当にロボットに変身するとして、私の家は大丈夫だろうか?
そこのところを聞いてみると、
「えぇ、もちろんお宅の家は木っ端微塵になりますけど」
と平然と言われた。
私が中止を宣言したのは当然の判断である。
一銃「9坪ハウス×5」
今日は諸事情あって時間がないので、かなり適当です。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、わずか9坪しかない家を建て、そこに実際住み続けているある一家の妻が書いた、魅力溢れる最小限住宅の生活についての本です。
彼ら一家は、かなり変わった展開から、家を建てることになります。
家族構成は、詳しくは分からないけど家関係のメーカーに勤めている夫と、当時は専業主婦だった(今はライターなんかをやっているらしい)本書の著者である妻、そして二人の娘である。
話は、夫の勤めるメーカー主催で、柱展なるものが企画されたことに始まる。柱展というのはその名の通り、住宅に使う柱を展示するというなかなかマニアックな展覧会であり、その目玉として、増沢邸という、建築を勉強している人間にはあまりにも有名な邸宅の柱だけを組み立てて展示してしまおう、ということになった。
その増沢邸、建坪が9坪である。
さてでは、その増沢邸の設計を真似して、9坪の家を建ててしまった、なんて話かと思いきや、まったくさにあらず。
さて柱展に関わっていた夫は、この増沢邸の骨組みにすっかり魅了されてしまいました。これは決して夫だけではなく、関係者の多くが同じ感想を持ったようです。
さてそこで夫は大胆なことを考えます。展示が終わった後、この骨組みを引き取って家を建ててしまおうではないか。
もともと夫は、賃貸の家でいいという考えの持ち主でした。気軽に移動出来る方がいいじゃん、という主張です。しかしここにきて夫、一気に方向転換です。増沢邸の骨組みを使って家を建てるため、妻を説得に掛かります。
もともと妻は、家を建てたかったわけですが、しかし夫の言う9坪の家というのがどうも想像できませんでした。9坪って言ったら、今住んでる賃貸の家より狭いってことでしょう?そこに家族四人、どうやって住むわけ?
しかし、何故だか知らないけど、夫が人生で初めて家を建てることに積極的になったわけです。このチャンスを逃すわけにはいかない。というわけで妻は、増築するならという条件をつけてオッケーしたのでした。
さてここから夫婦のすったもんだが始まります。
まず何にせよ彼らには土地がなかったわけです。土地もないのに、建物のしかも骨組みだけがあるという異常な状態。まず土地を見つけるのにすったもんだ。そして設計を決めるのにまたすったもんだ。そして建ってからそこに住んでみてまたすったもんだ…、となかなかいろんなことが起こります。
それでも、著者はこの8坪の家にかなり満足しているようです。そもそも途中から、夫よりもこの家を建てる計画に熱心に取り組むようになったほどです。
そんな9坪ハウスにまつわるあれこれをまとめたのがこの作品です。
非常に面白い作品でした。というか、興味深かったですね。なるほど、と新しい発見が様々にある本でした。
9坪の家というのは僕にはまったく想像できないけど、でも一軒家としては相当狭いんでしょう。写真も載っていますが、でも狭いという印象はありません。何故なら、南面が前面ガラスで、外から丸見えだからです。その開放的な作りが、9坪という狭さを感じさせないようになっています。
初めはその、外から丸見えという生活には慣れなかったようですが、すぐに気にならなくなったとのことです。家から丸々景色が見えるので、外との境界が非常に曖昧な家だと著者も書いています。
著者は初め、増築を条件にしていましたが、結局増築はしませんでした。それにより、生活に関わる様々な問題が噴出することになりましたが、しかし著者はいろいろと発想を転換したり、時には諦めたりして、その問題を解決していきます。
その過程が本作の中で一番面白いんですね。つまり、9坪の家というのはいろんな意味で物理的な限界があるわけです。出来ないことも様々にあります。じゃあそれをどう解決して日々住んで行くかという発想になるわけで、つまり家の存在に生活を合わせるということになるわけです。普通一軒屋を建てる時は、自分の思い描いた生活が出来るように設計をするものでしょうが、今回の場合初めから枠組みが決まっているというかなりイレギュラーな家作りだったわけです。その中でいかに工夫して生活していくか、という部分が非常に新鮮で面白かったなと思います。
また非常に面白いと思ったのが、この9坪の家でパーティーとかイベントとかをかなり頻繁に開いているみたいなんですね。初めはただ、人を呼んで飲み食いするというだけだったのが、段々陶芸家の作品を展示するだの、寿司職人を呼んで握り方の講習をしてもらうだのと言ったことをやり始めるようになります。しかもそういうイベントに、100人200人の人が集まるわけです、無茶苦茶ですね。僕は人見知りなんでそういうイベントとかは得意じゃないですけど、でももし自宅がこの9坪ハウスで、両親が率先してそういうイベントをやっていたら普通に楽しめただろうし、もう少し社交的になっていたかもしれないな、と思ったりもしました。
最後の最後に書いてありましたが、今この9坪ハウスは売ってるそうです。と言っても著者が住む家そのものではなくて、要するに著者が住んでるのと同じ形の9坪ハウスを業者が売ってるということですね。値段とかは知りませんけど、ちょっと面白いかもしれないな、と思ったりしました。まあ僕が自分の家を持つようなことはありえないと思うけど、もし万が一そんな機会があったら考えてみようと思います。
そんなわけで、非常に面白い作品でした。これから家を建てようと思っている人は参考になると思います(9坪ハウスを買っても買わなくても)。生活するということが、いかに常識に囚われているか、そしてその常識を脱したところにどんな生活スタイルがあるのか、ということがよくわかると思います。是非読んでみてください。
萩原百合「9坪ハウス狂想曲」
医学生(南木佳士)
横溝哲一は、東南大学医学部で、天才と呼ばれていた。
(まさか俺が天才と呼ばれる日が来るとはな)
哲一は、毎年そう思っていた。
哲一は、昔から勉強のあまり出来ない子供だった。もちろん、天才などと言われたことはない。高校一年の時わけあって医者の道を目指すことになり、一念発起して必至の勉強に取り組んだものの、結局潜り込めたのは、新設五年目という県立大学の微妙な医学部だけだった。教養学部での二年間も、サボりにサボって麻雀に明け暮れていたのだ。
そんな哲一が天才と呼ばれる日が来るなどと、誰が予想できただろうか。
しかし、そう呼ばれても哲一には喜べるわけもない。結局はどうもならないことなのだ。自分が天才になってしまったのはある種の必然であり、そしてそこからは決して抜け出すことが出来ないのだ。
哲一は何をやらせても完璧だった。解剖の手さばきは、教授並にうまいと評されていたし、試験はほとんどどれも満点だった。教授らも哲一の秀才さには目を配っていて、自分の医局に引っ張ろうとする動きが盛んにある。
しかし、無駄なのだ。哲一は諦めきっていた。どうせ医者にはなれないのだ。
卒業試験を終え、医師国家試験にも合格し、卒業後の進路もとりあえず決まったその日。哲一にとっては忌まわしい日だった。この日を越えられさえすれば、後は素晴らしい人生が開けているはずだ。しかし、どうせ無理だろう。
午前11時32分。いつもの時間まであと1分。哲一は、この無限に続くループについて考えずにはいられなかった。
そして時間になった。
哲一は、自分がまた、大学一年に戻っていることに気づく。やっぱりかぁ。どうしてもこの無限ループから抜け出せない。
哲一は、あと少しで医者になれるというタイミングで過去に戻ってしまう。大学一年の時間まで遡ることになる。もうこのループを36回繰り返している。そりゃあ、天才にもなるというものだ。また一からやり直しか。まったく、どうやったらこのループから抜け出せるというのだろうか。
一銃「天才と呼ばれた医学生」
そろそろ内容に入ろうと思います。
新設二年目、大学の建物以外周囲には田んぼしかない、秋田大学医学部に、和丸・京子・雄二・修三という四人の学生がいた。それぞれに、目に見えない鬱屈を抱えながら、教養課程の二年間を済ませていて、これからついに専門課程に入るという学生だった。
和丸は、両親が医者で子どもの頃から医者になるのは当然と思っていたが、あまり理系には向いていない頭をしていたようだ。それでも、弟への意地もあってなんとか潜りこんだのがここで、こんな辺鄙なところに来てしまった…という思いがある。勉強に対してはあまりやる気がない。
京子は長野の野菜農家の娘で、無医村となった故郷で医者をやるために、弁護士になる夢を捨てて医学部に入った。高校の同級生だった秀才に憧れていたが、先日帰郷した際、彼が婚約しているという話を聞き、落ち込んでしまった。
雄二は、まったく勉強せず、飲み屋街ばかりふらついていた。そんな雄二は、馴染みになった店の娘と関係を持ち、さらに孕ませてしまった。結婚なんてしたくないし、覚悟なんてもちろんない。逃げたいが、でもそういうわけにもいかないだろう。そういう葛藤の中、解剖実習に入ることになる。
修三はかつて高校で物理を教える教師だったが、生徒の死が相次いだことをきっかけとして一念発起、医者になろうと決めた。妻と娘を抱える身での決断だった。個人塾を開くことでなんとかやりくりをしていたものの、生活者としてのプレッシャーはなかなかに大きなものがあった。
そんな四人は、解剖実習で同じ班になり、以後四年間係わり合いを持ち続けながら共に成長をしていく。それぞれが悩みを抱える中で、学生らしいバカバカしい日々も交えながら、それでも最後は真面目に医者になろうとする自分に向き合っていく。新設間もない医学部という、型の決まりきっていない不安定な外枠の中で、屈折しながら成長をしていく若者たちの物語。
あとがきで著者が書いていますが、著者の作品の中で本作は珍しく大衆小説寄りなんだそうです。普段はもっと文学寄りの(著者曰く売れない)作品を書いているそうなんですが、本作は珍しく売れたとのこと。他の作品を読んだことがないので判断は出来ませんが、確かにこの作品は読みやすい作品だと思います。
この作品は、ほぼ著者自身の経験を元にした、自伝的な小説だと言ってもいいだろうと思います。
何故なら、著者自身が新設間もない秋田大学の医学部の卒業生だからです。あとがきにも、当時の同級生の様々な要素を切り貼りして四人のキャラクターを作った、と書いています。それだけに、医学部の学生の描写はリアルな感じがしますね。しかもそこに、周りに田んぼしかない、冬になると雪で覆われてしまう、伝統も歴史もない医学部にいるという鬱屈みたいなものも見事に描かれていて、なかなか面白い作品です。
そもそも普通の人が、医学部の学生のことを知る機会というのはなかなかないですよね。
ドラマでも小説でも、病院についてはよく描かれるし、研修医なんてのもモチーフになったりしますね。でも、医学部生というのはなかなか焦点が当てられないと思います。病院というのは、確かに複雑で一般人には奥まで覗けないところがあるけど、それでも病気になれば行く一般的な場所ですよね。でも、医学部生の生活の場には、どうあっても普通の人は踏み込む機会はありえないので、だからこそドラマにも小説にもあんまりならないのかなと思います。やっぱりドラマにするなら、緊迫感のある手術シーンとかがある病院を舞台にした方が面白いですしね。
そういう意味で、知られざる医学部生の生活を垣間見れたというのは面白いなと思います。
四人の学生の違いや抱えている悩みなんかも面白いし、やっぱり経験を元にしているからか、細かな描写が酷くくっきりしていていいなと思います。これと言ってストーリーのある話ではないんだけど、スラスラと読めてしまう作品ではないでしょうか。
秋田という土地のゆったりした感じと、医学部生という慌しさとが入り混じり、また大人になりきれない鬱屈と若さ溢れる青春が描かれた作品です。なかなか面白いと思います。読んでみてください。
南木佳士「医学生」
(まさか俺が天才と呼ばれる日が来るとはな)
哲一は、毎年そう思っていた。
哲一は、昔から勉強のあまり出来ない子供だった。もちろん、天才などと言われたことはない。高校一年の時わけあって医者の道を目指すことになり、一念発起して必至の勉強に取り組んだものの、結局潜り込めたのは、新設五年目という県立大学の微妙な医学部だけだった。教養学部での二年間も、サボりにサボって麻雀に明け暮れていたのだ。
そんな哲一が天才と呼ばれる日が来るなどと、誰が予想できただろうか。
しかし、そう呼ばれても哲一には喜べるわけもない。結局はどうもならないことなのだ。自分が天才になってしまったのはある種の必然であり、そしてそこからは決して抜け出すことが出来ないのだ。
哲一は何をやらせても完璧だった。解剖の手さばきは、教授並にうまいと評されていたし、試験はほとんどどれも満点だった。教授らも哲一の秀才さには目を配っていて、自分の医局に引っ張ろうとする動きが盛んにある。
しかし、無駄なのだ。哲一は諦めきっていた。どうせ医者にはなれないのだ。
卒業試験を終え、医師国家試験にも合格し、卒業後の進路もとりあえず決まったその日。哲一にとっては忌まわしい日だった。この日を越えられさえすれば、後は素晴らしい人生が開けているはずだ。しかし、どうせ無理だろう。
午前11時32分。いつもの時間まであと1分。哲一は、この無限に続くループについて考えずにはいられなかった。
そして時間になった。
哲一は、自分がまた、大学一年に戻っていることに気づく。やっぱりかぁ。どうしてもこの無限ループから抜け出せない。
哲一は、あと少しで医者になれるというタイミングで過去に戻ってしまう。大学一年の時間まで遡ることになる。もうこのループを36回繰り返している。そりゃあ、天才にもなるというものだ。また一からやり直しか。まったく、どうやったらこのループから抜け出せるというのだろうか。
一銃「天才と呼ばれた医学生」
そろそろ内容に入ろうと思います。
新設二年目、大学の建物以外周囲には田んぼしかない、秋田大学医学部に、和丸・京子・雄二・修三という四人の学生がいた。それぞれに、目に見えない鬱屈を抱えながら、教養課程の二年間を済ませていて、これからついに専門課程に入るという学生だった。
和丸は、両親が医者で子どもの頃から医者になるのは当然と思っていたが、あまり理系には向いていない頭をしていたようだ。それでも、弟への意地もあってなんとか潜りこんだのがここで、こんな辺鄙なところに来てしまった…という思いがある。勉強に対してはあまりやる気がない。
京子は長野の野菜農家の娘で、無医村となった故郷で医者をやるために、弁護士になる夢を捨てて医学部に入った。高校の同級生だった秀才に憧れていたが、先日帰郷した際、彼が婚約しているという話を聞き、落ち込んでしまった。
雄二は、まったく勉強せず、飲み屋街ばかりふらついていた。そんな雄二は、馴染みになった店の娘と関係を持ち、さらに孕ませてしまった。結婚なんてしたくないし、覚悟なんてもちろんない。逃げたいが、でもそういうわけにもいかないだろう。そういう葛藤の中、解剖実習に入ることになる。
修三はかつて高校で物理を教える教師だったが、生徒の死が相次いだことをきっかけとして一念発起、医者になろうと決めた。妻と娘を抱える身での決断だった。個人塾を開くことでなんとかやりくりをしていたものの、生活者としてのプレッシャーはなかなかに大きなものがあった。
そんな四人は、解剖実習で同じ班になり、以後四年間係わり合いを持ち続けながら共に成長をしていく。それぞれが悩みを抱える中で、学生らしいバカバカしい日々も交えながら、それでも最後は真面目に医者になろうとする自分に向き合っていく。新設間もない医学部という、型の決まりきっていない不安定な外枠の中で、屈折しながら成長をしていく若者たちの物語。
あとがきで著者が書いていますが、著者の作品の中で本作は珍しく大衆小説寄りなんだそうです。普段はもっと文学寄りの(著者曰く売れない)作品を書いているそうなんですが、本作は珍しく売れたとのこと。他の作品を読んだことがないので判断は出来ませんが、確かにこの作品は読みやすい作品だと思います。
この作品は、ほぼ著者自身の経験を元にした、自伝的な小説だと言ってもいいだろうと思います。
何故なら、著者自身が新設間もない秋田大学の医学部の卒業生だからです。あとがきにも、当時の同級生の様々な要素を切り貼りして四人のキャラクターを作った、と書いています。それだけに、医学部の学生の描写はリアルな感じがしますね。しかもそこに、周りに田んぼしかない、冬になると雪で覆われてしまう、伝統も歴史もない医学部にいるという鬱屈みたいなものも見事に描かれていて、なかなか面白い作品です。
そもそも普通の人が、医学部の学生のことを知る機会というのはなかなかないですよね。
ドラマでも小説でも、病院についてはよく描かれるし、研修医なんてのもモチーフになったりしますね。でも、医学部生というのはなかなか焦点が当てられないと思います。病院というのは、確かに複雑で一般人には奥まで覗けないところがあるけど、それでも病気になれば行く一般的な場所ですよね。でも、医学部生の生活の場には、どうあっても普通の人は踏み込む機会はありえないので、だからこそドラマにも小説にもあんまりならないのかなと思います。やっぱりドラマにするなら、緊迫感のある手術シーンとかがある病院を舞台にした方が面白いですしね。
そういう意味で、知られざる医学部生の生活を垣間見れたというのは面白いなと思います。
四人の学生の違いや抱えている悩みなんかも面白いし、やっぱり経験を元にしているからか、細かな描写が酷くくっきりしていていいなと思います。これと言ってストーリーのある話ではないんだけど、スラスラと読めてしまう作品ではないでしょうか。
秋田という土地のゆったりした感じと、医学部生という慌しさとが入り混じり、また大人になりきれない鬱屈と若さ溢れる青春が描かれた作品です。なかなか面白いと思います。読んでみてください。
南木佳士「医学生」
誘拐(五十嵐貴久)
「お宅の娘を預かった。1億円を用意しろ」
その電話が掛かって来たのは、優子が誘拐されてから2時間後のことだった。
デパート内でのことだった。優子を連れておもちゃ売り場にいたが、ほんの数秒目を離した隙に、優子の姿は消えていた。それから自宅に戻り、ずっと連絡を待っていた。警察には連絡しなかった。連絡するはずがなかった。
(すべては順調に進んでいる。何も問題はない)
1億円用意する気はまったくなかった。そもそもそんな金があるはずもない。犯人からの連絡にはきちんと用意すると伝えたが、それは単なる時間稼ぎにすぎない。
(大丈夫だ。必要な手手はずはすべて整えた)
俺には自信があった。立てていた計画は、すべて順調に進んでいる。一番問題なのは、どれだけ時間稼ぎが出来るだろうか、という点だ。しかし、何とかなるだろう。1億円用意するのに時間が掛かることぐらい、犯人にだってわかるはずだ。
(さてそろそろこちらも動き出すか)
俺は公衆電話へと向かった。電話を掛けるべき相手は、俺からの連絡を今か今かと待ちわびていることだろう。その不安を煽ることも、計画の一部だった。
公衆電話で、相手の番号を押す。
「お宅の娘を預かった。1億円を用意しろ」
「優子は、優子は無事なの?」
母親らしき人物が金切り声を上げているが、無視して電話を切った。受け渡し方法などは、また連絡をすればいい。
俺の娘、レミが誘拐されるかもしれない、という情報を掴んだのは1週間前だった。それはまさに偶然だった。付き合いのあるバーのマスターが、店内でこんな話をしていた、と教えてくれたのだ。人目のあるところで誘拐の話などしているバカな誘拐犯で助かった。
それから俺は考えた。レミを完全に守りきることは不可能だ。だったら、別の娘をレミだと思わせて、誘拐させればいいのではないだろうか?
誘拐犯の動きを追うのは生半可なことではなかったが、どうにか決行日を知ることが出来た。それと同じ日に、レミに似た少女を自分で誘拐することに決めた。それが優子だ。デパートで優子を誘拐してすぐ、優子はまた別の誘拐犯に誘拐されることになった。
本来なら、優子の両親に身代金を要求する必要はない。しかし、行きがけの駄賃だ。しかも、優子がもし殺されるようなことがあっても、俺とは関係ない。計画は完璧だ。もし困ったら、身代金は諦めればいい。
俺は何よりも、レミを守れたことが何よりも誇らしかった。
一銃「誘拐」
そろそろ内容に入ろうと思います。
旅行会社に勤めていた秋月孝介は人材開発課に所属していた。そこは、上層部が決めたリストラ要因に、クビを宣告する部署であり、孝介はその責任者だった。
理不尽なリストラを通告しなくてはならない辛さに、そして何よりも、自らクビを宣告したことによって人が死んでしまったこともあり、会社を去ることにした。
孝介はそこから、長い準備期間に入ることになる。
その年の8月は、新日韓友好条約締結の話でもちきりだった。韓国と日本が北朝鮮の脅威に対抗するために共同で立ち向かうというもので、過去のわだかまりをすべて払拭させ、新しい関係に踏み出すという歴史的な内容だった。8月15日に韓国大統領が来日し、そこで調印されることが決まっており、世間の注目は高かった。
しかし、まさかその陰で、こんな事態が起こるとは誰も予測することが出来なかった。
調印の3日前、佐山総理の孫娘が誘拐された。要求は30億円と新日韓友好条約の破棄。大統領警護のため、これほどの大事件であるのに、警察の組織力をつぎ込むことが出来ない。
大統領の警護と誘拐事件の解決という最難関の課題を同時に成し遂げなくてはいけない警察と、緻密で隙のない手口で犯行を進める犯人との戦いの火蓋が切って落とされる…。
というような話です。
五十嵐貴久と言えば、少なくとも今まで僕が読んだ本の中では外れが一作もないという安定した作家で、かつ様々なジャンルの小説を書いているオールラウンダーでもありますけど、今回著者が扱うのは誘拐ものです。
誘拐ものというのは、とにかく様々な作家が様々な切り口で描いてきた古典的な題材で、正直もう出尽くした感はあるでしょう。しかし、本作は面白いですね。目新しさという点ではさほどでもないかもしれませんが、しかし展開のうまさ、犯人の造型、警察の動き方、総理の心境、犯人の思惑、収束する伏線など、様々な要素が見事に絡まりあって、素晴らしい一品になっていると思います。過去僕が読んだ誘拐もののミステリーでは、真保裕一の「誘拐の果実」がベストですが、僕の中ではそれに匹敵するぐらいの評価です。
もし本作のような、歴史的な条約の調印というシチュエーションがあれば、本作で提示されたやり方はまさに完璧だと言えるでしょう。すべてが犯人の目論見通りに進んでいきます。普通誘拐もののミステリーでは、犯人側が何らかのミスをする、あるいは仲間割れをすると言ったことがあって、最終的に計画が崩れてしまったりしますけど、本作では犯人は一切ミスをしません。もちろんそれは、作者の描き方次第でどうにでもなる部分ですが、しかしミスをしない犯人グループを描いて、最後まで納得の行く物語を書いていくというのは結構難しいと思うんです。ミスをしないことについてのリアリティも出さないといけないし、さらにその展開でどう物語を終わらせるのか、という問題もあります。犯人側がミスをしない、というのは、普通に考えて警察が犯人に辿り着けないというのとほとんど同じで、警察側の描き方が非常に難しくなっていきます。そういう部分をすべて含めて、本作は非常にうまく出来ているなと思いました。
また本作で犯人側が使った連絡手段というのは、実際に応用出来るような気がします。もちろん不確定要素は増すし、確実な手段ではないけど、しかし安全性だけは抜群です。これは確かに有効な手でしょう。なるほど、考えたものだな、と思いました。
犯人側の真の目的については、何となく予想は出来ていました。というのも、同じような作品を前に読んだことがあったからです。だからと言って目新しさがないというわけではありませんが。本作では、何故総理大臣の孫娘を誘拐したのかという理由がそこに結びついていくわけで、しかもそこに動機の本質みたいなものもあったりで、展開がうまいと思いました。
しかもラスト。なるほど確かに考えてみれば、初めから条件は提示されていたわけですが、なるほどそういうことでしたか、という感じです。五十嵐貴久は様々なジャンルの作品を書きますが、ミステリーを書く時はほとんど常に最後にどんでん返し的な構造を持ってきます。本作でも、どんでん返しというところまではいかないかもしれないけど、なかなか面白い真相が明かされることになります。
個人的には、星野という刑事が好きですね。いろいろあって、通常の命令系統とはまったく違う形で捜査本部に組み込まれることになったわけですけど、その飄飄とした感じがいいなと思いました。
誘拐もののミステリーの中では、かなりレベルの高いオススメ出来る作品です。ネタバレになってしまうのであんまり踏み込んで感想が書けないのが残念ですね。是非読んでみてください。相当面白いですよ。
追記)上記で、犯人側はミスをしていない、と書いたけど、すいません、してました。しかも、アホみたいなミスを。amazonのレビューでも指摘されてたけど、確かにあの部分は僕も理解できないなと思いました。いやでも、まあそれぐらいいいんじゃないかなと僕は思いますけどね。小説なんだし。
さらに追記)上記の『ミス』について、ある解釈を思いつきました。
犯人側は当初から、犯行は北朝鮮グループによるものだと錯覚させようと動いています。もちろん警察側もそういう判断で動きました。しかし警察が、犯人側が『ミス』をした場面まで辿り着いたということは、捜査が日本人にも向けられたということを示すことになります。
もしその場合、犯人側があの『ミス』をしなかったらどうなっていたと犯人側は考えるでしょうか。もしかしたら、あのことまで辿り着いてしまうかもしれない、と思うかもしれません。となれば、あそこで敢えて『ミス』をすることで、あのことまで辿り着かせない、という判断をしたのではないか、という解釈です。
ただその場合、ラストシーンでそれについて言及した方がストーリーとしては分かりやすかったわけで、どうなんでしょうね。
こんな風に考えてみましたけど、どうでしょうか。
五十嵐貴久「誘拐」
その電話が掛かって来たのは、優子が誘拐されてから2時間後のことだった。
デパート内でのことだった。優子を連れておもちゃ売り場にいたが、ほんの数秒目を離した隙に、優子の姿は消えていた。それから自宅に戻り、ずっと連絡を待っていた。警察には連絡しなかった。連絡するはずがなかった。
(すべては順調に進んでいる。何も問題はない)
1億円用意する気はまったくなかった。そもそもそんな金があるはずもない。犯人からの連絡にはきちんと用意すると伝えたが、それは単なる時間稼ぎにすぎない。
(大丈夫だ。必要な手手はずはすべて整えた)
俺には自信があった。立てていた計画は、すべて順調に進んでいる。一番問題なのは、どれだけ時間稼ぎが出来るだろうか、という点だ。しかし、何とかなるだろう。1億円用意するのに時間が掛かることぐらい、犯人にだってわかるはずだ。
(さてそろそろこちらも動き出すか)
俺は公衆電話へと向かった。電話を掛けるべき相手は、俺からの連絡を今か今かと待ちわびていることだろう。その不安を煽ることも、計画の一部だった。
公衆電話で、相手の番号を押す。
「お宅の娘を預かった。1億円を用意しろ」
「優子は、優子は無事なの?」
母親らしき人物が金切り声を上げているが、無視して電話を切った。受け渡し方法などは、また連絡をすればいい。
俺の娘、レミが誘拐されるかもしれない、という情報を掴んだのは1週間前だった。それはまさに偶然だった。付き合いのあるバーのマスターが、店内でこんな話をしていた、と教えてくれたのだ。人目のあるところで誘拐の話などしているバカな誘拐犯で助かった。
それから俺は考えた。レミを完全に守りきることは不可能だ。だったら、別の娘をレミだと思わせて、誘拐させればいいのではないだろうか?
誘拐犯の動きを追うのは生半可なことではなかったが、どうにか決行日を知ることが出来た。それと同じ日に、レミに似た少女を自分で誘拐することに決めた。それが優子だ。デパートで優子を誘拐してすぐ、優子はまた別の誘拐犯に誘拐されることになった。
本来なら、優子の両親に身代金を要求する必要はない。しかし、行きがけの駄賃だ。しかも、優子がもし殺されるようなことがあっても、俺とは関係ない。計画は完璧だ。もし困ったら、身代金は諦めればいい。
俺は何よりも、レミを守れたことが何よりも誇らしかった。
一銃「誘拐」
そろそろ内容に入ろうと思います。
旅行会社に勤めていた秋月孝介は人材開発課に所属していた。そこは、上層部が決めたリストラ要因に、クビを宣告する部署であり、孝介はその責任者だった。
理不尽なリストラを通告しなくてはならない辛さに、そして何よりも、自らクビを宣告したことによって人が死んでしまったこともあり、会社を去ることにした。
孝介はそこから、長い準備期間に入ることになる。
その年の8月は、新日韓友好条約締結の話でもちきりだった。韓国と日本が北朝鮮の脅威に対抗するために共同で立ち向かうというもので、過去のわだかまりをすべて払拭させ、新しい関係に踏み出すという歴史的な内容だった。8月15日に韓国大統領が来日し、そこで調印されることが決まっており、世間の注目は高かった。
しかし、まさかその陰で、こんな事態が起こるとは誰も予測することが出来なかった。
調印の3日前、佐山総理の孫娘が誘拐された。要求は30億円と新日韓友好条約の破棄。大統領警護のため、これほどの大事件であるのに、警察の組織力をつぎ込むことが出来ない。
大統領の警護と誘拐事件の解決という最難関の課題を同時に成し遂げなくてはいけない警察と、緻密で隙のない手口で犯行を進める犯人との戦いの火蓋が切って落とされる…。
というような話です。
五十嵐貴久と言えば、少なくとも今まで僕が読んだ本の中では外れが一作もないという安定した作家で、かつ様々なジャンルの小説を書いているオールラウンダーでもありますけど、今回著者が扱うのは誘拐ものです。
誘拐ものというのは、とにかく様々な作家が様々な切り口で描いてきた古典的な題材で、正直もう出尽くした感はあるでしょう。しかし、本作は面白いですね。目新しさという点ではさほどでもないかもしれませんが、しかし展開のうまさ、犯人の造型、警察の動き方、総理の心境、犯人の思惑、収束する伏線など、様々な要素が見事に絡まりあって、素晴らしい一品になっていると思います。過去僕が読んだ誘拐もののミステリーでは、真保裕一の「誘拐の果実」がベストですが、僕の中ではそれに匹敵するぐらいの評価です。
もし本作のような、歴史的な条約の調印というシチュエーションがあれば、本作で提示されたやり方はまさに完璧だと言えるでしょう。すべてが犯人の目論見通りに進んでいきます。普通誘拐もののミステリーでは、犯人側が何らかのミスをする、あるいは仲間割れをすると言ったことがあって、最終的に計画が崩れてしまったりしますけど、本作では犯人は一切ミスをしません。もちろんそれは、作者の描き方次第でどうにでもなる部分ですが、しかしミスをしない犯人グループを描いて、最後まで納得の行く物語を書いていくというのは結構難しいと思うんです。ミスをしないことについてのリアリティも出さないといけないし、さらにその展開でどう物語を終わらせるのか、という問題もあります。犯人側がミスをしない、というのは、普通に考えて警察が犯人に辿り着けないというのとほとんど同じで、警察側の描き方が非常に難しくなっていきます。そういう部分をすべて含めて、本作は非常にうまく出来ているなと思いました。
また本作で犯人側が使った連絡手段というのは、実際に応用出来るような気がします。もちろん不確定要素は増すし、確実な手段ではないけど、しかし安全性だけは抜群です。これは確かに有効な手でしょう。なるほど、考えたものだな、と思いました。
犯人側の真の目的については、何となく予想は出来ていました。というのも、同じような作品を前に読んだことがあったからです。だからと言って目新しさがないというわけではありませんが。本作では、何故総理大臣の孫娘を誘拐したのかという理由がそこに結びついていくわけで、しかもそこに動機の本質みたいなものもあったりで、展開がうまいと思いました。
しかもラスト。なるほど確かに考えてみれば、初めから条件は提示されていたわけですが、なるほどそういうことでしたか、という感じです。五十嵐貴久は様々なジャンルの作品を書きますが、ミステリーを書く時はほとんど常に最後にどんでん返し的な構造を持ってきます。本作でも、どんでん返しというところまではいかないかもしれないけど、なかなか面白い真相が明かされることになります。
個人的には、星野という刑事が好きですね。いろいろあって、通常の命令系統とはまったく違う形で捜査本部に組み込まれることになったわけですけど、その飄飄とした感じがいいなと思いました。
誘拐もののミステリーの中では、かなりレベルの高いオススメ出来る作品です。ネタバレになってしまうのであんまり踏み込んで感想が書けないのが残念ですね。是非読んでみてください。相当面白いですよ。
追記)上記で、犯人側はミスをしていない、と書いたけど、すいません、してました。しかも、アホみたいなミスを。amazonのレビューでも指摘されてたけど、確かにあの部分は僕も理解できないなと思いました。いやでも、まあそれぐらいいいんじゃないかなと僕は思いますけどね。小説なんだし。
さらに追記)上記の『ミス』について、ある解釈を思いつきました。
犯人側は当初から、犯行は北朝鮮グループによるものだと錯覚させようと動いています。もちろん警察側もそういう判断で動きました。しかし警察が、犯人側が『ミス』をした場面まで辿り着いたということは、捜査が日本人にも向けられたということを示すことになります。
もしその場合、犯人側があの『ミス』をしなかったらどうなっていたと犯人側は考えるでしょうか。もしかしたら、あのことまで辿り着いてしまうかもしれない、と思うかもしれません。となれば、あそこで敢えて『ミス』をすることで、あのことまで辿り着かせない、という判断をしたのではないか、という解釈です。
ただその場合、ラストシーンでそれについて言及した方がストーリーとしては分かりやすかったわけで、どうなんでしょうね。
こんな風に考えてみましたけど、どうでしょうか。
五十嵐貴久「誘拐」
目薬αで殺菌します(森博嗣)
「羨ましいよねホント」
「え、何が?」
「だって昔は、少子化だったわけでしょ?」
「まあそうだけどね」
「何人子供を産んでもよかったわけだ」
「まあ別にそう言われていたわけではないだろうけど、実質的にはそうだろうね」
「それに引き換えだよ」
「今は不自由だって?」
「だってそうじゃない?子供は一人しか産めないんだよ」
「私は、まあ一人でいいかなって思うけど」
「嫌だよぉ。出来ればたくさん子供産んでさ、わいわいがやがややりたいじゃん。ったくもぉ、何さ、一人っ子政策って」
「ちょっと声デカイ。先生に見つかっちゃうよ」
「分かってるって。でもさ、理不尽だわよね。何でそんなこと国に決められにゃならんのだろうね」
「まあしょうがないんじゃない。ほら、昔は中国だってそういうのあったって言うし」
「そういう問題じゃないよねぇ。中国がなんだってのさ。問題は、日本、ジャパン、あたし達なわけよ」
「まあでもそうがないって。嫌ならアメリカとかにでも行ったらいいよ」
「おお、何と冷たい。フレンドとは思えない言い方だなぁ」
「まったく、大げさなんだから」
「でもさ、メグネックって知ってる?」
「メグネック?何それ?」
「ホントに知らないの?あんた、女なんだからそれぐらい知ってなさいよ」
「知らないものはしょうがないじゃん」
「今、子供を産んだ女性の間で流行ってるのよ。知らないかなぁ。ほら、首にさ、目薬の容器みたいなの下げてる人見ない?」
「あぁ、いるかも。あれがそうなんだ。何あれ、ダサ、って思ってたけど」
「あれね、実は受精卵が入ってるって噂だよ」
「は?受精卵?何の?」
「人間のに決まってるでしょうに。っていうか、それをつけてる女性の受精卵だよ。出産の終わった女性には、排卵が止まる薬が渡されるっていうでしょ?でね、その薬を飲まなきゃいけなくなるまえに卵子を一個保存しとくの。で、旦那の精子と掛け合わせて、受精卵にするんだって。それを常温で保存する技術がちょっと前に開発されたとかで、みんなそれを目薬のケースに入れてるってわけ。それがメグネック」
「ふーん。ちょっと異常な感じするね。何でそんなことするわけ?」
「そりゃあ、一人っ子政策が解除されたらすぐ子供が欲しいから、とかじゃないかな。あとは、何となくお守りみたいなね」
「そもそもさ、何で目薬の容器に入ってるわけ?」
「それについてはさ、いろんな説があるらしんだけど、正確なところは誰も知らないらしいんだよね…」
一銃「メグネック」
そろそろ内容に入ろうと思います。
神戸で、劇薬の入った目薬が見つかった。神戸に本社のあるTTK製薬の製品で、その後各地で散発的に見つかるようになっていく。個人が狙われているようでもなく、店頭の商品とすり替えているとしか思えないことから、無差別の対象を狙っているか、あるいは製薬会社に恨みを持つ犯行だろうと思われた。
一方、大学生である加部谷は、夜死体を発見してしまう。その手にも、同じ製薬会社の目薬が握られていた。その目薬のパッケージには「α」の文字。これは、時々起こるギリシャ文字に関連した事件なのだろうか…。
というような話です。
さて既に僕の中でこのGシリーズは惰性で買っているわけなんですけど、まあ本作もそれなりというかまあまあというか、そういう感じですね。相変わらず読みやすいですけど。
とにかくこのシリーズを読み続ける動機は、最終的にどう着地するのかというその一点の興味に収束しますね。正直、ここの事件はどうでもいいというかあんまり関心がない感じです。このシリーズはミステリの王道の構造からは大分外れていて、そもそもメインとなっている騒ぎについては誰の仕業なのか断定されないというケースも多いです。犯行の手法は解明されても、犯人は解明されない、というような。一応本作では、犯人は提示されますけどね。
もちろん森博嗣としても、敢えてそういうベクトルへ向けて作品を書いているわけなんでしょうけど、どうもイマイチしっくりこない感じがあるんですよね。もちろんシリーズを読み続けて、最後にとんでもない真相が明らかになったら、読んでてよかったなぁと思えるでしょうが、どうでしょうか。
やっぱりですね、もうこんなことをここで書いても仕方ないし、というか森博嗣本人に伝えたって意味がないでしょうけど、やっぱりS&Mシリーズのような作品を読みたいと思ってしまうわけなんですよ。これは、やっぱり初期に近いファンなら誰しもそう思うんじゃないでしょうか。最近森博嗣と知ったという読者にはそういう感覚はないかもしれません。どうだろうなぁ。
まあいずれにしても、これからも新刊が出たら買うでしょうね。まあここまで来たら読み続けないとなっていう感じもありますしね。最後は驚くような展開になってくれたらいいなぁ。
まあそんなわけで、そんなに好きではないシリーズなんですね。そこまでオススメはしません。どういう展開になるかなぁ。それだけが興味アリですね。
森博嗣「目薬αで殺菌します」
「え、何が?」
「だって昔は、少子化だったわけでしょ?」
「まあそうだけどね」
「何人子供を産んでもよかったわけだ」
「まあ別にそう言われていたわけではないだろうけど、実質的にはそうだろうね」
「それに引き換えだよ」
「今は不自由だって?」
「だってそうじゃない?子供は一人しか産めないんだよ」
「私は、まあ一人でいいかなって思うけど」
「嫌だよぉ。出来ればたくさん子供産んでさ、わいわいがやがややりたいじゃん。ったくもぉ、何さ、一人っ子政策って」
「ちょっと声デカイ。先生に見つかっちゃうよ」
「分かってるって。でもさ、理不尽だわよね。何でそんなこと国に決められにゃならんのだろうね」
「まあしょうがないんじゃない。ほら、昔は中国だってそういうのあったって言うし」
「そういう問題じゃないよねぇ。中国がなんだってのさ。問題は、日本、ジャパン、あたし達なわけよ」
「まあでもそうがないって。嫌ならアメリカとかにでも行ったらいいよ」
「おお、何と冷たい。フレンドとは思えない言い方だなぁ」
「まったく、大げさなんだから」
「でもさ、メグネックって知ってる?」
「メグネック?何それ?」
「ホントに知らないの?あんた、女なんだからそれぐらい知ってなさいよ」
「知らないものはしょうがないじゃん」
「今、子供を産んだ女性の間で流行ってるのよ。知らないかなぁ。ほら、首にさ、目薬の容器みたいなの下げてる人見ない?」
「あぁ、いるかも。あれがそうなんだ。何あれ、ダサ、って思ってたけど」
「あれね、実は受精卵が入ってるって噂だよ」
「は?受精卵?何の?」
「人間のに決まってるでしょうに。っていうか、それをつけてる女性の受精卵だよ。出産の終わった女性には、排卵が止まる薬が渡されるっていうでしょ?でね、その薬を飲まなきゃいけなくなるまえに卵子を一個保存しとくの。で、旦那の精子と掛け合わせて、受精卵にするんだって。それを常温で保存する技術がちょっと前に開発されたとかで、みんなそれを目薬のケースに入れてるってわけ。それがメグネック」
「ふーん。ちょっと異常な感じするね。何でそんなことするわけ?」
「そりゃあ、一人っ子政策が解除されたらすぐ子供が欲しいから、とかじゃないかな。あとは、何となくお守りみたいなね」
「そもそもさ、何で目薬の容器に入ってるわけ?」
「それについてはさ、いろんな説があるらしんだけど、正確なところは誰も知らないらしいんだよね…」
一銃「メグネック」
そろそろ内容に入ろうと思います。
神戸で、劇薬の入った目薬が見つかった。神戸に本社のあるTTK製薬の製品で、その後各地で散発的に見つかるようになっていく。個人が狙われているようでもなく、店頭の商品とすり替えているとしか思えないことから、無差別の対象を狙っているか、あるいは製薬会社に恨みを持つ犯行だろうと思われた。
一方、大学生である加部谷は、夜死体を発見してしまう。その手にも、同じ製薬会社の目薬が握られていた。その目薬のパッケージには「α」の文字。これは、時々起こるギリシャ文字に関連した事件なのだろうか…。
というような話です。
さて既に僕の中でこのGシリーズは惰性で買っているわけなんですけど、まあ本作もそれなりというかまあまあというか、そういう感じですね。相変わらず読みやすいですけど。
とにかくこのシリーズを読み続ける動機は、最終的にどう着地するのかというその一点の興味に収束しますね。正直、ここの事件はどうでもいいというかあんまり関心がない感じです。このシリーズはミステリの王道の構造からは大分外れていて、そもそもメインとなっている騒ぎについては誰の仕業なのか断定されないというケースも多いです。犯行の手法は解明されても、犯人は解明されない、というような。一応本作では、犯人は提示されますけどね。
もちろん森博嗣としても、敢えてそういうベクトルへ向けて作品を書いているわけなんでしょうけど、どうもイマイチしっくりこない感じがあるんですよね。もちろんシリーズを読み続けて、最後にとんでもない真相が明らかになったら、読んでてよかったなぁと思えるでしょうが、どうでしょうか。
やっぱりですね、もうこんなことをここで書いても仕方ないし、というか森博嗣本人に伝えたって意味がないでしょうけど、やっぱりS&Mシリーズのような作品を読みたいと思ってしまうわけなんですよ。これは、やっぱり初期に近いファンなら誰しもそう思うんじゃないでしょうか。最近森博嗣と知ったという読者にはそういう感覚はないかもしれません。どうだろうなぁ。
まあいずれにしても、これからも新刊が出たら買うでしょうね。まあここまで来たら読み続けないとなっていう感じもありますしね。最後は驚くような展開になってくれたらいいなぁ。
まあそんなわけで、そんなに好きではないシリーズなんですね。そこまでオススメはしません。どういう展開になるかなぁ。それだけが興味アリですね。
森博嗣「目薬αで殺菌します」
ブラッドタイプ(松岡圭祐)
一週間で五件。まさに異常だ。
また、あの死体が見つかった。
今から一週間前神保町で見つかったのを皮切りに、池袋、品川、目黒、御茶ノ水というように都内のあちこちで同じような死体が見つかっている。異常な連続殺人。このハイペースでこれだけの猟奇殺人を繰り返す犯行はそうはない。マスコミにも大きく騒がれている。何とか早期の解決を目指さなくてはいけない。
全身の血が抜かれているのである。
マスコミでは、吸血鬼やチュパカブラの仕業ではないか、なんて煽っているところもあるようだけど、そんなわけがない。どの死体にも、きちんと注射針の痕が残っている。もちろん、人間の仕業だ。
当初捜査は楽観視された。現場に遺留品がやたら残っていたのである。これは犯人を捕まえるのにそう時間は掛からないだろう。そう誰もが思ったに違いない。
その認識は、今でも変わらない。恐らく我々は、少しずつ犯人に近づいているはずだ。もうそろそろ網に引っかかってもおかしくはないだろうと思う。
しかし犯人は、我々の予想を遥かに超えるスピードで犯行を繰り返した。まさか誰も、この異常な犯行が一週間で五件も続くとは思っていなかった。すぐに捕まえられるだろうという認識は、すぐに捕まえなくてはいけないという認識に改まった。
しかし、その動機については未だに見当もつかない。被害者の血液型がすべてO型で共通しているので、恐らくO型の血が必要だったのだろう。輸血に?それとも、何らかの儀式に?まあこれは、犯人を捕まえてから問いただせばいいだろう。
「で、何であんなことをしたんだ?」
マスコミに『吸血鬼殺人事件』と名づけられた事件の犯人がようやく捕まった。結局、3週間で14人もの人を殺した。過去類を見ない、大量殺人だった。
「O型になりたかったんです」
男は、そう弱々しく言った。
「O型の血を飲めば、O型に変われるんじゃないかって思って」
「…なんてバカなことをしてくれたんだ…」
刑事のその呟きは当然だった。
「君は自分の血液型をB型だと思っているかもしれないが、本当はO型なんだよ」
男がしていたことは、すべて無駄だった。それに気づいた男は、ようやく自分が何をしたのか自覚したかのように、大声で泣き始めた。
一銃「吸血鬼」
そろそろ内容に入ろうと思います。
すべては、防衛庁長官のひと言から始まった。
アメリカの海兵隊を視察していた長官は、海兵隊員がブーツに自分の血液型を書き込んでいるのを見て、軍でもやはり血液型別の性格診断を採用しているのだなと発言し、記者から失笑を買うことになる。もちろん、彼らがブーツに血液型を書くのは、負傷した際の輸血に必要だからだ。
血液型別性格診断は、日本と韓国と台湾にしか存在しない非科学的な迷信だ。しかしこと日本においては、その信仰はあまりにも強力だ。そこに持ってきて、長官の発言である。日本は、血液型別の性格診断により関心を持つようになり、血液型によって差別されたり解雇されたりと言ったケースにまで発展する事態になった。
国家資格の認定を争っている二つの民間団体、医療心理師会と臨床心理士会は共に、日本に深く根付く血液型別性格診断の信仰を根絶すべく、それが非科学的であるという証明をする必要に迫られたのだが、しかし否定の証明ほど難しいものはない。しかも、日本にこれほど深く根付いた信仰なのだ。生半可な証明では太刀打ちできない。
しかしその内、とんでもない事態になる。
白血病の女性患者が、血液型がB型に変わってしまうことを嫌がって骨髄移植を拒否しているというのだ。彼女は、このまま骨髄移植をしなければ命を落としてしまう。同じく白血病を再発し治療に取り組んでいる、臨床心理士会に所属するカウンセラーである嵯峨敏也は、彼女を説得出来ない限り自分も骨髄移植をしないという決意をする。
嵯峨を愛しく思っている、同じく臨床心理士会のカリスマカウンセラーである岬美由紀は、嵯峨を救うべく、血液型別性格診断の信仰を粉砕すべく突き進むのだが、いつもの彼女らしくなく不安定になることが多くうまくいかない。同じく臨床心理士会のカウンセラーである一ノ瀬恵梨香と共に、何とか奇跡を起こそうと奮闘するのだけど…。
というような話です。
松岡圭祐の作品は久しぶりに読みましたけど、やっぱりこの作家面白い話を書きますね。また千里眼シリーズでも読み直したいなぁなんて思うけど、時間がないのだなぁ。
さて、何でこの本を読もうと思ったかといえば、まあ古本屋で見つけたからですけど、今血液型の本がやたら売れてるからというのがありますね。
ブームの火付け役であり、今でも最も売れているのが、「△型自分の説明書」という奴で、この売れ方は異常ですね。A・B・O・ABと全種類出ていますけど、どれもバンバン売れているわけです。今普通の書店の店頭には必ずこの本が置かれていると思うし、大きな売り場のある本屋なら、血液型だけで相当な面積の売り場を確保しているのではないかと思います。二匹目のどじょうを狙う類似品も様々に出ていますけど、やっぱりこの「△型自分の説明書」が一番売れていますね。
僕はホントにですね、こういう本を買ってく人はアホだなと思っているわけなんです。僕はこれに類する本なんか絶対読まないと決めているし、「△型自分の説明書」だって中を開いてみたことさえないですね。もう、興味ゼロなんです。いやですね、もちろん人が何に興味を持つかなんて人それぞれでいいんですけど、でも血液型別性格診断の本がここまでアホみたいにバンバン売れるなんて状況は、どう考えても頭がおかしいと思うんですよ。
まあそんな風に思っているところにこの小説を見つけたわけで、なかなか面白そうだなと思って読んでみることにしたわけです。
本作では最後に、血液型別性格診断を粉砕する奇策が展開されます。これは、やろうと思えば現実の世界でもやれる手法でしょうね。ただ、それをやってもなお、血液型別性格診断への信仰はなくならないかもしれない、と思ったりしますけど。どうでしょうね。本作に描かれているような規模でやれば、もしかしたらいけるかもしれません。
まあでも今の日本では、血液型が変わっちゃうから骨髄移植をしたくない、なんて思っちゃうような人はさすがにいないでしょうけどね。血液型はブームだけど、それは何となくブームだから乗っかってるとか、あるいは何となく当たってる感じがして面白いとか、そういうレベルのことでしょうね。だとすればそこまで憂慮するようなこともないんでしょう。まあ僕はアホだなと思いますけど。本作みたいな状況になっちゃったら、それこそ危険ですけどね。どうかな。今の日本人なら、こういう危険な状況になることもありえるかもしれないと思うけど。
本作では血液型の他に、白血病に関しての誤解も描かれます。白血病を再発して入院した嵯峨は、白血病患者に対する周囲の目、そして白血病患者自身の気の持ちようが明らかにおかしいことに気づきます。皆、白血病が不治の病であると思い込んでいるようなのです。
しかし医学の進歩により、白血病は少なくとも不治の病ではなくなりました。ではその誤解はどこからやってきたのか。
それが、大流行しているあるテレビドラマの影響でした。そのドラマは実話を元にしたと謳われているにも関わらず、描かれる情報や医者の対応が明らかにおかしかったのです。美由紀と一ノ瀬は、この白血病に関する誤解も解かなくてはいけないという二重の課題を課されたわけですけど、最終的にどちらの課題もクリアすることになります。その過程で、小説らしくスリリングな展開になったりして盛り上げるし、恋愛っぽい要素も入れてくるしで、松岡圭祐っていうのはエンターテイメントを書かせたらやっぱり一級の作家だなと思いました。
血液型別性格診断を信じている人も信じていない人も読んだら面白いと思います。ただ、信じている人に是非読んで欲しいですね。血液型別性格診断が当たっているように感じられるだけの錯覚だって言うことが少しは分かるんじゃないかなと思うんだけど。是非読んでみてください。
松岡圭祐「ブラッドタイプ」
ブラッドタイプハード
また、あの死体が見つかった。
今から一週間前神保町で見つかったのを皮切りに、池袋、品川、目黒、御茶ノ水というように都内のあちこちで同じような死体が見つかっている。異常な連続殺人。このハイペースでこれだけの猟奇殺人を繰り返す犯行はそうはない。マスコミにも大きく騒がれている。何とか早期の解決を目指さなくてはいけない。
全身の血が抜かれているのである。
マスコミでは、吸血鬼やチュパカブラの仕業ではないか、なんて煽っているところもあるようだけど、そんなわけがない。どの死体にも、きちんと注射針の痕が残っている。もちろん、人間の仕業だ。
当初捜査は楽観視された。現場に遺留品がやたら残っていたのである。これは犯人を捕まえるのにそう時間は掛からないだろう。そう誰もが思ったに違いない。
その認識は、今でも変わらない。恐らく我々は、少しずつ犯人に近づいているはずだ。もうそろそろ網に引っかかってもおかしくはないだろうと思う。
しかし犯人は、我々の予想を遥かに超えるスピードで犯行を繰り返した。まさか誰も、この異常な犯行が一週間で五件も続くとは思っていなかった。すぐに捕まえられるだろうという認識は、すぐに捕まえなくてはいけないという認識に改まった。
しかし、その動機については未だに見当もつかない。被害者の血液型がすべてO型で共通しているので、恐らくO型の血が必要だったのだろう。輸血に?それとも、何らかの儀式に?まあこれは、犯人を捕まえてから問いただせばいいだろう。
「で、何であんなことをしたんだ?」
マスコミに『吸血鬼殺人事件』と名づけられた事件の犯人がようやく捕まった。結局、3週間で14人もの人を殺した。過去類を見ない、大量殺人だった。
「O型になりたかったんです」
男は、そう弱々しく言った。
「O型の血を飲めば、O型に変われるんじゃないかって思って」
「…なんてバカなことをしてくれたんだ…」
刑事のその呟きは当然だった。
「君は自分の血液型をB型だと思っているかもしれないが、本当はO型なんだよ」
男がしていたことは、すべて無駄だった。それに気づいた男は、ようやく自分が何をしたのか自覚したかのように、大声で泣き始めた。
一銃「吸血鬼」
そろそろ内容に入ろうと思います。
すべては、防衛庁長官のひと言から始まった。
アメリカの海兵隊を視察していた長官は、海兵隊員がブーツに自分の血液型を書き込んでいるのを見て、軍でもやはり血液型別の性格診断を採用しているのだなと発言し、記者から失笑を買うことになる。もちろん、彼らがブーツに血液型を書くのは、負傷した際の輸血に必要だからだ。
血液型別性格診断は、日本と韓国と台湾にしか存在しない非科学的な迷信だ。しかしこと日本においては、その信仰はあまりにも強力だ。そこに持ってきて、長官の発言である。日本は、血液型別の性格診断により関心を持つようになり、血液型によって差別されたり解雇されたりと言ったケースにまで発展する事態になった。
国家資格の認定を争っている二つの民間団体、医療心理師会と臨床心理士会は共に、日本に深く根付く血液型別性格診断の信仰を根絶すべく、それが非科学的であるという証明をする必要に迫られたのだが、しかし否定の証明ほど難しいものはない。しかも、日本にこれほど深く根付いた信仰なのだ。生半可な証明では太刀打ちできない。
しかしその内、とんでもない事態になる。
白血病の女性患者が、血液型がB型に変わってしまうことを嫌がって骨髄移植を拒否しているというのだ。彼女は、このまま骨髄移植をしなければ命を落としてしまう。同じく白血病を再発し治療に取り組んでいる、臨床心理士会に所属するカウンセラーである嵯峨敏也は、彼女を説得出来ない限り自分も骨髄移植をしないという決意をする。
嵯峨を愛しく思っている、同じく臨床心理士会のカリスマカウンセラーである岬美由紀は、嵯峨を救うべく、血液型別性格診断の信仰を粉砕すべく突き進むのだが、いつもの彼女らしくなく不安定になることが多くうまくいかない。同じく臨床心理士会のカウンセラーである一ノ瀬恵梨香と共に、何とか奇跡を起こそうと奮闘するのだけど…。
というような話です。
松岡圭祐の作品は久しぶりに読みましたけど、やっぱりこの作家面白い話を書きますね。また千里眼シリーズでも読み直したいなぁなんて思うけど、時間がないのだなぁ。
さて、何でこの本を読もうと思ったかといえば、まあ古本屋で見つけたからですけど、今血液型の本がやたら売れてるからというのがありますね。
ブームの火付け役であり、今でも最も売れているのが、「△型自分の説明書」という奴で、この売れ方は異常ですね。A・B・O・ABと全種類出ていますけど、どれもバンバン売れているわけです。今普通の書店の店頭には必ずこの本が置かれていると思うし、大きな売り場のある本屋なら、血液型だけで相当な面積の売り場を確保しているのではないかと思います。二匹目のどじょうを狙う類似品も様々に出ていますけど、やっぱりこの「△型自分の説明書」が一番売れていますね。
僕はホントにですね、こういう本を買ってく人はアホだなと思っているわけなんです。僕はこれに類する本なんか絶対読まないと決めているし、「△型自分の説明書」だって中を開いてみたことさえないですね。もう、興味ゼロなんです。いやですね、もちろん人が何に興味を持つかなんて人それぞれでいいんですけど、でも血液型別性格診断の本がここまでアホみたいにバンバン売れるなんて状況は、どう考えても頭がおかしいと思うんですよ。
まあそんな風に思っているところにこの小説を見つけたわけで、なかなか面白そうだなと思って読んでみることにしたわけです。
本作では最後に、血液型別性格診断を粉砕する奇策が展開されます。これは、やろうと思えば現実の世界でもやれる手法でしょうね。ただ、それをやってもなお、血液型別性格診断への信仰はなくならないかもしれない、と思ったりしますけど。どうでしょうね。本作に描かれているような規模でやれば、もしかしたらいけるかもしれません。
まあでも今の日本では、血液型が変わっちゃうから骨髄移植をしたくない、なんて思っちゃうような人はさすがにいないでしょうけどね。血液型はブームだけど、それは何となくブームだから乗っかってるとか、あるいは何となく当たってる感じがして面白いとか、そういうレベルのことでしょうね。だとすればそこまで憂慮するようなこともないんでしょう。まあ僕はアホだなと思いますけど。本作みたいな状況になっちゃったら、それこそ危険ですけどね。どうかな。今の日本人なら、こういう危険な状況になることもありえるかもしれないと思うけど。
本作では血液型の他に、白血病に関しての誤解も描かれます。白血病を再発して入院した嵯峨は、白血病患者に対する周囲の目、そして白血病患者自身の気の持ちようが明らかにおかしいことに気づきます。皆、白血病が不治の病であると思い込んでいるようなのです。
しかし医学の進歩により、白血病は少なくとも不治の病ではなくなりました。ではその誤解はどこからやってきたのか。
それが、大流行しているあるテレビドラマの影響でした。そのドラマは実話を元にしたと謳われているにも関わらず、描かれる情報や医者の対応が明らかにおかしかったのです。美由紀と一ノ瀬は、この白血病に関する誤解も解かなくてはいけないという二重の課題を課されたわけですけど、最終的にどちらの課題もクリアすることになります。その過程で、小説らしくスリリングな展開になったりして盛り上げるし、恋愛っぽい要素も入れてくるしで、松岡圭祐っていうのはエンターテイメントを書かせたらやっぱり一級の作家だなと思いました。
血液型別性格診断を信じている人も信じていない人も読んだら面白いと思います。ただ、信じている人に是非読んで欲しいですね。血液型別性格診断が当たっているように感じられるだけの錯覚だって言うことが少しは分かるんじゃないかなと思うんだけど。是非読んでみてください。
松岡圭祐「ブラッドタイプ」
ブラッドタイプハード
狼と香辛料Ⅴ(支倉凍砂)
2008年9月6日 全国紙夕刊
『正午ごろ、葛飾区の高橋徹さん宅から、毛皮のコートなど800万円相当が盗み出されました。盗まれたものはすべて毛皮製品のみで、中にはワシントン条約締結前に取引された希少動物の毛皮も盗まれたとのことです。
警察では盗みの手口から、『怪盗毛皮団』の仕業ではないか、としています。『怪盗毛皮団』は半年ほど前から犯行を繰り返しているとされる集団で、盗むものは毛皮あるいは毛皮製品のみという徹底ぶりです。これまでの被害総額は2億円を超えるとみられ、警察では全力を挙げて捜査をしていくとのことです。』
2009年1月30日 地方紙朝刊
『埼玉県さいたま市のある住居に、獣などを数十匹飼っていてうるさいと市に苦情が殺到している模様です。近所の人の話によりますと、住民が飼っているのは、猫や犬などの普通のペットではなく、狐やワニや狸といった、ペットにしては一風変わった動物たちなのだそうです。騒音などの苦情の他に、何故そんな動物を飼っているのかという不安も相次いで寄せられているとのことです。市としては、何度か勧告する予定のようですが、取り締まる法律が明確にないために、頭の痛い話になりそうです。』
2008年3月5日 全国紙夕刊
『『怪盗毛皮団』名乗り出る!?
埼玉県さいたま市に住む男女がこの程、自分達が『怪盗毛皮団』であると本紙に名乗り出てきました。本紙から警察に通報したのですが、彼らは未だ逮捕されることもなく、自宅待機という形になっている模様です。
その最大の原因が、彼らが主張しているその内容です。彼らは、自宅に数十匹の動物を飼っているのですが、警察が盗んだ毛皮製品はどうしたのだと問い掛けると、その動物達を指し示したというのです。彼ら曰く、彼らには特殊な能力があり、毛皮製品を元の生き物に戻すことが出来る、ということでした。彼らは、毛皮にされてしまった動物たちがあまりにも可哀相で、この犯行を思い立った、と主張しています。
捜査員がざっと確認したところによれば、『怪盗毛皮団』に盗まれたとされる毛皮製品と、彼らが飼っている動物の種類が、数も含めてすべえ一致する、ということです。しかし、毛皮製品を動物に戻したなどという主張を受け入れるわけにもいかず、どうしていいか分からない状況のようです。
またこの件に関して、動物愛護団体が次のような声明を発表しています…。』
『怪盗毛皮団』の二人の会話
「絶対捕まらない犯罪をやってやろうぜ」
「どうするの?」
「まず毛皮製品を盗みまくるんだ。まあこれは、ただの窃盗ってやつだな。俺らの得意分野ってわけだ」
「オッケー。それで?」
「その毛皮を売りさばいて、今度はその毛皮製品の元だった動物を買うんだよ。んで、それをしばらく飼う」
「よくわかんないけど、それで?」
「後は簡単だ。俺らが『怪盗毛皮団』ですって名乗り出ればいい?」
「何でそれで捕まらないわけさ?」
「いいか。最も重要なのは、こう主張することなんだ。俺らは、毛皮を元の動物に戻す特殊な能力を持っている。盗んだ毛皮は、今ここにいる動物に変えてしまったんだよ、ってな」
「なるほど!それは面白いかもね!私乗った!」
一銃「絶対捕まらない犯罪?」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、『狼と香辛料』シリーズの第五弾です。
全体の設定をまずは書きましょう。
行商人であるロレンスは、ある時一人の少女を拾った。ホロと名乗ったその少女には、獣の耳と尻尾が生えていた。ホロは豊作を司る神であるのだ。
そんなホロとひょんなことから一緒に旅をすることになった。ホロの出身地であるヨイツまで送り届けるという名目の元にだ。二人は次第に仲良くなっていき、別れがたい関係になっていくが…。
本作は、前作で舞台だったテレオの村を無事脱出したところから始まります。
ホロの故郷の情報を集めるために古い物語を探し回っている二人だが、ホロの物語が残っていると言われるレノスという町にやってくる。毛皮の売買が盛んであるというレノスは、しかし今どうやら穏やかならぬ状況にあるらしい。毛皮を巡って、五十人会議という物々しい会議が開かれているらしいのだ。ロレンスは独自の嗅覚でこれは商売になりそうだ、と感じるが、しかし第一の目的がホロの物語を探すことであることは忘れてはいない。
しかしそんな折、ちょっとしたことで知り合った商人から儲け話を持ちかけられる。それが成功すれば、ロレンスの長年の夢が叶うほどの成功がもたらされる、そんな取引だった。しかし、それを実行するには、ホロを利用しなくてはいけない。悩むロレンスの背中を押すホロだが、しかしそんなホロの口から驚くような言葉が吐き出され…。
というような話です。
ついに5巻までやってきましたけど、まだまだ絶好調に面白いですね。本当に普段ライトノベルを読まない僕からしたら快挙ですね。これだけ内容がしっかりしていて面白いライトノベルだったらいくらでも読むんですけどね。
前作は経済っぽい話はあんまりないストーリー展開でしたけど、今回はまたそういう話に戻ります。
取引の仕組み自体は相変わらずそんなに難しいわけではありません。特殊な状況下に置いて、人よりも情報を早く得、人よりも多くの金額をつぎ込み、人よりも素早く売り抜けるというような話で、まあ行商人の基本というようなやり方なんでしょう。
ただ相変わらず面白いと思うのが、この商売上の取引に関わる部分の、相手との緊張感のあるやり取りですね。本作の世界観の中では、商人同士には様々な特殊なルールや暗黙の了解、見栄の張り方や引き際の見極め方など、様々なルールがあるようです。それは時に言葉にせずに相手に伝えるという形で発揮されたりするので、より緊張感は高まりますね。
本作にはエーブという商人が出てくるわけなんですけど、エーブとロレンスの会話が面白いわけなんです。相手の嘘をどう見抜くか、相手のセリフにどう切り返すか、相手のブラフをどう切り抜けるか。話している内容はさほど大したことはないんだけど、そういう商人同士の静かな攻防戦みたいなものが繰り広げられていて、そういう部分はすごく面白いですね。
それに相変わらず細かい設定が光っていて、町の料理屋で出てきた豚の丸焼きの右耳が切り取られている理由だとか、金のある教会はすぐ階段を補修したがるとか、そういう本筋のストーリーには全然関わってこないけど、本作の世界観の細部をよりリアルにするための細かな描写がたくさんあって、僕はそういうのが結構好きだったりします。
そして何よりもやっぱり面白いのが、ホロとロレンスのやり取りですね。初めの頃のぎこちないやり取りとは違って、もはや夫婦漫才と言ってもいいくらいの呼吸のあった会話の応酬は読んでてウキウキしてくるほどです。相変わらずロレンスがホロにやり込められるという展開なんですけど、ロレンスも時にはやり返せるようになってきています。
そして何よりも本作では、びっくりするような展開になったりします。おいおい、これはどうなっちゃうわけ?とハラハラさせるわけで、そういう全体の展開も非常にうまいと思いました。
相変わらず面白いシリーズで、まだまだ読んでいく気マンマンです。こういう作品がライトノベルにもあると思うと、他の作品にもちょっと挑戦してみようかなという気はしますけどね。なるべくバトルとか魔法とか超能力とかが出てこないような話がいいんだけど…。
まあそんな感じで、『狼と香辛料』絶賛オススメです。
支倉凍砂「狼と香辛料Ⅴ」
『正午ごろ、葛飾区の高橋徹さん宅から、毛皮のコートなど800万円相当が盗み出されました。盗まれたものはすべて毛皮製品のみで、中にはワシントン条約締結前に取引された希少動物の毛皮も盗まれたとのことです。
警察では盗みの手口から、『怪盗毛皮団』の仕業ではないか、としています。『怪盗毛皮団』は半年ほど前から犯行を繰り返しているとされる集団で、盗むものは毛皮あるいは毛皮製品のみという徹底ぶりです。これまでの被害総額は2億円を超えるとみられ、警察では全力を挙げて捜査をしていくとのことです。』
2009年1月30日 地方紙朝刊
『埼玉県さいたま市のある住居に、獣などを数十匹飼っていてうるさいと市に苦情が殺到している模様です。近所の人の話によりますと、住民が飼っているのは、猫や犬などの普通のペットではなく、狐やワニや狸といった、ペットにしては一風変わった動物たちなのだそうです。騒音などの苦情の他に、何故そんな動物を飼っているのかという不安も相次いで寄せられているとのことです。市としては、何度か勧告する予定のようですが、取り締まる法律が明確にないために、頭の痛い話になりそうです。』
2008年3月5日 全国紙夕刊
『『怪盗毛皮団』名乗り出る!?
埼玉県さいたま市に住む男女がこの程、自分達が『怪盗毛皮団』であると本紙に名乗り出てきました。本紙から警察に通報したのですが、彼らは未だ逮捕されることもなく、自宅待機という形になっている模様です。
その最大の原因が、彼らが主張しているその内容です。彼らは、自宅に数十匹の動物を飼っているのですが、警察が盗んだ毛皮製品はどうしたのだと問い掛けると、その動物達を指し示したというのです。彼ら曰く、彼らには特殊な能力があり、毛皮製品を元の生き物に戻すことが出来る、ということでした。彼らは、毛皮にされてしまった動物たちがあまりにも可哀相で、この犯行を思い立った、と主張しています。
捜査員がざっと確認したところによれば、『怪盗毛皮団』に盗まれたとされる毛皮製品と、彼らが飼っている動物の種類が、数も含めてすべえ一致する、ということです。しかし、毛皮製品を動物に戻したなどという主張を受け入れるわけにもいかず、どうしていいか分からない状況のようです。
またこの件に関して、動物愛護団体が次のような声明を発表しています…。』
『怪盗毛皮団』の二人の会話
「絶対捕まらない犯罪をやってやろうぜ」
「どうするの?」
「まず毛皮製品を盗みまくるんだ。まあこれは、ただの窃盗ってやつだな。俺らの得意分野ってわけだ」
「オッケー。それで?」
「その毛皮を売りさばいて、今度はその毛皮製品の元だった動物を買うんだよ。んで、それをしばらく飼う」
「よくわかんないけど、それで?」
「後は簡単だ。俺らが『怪盗毛皮団』ですって名乗り出ればいい?」
「何でそれで捕まらないわけさ?」
「いいか。最も重要なのは、こう主張することなんだ。俺らは、毛皮を元の動物に戻す特殊な能力を持っている。盗んだ毛皮は、今ここにいる動物に変えてしまったんだよ、ってな」
「なるほど!それは面白いかもね!私乗った!」
一銃「絶対捕まらない犯罪?」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、『狼と香辛料』シリーズの第五弾です。
全体の設定をまずは書きましょう。
行商人であるロレンスは、ある時一人の少女を拾った。ホロと名乗ったその少女には、獣の耳と尻尾が生えていた。ホロは豊作を司る神であるのだ。
そんなホロとひょんなことから一緒に旅をすることになった。ホロの出身地であるヨイツまで送り届けるという名目の元にだ。二人は次第に仲良くなっていき、別れがたい関係になっていくが…。
本作は、前作で舞台だったテレオの村を無事脱出したところから始まります。
ホロの故郷の情報を集めるために古い物語を探し回っている二人だが、ホロの物語が残っていると言われるレノスという町にやってくる。毛皮の売買が盛んであるというレノスは、しかし今どうやら穏やかならぬ状況にあるらしい。毛皮を巡って、五十人会議という物々しい会議が開かれているらしいのだ。ロレンスは独自の嗅覚でこれは商売になりそうだ、と感じるが、しかし第一の目的がホロの物語を探すことであることは忘れてはいない。
しかしそんな折、ちょっとしたことで知り合った商人から儲け話を持ちかけられる。それが成功すれば、ロレンスの長年の夢が叶うほどの成功がもたらされる、そんな取引だった。しかし、それを実行するには、ホロを利用しなくてはいけない。悩むロレンスの背中を押すホロだが、しかしそんなホロの口から驚くような言葉が吐き出され…。
というような話です。
ついに5巻までやってきましたけど、まだまだ絶好調に面白いですね。本当に普段ライトノベルを読まない僕からしたら快挙ですね。これだけ内容がしっかりしていて面白いライトノベルだったらいくらでも読むんですけどね。
前作は経済っぽい話はあんまりないストーリー展開でしたけど、今回はまたそういう話に戻ります。
取引の仕組み自体は相変わらずそんなに難しいわけではありません。特殊な状況下に置いて、人よりも情報を早く得、人よりも多くの金額をつぎ込み、人よりも素早く売り抜けるというような話で、まあ行商人の基本というようなやり方なんでしょう。
ただ相変わらず面白いと思うのが、この商売上の取引に関わる部分の、相手との緊張感のあるやり取りですね。本作の世界観の中では、商人同士には様々な特殊なルールや暗黙の了解、見栄の張り方や引き際の見極め方など、様々なルールがあるようです。それは時に言葉にせずに相手に伝えるという形で発揮されたりするので、より緊張感は高まりますね。
本作にはエーブという商人が出てくるわけなんですけど、エーブとロレンスの会話が面白いわけなんです。相手の嘘をどう見抜くか、相手のセリフにどう切り返すか、相手のブラフをどう切り抜けるか。話している内容はさほど大したことはないんだけど、そういう商人同士の静かな攻防戦みたいなものが繰り広げられていて、そういう部分はすごく面白いですね。
それに相変わらず細かい設定が光っていて、町の料理屋で出てきた豚の丸焼きの右耳が切り取られている理由だとか、金のある教会はすぐ階段を補修したがるとか、そういう本筋のストーリーには全然関わってこないけど、本作の世界観の細部をよりリアルにするための細かな描写がたくさんあって、僕はそういうのが結構好きだったりします。
そして何よりもやっぱり面白いのが、ホロとロレンスのやり取りですね。初めの頃のぎこちないやり取りとは違って、もはや夫婦漫才と言ってもいいくらいの呼吸のあった会話の応酬は読んでてウキウキしてくるほどです。相変わらずロレンスがホロにやり込められるという展開なんですけど、ロレンスも時にはやり返せるようになってきています。
そして何よりも本作では、びっくりするような展開になったりします。おいおい、これはどうなっちゃうわけ?とハラハラさせるわけで、そういう全体の展開も非常にうまいと思いました。
相変わらず面白いシリーズで、まだまだ読んでいく気マンマンです。こういう作品がライトノベルにもあると思うと、他の作品にもちょっと挑戦してみようかなという気はしますけどね。なるべくバトルとか魔法とか超能力とかが出てこないような話がいいんだけど…。
まあそんな感じで、『狼と香辛料』絶賛オススメです。
支倉凍砂「狼と香辛料Ⅴ」
弥勒の掌(我孫子武丸)
仕事を終え、コンビニでカップラーメンを一つ買って家路につく。今日も疲れた。いい加減な上司の下で働くことの不毛さを改めて思い知らされる日々だった。何度辞めてやると思ったか知れない。もちろん、自分にそんな勇気がないこともちゃんと知っている。
ここを曲がれば自宅はすぐそこ、という曲がり角まで来た時、何だかざわめいている雰囲気があった。どうも自宅付近でのことのようだ。火事でもあったかと思ったが、そういう雰囲気でもない。大勢の人が小声で喋っているだけと言った雰囲気である。
怪訝に思いながら角を曲がって驚いた。なんと僕の自宅の前に、100人を超えるだろう人々が集まっていたのである。なんだこれは。家で何かあったというのだろうか。
彼らも僕の存在に気づいたようだ。すると彼らは突然、
「ホーゲン様」
と声を上げ始めた。ホーゲン?もちろん僕はそんな名前じゃない。何なんだ、こいつらは。
すぐそこに自宅があるというのに、そこまでの道のりがとんでもなく遠く感じられた。
「昨日、弥勒様よりお告げがありました」
講堂と呼んだ方がいいくらい広い空間の中に、一様な服装をした人々が大勢座っている。違うのは服の色ぐらいなものだ。彼らは、壇上で喋っている人物に視線を集中させている。
「近い内に、方玄様が下生なさるでしょう」
するとそこかしこで、「方玄様が」「ついに来てくださるのね」「どれだけ待ちにまったことか」という囁き声が聞こえてくる。
「初めての方もいらっしゃるでしょうから、方玄様について説明しておきましょうか。弥勒様が天界で修行されていたことがご存知ですよね?そのお師匠様に当たるのが方玄様です。法滅の世を救うべく、弥勒様の努力もあって、こちちらに来ていただけることになったのです」
会場から、割れんばかりの拍手が起こる。それが静まるのを待って、壇上の人物は話を続ける。
「方玄様は、ある人物の姿を借りて下生なされます。その人物は現在サラリーマンをしていますが、5日後の夜からは方玄様となるでしょう」
「おい、お前ら、どけ」
僕は、理由もよくわからないまま大勢の人間にまとわりつかれている。どうすればいいんだ、これ。みんな、「ホーゲン様」としか言わないし。気持ち悪い。そもそもここにいる連中は目が死んでないか?何かクスリでもやってるのか、あるいは変な宗教にでも嵌まってるのか。どっちにしてもヤバイぞ。ここは一旦逃げた方がいいかもしれない。ただ、自宅がすぐそこにあるのに逃げるなんてバカらしい。警察でも呼ぶか?
あー、しかしイライラする。何で俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ。ムカツク。
「いい加減にしろ!」
そう言うと、一瞬静まり返った。おっ、これならいけるかもしれない、と思った矢先のことだった。
「お告げの通りだ!やっぱり方玄様だ」
そう言うと、先ほどより一層僕に近づこうとしてくるのだった。ホント、何なんだ、こいつらは。
「方玄様はあなた方に試練をお与えになります。その様子は、まるでその方が方玄様とは思えないような印象を与えるかもしれません」
人々はその言葉に不安になったようである。
「しかし安心してください。弥勒様は予言されています。方玄様は必ず、『いい加減にしろ』とおっしゃると。であれば、方玄様に間違いないわけです。皆さん、臆することなく、方玄様の教えを請うようにしましょう」
一銃「方玄様」
そろそろ内容に入ろうと思います。
高校で数学を教えている辻は、3年前にしてしまった生徒との浮気が発覚したために、妻とは家庭内別居のような状態だった。その妻が、ある日いなくなった。ようやく嫌気が差して出て行ったのだと思い、居場所を探すわけでもなく、捜索願を出すわけでもなくしばらく過ごしていたが、やがて警察から、妻の失踪に辻が関与しているのではないか、つまり辻が妻を殺したのではないかと疑われるように、その疑いを晴らすべく妻の行方を捜し始める。
一方、刑事の蛯原は、汚職の疑いで人事に目をつけられてしまった。実際にヤバイことをしているので、バレるのは時間の問題かもしれない。そんな中、妻がラブホテルで殺されたという一報が入る。蛯原は、妻を殺した人間を見つけ出してぶっ殺してやると決意するのだが…。
というような話です。
さて、何だか帯でかなりドデカイ謳い文句で読者を煽っている作品ですけど、まあそこまででもないよなぁ、と思うような作品でした。まあ読んでてそれなりに面白かったのでいいんですけど、帯の文句は誇大広告だろうなと思います。
辻と蛯原の視点が交互に描かれる形で、それぞれ自分の妻の行方、そして自分の妻を殺した犯人の行方を捜していきます。するとそのどちらの線からも、<救いの御手>という宗教団体に行き着くわけです。最近勢力を伸ばしている団体で、いかがわしい噂も山ほどあるというわけで、<救いの御手>に深入りしていくことになるわけです。
宗教と本格ミステリというのはよく出てくる組み合わせですね。やはり、狂人の論理、みたいなものを使えるからストーリーが作りやすいんだろうなと思います。狂人には興じんなりの論理があり、それがその宗教団体のあり方と結びつけることで本格ミステリに仕立て上げるという感じです。ただ本作はそういう方向性の作品ではないですね。
それにしても、宗教団体を扱った小説というのはよくありますけど、やっぱ怖いですよね。自分は絶対そんなのに引っかからない自信がありますけど、でも本作で描かれているようなことをされたらどうだろうな、と思ったりします。ちょっとすごすぎですね。ここまでやられたら、さすがに信じてしまうかもしれませんね。それに、どんどんと勢力を広げることが出来るから、その内国を乗っ取ることも出来そうですし。つい先日「20世紀少年」という映画を観ましたけど、そこにも宗教が絡んで来て、恐ろしいものだと思ったりしました。
本作のもっともミステリチックな部分に関しては、まあそこまでどうこうということはないかなと思いました。この部分に関しては明らかに帯で煽りすぎですね。ただ、ストーリーの運び方は巧いと思うし、文章も読みやすいので、そこまで期待しないで読んだらそこそこ面白く読める作品だと思います。
そこまでオススメはしませんが、まあ読んでみても悪くはない作品だと思います。
我孫子武丸「弥勒の掌」
ここを曲がれば自宅はすぐそこ、という曲がり角まで来た時、何だかざわめいている雰囲気があった。どうも自宅付近でのことのようだ。火事でもあったかと思ったが、そういう雰囲気でもない。大勢の人が小声で喋っているだけと言った雰囲気である。
怪訝に思いながら角を曲がって驚いた。なんと僕の自宅の前に、100人を超えるだろう人々が集まっていたのである。なんだこれは。家で何かあったというのだろうか。
彼らも僕の存在に気づいたようだ。すると彼らは突然、
「ホーゲン様」
と声を上げ始めた。ホーゲン?もちろん僕はそんな名前じゃない。何なんだ、こいつらは。
すぐそこに自宅があるというのに、そこまでの道のりがとんでもなく遠く感じられた。
「昨日、弥勒様よりお告げがありました」
講堂と呼んだ方がいいくらい広い空間の中に、一様な服装をした人々が大勢座っている。違うのは服の色ぐらいなものだ。彼らは、壇上で喋っている人物に視線を集中させている。
「近い内に、方玄様が下生なさるでしょう」
するとそこかしこで、「方玄様が」「ついに来てくださるのね」「どれだけ待ちにまったことか」という囁き声が聞こえてくる。
「初めての方もいらっしゃるでしょうから、方玄様について説明しておきましょうか。弥勒様が天界で修行されていたことがご存知ですよね?そのお師匠様に当たるのが方玄様です。法滅の世を救うべく、弥勒様の努力もあって、こちちらに来ていただけることになったのです」
会場から、割れんばかりの拍手が起こる。それが静まるのを待って、壇上の人物は話を続ける。
「方玄様は、ある人物の姿を借りて下生なされます。その人物は現在サラリーマンをしていますが、5日後の夜からは方玄様となるでしょう」
「おい、お前ら、どけ」
僕は、理由もよくわからないまま大勢の人間にまとわりつかれている。どうすればいいんだ、これ。みんな、「ホーゲン様」としか言わないし。気持ち悪い。そもそもここにいる連中は目が死んでないか?何かクスリでもやってるのか、あるいは変な宗教にでも嵌まってるのか。どっちにしてもヤバイぞ。ここは一旦逃げた方がいいかもしれない。ただ、自宅がすぐそこにあるのに逃げるなんてバカらしい。警察でも呼ぶか?
あー、しかしイライラする。何で俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ。ムカツク。
「いい加減にしろ!」
そう言うと、一瞬静まり返った。おっ、これならいけるかもしれない、と思った矢先のことだった。
「お告げの通りだ!やっぱり方玄様だ」
そう言うと、先ほどより一層僕に近づこうとしてくるのだった。ホント、何なんだ、こいつらは。
「方玄様はあなた方に試練をお与えになります。その様子は、まるでその方が方玄様とは思えないような印象を与えるかもしれません」
人々はその言葉に不安になったようである。
「しかし安心してください。弥勒様は予言されています。方玄様は必ず、『いい加減にしろ』とおっしゃると。であれば、方玄様に間違いないわけです。皆さん、臆することなく、方玄様の教えを請うようにしましょう」
一銃「方玄様」
そろそろ内容に入ろうと思います。
高校で数学を教えている辻は、3年前にしてしまった生徒との浮気が発覚したために、妻とは家庭内別居のような状態だった。その妻が、ある日いなくなった。ようやく嫌気が差して出て行ったのだと思い、居場所を探すわけでもなく、捜索願を出すわけでもなくしばらく過ごしていたが、やがて警察から、妻の失踪に辻が関与しているのではないか、つまり辻が妻を殺したのではないかと疑われるように、その疑いを晴らすべく妻の行方を捜し始める。
一方、刑事の蛯原は、汚職の疑いで人事に目をつけられてしまった。実際にヤバイことをしているので、バレるのは時間の問題かもしれない。そんな中、妻がラブホテルで殺されたという一報が入る。蛯原は、妻を殺した人間を見つけ出してぶっ殺してやると決意するのだが…。
というような話です。
さて、何だか帯でかなりドデカイ謳い文句で読者を煽っている作品ですけど、まあそこまででもないよなぁ、と思うような作品でした。まあ読んでてそれなりに面白かったのでいいんですけど、帯の文句は誇大広告だろうなと思います。
辻と蛯原の視点が交互に描かれる形で、それぞれ自分の妻の行方、そして自分の妻を殺した犯人の行方を捜していきます。するとそのどちらの線からも、<救いの御手>という宗教団体に行き着くわけです。最近勢力を伸ばしている団体で、いかがわしい噂も山ほどあるというわけで、<救いの御手>に深入りしていくことになるわけです。
宗教と本格ミステリというのはよく出てくる組み合わせですね。やはり、狂人の論理、みたいなものを使えるからストーリーが作りやすいんだろうなと思います。狂人には興じんなりの論理があり、それがその宗教団体のあり方と結びつけることで本格ミステリに仕立て上げるという感じです。ただ本作はそういう方向性の作品ではないですね。
それにしても、宗教団体を扱った小説というのはよくありますけど、やっぱ怖いですよね。自分は絶対そんなのに引っかからない自信がありますけど、でも本作で描かれているようなことをされたらどうだろうな、と思ったりします。ちょっとすごすぎですね。ここまでやられたら、さすがに信じてしまうかもしれませんね。それに、どんどんと勢力を広げることが出来るから、その内国を乗っ取ることも出来そうですし。つい先日「20世紀少年」という映画を観ましたけど、そこにも宗教が絡んで来て、恐ろしいものだと思ったりしました。
本作のもっともミステリチックな部分に関しては、まあそこまでどうこうということはないかなと思いました。この部分に関しては明らかに帯で煽りすぎですね。ただ、ストーリーの運び方は巧いと思うし、文章も読みやすいので、そこまで期待しないで読んだらそこそこ面白く読める作品だと思います。
そこまでオススメはしませんが、まあ読んでみても悪くはない作品だと思います。
我孫子武丸「弥勒の掌」
ギフト(日明恩)
まただ。どっちの方向なのか意識を集中させる。場所の特定にはもう慣れた。自分の能力に気づいた当初は、これが一番苦手だった。
遠前公園の近くだと分かる。護身用と称して常にバッグに入れているナイフを確認して、僕はすぐさま現場へと向かう。
僕がこんなことをやり始めたのは2年ほど前からだ。正直、もううんざりしている。やりたくてやっているわけではない。しかし、僕にしか出来ない、そう思うと止めるわけにはいかないと思うのだ。
僕には、ある特殊な能力がある。それに気づいたのが3年ほど前のことだった。僕は、人の『殺気』を感知することが出来るのだ。誰かが誰かを殺そうとしている、あるいは肉体的にかなり損傷を負わせようとしている。そういう気配のようなものを察知できるのである。
初めは、その感覚が何なのか全然理解できなかった。でもその内、新聞記事と自分の感覚とのシンクロに気づくようになり、その感覚がやってくるとその方向へ向かうということをやっていたら、理解出来るようになったのだ。
現場に向かいながら僕は考えている。殺す以外の道はないのだろうか、と。殺意を抑える、あるいは減らすという方向にシフトすることは出来ないのか、と。しかし、無理だろう。殺意とはそういうものだ。結局殺意なんてものは、誰かが死ぬまでなくなることはないのだ。
現場につくと、一人の男に目が行った。なるほど、この男が加害者か。とりあえず跡をつけて被害者が誰なのか把握することにしよう。
道の先に、電柱の近くに停めた自転車の傍で何かしている青年がいる。鍵を取り出そうとしえているのか、あるいは盗もうとしているのかわからないが、とにかくピンと来た。被害者はアイツだ。
僕はその青年の元に先回りし、そしてその青年を殺してしまった。
一足遅れてやってきた加害者になれなかった男は、僕の姿を驚いたように見つめていた。
「こいつが誰なのか、僕は知らない」
僕は彼にそう口を切った。
「ただ、お前が殺す必要はない。もうこいつは死んでいる。それでいいだろう」
そう言って僕は立ち去った。相変わらず人を殺しすぎだ。しかし、彼を犯罪者にすることは防げた。それでいいと僕は思う。
一銃「殺意」
そろそろ内容に入ろうと思います。
とある事情から仕事を辞め、レンタルビデオショップでアルバイトをしている須賀原。彼はここ最近、奇妙な少年を見かけるのだ。
中学生くらいで、ヘッドフォンをして俯き加減にあるいている。いつもホラーの棚の前で立ち止まり、別々の三本のDVDvの内容紹介を読み、それから毎回同じDVDのパッケージを見ながら泣くのである。
その後、偶然その少年と街中ででくわすことになった。須賀原が彼を助ける形になった。しかし、それをきっかけにして知ることになってしまう。その少年は、幽霊が見えてしまう能力を持っているのだ、と。
それを知った須賀原は、彼に近づいた。望んでいることがあったのだ。しかし少年と関わるようになってからは、幽霊を成仏させるために奔走する毎日になり…。
というような話です。
日明恩という作家の作品は、昔読みました。「それでも警官は微笑う」とか「鎮火報」とか、メチャクチャ面白かったです。
でもこの作品は、微妙でしたね。というかはっきり言ってつまらない寄りの作品です。
やはり一番の問題は、キャラクターにまったく魅力を感じないという点でしょうかね。「それでも警官は微笑う」や「鎮火報」では、とにかくキャラクターの魅力が全開でしたが、今回の作品は微妙でした。全然好きになれないですね。
しかもストーリーも面白くないです。ミステリーと言えばミステリーだけど、というようなレベルで、じゃあ感動ものとして読めばいいのかというとそうでもないし、よくわかりません。都合が良すぎる設定や展開があったりと、なかなか受け入れられないですね。
そんなわけで、久々に読んだ駄作だと思います。おかしいなぁ、この作家実力あるはずなんだけどなぁ。是非面白い作品を書いて欲しいものだと思います。
日明恩「ギフト」
遠前公園の近くだと分かる。護身用と称して常にバッグに入れているナイフを確認して、僕はすぐさま現場へと向かう。
僕がこんなことをやり始めたのは2年ほど前からだ。正直、もううんざりしている。やりたくてやっているわけではない。しかし、僕にしか出来ない、そう思うと止めるわけにはいかないと思うのだ。
僕には、ある特殊な能力がある。それに気づいたのが3年ほど前のことだった。僕は、人の『殺気』を感知することが出来るのだ。誰かが誰かを殺そうとしている、あるいは肉体的にかなり損傷を負わせようとしている。そういう気配のようなものを察知できるのである。
初めは、その感覚が何なのか全然理解できなかった。でもその内、新聞記事と自分の感覚とのシンクロに気づくようになり、その感覚がやってくるとその方向へ向かうということをやっていたら、理解出来るようになったのだ。
現場に向かいながら僕は考えている。殺す以外の道はないのだろうか、と。殺意を抑える、あるいは減らすという方向にシフトすることは出来ないのか、と。しかし、無理だろう。殺意とはそういうものだ。結局殺意なんてものは、誰かが死ぬまでなくなることはないのだ。
現場につくと、一人の男に目が行った。なるほど、この男が加害者か。とりあえず跡をつけて被害者が誰なのか把握することにしよう。
道の先に、電柱の近くに停めた自転車の傍で何かしている青年がいる。鍵を取り出そうとしえているのか、あるいは盗もうとしているのかわからないが、とにかくピンと来た。被害者はアイツだ。
僕はその青年の元に先回りし、そしてその青年を殺してしまった。
一足遅れてやってきた加害者になれなかった男は、僕の姿を驚いたように見つめていた。
「こいつが誰なのか、僕は知らない」
僕は彼にそう口を切った。
「ただ、お前が殺す必要はない。もうこいつは死んでいる。それでいいだろう」
そう言って僕は立ち去った。相変わらず人を殺しすぎだ。しかし、彼を犯罪者にすることは防げた。それでいいと僕は思う。
一銃「殺意」
そろそろ内容に入ろうと思います。
とある事情から仕事を辞め、レンタルビデオショップでアルバイトをしている須賀原。彼はここ最近、奇妙な少年を見かけるのだ。
中学生くらいで、ヘッドフォンをして俯き加減にあるいている。いつもホラーの棚の前で立ち止まり、別々の三本のDVDvの内容紹介を読み、それから毎回同じDVDのパッケージを見ながら泣くのである。
その後、偶然その少年と街中ででくわすことになった。須賀原が彼を助ける形になった。しかし、それをきっかけにして知ることになってしまう。その少年は、幽霊が見えてしまう能力を持っているのだ、と。
それを知った須賀原は、彼に近づいた。望んでいることがあったのだ。しかし少年と関わるようになってからは、幽霊を成仏させるために奔走する毎日になり…。
というような話です。
日明恩という作家の作品は、昔読みました。「それでも警官は微笑う」とか「鎮火報」とか、メチャクチャ面白かったです。
でもこの作品は、微妙でしたね。というかはっきり言ってつまらない寄りの作品です。
やはり一番の問題は、キャラクターにまったく魅力を感じないという点でしょうかね。「それでも警官は微笑う」や「鎮火報」では、とにかくキャラクターの魅力が全開でしたが、今回の作品は微妙でした。全然好きになれないですね。
しかもストーリーも面白くないです。ミステリーと言えばミステリーだけど、というようなレベルで、じゃあ感動ものとして読めばいいのかというとそうでもないし、よくわかりません。都合が良すぎる設定や展開があったりと、なかなか受け入れられないですね。
そんなわけで、久々に読んだ駄作だと思います。おかしいなぁ、この作家実力あるはずなんだけどなぁ。是非面白い作品を書いて欲しいものだと思います。
日明恩「ギフト」
人類は衰退しました(田中ロミオ)
私は、ついに一人になってしまった。
正確な日付は分からないけど、ついこの間父が死んだ。凍てつく氷の上に、氷の塊りを積み重ねて作った住居の中で、父はその寿命を全うしたのだ。
「これでお前が、人類最後の一人だ」
死の間際、父は念押しするかのようにそう言い遺した。私達は、ずっと二人だけで住んでいた。私達はずっと、人類最後の二人だった。二人だけで、この世界の果てのような閉ざされた島に住み、アザラシを食べ、オーロラを見、長いこと語らいながら、もう絶滅することを宿命付けられた最後の人類としての時を過ごしてきたのだった。
しかし、それもついこの間までの話。父を亡くした今となっては、もう私は一人ぼっちになってしまったのである。生きていくノウハウは、父から教わったのでまるで問題はない。一人で生きていくことだって、これまで何度も父に言い聞かされて育ったから、覚悟は出来ているつもりだ。
しかしやはり、人類最後の一人であるということが、じんわりと重圧になってのしかかってくるのを感じる。別に努力してどうにかなることではない。子孫を残すことが出来るわけでも、意味のある記録を残すことが出来るわけでもない。その、最後だというのに何も出来ない自分に対して、苛立ちを隠すことが出来ない。
それでも、最後の人類として気丈に生きていこう。誰に見られているわけでもないけれども、最後の人類として恥ずかしくない生き方をしよう。陽が沈んでいく、見慣れてはいるが幻想的な光景を目にしながら、私はそう決意した。
その頃、別の場所では。
夕食の準備をしていると、郵便受けに何かが届いた音がした。何となく予感がして、料理の手を休めて取りに行く。
「そうか、もうあれから七年か」
届いたのは死亡通知書だった。七年前に旦那が失踪した。法律により、失踪から七年が経過すると死亡したと見なされるのだ。それを通知するものだった。
「結局戻って来なかったわね」
料理を再会しながら、あの頃のことを思い出す。
付き合っていた頃は、ごく普通の人だと思っていた。優しくて変わったことをよく言う人だった。工学系の大学にいたから、機械だのロボットだのっていう話が多かったけど、そういう話も面白かった。
自動車メーカーに就職が決まったのを機に、私達は結婚した。
結婚してからもしばらくは普通だったのだけど、しばらくすると困ったことが起きた。
彼は会社の中でロボットの研究をしていた。その会社は、世界的に有名なロボットを製作している会社でもあったのだ。彼はロボット作りが性に合っていたようで、次第に自宅で自らの設計によるロボットを研究するようになってしまったのだった。彼がそうなる少し前に妊娠が発覚した。彼がロボットにのめり込んでからだったら子どもは出来なかったかもしれないから、それだけが幸いといえた。
しばらくして私は娘を産み、そして彼はとあるロボットを完成させたようだ。
それから彼は失踪した。そのロボット共に。
最後に彼が言っていた言葉は印象的だった。
「僕は最後の人類になりたいんだ」
その夢は、叶いましたか?
一銃「最後の人類」
そろそろ内容に入ろうと思います。
舞台は、文明が失われ、人類が緩やかに衰退し、その一方で「妖精さん」と呼ばれる新人類が台頭している、そんな地球です。
地球上最後の教育機関の最後の卒業生となったわたしは、故郷に戻ることに決めました。故郷では祖父が国連公務員である<調停官>という役職についていて、その跡を継ぐことにしたのです。ひ弱なので農作業などは無理、でも仕事をしたくないわけでもない。楽だけどやりがいのある仕事をしたいのです。調停官というのは要職ですが、祖父に出来るぐらいなので私にだって出来るはず、という軽やかな気持ちで決めたわけです。
調停官というのは、旧人類である私達と新人類である妖精さんたちとの調停役だそうです。平均身長10センチで3頭身、高い知能と技術を持っていて、かつお菓子と楽しいことが大好き、ということは分かっていますが、それ以外はほとんど未知といっていい妖精さん。仲良くすることは出来るでしょうか。
祖父の下でいざ調停役として動き出すのですが…。
という話です。
本作はまあなかなかに変な作品です。中身も変ですが、経歴というかそういうものもなかなか変わっています。
まず著者は、エロゲーのシナリオライターなんだそうです。エロゲーというのはエロいゲームということでして、僕はやったことはありませんが、恋愛シュミレーションゲームを過激にしたようなものなんでしょう。田中ロミオというのはその世界では相当有名な人のようでして、あとがきで著者は、僕の名前をネットで検索しないようにしましょう(特に平成生まれの諸君は)と書いています。最近そういうゲーム業界の人がライトノベルを書くというのは時々あるようですが、こういうメジャーな作家は珍しいんでしょうね。
そしてさらに本作は、「大学読書人大賞」にノミネートされたりしていました。大学読書人大賞というのは確か今年創設されたもので、大学文芸部員が大学生に読んで欲しい作品を選ぶために創設したのだそうです。
大賞は、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」に決まったようですが、他のノミネート作品は以下のようになります。
佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」
有川浩「塩の街」
桜庭一樹「青年のための読書クラブ」
田中ロミオ「人類は衰退しました」
…「幼年期の終わり」以外はどうも選書が偏っているような気もしないでもありません。
しかしまあ、バリバリライトノベルの表紙の本作が、他のそうそうたる作品と並んでノミネートされたというのはなかなかすごいかもしれません。
さて中身についてですが、まあそれなりに面白い作品だと思います。ただ、二巻は読まないだろうなぁ、という程度の作品です。ちなみに今三巻まで出ています。
主人公はひ弱なフリをしてあんまりやる気がなくて、でも何もしたくないわけでもないという現代の若者みたいな感じの設定です。お菓子作りが好きで、それが功を奏して妖精さん達と仲良くなったりしていきます。基本的にストーリーはゆるゆるで、ゆるゆると進んでいきます。
妖精さんたちはその有り余る技術を使って、狩猟採集民族ごっこをしてみたり、ものすごい都市を作ってみたりと破天荒なことをします。旧人類の進化の過程をなぞるようなことをしてみたり、一方でお菓子に目がなくてわらわらと群がってみたりと、まあそんなストーリーとも呼べないような感じで話が進んでいきます。
妖精さんと主人公のやり取りはまあなかなか面白いと思います。妖精さんは旧人類の言葉を操れますが、でもちゃんと使いこなせないために何だか変な言葉遣いになっています。そこがなかなか可愛い感じですね。
アニメとかにしたら面白そうだなぁ、なんて思います。見たことないですけど、「もやしもん」みたいな感じになるんじゃないかなと思います。あの菌たちがわらわらしてる感じが、妖精さんたちがわらわらしてる感じに近そうなイメージがあります。
特別これと言ってオススメするような作品でもありませんが、まあそこそこ読める作品だとは思います。表紙や中のイラストはなかなか可愛いですね。まあそんな感じであります。
田中ロミオ「人類は衰退しました」
正確な日付は分からないけど、ついこの間父が死んだ。凍てつく氷の上に、氷の塊りを積み重ねて作った住居の中で、父はその寿命を全うしたのだ。
「これでお前が、人類最後の一人だ」
死の間際、父は念押しするかのようにそう言い遺した。私達は、ずっと二人だけで住んでいた。私達はずっと、人類最後の二人だった。二人だけで、この世界の果てのような閉ざされた島に住み、アザラシを食べ、オーロラを見、長いこと語らいながら、もう絶滅することを宿命付けられた最後の人類としての時を過ごしてきたのだった。
しかし、それもついこの間までの話。父を亡くした今となっては、もう私は一人ぼっちになってしまったのである。生きていくノウハウは、父から教わったのでまるで問題はない。一人で生きていくことだって、これまで何度も父に言い聞かされて育ったから、覚悟は出来ているつもりだ。
しかしやはり、人類最後の一人であるということが、じんわりと重圧になってのしかかってくるのを感じる。別に努力してどうにかなることではない。子孫を残すことが出来るわけでも、意味のある記録を残すことが出来るわけでもない。その、最後だというのに何も出来ない自分に対して、苛立ちを隠すことが出来ない。
それでも、最後の人類として気丈に生きていこう。誰に見られているわけでもないけれども、最後の人類として恥ずかしくない生き方をしよう。陽が沈んでいく、見慣れてはいるが幻想的な光景を目にしながら、私はそう決意した。
その頃、別の場所では。
夕食の準備をしていると、郵便受けに何かが届いた音がした。何となく予感がして、料理の手を休めて取りに行く。
「そうか、もうあれから七年か」
届いたのは死亡通知書だった。七年前に旦那が失踪した。法律により、失踪から七年が経過すると死亡したと見なされるのだ。それを通知するものだった。
「結局戻って来なかったわね」
料理を再会しながら、あの頃のことを思い出す。
付き合っていた頃は、ごく普通の人だと思っていた。優しくて変わったことをよく言う人だった。工学系の大学にいたから、機械だのロボットだのっていう話が多かったけど、そういう話も面白かった。
自動車メーカーに就職が決まったのを機に、私達は結婚した。
結婚してからもしばらくは普通だったのだけど、しばらくすると困ったことが起きた。
彼は会社の中でロボットの研究をしていた。その会社は、世界的に有名なロボットを製作している会社でもあったのだ。彼はロボット作りが性に合っていたようで、次第に自宅で自らの設計によるロボットを研究するようになってしまったのだった。彼がそうなる少し前に妊娠が発覚した。彼がロボットにのめり込んでからだったら子どもは出来なかったかもしれないから、それだけが幸いといえた。
しばらくして私は娘を産み、そして彼はとあるロボットを完成させたようだ。
それから彼は失踪した。そのロボット共に。
最後に彼が言っていた言葉は印象的だった。
「僕は最後の人類になりたいんだ」
その夢は、叶いましたか?
一銃「最後の人類」
そろそろ内容に入ろうと思います。
舞台は、文明が失われ、人類が緩やかに衰退し、その一方で「妖精さん」と呼ばれる新人類が台頭している、そんな地球です。
地球上最後の教育機関の最後の卒業生となったわたしは、故郷に戻ることに決めました。故郷では祖父が国連公務員である<調停官>という役職についていて、その跡を継ぐことにしたのです。ひ弱なので農作業などは無理、でも仕事をしたくないわけでもない。楽だけどやりがいのある仕事をしたいのです。調停官というのは要職ですが、祖父に出来るぐらいなので私にだって出来るはず、という軽やかな気持ちで決めたわけです。
調停官というのは、旧人類である私達と新人類である妖精さんたちとの調停役だそうです。平均身長10センチで3頭身、高い知能と技術を持っていて、かつお菓子と楽しいことが大好き、ということは分かっていますが、それ以外はほとんど未知といっていい妖精さん。仲良くすることは出来るでしょうか。
祖父の下でいざ調停役として動き出すのですが…。
という話です。
本作はまあなかなかに変な作品です。中身も変ですが、経歴というかそういうものもなかなか変わっています。
まず著者は、エロゲーのシナリオライターなんだそうです。エロゲーというのはエロいゲームということでして、僕はやったことはありませんが、恋愛シュミレーションゲームを過激にしたようなものなんでしょう。田中ロミオというのはその世界では相当有名な人のようでして、あとがきで著者は、僕の名前をネットで検索しないようにしましょう(特に平成生まれの諸君は)と書いています。最近そういうゲーム業界の人がライトノベルを書くというのは時々あるようですが、こういうメジャーな作家は珍しいんでしょうね。
そしてさらに本作は、「大学読書人大賞」にノミネートされたりしていました。大学読書人大賞というのは確か今年創設されたもので、大学文芸部員が大学生に読んで欲しい作品を選ぶために創設したのだそうです。
大賞は、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」に決まったようですが、他のノミネート作品は以下のようになります。
佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」
有川浩「塩の街」
桜庭一樹「青年のための読書クラブ」
田中ロミオ「人類は衰退しました」
…「幼年期の終わり」以外はどうも選書が偏っているような気もしないでもありません。
しかしまあ、バリバリライトノベルの表紙の本作が、他のそうそうたる作品と並んでノミネートされたというのはなかなかすごいかもしれません。
さて中身についてですが、まあそれなりに面白い作品だと思います。ただ、二巻は読まないだろうなぁ、という程度の作品です。ちなみに今三巻まで出ています。
主人公はひ弱なフリをしてあんまりやる気がなくて、でも何もしたくないわけでもないという現代の若者みたいな感じの設定です。お菓子作りが好きで、それが功を奏して妖精さん達と仲良くなったりしていきます。基本的にストーリーはゆるゆるで、ゆるゆると進んでいきます。
妖精さんたちはその有り余る技術を使って、狩猟採集民族ごっこをしてみたり、ものすごい都市を作ってみたりと破天荒なことをします。旧人類の進化の過程をなぞるようなことをしてみたり、一方でお菓子に目がなくてわらわらと群がってみたりと、まあそんなストーリーとも呼べないような感じで話が進んでいきます。
妖精さんと主人公のやり取りはまあなかなか面白いと思います。妖精さんは旧人類の言葉を操れますが、でもちゃんと使いこなせないために何だか変な言葉遣いになっています。そこがなかなか可愛い感じですね。
アニメとかにしたら面白そうだなぁ、なんて思います。見たことないですけど、「もやしもん」みたいな感じになるんじゃないかなと思います。あの菌たちがわらわらしてる感じが、妖精さんたちがわらわらしてる感じに近そうなイメージがあります。
特別これと言ってオススメするような作品でもありませんが、まあそこそこ読める作品だとは思います。表紙や中のイラストはなかなか可愛いですね。まあそんな感じであります。
田中ロミオ「人類は衰退しました」
夢見る黄金地球儀(海堂尊)
「『くりぬき王子』がまた帰ってきました。今度は大宮にある餃子工場です。製造中の餃子の内65%に当たる80万個から中身だけがくりぬかれた模様です。既にその内55万個以上が出荷されているとのことで、製造元は特定の製造日の商品をすべて回収することを発表しました」
ワイドショーをぼんやりと見ているとそんなニュースが飛び込んで来た。何だか体調が優れなくて、会社を休んで横になっていたのだ。どうも身体が軽くなったような気がするのだが、しかし気分は重い。こんな体調は初めてだ。どうしたというのだろう。
「『くりぬき王子』は、一年ほど前までは頻繁に現れていました。関東近郊で窃盗を働いていたわけですが、その手段が奇妙奇天烈でした。なんと、どんなものでも中身だけくりぬいて盗んでしまうのです。これまでにも、コンビニの食品や六本木ヒルズのビルのコンクリート、はたまたとある富豪が所有していた金塊などが、中身だけくりぬかれた状態で発見されました。食料品はすぐに発覚しますが、森ビルの場合、建物の一部が倒壊して発覚、金塊についてもいつ盗られたのか定かではない、というような状況です。その『くりぬき王子』ですが、ここ一年ほどは新たな被害も報告されていませんでした。
今回は、かつてない程大規模なものです。一つの工場丸々ターゲットにするというのはこれまでのやり方とは多少違う気もします。『くりぬき王子』に、何か変化があったのでしょうか」
模倣犯だな、と僕は思った。マスコミが勝手につけた名前ではあるけれども、『くりぬき王子』というのは僕のことなのだ。しかし最近は『くりぬき王子』としての活動はしていない。もちろんその餃子工場の事件も僕の仕業ではない。自分以外にも同じ能力を持っている人間がいるのか、と親近感を持つものの、結局そいつがやらかしたことはすべて『くりぬき王子』の仕業にされてしまうわけだから始末に悪い。まあ僕が『くりぬき王子』であることが発覚するとは思えないから問題はないのだけど。あるいは、『くりぬき王子』の犯行も自分の仕業だと主張したいやつでもいるのだろうか。まあそれならありがたいことではあるけれども。
しかしこの体調の悪さは尋常ではない。身体に力が入らないのだ。それでいて身体は軽いときている。こんな矛盾する感覚も珍しい。今日一日寝れいればいいかと思ったが、やはり不安なので病院に行ってみることにした。
病院では、一通りの問診と簡単な診察を経て、一応レントゲンを撮ってみるということになった。医者が何を想定しているか分からないが、さっさと原因を突き止めて欲しいものだと思う。
しかし、撮影されたレントゲン写真を見て、医者は絶句した。真っ白なライトに照らされて浮かび上がるレントゲン写真を僕も見る。僕には医学の知識はさっぱりない。しかしそんな僕でさえ、この結果には充分驚くことが出来る。
「えーと、内臓がすべてないように見えますね、これは、はい」
医者はそんな風になんとも煮え切らない言い方をした。そうなのだ。僕だってレントゲン写真を見れば理解出来る。内臓はおろか、肋骨何かの骨さえ何一つ映っていないのだ。なるほど、身体が軽いわけである。
「もう一度レントゲンを撮り直しましょうか。機械のミスかもしれませんし。あるいはMRIを撮るという手もありますが」
「いえ、結構です。充分理解しました」
そういうと僕は勝手に診察室を出た。
状況は分かりすぎるほどに分かっている。誰だか知らないが、『くりぬき王子』の模倣犯が僕の内臓を奪っていったのだ。たまたま僕をという可能性はないではないが、しかし僕が『くりぬき王子』であることを知っての狼藉だと考える方が妥当だろう。なんともめんどくさいことをしてくれたものだ。
とりあえず生きている。内臓がなくなっても生きていける仕組みはよくわからないが、このまま放っておいても死ぬことはないような気がする。問題は、さっさと模倣犯を見つけ出さなくてはいけない、ということだ。さてどうしたものだろうか。
一銃「模倣犯」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は「チーム・バチスタの栄光」の著者である海堂尊による、珍しく医療とは関係ないミステリです。
かつて「ふるさと創生基金」と名づけられて全国にばら撒かれた一億円というお金は、首都圏の端っこにある桜宮市では、黄金の地球儀にその姿を変えた。ちんけな水族館に剥き出しのまま設置し、市民に障ってもらおうという趣向である。各地方自治体が、突然もらった一億円を散財したのに対し、金塊として運用していた桜宮市では、その価値は順調に上がっていたのである。
さて、今回その『黄金地球儀』が主役に踊り出る。
父親の経営する町工場で営業担当をしている平沼平介の元に、かつての悪友、ガラスのジョーこと久光穣治がやってきた。お馴染みの七色に彩られたチューリップハットを被ったその姿は、かつて二人でバカをやっていた頃と何も変わっていないように見えた。
ジョーはいきなり平介に持ちかける。「一億円、欲しくない?」
ジョーは、黄金地球儀を盗み出そうという計画を持ちかけてきたのだった。もともと乗り気ではなかった平介の元に、とんだ厄介事がもちあがる。父親がかつて勝手に取り決めたある契約のために、とんでもないがんじがらめに巻き込まれてしまっていることに気づかされたのだった。
そのがんじがらめを脱するために、急遽平介はジョーの案に乗ることに決める。町工場の技術をフル活用して黄金地球儀を無事盗み出した平介だったが…。
というような話です。
海堂尊といえば、医療系のミステリでお馴染みの、デビュー数年ですっかりベストセラー作家になってしまいましたが、この作品によって、どんな小説でも書けることを証明した形になるでしょうね。まあ元々、医療に関わる部分はもちろんのこと、キャラクター造型に関してはその評価はずっと高かったわけで、どんな小説でも書けるだろう、と思っていましたが。
本作は、ミステリというようりはドタバタコメディという感じの作品ですね。ラストシーンでは相変わらずのカタルシスがやってきて、ミステリの大団円のような雰囲気を醸し出してくれますけど、それ以外の部分ではドタバタの方がメインを占めますね。ルパンを彷彿とさせるドタバタっぷりですが、でもルパンほどスマートでもないという感じで、全体の雰囲気としては緩いなぁという感じです。いやでももちろん面白いわけなんですけどね。
もともとは黄金地球儀を盗み出すというのが最終目標だったわけですが、しあkし途中から段々状況が変わっていってしまいます。そして最後、とんでもなくこんがらがってしまった無茶苦茶な状況を、ウルトラE並のスペシャルな方法によって解決するという感じで、相変わらず展開がうまいなと思いました。
キャラクターも相変わらずなかなかのものです。発明にばかり没頭して他のことはほとんど頭にない父親、奇妙なチューリップハットを被り、まるでやる気のなさそうな、それでいて口だけはいっぱしのジョー、スパイのように情報が早く、何もかも頭の上がらない平介の妻君子、平介のことが大好きで、砲丸投げをやっていたために怪力であるバーテンダー、ダメ公務員という肩書きがぴったりの市役所員などなど、相変わらずおかしな人間ばかりがわらわら出てきます。一癖も二癖もある人間に囲まれた平介はかなり平凡な人間で、まあ振り回されてしまう役どころです。登場人物のやり取りも相変わらず面白いです。
海堂尊の小説はすべて世界観が繋がっているわけなんですけど、本作も一応繋がっていますね。かなり細い線ですが。平介が一応安全のために保険を掛けておくために向かったバーが、『ナイチンゲール』で出てきたあのバーのはずだし、ジョーが出会ったという男はあの男でしょう。
本作は、海堂尊の作品群の中のレベルで言えば多少下の作品ではありますが、それでも一般の小説のレベルと照らし合わせれば水準以上の作品です。なかなか面白いですね。つい最近も、剣道をモチーフにした新刊を出していましたけど、とにかく書くペースが異常に速いですね。しかもどれも面白いときている。ちょっと信じられないですが、まあこれからも頑張ってバリバリ書き続けていって欲しいものだと思います。
追記)amazonのレビューを見て思い出しましたが、主人公の平沼っていうのは、「医学のたまご」に出てきた登場人物の係累(父親?)ですね。なるほどなるほど。
amazonの評価的には、本作はなかなか辛いです。まあ仕方ないかもしれませんが。
海堂尊「夢見る黄金地球儀」
ワイドショーをぼんやりと見ているとそんなニュースが飛び込んで来た。何だか体調が優れなくて、会社を休んで横になっていたのだ。どうも身体が軽くなったような気がするのだが、しかし気分は重い。こんな体調は初めてだ。どうしたというのだろう。
「『くりぬき王子』は、一年ほど前までは頻繁に現れていました。関東近郊で窃盗を働いていたわけですが、その手段が奇妙奇天烈でした。なんと、どんなものでも中身だけくりぬいて盗んでしまうのです。これまでにも、コンビニの食品や六本木ヒルズのビルのコンクリート、はたまたとある富豪が所有していた金塊などが、中身だけくりぬかれた状態で発見されました。食料品はすぐに発覚しますが、森ビルの場合、建物の一部が倒壊して発覚、金塊についてもいつ盗られたのか定かではない、というような状況です。その『くりぬき王子』ですが、ここ一年ほどは新たな被害も報告されていませんでした。
今回は、かつてない程大規模なものです。一つの工場丸々ターゲットにするというのはこれまでのやり方とは多少違う気もします。『くりぬき王子』に、何か変化があったのでしょうか」
模倣犯だな、と僕は思った。マスコミが勝手につけた名前ではあるけれども、『くりぬき王子』というのは僕のことなのだ。しかし最近は『くりぬき王子』としての活動はしていない。もちろんその餃子工場の事件も僕の仕業ではない。自分以外にも同じ能力を持っている人間がいるのか、と親近感を持つものの、結局そいつがやらかしたことはすべて『くりぬき王子』の仕業にされてしまうわけだから始末に悪い。まあ僕が『くりぬき王子』であることが発覚するとは思えないから問題はないのだけど。あるいは、『くりぬき王子』の犯行も自分の仕業だと主張したいやつでもいるのだろうか。まあそれならありがたいことではあるけれども。
しかしこの体調の悪さは尋常ではない。身体に力が入らないのだ。それでいて身体は軽いときている。こんな矛盾する感覚も珍しい。今日一日寝れいればいいかと思ったが、やはり不安なので病院に行ってみることにした。
病院では、一通りの問診と簡単な診察を経て、一応レントゲンを撮ってみるということになった。医者が何を想定しているか分からないが、さっさと原因を突き止めて欲しいものだと思う。
しかし、撮影されたレントゲン写真を見て、医者は絶句した。真っ白なライトに照らされて浮かび上がるレントゲン写真を僕も見る。僕には医学の知識はさっぱりない。しかしそんな僕でさえ、この結果には充分驚くことが出来る。
「えーと、内臓がすべてないように見えますね、これは、はい」
医者はそんな風になんとも煮え切らない言い方をした。そうなのだ。僕だってレントゲン写真を見れば理解出来る。内臓はおろか、肋骨何かの骨さえ何一つ映っていないのだ。なるほど、身体が軽いわけである。
「もう一度レントゲンを撮り直しましょうか。機械のミスかもしれませんし。あるいはMRIを撮るという手もありますが」
「いえ、結構です。充分理解しました」
そういうと僕は勝手に診察室を出た。
状況は分かりすぎるほどに分かっている。誰だか知らないが、『くりぬき王子』の模倣犯が僕の内臓を奪っていったのだ。たまたま僕をという可能性はないではないが、しかし僕が『くりぬき王子』であることを知っての狼藉だと考える方が妥当だろう。なんともめんどくさいことをしてくれたものだ。
とりあえず生きている。内臓がなくなっても生きていける仕組みはよくわからないが、このまま放っておいても死ぬことはないような気がする。問題は、さっさと模倣犯を見つけ出さなくてはいけない、ということだ。さてどうしたものだろうか。
一銃「模倣犯」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は「チーム・バチスタの栄光」の著者である海堂尊による、珍しく医療とは関係ないミステリです。
かつて「ふるさと創生基金」と名づけられて全国にばら撒かれた一億円というお金は、首都圏の端っこにある桜宮市では、黄金の地球儀にその姿を変えた。ちんけな水族館に剥き出しのまま設置し、市民に障ってもらおうという趣向である。各地方自治体が、突然もらった一億円を散財したのに対し、金塊として運用していた桜宮市では、その価値は順調に上がっていたのである。
さて、今回その『黄金地球儀』が主役に踊り出る。
父親の経営する町工場で営業担当をしている平沼平介の元に、かつての悪友、ガラスのジョーこと久光穣治がやってきた。お馴染みの七色に彩られたチューリップハットを被ったその姿は、かつて二人でバカをやっていた頃と何も変わっていないように見えた。
ジョーはいきなり平介に持ちかける。「一億円、欲しくない?」
ジョーは、黄金地球儀を盗み出そうという計画を持ちかけてきたのだった。もともと乗り気ではなかった平介の元に、とんだ厄介事がもちあがる。父親がかつて勝手に取り決めたある契約のために、とんでもないがんじがらめに巻き込まれてしまっていることに気づかされたのだった。
そのがんじがらめを脱するために、急遽平介はジョーの案に乗ることに決める。町工場の技術をフル活用して黄金地球儀を無事盗み出した平介だったが…。
というような話です。
海堂尊といえば、医療系のミステリでお馴染みの、デビュー数年ですっかりベストセラー作家になってしまいましたが、この作品によって、どんな小説でも書けることを証明した形になるでしょうね。まあ元々、医療に関わる部分はもちろんのこと、キャラクター造型に関してはその評価はずっと高かったわけで、どんな小説でも書けるだろう、と思っていましたが。
本作は、ミステリというようりはドタバタコメディという感じの作品ですね。ラストシーンでは相変わらずのカタルシスがやってきて、ミステリの大団円のような雰囲気を醸し出してくれますけど、それ以外の部分ではドタバタの方がメインを占めますね。ルパンを彷彿とさせるドタバタっぷりですが、でもルパンほどスマートでもないという感じで、全体の雰囲気としては緩いなぁという感じです。いやでももちろん面白いわけなんですけどね。
もともとは黄金地球儀を盗み出すというのが最終目標だったわけですが、しあkし途中から段々状況が変わっていってしまいます。そして最後、とんでもなくこんがらがってしまった無茶苦茶な状況を、ウルトラE並のスペシャルな方法によって解決するという感じで、相変わらず展開がうまいなと思いました。
キャラクターも相変わらずなかなかのものです。発明にばかり没頭して他のことはほとんど頭にない父親、奇妙なチューリップハットを被り、まるでやる気のなさそうな、それでいて口だけはいっぱしのジョー、スパイのように情報が早く、何もかも頭の上がらない平介の妻君子、平介のことが大好きで、砲丸投げをやっていたために怪力であるバーテンダー、ダメ公務員という肩書きがぴったりの市役所員などなど、相変わらずおかしな人間ばかりがわらわら出てきます。一癖も二癖もある人間に囲まれた平介はかなり平凡な人間で、まあ振り回されてしまう役どころです。登場人物のやり取りも相変わらず面白いです。
海堂尊の小説はすべて世界観が繋がっているわけなんですけど、本作も一応繋がっていますね。かなり細い線ですが。平介が一応安全のために保険を掛けておくために向かったバーが、『ナイチンゲール』で出てきたあのバーのはずだし、ジョーが出会ったという男はあの男でしょう。
本作は、海堂尊の作品群の中のレベルで言えば多少下の作品ではありますが、それでも一般の小説のレベルと照らし合わせれば水準以上の作品です。なかなか面白いですね。つい最近も、剣道をモチーフにした新刊を出していましたけど、とにかく書くペースが異常に速いですね。しかもどれも面白いときている。ちょっと信じられないですが、まあこれからも頑張ってバリバリ書き続けていって欲しいものだと思います。
追記)amazonのレビューを見て思い出しましたが、主人公の平沼っていうのは、「医学のたまご」に出てきた登場人物の係累(父親?)ですね。なるほどなるほど。
amazonの評価的には、本作はなかなか辛いです。まあ仕方ないかもしれませんが。
海堂尊「夢見る黄金地球儀」