消された一家 北九州・連続監禁殺人事件(豊田正義)
内容に入ろうと思います。
本書は、北九州で実際に起こった凶悪な事件を扱ったノンフィクションです。
事件が発覚したのは、一人の少女が祖父母の元に逃げ出してきたことがきっかけだった。恭子というその少女は、一度主犯の男に連れ戻されるも、もう一度隙を見て逃げ出し、恐怖に縛られていた恭子を祖父母がなだめ、ようやく「父親は殺された」という証言を引き出したのだ。
それは、松永太と緒方純子(共に恭子や世間に対して別の名前を名乗っていた)による、信じがたい連続殺人事件発覚の幕開けだった。
恭子の証言は驚くべきものだった。まず恭子の父親である清志は監禁され衰弱死させられた。その後、緒方純子の一家6名をマンション内に監禁し、家族内でお互いを殺させ合い、その死体をバラバラにして棄てた、というのだ。
当初は恭子の証言を信じられずにいた捜査員たちも、松永と純子のアジトを発見し、その異様さから、とんでもないことが起こっていることを感じ取る。
松永と純子は逮捕され、前代未聞の「死体なき殺人事件」の裁判が始まる。
著者はその一審の裁判をすべて膨張し、独自の取材を重ねた上で、この異様な事件がどのように起こり、何故彼らはそうせざるおえなかったのかという内心に肉薄しようと試みる、という作品です。
これはちょっと、読むのが辛すぎました。僕は割とこういう事件もののノンフィクションでも結構平気で読める人間なんですけど、この作品はちょっときつかったです。
というのも、あまりにも悲惨だからです。大勢の人間が松永という人間に監禁され、奴隷のように扱われ、衰弱死させられたり家族内で殺しあわせたりし、さらに死体をバラバラにし棄てるところまでやらされるというのは、本当にやりきれないし、そういう生活をさせられてた彼らが本当に可哀想でなりません。
なにせ純子は著者に対し、拘置所での生活は天国のよう、と語っているほどです(この発言だけ抜き出してしまうと、純子という人間はまるで反省していないように思えてしまうかもですが、本書を読んでもらえば分かるとおり、そんなはずはありません。もっと誤解を招きそうな発言もありますが、それは書かないでおくことにします)。松永による支配があまりにも異常で、その生活と比べると拘置所内での生活はまるで天国なんだそうです。
監禁されていた彼らの生活は、酷いの一言では表現できない凄惨なものです。
部屋にいる時は玄関に入ったすぐのところで直立不動で立たされているか、浴室に監禁されている。寝るのは台所で、冬でも布団などは与えられない。トイレを使用できるのは一日一回で、それも大便の時のみ。小便はペットボトルにさせられていた。食事も、マヨネーズを塗っただけの食パンなど粗末なものばかりで、しかもそれを制限時間以内で食べなくてはならない。
それだけでも酷いが、さらに酷いのは、松永が「通電」と呼ぶものだ。これは身体に電気を通すというもので、懲罰的に行われることが多かった。しかもその理由は些細なものばかり。食事を制限時間以内に出来なかったとか、蹲踞の姿勢(通電の際は蹲踞の姿勢を取らされていた)が崩れたという理由でさらに通電したり、と言った具合だ。家族間に勝手にランクをつけ、そのランクが最下位の者に理由もなく通電することもあるため、家族内で皆が相手に対して不信になり、松永の歓心を買うために家族を平然と裏切ったり、松永の異様な指示に疑問を感じなくなっていったりするのだ。
松永は、「天才殺人鬼」だと本書で書かれている。まさにその通りだと思う。とにかく、『人を支配すること』にかけて天才的だったのだ。
通電もその手段の一つだが、松永の天才性はそれだけではない。普段松永は口が異常に巧く、巧みな話術で人をあっさりと信用させてしまう。人の懐に入るのが滅法うまく、誠実そうに見えるその外見と話術に、多くの人が騙されてしまうのだ。
そうやって、初めは実に誠実な感じを見せる。金づるになりそうな人間を見つけると、そうやって相手に取り入る。そして、相手の信用をある程度勝ち取ったとみるや、そこから暴力が始まるのだ。
有無をいわせぬ暴力、携帯電話による報告義務、思考能力を奪い去る通電など、様々なテクニックを駆使して相手の人格を支配し、松永に反対しようという意志を持つことはおろか、逆にいかに松永に迷惑を掛けずに行動することが出来るか、という思考を植えつけていく手腕は、まさに天才としか言いようがない。
正直僕は本書を読んで、松永という男に野心がなくてよかった、と感じた。こう書くと、被害者となった方々を冒涜しているようで申し訳ないのだけど、本心である。決して被害者となった方の死を軽んじているわけではないのだけど、その一方で、松永という男がその程度の男でよかった、とも思ってしまうのだ。例えば松永が政治家になろうと思ったら、恐らくなれてしまうだろうと思う。巧みな話術に加え、恐らく松永であれば、暴力を駆使しなくても相手を支配する方法などすぐ思いつくだろう。そういった才能を遺憾なく発揮すれば、恐らく政治家として駆け上がっていくことは容易だったのではないかと思う。
しかしそれは恐ろしい想像だ。他人に対する共感など持つことのない松永は、その人間支配のテクニックを使って、国民を恐ろしい方向へと導くことなど容易なのではないか。それこそヒットラーのように、恐ろしい独裁者になれるだけの可能性を持っているのではないか、と思う。そうなれば、日本という国が壊滅するのではないか、と本気で思う。
本書を読んですぐに連想したのが、貴志祐介の小説「悪の教典」だ。「悪の教典」の主人公である高校教師・蓮実聖司は、本書の松永とかなりダブる。蓮実聖司は暴力を使うことなく学校中を支配したという点で松永とは違うように見えるけども、松永が蓮実聖司と同じような企みを持って高校教師になったとすれば、恐らく同じような感じになっただろうと思わされた。「悪の教典」を読んだ時は、こんな人間が実際にいたら恐ろしい、と感じつつも、まさかここまでの人間が実在するわけがないだろう、と感じたのだけど、本書を読んでその考えが大きく変わった。僕の中で蓮実聖司と松永太は同列で扱うことが出来る。松永太という天才殺人鬼が実在したのなら、蓮実聖司も実在する可能性がある。「悪の教典」を読んでいたからこそ、松永の恐ろしさをより強く感じることになったのではないか、という感じもします。
被告の一人である純子は逮捕後、長い時間は掛かったものの、ようやく松永の支配から逃れ、自分のしてきた罪の深さを実感できるようになり、松永を含め、自分がしてきたことすべてを告白しました。純子の告白があったからこそ、死体なき殺人事件である本件はその全容が明らかになったわけです。純子は一貫して自らの罪を認め、松永による支配はあったものの、全面的に自分の非を認め、反省もしています。
しかし一方で松永の方はまるで違います。松永は、すべては純子が勝手にやったことであり、自分は殺人事件には一切関与していないと主張し、純子の主張とは相反する『作話』を裁判中もずっとし続けたとのことです。
松永は取調べ中、うっかりなのかどうか、「自分は責任を回避するために、自分が直接指示をすることはなく、相手にすべて決断をさせる」というようなことを言っています。純子の証言からも、松永のそうした言動は窺えます。家族を殺すのも、松永自身は指示を出さず、お前たちで決断しろと話し合いをさせ(もちろん松永は、自身が望んでいる答えに誘導するわけですが)、殺人や死体の切断などの実行行為には自分は手を出していません。そうした事実を逆手に取り、すべては純子や純子の家族が勝手に決断して勝手にやっただけだ、という荒唐無稽な主張を続け、最後まで反省の色を出すことはありませんでした。最高裁での判決は本書では触れられていませんが、二審でも松永は死刑判決を下されました。なんというか、そのことに、凄くホッとしています。
一方の純子は、一審では死刑判決が下されたものの、二審では無期懲役となりました。一審の際も、純子には死刑判決は下りないのではないか、情状酌量が認められるべきだ、という意見が結構多かったようです。控訴するかどうか最後まで悩んだ純子は、DVなどの部分をもっと法廷で明らかにしてほしい、と望み控訴します。
しかし、著者は控訴審には行けませんでした。色々と事情があったようですが、本書にとってはその点が画竜点睛を欠くという感じは否めません。控訴審では、純子のDVによる責任能力が取り上げられ、恐らく裁判史上初めて、事件当時関わっていたわけではないDVの専門家が法廷に呼ばれ、DVとは何かという説明を一からするという裁判になったようです。そういったDVに関する様々な判断が認められ、純子は無期懲役という判決になりました。控訴審こそこの事件の最も核心となる部分だと思ったので、それを傍聴できなかったというのはちょっとマイナスだなと思います。
読み通すのは、ちょっと辛い作品かもしれません。でも、松永の人間が存在しうるということ、そしてDVとは『そこから逃れることが出来ない』という点そのものが重要なのだということなど、本当に大切なことを知ることが出来る一冊だと思います。なかなか手に取るのに躊躇する作品だとは思いますが、なんとか機会を見つけて読んでみてください。
豊田正義「消された一家 北九州・連続監禁殺人事件」
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気持ちは凄くよくわかります。
これが現実だったとは、ちょっと思いたくない気持ちもありますしね。
これが現実だったとは、ちょっと思いたくない気持ちもありますしね。
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これは読むのがあまりにキツい。