「黄金のバンタム」を破った男(百田尚樹)
内容に入ろうと思います。
本書は、敗戦から十余年。日本人にとって悲願であった「世界フライ級チャンピオン」に輝き、その後も活躍を続け、化物みたいなテレビ視聴率を稼いだり、日本人ボクサーとして唯一殿堂入りを果たすなど、世界的なボクサー・ファイティング原田を中心とした、日本ボクシングの歴史を追うノンフィクションです。
先に書いておかなければならないことがある。僕も本書を読んで初めて知ったことだが、現在と昔では、世界チャンピオンの価値がまったく違う。本書ではそれが何度も繰り返し描かれる。確かに、この事実を認識しているかどうかで、ファイティング原田の偉大さの受け止め方が大きく変わることだろう。
現在では、17の階級が存在し、さらにチャンピオンを認定する団体も増え(主要四団体)、現在ボクシングの「世界チャンピオン」は70人ほどいる。
しかし、ファイティング原田が活躍していた時代は、まったく違った。
そもそも階級は8つのみであり、それぞれの階級にたった一人しか世界チャンピオンがいなかった。つまり、ボクシングの「世界チャンピオン」は、世界でたった8人しかいなかったのである。
そんな時代に、ファイティング原田は世界チャンピオンとなった。しかも、二階級制覇である。もちろんこの二階級制覇も、現在とは比べ物にならないほどの価値があった。
視聴率の話も書いておこう。ビデオリサーチ社がモニターによる視聴率調査を初めてから50年の歴史の中で、歴代25位以内にボクシング中継は6つある。それだけで、かつてどれだけボクシングが一世を風靡していたかがわかろうというものだが、なんとその6つの試合すべてがファイティング原田の試合だという。化け物のようではないか。ファイティング原田が戦う試合の中継は、ほとんどが視聴率50%以上である。年によっては、その年の紅白歌合戦の視聴率に次いで2位ということもあったという。ファイティング原田がどれほど国民に人気だったかということがよくわかるのではないだろうか。テレビというものに対する存在感が今と昔では大きく違うとはいえ、現在どんなスポーツであっても、視聴率50%を超えられるものはちょっと思いつかない。
さて、本書は、そんなファイティング原田を中心に据えたノンフィクションではあるが、決してファイティング原田だけの物語ではない。というか本書は、戦後の日本ボクシングの歩みを描き出すノンフィクションである。
そのスタートは、白井義男が切った。白井義男こそ、日本ボクシングの歴史に燦然と輝き、その後の道を切り開いたボクサーだった。
白井義男は、日本人として初めて、ボクシング世界チャンピオンに輝いた男だ。29歳だった。
白井義男は、戦争から戻りボクシングに復帰するが、25歳の時点で自分の才能に限界を感じ、ボクサーを引退するつもりでいた。
そこで白井義男がある人物と出会わなければ、日本のボクシング界は大きく変わっていたことだろう。
たまたま白井義男の練習風景を目にした、GHQの将校だったカーン博士は、白井義男を個人的にコーチすることに決め、生涯に渡って白井義男を鍛え続けた。この出会いこそがすべてだった。カーン博士の理論的なトレーニングによってメキメキ力をつけた白井義男は、29歳で世界フライ級チャンピオンに輝くのだ。
しかしその後白井義男は防衛戦に敗れる。その時から、日本国民にとって、ボクシング世界チャンピオンの称号は『悲願』となった。
ファイティング原田は、恐ろしいほど練習をする男だった。ファイティング原田の闘い方について、本書にはこんな文章がある。
『原田のボクシング世界チャンピオンは決して見栄えの良いものではない。同時代の関光徳のようなスマートさもなく、海老原のような破壊的な凄さもなく、ひと時代前の矢尾板のような華麗なテクヌックもなかった。原田のボクシングは無骨であり、不器用だった。撃たれても撃たれても全身を止めず、決して逃げることなく、飽くなき闘争心で向かっていった。』
原田と同時代には、才能に溢れる素晴らしい選手が様々にいた。本書では、そんな彼らについても、色んな場面で描写がなされる。世界タイトル目前で引退を宣言しそれを貫き通した男、天才的な才能に恵まれながらも不運に見舞われタイトルに恵まれなかった男。そういう様々な選手の中で、原田が現在においても、ボクシング専門家から絶大なる評価を与えられるその背景には、原田の尋常ではない練習量があるのだ。
原田は、
『練習が好きだったからね』
『俺ほど練習した者はいないと思うよ』
と語る。大言壮語を吐く男ではない。彼は冷静に自己評価し、そう思っているのだ。
凄いエピソードがある。
原田を取材にやってきたとある新聞記者が、原田の練習環境の過酷さに、取材中にぶっ倒れたという話がある。何もしていない、ただ立っているだけの大の大人がぶっ倒れてしまうぐらいの環境で、原田は尋常ではないトレーニングをしていたのである。
青木という天才的なボクサーがいて、原田はその青木と対戦することになった。青木は、その天才的なセンス故、練習をあまりしたがらなかった。そんな青木との試合を前に、原田はこんな風に語ったという。
『青木にだけは絶対に負けるわけにはいかない。俺が青木に負けたら、努力するということが意味を失う。一所懸命に練習しているボクサーが、ろくに練習しないボクサーに負けるなんてことがあったら、おかしいじゃないですか』
原田は、それほどまでに自分の練習量に自信を持っていた。著者の百田尚樹は、実際に原田の試合を映像で見、その感想を頻繁に書いているが、後半のスタミナは驚異的だったという。また、試合中、ずっとつま先立ちだという。信じられないほどの体力である。
原田は、様々な運にも恵まれ(本書を読めば、実力はあっても不運であったが故に涙を飲んだ選手がたくさんいる)、決してボクサーとして素質があるわけではなかったが、世界でも賞賛されるボクサーになっている。
白井義男・ファイティング原田が歩んできた道のりは、そのまま、日本が復興していく足並みであった。多くの日本人が、白井義男・ファイティング原田の闘いに、日本人としての誇りを託していた。時代のうねりが、ボクシングを大きくし、ファイティング原田をスターにした。そんな、日本でボクシングが最盛期を誇っていた輝かしい時代を鮮やかに描き出したノンフィクション。
さすが百田尚樹、という感じがします。自分が生み出した小説内のキャラクターにせよ、実在の人物にせよ、「これぞ!」と惚れ込んだ人物を描かせたら唸る程の巧さを発揮する百田尚樹だけど、さらに百田尚樹自身が実際にボクシングをやっていたという事実も、本書の『熱さ』に影響を与えていることだろう。解説で、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者である増田俊也も、『ボクシングの凄さを伝えようとする百田尚樹の熱』について語っている。本書では直接的には書かれていないけど、恐らく著者には、現在のボクシングに対する不満や嘆きがあるのだろう。「昔は良かった」的な年寄りの懐古趣味は鬱陶しいのが大半だけど、本書を読むと、確かにボクシングは昔の方が遥かに良かったのだろうと思わされる。現在のボクシング事情についても疎い僕にはなんとも言えないけど、でも確かに、世界チャンピオンが70人もいる現在よりは、世界チャンピオンがたった8人しか存在し得なかった当時の方が、やはりボクシングという競技の凄みが現れ出ただろうと思う。
実際本書を読むと、ボクシングに賭ける人、そしてボクシングを見る人、その両方の熱量が凄まじい。見る人も、会場に集まったり、テレビで見たりと、それはもの凄い関心を示すものだけど、でもやはり、ボクサーたちの覚悟も凄い。現在とはボクシングのルール自体が結構違ったようで、12ラウンドまでしかなく、またレフリーがすぐにストップを掛ける現在とは違って、15ラウンドまであり、レフリーも限界まで戦わせる当時のボクシングは、まさに死闘と呼べるものだったようだ。試合中に命を落とすものもいたほどである。また、たった8人しかなることが出来ない世界チャンピオンから落ちてしまう時のショックも、現在とは比べ物にならないだろう。今のボクシングを知らないまま比較するようなことを書いても仕方ないけど、でも当時のボクシングは本当にそれほどに緊張感のある恐ろしいものだった。そういう中で、殺人的とも言える練習をこなし、世界を相手に戦い続け、記録も記憶も残し続けたファイティング原田の偉業は輝かしい。
本書を読むと、記録を見るだけでは分からない事実というのが山ほどあるのだな、と思わされる。特に、ボクシングという「不確定要素の多いスポーツ」ではそうだ。
例えば「地元贔屓の判定」というものがある。試合を、対戦相手の地元で行った場合、審判が自国の選手に甘い判定をする、というものだ。もちろん、ボクシングの判定というのは難しい。そこに個々人の判断が含まれるのは仕方ないかもしれない。とはいえ、本書では、その「地元贔屓の判定」に泣かされたボクサーが多く描かれる。ボクシングの判定は、一度下されたら覆らない。どんな判定であろうと、涙を飲んでこらえるしかない。
また、試合に至る過程で何があったか、ということも非常に重要だ。ボクシングは、かなりメンタルなスポーツでもあるから、ちょっとしたことが試合の結果に大きな影響を及ぼすことになる。それを知っているからこそ、コーチやプロモーターなどが卑怯な手を使うこともある。それは、試合だけを見ていても、試合の結果だけを見ていてもわからない。ノンフィクションだから当然と言えば当然だが、本書ではそういう、結果の裏に隠された事実を様々に掘り起こして、人物やドラマを描き出していく。
本書は、日本ボクシングの歩みだけではなく、ボクシングという競技そのものの変遷も描かれていく。いつ生まれ、どんな風に発展し、今のような形に落ち着いたのか。本書を読めば、ボクシングそのものの歴史も学べる一冊なのである。
タイトルにある「黄金のバンタム」というのは、エデル・ジョフレという、バンタム級史上最強のボクサーのことを指している。ジョレフがいたが故に、煌めくような才能を持ちながら世界チャンピオンになれずにいたボクサーが世界中に山ほどいた。それほど強い、名だたるボクサーの前に立ちはだかる驚異のボクサーだった。
このジョレフ、なかなか凄いボクシング人生を歩んでいるので、是非本書で確かめていただきたいけど、ここで書こうと思うのはジョレフの生涯戦績だ。78戦72勝2敗4分け。ジョレフの輝かしいリング生活で喫した敗北は、唯一、ファイティング原田に敗れた2つだけだったという。これだけでも、ファイティング原田の偉大さが伝わろうというものだ。
本書には、ファイティング原田に限らず、様々なボクサーの様々なエピソードが色んな場面で描かれる。たとえば、ちあきなおみが歌手になったのは、芸能界に入れば、当時人気だったボクサー・関光徳に会えるかもしれないと考えたから、というのは有名な話らしい。また、海老原というボクサーのエピソードも凄い。現在では日本一のボクシングジムとなっている協栄ジムの初代会長である金平正紀は、自身のボクシング人生を諦めとんかつ屋を開くことにした。開店の日、店の前の張り紙を見てアルバイトにやってきた少年を一目見るなり金平正紀はとんかつ屋を畳み、ボクシングジムを作った。金平正紀とその少年の二人だけのジムである。その少年こそが海老原であったという。
そんな中で、僕が一番凄いエピソードだなと思うのが、矢尾板貞雄の引退の話である。このエピソードは、直接的にファイティング原田の世界チャンピオンに繋がる話でもあって、だから詳細は書かないのだけど、矢尾板の男気溢れる引退は、なかなかマネ出来るものではないと思う。本当に本書には、そういうドラマが山ほど溢れているのだ。
僕はボクシングにはまったく興味がないけど、そんな僕でも惹きこまれる凄まじいボクサーたちの物語に圧倒されました。惚れ込んだ人物を描かせたら絶品の稀代の語り部である百田尚樹が、彼らボクサーたちの凄絶な物語を引き出していきます。是非読んでみてください。
百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男」
本書は、敗戦から十余年。日本人にとって悲願であった「世界フライ級チャンピオン」に輝き、その後も活躍を続け、化物みたいなテレビ視聴率を稼いだり、日本人ボクサーとして唯一殿堂入りを果たすなど、世界的なボクサー・ファイティング原田を中心とした、日本ボクシングの歴史を追うノンフィクションです。
先に書いておかなければならないことがある。僕も本書を読んで初めて知ったことだが、現在と昔では、世界チャンピオンの価値がまったく違う。本書ではそれが何度も繰り返し描かれる。確かに、この事実を認識しているかどうかで、ファイティング原田の偉大さの受け止め方が大きく変わることだろう。
現在では、17の階級が存在し、さらにチャンピオンを認定する団体も増え(主要四団体)、現在ボクシングの「世界チャンピオン」は70人ほどいる。
しかし、ファイティング原田が活躍していた時代は、まったく違った。
そもそも階級は8つのみであり、それぞれの階級にたった一人しか世界チャンピオンがいなかった。つまり、ボクシングの「世界チャンピオン」は、世界でたった8人しかいなかったのである。
そんな時代に、ファイティング原田は世界チャンピオンとなった。しかも、二階級制覇である。もちろんこの二階級制覇も、現在とは比べ物にならないほどの価値があった。
視聴率の話も書いておこう。ビデオリサーチ社がモニターによる視聴率調査を初めてから50年の歴史の中で、歴代25位以内にボクシング中継は6つある。それだけで、かつてどれだけボクシングが一世を風靡していたかがわかろうというものだが、なんとその6つの試合すべてがファイティング原田の試合だという。化け物のようではないか。ファイティング原田が戦う試合の中継は、ほとんどが視聴率50%以上である。年によっては、その年の紅白歌合戦の視聴率に次いで2位ということもあったという。ファイティング原田がどれほど国民に人気だったかということがよくわかるのではないだろうか。テレビというものに対する存在感が今と昔では大きく違うとはいえ、現在どんなスポーツであっても、視聴率50%を超えられるものはちょっと思いつかない。
さて、本書は、そんなファイティング原田を中心に据えたノンフィクションではあるが、決してファイティング原田だけの物語ではない。というか本書は、戦後の日本ボクシングの歩みを描き出すノンフィクションである。
そのスタートは、白井義男が切った。白井義男こそ、日本ボクシングの歴史に燦然と輝き、その後の道を切り開いたボクサーだった。
白井義男は、日本人として初めて、ボクシング世界チャンピオンに輝いた男だ。29歳だった。
白井義男は、戦争から戻りボクシングに復帰するが、25歳の時点で自分の才能に限界を感じ、ボクサーを引退するつもりでいた。
そこで白井義男がある人物と出会わなければ、日本のボクシング界は大きく変わっていたことだろう。
たまたま白井義男の練習風景を目にした、GHQの将校だったカーン博士は、白井義男を個人的にコーチすることに決め、生涯に渡って白井義男を鍛え続けた。この出会いこそがすべてだった。カーン博士の理論的なトレーニングによってメキメキ力をつけた白井義男は、29歳で世界フライ級チャンピオンに輝くのだ。
しかしその後白井義男は防衛戦に敗れる。その時から、日本国民にとって、ボクシング世界チャンピオンの称号は『悲願』となった。
ファイティング原田は、恐ろしいほど練習をする男だった。ファイティング原田の闘い方について、本書にはこんな文章がある。
『原田のボクシング世界チャンピオンは決して見栄えの良いものではない。同時代の関光徳のようなスマートさもなく、海老原のような破壊的な凄さもなく、ひと時代前の矢尾板のような華麗なテクヌックもなかった。原田のボクシングは無骨であり、不器用だった。撃たれても撃たれても全身を止めず、決して逃げることなく、飽くなき闘争心で向かっていった。』
原田と同時代には、才能に溢れる素晴らしい選手が様々にいた。本書では、そんな彼らについても、色んな場面で描写がなされる。世界タイトル目前で引退を宣言しそれを貫き通した男、天才的な才能に恵まれながらも不運に見舞われタイトルに恵まれなかった男。そういう様々な選手の中で、原田が現在においても、ボクシング専門家から絶大なる評価を与えられるその背景には、原田の尋常ではない練習量があるのだ。
原田は、
『練習が好きだったからね』
『俺ほど練習した者はいないと思うよ』
と語る。大言壮語を吐く男ではない。彼は冷静に自己評価し、そう思っているのだ。
凄いエピソードがある。
原田を取材にやってきたとある新聞記者が、原田の練習環境の過酷さに、取材中にぶっ倒れたという話がある。何もしていない、ただ立っているだけの大の大人がぶっ倒れてしまうぐらいの環境で、原田は尋常ではないトレーニングをしていたのである。
青木という天才的なボクサーがいて、原田はその青木と対戦することになった。青木は、その天才的なセンス故、練習をあまりしたがらなかった。そんな青木との試合を前に、原田はこんな風に語ったという。
『青木にだけは絶対に負けるわけにはいかない。俺が青木に負けたら、努力するということが意味を失う。一所懸命に練習しているボクサーが、ろくに練習しないボクサーに負けるなんてことがあったら、おかしいじゃないですか』
原田は、それほどまでに自分の練習量に自信を持っていた。著者の百田尚樹は、実際に原田の試合を映像で見、その感想を頻繁に書いているが、後半のスタミナは驚異的だったという。また、試合中、ずっとつま先立ちだという。信じられないほどの体力である。
原田は、様々な運にも恵まれ(本書を読めば、実力はあっても不運であったが故に涙を飲んだ選手がたくさんいる)、決してボクサーとして素質があるわけではなかったが、世界でも賞賛されるボクサーになっている。
白井義男・ファイティング原田が歩んできた道のりは、そのまま、日本が復興していく足並みであった。多くの日本人が、白井義男・ファイティング原田の闘いに、日本人としての誇りを託していた。時代のうねりが、ボクシングを大きくし、ファイティング原田をスターにした。そんな、日本でボクシングが最盛期を誇っていた輝かしい時代を鮮やかに描き出したノンフィクション。
さすが百田尚樹、という感じがします。自分が生み出した小説内のキャラクターにせよ、実在の人物にせよ、「これぞ!」と惚れ込んだ人物を描かせたら唸る程の巧さを発揮する百田尚樹だけど、さらに百田尚樹自身が実際にボクシングをやっていたという事実も、本書の『熱さ』に影響を与えていることだろう。解説で、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者である増田俊也も、『ボクシングの凄さを伝えようとする百田尚樹の熱』について語っている。本書では直接的には書かれていないけど、恐らく著者には、現在のボクシングに対する不満や嘆きがあるのだろう。「昔は良かった」的な年寄りの懐古趣味は鬱陶しいのが大半だけど、本書を読むと、確かにボクシングは昔の方が遥かに良かったのだろうと思わされる。現在のボクシング事情についても疎い僕にはなんとも言えないけど、でも確かに、世界チャンピオンが70人もいる現在よりは、世界チャンピオンがたった8人しか存在し得なかった当時の方が、やはりボクシングという競技の凄みが現れ出ただろうと思う。
実際本書を読むと、ボクシングに賭ける人、そしてボクシングを見る人、その両方の熱量が凄まじい。見る人も、会場に集まったり、テレビで見たりと、それはもの凄い関心を示すものだけど、でもやはり、ボクサーたちの覚悟も凄い。現在とはボクシングのルール自体が結構違ったようで、12ラウンドまでしかなく、またレフリーがすぐにストップを掛ける現在とは違って、15ラウンドまであり、レフリーも限界まで戦わせる当時のボクシングは、まさに死闘と呼べるものだったようだ。試合中に命を落とすものもいたほどである。また、たった8人しかなることが出来ない世界チャンピオンから落ちてしまう時のショックも、現在とは比べ物にならないだろう。今のボクシングを知らないまま比較するようなことを書いても仕方ないけど、でも当時のボクシングは本当にそれほどに緊張感のある恐ろしいものだった。そういう中で、殺人的とも言える練習をこなし、世界を相手に戦い続け、記録も記憶も残し続けたファイティング原田の偉業は輝かしい。
本書を読むと、記録を見るだけでは分からない事実というのが山ほどあるのだな、と思わされる。特に、ボクシングという「不確定要素の多いスポーツ」ではそうだ。
例えば「地元贔屓の判定」というものがある。試合を、対戦相手の地元で行った場合、審判が自国の選手に甘い判定をする、というものだ。もちろん、ボクシングの判定というのは難しい。そこに個々人の判断が含まれるのは仕方ないかもしれない。とはいえ、本書では、その「地元贔屓の判定」に泣かされたボクサーが多く描かれる。ボクシングの判定は、一度下されたら覆らない。どんな判定であろうと、涙を飲んでこらえるしかない。
また、試合に至る過程で何があったか、ということも非常に重要だ。ボクシングは、かなりメンタルなスポーツでもあるから、ちょっとしたことが試合の結果に大きな影響を及ぼすことになる。それを知っているからこそ、コーチやプロモーターなどが卑怯な手を使うこともある。それは、試合だけを見ていても、試合の結果だけを見ていてもわからない。ノンフィクションだから当然と言えば当然だが、本書ではそういう、結果の裏に隠された事実を様々に掘り起こして、人物やドラマを描き出していく。
本書は、日本ボクシングの歩みだけではなく、ボクシングという競技そのものの変遷も描かれていく。いつ生まれ、どんな風に発展し、今のような形に落ち着いたのか。本書を読めば、ボクシングそのものの歴史も学べる一冊なのである。
タイトルにある「黄金のバンタム」というのは、エデル・ジョフレという、バンタム級史上最強のボクサーのことを指している。ジョレフがいたが故に、煌めくような才能を持ちながら世界チャンピオンになれずにいたボクサーが世界中に山ほどいた。それほど強い、名だたるボクサーの前に立ちはだかる驚異のボクサーだった。
このジョレフ、なかなか凄いボクシング人生を歩んでいるので、是非本書で確かめていただきたいけど、ここで書こうと思うのはジョレフの生涯戦績だ。78戦72勝2敗4分け。ジョレフの輝かしいリング生活で喫した敗北は、唯一、ファイティング原田に敗れた2つだけだったという。これだけでも、ファイティング原田の偉大さが伝わろうというものだ。
本書には、ファイティング原田に限らず、様々なボクサーの様々なエピソードが色んな場面で描かれる。たとえば、ちあきなおみが歌手になったのは、芸能界に入れば、当時人気だったボクサー・関光徳に会えるかもしれないと考えたから、というのは有名な話らしい。また、海老原というボクサーのエピソードも凄い。現在では日本一のボクシングジムとなっている協栄ジムの初代会長である金平正紀は、自身のボクシング人生を諦めとんかつ屋を開くことにした。開店の日、店の前の張り紙を見てアルバイトにやってきた少年を一目見るなり金平正紀はとんかつ屋を畳み、ボクシングジムを作った。金平正紀とその少年の二人だけのジムである。その少年こそが海老原であったという。
そんな中で、僕が一番凄いエピソードだなと思うのが、矢尾板貞雄の引退の話である。このエピソードは、直接的にファイティング原田の世界チャンピオンに繋がる話でもあって、だから詳細は書かないのだけど、矢尾板の男気溢れる引退は、なかなかマネ出来るものではないと思う。本当に本書には、そういうドラマが山ほど溢れているのだ。
僕はボクシングにはまったく興味がないけど、そんな僕でも惹きこまれる凄まじいボクサーたちの物語に圧倒されました。惚れ込んだ人物を描かせたら絶品の稀代の語り部である百田尚樹が、彼らボクサーたちの凄絶な物語を引き出していきます。是非読んでみてください。
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