黒夜行

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「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔(森達也)

凄い作品だった。
本書の存在は、前から知っていた。ただ、どうしてか読まなかった。確か何か読まないことに決めた理由があったはずだった記憶があるのだけど、もう思い出せない。近々僕は、森達也と石井光太のノンフィクション講座のようなものに参加させてもらう。そのために、森達也の作品を読もうと本書を手に取った。今まで読んで来なかったことを後悔するような作品だった。
内容に入ろうと思います。
本書の内容は、一言で説明できる。『一介のテレビの雇われディレクターだった森達也が、オウムのドキュメンタリー「A」を撮影した過程を描いたノンフィクション』。しかし、そんな説明では零れ落ちるものがたくさんある作品だ。
地下鉄サリン事件が起こり、オウム真理教への過剰な報道合戦が繰り広げられている中、森達也は報道の中に身を置きつつ、どうしても違和感をぬぐい去ることが出来なかった。その違和感は、スパッと言葉で表現できるほど簡単なものではない。だから、という言葉で繋げていいのかどうかわからないけど、森達也はオウム真理教を題材にしたドキュメンタリーを撮ることにした。
ある場面で森達也は、マスコミ関係者に向ってこう感じる。

『しかしオウムという単語が方程式に代入された瞬間、おそらくは彼の思考が停止した。』

森達也は、上祐史浩に変わってオウム真理教の広報担当になった荒木浩にアプローチをする。何故荒木だったのか、それは初めの内は自分の中でも理解されない。しかし次第に、荒木が教団の言葉と世間の言葉の狭間でもがいている人物であること、そしてそれが、既存のマスメディアの報道とそれに違和感を覚える自分という図式に重なり合う部分があることに気づく。もちろん、荒木に着目した理由はそれだけではないが。
森達也は荒木に、ドキュメンタリーの撮影を依頼する。モザイクは一切使わない(その理由を森達也はこう説明する。『モザイクは対象となる人や場所の固有性を隠すという本来の機能よりも、「負の要素を持つ人」という一つの記号としての意味を持ち始めた。』)など、オウム真理教側にとってなかなかハードルの高い条件もあったが、森達也はどうにか荒木を説得する。
初めて撮影にやってきた日、荒木は森達也にこう語る。

『でも、ドキュメンタリーって以来は、森さんが初めてですよ』

基本的にマスコミは、素材が得られればいい。それはテレビ局や新聞社にとって、自分たちの報道したいことに合致した素材であれば、それ以上のものは要らない。基本的にそういうスタンスで取材が行われてきたから、誰もオウム真理教をドキュメンタリーで撮る、内側から見るという発想をしなかったのだろう。
何故オウム真理教のドキュメンタリーを撮るのか、撮りたいと思ったのか。森達也には自分の中で分からないまま撮影が始まる。功名心もなかったわけではないだろう。実際始めの内は、テレビで放送されることが前提で映像が撮られていた。しかし制作会社から撮影には協力できないと通達され、一人で撮ることを決意し、どこで発表するのかという当てもないまま、森達也はひたすらに撮り続ける。
やがて森達也は、おぼろげにつかみ始める。オウム真理教という存在についてではなく、オウム真理教をドキュメンタリーで撮りたいと思った自分の気持ちを。

『…ずっと考えていた。撮影対象であるオウムについてではない。自分についてだ。「オウムとは何か?」という命題を抱えて撮影を始めた僕が、いつのまにか、「おまえは何だ?」「ここで何をしている?」「なぜここにいる?」と自分に問いかけ続けている。』

『しかし、残された信者、逮捕された信者が、今もオウムにこだわり続ける理由は解かなくてはならない。理由はきっとあるはずだ。その思いは僕にこのドキュメンタリーを発想させた動機の一つだ。そして今、理由はおぼろげながら見え始めている。彼らが今もオウムに留まり続ける理由、そのメカニズムは、オウムの内ではなく、オウムの外、すなわち僕らの社会の中にある。』

本書、そして僕は見ていないけど「A」という映画で描かれていることの一つは、「日本人のメンタリティ」であり、それはすなわち「組織に隷属し思考停止を選択する日本人」だ。オウム真理教の内側から社会を見ることで、森達也は様々な視点に気づく。そしてそれはあまねく、日本人の思考停止を浮き彫りにする。

『子供が無視や小動物を無邪気に殺せるように、自覚を失った社会は止めどなく加虐的になる。、自覚がないから、昏倒した信者を見下ろして大笑いができる。自覚がないから事実を隠し、作り上げた虚構を公正中立だと思い込んで報道することができる。自覚がないから不当な逮捕をくりかえすことができる。自覚がないから、社会正義という巨大な共同幻想を、これほどに強く信じることができる。』

これは、今の僕達が住む社会でも基本的に変わらない。僕はつい最近、オランダの新聞記者が書いた「こうして世界は誤解する」という作品を読んだ。イラク戦争の特派員として派遣された著者が見た、決して報道されることのない様々な事柄を書いたものだ。本書では、マスコミのあり方についても非常に印象的に描かれるのだけど、それはまた後で書くとして、「それでも~」を読んで僕は、日本人だけではなく世界の人々が、状況の差こそあれ壮大な思考停止の中に生きているのだということを自覚させられた。日本でも、先の東日本大震災では、報道のあり方を含め様々なことを考えさせられた。思考停止によって混乱し錯綜していく現実も、直にではないにせよ目にした。もちろん、自分の判断を超える巨大な事象が起こった時、誰かに判断を委ねたいと思う気持ちはよく分かる。オウム真理教に限らずあらゆる宗教も、巨大な事象が起こるかもしれない、あるいは死後という不可知な事象に対しての不安を取り払うために、ある意味では思考停止をしていると表現することも出来るだろう。もちろんこの文章は、宗教団体を非難しているわけではない。逆に、宗教団体の場合、「何に依存して思考停止をしているのか」が(少なくとも表面的には)見えやすいという点では、宗教に依らず思考停止している人たちよりマシかもしれない、という議論も可能だろう。社会や大衆、あるいは「空気」など、はっきりとは言語化も視覚化も出来ないものに依存して思考停止している方が脅威かもしれない、と本書を読んで思わされた。
もちろん日本人のメンタリィや社会性の中にこの「思考停止」は非常に大きく組み込まれているために、そこから逃れることは非常に難しい。森達也自身もそうだろう。森達也は、自身が考えるドキュメンタリーのあり方に殉じて、オウム真理教と対峙する。それは、既存の考え方や言葉には依らずに撮る、というものだ。しかし、やはりそれは完全に出来るわけではない。ドキュメンタリーを撮るという大きな目的のためにそれを強く自覚している森達也でさえ、思考停止のくびきから逃れることは難しい。
ここで森達也のドキュメンタリーに対するスタンスを書きたいのだけど、その前にまず、本書で描かれるもう一つ重要なテーマとして、マスコミのあり方に関するものがある。映画「A」の中では、森達也はマスコミのあり方はテーマではない、と言っている。しかし本書では、森達也自身のドキュメンタリーに対する考え方を語る上でどうしても、対立軸として既存のマスコミのあり方に触れざるを得ない。そういう断片をちょっと抜き出してみたい。

とあるマスコミ関係者が、ある場面で口にした「報道の自由」という言葉に対して、森達也はこう思う。
『「報道の自由」という主張は本来なら、報道を妨害する権力や圧力に対して拮抗すべきフレーズのはずだ。少なくとも、「正式な返答をいただくまでは取材はお断りします」と、撮影を拒絶する位置個人に向かって発するべき言葉ではない。』

多くのマスコミが取材に訪れたある場面で、森達也は一人の女性ディレクターを評価する。
『カメラが回りだしたその瞬間、彼らと自分との共通言語の欠落に気づいた彼女は、少なくともメディアの常套句でその断絶を補填することは選択しなかった。曖昧な言葉を放り出して無理矢理引きずりだした信者の言葉を、編集で当初の意図通りに紡ぐという常套手法を選択しなかった。その意味では僕は彼女の誠実さを称えたい。』

一橋大学に荒木が呼ばれた際報道の話になるが、そこで森達也が思考したことは非常に興味深い。これは、森達也のドキュメンタリーの手法にも通じる話。
『事実と報道が乖離するのは必然なのだ。今日この撮影だって、もし作品になったとしたら、事実とは違うと感じる人はたぶん何人も出てくる。表現とは本質的にそういうものだ。絶対的な客観性など存在しないのだから、人それぞれの思考や感受性が異なるように、事実も様々だ。その場にいる人間の数だけ事実が存在する。ただ少なくとも、表現に依拠する人間としては、自分が完治した事実には誠実でありたいと思う。事実が真実に昇華するのはたぶんそんな瞬間だ。』
そしてそれに続けて森達也は、「既存のメディアへの批判ではないマスコミの欠点」を指摘する。
『今のメディアにもし責められるべき点があるのだとしたら、視聴率や購買部数が体現する営利追求組織としての思惑と、社会の公器であるという曖昧で表層的な公共性の双方におもねって、取材者一人ひとりが自分が感知した事実を、安易に削除したり歪曲する作業に埋没していることに、すっかり鈍感に、無自覚になってしまっていることだと思う。』

次の文章を引用して、森達也のドキュメンタリーに対する考え方に移ろうと思う。

『世の中のほとんどの現象は、「わかる」ものだという前提を僕らは持っていた。そしてこの思いこみが、僕らの日常を成り立たせてきた。曖昧に「わかる」ことで、僕らは平穏な日々を送ることができた。
オウムは、この思い込みを、曖昧さによって成立してきた日常を、抉りとって目の前に突きつける。』

森達也のドキュメンタリーに対する基本的な立場はこうだ。

『ドキュメンタリーの仕事は、客観的な事実を事象から切り取ることではなく、主観的な真実を事象から抽出することだ。』

『公平中立なものは作れない。
断言できる。主観の選択が結実したものがドキュメンタリーなのだ。事実だけを描いた公正中立な映像作品など存在しない。』

このスタンスは、僕は凄く好きだ。本書では、『カメラが日常に介在するということは、対象に干渉することを意味する。』という文章に続けて、物理学の量子論の話が出てくる。観測することで対象に干渉し、「干渉しない素のままの対象を観測することは出来ない」のだ。まさにその通りだと思う。それをきちんと自覚している森達也に好感が持てる。
森達也の、『自分の言葉を探そうと格闘する』という表現が好きだ。僕も、感覚としては近いものを理解することが出来る。借り物の、誰かの言葉で何か物事を理解した気になることは、あまり好きではない。ただもちろん、世の中にあるすべてのことについて、自分の言葉を探し自分自身の立ち位置を見つけることは非常に難しい。だからこそ、ある程度の思考停止が世の中を円滑に進ませているという事実もあるのだろう。しかし、せめて身の回りのこと、自分が直接関わる範囲のことぐらいは、なるべく『自分の言葉』を探そうとしている。
森達也はまさにそれを映像でもやっている。自分でも何を掴みたいのかわからない、何を撮ろうとしているのかもわからないものを撮ろうと、ひたすらにカメラを回す。自分の中では結局最後までそれを掴めたという感触はないままだ。しかしそれでも、森達也は作品を完成させる。それは、森達也が自分の主観で切り取った、オウム真理教という真実だ。
本書は、森達也自身の迷いや不安さえもきちんと描き出されていることが、ノンフィクションとして素晴らしい。僕は森達也や、あるいは大崎善生のような、対象に深く入り込んでしまい、通常のノンフィクションやドキュメンタリーからすれば客観的ではない視点から、主観的に事象に斬り込んでいくスタイルが好きなのだけど、その過程はもちろん不安の連続だ。既存のドキュメンタリーの手法から逸脱し続けることは、そしてそもそも何よりも、過程を持つ社会人としての生活からもともすれば逸脱しかけないようなギリギリのところで撮り続ける森達也には、撮影の間振りかかる様々な突発的な出来事によって揺れる。
例えばこんなシーンがある。撮影中の映像素材を、とある事情から撮影対象に見せなくてはならないかもしれない、という状況に追い込まれた森達也は、こう吐露する。

『何のことはない。結局のところ、世間の別紙が怖いから、作品の製作過程に傷がつくことが怖いから、オウムに映像素材を渡せないと僕らは主張しているのだ。』

様々な場面でこういう述懐が現れる。オウム真理教と相対し続けることは森達也にとって、自己を客観的に、そしてさらにオウム真理教という特殊な視点を含ませた客観から自己を見つめ直す過程でもあった。オウム真理教に食い込み少しずつ抉っていく過程も非常にスリリングだ。しかし同時に本書は、オウム真理教とカメラを介して対峙する無名の映像マンの葛藤も非常にスリリングで読み応えがある。
結構色んなノンフィクションを呼んでいる方だと思うけど、本書はかなり印象に残る強い作品でした。映像作品である「A」も見てみたいと感じました。是非読んでみてください。今の自分のあり方や社会やマスコミとの関わり方なども含め、様々なことを考えさせられる作品だと思います。

森達也「「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔」



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