遺産(笹本稜平)
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内容に入ろうと思います。
学生時代に水中考古学を専攻し、今はダイビングのインストラクターとしてどうにか生計を立てている興田正人には、生涯の夢がある。
それは、400年前に沈没したスペインのガレオン船を探しだすことだ。
水中考古学者にとって、沈船の発見とその調査は非常に魅力的でありながらなかなかチャンスの巡ってこないものだ。正人は、プロのダビングライセンスを持つ水中考古学者として重宝され、いくつかの現場に参加したことはあるが、しかし正人が探しているのはある特定のガレオン船だ。
それは、大伯父から聞いた、親戚連中からは「与太話」と思われている、一つの昔話がきっかけだった。
そもそも正人の父は船乗りで、船上で命を落とした。そこから話が広がり、正人の先祖にも一人、世界中の海を股に掛けた船乗りがいた、という話を大伯父はする。
興田正五郎。まだ鎖国が行われていなかった頃、日本の朱印船に乗って東南アジアとを往復し、さらにそこからスペイン総督府に取り入れられ、ガレオン船の操舵を任されるまでになったという。正五郎は非凡な船乗りだったらしいが、ある時操舵していた舟が沈没したという。
その話を聞いて正人は、水中考古学を志した。大伯父からは、正五郎が乗っていた舟の名前も、沈没した場所も聞き出すことは出来なかった。ほとんど雲を掴むような話で、正人の夢もまた、学生時代には与太話と同程度にしか扱われなかった。
しかしそんな正人の夢を否定することがなかったのは、正人の恩師である田野倉だ。ダイビングのインストラクターとして生計を立てている今も田野倉とはやり取りがあり、正人の荒唐無稽な夢の話に付き合っている。
そんな田野倉からある時連絡がやってきた。それは、以前正人がメキシコシティの国立公文書館で発見した文献に関するもので、その文献に日本人に関する記述があったという。また、海上保安庁の海洋情報部から、その文献に記載されている沈没場所付近で、海山を発見したという気になる情報も飛び込んできた。
正人は突然の展開に興奮を隠すことが出来ない。それは、荒唐無稽と思われた正人の夢が現実のものとなるかもしれない、非常に大きな可能性を秘めた情報だった。
400年前の祖先が乗っていたガレオン船を、自らの手で引き上げることが出来るかもしれない…。
しかしそこには、国際的なトレジャーハンティング会社「ネプチューン」が絡んで来て、水中考古学とトレジャーハンターの熾烈な闘いが幕を開けることになるのだが…。
というような話です。
これはメチャクチャ面白かった!笹本稜平は、警察小説と冒険小説をフィールドにする作家ですけど、僕個人の好みとしては、笹本稜平の冒険小説の方が好きです。「天空への回廊」という、エヴェレストを舞台にした、ハリウッド映画もビックリなスケールの小説も凄かったですけど、本作もまた、スケールや物語の展開と言った点で、「天空への回廊」にひけをとらない素晴らしい作品だと思いました。
まず、正人を取り巻く状況が良い。正人は、どこにも所属しないフリーの水中考古学者として、世間と比べれば日陰の生き方を続けてきたのだけど、本人には諦めきれない夢があり、それを追い続けている姿がまずいい。そういう意味では田野倉も近いものがあって、大学教授でありながら相当に大学教授らしくない生き様で、その生き方にはなかなか憧れる。
それに何よりも、400年前世界の海を股に掛けた正人のご先祖・正五郎の話が素敵だ。
この正五郎の話がどこから出てくるのか、それは是非本書を読んで欲しいけど(大伯父でさえ、正五郎が乗っていた船の名前さえ知らなかったのだけど、本書には、正五郎の生い立ちからその死までが詳細に描かれている章があります)、とてもロマンをかき立てられる物語だ。実際、正五郎が乗っていた「アンヘル・デ・アレグリア」が発見され、それが世界に喧伝されるや、まさにその正五郎の物語に皆心を打たれ、世界中で話題が先行していくことになる。この正五郎の生き様は、本書の中核の中核と言っていいでしょう。なにせそれが、正人を始めとする周囲の人間が、困難極まるプロジェクトに諸手を挙げて参加したがる理由であるし、様々な事情から世論を味方につけなくてはならない状況を打破する起爆剤であるし、さらにその後に起こる様々な困難を乗り越える際の支柱でもあるのだ。400年前に世界の海を股に掛けた日本人が乗っていた船を、その子孫である正人が発見し、それを引き上げようとしている。それこそが、本書の底の底に横たわる、ロマンティックで魅力的な真髄なわけです。
さて、さらに物語を面白くする要素は、「アンヘル・デ・アレグリア」を取り巻く状況です。これは、後半のネタを割らないためにすべてを書くわけにはいかないのだけど、この状況設定も本当に見事だなと思います。
まず、「水中考古学者」と「トレジャーハンター」の対立が非常に面白い。
水中考古学という分野は、やたらとお金が掛かる分野だ。海の底に沈んでいる「お宝」を陸上に引っ張り上げるだけでも相当のお金が掛かる。それだけではない。そもそも、どこに沈船があるのか、その調査にも驚くほどのお金が掛かるのだ。
だからこそ水中考古学は、ある程度「資本主義」と手を組まざるを得ない。しかし、田野倉を始め、水中考古学者はそうした資本を毛嫌いする傾向にある。何故か。
それは、トレジャーハンターやファンドなどの資本は、「金に換わるもの」にしか興味を持たず、それを手に入れるためには貴重な船体に穴を空けることも厭わない。また、盗品だとバレないようにするために、金貨などを鋳潰して売り飛ばすような輩もいるのだという。
田野倉は、そういう連中を、こんな表現で揶揄する。
『連中がやっているのは、パルテノン神殿やアブシンベル神殿をバラバラに解体して、その破片を世界中の博物館に売りつけるようなやり方だ。それは遺跡の破壊以外のなにものでもない』
水中考古学にとっては、どんな状態で海中に没していたのかという事前調査から、船体の完全保存に至るまでのすべての過程を重視する。時に沈船に搭載されている財宝類は、何億ドルもの金銭価値を持つ場合もあるが、水中考古学者はそういう誘惑を全力ではねのけるのだ。
『その一線を超えないために研究者にはストイックな態度が要求される。金に目がくらんだとたんに研究者は盗賊に成り下がる。その境界は紙一重だ。水中考古学者の労苦が経済的利益によって報われてはならない』
そんなわけで、水中考古学者にとってトレジャーハンターは海賊と同じような存在なのだが、しかしトレジャーハンター側にとっても言い分はある。それは、自分達が資金を出して引き揚げ作業をしなければ、一生陽の目を見ることがない、という点だ。トレジャーハンター側は、確かに経済効率に支配された行動を取らざるを得ないが、しかしどんな形であれ、そのまま埋もれさせて置くよりも、引き揚げて陽の目を見せる方がいい、と主張するのだ。
現に、正人たちのライバルとなる「ネプチューン」のCEOであるハドソンは、そんな想いを抱いている。ハドソンも、かつては水中考古学者だった。しかし、金がないという理由で一旦引き上げを諦めた沈船に、資金を用意してもう一度アタックしてみると、既に海賊にやられていた後だったという経験がある。そんな経験を繰り返すことで、どれだけ水中考古学者に嫌われようが、自分のやり方は間違っているわけではないと自負しているのだ。
この対立は見事で、物語を非常に面白いものにしている。そのままの勝負であれば、正人たちは「ネプチューン」に惨敗するしかなかっただろう。しかし正人は、ひょんなきっかけで、素晴らしいスポンサーを見つけていた。アントニオというスペイン人実業家が提案するビジネスモデルが成立すれば、今後の水中考古学の歴史が変わる。そしてそれは、「ネプチューン」のようなトレジャーハンティング会社の終焉を意味しもする。それが分かっているからこそ、「ネプチューン」もなりふり構わず全力で事に当たってくる。どちらも、このプロジェクトにつぎ込んでいる資金やリソースを考えると、負けることが出来ない。背水の陣を敷いているようなもので、あらゆる手段を使って自分達が引き揚げの権利を手にできるように奮闘する。その過程が素晴らしい。
彼らがこれほどまでに右往左往するのには、いくつか理由がある。
まず、実際にあった「ブラック・スワン裁判」というものがある。これは、現実に存在したとあるトレジャーハンティング会社がスペインに訴えを起こされ、結果引き上げた沈船や財宝すべてをスペインに引き渡さねばならなかった、という事件だ。
この背景には、「世界中の海に沈んでいるガレオン船は、スペインに所有権がある」という判断がある。これは、世界中のトレジャーハンティング会社を震撼させた。そんなことを言われたら、巨額の資金を掛けて沈船を引き上げようとする者などいなくなる。
もちろんハドソンは、その辺りもぬかりなく手を打ち、あらかじめスペイン側と話をつけてから引き揚げに当たるつもりでいた。スペイン側に、引き上げた財宝から得られた対価の半分以上を渡す代わりに、引き揚げの権利を譲り受けるというような交渉だ。スペインは財政赤字が凄まじく、喉から手が出るほど現金が欲しい。そこにハドソンは付け込んでいく。
しかし、正人と正五郎の物語が、予想以上にスペインでも評判がよく、金の力だけでは押し切ることが出来ないでいるのだ。
かといって、正人たちがすぐさま行動に移せるのかというとそうではない。「ネプチューン」は、自前のサルベージ船を保有し、中の財宝を盗み出すだけなら今すぐにでも行動に移せるのだが、正人たちはそもそもあらゆる準備をゼロからしなくてはいけない。しかも、船ごと引き上げようという非常に大掛かりなプロジェクトだ。メル・フィッシャーというトレジャーハンターが同じやり方で巨万の富を得たが、その時は沈船の場所が引揚げ港のすぐ傍だった。今回は、東京から直線距離で1900キロ、父島からでも1600キロという途方も無い場所にある。これを船ごと引き上げようというのは、相当に無謀なプロジェクトなのだ。しかし彼らは、一つ一つ問題を精査し、解決に導いていく。
様々な事情があり、お互いすぐに動くことは出来ない。さらにその上に、不測の事態まで絡んでくることになる。状況は予断を許さず、それが物語に緊張感を与え、非常にスリリングな物語に仕上がっている。
状況はめまぐるしく変化し、よくもまあこれだけの状況を揃えたなと感心するばかりだ。400年前の先祖を持つ正人という水中考古学者と、世界最強のサルベージ船とあらゆるプロフェッショナルを擁する「ネプチューン」の対立というだけでも十分面白いのに、そこに政治や経済や自然現象など多様な要素が複雑に絡み合っていく。そして、その中心にいるのが、その世界ではそこそこ名は知られているけど、一般には無名の水中考古学者である正人というのも面白い。この構造は、「天空への回廊」とも似ている。「天空への回廊」では、世界を救うことが出来るのは主人公の日本人だけ、という究極的な状況が活写される。状況をスリリングに追い込んで読者を惹きつけながら、その追い込んだ状況を実に巧みに操って読者の予想もしなかった展開に持ち込む手腕は、見事としか言いようがない。
また、正人と共にこのプロジェクトに関わる亞希の存在も、本書ではなかなか読み応えがあるだろう。かつて商社に勤めていた亞希は、プロジェクトに欠かせない戦力となっていく。
と同時に、亞季の人生を悟ったような物言いが、心に刺さることもある。
『それは考え方が間違ってるんじゃない?そんなこと言ったら正五郎だってしがない船乗りよ。そこは誰だって同じだと思うの。自分をしがない存在じゃないと思い始めたとき、人間は堕落を始めるのよ』
『あなたのご先祖様もきっとそうだったはずよ。はたから自由に生きているように見える人って、自分じゃそんなこと意識していないのよ。あるがままの自分を肯定しているだけ。本当に自由であることと、自由という観念の奴隷になるのは別だからね』
時に弱気になりがちな正人を、こんな風に叱咤激励する亞季の存在は、チームにとって非常に重要なものとなっていく。まさにチーム全員でプロジェクトに立ち向かうという展開であり、ラストに至る流れは本当にスリリングで面白い。
水中考古学とトレジャーハンターという、非常にマイナーな世界を実に魅力的に描きつつ、運命に翻弄される主人公を主軸として、実にスリリングな展開の物語が描かれます。非常に分厚い物語ですが、一気読みさせられる物語です。是非読んでみて下さい。
笹本稜平「遺産」
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