田舎の紳士服店のモデルの妻(宮下奈都)
内容に入ろうと思います。
本書は、「スコーレNo.4」が話題になった著者の最新刊です。
竜胆梨々子は八王子生まれで、ずっと東京に住んできた。ちょっと綺麗なことが取り柄で、会社で知り合ったエリートと結婚し、子供も二人いて、順調に生活をしていた。この生活がずっと続くと、疑うことも信じることもなく、それがまるで当たり前のことだと思ってきた。
しかしある日、夫の竜郎が会社を辞めると言い出した。どうして?うつ病になってしまった夫は、会社を辞めて実家に帰るという。実家?実家ってあの、北陸の一番目立たない県の県庁所在地のあそこ?東京を離れてそこで暮らすって言ってるの?
夫の田舎に住むことになった梨々子の10年を描いた作品です。
これは素晴らしい作品でした。やっぱり良い小説書くなぁ。内容紹介がちょっとあっさりしすぎているかもですけど、ちょっとうまく説明しにくいんです。田舎に帰ってからは、本当に日々の日常が描かれているわけで、はっきり言って特別大したことは起こりません。それなのに、これほどまでに読ませる作品を書けるというのは驚異的だと思います。
僕がよく書くことではあるけど、こういう、奇抜な設定や派手なストーリー展開のない作品というのは、本当に著者の力量が如実に浮き彫りになる作品だと思っています。ごてごてした装飾で飾り付けられない分、生身をさらけ出しているようなところがあります。本書は、ごてごてした飾り付けのないシンプルな装いにも関わらず、ごてごてした飾り付けをされる以上に目立つ作品だなと思います。変な喩えですけど、ド派手なメイクをした女性ではなく、化粧も服装もシンプルなのに存在感やオーラがある人、みたいな作品です。
僕が一番凄いなと思う点は、うまく表現できないんですけど、視点というか立ち位置というか、そういうものです。つまり、『どんな場所に立って、どんな方向から物事を見るか』というところが本当に素敵だと思います。
うまく説明できないんで、具体的に文章を抜き出してみます。
『いつか何かに実を結ぶかと淡い期待を抱いてお茶につきあってきた結果が、今、採点されて返ってきたのだと思う。』
『私たちは持っていた明るいものを少しずつすり減らして未来にたどりつくのか。』
『この子は塩原さんを見て泣くのを自分の仕事だと考えているらしい節があった。』
どうかなぁ。こういう文章で僕の言いたいことが伝わるかなぁ。なんというかこういう文章って、物事をありきたりの普通の視点から見てるのとはちょっと違うと思うんです。ちょっと変わってる。これは僕の印象ですけど、世の中の多くの人って、『こういう場面ではこういう風に考えるのが普通だ』みたいな思考を無意識のウチにしていて、誰も彼もなんだか同じようなことばっかり言ってる感じがするんだけど、この小説はそういうところが全然ない。もちろん、それが梨々子の性格なんだ、と言ってしまえばそれまでだけど、勝手な憶測をすれば、これは著者の物事を見る眼差しそのものなんじゃないかな、と思えてくるのだ。だからなんだと言われても困るけど、僕はそういう変わった視点というのが好きなのだ。しかも変わってはいるけど、的を射てもいる。なるほどそんな方向から見るとそう見えるのか、物事をそういう風に捕まえる方法もあったのか、と思えるような新鮮な視点が様々な部分に散見していて、とにかくそれを拾って撫でるだけでもこの小説を読む価値は十分にあると思います。
夫がうつ病になって…という内容ではありますが、正直夫のことはあんまり出てきません。基本、梨々子が自身の生活の変化に戸惑い、慣れていくことにさえ恐怖を感じ、何かに対して開いてしまった距離感を眺め、忘れていたことをひょっこり思い出すというように、ほとんどが梨々子の話になります。
その梨々子の、些細な物事から深く思考に入ってしまったり悩んでしまったりするという性格が結構自分と近いものがあって、僕もその場面ではそんな風にウダウダ考えちゃうかも、と思いながら読んでいました。東京にいることが『当たり前』だった梨々子にとって、田舎で暮らすという驚天動地の変化に戸惑うという不安定な心理状態の中で、日常の中で些細な、それでいて梨々子としては『些細な』で済ませたくはない出来事がいくつも積み重なっていく。積み重なっていくものを、上の方から眺めて整理したり、嫌になって蓋をしたり、大分前のことをふと引っ張り出してきたりと、梨々子の思考は様々に散るわけですけど、時には神経質と取られかねないかもしれない梨々子のそういう思考が自分の中にもあって、たぶん多くの人にもあるんじゃないかと思うんだけど、その一つ一つにどんな経緯からどんな決着をつけるのかという過程が読んでて楽しいんですね。これが、ストーリーの展開が劇的ではないのに思わず読まされてしまう要素の一つだと思います。
梨々子の悩みは、時として神経質すぎるものもあるだろうし、鬱々とした感じのものもないではないんだけど、でもそれでいて作品は沈鬱にならない。田舎で暮らしたくないと思っていた専業主婦の鬱々とした愚痴、なんて表現をすると読みたくなくなるかもですけど、文章がうまいからでしょうか、全体的にカラッとした明るさがあって、全然暗くないんですね。これも凄いなと思います。
読んでいると、梨々子の中の『現実を否定したくないけど否定したい』みたいな部分に共感できる人は多いんじゃないかな、と思います。本書では東京から田舎へ、という変化ですが世の中には自分の意に染まない生き方を強いられている人というのは多いんじゃないかな、と思うんです。現実を否定すれば、それまでの自分の人生まで否定することになりそうで嫌だけど、でもこの現実は受け入れがたい。梨々子も、そんな葛藤と闘いながら日々を生きているんですね。もちろん、本書を読んだって自分の抱える現実が変わるなんてことはないだろうけど、でも、私だけじゃないんだ、なんて風には思えたりするかもしれません。
全体的に真面目なというか、特に笑わせようと狙っている作品ではないんだけど、時々クスクス笑ってしまう描写が出てくるんですね。さっき書いた、『塩原さんを見て泣くのを自分の仕事に』なんていう描写なんか思わず笑ってしまいます。あと僕が好きなのは、地区の運動会の競技の説明。別に笑わせようとしてるわけではないだろうけど、『はーい出前です』って競技はアホ過ぎて、そのすっとぼけた感がいいなぁ、と思います。結構出てくるんです、その『すっとぼけた感』。楽しいですね。
あと、これは別に僕が勝手に面白いなと思っただけの話ですけど、73ページまで読んだところでふと、『生きていても一人』ってフレーズが頭の中にパッと浮かんだんですね。別に作中にはっきりとそういう描写があるわけじゃないんだけど、『生きていることが、誰かと一緒であるということが前提になってるんじゃないか?』なんていう思考が突然するりとやってきました。そしたら200ページ辺りに出てくるんですね、『私はひとりだ』って文章が。おー、って思いました。別に僕が凄いわけじゃないですけど、なんかおーって思いました。
というわけで、これは素晴らしい作品だと思います。ちょっと難点は、たぶん内容紹介とかで『夫がうつ病』なんていう書かれ方が絶対されると思うんだけど(僕も上記の内容紹介で書きましたし。これを書かないで本書の内容紹介は難しい)、でもそう書いちゃうと、『うつ病の話かぁ。重そうだなぁ』なんていう要らん先入観を持たれてしまったら怖いな、ということ。全然そんな話じゃありません。もちろんうつ病の夫が全然描写されないなんてことはないけど、基本的には、晴天の霹靂で田舎で暮らすことになってしまった専業主婦の日常と戸惑い、という感じの作品です。たぶん、私も!って共感できる人が結構いたりするんじゃないかと思います。そういう、誰かの鏡になれる作品じゃないかなと思います。是非読んでみてください。
宮下奈都「田舎の紳士服店のモデルの妻」
本書は、「スコーレNo.4」が話題になった著者の最新刊です。
竜胆梨々子は八王子生まれで、ずっと東京に住んできた。ちょっと綺麗なことが取り柄で、会社で知り合ったエリートと結婚し、子供も二人いて、順調に生活をしていた。この生活がずっと続くと、疑うことも信じることもなく、それがまるで当たり前のことだと思ってきた。
しかしある日、夫の竜郎が会社を辞めると言い出した。どうして?うつ病になってしまった夫は、会社を辞めて実家に帰るという。実家?実家ってあの、北陸の一番目立たない県の県庁所在地のあそこ?東京を離れてそこで暮らすって言ってるの?
夫の田舎に住むことになった梨々子の10年を描いた作品です。
これは素晴らしい作品でした。やっぱり良い小説書くなぁ。内容紹介がちょっとあっさりしすぎているかもですけど、ちょっとうまく説明しにくいんです。田舎に帰ってからは、本当に日々の日常が描かれているわけで、はっきり言って特別大したことは起こりません。それなのに、これほどまでに読ませる作品を書けるというのは驚異的だと思います。
僕がよく書くことではあるけど、こういう、奇抜な設定や派手なストーリー展開のない作品というのは、本当に著者の力量が如実に浮き彫りになる作品だと思っています。ごてごてした装飾で飾り付けられない分、生身をさらけ出しているようなところがあります。本書は、ごてごてした飾り付けのないシンプルな装いにも関わらず、ごてごてした飾り付けをされる以上に目立つ作品だなと思います。変な喩えですけど、ド派手なメイクをした女性ではなく、化粧も服装もシンプルなのに存在感やオーラがある人、みたいな作品です。
僕が一番凄いなと思う点は、うまく表現できないんですけど、視点というか立ち位置というか、そういうものです。つまり、『どんな場所に立って、どんな方向から物事を見るか』というところが本当に素敵だと思います。
うまく説明できないんで、具体的に文章を抜き出してみます。
『いつか何かに実を結ぶかと淡い期待を抱いてお茶につきあってきた結果が、今、採点されて返ってきたのだと思う。』
『私たちは持っていた明るいものを少しずつすり減らして未来にたどりつくのか。』
『この子は塩原さんを見て泣くのを自分の仕事だと考えているらしい節があった。』
どうかなぁ。こういう文章で僕の言いたいことが伝わるかなぁ。なんというかこういう文章って、物事をありきたりの普通の視点から見てるのとはちょっと違うと思うんです。ちょっと変わってる。これは僕の印象ですけど、世の中の多くの人って、『こういう場面ではこういう風に考えるのが普通だ』みたいな思考を無意識のウチにしていて、誰も彼もなんだか同じようなことばっかり言ってる感じがするんだけど、この小説はそういうところが全然ない。もちろん、それが梨々子の性格なんだ、と言ってしまえばそれまでだけど、勝手な憶測をすれば、これは著者の物事を見る眼差しそのものなんじゃないかな、と思えてくるのだ。だからなんだと言われても困るけど、僕はそういう変わった視点というのが好きなのだ。しかも変わってはいるけど、的を射てもいる。なるほどそんな方向から見るとそう見えるのか、物事をそういう風に捕まえる方法もあったのか、と思えるような新鮮な視点が様々な部分に散見していて、とにかくそれを拾って撫でるだけでもこの小説を読む価値は十分にあると思います。
夫がうつ病になって…という内容ではありますが、正直夫のことはあんまり出てきません。基本、梨々子が自身の生活の変化に戸惑い、慣れていくことにさえ恐怖を感じ、何かに対して開いてしまった距離感を眺め、忘れていたことをひょっこり思い出すというように、ほとんどが梨々子の話になります。
その梨々子の、些細な物事から深く思考に入ってしまったり悩んでしまったりするという性格が結構自分と近いものがあって、僕もその場面ではそんな風にウダウダ考えちゃうかも、と思いながら読んでいました。東京にいることが『当たり前』だった梨々子にとって、田舎で暮らすという驚天動地の変化に戸惑うという不安定な心理状態の中で、日常の中で些細な、それでいて梨々子としては『些細な』で済ませたくはない出来事がいくつも積み重なっていく。積み重なっていくものを、上の方から眺めて整理したり、嫌になって蓋をしたり、大分前のことをふと引っ張り出してきたりと、梨々子の思考は様々に散るわけですけど、時には神経質と取られかねないかもしれない梨々子のそういう思考が自分の中にもあって、たぶん多くの人にもあるんじゃないかと思うんだけど、その一つ一つにどんな経緯からどんな決着をつけるのかという過程が読んでて楽しいんですね。これが、ストーリーの展開が劇的ではないのに思わず読まされてしまう要素の一つだと思います。
梨々子の悩みは、時として神経質すぎるものもあるだろうし、鬱々とした感じのものもないではないんだけど、でもそれでいて作品は沈鬱にならない。田舎で暮らしたくないと思っていた専業主婦の鬱々とした愚痴、なんて表現をすると読みたくなくなるかもですけど、文章がうまいからでしょうか、全体的にカラッとした明るさがあって、全然暗くないんですね。これも凄いなと思います。
読んでいると、梨々子の中の『現実を否定したくないけど否定したい』みたいな部分に共感できる人は多いんじゃないかな、と思います。本書では東京から田舎へ、という変化ですが世の中には自分の意に染まない生き方を強いられている人というのは多いんじゃないかな、と思うんです。現実を否定すれば、それまでの自分の人生まで否定することになりそうで嫌だけど、でもこの現実は受け入れがたい。梨々子も、そんな葛藤と闘いながら日々を生きているんですね。もちろん、本書を読んだって自分の抱える現実が変わるなんてことはないだろうけど、でも、私だけじゃないんだ、なんて風には思えたりするかもしれません。
全体的に真面目なというか、特に笑わせようと狙っている作品ではないんだけど、時々クスクス笑ってしまう描写が出てくるんですね。さっき書いた、『塩原さんを見て泣くのを自分の仕事に』なんていう描写なんか思わず笑ってしまいます。あと僕が好きなのは、地区の運動会の競技の説明。別に笑わせようとしてるわけではないだろうけど、『はーい出前です』って競技はアホ過ぎて、そのすっとぼけた感がいいなぁ、と思います。結構出てくるんです、その『すっとぼけた感』。楽しいですね。
あと、これは別に僕が勝手に面白いなと思っただけの話ですけど、73ページまで読んだところでふと、『生きていても一人』ってフレーズが頭の中にパッと浮かんだんですね。別に作中にはっきりとそういう描写があるわけじゃないんだけど、『生きていることが、誰かと一緒であるということが前提になってるんじゃないか?』なんていう思考が突然するりとやってきました。そしたら200ページ辺りに出てくるんですね、『私はひとりだ』って文章が。おー、って思いました。別に僕が凄いわけじゃないですけど、なんかおーって思いました。
というわけで、これは素晴らしい作品だと思います。ちょっと難点は、たぶん内容紹介とかで『夫がうつ病』なんていう書かれ方が絶対されると思うんだけど(僕も上記の内容紹介で書きましたし。これを書かないで本書の内容紹介は難しい)、でもそう書いちゃうと、『うつ病の話かぁ。重そうだなぁ』なんていう要らん先入観を持たれてしまったら怖いな、ということ。全然そんな話じゃありません。もちろんうつ病の夫が全然描写されないなんてことはないけど、基本的には、晴天の霹靂で田舎で暮らすことになってしまった専業主婦の日常と戸惑い、という感じの作品です。たぶん、私も!って共感できる人が結構いたりするんじゃないかと思います。そういう、誰かの鏡になれる作品じゃないかなと思います。是非読んでみてください。
宮下奈都「田舎の紳士服店のモデルの妻」
夏光(乾ルカ)
内容に入ろうと思います。
本書は、少し前に「あの日にかえりたい」で直木賞候補になった、今期待の新人のデビュー作です。6編の短編が収録された短編集です。
「夏光」
戦時中、家族と離れ叔母さんの家に疎開させられた哲彦は、疎開先で馴染めず、母を恋しく思う毎日だった。唯一の友達である喬史と、いかにして電車に無賃乗車し母の元に行けるか、という相談をよくしていた。
喬史はいじめられていた。スナメリという、その土地で不吉だと信じられている海の生き物を母親が食べたせいで呪われたのだ、と言われていて、喬史の顔の左半分は黒い痣で覆われていた。そして喬史の目には…。
「夜鷹の朝」
病に罹り、教授から療養を勧められた石黒は、教授の遠戚だという桑田家へとやってきた。秀麗な建物には、夫婦とお手伝いさんが住んでいた。
最初の日、石黒は階段の踊り場に一人の少女の姿を認めた。しかし家人はみな、少女の存在に気づいていないように振舞っている。石黒は、彼女の部屋にいりびたるようになる。常にマスクで隠された口元を見たい、と思いながら…。
「百焔」
美しい妹・マチは周りからチヤホヤされ何でも手に入れるのに、美しくない姉・キミはまったく何も得られない損ばかりしている人生だ。キミは常に妹と比べられる人生にうんざりし、知り合ったカフェの女性に相談すると、百の焔の厄返しなるものを教わった。百本のろうそくを毎日燃やし続ける、風除けなどはしてはならず途中で消えてもいけない、というもの。一生に一度しか出来ない願掛け、いや呪いであるという。キミはさっそく実行に移す…。
「は」
大学時代から頑強な男だった熊埜御堂が、ある時右腕を失って入院したと聞く。その後長谷川は熊埜から、快気祝いとして家で鍋をするから来てくれないか、と誘われる。ただし、出されたものは決して残さないで欲しい、という忠告を付け加えて。
そこで長谷川は、熊埜が右腕を失うことになった奇妙ないきさつを知ることに…。
「Out of This World」
パイロットになりたいと願っているマコトは、転校してきたマジシャンの息子・タクと夏休み中よく遊んだ。タクは、マジックに失敗してその世界から干されてしまったらしい父親から虐待を受けているという噂があったけど、マコトたちの前ではそんな素振りは見せなかった。タクは何故か耳から音が鳴り、しかもどんなタネがあるのか、宙に浮くことも出来たのだ…。
「風、檸檬、冬の終わり」
自ら望んだわけではないが、10代の頃は人身売買組織の片棒を担がされていたあや子。あや子は、人間の感情を鼻で嗅ぐことが出来るという謎めいた特技があり、それは結果的に、人身売買される少女たちを監禁するというあや子に与えられた仕事をまっとうするのに役立った。
そこであや子はチュマーと出会った。チュマーというのはあや子が勝手につけた名前で、しばらく後にはいくつかの臓器の断片にさせられてしまう女の子だった。あや子はそのチュマーから、生涯理解することの出来なかった特別な感情の匂いを嗅ぎ分けたのだが…。
というような話です。
これは素晴らしい作品でしたね。乾ルカの存在は正直、直木賞候補になるまでまったく知りませんでした。それから「メグル」という作品を読んで、この作家はなかなかやるなと思ったんだけど、まさかデビュー作の時点でこんなにレベルの高い作品を書くんだとは知りませんでした。
本書は、前半三つがちょっと前の時代を舞台にした作品、そして後半三つが現代を舞台にした作品なんですけど、6編に共通しているのは、目や耳や歯など、体の一部(というか、すべて顔の中のどこか)に何らかの特徴を持つ登場人物が出てくる話なんですね。作品ごとに結構違ったタイプの話が多いんだけど、全体の統一感もきちんと考えられてるんですね。
解説や帯なんかでも、どうも本書は「ホラー」として括られているようなんですけども、そんな括り方をするのはちょっともったいないな、という感じがします。ホラーという分かりやすいジャンルに落とし込めるほど単純な物語ではない、と思うんです。確かに、ちょっと不気味だったり、ちょっと恐ろしかったりするような話ではあるんですけど、でも怖がらせることが主眼の物語では決してない。体の一部が特異な状態になってしまった登場人物を描くことで、人間の悲哀や愚かさみたいなものを真っ直ぐ見据えている作品で、ジャンル分けが無意味に感じられる作品です。ぜひ、ホラーだとかなんだとかっていう先入観をなるべく排して読んで欲しいなと思います。
それぞれテイストが結構違うんで、読む人によって好きな作品は結構変わるでしょうけど、僕が好きだなと思うのは「夜鷹の朝」「は」「風、檸檬、冬の終わり」です。
「夜鷹の朝」は、本当に物哀しい物語でした。何よりも、桑田家の奥さんが可哀想過ぎる。確かに、奥さんの選択は間違いではなかったと思う。そうするしかなかったし、石黒さえ桑田家にやってこなければ、それですべてが丸く収まっていたはず、なんです。ただそれが、石黒がやってくることでバランスが崩れてしまったわけです。
もちろん、少女も可哀想ですね。自分がその立場に置かれたらと思うと、きっとやりきれないでしょう。見事です。
「は」は、6作中最もポップで陽気な雰囲気を僕は感じました(実際そんなトーンの作品ではないんですけど、状況を想像するとどうしても可笑しくなってしまう)。具体的には書かないですけど、えっまさかまさかそういうアレで右腕がなくなっちゃうわけですか、いやいやありえんでしょう、みたいな感じで、まあありえないんですけど、僕はその、ありえない話を実に丁寧に真面目に描いている部分が凄く楽しくて、恐ろしい物語というかコメディっぽい感じで読みました。んなアホな、っていう感じが好きですね。
「風、檸檬、冬の終わり」は、構成が見事だと思いました。正直、あや子が関わっていた人身売買の話だけだったら、そこまで大した作品ではなかったでしょう。その外側にもう一つ世界を用意していて、そのラストのセリフは見事だなと思いました。ラストのセリフから、チュマーの器のデカさみたいなものが想像できて、本当に構成が素晴らしいと思いました。
表題作である「夏光」もなかなかいいです。これも、ラストが秀逸ですね。迫害されている少年たちの友情みたいなものがラストの演出に見事な役割を果たしているなという感じがしました。
「百焔」も、なんとなくどういう展開を辿るのか分かってしまったという点を除けば、うまく出来ている作品だと思います。これは、もしかしたらですけど、短編じゃちょっと短かったのかも、という気もします。姉と妹の確執みたいなものがもっとくっきりと浮かび上がっている方が物語としても締まると思うんで、長編とは言わないまでも、中編ぐらの物語として描くとより一層よかったかもしれないな、という気がします。
「Out of This World」は、話としては良かったと思うんだけど、この作品集の中ではちょっと浮いてるかなという感じがしました。これだけ、全体の雰囲気とはちょっと違うタイプの作品で、そういう点で若干違和感がありました。
まあそんなわけで、デビュー作でこれだけのものが書ける作家というのは凄いと思います。別に、新人のデビュー作としてのレベルで評価してるわけではなくて、新人であることを差っ引いてもこれは相当レベルの高い作品だと思います。これからどんどんと注目されていくべき作家だと思います。是非読んでみてください。
乾ルカ「夏光」
本書は、少し前に「あの日にかえりたい」で直木賞候補になった、今期待の新人のデビュー作です。6編の短編が収録された短編集です。
「夏光」
戦時中、家族と離れ叔母さんの家に疎開させられた哲彦は、疎開先で馴染めず、母を恋しく思う毎日だった。唯一の友達である喬史と、いかにして電車に無賃乗車し母の元に行けるか、という相談をよくしていた。
喬史はいじめられていた。スナメリという、その土地で不吉だと信じられている海の生き物を母親が食べたせいで呪われたのだ、と言われていて、喬史の顔の左半分は黒い痣で覆われていた。そして喬史の目には…。
「夜鷹の朝」
病に罹り、教授から療養を勧められた石黒は、教授の遠戚だという桑田家へとやってきた。秀麗な建物には、夫婦とお手伝いさんが住んでいた。
最初の日、石黒は階段の踊り場に一人の少女の姿を認めた。しかし家人はみな、少女の存在に気づいていないように振舞っている。石黒は、彼女の部屋にいりびたるようになる。常にマスクで隠された口元を見たい、と思いながら…。
「百焔」
美しい妹・マチは周りからチヤホヤされ何でも手に入れるのに、美しくない姉・キミはまったく何も得られない損ばかりしている人生だ。キミは常に妹と比べられる人生にうんざりし、知り合ったカフェの女性に相談すると、百の焔の厄返しなるものを教わった。百本のろうそくを毎日燃やし続ける、風除けなどはしてはならず途中で消えてもいけない、というもの。一生に一度しか出来ない願掛け、いや呪いであるという。キミはさっそく実行に移す…。
「は」
大学時代から頑強な男だった熊埜御堂が、ある時右腕を失って入院したと聞く。その後長谷川は熊埜から、快気祝いとして家で鍋をするから来てくれないか、と誘われる。ただし、出されたものは決して残さないで欲しい、という忠告を付け加えて。
そこで長谷川は、熊埜が右腕を失うことになった奇妙ないきさつを知ることに…。
「Out of This World」
パイロットになりたいと願っているマコトは、転校してきたマジシャンの息子・タクと夏休み中よく遊んだ。タクは、マジックに失敗してその世界から干されてしまったらしい父親から虐待を受けているという噂があったけど、マコトたちの前ではそんな素振りは見せなかった。タクは何故か耳から音が鳴り、しかもどんなタネがあるのか、宙に浮くことも出来たのだ…。
「風、檸檬、冬の終わり」
自ら望んだわけではないが、10代の頃は人身売買組織の片棒を担がされていたあや子。あや子は、人間の感情を鼻で嗅ぐことが出来るという謎めいた特技があり、それは結果的に、人身売買される少女たちを監禁するというあや子に与えられた仕事をまっとうするのに役立った。
そこであや子はチュマーと出会った。チュマーというのはあや子が勝手につけた名前で、しばらく後にはいくつかの臓器の断片にさせられてしまう女の子だった。あや子はそのチュマーから、生涯理解することの出来なかった特別な感情の匂いを嗅ぎ分けたのだが…。
というような話です。
これは素晴らしい作品でしたね。乾ルカの存在は正直、直木賞候補になるまでまったく知りませんでした。それから「メグル」という作品を読んで、この作家はなかなかやるなと思ったんだけど、まさかデビュー作の時点でこんなにレベルの高い作品を書くんだとは知りませんでした。
本書は、前半三つがちょっと前の時代を舞台にした作品、そして後半三つが現代を舞台にした作品なんですけど、6編に共通しているのは、目や耳や歯など、体の一部(というか、すべて顔の中のどこか)に何らかの特徴を持つ登場人物が出てくる話なんですね。作品ごとに結構違ったタイプの話が多いんだけど、全体の統一感もきちんと考えられてるんですね。
解説や帯なんかでも、どうも本書は「ホラー」として括られているようなんですけども、そんな括り方をするのはちょっともったいないな、という感じがします。ホラーという分かりやすいジャンルに落とし込めるほど単純な物語ではない、と思うんです。確かに、ちょっと不気味だったり、ちょっと恐ろしかったりするような話ではあるんですけど、でも怖がらせることが主眼の物語では決してない。体の一部が特異な状態になってしまった登場人物を描くことで、人間の悲哀や愚かさみたいなものを真っ直ぐ見据えている作品で、ジャンル分けが無意味に感じられる作品です。ぜひ、ホラーだとかなんだとかっていう先入観をなるべく排して読んで欲しいなと思います。
それぞれテイストが結構違うんで、読む人によって好きな作品は結構変わるでしょうけど、僕が好きだなと思うのは「夜鷹の朝」「は」「風、檸檬、冬の終わり」です。
「夜鷹の朝」は、本当に物哀しい物語でした。何よりも、桑田家の奥さんが可哀想過ぎる。確かに、奥さんの選択は間違いではなかったと思う。そうするしかなかったし、石黒さえ桑田家にやってこなければ、それですべてが丸く収まっていたはず、なんです。ただそれが、石黒がやってくることでバランスが崩れてしまったわけです。
もちろん、少女も可哀想ですね。自分がその立場に置かれたらと思うと、きっとやりきれないでしょう。見事です。
「は」は、6作中最もポップで陽気な雰囲気を僕は感じました(実際そんなトーンの作品ではないんですけど、状況を想像するとどうしても可笑しくなってしまう)。具体的には書かないですけど、えっまさかまさかそういうアレで右腕がなくなっちゃうわけですか、いやいやありえんでしょう、みたいな感じで、まあありえないんですけど、僕はその、ありえない話を実に丁寧に真面目に描いている部分が凄く楽しくて、恐ろしい物語というかコメディっぽい感じで読みました。んなアホな、っていう感じが好きですね。
「風、檸檬、冬の終わり」は、構成が見事だと思いました。正直、あや子が関わっていた人身売買の話だけだったら、そこまで大した作品ではなかったでしょう。その外側にもう一つ世界を用意していて、そのラストのセリフは見事だなと思いました。ラストのセリフから、チュマーの器のデカさみたいなものが想像できて、本当に構成が素晴らしいと思いました。
表題作である「夏光」もなかなかいいです。これも、ラストが秀逸ですね。迫害されている少年たちの友情みたいなものがラストの演出に見事な役割を果たしているなという感じがしました。
「百焔」も、なんとなくどういう展開を辿るのか分かってしまったという点を除けば、うまく出来ている作品だと思います。これは、もしかしたらですけど、短編じゃちょっと短かったのかも、という気もします。姉と妹の確執みたいなものがもっとくっきりと浮かび上がっている方が物語としても締まると思うんで、長編とは言わないまでも、中編ぐらの物語として描くとより一層よかったかもしれないな、という気がします。
「Out of This World」は、話としては良かったと思うんだけど、この作品集の中ではちょっと浮いてるかなという感じがしました。これだけ、全体の雰囲気とはちょっと違うタイプの作品で、そういう点で若干違和感がありました。
まあそんなわけで、デビュー作でこれだけのものが書ける作家というのは凄いと思います。別に、新人のデビュー作としてのレベルで評価してるわけではなくて、新人であることを差っ引いてもこれは相当レベルの高い作品だと思います。これからどんどんと注目されていくべき作家だと思います。是非読んでみてください。
乾ルカ「夏光」
少女A(西田俊也)
内容に入ろうと思います。
主人公のアイダ・ナオは、高校受験失敗続きだった。普通の状態で臨めば完璧なのに、どうにも本番に弱い。試験本番でボロボロになり、一つも手応えがない。
試験に慣れようというつもりで、冗談で女装して受けた女子高にしか受からなかったのだ。浪人して予備校に通うか、そのまま女子高に通うか。アイダは親にも内緒で、女装して女子高に入学することに決めてしまった。
Hなことが大好きな男子にとって、女子高というのは女の花園。ウキウキと期待して入学するも、しかしそこは予想とはちょっと違った場所だった。女同士の人間関係の複雑さや、見たくもなかった女の一面なんかを垣間見ることになって、正直アイダはげんなりしてしまう部分も多かった。
そんな中、学内でも異質な存在でもあるスズナカと共に、アイダは二人だけのクラブ活動に勤しむのだけど…。
というような話です。
さらっと読むには面白い小説かなぁ、という感じでした。とにかく、『男の妄想全開小説』という感じです。
女子高の中に男が紛れ込む、という設定からして妄想全開という感じでしょう。まあ正直ありえない設定ではありますが(ってそうでもないのかな。「オカマだけどOLやってます」なんて本もあったしなぁ)、女子高内部を男の視点から見るというのはまあそれなりに面白いと思います。っていうか、それがメインの小説だったら、もう少し面白かったかなぁ、という気はするんですけど。
というのも、途中から話が全然変わってくるんですね。『女子高の中に一人潜入した男が、女子高の中であーだこーだ色んな体験をする』みたいな小説なら、描きようによってはもっと面白くなったかもだけど、途中からアイダは、スズナカって女子生徒とセックスばっかりするようになるんですね。スズナカは早い段階でアイダが男であることを見抜いていて、とにかくセックスをスポーツとして楽しみたいスズナカは、アイダを誘ってセックス三昧、という感じになるんです。もはやこれこそが、『男の妄想全開小説』甚だしいという感じですけど、ちょっとストーリーの軸がブレてしまったなぁ、という感じはしました。ストーリーの軸足は『女子高内の男子』という部分に置いて、スズナカとの話はサイドストーリー的に扱えばまだよかったのかもだけど、途中からスズナカとの話がメインになって言ってしまうんで、なんだかなーという感じがしました。スズナカとの話が面白くないわけじゃないし、セックスをスポーツ的に楽しみたいというスズナカのあっけらかんとした性格は好きだったりしますけど、でもなんかそうじゃない気がするんだよなぁ、という気がしました。
女子高の中で女装していたことがバレる、という設定はこういう小説の中ではたぶん必須な展開だと思うんですけど、でもそこからセックス三昧になってしまう、という流れは安直というか芸がないというか、ちょっと違う気がしました。別に何か思いつくわけじゃないけど、もっと別の展開があったんじゃないかな、もったいないなー、という感じがちょっとしてしまいました。
まあ読みやすいし、それなりに面白い展開だし、さらっと読める小説だと思います。興味があれば読んでみてください。
西田俊也「少女A」
主人公のアイダ・ナオは、高校受験失敗続きだった。普通の状態で臨めば完璧なのに、どうにも本番に弱い。試験本番でボロボロになり、一つも手応えがない。
試験に慣れようというつもりで、冗談で女装して受けた女子高にしか受からなかったのだ。浪人して予備校に通うか、そのまま女子高に通うか。アイダは親にも内緒で、女装して女子高に入学することに決めてしまった。
Hなことが大好きな男子にとって、女子高というのは女の花園。ウキウキと期待して入学するも、しかしそこは予想とはちょっと違った場所だった。女同士の人間関係の複雑さや、見たくもなかった女の一面なんかを垣間見ることになって、正直アイダはげんなりしてしまう部分も多かった。
そんな中、学内でも異質な存在でもあるスズナカと共に、アイダは二人だけのクラブ活動に勤しむのだけど…。
というような話です。
さらっと読むには面白い小説かなぁ、という感じでした。とにかく、『男の妄想全開小説』という感じです。
女子高の中に男が紛れ込む、という設定からして妄想全開という感じでしょう。まあ正直ありえない設定ではありますが(ってそうでもないのかな。「オカマだけどOLやってます」なんて本もあったしなぁ)、女子高内部を男の視点から見るというのはまあそれなりに面白いと思います。っていうか、それがメインの小説だったら、もう少し面白かったかなぁ、という気はするんですけど。
というのも、途中から話が全然変わってくるんですね。『女子高の中に一人潜入した男が、女子高の中であーだこーだ色んな体験をする』みたいな小説なら、描きようによってはもっと面白くなったかもだけど、途中からアイダは、スズナカって女子生徒とセックスばっかりするようになるんですね。スズナカは早い段階でアイダが男であることを見抜いていて、とにかくセックスをスポーツとして楽しみたいスズナカは、アイダを誘ってセックス三昧、という感じになるんです。もはやこれこそが、『男の妄想全開小説』甚だしいという感じですけど、ちょっとストーリーの軸がブレてしまったなぁ、という感じはしました。ストーリーの軸足は『女子高内の男子』という部分に置いて、スズナカとの話はサイドストーリー的に扱えばまだよかったのかもだけど、途中からスズナカとの話がメインになって言ってしまうんで、なんだかなーという感じがしました。スズナカとの話が面白くないわけじゃないし、セックスをスポーツ的に楽しみたいというスズナカのあっけらかんとした性格は好きだったりしますけど、でもなんかそうじゃない気がするんだよなぁ、という気がしました。
女子高の中で女装していたことがバレる、という設定はこういう小説の中ではたぶん必須な展開だと思うんですけど、でもそこからセックス三昧になってしまう、という流れは安直というか芸がないというか、ちょっと違う気がしました。別に何か思いつくわけじゃないけど、もっと別の展開があったんじゃないかな、もったいないなー、という感じがちょっとしてしまいました。
まあ読みやすいし、それなりに面白い展開だし、さらっと読める小説だと思います。興味があれば読んでみてください。
西田俊也「少女A」
吉祥寺の朝比奈くん(中田永一)
内容に入ろうと思います。
本書は、「百瀬、こっちを向いて。」でデビューした中田永一の、恋愛小説第二弾です。5つの短編が収録された短編集です。
「交換日記はじめました!」
交換日記のやり取りだけで物語が進んでいく話。初めは学校で、圭太と和泉遥が交換日記をしている。しかしその二人の交換日記に、次第に関係のない人がどんどんと文章を書くことになっていく。点々とあちこちをさまようノート…。
「ラクガキをめぐる冒険」
大学生の桜井千春は、春休みに実家に帰省し押入れを漁っている時、昔使っていたマッキーを見つけ、高校時代の同級生・遠山真之介のことを思い出した。彼に連絡を取ろうと思ったのだけど、登録した時に番号を間違って入力したのか、違う人が出た。それから色んな人に話を聞き、ようやく遠山くんの居場所を知ることが出来た。
5年前、クラスメイトだった森アキラの机にラクガキがされるという事件があった。最も、今でもクラスメートが記憶しているのは、その後に起こったラクガキ事件のことなのだけども…。
「三角形はこわさないでおく」
鷲津廉太郎は、体育の授業のバスケットを通じて、学年中の誰とも仲良くしない孤高の美男子・白鳥ツトムと仲良くなった。周囲の女子は廉太郎を、ツトムの親友、としてだけ扱い、それ以外には興味がないようだった。
ツトムは女子に騒がれることに興味がないらしく、母子家庭のため放課後はさっさと家に帰り夕食を作るのだ。廉太郎とは授業をサボって屋上に行ったりと、なんだかんだで一緒にいた。
そのツトムの様子がある時からおかしくなった。どうやら風邪のようなもの、事故のようなものに出遭ってしまった、というのだが…。
「うるさいおなか」
高山は、常日頃からお腹が鳴ってしまう、いわゆるハラナリストである女の子だ。授業中も特大な音を響かせてしまうし、だから図書館みたいな静かなところには絶対に行けない。ハラナリストとして、本当に苦労しながら日々生活をしているのだ。
そんなある日、同じクラスの春日井君が話しかけてきた。彼は異常に耳がいいらしく、もしかしたら周りには聞こえていないかもと思っていた高山のお腹の音は、全部丸聞こえだったらい…。
「吉祥寺の朝比奈くん」
朝比奈は、吉祥寺のカフェで働く山田さんと、とあるきっかけで話すようになり、徐々に親しくなっていった。山田さんは旦那さんがいて、娘もいる。既婚者だ。それでも朝比奈は、山田さんと連絡を取り、時々会った。山田さんに惹かれていく自分に気づき、どんどんと苦しくなっていった。ある日山田さんから突然連絡があり…。
というような話です。
「百瀬、こっちを向いて。」もよかったですけど、こちらも良い作品です。一般的な恋愛小説って基本的に読まないので分かりませんが、本書のような素直な恋愛小説っていうのは、なかなかお目にかかれないんじゃないかな、という気がします。たぶん想像ですが、こうい素直な恋愛小説を書くには力量が必要なんだと思います。お腹が鳴っちゃうとか交換日記が連続するみたいな変な設定もあるけど、基本的にどの話も、設定やストーリーの展開に奇を衒ったところはないんです。割とどれも、日常的な設定の中で、日常的な描写と共に物語が進んでいく、という印象があります。そういう意味では、かなりトリッキーな設定ばかりだった「百瀬、こっちを向いて。」とは対称的な作品かもしれません。
そういう、設定や展開に奇抜さがない物語というのは、きちんと読ませるには相当力量が問われるんだと思うんですね。トリッキーな設定にすれば、そこからいかようにでも物語は転がしやすいだろうけど、本書はそういう奇抜さは極力抑えられている。そのシンプルな設定の中で読ませる物語を生み出すというのは、なかなか素晴らしいなと思いました。
僕が特に好きだなと思った話は、「三角形はこわさないでおく」と「吉祥寺の朝比奈くん」ですね。この二つは見事だと思いました。
「三角形はこわさないでおく」は、タイトルから想像出来る通り、三角関係の話です。物語はどこにでもあるような高校で、白鳥がちょっとイケメン過ぎることを除けばどこにでもあるような人間関係の中で描かれていくんだけど、これは素敵です。特に、小山内さんの描かれ方が素敵ですね。僕の好きなタイプの女性です。鷲津の行動原理も僕には凄くよくわかった。同じ状況に置かれたら、きっと同じ風に行動してしまうだろうと思う。そのもどかしさみたいなものが絶妙だなと思いました。ちょっとした謎みたいなものも仕込まれていて、凄くいい。ラストのセリフは痺れますね。
「吉祥寺の朝比奈くん」は、なんとなく自分の経験と照らし合わせつつ、いいなーと思っていました。こっちも、物語的にちょっとした仕掛けがあるのだけど、それがなかったとしても僕の中では好きな作品だったでしょう。朝比奈と山田さん、そしてそこに山田さんの娘である遠野も加わった三人の関係が凄く好きで、なんか羨ましくなりました。ラストに至る物語の展開が、朝比奈と山田さんの関係を一瞬にして変えてしまって、その流れも凄くいいなと思います。しかし、山田さんと出会うシーンはちょっと無茶苦茶ですけどね(笑)
「うるさいおなか」も好きな話でした。この話は、恋愛の要素がどうとかいうよりも、ハラナリストである高山の苦労と、そんな高山に付きまとう春日井の執念みたいなものが面白いと思いました。しかし、ハラナリストなんていう人種が本当にそんなにたくさんいるのかどうかは知らないけど、特に女性だったら大変だろうなぁ、と思いました。
「ラクガキにいたる冒険」は、ブログに内容紹介を書くためにペラペラめくってたら、冒頭の章のナンバーが5になってて、なるほど冒頭の話がラストシーンだったのか!とそこで気づきました。これも悪くないですね。これも、恋愛がどうこうというよりも、ラクガキ事件に関わる物語とラストに至る展開がなかなかいいなと思いました。
冒頭の「交換日記はじめました!」は、もう少しうまく出来なかったかなぁ、という感じはしました。すべてを交換日記の文面だけで構成するというのはやっぱりハードルが高かったんだろうけど、ちょっとイマイチかな、という感じがしました。
相変わらず中田永一の作品は、恋愛に対して臆病というか、自分とは基本的に関わりのないものだ、みたいなスタンスを取る登場人物が多い印象があって、それが普通の恋愛小説にない面白さを醸し出しているな、という感じがします。一般的な恋愛小説はあまり読みませんが、イメージとしてはやっぱり、人生の中に恋愛というものが重要な位置を占めている、的な人たちの物語であることが多いような印象があって、あんまり好きになれないのだけど、だからこそなのか、本書のような物語は凄くいいなと思えます。
じんわりと来るいい作品だと思います。是非読んでみて下さい。
中田永一「吉祥寺の朝比奈くん」
本書は、「百瀬、こっちを向いて。」でデビューした中田永一の、恋愛小説第二弾です。5つの短編が収録された短編集です。
「交換日記はじめました!」
交換日記のやり取りだけで物語が進んでいく話。初めは学校で、圭太と和泉遥が交換日記をしている。しかしその二人の交換日記に、次第に関係のない人がどんどんと文章を書くことになっていく。点々とあちこちをさまようノート…。
「ラクガキをめぐる冒険」
大学生の桜井千春は、春休みに実家に帰省し押入れを漁っている時、昔使っていたマッキーを見つけ、高校時代の同級生・遠山真之介のことを思い出した。彼に連絡を取ろうと思ったのだけど、登録した時に番号を間違って入力したのか、違う人が出た。それから色んな人に話を聞き、ようやく遠山くんの居場所を知ることが出来た。
5年前、クラスメイトだった森アキラの机にラクガキがされるという事件があった。最も、今でもクラスメートが記憶しているのは、その後に起こったラクガキ事件のことなのだけども…。
「三角形はこわさないでおく」
鷲津廉太郎は、体育の授業のバスケットを通じて、学年中の誰とも仲良くしない孤高の美男子・白鳥ツトムと仲良くなった。周囲の女子は廉太郎を、ツトムの親友、としてだけ扱い、それ以外には興味がないようだった。
ツトムは女子に騒がれることに興味がないらしく、母子家庭のため放課後はさっさと家に帰り夕食を作るのだ。廉太郎とは授業をサボって屋上に行ったりと、なんだかんだで一緒にいた。
そのツトムの様子がある時からおかしくなった。どうやら風邪のようなもの、事故のようなものに出遭ってしまった、というのだが…。
「うるさいおなか」
高山は、常日頃からお腹が鳴ってしまう、いわゆるハラナリストである女の子だ。授業中も特大な音を響かせてしまうし、だから図書館みたいな静かなところには絶対に行けない。ハラナリストとして、本当に苦労しながら日々生活をしているのだ。
そんなある日、同じクラスの春日井君が話しかけてきた。彼は異常に耳がいいらしく、もしかしたら周りには聞こえていないかもと思っていた高山のお腹の音は、全部丸聞こえだったらい…。
「吉祥寺の朝比奈くん」
朝比奈は、吉祥寺のカフェで働く山田さんと、とあるきっかけで話すようになり、徐々に親しくなっていった。山田さんは旦那さんがいて、娘もいる。既婚者だ。それでも朝比奈は、山田さんと連絡を取り、時々会った。山田さんに惹かれていく自分に気づき、どんどんと苦しくなっていった。ある日山田さんから突然連絡があり…。
というような話です。
「百瀬、こっちを向いて。」もよかったですけど、こちらも良い作品です。一般的な恋愛小説って基本的に読まないので分かりませんが、本書のような素直な恋愛小説っていうのは、なかなかお目にかかれないんじゃないかな、という気がします。たぶん想像ですが、こうい素直な恋愛小説を書くには力量が必要なんだと思います。お腹が鳴っちゃうとか交換日記が連続するみたいな変な設定もあるけど、基本的にどの話も、設定やストーリーの展開に奇を衒ったところはないんです。割とどれも、日常的な設定の中で、日常的な描写と共に物語が進んでいく、という印象があります。そういう意味では、かなりトリッキーな設定ばかりだった「百瀬、こっちを向いて。」とは対称的な作品かもしれません。
そういう、設定や展開に奇抜さがない物語というのは、きちんと読ませるには相当力量が問われるんだと思うんですね。トリッキーな設定にすれば、そこからいかようにでも物語は転がしやすいだろうけど、本書はそういう奇抜さは極力抑えられている。そのシンプルな設定の中で読ませる物語を生み出すというのは、なかなか素晴らしいなと思いました。
僕が特に好きだなと思った話は、「三角形はこわさないでおく」と「吉祥寺の朝比奈くん」ですね。この二つは見事だと思いました。
「三角形はこわさないでおく」は、タイトルから想像出来る通り、三角関係の話です。物語はどこにでもあるような高校で、白鳥がちょっとイケメン過ぎることを除けばどこにでもあるような人間関係の中で描かれていくんだけど、これは素敵です。特に、小山内さんの描かれ方が素敵ですね。僕の好きなタイプの女性です。鷲津の行動原理も僕には凄くよくわかった。同じ状況に置かれたら、きっと同じ風に行動してしまうだろうと思う。そのもどかしさみたいなものが絶妙だなと思いました。ちょっとした謎みたいなものも仕込まれていて、凄くいい。ラストのセリフは痺れますね。
「吉祥寺の朝比奈くん」は、なんとなく自分の経験と照らし合わせつつ、いいなーと思っていました。こっちも、物語的にちょっとした仕掛けがあるのだけど、それがなかったとしても僕の中では好きな作品だったでしょう。朝比奈と山田さん、そしてそこに山田さんの娘である遠野も加わった三人の関係が凄く好きで、なんか羨ましくなりました。ラストに至る物語の展開が、朝比奈と山田さんの関係を一瞬にして変えてしまって、その流れも凄くいいなと思います。しかし、山田さんと出会うシーンはちょっと無茶苦茶ですけどね(笑)
「うるさいおなか」も好きな話でした。この話は、恋愛の要素がどうとかいうよりも、ハラナリストである高山の苦労と、そんな高山に付きまとう春日井の執念みたいなものが面白いと思いました。しかし、ハラナリストなんていう人種が本当にそんなにたくさんいるのかどうかは知らないけど、特に女性だったら大変だろうなぁ、と思いました。
「ラクガキにいたる冒険」は、ブログに内容紹介を書くためにペラペラめくってたら、冒頭の章のナンバーが5になってて、なるほど冒頭の話がラストシーンだったのか!とそこで気づきました。これも悪くないですね。これも、恋愛がどうこうというよりも、ラクガキ事件に関わる物語とラストに至る展開がなかなかいいなと思いました。
冒頭の「交換日記はじめました!」は、もう少しうまく出来なかったかなぁ、という感じはしました。すべてを交換日記の文面だけで構成するというのはやっぱりハードルが高かったんだろうけど、ちょっとイマイチかな、という感じがしました。
相変わらず中田永一の作品は、恋愛に対して臆病というか、自分とは基本的に関わりのないものだ、みたいなスタンスを取る登場人物が多い印象があって、それが普通の恋愛小説にない面白さを醸し出しているな、という感じがします。一般的な恋愛小説はあまり読みませんが、イメージとしてはやっぱり、人生の中に恋愛というものが重要な位置を占めている、的な人たちの物語であることが多いような印象があって、あんまり好きになれないのだけど、だからこそなのか、本書のような物語は凄くいいなと思えます。
じんわりと来るいい作品だと思います。是非読んでみて下さい。
中田永一「吉祥寺の朝比奈くん」
スローカーブを、もう一球(山際淳司)
内容に入ろうと思います。
本書は、日本ノンフィクション賞も受賞したことのある。山際淳司の評価の高いスポーツノンフィクション集です。ちゃんとは憶えてないけど、スポーツノンフィクションって実はちゃんと読むのは初めてなんじゃないかと思ったりするんで、ちょっと新鮮でした。
「八月のカクテル光線」
甲子園。延長16回までもつれこんだ白熱した試合。その最中、たった一つの落球がすべてを変えてしまう…。強豪校に粘り強くしがみついたとある一線を描く。
「江夏の21球」
日本シリーズ第七戦。この試合で日本一が決まる、という試合。近鉄バッテリーと対する広島カープの江夏の、9回裏に投げた「21球」を描く。
「たった一人のオリンピック」
進学校から東大への進学に失敗、東海大に進学した若者は、突如、オリンピックに出よう、と思いつく。その思いつきに導かれるまま、ひとり乗りのボート競技に明け暮れる毎日を送るが…。
「背番号94」
強豪校でもなんでもない高校に、長嶋監督がやってきて、一人の少年がジャイアンツへとスカウトされた。その少年は今、ジャイアンツのバッティング・ピッチャーをやっている…。
「ザ・シティ・ボクサー」
一人のボクサーが、入場曲の盛り上がりに合わせてリングへと登場してきた。リーゼントもばっちり決めている。スマートなボクシングを目指す一人の若者を描く。
「ジムナジウムのスーパーマン」
トヨタの車の営業というサラリーマンでありながら、スカッシュで国内無敗を誇る男。車の販売でも、きっちりと成績を残している。仕事だけでは充足されない人生を、スカッシュにぶつけている。
「スローカーブを、もう一球」
野球経験のほぼない監督のもと、熱血に野球道を邁進する気のないエースが、スローカーブを武器に快進撃を続け、ついには甲子園の切符まで手にしてしまう物語。
「ポール・ヴォルター」
著者がたまたま目にした棒高跳び。そこで目にしたとある選手。彼は小さな体で、自らの限界を目指して飛んでいた…。
というような感じです。
全体的な評価としては、野球に関するものはかなり面白かったけど、それ以外はちょっとなぁ、という感じでした。
僕は基本スポーツには全然興味がなくて、野球さえルールは知ってるぐらいでほとんど見ることもないんだけど、でもやっぱり、他のスポーツとは親近感が違った、という感じなのかもしれないな、と思いました。他は、ひとり乗りボートとかボクシングとかスカッシュとか棒高跳びとか、やっぱ日常的に馴染みのないものが多い。もちろん、そういうところで活躍している人たちにスポットを当てて描き出すというのは素晴らしいことだと思うんだけど、どうもイマイチ興味が持てない、という部分がありました。ひとり乗りボートの話は、唐突にオリンピックに出ようと決めてから、結局あーだった、というまでの流れはなかなか面白いと思いましたけどね。ボクシングとスカッシュと棒高跳びは、ちょっとうーんという感じだったでしょうか。
野球の話は、バッティング・ピッチャーの話がほどほどで、残り三つがかなり面白かった、という感じでしょうか。
バッティング・ピッチャーの話は、普段目にすることもないし、そういう人がいるんだろうなとは思ってたけどよく知らなかった人のことを知ることが出来た、という点がなかなか面白かったです。
他の三つ、「八月のカクテル光線」「江夏の21球」「スローカーブを、もう一球」はかなり素晴らしいと思いました。この著者の描写で、色んな人間の視点をかなりスイッチして複層的に描く、というのがあるんだけど、野球の場合関わってる人間の多さから、それがうまく使えるんだろうと思います。今こうやって書いてて思いつきましたけど、さっき書いたひとり乗りボートとか棒高跳びの話があんまり面白くないと感じたのは、それがたった一人にフューチャーした話だったから、なのかもしれません。この著者の描き方では、野球のような大人数が関わる出来事を多視点で複層的に描き出す方がぴったりくるような気がします。
「八月のカクテル光線」は、延長16回までもつれこんだある接戦を、時系列も視点もさまざまに切り替えて描き出している。面白いです。たった一つの落球が試合を左右することになった。でもそれだけじゃない。様々な人間がそれぞれの場面でどんな思惑を抱えていたのか、どう動いたのか、その後どうなったのかなど、短い話なのにかなり濃密で良いなと思いました。
「江夏の21球」も秀逸でした。まず江夏の心理状態の描写がいい。僕は特別江夏という選手に詳しくはないけど、きっともう野球人生の晩年の頃の話なんでしょう。誰もがどうにもならないと感じたピンチを、21球で凌いでしまう。しかもその内の一球が、その時のバッターを未だに困惑させている。ありえない、と。江夏が何を考え21球を投げたのか。その軌跡が素晴らしいと思います。
「スローカーブを、もう一球」は、甲子園なんかに一度も行ったことのない、監督も野球経験がほぼないような、練習だってスパルタっていうわけでもなく高校生らしくのびのびやろう、なんて言っているとある高校が、あれよあれよという間に甲子園への切符を掴みとってしまうまでを描いている作品です。監督が何を考えてベンチに座ってるのか、という話も面白いし、エースがいかにして練習をサボったのかという話もいい。甲子園の話なのに、まったく甲子園らしくなくて、僕の凄く好きな感じの話です。エースは、飄々としているようで、実は結構考えている。野球はスピードではなくて、コントロールと駆け引きさえものにすれば、高校野球のレベルだったら通用してしまう、と考えている。そしてそれを実行して、甲子園への切符を勝ち取るのだ。全体にただよう緩さ、そうまるでスローカーブのような緩さが、僕は凄く好きです。
まあそんなわけで、全体的に凄くいいかと聞かれるとちょっと微妙だけど、「八月のカクテル光線」「江夏の21球」「スローカーブを、もう一球」は素晴らしいと思います。多視点で様々な人間の描写をうまく捌いていく手腕が巧いなと感じました。スポーツのさほど興味のない人でも読めると思います。読んでみてください。
山際淳司「スローカーブを、もう一球」
本書は、日本ノンフィクション賞も受賞したことのある。山際淳司の評価の高いスポーツノンフィクション集です。ちゃんとは憶えてないけど、スポーツノンフィクションって実はちゃんと読むのは初めてなんじゃないかと思ったりするんで、ちょっと新鮮でした。
「八月のカクテル光線」
甲子園。延長16回までもつれこんだ白熱した試合。その最中、たった一つの落球がすべてを変えてしまう…。強豪校に粘り強くしがみついたとある一線を描く。
「江夏の21球」
日本シリーズ第七戦。この試合で日本一が決まる、という試合。近鉄バッテリーと対する広島カープの江夏の、9回裏に投げた「21球」を描く。
「たった一人のオリンピック」
進学校から東大への進学に失敗、東海大に進学した若者は、突如、オリンピックに出よう、と思いつく。その思いつきに導かれるまま、ひとり乗りのボート競技に明け暮れる毎日を送るが…。
「背番号94」
強豪校でもなんでもない高校に、長嶋監督がやってきて、一人の少年がジャイアンツへとスカウトされた。その少年は今、ジャイアンツのバッティング・ピッチャーをやっている…。
「ザ・シティ・ボクサー」
一人のボクサーが、入場曲の盛り上がりに合わせてリングへと登場してきた。リーゼントもばっちり決めている。スマートなボクシングを目指す一人の若者を描く。
「ジムナジウムのスーパーマン」
トヨタの車の営業というサラリーマンでありながら、スカッシュで国内無敗を誇る男。車の販売でも、きっちりと成績を残している。仕事だけでは充足されない人生を、スカッシュにぶつけている。
「スローカーブを、もう一球」
野球経験のほぼない監督のもと、熱血に野球道を邁進する気のないエースが、スローカーブを武器に快進撃を続け、ついには甲子園の切符まで手にしてしまう物語。
「ポール・ヴォルター」
著者がたまたま目にした棒高跳び。そこで目にしたとある選手。彼は小さな体で、自らの限界を目指して飛んでいた…。
というような感じです。
全体的な評価としては、野球に関するものはかなり面白かったけど、それ以外はちょっとなぁ、という感じでした。
僕は基本スポーツには全然興味がなくて、野球さえルールは知ってるぐらいでほとんど見ることもないんだけど、でもやっぱり、他のスポーツとは親近感が違った、という感じなのかもしれないな、と思いました。他は、ひとり乗りボートとかボクシングとかスカッシュとか棒高跳びとか、やっぱ日常的に馴染みのないものが多い。もちろん、そういうところで活躍している人たちにスポットを当てて描き出すというのは素晴らしいことだと思うんだけど、どうもイマイチ興味が持てない、という部分がありました。ひとり乗りボートの話は、唐突にオリンピックに出ようと決めてから、結局あーだった、というまでの流れはなかなか面白いと思いましたけどね。ボクシングとスカッシュと棒高跳びは、ちょっとうーんという感じだったでしょうか。
野球の話は、バッティング・ピッチャーの話がほどほどで、残り三つがかなり面白かった、という感じでしょうか。
バッティング・ピッチャーの話は、普段目にすることもないし、そういう人がいるんだろうなとは思ってたけどよく知らなかった人のことを知ることが出来た、という点がなかなか面白かったです。
他の三つ、「八月のカクテル光線」「江夏の21球」「スローカーブを、もう一球」はかなり素晴らしいと思いました。この著者の描写で、色んな人間の視点をかなりスイッチして複層的に描く、というのがあるんだけど、野球の場合関わってる人間の多さから、それがうまく使えるんだろうと思います。今こうやって書いてて思いつきましたけど、さっき書いたひとり乗りボートとか棒高跳びの話があんまり面白くないと感じたのは、それがたった一人にフューチャーした話だったから、なのかもしれません。この著者の描き方では、野球のような大人数が関わる出来事を多視点で複層的に描き出す方がぴったりくるような気がします。
「八月のカクテル光線」は、延長16回までもつれこんだある接戦を、時系列も視点もさまざまに切り替えて描き出している。面白いです。たった一つの落球が試合を左右することになった。でもそれだけじゃない。様々な人間がそれぞれの場面でどんな思惑を抱えていたのか、どう動いたのか、その後どうなったのかなど、短い話なのにかなり濃密で良いなと思いました。
「江夏の21球」も秀逸でした。まず江夏の心理状態の描写がいい。僕は特別江夏という選手に詳しくはないけど、きっともう野球人生の晩年の頃の話なんでしょう。誰もがどうにもならないと感じたピンチを、21球で凌いでしまう。しかもその内の一球が、その時のバッターを未だに困惑させている。ありえない、と。江夏が何を考え21球を投げたのか。その軌跡が素晴らしいと思います。
「スローカーブを、もう一球」は、甲子園なんかに一度も行ったことのない、監督も野球経験がほぼないような、練習だってスパルタっていうわけでもなく高校生らしくのびのびやろう、なんて言っているとある高校が、あれよあれよという間に甲子園への切符を掴みとってしまうまでを描いている作品です。監督が何を考えてベンチに座ってるのか、という話も面白いし、エースがいかにして練習をサボったのかという話もいい。甲子園の話なのに、まったく甲子園らしくなくて、僕の凄く好きな感じの話です。エースは、飄々としているようで、実は結構考えている。野球はスピードではなくて、コントロールと駆け引きさえものにすれば、高校野球のレベルだったら通用してしまう、と考えている。そしてそれを実行して、甲子園への切符を勝ち取るのだ。全体にただよう緩さ、そうまるでスローカーブのような緩さが、僕は凄く好きです。
まあそんなわけで、全体的に凄くいいかと聞かれるとちょっと微妙だけど、「八月のカクテル光線」「江夏の21球」「スローカーブを、もう一球」は素晴らしいと思います。多視点で様々な人間の描写をうまく捌いていく手腕が巧いなと感じました。スポーツのさほど興味のない人でも読めると思います。読んでみてください。
山際淳司「スローカーブを、もう一球」
月と蟹(道尾秀介)
内容に入ろうと思います。
本書は道尾秀介の最新作です。海辺の町で、二人の小学生が織り成す、哀しい物語。
転校生だった慎一は、学校ではうまく周りと馴染めないでいた。慎一が引っ込み思案だったということもあるのかもしれないけど、他にも理由があった。そのクラスでは、どうしても慎一は忌み嫌われる運命にあったのだ。
そんな慎一が話せるのは二人しかいなかった。一人は、クラスでも人気のある女子、鳴海。他のクラスメートが話しかけて来ないのに、鳴海だけはちょくちょく声を掛けてくれる。
もう一人が、同じく転校生だった春也だ。二人は、放課後も一緒になって時間を過ごした。川にブラックホールと呼んでいるペットボトルを使った仕掛けを沈めたり、二人だけの遊び場でヤドカリを火で炙って殻から出したりして遊んでいた。
慎一には父親がいなかったし、春也は、ちゃんとは口には出さないけど、両親から虐待めいた扱いを受けているようだ。
二人は学校でも居場所がないし、毎日が何だか灰色みたなものだった。遣り切れなかった。遣り場のない哀しみをどうにかしたかった。誰が悪いわけじゃないけど、それでも、どうして自分たちだけこうでなければならないのか、納得できないでいた。
二人はある時、山の上の方に秘密の場所を見つけた。初めはそこにあった岩のくぼみに、潮だまりを作って、ヤドカリとかを飼おう、それだけのことだった。新しい遊びを一つ見つけた。それだけのことだった。
しかしやがて彼らはそこで、ヤドカミ様という『神様』を生み出してしまうことになる…。
というような話です。
凄い作品でした。相変わらず道尾秀介は素晴らしい作品を書きます。本当に、筆力というか文章力というか、そういう部分がどんどんと増していっているな、という感じがします。
ストーリー自体は、単純と言えば単純で、いくつかの単純な要素を組み合わせて出来上がっています。慎一が抱える様々なモヤモヤ、春也が引き受けている絶望、鳴海が秘めている感情。そうした小学生たちの、小学生らしい(と言っていいのかは分からないけど)悩みを描いていて、ストーリー単体だけ取り出してみれば特にどうということのない話だと思います。
でも何が凄いかというと、やっぱり彼らの描写でしょうね。とにかく、彼らが陥っている状況、鬱屈した感情、どうにもならなさみたいなものを、本当に見事に文章で表現しているんですね。ここが本当に凄いと思う。子供ではあるけど、大人以上に既に周りのことについて色々と分かってしまう年頃であるけども、しかし子供であるから何も出来ないし、気づいていないフリをしなくてはいけない。分かっていても声に出せないことが自分の中にどんどんと溜まっていき、分かりたくもないのに分かってしまうことが自分らしさを奪い、それでも分からないことがまだまだたくさんあるのだろうという不快感に襲われたりする彼らの、それぞれの感情の瞬間みたいなものを綺麗に描きとっていく。明確な言葉で表現しすぎない、読者にきちんと想像の余地を残した文章が、余計に感情の広がりみたいなものを感じさせ、グッと来る。その、圧倒的などうにもしようのなさみたいなものが、胸にグッと突き刺さってくる。
そんな彼らが、ヤドカミ様という神様を生み出していく過程は素晴らしいなと思った。これは、鬱屈を抱える者同士だから、相手の気持ちを痛いほど推し量れる者どうしだからこそ成り立った、奇跡のような『神様』なんだと思う。ヤドカミ様というのがなんなのかを知ると、そんなヤドカミ様を生み出さずにはいられなかった彼らの気持ちが一層強く感じられて辛くなる。
慎一・春也・鳴海という三人の微細な人間関係の描写も実にうまい。ほんの僅かな出来事が、彼らの関係性をめまぐるしく変えていく。水が一滴垂れた、ぐらいのほんの些細な出来事から、何だか物凄く大きな影響を生み出し、そんな些細な出来事からも関係性がどんどんと変わっていってしまう過程は、常に相手がどう思っているかを推し量らずには生きていけなかった彼らの残酷な生き様をまじまじと見せられているようで苦しくなります。
前に「光媒の花」を読んだ時にも思ったけど、本書でも、実に狭い世界での善悪という価値観が描かれていく。世間一般の価値観ではなく、慎一・春也・鳴海という三人の間の狭い世界での善悪が描かれる。道尾秀介はホントにこういう、狭い世界の中での価値観を描くのがうまいと思う。本書でも、主人公が小学生である、という点が、うまい設定になっているのだろうと思う。大人になると、必然的に一般的な価値観がどうなのかということを常に参照しながら生きていくことになるけど、小学生ぐらいだとまだ、世間一般の価値観よりも、自分たちの創りだした狭い世界の中での価値観の方が優位にある。だからこそ、どんどんとその価値観の中で深みにはまっていってしまう。大人の場合だったら、同じ物語の展開でも、どこかで自制が働いてしまうだろう。彼らが小学生だからこそ、自制が働くことなく、深いところまで行ってしまう。そういう、狭い世界の中での価値観が優位にある少年たちの描写が凄くうまいなと思ったし、狭い世界の中での価値観がどれほど彼らを縛り硬直させていくのか、という描写も凄くうまいと思った。
というわけで、もう少し色々書きたいところではあるのだけど、今日はちょっとあまりにも時間がなさすぎるのでこれぐらいにします。とにかく凄いとしかいいようのない圧巻の物語です。昔は、トリックやストーリーの展開で魅せていた作家だったと思いますけど、今ではもう完全に描写力は文章力といった部分で圧倒的な力を持つ作家になったなという感じがします。凄い作品です。是非読んでみてください。
『どうしてぜんぶ、うまくいかないのだろう。』
道尾秀介「月と蟹」
本書は道尾秀介の最新作です。海辺の町で、二人の小学生が織り成す、哀しい物語。
転校生だった慎一は、学校ではうまく周りと馴染めないでいた。慎一が引っ込み思案だったということもあるのかもしれないけど、他にも理由があった。そのクラスでは、どうしても慎一は忌み嫌われる運命にあったのだ。
そんな慎一が話せるのは二人しかいなかった。一人は、クラスでも人気のある女子、鳴海。他のクラスメートが話しかけて来ないのに、鳴海だけはちょくちょく声を掛けてくれる。
もう一人が、同じく転校生だった春也だ。二人は、放課後も一緒になって時間を過ごした。川にブラックホールと呼んでいるペットボトルを使った仕掛けを沈めたり、二人だけの遊び場でヤドカリを火で炙って殻から出したりして遊んでいた。
慎一には父親がいなかったし、春也は、ちゃんとは口には出さないけど、両親から虐待めいた扱いを受けているようだ。
二人は学校でも居場所がないし、毎日が何だか灰色みたなものだった。遣り切れなかった。遣り場のない哀しみをどうにかしたかった。誰が悪いわけじゃないけど、それでも、どうして自分たちだけこうでなければならないのか、納得できないでいた。
二人はある時、山の上の方に秘密の場所を見つけた。初めはそこにあった岩のくぼみに、潮だまりを作って、ヤドカリとかを飼おう、それだけのことだった。新しい遊びを一つ見つけた。それだけのことだった。
しかしやがて彼らはそこで、ヤドカミ様という『神様』を生み出してしまうことになる…。
というような話です。
凄い作品でした。相変わらず道尾秀介は素晴らしい作品を書きます。本当に、筆力というか文章力というか、そういう部分がどんどんと増していっているな、という感じがします。
ストーリー自体は、単純と言えば単純で、いくつかの単純な要素を組み合わせて出来上がっています。慎一が抱える様々なモヤモヤ、春也が引き受けている絶望、鳴海が秘めている感情。そうした小学生たちの、小学生らしい(と言っていいのかは分からないけど)悩みを描いていて、ストーリー単体だけ取り出してみれば特にどうということのない話だと思います。
でも何が凄いかというと、やっぱり彼らの描写でしょうね。とにかく、彼らが陥っている状況、鬱屈した感情、どうにもならなさみたいなものを、本当に見事に文章で表現しているんですね。ここが本当に凄いと思う。子供ではあるけど、大人以上に既に周りのことについて色々と分かってしまう年頃であるけども、しかし子供であるから何も出来ないし、気づいていないフリをしなくてはいけない。分かっていても声に出せないことが自分の中にどんどんと溜まっていき、分かりたくもないのに分かってしまうことが自分らしさを奪い、それでも分からないことがまだまだたくさんあるのだろうという不快感に襲われたりする彼らの、それぞれの感情の瞬間みたいなものを綺麗に描きとっていく。明確な言葉で表現しすぎない、読者にきちんと想像の余地を残した文章が、余計に感情の広がりみたいなものを感じさせ、グッと来る。その、圧倒的などうにもしようのなさみたいなものが、胸にグッと突き刺さってくる。
そんな彼らが、ヤドカミ様という神様を生み出していく過程は素晴らしいなと思った。これは、鬱屈を抱える者同士だから、相手の気持ちを痛いほど推し量れる者どうしだからこそ成り立った、奇跡のような『神様』なんだと思う。ヤドカミ様というのがなんなのかを知ると、そんなヤドカミ様を生み出さずにはいられなかった彼らの気持ちが一層強く感じられて辛くなる。
慎一・春也・鳴海という三人の微細な人間関係の描写も実にうまい。ほんの僅かな出来事が、彼らの関係性をめまぐるしく変えていく。水が一滴垂れた、ぐらいのほんの些細な出来事から、何だか物凄く大きな影響を生み出し、そんな些細な出来事からも関係性がどんどんと変わっていってしまう過程は、常に相手がどう思っているかを推し量らずには生きていけなかった彼らの残酷な生き様をまじまじと見せられているようで苦しくなります。
前に「光媒の花」を読んだ時にも思ったけど、本書でも、実に狭い世界での善悪という価値観が描かれていく。世間一般の価値観ではなく、慎一・春也・鳴海という三人の間の狭い世界での善悪が描かれる。道尾秀介はホントにこういう、狭い世界の中での価値観を描くのがうまいと思う。本書でも、主人公が小学生である、という点が、うまい設定になっているのだろうと思う。大人になると、必然的に一般的な価値観がどうなのかということを常に参照しながら生きていくことになるけど、小学生ぐらいだとまだ、世間一般の価値観よりも、自分たちの創りだした狭い世界の中での価値観の方が優位にある。だからこそ、どんどんとその価値観の中で深みにはまっていってしまう。大人の場合だったら、同じ物語の展開でも、どこかで自制が働いてしまうだろう。彼らが小学生だからこそ、自制が働くことなく、深いところまで行ってしまう。そういう、狭い世界の中での価値観が優位にある少年たちの描写が凄くうまいなと思ったし、狭い世界の中での価値観がどれほど彼らを縛り硬直させていくのか、という描写も凄くうまいと思った。
というわけで、もう少し色々書きたいところではあるのだけど、今日はちょっとあまりにも時間がなさすぎるのでこれぐらいにします。とにかく凄いとしかいいようのない圧巻の物語です。昔は、トリックやストーリーの展開で魅せていた作家だったと思いますけど、今ではもう完全に描写力は文章力といった部分で圧倒的な力を持つ作家になったなという感じがします。凄い作品です。是非読んでみてください。
『どうしてぜんぶ、うまくいかないのだろう。』
道尾秀介「月と蟹」
戸村飯店青春100連発(瀬尾まいこ)
内容に入ろうと思います。
主人公となるのは、大阪の下町にある『戸村飯店』という定食屋の息子、兄ヘイスケと、弟コウスケだ。
ヘイスケは高校を卒業し、これから東京の小説の専門学校に通い小説を書く、という。しかしコウスケは、そんなのは真っ赤な嘘だ、と思っている。兄貴はとにかく、家を継ぎたくないだけなのだ。小さい頃親父から包丁を持たされた時は、わざと不器用なフリをして指を切ってたし、店を手伝うのも基本的にはコウスケだけだ。小説なんて書くわけがなし、とにかくどこでもいいから実家を出ていきたいだけなのだ。
一方、高校三年になったコウスケは、この高校三年という時間を全力で楽しもう、と考えている。誰にも言ったことはないけど、コウスケの中ではすでに、戸村飯店を継ぐという既定路線がある。高校を卒業したら、アホな兄貴の代わりに実家を継ぐのだ。それがいいかどうかというのはあまり考えたことがない。もうずっとそういうもんだと思っているのだ。
一方東京に出てきたヘイスケは、一ヶ月で専門学校を辞めた。元々そうするつもりだった。家を出られさえすれば何でもよかったわけで、適当に決めたカフェでアルバイトをしながら、年上の彼女と付き合い、時々弟の面倒を見ながら、東京で生活をしていた。
しかし、どうしてそうなったのか、二人の人生は少しずつ、当人たちの思いもよらない方向に進んでいき…。
というような話です。
なかなか面白い小説でした。さすが瀬尾まいこ、という感じですね。
本書を一言で言い表すなら、
『遠くに離れてみるから分かること』
という感じでしょうか。
兄ヘイスケは実家から離れてみて、そして弟コウスケの方は、ちょっと後半の方の話になってしまうんで具体的には書かないけど、あることから離れることで人生が動き出していきます。二人共が、もうこうするしかない、と思い込んでいたところから脱却していくという感じの話で、しかもその過程で兄と弟の人生が結構うまいこと絡んでいくんで、うまい構成だなぁ、と思いました。
僕は、兄ヘイスケの方に結構似てるんですね。僕も昔から実家が嫌で嫌で、物凄く居心地の悪い空間だったんです。だからとにかく、どうにかしてでも東京の大学に出て実家を出てやろう、と。しかも、自分が居心地の悪さを感じているということを家族には出来うる限り悟られないようにしてたんで、余計大変でした。
だから、兄ヘイスケが感じていた居心地の悪さっていうのは、まあちょっと質は違うとはいえ、結構分かったりします。家族だからって気が合うわけじゃない、みたいな文章が確かどこかにあったと思うんですけど、まさにその通りだよなぁ、と思います。
だから逆に、弟コウスケみたいな生き方がちょっと羨ましいですね。どこにでも順応できて、あれこれ悩まず、とりあえずやってみるかという感じで行動するっていうのは、まあ僕にはまず無理なんで、羨ましいです。戸村飯店を手伝ってる時も客あしらいがうまいし、実家を継ぐ気のない長男を見てふて腐れるわけでもなく実家を継ぐことを普通に決断してたり、すげーもんだなと思いますね。僕にも弟がいるんですけど、実際僕が弟に感じるのと似てるところはあります。弟もコウスケと近い部分があって、しかももう結婚して子供もいたりするからなぁ。ちゃんとしてるよ、ホントとか思います。
兄ヘイスケの東京での生活と、弟コウスケの大阪での生活が交互に描かれるという構成で、時々コウスケが東京に行ったりするわけなんだけど、思ったのが、東京と大阪って、ホントにこんなに違うのかなぁ、っていうこと。いや、違うんだろうけどさ、どうしても、ホントかなぁ、って思ってしまう。
まあ、戸村飯店があるところは、大阪の中でも結構コテコテな土地らしいから、大阪全体がそうってわけでもないんだろうけど、この作品を読んで、大阪人ってすげーな、とか思っちゃいました。
著者が大阪出身だっていうのもあるんだろうけど、大阪を舞台にした場面での会話の面白さは素晴らしいですね。大阪の人って、ホントにいつもこんな会話をしてるんだろうか。僕には大阪の人の知識がないんで、『本書は誇張されすぎている』のか、『こんなん全然大人しい』のか、あるいは『大阪人を的確に表現出来ている』のかすら判断できないけど、やっぱ面白い土地なんだなぁ、と思いました。
だから、兄ヘイスケが東京に出てきて色々と感じる違和感みたいなものも、結構面白く読めるんですね。兄ヘイスケも、大阪と東京は全然違うみたいなことをテレビで言ってて「ホントかよ?」と思ってた人間なんだけど、やっぱり結構違うんだな、と驚く場面がいくつかあります。兄ヘイスケは、コテコテの大阪のノリにはついていけなかった、どちらかというとあまり大阪人っぽくないキャラ設定なのだけど、そんな人間でも東京で結構な違和感を覚えるということは、やっぱ相当違うんでしょうね。
兄ヘイスケと恋人であるアリさんとのちょっとズレたやり取りとか、弟コウスケが恋心を抱いている同級生岡野とのあーだこーだとか、なんとなくちょっとズレてる兄弟たちの恋愛模様なんかもなかなか面白くて、物語自体はなんてことない感じなのに、グイグイ読まされました。
とにかく、キャラクターと会話が素晴らしい物語だなと思います。大阪については特に知識のない僕にも、何だか物凄く大阪っぽい作品だなぁ、と思わせる雰囲気があって、そのノリに結構圧倒されます。あと、表紙の手抜き加減(褒めてます 笑)も好きですね。いいなー、この、ダンボールに適当に書いたみたいな絵。是非読んでみてください。
瀬尾まいこ「戸村飯店青春100連発」
主人公となるのは、大阪の下町にある『戸村飯店』という定食屋の息子、兄ヘイスケと、弟コウスケだ。
ヘイスケは高校を卒業し、これから東京の小説の専門学校に通い小説を書く、という。しかしコウスケは、そんなのは真っ赤な嘘だ、と思っている。兄貴はとにかく、家を継ぎたくないだけなのだ。小さい頃親父から包丁を持たされた時は、わざと不器用なフリをして指を切ってたし、店を手伝うのも基本的にはコウスケだけだ。小説なんて書くわけがなし、とにかくどこでもいいから実家を出ていきたいだけなのだ。
一方、高校三年になったコウスケは、この高校三年という時間を全力で楽しもう、と考えている。誰にも言ったことはないけど、コウスケの中ではすでに、戸村飯店を継ぐという既定路線がある。高校を卒業したら、アホな兄貴の代わりに実家を継ぐのだ。それがいいかどうかというのはあまり考えたことがない。もうずっとそういうもんだと思っているのだ。
一方東京に出てきたヘイスケは、一ヶ月で専門学校を辞めた。元々そうするつもりだった。家を出られさえすれば何でもよかったわけで、適当に決めたカフェでアルバイトをしながら、年上の彼女と付き合い、時々弟の面倒を見ながら、東京で生活をしていた。
しかし、どうしてそうなったのか、二人の人生は少しずつ、当人たちの思いもよらない方向に進んでいき…。
というような話です。
なかなか面白い小説でした。さすが瀬尾まいこ、という感じですね。
本書を一言で言い表すなら、
『遠くに離れてみるから分かること』
という感じでしょうか。
兄ヘイスケは実家から離れてみて、そして弟コウスケの方は、ちょっと後半の方の話になってしまうんで具体的には書かないけど、あることから離れることで人生が動き出していきます。二人共が、もうこうするしかない、と思い込んでいたところから脱却していくという感じの話で、しかもその過程で兄と弟の人生が結構うまいこと絡んでいくんで、うまい構成だなぁ、と思いました。
僕は、兄ヘイスケの方に結構似てるんですね。僕も昔から実家が嫌で嫌で、物凄く居心地の悪い空間だったんです。だからとにかく、どうにかしてでも東京の大学に出て実家を出てやろう、と。しかも、自分が居心地の悪さを感じているということを家族には出来うる限り悟られないようにしてたんで、余計大変でした。
だから、兄ヘイスケが感じていた居心地の悪さっていうのは、まあちょっと質は違うとはいえ、結構分かったりします。家族だからって気が合うわけじゃない、みたいな文章が確かどこかにあったと思うんですけど、まさにその通りだよなぁ、と思います。
だから逆に、弟コウスケみたいな生き方がちょっと羨ましいですね。どこにでも順応できて、あれこれ悩まず、とりあえずやってみるかという感じで行動するっていうのは、まあ僕にはまず無理なんで、羨ましいです。戸村飯店を手伝ってる時も客あしらいがうまいし、実家を継ぐ気のない長男を見てふて腐れるわけでもなく実家を継ぐことを普通に決断してたり、すげーもんだなと思いますね。僕にも弟がいるんですけど、実際僕が弟に感じるのと似てるところはあります。弟もコウスケと近い部分があって、しかももう結婚して子供もいたりするからなぁ。ちゃんとしてるよ、ホントとか思います。
兄ヘイスケの東京での生活と、弟コウスケの大阪での生活が交互に描かれるという構成で、時々コウスケが東京に行ったりするわけなんだけど、思ったのが、東京と大阪って、ホントにこんなに違うのかなぁ、っていうこと。いや、違うんだろうけどさ、どうしても、ホントかなぁ、って思ってしまう。
まあ、戸村飯店があるところは、大阪の中でも結構コテコテな土地らしいから、大阪全体がそうってわけでもないんだろうけど、この作品を読んで、大阪人ってすげーな、とか思っちゃいました。
著者が大阪出身だっていうのもあるんだろうけど、大阪を舞台にした場面での会話の面白さは素晴らしいですね。大阪の人って、ホントにいつもこんな会話をしてるんだろうか。僕には大阪の人の知識がないんで、『本書は誇張されすぎている』のか、『こんなん全然大人しい』のか、あるいは『大阪人を的確に表現出来ている』のかすら判断できないけど、やっぱ面白い土地なんだなぁ、と思いました。
だから、兄ヘイスケが東京に出てきて色々と感じる違和感みたいなものも、結構面白く読めるんですね。兄ヘイスケも、大阪と東京は全然違うみたいなことをテレビで言ってて「ホントかよ?」と思ってた人間なんだけど、やっぱり結構違うんだな、と驚く場面がいくつかあります。兄ヘイスケは、コテコテの大阪のノリにはついていけなかった、どちらかというとあまり大阪人っぽくないキャラ設定なのだけど、そんな人間でも東京で結構な違和感を覚えるということは、やっぱ相当違うんでしょうね。
兄ヘイスケと恋人であるアリさんとのちょっとズレたやり取りとか、弟コウスケが恋心を抱いている同級生岡野とのあーだこーだとか、なんとなくちょっとズレてる兄弟たちの恋愛模様なんかもなかなか面白くて、物語自体はなんてことない感じなのに、グイグイ読まされました。
とにかく、キャラクターと会話が素晴らしい物語だなと思います。大阪については特に知識のない僕にも、何だか物凄く大阪っぽい作品だなぁ、と思わせる雰囲気があって、そのノリに結構圧倒されます。あと、表紙の手抜き加減(褒めてます 笑)も好きですね。いいなー、この、ダンボールに適当に書いたみたいな絵。是非読んでみてください。
瀬尾まいこ「戸村飯店青春100連発」
ドキュメント宇宙飛行士選抜試験(大鐘良一+小原健右)
内容に入ろうと思います。
本書は、2008年に10年ぶりに行われた、日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)による5回目の宇宙飛行士選抜試験を、長い長い交渉の末初めて取材に成功したNHKのドキュメンタリー番組の書籍化です。
NHKのディレクターである著者は、JAXAが10年ぶりに宇宙飛行士を募集するということを知り、すぐさま取材の交渉に入った。しかし、JAXAは独自取材の難しい組織として有名だった。それは、巻末のあとがきに書かれたあるエピソードを読んでもわかる。NHKによるこのドキュメンタリーが放送された直後、JAXAに苦情が殺到したそうだ。それは、マスコミや記者たちからのもので、どこが取材をしても得られる情報に変わりはない、というのが共通認識だったのだ(とはいえ、「試験の密着取材ができると教えてくれれば、うちの社も申し出た」なんていう苦情を入れるのはおかしいな、と思いました。NHKだってもんの凄い長い交渉の末、JAXAの英断により取材が出来たわけで、「教えてくれれば」なんていうのはちょっと違うだろうな、と)。
しかし著者らは諦めなかった。宇宙に行くことに誰も驚かなくなった時代だからこそ、選抜試験に人生を賭ける若者の姿を世に訴える必要がある、と力説したのだ。億単位の税金をかけて宇宙に言った宇宙飛行士たちが、寿司を握ったり書き初めをしたりと遊んでいる映像ばかり見せられては、宇宙開発の重要さを伝えきることは難しいだろう、という思いが彼らにはあった。
長い長い交渉の末、NASAの取材許可まで取り付けた彼らは(NASAによる宇宙飛行士の選抜試験の公開も、50年以上の歴史の中で初だそうです)、書類選考の段階から密着し、落選はしたけど注目すべき応募者の取材をするなどし、そして最終的に、二次審査にまで進んだ10名の最終候補者たちの壮絶な選抜試験を目の当たりにする。
10名に残ったのは、自衛隊員・パイロット・女医・国際的な研究者・ベンチャー企業のサラリーマンなど多種多様だ。
実は宇宙飛行士というのは、平たく言うならJAXAの社員でしかない。給与も、30万ちょっとと、死と隣り合わせの仕事にしては破格の安さだ。当然、今の職を辞すことになるのだから、給与水準が大幅に下がるという人もいる。それでも彼らは、宇宙飛行士を目指すのだ。
10名は2週間の長期休暇をもらい、内1週間はJAXAで、残りの一週間はNASAでの試験となる。
JAXAでは、閉鎖環境適応訓練設備と呼ばれる、国際宇宙ステーションを模した環境に1週間置かれる。1週間外には出られず、外界との接触はマイクから聞こえる声のみ。その中で、15分刻みという過酷なスケジュールの中、数々の難しい課題をこなさなくてはならない、という試験だ。
課題は多岐に渡り、この閉鎖環境適応訓練設備での意見は本書のメインとなる一つである。最後の10名に残ったツワモノでも、閉鎖環境内で多大なストレスにさらされると、いつもの実力を発揮できないという状況に苦戦することになる。
その後NASAに行き、長年宇宙飛行士を養成してきたNASA独自の選抜を受ける。とはいえNASAの選抜で大きな比重を占めているのが、面接だ。技量などより、面接によって推し量れる部分を重視しているようだ。
そうして、最終的に宇宙飛行士が決定されるまでの流れを、それぞれの最終候補者たちの履歴なんかにも触れながら描いていく作品です。
これは面白かったなぁ。素晴らしいノンフィクションだなと思いました。
とにかく宇宙飛行士への道が、最強の就活と呼ばれるのが分かる気がします。とにかく、求められる能力がハンパない。しかもその能力というのは、天才的な頭脳や超人的な運動神経ではないのだ。『宇宙という逃げ場のない特殊な環境にも耐えうる強い精神力』『国籍を超えて、誰からも慕われ信頼される人としての魅力』こういった、これまで人生を通じて培ってきた『人間力』が試される場なのだ。
宇宙飛行士の選抜の特殊さは、最終的に選ばれた宇宙飛行士の顔ぶれを見れば理解できる。具体的には触れないけど、一人意外な人物が宇宙飛行士として選抜されているのだ。100点はなくてもいい、でも50点があってはいけない、すべてにおいて60点以上を取るということがいかに難しいことなのか、というのがよく分かります。
僕なんか、そもそも就活をしたことない人間で、想像しただけで就活が嫌すぎて逃げた人間なんだけど、そんな人間からすると、彼らが与えられている課題は凄なという気がしますね。僕も、一つぐらいだったら悪くない評価を取れる課題はあるかもしれません。でも、すべてにおいて少なくとも平金以上の評価を取らなくてはいけないというのがどれほど難しいことなのか、凄いものだなと思いました。
そう考えると、これまでの宇宙飛行士選抜試験は非公開だったとはいえ、みな同じような試験をくぐり抜けているんだろうから、宇宙飛行士ってほんとに凄い人ばっかりなんだろうなと思って感心しました。
一方で、NASAの選抜試験において、相当面接に比重が置かれているというのも、JAXAとは対称的で面白かったです。しかしその面接は並の面接じゃないんですね。とにかく、深く深く掘り下げられる。NASAはとにかく、候補者たちの『生き様』を理解したいと思っているようだ。これまでの様々な経験から、そこさえきちんと掴めれば、ちゃんとした宇宙飛行士の選抜は出来るという結論に至ったようである。日本とアメリカでは、宇宙飛行士に求められることに違いがあるとはいえ、そういう試験の日米における差みたいなものも面白いなと思いました。
本書では、候補者それぞれの人生や家族にもスポットを当てているのだけど、その中で一番面白いなと思ったのが、若くして機長になった白壁の妻・礼子さんの話。収入や死亡率の高さ、アメリカに移住しなくてはいけない、自宅も手放さなくてはいけないなど考えると、今の生活の方がいいのでは?と取材クルーに質問された礼子さんは、こんな風に答えます。
『夫は常に、お客様を乗せて飛行しています。1つ間違えれば、人様を巻き添えにしてしまう可能性がいつもあり、大きな責任を背負わなければなりません。しかし宇宙飛行士であれば、夫の命だけを心配すれば済むので、今よりも気が楽になるかもしれません』
この答えはなかなか凄いな、と思いました。もちろん、本心かどうかという部分はなかなか判断できませんけど、少なくともそういう答えをきちんと明示出来るというのは凄いな、と。夫が、より死亡率の高い職につくことを、人様を巻き込まなくてもいいから多少気が楽になるかも、と答えられるのは、やっぱり夫婦の絆なのかなぁ、なんて考えちゃいました。
そんなわけで、これは面白いノンフィクションだな、と思いました。本当は、そのNHKのドキュメンタリーを見たかったですね。本でも十分面白いですけども。宇宙とか特に興味のない人でも、現代社会は常に『選び選ばれる』ことにさらされています。そんな社会の中で生きるヒントみたいなものが隠されているのではないか、と思います。是非読んでみてください。
大鐘良一+小原健右「ドキュメント宇宙飛行士選抜試験」
本書は、2008年に10年ぶりに行われた、日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)による5回目の宇宙飛行士選抜試験を、長い長い交渉の末初めて取材に成功したNHKのドキュメンタリー番組の書籍化です。
NHKのディレクターである著者は、JAXAが10年ぶりに宇宙飛行士を募集するということを知り、すぐさま取材の交渉に入った。しかし、JAXAは独自取材の難しい組織として有名だった。それは、巻末のあとがきに書かれたあるエピソードを読んでもわかる。NHKによるこのドキュメンタリーが放送された直後、JAXAに苦情が殺到したそうだ。それは、マスコミや記者たちからのもので、どこが取材をしても得られる情報に変わりはない、というのが共通認識だったのだ(とはいえ、「試験の密着取材ができると教えてくれれば、うちの社も申し出た」なんていう苦情を入れるのはおかしいな、と思いました。NHKだってもんの凄い長い交渉の末、JAXAの英断により取材が出来たわけで、「教えてくれれば」なんていうのはちょっと違うだろうな、と)。
しかし著者らは諦めなかった。宇宙に行くことに誰も驚かなくなった時代だからこそ、選抜試験に人生を賭ける若者の姿を世に訴える必要がある、と力説したのだ。億単位の税金をかけて宇宙に言った宇宙飛行士たちが、寿司を握ったり書き初めをしたりと遊んでいる映像ばかり見せられては、宇宙開発の重要さを伝えきることは難しいだろう、という思いが彼らにはあった。
長い長い交渉の末、NASAの取材許可まで取り付けた彼らは(NASAによる宇宙飛行士の選抜試験の公開も、50年以上の歴史の中で初だそうです)、書類選考の段階から密着し、落選はしたけど注目すべき応募者の取材をするなどし、そして最終的に、二次審査にまで進んだ10名の最終候補者たちの壮絶な選抜試験を目の当たりにする。
10名に残ったのは、自衛隊員・パイロット・女医・国際的な研究者・ベンチャー企業のサラリーマンなど多種多様だ。
実は宇宙飛行士というのは、平たく言うならJAXAの社員でしかない。給与も、30万ちょっとと、死と隣り合わせの仕事にしては破格の安さだ。当然、今の職を辞すことになるのだから、給与水準が大幅に下がるという人もいる。それでも彼らは、宇宙飛行士を目指すのだ。
10名は2週間の長期休暇をもらい、内1週間はJAXAで、残りの一週間はNASAでの試験となる。
JAXAでは、閉鎖環境適応訓練設備と呼ばれる、国際宇宙ステーションを模した環境に1週間置かれる。1週間外には出られず、外界との接触はマイクから聞こえる声のみ。その中で、15分刻みという過酷なスケジュールの中、数々の難しい課題をこなさなくてはならない、という試験だ。
課題は多岐に渡り、この閉鎖環境適応訓練設備での意見は本書のメインとなる一つである。最後の10名に残ったツワモノでも、閉鎖環境内で多大なストレスにさらされると、いつもの実力を発揮できないという状況に苦戦することになる。
その後NASAに行き、長年宇宙飛行士を養成してきたNASA独自の選抜を受ける。とはいえNASAの選抜で大きな比重を占めているのが、面接だ。技量などより、面接によって推し量れる部分を重視しているようだ。
そうして、最終的に宇宙飛行士が決定されるまでの流れを、それぞれの最終候補者たちの履歴なんかにも触れながら描いていく作品です。
これは面白かったなぁ。素晴らしいノンフィクションだなと思いました。
とにかく宇宙飛行士への道が、最強の就活と呼ばれるのが分かる気がします。とにかく、求められる能力がハンパない。しかもその能力というのは、天才的な頭脳や超人的な運動神経ではないのだ。『宇宙という逃げ場のない特殊な環境にも耐えうる強い精神力』『国籍を超えて、誰からも慕われ信頼される人としての魅力』こういった、これまで人生を通じて培ってきた『人間力』が試される場なのだ。
宇宙飛行士の選抜の特殊さは、最終的に選ばれた宇宙飛行士の顔ぶれを見れば理解できる。具体的には触れないけど、一人意外な人物が宇宙飛行士として選抜されているのだ。100点はなくてもいい、でも50点があってはいけない、すべてにおいて60点以上を取るということがいかに難しいことなのか、というのがよく分かります。
僕なんか、そもそも就活をしたことない人間で、想像しただけで就活が嫌すぎて逃げた人間なんだけど、そんな人間からすると、彼らが与えられている課題は凄なという気がしますね。僕も、一つぐらいだったら悪くない評価を取れる課題はあるかもしれません。でも、すべてにおいて少なくとも平金以上の評価を取らなくてはいけないというのがどれほど難しいことなのか、凄いものだなと思いました。
そう考えると、これまでの宇宙飛行士選抜試験は非公開だったとはいえ、みな同じような試験をくぐり抜けているんだろうから、宇宙飛行士ってほんとに凄い人ばっかりなんだろうなと思って感心しました。
一方で、NASAの選抜試験において、相当面接に比重が置かれているというのも、JAXAとは対称的で面白かったです。しかしその面接は並の面接じゃないんですね。とにかく、深く深く掘り下げられる。NASAはとにかく、候補者たちの『生き様』を理解したいと思っているようだ。これまでの様々な経験から、そこさえきちんと掴めれば、ちゃんとした宇宙飛行士の選抜は出来るという結論に至ったようである。日本とアメリカでは、宇宙飛行士に求められることに違いがあるとはいえ、そういう試験の日米における差みたいなものも面白いなと思いました。
本書では、候補者それぞれの人生や家族にもスポットを当てているのだけど、その中で一番面白いなと思ったのが、若くして機長になった白壁の妻・礼子さんの話。収入や死亡率の高さ、アメリカに移住しなくてはいけない、自宅も手放さなくてはいけないなど考えると、今の生活の方がいいのでは?と取材クルーに質問された礼子さんは、こんな風に答えます。
『夫は常に、お客様を乗せて飛行しています。1つ間違えれば、人様を巻き添えにしてしまう可能性がいつもあり、大きな責任を背負わなければなりません。しかし宇宙飛行士であれば、夫の命だけを心配すれば済むので、今よりも気が楽になるかもしれません』
この答えはなかなか凄いな、と思いました。もちろん、本心かどうかという部分はなかなか判断できませんけど、少なくともそういう答えをきちんと明示出来るというのは凄いな、と。夫が、より死亡率の高い職につくことを、人様を巻き込まなくてもいいから多少気が楽になるかも、と答えられるのは、やっぱり夫婦の絆なのかなぁ、なんて考えちゃいました。
そんなわけで、これは面白いノンフィクションだな、と思いました。本当は、そのNHKのドキュメンタリーを見たかったですね。本でも十分面白いですけども。宇宙とか特に興味のない人でも、現代社会は常に『選び選ばれる』ことにさらされています。そんな社会の中で生きるヒントみたいなものが隠されているのではないか、と思います。是非読んでみてください。
大鐘良一+小原健右「ドキュメント宇宙飛行士選抜試験」
謎解きはディナーのあとで(東川篤哉)
内容に入ろうと思います。
本書は6編の短編が収録された連作短編集です。大財閥のお嬢様である宝生麗子は国立署の刑事であり、国立市で起こる殺人事件などの捜査を行っている。その麗子の執事である影山という男が、安楽椅子探偵となって、麗子から話を聞くだけで事件を解決してしまう、というミステリです。国立署には、麗子ほどではないけど大企業の御曹司である風祭警部なんてのも出てきて、なんとなくこち亀の中川と麗子を彷彿とさせます。
「殺人現場では靴をお脱ぎください」
室内で、何故かブーツを履いたまま殺害されていた女性。大家さんが帰宅する被害者女性とすれ違ったとか、隣家が逃げる犯人のものではないかと思われる足音を聞いたりするも、捜査はなかなか進展しない。風祭警部と麗子は、ブーツを履いた被害者はどこか別の場所で殺されて部屋に運び込まれたのだと推測するのだが…。
「殺しのワインはいかがでしょう」
動物病院の院長が毒入りのワインを飲んで死亡していた。被害者の家族は皆、自殺ではないかと考えているようだ。あらかじめワインに毒を入れるにせよ、グラスに毒を付着させておくにせよ、どちらも被害者に不審を抱かせずにワインを飲ませるのは難しいだろう、という点がネックなのだが…。
「綺麗な薔薇には殺意がございます」
金持ちの庭園内にあるバラ園に、女性の死体が放置されていた。その女性は、家族の反対を押し切ってその家の息子が結婚しようとして離れに住まわせていた女性だ。どうやら被害者女性は、どこか別の場所で殺されたようなのだが、問題は何故バラ園に死体を放置したのかという点…。
「花嫁は密室の中でございます」
友人の結婚式に出席する麗子。とはいえ式場で行うのではなく、セレブの間で流行っている自宅婚。友人も金持ちの令嬢なのだ。しかしその式中、花嫁が何者かに刺されてしまう。犯人は密室だった部屋からいかに脱出したのか…。
「二股にはお気をつけください」
部屋で全裸死体となって発見された男性。様々な証言から、犯人らしき女性の身長と、その男性が四股をかけていた女性たちの存在が明らかになるのだけど、しかしその身長が大きな問題に…。
「死者からの伝言をどうぞ」
ダイイングメッセージを遺して死亡していた女社長。しかしそのダイイングメッセージは消されてしまい読むことが出来ない。一方、凶器であるトロフィーが何故か二階の窓から室内に投げ込まれていた。風祭警部はこれを、犯行時刻を確定させるためのアリバイトリックだと睨むのだが…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。ミステリとしての完成度はほどほどだと思うんですけど、麗子と影山の掛け合いや、麗子と風祭警部の掛け合いがなかんかあ面白いんで、キャラクターの力で結構読ませてしまう作品だなと思います。
ホントに、ミステリの部分は、「名探偵コナン」みたいな感じです。あらかじめ、ある程度容疑者が絞られている。動機は結構軽い感じで、みんなあっさり人を殺しちゃう。細かな描写を追っていくと、犯人が自ずから一人に絞られる、という感じ。「名探偵コナン」が好きな僕としては悪くないですけど、でもやっぱり、小説でやるにはちょっと軽すぎるかなぁ、という感じもなきにしもあらず。とはいえ、この東川篤哉という作家が、そういう軽めのミステリを、キャラクターや文章のユーモアで味付けするというタイプの作家なので、まあこれはこれでアリかな、という感じはします。
話として巧いと思ったのは、冒頭の「殺人現場では靴をお脱ぎください」と、最後の「死者からの伝言をどうぞ」かな。「靴」は、物の見方を変えることで真相を導き出す過程がなかなか見事。先入観の隙をつくタイプの作品です。「伝言」は、なかなか色んな要素が組み合わさった事件で、ラストの展開もなかなか面白かったな、という感じがします。
やっぱり本書の魅力は、その登場人物たちでしょう。メインとなって描かれるのは、刑事であり大財閥のお嬢様・麗子、麗子の執事である影山、刑事であり大企業の御曹司である風祭警部ですが、この三者が本当にいい掛け合いをしてくれるんですね。
麗子は、警察内では自分が令嬢であることは隠している。高いスーツもマルイのバーゲンで買ったということにしてるなど、努力して令嬢っぽさを出さないようにしてる。だからこそ風祭警部との掛け合いがより面白くなるんだけど、それはまた後で。
影山は、普段は麗子に尽くす若い執事なんだけど、事件の話になると途端に失礼になる。事件の謎が解けず、影山に事件のあらましを説明した麗子に対し、「失礼ながら、お嬢様の目は節穴でございますか?」なんて、丁寧に暴言を吐いたりするのだ。しかし麗子としても、影山の特殊な能力のお陰で事件が解決できるという面があるので、無下には出来ない。その微妙なやり取りがなかなか面白いんだよなぁ。
風祭警部は麗子とは違って、自身が大企業の御曹司であることを微塵も隠そうとしない。だから、事あるごとに些細な(というのは麗子から見た場合、一般的には結構な)自慢をするのだけど、隠してるけど麗子は風祭警部とは比べ物にならないほどの大財閥の令嬢なわけで(風祭の親の会社を明日にでも買収して自身のグループに吸収できるぐらいの格の違いがある)、麗子からすれば失笑ものなのだけど、でも麗子は自身が令嬢であることを隠しているので表立っては何も言えない、というなかなか絶妙な関係性があるんですね。しかもこの風祭警部は、なんというかちょっとアホで、思ったことを何でも口に出してしまう。誰もが分かりきっていることを、さも自分しかわかってないだろうという体で発言したりするので、麗子としてもさらに苦笑するしかない、のだ。そんな自身の扱われ方を風祭警部はまるで認識していない、という点も実に面白い。
そんなわけで、なかなか面白いキャラクター小説に仕上がっていると思います。正直、ミステリ部分はさほど期待せずに、キャラクター小説のおまけ程度に考える方がより楽しめるんじゃないか、と思います。いや、ミステリの部分が悪いっていう意味じゃないんですけど、ミステリ作品として期待して読むとちょっと違うなぁ、という感じになるかなぁ、と思ったので。是非読んで三人の特異なキャラを堪能してみてください。
東川篤哉「謎解きはディナーのあとで」
本書は6編の短編が収録された連作短編集です。大財閥のお嬢様である宝生麗子は国立署の刑事であり、国立市で起こる殺人事件などの捜査を行っている。その麗子の執事である影山という男が、安楽椅子探偵となって、麗子から話を聞くだけで事件を解決してしまう、というミステリです。国立署には、麗子ほどではないけど大企業の御曹司である風祭警部なんてのも出てきて、なんとなくこち亀の中川と麗子を彷彿とさせます。
「殺人現場では靴をお脱ぎください」
室内で、何故かブーツを履いたまま殺害されていた女性。大家さんが帰宅する被害者女性とすれ違ったとか、隣家が逃げる犯人のものではないかと思われる足音を聞いたりするも、捜査はなかなか進展しない。風祭警部と麗子は、ブーツを履いた被害者はどこか別の場所で殺されて部屋に運び込まれたのだと推測するのだが…。
「殺しのワインはいかがでしょう」
動物病院の院長が毒入りのワインを飲んで死亡していた。被害者の家族は皆、自殺ではないかと考えているようだ。あらかじめワインに毒を入れるにせよ、グラスに毒を付着させておくにせよ、どちらも被害者に不審を抱かせずにワインを飲ませるのは難しいだろう、という点がネックなのだが…。
「綺麗な薔薇には殺意がございます」
金持ちの庭園内にあるバラ園に、女性の死体が放置されていた。その女性は、家族の反対を押し切ってその家の息子が結婚しようとして離れに住まわせていた女性だ。どうやら被害者女性は、どこか別の場所で殺されたようなのだが、問題は何故バラ園に死体を放置したのかという点…。
「花嫁は密室の中でございます」
友人の結婚式に出席する麗子。とはいえ式場で行うのではなく、セレブの間で流行っている自宅婚。友人も金持ちの令嬢なのだ。しかしその式中、花嫁が何者かに刺されてしまう。犯人は密室だった部屋からいかに脱出したのか…。
「二股にはお気をつけください」
部屋で全裸死体となって発見された男性。様々な証言から、犯人らしき女性の身長と、その男性が四股をかけていた女性たちの存在が明らかになるのだけど、しかしその身長が大きな問題に…。
「死者からの伝言をどうぞ」
ダイイングメッセージを遺して死亡していた女社長。しかしそのダイイングメッセージは消されてしまい読むことが出来ない。一方、凶器であるトロフィーが何故か二階の窓から室内に投げ込まれていた。風祭警部はこれを、犯行時刻を確定させるためのアリバイトリックだと睨むのだが…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。ミステリとしての完成度はほどほどだと思うんですけど、麗子と影山の掛け合いや、麗子と風祭警部の掛け合いがなかんかあ面白いんで、キャラクターの力で結構読ませてしまう作品だなと思います。
ホントに、ミステリの部分は、「名探偵コナン」みたいな感じです。あらかじめ、ある程度容疑者が絞られている。動機は結構軽い感じで、みんなあっさり人を殺しちゃう。細かな描写を追っていくと、犯人が自ずから一人に絞られる、という感じ。「名探偵コナン」が好きな僕としては悪くないですけど、でもやっぱり、小説でやるにはちょっと軽すぎるかなぁ、という感じもなきにしもあらず。とはいえ、この東川篤哉という作家が、そういう軽めのミステリを、キャラクターや文章のユーモアで味付けするというタイプの作家なので、まあこれはこれでアリかな、という感じはします。
話として巧いと思ったのは、冒頭の「殺人現場では靴をお脱ぎください」と、最後の「死者からの伝言をどうぞ」かな。「靴」は、物の見方を変えることで真相を導き出す過程がなかなか見事。先入観の隙をつくタイプの作品です。「伝言」は、なかなか色んな要素が組み合わさった事件で、ラストの展開もなかなか面白かったな、という感じがします。
やっぱり本書の魅力は、その登場人物たちでしょう。メインとなって描かれるのは、刑事であり大財閥のお嬢様・麗子、麗子の執事である影山、刑事であり大企業の御曹司である風祭警部ですが、この三者が本当にいい掛け合いをしてくれるんですね。
麗子は、警察内では自分が令嬢であることは隠している。高いスーツもマルイのバーゲンで買ったということにしてるなど、努力して令嬢っぽさを出さないようにしてる。だからこそ風祭警部との掛け合いがより面白くなるんだけど、それはまた後で。
影山は、普段は麗子に尽くす若い執事なんだけど、事件の話になると途端に失礼になる。事件の謎が解けず、影山に事件のあらましを説明した麗子に対し、「失礼ながら、お嬢様の目は節穴でございますか?」なんて、丁寧に暴言を吐いたりするのだ。しかし麗子としても、影山の特殊な能力のお陰で事件が解決できるという面があるので、無下には出来ない。その微妙なやり取りがなかなか面白いんだよなぁ。
風祭警部は麗子とは違って、自身が大企業の御曹司であることを微塵も隠そうとしない。だから、事あるごとに些細な(というのは麗子から見た場合、一般的には結構な)自慢をするのだけど、隠してるけど麗子は風祭警部とは比べ物にならないほどの大財閥の令嬢なわけで(風祭の親の会社を明日にでも買収して自身のグループに吸収できるぐらいの格の違いがある)、麗子からすれば失笑ものなのだけど、でも麗子は自身が令嬢であることを隠しているので表立っては何も言えない、というなかなか絶妙な関係性があるんですね。しかもこの風祭警部は、なんというかちょっとアホで、思ったことを何でも口に出してしまう。誰もが分かりきっていることを、さも自分しかわかってないだろうという体で発言したりするので、麗子としてもさらに苦笑するしかない、のだ。そんな自身の扱われ方を風祭警部はまるで認識していない、という点も実に面白い。
そんなわけで、なかなか面白いキャラクター小説に仕上がっていると思います。正直、ミステリ部分はさほど期待せずに、キャラクター小説のおまけ程度に考える方がより楽しめるんじゃないか、と思います。いや、ミステリの部分が悪いっていう意味じゃないんですけど、ミステリ作品として期待して読むとちょっと違うなぁ、という感じになるかなぁ、と思ったので。是非読んで三人の特異なキャラを堪能してみてください。
東川篤哉「謎解きはディナーのあとで」
復讐するは我にあり 改訂新版(佐木隆三)
内容に入ろうと思います。
本書は、昭和38年に実際に起こった事件を元にして書かれたノンフィクション・ノベルで、直木賞受賞作でもあります。以下内容に入りますが、基本的に本書で描かれる事実関係は、実際の事件の事実関係と同じのようですので、小説の内容であるのか実際の事件の描写であるのかを区別せずに色々書いていこうと思います。
福岡で殺人事件を起こし、78日間に渡って全国を股に掛け逃亡した稀代の知能犯は、榎津巌という男です。
彼は、奥さんを置いて勝手に出奔し、別の女性と同棲を始め、行橋市で生活の基盤を築いていたのだけど、ある時強盗殺人をやらかす。全国に指名手配されることになった榎津だったが、全国あちこちで詐欺や殺人を繰り返しながら、警察の捜査をかいくぐって逃亡を続ける。大学教授や弁護士を騙って詐欺を繰り返し逃亡資金を稼ぎ、一方で殺人まで犯す榎津は、凶悪犯として警察で初の全国一斉捜査を行うほどの扱いになる。やがて、思いも掛けないところから見つかり逮捕され、死刑に処されるまでを、小説仕立てにしてまとめあげた作品です。
文章や構成がちょっと読みにくくて時間掛かりましたけど、なかなか重厚感のある作品だと思いました。読みにくさが結構あったので、絶賛!と言えるほどではないんですけど、実際にあった事件を元に、交わされただろう会話を想像して補い一編の物語に仕上たことは素晴らしいなと思いました。
しかしまあ、なかなか凄い事件です。初めの強盗殺人は、こんな言い方をしては不謹慎だけど割と普通の事件なんだけど、榎津が逃亡中に犯す事件はどれもなかなかに面白い。詐欺が多いんだけど、とにかく口八丁手八丁で、相手をコロリと騙してしまう。裁判なんかで明らかになってる部分もあるにせよ、榎津がどんな風に会話をして詐欺を成功させたのかという部分は、ある程度著者の想像も混じりながらになると思うんだけど、そうだとしても、相手を騙す手腕が凄いなと思いました。大学教授や弁護士を騙るんだけど、ハッタリだけで自分をそういう風に見せていくし、どこで仕入れた知識なのか、それ相応の知識もちゃんと持ってる。よく舌が回るんで、相手に疑う隙を与えずに騙してしまう。逮捕されるきっかけになったある出来事がなければ、そのままいくらでも逃亡生活を続けられそうな気がしました。
逃亡生活中の描写も、突然視点人物が入れ替わったり(僕が勘違いしてるだけかもですけど)、そもそも今誰の描写なのかがパッと分からなかったりと色々読みにくかったんだけど、でも榎津の行動が面白かったんで、結構読ませるんですね。
でもですね、榎津が逃亡するまで、つまり行橋市で事件が起こり警察が捜査を進めていく辺りは、結構読むのが辛かったです。物語上必要な場面だから省略は出来ないけど、どうしても地味な事件なんで描写が面白くならないし、全然話が進展していかないので、読み始めはちょっときつかったです。これから読むという人は、とりあえず榎津が逃亡を開始するくらいまではなんとか頑張って読んでみてください。
僕が一番驚いたのは、最終的に榎津を逮捕するきっかけになったある一家について。この一家の父親が、死刑囚と関わる教誨師なのだけど、この教誨師のことを僕は知ってるんですね。
ちょっと前に、森達也の「死刑」っていうノンフィクションを読んだんだけど、そこにチラッと名前が出てきた人なんです。戦後初の死刑判決が下された「福岡事件」という有名な事件があるのだけど、最終的に主犯の一人が無罪となった。そのきっかけとなったのが、彼らの担当だった教誨師が彼らの訴えを聞いて行動に移したから、ということなのだけど、どうやら本書を読んでると、その教誨師こそ、榎津を逮捕するきっかけとなった一家の長である教誨師のようなんです。面白いなぁ、と思いました。僕がタイミングよく「死刑」って本を読んでなかったら気付かなかったわけで、まあ偶然と言えば偶然ですよね。
まあそんなわけで、凄く良いというわけでもなかったけど、重厚感はあるし、実際にあった事件なんだなと思うと、面白く読めるんじゃないかなと思います。ただ、文章や構成がちょっと読みにくいですね。そこだけなぁちょっと残念かなぁ、という気がします。
佐木隆三「復讐するは我にあり 改訂新版」
本書は、昭和38年に実際に起こった事件を元にして書かれたノンフィクション・ノベルで、直木賞受賞作でもあります。以下内容に入りますが、基本的に本書で描かれる事実関係は、実際の事件の事実関係と同じのようですので、小説の内容であるのか実際の事件の描写であるのかを区別せずに色々書いていこうと思います。
福岡で殺人事件を起こし、78日間に渡って全国を股に掛け逃亡した稀代の知能犯は、榎津巌という男です。
彼は、奥さんを置いて勝手に出奔し、別の女性と同棲を始め、行橋市で生活の基盤を築いていたのだけど、ある時強盗殺人をやらかす。全国に指名手配されることになった榎津だったが、全国あちこちで詐欺や殺人を繰り返しながら、警察の捜査をかいくぐって逃亡を続ける。大学教授や弁護士を騙って詐欺を繰り返し逃亡資金を稼ぎ、一方で殺人まで犯す榎津は、凶悪犯として警察で初の全国一斉捜査を行うほどの扱いになる。やがて、思いも掛けないところから見つかり逮捕され、死刑に処されるまでを、小説仕立てにしてまとめあげた作品です。
文章や構成がちょっと読みにくくて時間掛かりましたけど、なかなか重厚感のある作品だと思いました。読みにくさが結構あったので、絶賛!と言えるほどではないんですけど、実際にあった事件を元に、交わされただろう会話を想像して補い一編の物語に仕上たことは素晴らしいなと思いました。
しかしまあ、なかなか凄い事件です。初めの強盗殺人は、こんな言い方をしては不謹慎だけど割と普通の事件なんだけど、榎津が逃亡中に犯す事件はどれもなかなかに面白い。詐欺が多いんだけど、とにかく口八丁手八丁で、相手をコロリと騙してしまう。裁判なんかで明らかになってる部分もあるにせよ、榎津がどんな風に会話をして詐欺を成功させたのかという部分は、ある程度著者の想像も混じりながらになると思うんだけど、そうだとしても、相手を騙す手腕が凄いなと思いました。大学教授や弁護士を騙るんだけど、ハッタリだけで自分をそういう風に見せていくし、どこで仕入れた知識なのか、それ相応の知識もちゃんと持ってる。よく舌が回るんで、相手に疑う隙を与えずに騙してしまう。逮捕されるきっかけになったある出来事がなければ、そのままいくらでも逃亡生活を続けられそうな気がしました。
逃亡生活中の描写も、突然視点人物が入れ替わったり(僕が勘違いしてるだけかもですけど)、そもそも今誰の描写なのかがパッと分からなかったりと色々読みにくかったんだけど、でも榎津の行動が面白かったんで、結構読ませるんですね。
でもですね、榎津が逃亡するまで、つまり行橋市で事件が起こり警察が捜査を進めていく辺りは、結構読むのが辛かったです。物語上必要な場面だから省略は出来ないけど、どうしても地味な事件なんで描写が面白くならないし、全然話が進展していかないので、読み始めはちょっときつかったです。これから読むという人は、とりあえず榎津が逃亡を開始するくらいまではなんとか頑張って読んでみてください。
僕が一番驚いたのは、最終的に榎津を逮捕するきっかけになったある一家について。この一家の父親が、死刑囚と関わる教誨師なのだけど、この教誨師のことを僕は知ってるんですね。
ちょっと前に、森達也の「死刑」っていうノンフィクションを読んだんだけど、そこにチラッと名前が出てきた人なんです。戦後初の死刑判決が下された「福岡事件」という有名な事件があるのだけど、最終的に主犯の一人が無罪となった。そのきっかけとなったのが、彼らの担当だった教誨師が彼らの訴えを聞いて行動に移したから、ということなのだけど、どうやら本書を読んでると、その教誨師こそ、榎津を逮捕するきっかけとなった一家の長である教誨師のようなんです。面白いなぁ、と思いました。僕がタイミングよく「死刑」って本を読んでなかったら気付かなかったわけで、まあ偶然と言えば偶然ですよね。
まあそんなわけで、凄く良いというわけでもなかったけど、重厚感はあるし、実際にあった事件なんだなと思うと、面白く読めるんじゃないかなと思います。ただ、文章や構成がちょっと読みにくいですね。そこだけなぁちょっと残念かなぁ、という気がします。
佐木隆三「復讐するは我にあり 改訂新版」
われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯(舟越健之輔)
内容に入ろうと思います。
本書は、光永星郎が戦前に立ち上げた通信・広告の会社を、世界企業「電通」に育てあげた広告界の鬼・吉田秀雄の生涯を追った作品です。
吉田は、広告代理店という存在が出来てから、ずっと低い地位に甘んじていた『広告』という存在を、どうにか一般に認知させようと、不断の努力をした男だ。昔広告は、「ユスリ・タカリ」の類だと言われていたこともある。新聞社に頭があがらない時代も長く続いた。しかし、広告業界全体でのルールを制定したり、ラジオ広告への参入や、テレビへの立ち上げ、それまで日本になかった仕組みを積極的にアメリカから輸入してくるなで、とにかく広告界全体のために精力的に動き続けた男の生涯です。
吉田秀雄という男には多少興味が湧きましたけど、本書は、ノンフィクションとしてはちょっと厳しいものがあるな、というのが僕の評価です。正直途中から、結構流し読みみたいな感じで読んでしまいました。
大きな問題点が二つ。一つは、時間軸以外の軸がないこと、そしてもう一つは、分量が多すぎること。
前者について。本書は基本的に、大体出来事が時系列で並べられているんです。それ自体は悪くはないですけど、それ以外の工夫がない。僕は企業モノのノンフィクションとか結構好きで読むんだけど、時系列以外にも、例えば重要な役回りを果たす人であるとか、あるいは社の命運を分けた出来事であるとか、そういう時系列以外の軸も合わせつつ組み立てないと、内容がのっぺりしてしまうと思います。出来事を時系列で並べただけという印象しか持てなかったので、もう少しうまい書き方があったんじゃないかな、と思います。
後者について。とにかく本書は、分量が多すぎると思う。小説にしてもノンフィクションにしても同じだと思ってるんだけど、一番大事なことは、『何を書くか』ではなくて、『何を書かないか、何を削るか』ということだと思います。本書は、それでも余分なエピソードは削ったのかもしれないけど、読んでる分には、このエピソード必要かなぁ、と思うような話が結構多かったです。それでも、全体の構成がうまければ、同じ分量でも読みやすさは変わったのかもしれないのだけど、全体の構成もさほどうまくなかったので、ただ分量が多いだけ、という印象を受けました。正直、2/3ぐらいに削ってもいいんじゃないかなぁ、と思いました。
まあそんなわけで、正直あまりいいノンフィクションとは思えない作品でした。広告業界に興味がある人は読んでて面白いかもだけど、ノンフィクションとして読むにはちょっと厳しいかなぁ、と思います。
舟越健之輔「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」
本書は、光永星郎が戦前に立ち上げた通信・広告の会社を、世界企業「電通」に育てあげた広告界の鬼・吉田秀雄の生涯を追った作品です。
吉田は、広告代理店という存在が出来てから、ずっと低い地位に甘んじていた『広告』という存在を、どうにか一般に認知させようと、不断の努力をした男だ。昔広告は、「ユスリ・タカリ」の類だと言われていたこともある。新聞社に頭があがらない時代も長く続いた。しかし、広告業界全体でのルールを制定したり、ラジオ広告への参入や、テレビへの立ち上げ、それまで日本になかった仕組みを積極的にアメリカから輸入してくるなで、とにかく広告界全体のために精力的に動き続けた男の生涯です。
吉田秀雄という男には多少興味が湧きましたけど、本書は、ノンフィクションとしてはちょっと厳しいものがあるな、というのが僕の評価です。正直途中から、結構流し読みみたいな感じで読んでしまいました。
大きな問題点が二つ。一つは、時間軸以外の軸がないこと、そしてもう一つは、分量が多すぎること。
前者について。本書は基本的に、大体出来事が時系列で並べられているんです。それ自体は悪くはないですけど、それ以外の工夫がない。僕は企業モノのノンフィクションとか結構好きで読むんだけど、時系列以外にも、例えば重要な役回りを果たす人であるとか、あるいは社の命運を分けた出来事であるとか、そういう時系列以外の軸も合わせつつ組み立てないと、内容がのっぺりしてしまうと思います。出来事を時系列で並べただけという印象しか持てなかったので、もう少しうまい書き方があったんじゃないかな、と思います。
後者について。とにかく本書は、分量が多すぎると思う。小説にしてもノンフィクションにしても同じだと思ってるんだけど、一番大事なことは、『何を書くか』ではなくて、『何を書かないか、何を削るか』ということだと思います。本書は、それでも余分なエピソードは削ったのかもしれないけど、読んでる分には、このエピソード必要かなぁ、と思うような話が結構多かったです。それでも、全体の構成がうまければ、同じ分量でも読みやすさは変わったのかもしれないのだけど、全体の構成もさほどうまくなかったので、ただ分量が多いだけ、という印象を受けました。正直、2/3ぐらいに削ってもいいんじゃないかなぁ、と思いました。
まあそんなわけで、正直あまりいいノンフィクションとは思えない作品でした。広告業界に興味がある人は読んでて面白いかもだけど、ノンフィクションとして読むにはちょっと厳しいかなぁ、と思います。
舟越健之輔「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」
やせれば美人(高橋秀実)
内容に入ろと思います。
本書は、一言で言えば「ダイエットをテーマにしたノンフィクション」ということになるんだけど、その説明では零れ落ちてしまう妙な魅力のある作品です。
著者は男性で(名前を見ると、ちょっと女性にも見えますよね)、本書の中心となっているのは、著者の妻です。
本書は、
『妻はデブである』
という文章で始まっている。昔は、痩せていたし、顔も小泉今日子みたいだった。しかし今は、とても太っている。
その妻が、何度か心臓が痛いということで、病院にかかったのだけど、医者に見てもらっても、特に問題はありません、と言われる始末。で、結局、太ってるからだろうね、ということになり、妻は生涯に何度も口にした、「ダイエットするわ。私」という決断をする。
妻がそう決断したのならと、著者である夫も、様々なダイエット本を読み、様々な人に話を聞き、どうやったら妻がダイエットする気になるかどうかと考えるのだが、様々な試みがどうもうまく行く気配がなく、妻は相変わらず太ったままである。
というような内容です。
いやー、これはなんとも変わったノンフィクションだな、と思いました。この人の著作は他にもう一冊読んだことがあるんですけど、そっちも独特の視点から一風変わったノンフィクションに仕上がっていて、脱力的というか、肩の力を抜いているというか、真剣に歩いているのにまるで予想もしていなかったところにたどり着いてしまうような、そんなノンフィクションです。
とにかく、妻のキャラクターがハンパない。
妻は、一度太ってしまってダイエットしないとと思った時、1年で10キロ痩せることに成功した。そのため、また徐々に体重が増えていっても、1年後になれる体重に換算して、自分の体重を判断していたらしい。つまり、60キロになった時は1年後に50キロに戻れる、70キロになった時は1年後に60キロに戻れる、とそう判断して自分の体重を見ていた、だからこそ結果的にどんどん太ってしまった、らしい。
妻は運動が嫌いで、というより汗をかくことが嫌いで、一日中『定位置』に座ってそこからなるべく動かない、という生活をしている。食べることが大好きで、食べる量を制限する、という発想はないし、運動も出来る限りしないで済ませたい。著者が妻に、理想のダイエット法は?と聞くと、「寝て起きたら痩せてたというもの」だそうだ。
これだけなら、ただ妻が「痩せたいと思ってるけど、具体的な行動に移したくないだけ」というだけで終わってしまうのだけど、そうではないところが本書の面白いところだ。
解説でも書かれていたけど、これがもし役割が逆、つまり夫が太っていて妻が夫のダイエットを手助けする、という話であれば、ここまで面白いノンフィクションにはならなかったでしょう。男にとってダイエットというのは、おおむね健康問題です。もちろん、モテたいから、というような理由だってあるだろうけど、にしたってそう話は膨らむものではないだろう。
でも女性のダイエットは違うのだ。健康のためにとか、美しくなりたいからとか、そういう実際的な利点だけを追い求めているわけではなさそうなのだ。その不可思議な本質を、ダイエットをなかなかしたがらない著者の妻に焦点を当てることで浮き彫りにしている。
本書によれば、女性にとってのダイエットというのは、本当に人それぞれの意味を持つ。もう30年以上もダイエットし続けているのに痩せない女性は、著者の目から見れば、ダイエットをし続けるために成功しないことを願っているのではないか、という風にしか見えない。つまり、ダイエットをし続けるということが目的になってしまい、痩せてしまえばダイエットをする必要がないのだから、無意識の内に成功しないようなダイエットをしているのではないか、と。
ある女性は、ダイエットは出会いだ、という。雑誌などのダイエット特集は、夢を見るためにある。そこに書かれていることが正しいかどうかという点はあまり関係ない。これをやったら自分もこんな風になれるかもしれない、という疑似体験をし、夢見ているのだ。だから、そんな女性に夢を見続けさせるために、次々と新しいダイエット法が生まれるのだ、と。
また、ダイエットに成功した細身の女性は、ダイエットに成功したことで何を得られたのかわからない、と語る。ちょっと太ってた頃の方が持ててたし、痩せていいことなんかない、と。
同窓会ダイエット、というのに励む女性もいる。同窓会というのはかなり間隔が開いて行われるわけで、パッと見の印象がかなり長いことついて回ることになる。また、葬式が増えてくると、葬式というのは突然やってくるんだから、同窓会と違って普段から準備しておかなくてはいけない、と考えているようだ。
しかしまあ何よりも、著者の妻の発想が面白い。
カロリーなんてものは科学的根拠が怪しいから食べたいものを食べるとか、女性は160センチを境にして境界が存在するから四捨五入して160センチにはしないでほしいとか、なんとも珍妙な反応をするのだ。
最も凄いなと思ったのがこれ。妻は、デブでいることが欲望の防波堤になっている、と主張するのだ。
どういうことか。例えば自分が痩せたとする。しかし、女性の欲望は深い。痩せられたとしても、次から次へと欲望が際限なく増えていくだけだ。痩せれば痩せるほど、出来ることも増えるわけで、欲望もどんどん増えていく。
つまり、私はデブでいるから他の楽しみが出来ないのだ、と考えることで、他の欲望を抑えている、と主張するのだ。確かに筋は通ってるけど、それはどうなんだろう、と思わなくもない。
あと、何故ダイエット本が雨後の筍のように乱造されるのか、本書を読んでなんとなく分かった気もする。それは、ある女性誌の編集長である女性が語る、
『女性は自分を否定されるのが、最も嫌いなのです』という言葉に集約されていると思う。
これは著者が、どれが有効なダイエット法なのか、失敗から学ぶということをしないのか、という質問をした際の答えです。
つまり女性は、ふとした出会いからあるダイエット法と出会う。それをやっても痩せられなかったとしよう。しかし、自分が既に手を染めてしまったダイエット法が間違っていたという風に考えるのは嫌だ。だから、失敗を振り返らない。また新しいダイエット法をチャレンジしてみる。つまり、女性が新たなダイエット法を求めるからこそ、次から次へと新たなダイエット法が生み出される、ということなのかな、と思いました。
まあともかく、なかなか斬新なノンフィクションだと思いました。結局著者の妻は、痩せてもいないし、捉え方次第ではあると思うけど、ダイエットも始めていません。それでいて、これだけ面白いんだから、凄い本だよな、と思いました。一風変わったノンフィクション、是非読んでみてください。
高橋秀実「やせれば美人」
本書は、一言で言えば「ダイエットをテーマにしたノンフィクション」ということになるんだけど、その説明では零れ落ちてしまう妙な魅力のある作品です。
著者は男性で(名前を見ると、ちょっと女性にも見えますよね)、本書の中心となっているのは、著者の妻です。
本書は、
『妻はデブである』
という文章で始まっている。昔は、痩せていたし、顔も小泉今日子みたいだった。しかし今は、とても太っている。
その妻が、何度か心臓が痛いということで、病院にかかったのだけど、医者に見てもらっても、特に問題はありません、と言われる始末。で、結局、太ってるからだろうね、ということになり、妻は生涯に何度も口にした、「ダイエットするわ。私」という決断をする。
妻がそう決断したのならと、著者である夫も、様々なダイエット本を読み、様々な人に話を聞き、どうやったら妻がダイエットする気になるかどうかと考えるのだが、様々な試みがどうもうまく行く気配がなく、妻は相変わらず太ったままである。
というような内容です。
いやー、これはなんとも変わったノンフィクションだな、と思いました。この人の著作は他にもう一冊読んだことがあるんですけど、そっちも独特の視点から一風変わったノンフィクションに仕上がっていて、脱力的というか、肩の力を抜いているというか、真剣に歩いているのにまるで予想もしていなかったところにたどり着いてしまうような、そんなノンフィクションです。
とにかく、妻のキャラクターがハンパない。
妻は、一度太ってしまってダイエットしないとと思った時、1年で10キロ痩せることに成功した。そのため、また徐々に体重が増えていっても、1年後になれる体重に換算して、自分の体重を判断していたらしい。つまり、60キロになった時は1年後に50キロに戻れる、70キロになった時は1年後に60キロに戻れる、とそう判断して自分の体重を見ていた、だからこそ結果的にどんどん太ってしまった、らしい。
妻は運動が嫌いで、というより汗をかくことが嫌いで、一日中『定位置』に座ってそこからなるべく動かない、という生活をしている。食べることが大好きで、食べる量を制限する、という発想はないし、運動も出来る限りしないで済ませたい。著者が妻に、理想のダイエット法は?と聞くと、「寝て起きたら痩せてたというもの」だそうだ。
これだけなら、ただ妻が「痩せたいと思ってるけど、具体的な行動に移したくないだけ」というだけで終わってしまうのだけど、そうではないところが本書の面白いところだ。
解説でも書かれていたけど、これがもし役割が逆、つまり夫が太っていて妻が夫のダイエットを手助けする、という話であれば、ここまで面白いノンフィクションにはならなかったでしょう。男にとってダイエットというのは、おおむね健康問題です。もちろん、モテたいから、というような理由だってあるだろうけど、にしたってそう話は膨らむものではないだろう。
でも女性のダイエットは違うのだ。健康のためにとか、美しくなりたいからとか、そういう実際的な利点だけを追い求めているわけではなさそうなのだ。その不可思議な本質を、ダイエットをなかなかしたがらない著者の妻に焦点を当てることで浮き彫りにしている。
本書によれば、女性にとってのダイエットというのは、本当に人それぞれの意味を持つ。もう30年以上もダイエットし続けているのに痩せない女性は、著者の目から見れば、ダイエットをし続けるために成功しないことを願っているのではないか、という風にしか見えない。つまり、ダイエットをし続けるということが目的になってしまい、痩せてしまえばダイエットをする必要がないのだから、無意識の内に成功しないようなダイエットをしているのではないか、と。
ある女性は、ダイエットは出会いだ、という。雑誌などのダイエット特集は、夢を見るためにある。そこに書かれていることが正しいかどうかという点はあまり関係ない。これをやったら自分もこんな風になれるかもしれない、という疑似体験をし、夢見ているのだ。だから、そんな女性に夢を見続けさせるために、次々と新しいダイエット法が生まれるのだ、と。
また、ダイエットに成功した細身の女性は、ダイエットに成功したことで何を得られたのかわからない、と語る。ちょっと太ってた頃の方が持ててたし、痩せていいことなんかない、と。
同窓会ダイエット、というのに励む女性もいる。同窓会というのはかなり間隔が開いて行われるわけで、パッと見の印象がかなり長いことついて回ることになる。また、葬式が増えてくると、葬式というのは突然やってくるんだから、同窓会と違って普段から準備しておかなくてはいけない、と考えているようだ。
しかしまあ何よりも、著者の妻の発想が面白い。
カロリーなんてものは科学的根拠が怪しいから食べたいものを食べるとか、女性は160センチを境にして境界が存在するから四捨五入して160センチにはしないでほしいとか、なんとも珍妙な反応をするのだ。
最も凄いなと思ったのがこれ。妻は、デブでいることが欲望の防波堤になっている、と主張するのだ。
どういうことか。例えば自分が痩せたとする。しかし、女性の欲望は深い。痩せられたとしても、次から次へと欲望が際限なく増えていくだけだ。痩せれば痩せるほど、出来ることも増えるわけで、欲望もどんどん増えていく。
つまり、私はデブでいるから他の楽しみが出来ないのだ、と考えることで、他の欲望を抑えている、と主張するのだ。確かに筋は通ってるけど、それはどうなんだろう、と思わなくもない。
あと、何故ダイエット本が雨後の筍のように乱造されるのか、本書を読んでなんとなく分かった気もする。それは、ある女性誌の編集長である女性が語る、
『女性は自分を否定されるのが、最も嫌いなのです』という言葉に集約されていると思う。
これは著者が、どれが有効なダイエット法なのか、失敗から学ぶということをしないのか、という質問をした際の答えです。
つまり女性は、ふとした出会いからあるダイエット法と出会う。それをやっても痩せられなかったとしよう。しかし、自分が既に手を染めてしまったダイエット法が間違っていたという風に考えるのは嫌だ。だから、失敗を振り返らない。また新しいダイエット法をチャレンジしてみる。つまり、女性が新たなダイエット法を求めるからこそ、次から次へと新たなダイエット法が生み出される、ということなのかな、と思いました。
まあともかく、なかなか斬新なノンフィクションだと思いました。結局著者の妻は、痩せてもいないし、捉え方次第ではあると思うけど、ダイエットも始めていません。それでいて、これだけ面白いんだから、凄い本だよな、と思いました。一風変わったノンフィクション、是非読んでみてください。
高橋秀実「やせれば美人」
シュガーな俺(平山瑞穂)
内容に入ろうと思います。
本書は、若くして糖尿病になってしまった主人公を描いた糖尿病小説です。なんと著者自身が、まだ30代の若さで、しかも痩せ型の体型にも関わらず糖尿病と診断されてしまったようで、その経験をふんだんに盛り込んだ小説になっています。著者は現在も会社勤めの傍ら小説を書いているようなんですけど、本書の主人公は、会社勤めの傍ら作家を目指して小説を書いているサラリーマンで、そういう点でもかなり自伝的小説と言えるのではないかな、という感じがします。
片瀬喬一は、しばらく前から自分の体調のおかしさには気づいていた。異様に喉が乾き、排尿回数が増える。そして、元々痩せていたにも関わらず、さらに体重がどんどん減り、目に見えて痩せていった。体も物凄く疲れやすくなっていたし、これはおかしい、とは思っていた。妻の奈津が、片瀬の症状から家庭の医学なんかを見て調べたところ、該当しそうな病気は糖尿病だということになったのだけど、でもまだ若いし痩せてるし、まさか自分が糖尿病になってるわけがない、とほっといていた。
しかしさすがに限界を感じ、病院に行くと、片瀬は重度の糖尿病だと診断される。健康な人の食後の血糖値が140ぐらいなのに対し、片瀬は食前にも関わらず血糖値が300を超えるという異常な状態だったのだ。そこから即入院ということになり、糖尿病という実に厄介な病気と付き合っていくことになるのだが…。
というような話です。
読了して、というか読んでる最中もずっと感じていたのは、「怖ぇーーーー!!!」ということだ。僕も、自慢できる話じゃないけど、食生活はむちゃくちゃである。たぶん誰に話しても、その食生活はヤバいと言われるだろうと思う。まあ、暴飲暴食をしてるわけじゃないと思うのだけど、必要な栄養素は間違いなく摂れてないと思う。もちろん、こういう食生活の果てに糖尿病があるのかどうかはよく分からんが、それでも、もし自分も糖尿病になったら…、という恐怖はなかなか凄まじいものだった。
あと、最近の話だけど、僕の友人の一人(もちろん同世代なので20代です)が、健康診断で血がドロドロ過ぎてヤバいと診断されたようで、今食事療法的なことをやってるのだ。まあたぶん酷い食生活だったんだろうけど、僕も人のころは言えないはず。しかも、血がドロドロってだけだと自覚症状みたいなのは特にないらしいから、僕もいつそうなるかわからん。まあ、ちょっと前まで献血に行ってたりして、そこでの結果は通常の範囲内だったから、まだ大丈夫だとは思うんだけど。また献血行こうかな。
僕は昔から、糖尿病だけにはなりたくないな、と思ってたんです。今から書く話は、たぶん人によっては不快な話になるかもなんだけど、先に謝っときます、すいません。
例えば僕は、発病して割とすぐ死んでしまう病気、あるいはすぐ死ななくとも遠くない将来高い確率で死が約束されている病気だと診断されるのは、まだ悪くないと思ってるんです。僕にとって怖いのは、糖尿病などのような、「治らない病気」「一生付き合っていかなくてはいけない状態」だ。正直、そういう病気になるなら、最終的に死んでしまう病気の方がまだいいよなぁ、と思ってしまうのだ。
これは昔からずっとそうで、例えば交通事故なんかに遭ったとして、重度の障害が残るけど生きてる場合と死んでしまう場合だったら、後者の方がいいよなぁ、と考えてしまうのだ。不謹慎な話題だとは分かってるので、この話はこれぐらいにしておきます。
本書は、まさに著者が糖尿病に罹ってしまったわけで、物凄く描写がリアルです。糖尿病に1型と2型があることや、インシュリン注射をする際の手順、糖尿病における『入院』(主人公は、入院してるのに会社に通勤している)、食事療法の基本と実践、糖尿病患者の感情の揺れなど、別に知ってる人間に糖尿病になった人がいるわけでもないんだけど、実際こうなんだろうなぁ、というリアルさが凄かった。特に、糖尿病患者が、どんな時にどう感じるのか、どういう状態に陥ってしまうのか、という部分は本当にリアルで、まさに著者自身がこういう状態をくぐり抜けてきたんだろうなぁ、と感じさせられました。
そういう小説なので、小説でありながら、かなり実用的な本でもあります。実際に糖尿病患者になってしまったら、この本をもう一度読み返すだろうと思います。表向きこんな風に言われてるけど、どの程度手を抜いて大丈夫なのかとか(もちろん時代によって医学常識も変わるだろうから、その辺りのことは考慮しなくちゃいけないだろうけど)、著者が実際に作ったのだろう、食事療法中の買い物に役立つメモの書式など、実際に使える知識やアイデアがかなり盛り込まれていると思うので、糖尿病患者や周りに糖尿病患者がいるという人が読んだらかなり役立つんじゃなかろうか、と思います。
もちろん、小説としても面白いんです。まあ、こういうタイプの小説なので、『物語も物凄く面白いです!』と大声で言えるわけでもないんですけど、でも実用性を兼ね備えつつ、物語としての面白さもきちんと追求しています。
一番読み応えがあるのはやっぱり、妻である奈津との関係でしょうか。奈津の仕事は片瀬の2倍は忙しいようで、なかなか片瀬の食事療法への協力や心のケアなんかが出来ない。それで夫婦関係がかなり危険な状態になって行ったりするんだけど、それがどうなるか。
あと、個人的に大好きなのは、東野亜梨沙という、片瀬の飲み友達です。かなり年下で、童顔なのに酒豪というギャップを持つ亜梨沙は、片瀬にとって気兼ねなくドカドカ飲むことが出来る飲み友達なんだけど、この亜梨沙のキャラが好きですね。変わった喋り方をするところも、男に媚びようと狙ってやってるわけではないし(そうだとしたらかなり嫌いなタイプなんだけど)、オンナオンナした人間関係を生理的に拒絶している辺りなんか凄くいいなと思います。この亜梨沙が、物語上かなり重要な役割を果たす辺りも、いいキャラしてるなぁ、という感じがしました。僕もこういう、異性の飲み友達とか欲しいなぁ、と思いました。
予備軍も合わせると、国民の6人に1人は糖尿病だという日本。今の日本にあって、ちゃんとした食生活を送っているという若者はかなり少ないことでしょう。誰もが、読めば怖くなるんじゃないかな、と思います。でも、正直、対岸の火事という部分もあって、糖尿病になるのは怖いけど、でも僕の食生活は変わらないんだろうなぁ、という気はします。近くのローソンで今度から野菜とか果物とか売るらしいから、意識してそういうのも食べてみようかなぁ、と思ってはいるんだけど、どうなるか。糖尿病の人もそうでない人も、読んだほうがいい作品ではないかと思いました。糖尿病にはなりたくないなー。
平山瑞穂「シュガーな俺」
本書は、若くして糖尿病になってしまった主人公を描いた糖尿病小説です。なんと著者自身が、まだ30代の若さで、しかも痩せ型の体型にも関わらず糖尿病と診断されてしまったようで、その経験をふんだんに盛り込んだ小説になっています。著者は現在も会社勤めの傍ら小説を書いているようなんですけど、本書の主人公は、会社勤めの傍ら作家を目指して小説を書いているサラリーマンで、そういう点でもかなり自伝的小説と言えるのではないかな、という感じがします。
片瀬喬一は、しばらく前から自分の体調のおかしさには気づいていた。異様に喉が乾き、排尿回数が増える。そして、元々痩せていたにも関わらず、さらに体重がどんどん減り、目に見えて痩せていった。体も物凄く疲れやすくなっていたし、これはおかしい、とは思っていた。妻の奈津が、片瀬の症状から家庭の医学なんかを見て調べたところ、該当しそうな病気は糖尿病だということになったのだけど、でもまだ若いし痩せてるし、まさか自分が糖尿病になってるわけがない、とほっといていた。
しかしさすがに限界を感じ、病院に行くと、片瀬は重度の糖尿病だと診断される。健康な人の食後の血糖値が140ぐらいなのに対し、片瀬は食前にも関わらず血糖値が300を超えるという異常な状態だったのだ。そこから即入院ということになり、糖尿病という実に厄介な病気と付き合っていくことになるのだが…。
というような話です。
読了して、というか読んでる最中もずっと感じていたのは、「怖ぇーーーー!!!」ということだ。僕も、自慢できる話じゃないけど、食生活はむちゃくちゃである。たぶん誰に話しても、その食生活はヤバいと言われるだろうと思う。まあ、暴飲暴食をしてるわけじゃないと思うのだけど、必要な栄養素は間違いなく摂れてないと思う。もちろん、こういう食生活の果てに糖尿病があるのかどうかはよく分からんが、それでも、もし自分も糖尿病になったら…、という恐怖はなかなか凄まじいものだった。
あと、最近の話だけど、僕の友人の一人(もちろん同世代なので20代です)が、健康診断で血がドロドロ過ぎてヤバいと診断されたようで、今食事療法的なことをやってるのだ。まあたぶん酷い食生活だったんだろうけど、僕も人のころは言えないはず。しかも、血がドロドロってだけだと自覚症状みたいなのは特にないらしいから、僕もいつそうなるかわからん。まあ、ちょっと前まで献血に行ってたりして、そこでの結果は通常の範囲内だったから、まだ大丈夫だとは思うんだけど。また献血行こうかな。
僕は昔から、糖尿病だけにはなりたくないな、と思ってたんです。今から書く話は、たぶん人によっては不快な話になるかもなんだけど、先に謝っときます、すいません。
例えば僕は、発病して割とすぐ死んでしまう病気、あるいはすぐ死ななくとも遠くない将来高い確率で死が約束されている病気だと診断されるのは、まだ悪くないと思ってるんです。僕にとって怖いのは、糖尿病などのような、「治らない病気」「一生付き合っていかなくてはいけない状態」だ。正直、そういう病気になるなら、最終的に死んでしまう病気の方がまだいいよなぁ、と思ってしまうのだ。
これは昔からずっとそうで、例えば交通事故なんかに遭ったとして、重度の障害が残るけど生きてる場合と死んでしまう場合だったら、後者の方がいいよなぁ、と考えてしまうのだ。不謹慎な話題だとは分かってるので、この話はこれぐらいにしておきます。
本書は、まさに著者が糖尿病に罹ってしまったわけで、物凄く描写がリアルです。糖尿病に1型と2型があることや、インシュリン注射をする際の手順、糖尿病における『入院』(主人公は、入院してるのに会社に通勤している)、食事療法の基本と実践、糖尿病患者の感情の揺れなど、別に知ってる人間に糖尿病になった人がいるわけでもないんだけど、実際こうなんだろうなぁ、というリアルさが凄かった。特に、糖尿病患者が、どんな時にどう感じるのか、どういう状態に陥ってしまうのか、という部分は本当にリアルで、まさに著者自身がこういう状態をくぐり抜けてきたんだろうなぁ、と感じさせられました。
そういう小説なので、小説でありながら、かなり実用的な本でもあります。実際に糖尿病患者になってしまったら、この本をもう一度読み返すだろうと思います。表向きこんな風に言われてるけど、どの程度手を抜いて大丈夫なのかとか(もちろん時代によって医学常識も変わるだろうから、その辺りのことは考慮しなくちゃいけないだろうけど)、著者が実際に作ったのだろう、食事療法中の買い物に役立つメモの書式など、実際に使える知識やアイデアがかなり盛り込まれていると思うので、糖尿病患者や周りに糖尿病患者がいるという人が読んだらかなり役立つんじゃなかろうか、と思います。
もちろん、小説としても面白いんです。まあ、こういうタイプの小説なので、『物語も物凄く面白いです!』と大声で言えるわけでもないんですけど、でも実用性を兼ね備えつつ、物語としての面白さもきちんと追求しています。
一番読み応えがあるのはやっぱり、妻である奈津との関係でしょうか。奈津の仕事は片瀬の2倍は忙しいようで、なかなか片瀬の食事療法への協力や心のケアなんかが出来ない。それで夫婦関係がかなり危険な状態になって行ったりするんだけど、それがどうなるか。
あと、個人的に大好きなのは、東野亜梨沙という、片瀬の飲み友達です。かなり年下で、童顔なのに酒豪というギャップを持つ亜梨沙は、片瀬にとって気兼ねなくドカドカ飲むことが出来る飲み友達なんだけど、この亜梨沙のキャラが好きですね。変わった喋り方をするところも、男に媚びようと狙ってやってるわけではないし(そうだとしたらかなり嫌いなタイプなんだけど)、オンナオンナした人間関係を生理的に拒絶している辺りなんか凄くいいなと思います。この亜梨沙が、物語上かなり重要な役割を果たす辺りも、いいキャラしてるなぁ、という感じがしました。僕もこういう、異性の飲み友達とか欲しいなぁ、と思いました。
予備軍も合わせると、国民の6人に1人は糖尿病だという日本。今の日本にあって、ちゃんとした食生活を送っているという若者はかなり少ないことでしょう。誰もが、読めば怖くなるんじゃないかな、と思います。でも、正直、対岸の火事という部分もあって、糖尿病になるのは怖いけど、でも僕の食生活は変わらないんだろうなぁ、という気はします。近くのローソンで今度から野菜とか果物とか売るらしいから、意識してそういうのも食べてみようかなぁ、と思ってはいるんだけど、どうなるか。糖尿病の人もそうでない人も、読んだほうがいい作品ではないかと思いました。糖尿病にはなりたくないなー。
平山瑞穂「シュガーな俺」
テロルの決算(沢木耕太郎)
内容に入ろうと思います。
本書は、社会党委員長だった浅沼稲次郎が、右翼の少年・山口二矢に公衆の面前で刺殺された事件を、浅沼や山口の生涯を丹念に追っていくことで描ききった作品です。
山口は、小さな頃から右翼的な思考や発言をする子供で、ある時愛国党の赤尾の演説を聞いて感激し、すぐさま愛国党の本部で寝泊まりするようになった。しかし、山口が考える右翼の理想と、現実の右翼の面々がやっている活動や思考との乖離に絶望し、次第に孤立していく。やがて、左翼の大物を倒さなければならないと思いつめるようになり、いかにして実行するか策を練るようになる。
一方の浅沼は、無産運動家から政治家になった男で、派閥を嫌い、最後まで庶民派と言われた。趣味もなく、家族をないがしろにし、ひたすらに党のために働き続けた浅沼は、しかし周りの人間にもあまり評価されなかったようだ。浅沼がした中国での発言が、やがて自らを死に追いやる遠縁となる。
二人の人生の一瞬の交錯を描いた作品です。
たぶん僕、沢木耕太郎の作品初めて読んだと思うんですね。ノンフィクション作家としての評価は知ってるので、本書も素晴らしい作品なんでしょうけど、僕には難しい作品でした。というのも、僕は政治や昭和史に関する知識がほぼゼロだからです。
そもそも僕は、右翼と左翼が何なのかもよく分からない人間なんです。右翼と左翼が何故対立してるのか、それぞれの政党がどちらの立ち位置なのか、無産運動家がどんな活動をしてるのか、みたいな政治に関わる部分は基本的にまったくわかりません。また、どの時代に誰が影響力を持っていたのか、その時代の国民の空気、どの時代にどんな重大事件があったのか、安保闘争ってそもそも何?みたいな、昭和史についての知識も基本ゼロなので、読んでてもよく分からない部分がたくさんあったんですね。だから、本書が難しい理由は、沢木耕太郎に責任があるとかそういうことではなくて、ただ単に僕が知識なさすぎる、ということなんですけども。
だから、特に浅沼稲次郎の方の話はチンプンカンプンだったんですけど、山口二矢の方は結構面白かったですね。右翼がどうのこうのという話は全然分からなかったんですけど、山口がどんな環境で育ち、誰からどんな影響を受け、どういう思考によって暗殺を思い立ったのかという流れが、もちろん膨大な資料を基にしているとはいえ作者の想像みたいなものも多々含まれてるんだろうけど、それでもなるほどと思わせるような流れがありました。純粋で一途で、周りが止めてもブレーキの利かなかった少年。自分の正しさを一片も疑うことなく死んでいった少年。その潔さみたいなものはかなり強く感じられました。浅沼稲次郎を暗殺したことにどういう意味があり、どういう影響を与えたのかという点について、僕は基本的に理解出来ていないし、そもそも人を殺すのはいかんと思ってるけど、それでも、山口のような純粋に日本のことを考える若者の存在というのは、方向性は正しくなかったかもしれないのだけど、貴重な存在だったのではないかなと思いました。
まあそんなわけで、僕の知識不足のためにあまり深く読めなかったですけど、政治とか昭和史とかに普通並の知識を持ってる人なら結構楽しめるんじゃないかと思います。沢木耕太郎は、政治の話じゃないノンフィクションを読んでみようかな。
沢木耕太郎「テロルの決算」
本書は、社会党委員長だった浅沼稲次郎が、右翼の少年・山口二矢に公衆の面前で刺殺された事件を、浅沼や山口の生涯を丹念に追っていくことで描ききった作品です。
山口は、小さな頃から右翼的な思考や発言をする子供で、ある時愛国党の赤尾の演説を聞いて感激し、すぐさま愛国党の本部で寝泊まりするようになった。しかし、山口が考える右翼の理想と、現実の右翼の面々がやっている活動や思考との乖離に絶望し、次第に孤立していく。やがて、左翼の大物を倒さなければならないと思いつめるようになり、いかにして実行するか策を練るようになる。
一方の浅沼は、無産運動家から政治家になった男で、派閥を嫌い、最後まで庶民派と言われた。趣味もなく、家族をないがしろにし、ひたすらに党のために働き続けた浅沼は、しかし周りの人間にもあまり評価されなかったようだ。浅沼がした中国での発言が、やがて自らを死に追いやる遠縁となる。
二人の人生の一瞬の交錯を描いた作品です。
たぶん僕、沢木耕太郎の作品初めて読んだと思うんですね。ノンフィクション作家としての評価は知ってるので、本書も素晴らしい作品なんでしょうけど、僕には難しい作品でした。というのも、僕は政治や昭和史に関する知識がほぼゼロだからです。
そもそも僕は、右翼と左翼が何なのかもよく分からない人間なんです。右翼と左翼が何故対立してるのか、それぞれの政党がどちらの立ち位置なのか、無産運動家がどんな活動をしてるのか、みたいな政治に関わる部分は基本的にまったくわかりません。また、どの時代に誰が影響力を持っていたのか、その時代の国民の空気、どの時代にどんな重大事件があったのか、安保闘争ってそもそも何?みたいな、昭和史についての知識も基本ゼロなので、読んでてもよく分からない部分がたくさんあったんですね。だから、本書が難しい理由は、沢木耕太郎に責任があるとかそういうことではなくて、ただ単に僕が知識なさすぎる、ということなんですけども。
だから、特に浅沼稲次郎の方の話はチンプンカンプンだったんですけど、山口二矢の方は結構面白かったですね。右翼がどうのこうのという話は全然分からなかったんですけど、山口がどんな環境で育ち、誰からどんな影響を受け、どういう思考によって暗殺を思い立ったのかという流れが、もちろん膨大な資料を基にしているとはいえ作者の想像みたいなものも多々含まれてるんだろうけど、それでもなるほどと思わせるような流れがありました。純粋で一途で、周りが止めてもブレーキの利かなかった少年。自分の正しさを一片も疑うことなく死んでいった少年。その潔さみたいなものはかなり強く感じられました。浅沼稲次郎を暗殺したことにどういう意味があり、どういう影響を与えたのかという点について、僕は基本的に理解出来ていないし、そもそも人を殺すのはいかんと思ってるけど、それでも、山口のような純粋に日本のことを考える若者の存在というのは、方向性は正しくなかったかもしれないのだけど、貴重な存在だったのではないかなと思いました。
まあそんなわけで、僕の知識不足のためにあまり深く読めなかったですけど、政治とか昭和史とかに普通並の知識を持ってる人なら結構楽しめるんじゃないかと思います。沢木耕太郎は、政治の話じゃないノンフィクションを読んでみようかな。
沢木耕太郎「テロルの決算」
俺俺(星野智幸)
内容に入ろうと思います。
俺は、吉野家でアルバイトをしていたフリーターだったけど、ひょんなことから大手家電チェーンの社員として働き始めた。俺はある日、マックで隣に座っていた男の携帯を、たまたま偶然手に入れてしまった。ほんの些細な悪戯心で、その男の母親に電話をしてみると、母親は俺を息子だと思って疑ってないようだった。それで成り行きでオレオレ詐欺をしてしまう。あっさり成功したので驚いたけど、自分の銀行口座を教えてしまったので捕まるのは時間の問題だろうとも思っていた。
数日間何もなかったために安心していた俺だったけど、ある日仕事を終えて帰宅すると、部屋に見知らぬおばさんがいた。咄嗟に話を合わせてみると、どうやらこの前オレオレ詐欺をした相手であることが分かった。しかもどうやら、俺のことを息子だと勘違いしているようだ。まったく状況は分からなかったが、とにかく適当に話を合わせてその日は寝たのだが、翌日気まぐれに実家に戻ってみると、なんと親から不審者扱いされて追い出されてしまう。
どうなってるんだ、こりゃ。しばらくして、街中にどんどん『俺』が溢れていって…。
というような話です。
これは凄い作品だなと思いました。評判になってるのがよく分かる作品です。よくこんな無茶苦茶な話、思いついたなぁ。
とにかく僕は、物語の冒頭が素晴らしいと思うんです。出来心からオレオレ詐欺をしてしまった男が、まったく何がどうなってるのか分からないままに、まさに自分の存在を否定されるような出来事に見舞われていくという部分は、メチャクチャ引き込まれました!家に帰ると、見知らぬ「母親」がいる、そして実家に戻ると自分は「息子」として認められず、代わりん別の「息子」が家にいる。物凄くスリルのある展開です。ワケ分からんのだけど、まだこの時点では俺は状況をほとんど把握出来ていないわけで、社会との繋がりとか世間の目とか、そういうこともきちんと考慮して、慎重に対応している。頭の中はグルグルだし、意味不明なんだけど、でも自暴自棄になりすぎない。状況を素直に受け入れることも難しいけど、ギリギリのところで踏ん張っている。そういう緊迫感が直接的に描かれているわけではないんだけど、読んでる側としては凄くそれが感じられます。
僕は本作中、この冒頭の展開が一番好きです。ギリギリまだまともな説明が出来ないわけでもない、という状況の中で、社会性を損なわないままなんとか踏ん張っているという展開が凄くいいなと思いました。
その後、少しずつ状況が分かるようになってきて、そして『俺ら』と呼ぶ3人集団が形成されます。正直僕は、この辺りから、物語がちょっと飛びすぎているな、と感じました。作中で示唆される様々な事柄については、物凄く考えさせられます。自己とは何か、生きているとはどういうことか、人間の関係性の基盤は何なのか、そういう普段突き詰めて考えることがないような、突き詰めて考えないからこそなんとかやり過ごせているような、そういう難しい問題を、その特殊な設定の物語を展開させることで、実にうまく読者につきつけてくるんですね。その展開は本当に見事だと思いました。
でも正直、物語としてはどうなんだろう、と思っていました。『出会う人出会う人が俺ばっかり。別に外見が似てるわけじゃないんだけど』という状況がどんどん加速度的に展開していくという話なわけなんだけど、ちょっとそこには、冒頭で感じたような緊迫感のようなものがあまり感じられなかったなぁという感じがしました。それは、『周りがみんな俺ばっか』という状況が当たり前のことになってしまったからだろうなと思います。冒頭では、自分が別人だと思われるという状況に違和感があって、そこに緊迫感が生まれていたと思うんだけど、周りが俺ばっかという状況が普通になってしまうと、展開される物語から様々な教訓や問題を引き出すことは出来るけど、純粋に物語として捉えた場合面白みはちょっと減ってしまうなという感じがしました。
うまく説明は出来ないんだけど、もう少し違ったアイデアを組み込めば、『周りがみんな俺』という状況が普通になってからも、物語としての面白さを損なうことなく展開できたんじゃないかなぁ、とか思ってしまいました。
と、そんな風にちょっと厳しいことを書いていたりしますけど、それでも作品全体としては見事だなと思いました。もう、『オレオレ詐欺から始まって、みんな俺になっちゃうどうしよう』という設定だけで勝ちですよね。この設定を思いついただけで、もうつまらなくなりようがないですから。主人公のダメさ加減とか、どんどん変質していってしまう記憶とか、他の『俺』との関係とか、そういう描写もうまいし、最後までかなりノンストップで読ませます。正直僕としては、ラストの終わらせ方はちょっとなぁ、という感じがしなくもなかったんだけど、でもああいう終わらせ方でもしないとちょっとこの話は幕引きが出来ないかなとも思ったりしました。
まあそんなわけで、これは素晴らしい傑作です。評判がいいのが頷けます。たぶん読む人によって、かなり考えることが違うことでしょう。現代の、どんどん希薄になって行ってしまっている人間関係を、周りがどんどん俺になってしまうという奇抜な設定をモチーフにして痛烈に皮肉っている作品です。これは読んでおくべき作品だと思います。是非読んでみてください。
星野智幸「俺俺」
俺は、吉野家でアルバイトをしていたフリーターだったけど、ひょんなことから大手家電チェーンの社員として働き始めた。俺はある日、マックで隣に座っていた男の携帯を、たまたま偶然手に入れてしまった。ほんの些細な悪戯心で、その男の母親に電話をしてみると、母親は俺を息子だと思って疑ってないようだった。それで成り行きでオレオレ詐欺をしてしまう。あっさり成功したので驚いたけど、自分の銀行口座を教えてしまったので捕まるのは時間の問題だろうとも思っていた。
数日間何もなかったために安心していた俺だったけど、ある日仕事を終えて帰宅すると、部屋に見知らぬおばさんがいた。咄嗟に話を合わせてみると、どうやらこの前オレオレ詐欺をした相手であることが分かった。しかもどうやら、俺のことを息子だと勘違いしているようだ。まったく状況は分からなかったが、とにかく適当に話を合わせてその日は寝たのだが、翌日気まぐれに実家に戻ってみると、なんと親から不審者扱いされて追い出されてしまう。
どうなってるんだ、こりゃ。しばらくして、街中にどんどん『俺』が溢れていって…。
というような話です。
これは凄い作品だなと思いました。評判になってるのがよく分かる作品です。よくこんな無茶苦茶な話、思いついたなぁ。
とにかく僕は、物語の冒頭が素晴らしいと思うんです。出来心からオレオレ詐欺をしてしまった男が、まったく何がどうなってるのか分からないままに、まさに自分の存在を否定されるような出来事に見舞われていくという部分は、メチャクチャ引き込まれました!家に帰ると、見知らぬ「母親」がいる、そして実家に戻ると自分は「息子」として認められず、代わりん別の「息子」が家にいる。物凄くスリルのある展開です。ワケ分からんのだけど、まだこの時点では俺は状況をほとんど把握出来ていないわけで、社会との繋がりとか世間の目とか、そういうこともきちんと考慮して、慎重に対応している。頭の中はグルグルだし、意味不明なんだけど、でも自暴自棄になりすぎない。状況を素直に受け入れることも難しいけど、ギリギリのところで踏ん張っている。そういう緊迫感が直接的に描かれているわけではないんだけど、読んでる側としては凄くそれが感じられます。
僕は本作中、この冒頭の展開が一番好きです。ギリギリまだまともな説明が出来ないわけでもない、という状況の中で、社会性を損なわないままなんとか踏ん張っているという展開が凄くいいなと思いました。
その後、少しずつ状況が分かるようになってきて、そして『俺ら』と呼ぶ3人集団が形成されます。正直僕は、この辺りから、物語がちょっと飛びすぎているな、と感じました。作中で示唆される様々な事柄については、物凄く考えさせられます。自己とは何か、生きているとはどういうことか、人間の関係性の基盤は何なのか、そういう普段突き詰めて考えることがないような、突き詰めて考えないからこそなんとかやり過ごせているような、そういう難しい問題を、その特殊な設定の物語を展開させることで、実にうまく読者につきつけてくるんですね。その展開は本当に見事だと思いました。
でも正直、物語としてはどうなんだろう、と思っていました。『出会う人出会う人が俺ばっかり。別に外見が似てるわけじゃないんだけど』という状況がどんどん加速度的に展開していくという話なわけなんだけど、ちょっとそこには、冒頭で感じたような緊迫感のようなものがあまり感じられなかったなぁという感じがしました。それは、『周りがみんな俺ばっか』という状況が当たり前のことになってしまったからだろうなと思います。冒頭では、自分が別人だと思われるという状況に違和感があって、そこに緊迫感が生まれていたと思うんだけど、周りが俺ばっかという状況が普通になってしまうと、展開される物語から様々な教訓や問題を引き出すことは出来るけど、純粋に物語として捉えた場合面白みはちょっと減ってしまうなという感じがしました。
うまく説明は出来ないんだけど、もう少し違ったアイデアを組み込めば、『周りがみんな俺』という状況が普通になってからも、物語としての面白さを損なうことなく展開できたんじゃないかなぁ、とか思ってしまいました。
と、そんな風にちょっと厳しいことを書いていたりしますけど、それでも作品全体としては見事だなと思いました。もう、『オレオレ詐欺から始まって、みんな俺になっちゃうどうしよう』という設定だけで勝ちですよね。この設定を思いついただけで、もうつまらなくなりようがないですから。主人公のダメさ加減とか、どんどん変質していってしまう記憶とか、他の『俺』との関係とか、そういう描写もうまいし、最後までかなりノンストップで読ませます。正直僕としては、ラストの終わらせ方はちょっとなぁ、という感じがしなくもなかったんだけど、でもああいう終わらせ方でもしないとちょっとこの話は幕引きが出来ないかなとも思ったりしました。
まあそんなわけで、これは素晴らしい傑作です。評判がいいのが頷けます。たぶん読む人によって、かなり考えることが違うことでしょう。現代の、どんどん希薄になって行ってしまっている人間関係を、周りがどんどん俺になってしまうという奇抜な設定をモチーフにして痛烈に皮肉っている作品です。これは読んでおくべき作品だと思います。是非読んでみてください。
星野智幸「俺俺」
学校のセンセイ(飛鳥井千砂)
内容に入ろうと思います。
本書は、「はるがいったら」でデビューした著者の作品です。
主人公は、高校の社会の教師である桐原。桐原は、教師になりたくてなった、というわけではない。塾講師をした後、ダメ元でいろんな教職員試験を受けたら、名古屋でたまたま受かったため、こうやって教師をしている。
旧友が桐原につけたあだ名が、『キングオブ面倒くさがり野郎』。そう、桐原はとにかくあらゆることがめんどくさい。『めんどくさいことをいかにして避けるか』というのが、桐原の行動原理のすべてだ、と言ってもいい。それでも、外面や体面は器用に取り繕えてしまう性格のため、深い付き合いでないとなかなか桐原のそのめんどくさがりの部分は分からない。そうやって、要領よくと言えば要領よく生きてきたのだ。
高校でも桐原は変わらない。空気は読めるし、口は達者だから、周りから白い目で見られたり、問題を犯したりなんてことは間違ってもしないし、どちらかと言えば人目のあるところでは至って真面目な人間(を装っている)のだけど、人目がなくなると(あるいは気を許せる人だけしかいない場所でなら)すぐにめんどくさがり屋モードになる。生徒を心配する『フリ』も、友人を心配する『フリ』も、同僚教師を心配する『フリ』も得意だけど、それは全部『フリ』だけで、本当は心の中ではめんどくせーって思ってる。
そんな桐原も、教師二年目。なんだかんだとうまくやっている。問題のある生徒への対処も、自分に好意を寄せてくる生徒への対処も、自分で何でも抱え込んでしまう同僚教師への対処も、複雑な恋愛をしている友人への対処も、もう板についたようなものだ。
ある時桐原が、名古屋で唯一友人と言っていい中川と一緒に飲んでいる時、店内でとんでもなく奇抜なファッションをしている女性を見かけた。実に印象に残る出来事もあって、なんとなく気になっていた桐原だったが、ひょんなことから桐原は彼女と知り合うことになり…。
というような話です。
いやー、これは傑作でした!素晴らしいよやっぱり、飛鳥井千砂は。まだ、「はるがいったら」と本書の二作しか読んでないんだけど、これはホント凄い作家だわ。
でも、初めに書いておくけど、飛鳥井千砂の作品の魅力を文章にするのって、ホント難しいんです。「はるがいったら」の時POPを作ってもらったんだけど、その時も文章考えるの相当苦労したからなぁ。ホントに文字通り、言葉に出来ない魅力に溢れていると思う。いや、そこを言葉にしてくれよ、と言われるかもですけど。
まず何よりも驚いた点は、桐原の性格がまったくもって僕と同じだった、ということ。これはビビった。シンクロ率95%ぐらいじゃないか、と思う。ほぼすべての場面で、行動原理が同じ。桐原の内心の呟きが、あー俺もその場面だったらまったく同じこと考えるわ、っていうくらいドンピシャだったもののあって、驚いたなんてもんじゃない。マジで俺の生活が覗かれてて、それを元に書いたんじゃないかと思ってしまったわ。
でもどうなんだろう。僕だけに限らず、今の時代って本書の桐原のような人間って結構多いんじゃないかと思う。色んなことにやる気はない、でもいろいろ器用だから外面は取り繕えてしまう。いやだなーとか思うことがあってもそれなりにうまいこと対処出来ちゃうし、周りの空気も読めるから周囲に気を遣うような言動も得意なんだけど、でも実はあんまり心はこもってない、的な。まあ他の人はともかく、僕はあまりにもドンピシャでちょっとびっくりしてしまいました。
例えば、あるシーンに、桐原のこんな内心の呟きがある。
『説教するんだ。優しいな、偉いな、そいつら。俺は、他人は他人の主義だから、そんなに人と重く関わりたくないんだよな。自分の言った言葉が誰かに影響を与えるなんて面倒くさいじゃん。だから説教なんてしないだけだよ。』
わかるわー、って感じ。メチャメチャわかる。そう、やっぱり、人を叱るとかっていうのは、趣味でやってるような人ももちろんいるだろうけど、基本相手のためを思ってやるのよね。俺は、そういうのできないんだよなぁ。ヒントぐらいは示唆してもいいんだけど、そのものズバリは指摘したり説教したりは、基本的にはしないだろうな。相手との関係性にもよるだろうけど。
こういう、キングオブ面倒くさがり野郎が教師なわけで、学校でのあれこれも色々と面白い。どこの学校にもいそうな(僕の高校時代はいなかったけど)悪ぶった生徒の問題ある言動への対処とか、副担任である桐原が担任である先輩教師に抱える鬱陶しさとか、桐原のことをずっと好きだってことがモロバレなある女性ととのやり取りとか、マジで重い相談をしてきたある生徒に感じた劣等感とか、そういう、学校の中では特別大した話ではないんだけど、キングオブ面倒くさがり野郎である桐原の視点を通すとまた新鮮に見えてくるような、そういう描写がうまいな、と感じました。
でも正直本書は、学校の話がメイン、というわけでもないんですね。学校を離れた、プライベートでの場面も多い。『学校の話』というよりむしろ、『教師・桐原の話』という感じです。
プライベートの方でまず筆頭に挙げなくてはいけないのは、超奇抜ファッションを着こなすガリガリの女性。飲み屋で衝撃的なその姿を目撃してから、色々とあって、桐原は彼女と知り合いになるわけなんだけど、この奇抜ファッションとのやり取りが結構面白い。恋愛に発展するんだかなんなんだか判然としない微妙な距離感といい、そもそも桐原が奇抜ファッションに対してどう感じているのかもうまく言語化出来ないところとか、色々話していく内に何かが桐原の中で変わっていく過程とか、かなりいいです。特に、キングオブ面倒くさがり野郎の桐原が、本書ではまあいろいろなことを経験するわけだけど、でも結局、奇抜ファッションと出会ったことが変化への大きな後押しとなった部分はあります。もちろん、それ以外の要素もありますけど、読み始めた時は、この奇抜ファッションがストーリーにどう絡んでくるんだかまるで想像できなかったことを考えると、なかなか驚嘆すべき展開ではないかと思いました。
また、桐原の名古屋での唯一と言っていい友人の中川もなかなかいい味出してます。正直、こんな女友達欲しい、と思いました。ただし、通常モードの中川の方だけ(笑)。中川には「通常モード」と「恋愛モード」があって、通常モードの時は一人の女友達として言いたいことも言える実に気楽な間柄なのだけど、「恋愛モード」の時は、中川が陥っている何だか厄介な恋愛の愚痴をあーだこーだと聞かされる羽目になるので、桐原的には勘弁して欲しい、という感じなのだ。とはいえ、そこさえ多少我慢すれば、中川ってかなりいいよなぁ、と思っちゃいました。
あとは、いろいろあって知り合う別の高校に通う涼とか、桐原の高校時代からの腐れ縁で薬剤師の浅見とかのやり取りも、キャラクターがしっかり活きていて面白いです。何よりも、著者が女性だとは思えないほど、男視点の描写が凄くうまくて、女性作家が男主人公を書いてる、という感じが全然しなかったのが凄かったです。
ただ時々、女性が女性に感じるようなことを桐原に呟かせたりしてる場面が出てきたりします。僕の感覚では、正直男はそこまで考えないし、感じ取れないだろみたいなところまで踏み込んでくることがあるんですね。それが自覚的なのかどうか分からないんだけど、これが全然不自然じゃないんですね。女性が女性に向けた場合凄く刺々しくなってしまうことを、男に言わせることで凄く丸く感じさせることが出来るという点で、これは面白いなと思いました。小説だからこそ出来ることなんだと思うんだけど、やっぱり小説って面白いな、と思いましたね。
そんなわけで、これは傑作です!メチャメチャ面白い!作家としての力量がありまくります。文章もキャラクタ-も設定も構成も展開も全部素敵です。是非是非読んでみてください!
飛鳥井千砂「学校のセンセイ」
本書は、「はるがいったら」でデビューした著者の作品です。
主人公は、高校の社会の教師である桐原。桐原は、教師になりたくてなった、というわけではない。塾講師をした後、ダメ元でいろんな教職員試験を受けたら、名古屋でたまたま受かったため、こうやって教師をしている。
旧友が桐原につけたあだ名が、『キングオブ面倒くさがり野郎』。そう、桐原はとにかくあらゆることがめんどくさい。『めんどくさいことをいかにして避けるか』というのが、桐原の行動原理のすべてだ、と言ってもいい。それでも、外面や体面は器用に取り繕えてしまう性格のため、深い付き合いでないとなかなか桐原のそのめんどくさがりの部分は分からない。そうやって、要領よくと言えば要領よく生きてきたのだ。
高校でも桐原は変わらない。空気は読めるし、口は達者だから、周りから白い目で見られたり、問題を犯したりなんてことは間違ってもしないし、どちらかと言えば人目のあるところでは至って真面目な人間(を装っている)のだけど、人目がなくなると(あるいは気を許せる人だけしかいない場所でなら)すぐにめんどくさがり屋モードになる。生徒を心配する『フリ』も、友人を心配する『フリ』も、同僚教師を心配する『フリ』も得意だけど、それは全部『フリ』だけで、本当は心の中ではめんどくせーって思ってる。
そんな桐原も、教師二年目。なんだかんだとうまくやっている。問題のある生徒への対処も、自分に好意を寄せてくる生徒への対処も、自分で何でも抱え込んでしまう同僚教師への対処も、複雑な恋愛をしている友人への対処も、もう板についたようなものだ。
ある時桐原が、名古屋で唯一友人と言っていい中川と一緒に飲んでいる時、店内でとんでもなく奇抜なファッションをしている女性を見かけた。実に印象に残る出来事もあって、なんとなく気になっていた桐原だったが、ひょんなことから桐原は彼女と知り合うことになり…。
というような話です。
いやー、これは傑作でした!素晴らしいよやっぱり、飛鳥井千砂は。まだ、「はるがいったら」と本書の二作しか読んでないんだけど、これはホント凄い作家だわ。
でも、初めに書いておくけど、飛鳥井千砂の作品の魅力を文章にするのって、ホント難しいんです。「はるがいったら」の時POPを作ってもらったんだけど、その時も文章考えるの相当苦労したからなぁ。ホントに文字通り、言葉に出来ない魅力に溢れていると思う。いや、そこを言葉にしてくれよ、と言われるかもですけど。
まず何よりも驚いた点は、桐原の性格がまったくもって僕と同じだった、ということ。これはビビった。シンクロ率95%ぐらいじゃないか、と思う。ほぼすべての場面で、行動原理が同じ。桐原の内心の呟きが、あー俺もその場面だったらまったく同じこと考えるわ、っていうくらいドンピシャだったもののあって、驚いたなんてもんじゃない。マジで俺の生活が覗かれてて、それを元に書いたんじゃないかと思ってしまったわ。
でもどうなんだろう。僕だけに限らず、今の時代って本書の桐原のような人間って結構多いんじゃないかと思う。色んなことにやる気はない、でもいろいろ器用だから外面は取り繕えてしまう。いやだなーとか思うことがあってもそれなりにうまいこと対処出来ちゃうし、周りの空気も読めるから周囲に気を遣うような言動も得意なんだけど、でも実はあんまり心はこもってない、的な。まあ他の人はともかく、僕はあまりにもドンピシャでちょっとびっくりしてしまいました。
例えば、あるシーンに、桐原のこんな内心の呟きがある。
『説教するんだ。優しいな、偉いな、そいつら。俺は、他人は他人の主義だから、そんなに人と重く関わりたくないんだよな。自分の言った言葉が誰かに影響を与えるなんて面倒くさいじゃん。だから説教なんてしないだけだよ。』
わかるわー、って感じ。メチャメチャわかる。そう、やっぱり、人を叱るとかっていうのは、趣味でやってるような人ももちろんいるだろうけど、基本相手のためを思ってやるのよね。俺は、そういうのできないんだよなぁ。ヒントぐらいは示唆してもいいんだけど、そのものズバリは指摘したり説教したりは、基本的にはしないだろうな。相手との関係性にもよるだろうけど。
こういう、キングオブ面倒くさがり野郎が教師なわけで、学校でのあれこれも色々と面白い。どこの学校にもいそうな(僕の高校時代はいなかったけど)悪ぶった生徒の問題ある言動への対処とか、副担任である桐原が担任である先輩教師に抱える鬱陶しさとか、桐原のことをずっと好きだってことがモロバレなある女性ととのやり取りとか、マジで重い相談をしてきたある生徒に感じた劣等感とか、そういう、学校の中では特別大した話ではないんだけど、キングオブ面倒くさがり野郎である桐原の視点を通すとまた新鮮に見えてくるような、そういう描写がうまいな、と感じました。
でも正直本書は、学校の話がメイン、というわけでもないんですね。学校を離れた、プライベートでの場面も多い。『学校の話』というよりむしろ、『教師・桐原の話』という感じです。
プライベートの方でまず筆頭に挙げなくてはいけないのは、超奇抜ファッションを着こなすガリガリの女性。飲み屋で衝撃的なその姿を目撃してから、色々とあって、桐原は彼女と知り合いになるわけなんだけど、この奇抜ファッションとのやり取りが結構面白い。恋愛に発展するんだかなんなんだか判然としない微妙な距離感といい、そもそも桐原が奇抜ファッションに対してどう感じているのかもうまく言語化出来ないところとか、色々話していく内に何かが桐原の中で変わっていく過程とか、かなりいいです。特に、キングオブ面倒くさがり野郎の桐原が、本書ではまあいろいろなことを経験するわけだけど、でも結局、奇抜ファッションと出会ったことが変化への大きな後押しとなった部分はあります。もちろん、それ以外の要素もありますけど、読み始めた時は、この奇抜ファッションがストーリーにどう絡んでくるんだかまるで想像できなかったことを考えると、なかなか驚嘆すべき展開ではないかと思いました。
また、桐原の名古屋での唯一と言っていい友人の中川もなかなかいい味出してます。正直、こんな女友達欲しい、と思いました。ただし、通常モードの中川の方だけ(笑)。中川には「通常モード」と「恋愛モード」があって、通常モードの時は一人の女友達として言いたいことも言える実に気楽な間柄なのだけど、「恋愛モード」の時は、中川が陥っている何だか厄介な恋愛の愚痴をあーだこーだと聞かされる羽目になるので、桐原的には勘弁して欲しい、という感じなのだ。とはいえ、そこさえ多少我慢すれば、中川ってかなりいいよなぁ、と思っちゃいました。
あとは、いろいろあって知り合う別の高校に通う涼とか、桐原の高校時代からの腐れ縁で薬剤師の浅見とかのやり取りも、キャラクターがしっかり活きていて面白いです。何よりも、著者が女性だとは思えないほど、男視点の描写が凄くうまくて、女性作家が男主人公を書いてる、という感じが全然しなかったのが凄かったです。
ただ時々、女性が女性に感じるようなことを桐原に呟かせたりしてる場面が出てきたりします。僕の感覚では、正直男はそこまで考えないし、感じ取れないだろみたいなところまで踏み込んでくることがあるんですね。それが自覚的なのかどうか分からないんだけど、これが全然不自然じゃないんですね。女性が女性に向けた場合凄く刺々しくなってしまうことを、男に言わせることで凄く丸く感じさせることが出来るという点で、これは面白いなと思いました。小説だからこそ出来ることなんだと思うんだけど、やっぱり小説って面白いな、と思いましたね。
そんなわけで、これは傑作です!メチャメチャ面白い!作家としての力量がありまくります。文章もキャラクタ-も設定も構成も展開も全部素敵です。是非是非読んでみてください!
飛鳥井千砂「学校のセンセイ」
しずかな日々(椰月美智子)
内容に入ろうと思います。
主人公は小学五年生の枝田。「えだいち」と呼ばれてる。人見知りで引っ込み思案な性格のため、四年生まで友達がいたことがほとんどなく、教室の隅っこで静かにしているような少年だった。ずっと母子家庭で育ったという負い目もあったかもしれない。五年生になった時も、クラス発表の張り紙を見て真っ先に目がいったのは担任の先生で、誰が同じクラスなのかということには全然関心が持てなかった。
そんなえだいちに、初日から声を掛けてきたのが押野だ。押野は誰からも好かれるリーダー的な存在で、出席番号順だった席が押野と近かったお陰で、えだいちは押野と、そしてすぐにクラスメートともうまくやっていけるようになった。
そうなると、なんだか世界ががらっと変わったみたいだった。今まで自分がどうやって時間を潰していたのかも思い出せなくなるくらい、毎日が楽しくなった。押野とは本当に気があって、いつでも一緒にいるような感じだった。
そんなある日、家の近くに女の人の姿があった。どうやら母親の知り合いらしいのだけど、どうもおかしい。母親のことを「先生」なんて呼んでるのだ。
そしてえだいちは、驚くようなことを聞かされる。なんと母親は仕事を辞め、その女の人と新しい仕事を始めるというのだ。だから引っ越さなくてはいけない、転校しなくてはいけないと言われるのだけど、絶対に転校したくなかったえだいちは…。
というような話です。
これは、ちょっと前に文庫化された作品なんですけど、僕はこの作品、結構期待してたんです。読む前から、これは来年力入れて売ろうかなぁ、と思ってたんですね。
そんなわけで、ちょっと期待しすぎてた部分はあるのかもしれないんですけど、思ってたほどではなかったなぁ、という感じがしました。勝手に期待しといてハードル上げて、それであんまりだったというのはちょっと酷いかもだけど、それが正直な感想です。でも、決して悪いわけじゃないんですよ。でも、読む前から、これぐらいの傑作かなぁ、と思ってたところまでは行かなかったなぁ、という感じなんです。
基本的には、夏休みにおじいさんの家で過ごす少年の話なんです。冒頭の方であーだこーだといろいろあって、夏休み前におじいさんの家に移ることになった少年のひと夏の思い出、という感じでしょうか。
だいたい、主人公が押野と遊んでるか、主人公がおじいさんと関わってるか、あるいはそれらが混ざってるか、という感じになります。あとちらほら、押野以外の友達も出てきたり、母親との話がちょっと出てきたりします。
押野と主人公のやり取りは、少年っぽくていい感じです。アホなことに大騒ぎしちゃうところとか、唐突に出てくる会話とか、男の子だなぁっていう感じで微笑ましいです。
あとおじいさんがなかなかいい味出してます。基本無口で、喋っても一言二言ぐらいなんだけど、その朴訥とした感じがいい。子供を子供扱いしていない感じが伝わってきて、対応がおざなりじゃない。子供を子供扱いして適当に対応する大人が結構多いイメージがあるんだけど、このおじいさんはそうじゃないから、すぐに親しくなれる相手じゃないけど、長く一緒にいると凄く安心出来る相手になるだろうなぁ、と思ったりします。
個人的に不満だったのは、主人公の母親に関して。いろいろあって主人公は母親と離れて暮らすことになったんだけど、この母親のことがイマイチわからない。もちろん、小学生の男の子視点で物語が進んでいくので、小学生の男の子視点からすれば母親の状況が分からないというのは当然でいいんだろうけど、それをどうにかしてもう少し物語に組み込めなかったかなぁ、という感じがしました。母親がどういう方向に進んでしまったのか、という明確な描写を組み込むのが難しかったとしても、もう少し主人公から見た母親の描写がある方が、主人公が母親に対して抱く違和感みたいなものにもう少し説明がつけられるような気がします。そこがもう少し描写されてるとよかったんだけどな、と感じました。
まあそんなわけで、それなりに良い作品です。正直、期待してたほどではなかったんですけど、少年たちのキラキラ光るような毎日を読んでいくのは結構楽しいですね。読んでみてください。
椰月美智子「しずかな日々」
主人公は小学五年生の枝田。「えだいち」と呼ばれてる。人見知りで引っ込み思案な性格のため、四年生まで友達がいたことがほとんどなく、教室の隅っこで静かにしているような少年だった。ずっと母子家庭で育ったという負い目もあったかもしれない。五年生になった時も、クラス発表の張り紙を見て真っ先に目がいったのは担任の先生で、誰が同じクラスなのかということには全然関心が持てなかった。
そんなえだいちに、初日から声を掛けてきたのが押野だ。押野は誰からも好かれるリーダー的な存在で、出席番号順だった席が押野と近かったお陰で、えだいちは押野と、そしてすぐにクラスメートともうまくやっていけるようになった。
そうなると、なんだか世界ががらっと変わったみたいだった。今まで自分がどうやって時間を潰していたのかも思い出せなくなるくらい、毎日が楽しくなった。押野とは本当に気があって、いつでも一緒にいるような感じだった。
そんなある日、家の近くに女の人の姿があった。どうやら母親の知り合いらしいのだけど、どうもおかしい。母親のことを「先生」なんて呼んでるのだ。
そしてえだいちは、驚くようなことを聞かされる。なんと母親は仕事を辞め、その女の人と新しい仕事を始めるというのだ。だから引っ越さなくてはいけない、転校しなくてはいけないと言われるのだけど、絶対に転校したくなかったえだいちは…。
というような話です。
これは、ちょっと前に文庫化された作品なんですけど、僕はこの作品、結構期待してたんです。読む前から、これは来年力入れて売ろうかなぁ、と思ってたんですね。
そんなわけで、ちょっと期待しすぎてた部分はあるのかもしれないんですけど、思ってたほどではなかったなぁ、という感じがしました。勝手に期待しといてハードル上げて、それであんまりだったというのはちょっと酷いかもだけど、それが正直な感想です。でも、決して悪いわけじゃないんですよ。でも、読む前から、これぐらいの傑作かなぁ、と思ってたところまでは行かなかったなぁ、という感じなんです。
基本的には、夏休みにおじいさんの家で過ごす少年の話なんです。冒頭の方であーだこーだといろいろあって、夏休み前におじいさんの家に移ることになった少年のひと夏の思い出、という感じでしょうか。
だいたい、主人公が押野と遊んでるか、主人公がおじいさんと関わってるか、あるいはそれらが混ざってるか、という感じになります。あとちらほら、押野以外の友達も出てきたり、母親との話がちょっと出てきたりします。
押野と主人公のやり取りは、少年っぽくていい感じです。アホなことに大騒ぎしちゃうところとか、唐突に出てくる会話とか、男の子だなぁっていう感じで微笑ましいです。
あとおじいさんがなかなかいい味出してます。基本無口で、喋っても一言二言ぐらいなんだけど、その朴訥とした感じがいい。子供を子供扱いしていない感じが伝わってきて、対応がおざなりじゃない。子供を子供扱いして適当に対応する大人が結構多いイメージがあるんだけど、このおじいさんはそうじゃないから、すぐに親しくなれる相手じゃないけど、長く一緒にいると凄く安心出来る相手になるだろうなぁ、と思ったりします。
個人的に不満だったのは、主人公の母親に関して。いろいろあって主人公は母親と離れて暮らすことになったんだけど、この母親のことがイマイチわからない。もちろん、小学生の男の子視点で物語が進んでいくので、小学生の男の子視点からすれば母親の状況が分からないというのは当然でいいんだろうけど、それをどうにかしてもう少し物語に組み込めなかったかなぁ、という感じがしました。母親がどういう方向に進んでしまったのか、という明確な描写を組み込むのが難しかったとしても、もう少し主人公から見た母親の描写がある方が、主人公が母親に対して抱く違和感みたいなものにもう少し説明がつけられるような気がします。そこがもう少し描写されてるとよかったんだけどな、と感じました。
まあそんなわけで、それなりに良い作品です。正直、期待してたほどではなかったんですけど、少年たちのキラキラ光るような毎日を読んでいくのは結構楽しいですね。読んでみてください。
椰月美智子「しずかな日々」
プロトコル(平山瑞穂)
内容に入ろうと思います。
有村ちさとはヴィヴァンという通販を扱う会社で働く女性だ。世界中を放浪している父親から施された英才教育の賜物なのか、英語で書かれた文字列の中からある特定の法則性を見つけ出したり、意識しなくても言葉の間違いを認識できてしまったりという、特別これと言って用途があるわけでもない特殊な能力を持っている。もうずっと父親が不在の家で育ったので、お嬢さん器質な母親と、30にもなって夢を追っかけてるパッパラパーと付き合っている妹を支える大黒柱としての自覚を持ってもいる。
会社は制服が廃止され、外に出る機会のないちさとはどんな格好で行っても構わないのだけども、それでも、会社には仕事をしに行くのだという認識を強く持つちさとは、頑ななまでにスーツ着用にこだわっている。生真面目な性格で、有能だけれどもある種融通の利かない部分のあるちさとは、人間関係には不器用である(しかしそれも、ちさとに非があるのではなく、周囲が間違っているのだけど、間違っている人間の方が大多数であるために、周囲とはあまち打ち解けるきになれない、ということなのだけど)。スーツにこだわっているところとか、自分の容姿の美しさを自覚していないようなところが周囲の男性に無意識にアピールしている部分もあるのだけど、そういう恩恵を特に受けることもなく、ちさとは日々真面目に仕事をしている。
ある時からちさとは、周囲の男性が自分に向ける態度がおかしい、と感じていた。好意を向けられているとかそういうことではなく、恐れられているというか避けられているというか腫れ物に触るようというか、そういう感じなのだ。しばらく理由が分からなかったが、ある時分かった。
それは、彼女が少し前に指示されてやった仕事と関係があったのだ。ある社員のネットサーフィンのログだと言って渡されたものを、ちさとの能力を使って精査したところ、その人物が仕事中アダルトサイトばかり閲覧しているということが分かり、上司に報告したのだ。その後、ある社員が懲戒免職になったのだが、ちさとはそれと自分の仕事とを結びつけて考えていなかったのだ。
懲戒免職された影山は、やさぐれていた。理不尽に解雇されたという思いの強い影山は、ある男と出会ったことでアイデアが浮かび、とある計画を実行に移すことになるのだが…。
というような話です。
これは面白かったなぁ。平山瑞穂の作品は、デビュー作の「ラス・マンチャス通信」しか読んでないんだけど、「ラス・マンチャス通信」とはかなり違ったタイプの作品でした。著者紹介を見ると、1作毎に作風を変える、みたいなことが書いてあって、なるほど、と思いました。「ラス・マンチャス通信」は、まさに奇書とでもいうべきとんでもない作品で、それも傑作だったのだけど、本書は、有村ちさとという一人の会社員を主人公に据えた日常と地続きの物語で、「ラス・マンチャス通信」よりも本書の方がより親しみやすいだろうなぁ、と思える作品でした。
まず何よりも、有村ちさとのキャラクターが凄くいいです。とにかく本書の最大の魅力はそこにあります。僕は男なんで男目線でしか書けないけど、まず何よりも僕はこういう、自分の容姿の美しさに自覚的でない女性っていうのが結構好きなんです。
例えば僕は、茶髪の女性ってあんまりダメなんですけど、それは、もちろん黒髪が好きだっていう理由もあるんだけど、それ以上に、茶髪にする女性は、自分がどう見られるのかにより自覚的な女性なんだろうなぁ、と思うんです。同じ理由で、ブランドもののバッグにばっかり興味を示す女性とか、化粧で元の顔からかなり違った感じにしちゃう女性なんてのもあんまり得意じゃないんだけど、ちさとはそういう女性とは全然違うんですね。自分の容姿を褒められるのが苦手だし、会社にもスーツで行くって頑なに決めてるし、化粧もあんまりしない。そういう、人にどう見せるかという部分に必要以上に手を掛けないというところがいいんですね。
考え方も合理的で好きです。論理的な根拠のないことは信じないから占いなんかはまったく受け付けないし、不真面目にしか仕事の出来ない人にはイライラしてしまう。まあいいか、というようなユルい考え方はしないし、基本的にどこまでもストイック。窮屈だろうなぁ、という感じの生き方だけど、本人は至って自然体で、無理をしているという感じがあまりない。
そういう、普通の女性っぽくない部分が、様々に細かなエピソードを積み重ねることで複層的に描かれていくので、有村ちさとという女性の存在感が物凄くリアルなんですね。これは他の登場人物も同じで、基本的にディテールの描き方が素晴らしいので、どのキャラクターも、自分のすぐ傍にいてもおかしくないよな、と思わせるだけのリアリティがあります。
さらに有村ちさとのいいところは、その特殊な能力ですね。特に本書で執拗に描かれるのが、街中に溢れる『意味のない英文』『間違った英文』が意識しなくても目に入ってしまって落ち着かない、という描写。この描写がまあ細かい細かい。人によっては、しつこいなぁと感じる描写だったりするかもだけど、僕はこの、ちさとが街中の英文についてウダウダ言ってるところが結構好きだったりします。また、自分の感覚に合う英文や英語の使い方という方も出てきて、ホントに英文に対する感覚が鋭いんだよなぁ、という感じがリアルに伝わってきます。意識しなくてもそういう不快な英文が視界に飛び込んできてしまうというのも鬱陶しいでしょうけど、うっかり変な英文の書かれたTシャツなんか着ていけないなと思うと、ちさとと関わるのもちょっと大変だなと思ったりしました。
ストーリーは、会社を巻き込んだあるトラブルがメインで描かれることになります。そのトラブルの過程で、ちさとは色んなことを考え、色んな人に出会い、いろんなことに気づき、そして色んなことをリセットしたりしながら、色々成長していくという、『色んな』という言葉を多用してみましたけど、ホントにそんな感じの小説なんです。会社を書き込んだトラブルの展開というのは、凄く魅力的なストーリーというわけではないんですが、本書ではそのストーリー自体がメインなのではなく、そのトラブルに見舞われたちさとの反応の方がメインになってくるので、ストーリー云々の方はさほど問題ではありません。ストーリーの方も面白いんですけど、それ以上に、ちさとを初めとする各登場人物たちの動きが気になってしまう感じの作品です。
「ラス・マンチャス通信」であれほどぶっ飛んだ世界観を生み出した平山瑞穂が、これだげ現実に地に足のついた作品を書けるのだなぁ、というのが結構驚きました(失礼な言い方ですね 笑)。「ラス・マンチャス通信」のイメージがあまりにも強かったんで、本書も、有村ちさとという会社員を主人公にしてるけど、またとんでもない展開になるんだろう、と思ってたんで、そういう意味では僕の中では若干スケールの小さな話だなという感覚があったんですけど、それはあくまでも「ラス・マンチャス通信」を読んでいたからこその実感なわけで、そうではない人にはスケールがどうのこうのなんてことは特に感じないだろうと思います。正直、こういう作品も書けるんだなぁ、という驚きの方が強かったです。
とはいえ、「ラス・マンチャス通信」ほどぶっ飛んではないにしろ、やはり変わった部分はあります。一番それが色濃く出ているのは、ちさとの家族、というかちさとの父親の存在でしょうか。この父親、海外を放浪しているので作中ではほぼ出てこないのに、妙な存在感がある。冒頭から結構謎めいた形で登場するちさとの父親がどんな人物なのかということが、ちさとの回想という形で徐々に明かされていくのも読みどころの一つだなと思いました。
まあそんなわけで、これはかなり面白い作品だと思います。僕は仕掛けることに決めましたよ。是非読んでみてください。
平山瑞穂「プロトコル」
有村ちさとはヴィヴァンという通販を扱う会社で働く女性だ。世界中を放浪している父親から施された英才教育の賜物なのか、英語で書かれた文字列の中からある特定の法則性を見つけ出したり、意識しなくても言葉の間違いを認識できてしまったりという、特別これと言って用途があるわけでもない特殊な能力を持っている。もうずっと父親が不在の家で育ったので、お嬢さん器質な母親と、30にもなって夢を追っかけてるパッパラパーと付き合っている妹を支える大黒柱としての自覚を持ってもいる。
会社は制服が廃止され、外に出る機会のないちさとはどんな格好で行っても構わないのだけども、それでも、会社には仕事をしに行くのだという認識を強く持つちさとは、頑ななまでにスーツ着用にこだわっている。生真面目な性格で、有能だけれどもある種融通の利かない部分のあるちさとは、人間関係には不器用である(しかしそれも、ちさとに非があるのではなく、周囲が間違っているのだけど、間違っている人間の方が大多数であるために、周囲とはあまち打ち解けるきになれない、ということなのだけど)。スーツにこだわっているところとか、自分の容姿の美しさを自覚していないようなところが周囲の男性に無意識にアピールしている部分もあるのだけど、そういう恩恵を特に受けることもなく、ちさとは日々真面目に仕事をしている。
ある時からちさとは、周囲の男性が自分に向ける態度がおかしい、と感じていた。好意を向けられているとかそういうことではなく、恐れられているというか避けられているというか腫れ物に触るようというか、そういう感じなのだ。しばらく理由が分からなかったが、ある時分かった。
それは、彼女が少し前に指示されてやった仕事と関係があったのだ。ある社員のネットサーフィンのログだと言って渡されたものを、ちさとの能力を使って精査したところ、その人物が仕事中アダルトサイトばかり閲覧しているということが分かり、上司に報告したのだ。その後、ある社員が懲戒免職になったのだが、ちさとはそれと自分の仕事とを結びつけて考えていなかったのだ。
懲戒免職された影山は、やさぐれていた。理不尽に解雇されたという思いの強い影山は、ある男と出会ったことでアイデアが浮かび、とある計画を実行に移すことになるのだが…。
というような話です。
これは面白かったなぁ。平山瑞穂の作品は、デビュー作の「ラス・マンチャス通信」しか読んでないんだけど、「ラス・マンチャス通信」とはかなり違ったタイプの作品でした。著者紹介を見ると、1作毎に作風を変える、みたいなことが書いてあって、なるほど、と思いました。「ラス・マンチャス通信」は、まさに奇書とでもいうべきとんでもない作品で、それも傑作だったのだけど、本書は、有村ちさとという一人の会社員を主人公に据えた日常と地続きの物語で、「ラス・マンチャス通信」よりも本書の方がより親しみやすいだろうなぁ、と思える作品でした。
まず何よりも、有村ちさとのキャラクターが凄くいいです。とにかく本書の最大の魅力はそこにあります。僕は男なんで男目線でしか書けないけど、まず何よりも僕はこういう、自分の容姿の美しさに自覚的でない女性っていうのが結構好きなんです。
例えば僕は、茶髪の女性ってあんまりダメなんですけど、それは、もちろん黒髪が好きだっていう理由もあるんだけど、それ以上に、茶髪にする女性は、自分がどう見られるのかにより自覚的な女性なんだろうなぁ、と思うんです。同じ理由で、ブランドもののバッグにばっかり興味を示す女性とか、化粧で元の顔からかなり違った感じにしちゃう女性なんてのもあんまり得意じゃないんだけど、ちさとはそういう女性とは全然違うんですね。自分の容姿を褒められるのが苦手だし、会社にもスーツで行くって頑なに決めてるし、化粧もあんまりしない。そういう、人にどう見せるかという部分に必要以上に手を掛けないというところがいいんですね。
考え方も合理的で好きです。論理的な根拠のないことは信じないから占いなんかはまったく受け付けないし、不真面目にしか仕事の出来ない人にはイライラしてしまう。まあいいか、というようなユルい考え方はしないし、基本的にどこまでもストイック。窮屈だろうなぁ、という感じの生き方だけど、本人は至って自然体で、無理をしているという感じがあまりない。
そういう、普通の女性っぽくない部分が、様々に細かなエピソードを積み重ねることで複層的に描かれていくので、有村ちさとという女性の存在感が物凄くリアルなんですね。これは他の登場人物も同じで、基本的にディテールの描き方が素晴らしいので、どのキャラクターも、自分のすぐ傍にいてもおかしくないよな、と思わせるだけのリアリティがあります。
さらに有村ちさとのいいところは、その特殊な能力ですね。特に本書で執拗に描かれるのが、街中に溢れる『意味のない英文』『間違った英文』が意識しなくても目に入ってしまって落ち着かない、という描写。この描写がまあ細かい細かい。人によっては、しつこいなぁと感じる描写だったりするかもだけど、僕はこの、ちさとが街中の英文についてウダウダ言ってるところが結構好きだったりします。また、自分の感覚に合う英文や英語の使い方という方も出てきて、ホントに英文に対する感覚が鋭いんだよなぁ、という感じがリアルに伝わってきます。意識しなくてもそういう不快な英文が視界に飛び込んできてしまうというのも鬱陶しいでしょうけど、うっかり変な英文の書かれたTシャツなんか着ていけないなと思うと、ちさとと関わるのもちょっと大変だなと思ったりしました。
ストーリーは、会社を巻き込んだあるトラブルがメインで描かれることになります。そのトラブルの過程で、ちさとは色んなことを考え、色んな人に出会い、いろんなことに気づき、そして色んなことをリセットしたりしながら、色々成長していくという、『色んな』という言葉を多用してみましたけど、ホントにそんな感じの小説なんです。会社を書き込んだトラブルの展開というのは、凄く魅力的なストーリーというわけではないんですが、本書ではそのストーリー自体がメインなのではなく、そのトラブルに見舞われたちさとの反応の方がメインになってくるので、ストーリー云々の方はさほど問題ではありません。ストーリーの方も面白いんですけど、それ以上に、ちさとを初めとする各登場人物たちの動きが気になってしまう感じの作品です。
「ラス・マンチャス通信」であれほどぶっ飛んだ世界観を生み出した平山瑞穂が、これだげ現実に地に足のついた作品を書けるのだなぁ、というのが結構驚きました(失礼な言い方ですね 笑)。「ラス・マンチャス通信」のイメージがあまりにも強かったんで、本書も、有村ちさとという会社員を主人公にしてるけど、またとんでもない展開になるんだろう、と思ってたんで、そういう意味では僕の中では若干スケールの小さな話だなという感覚があったんですけど、それはあくまでも「ラス・マンチャス通信」を読んでいたからこその実感なわけで、そうではない人にはスケールがどうのこうのなんてことは特に感じないだろうと思います。正直、こういう作品も書けるんだなぁ、という驚きの方が強かったです。
とはいえ、「ラス・マンチャス通信」ほどぶっ飛んではないにしろ、やはり変わった部分はあります。一番それが色濃く出ているのは、ちさとの家族、というかちさとの父親の存在でしょうか。この父親、海外を放浪しているので作中ではほぼ出てこないのに、妙な存在感がある。冒頭から結構謎めいた形で登場するちさとの父親がどんな人物なのかということが、ちさとの回想という形で徐々に明かされていくのも読みどころの一つだなと思いました。
まあそんなわけで、これはかなり面白い作品だと思います。僕は仕掛けることに決めましたよ。是非読んでみてください。
平山瑞穂「プロトコル」
ばら色タイムカプセル(大沼紀子)
内容に入ろうと思います。
父子家庭に育った、ストレスにより白髪になってしまった森山奏は、父親の再婚に伴い、13歳にして家出を計画し、実行に移した。流れ流れて千葉の海岸にたどり着いた奏は、死のうと思って死にきれず、とある老人ホームにたどり着くことになった。
そこは、老人ホームらしからぬ老人ホームだった。まず、要介護老人がいない。入居の条件に、要介護ではないことが含まれているらしい。老人はみな元気だ。特に、暴走ましまし娘と呼ばれる三人の老女は、歌舞伎にどハマリしており、歌舞伎のおっかけのためならありとあらゆることをするというバイタリティの持ち主。元々クラブのママだったという女性が曜日限定のクラブを開いていたりとか、自分の食べるものは全部自分で作る人とか、とにかく自由なところなのだ。
そんな老人ホームで奏は、年齢を偽って働くことにする。病気や死の話も悲壮感なく話、それまでのお年寄りのイメージを覆された奏は、お年寄りパワーに圧倒されるも、仕事を覚え知識を身につけ、どんどんと馴染んでいった。
ひょんなことから出会った同世代の男の子とも仲良くなり、老人ホームの名前の由来にもなった庭の薔薇の手入れにも習熟し始めてきた頃、奏はある噂を耳にする…。
というような話です。
新人の作品で、割と面白い作品でした。
キャラクターがなかなかうまく描けているんですね。老人ホームのかしまし三人娘なんかは物凄くパワフルで楽しそうだし、風来坊の料理人・田村は憎めないし掴みきれ無いキャラクターで凄く好きです。奏と仲良くなる少年・山崎も、人懐っこい猫みたいな性格で奏に限らずいろんな人の懐にじゃんじゃん入り込んでいっちゃうし、他にも老人ホームに関わる人はなんだか出っ張ってるキャラクターが多くて、なかなか面白いなという感じがしました。
ただ、主人公の奏が僕の中ではイマイチ掴みきれ無かったなという感じはあるんです。これは、ラストの印象から来てるのかもしれませんが。老人ホームでの話がメインで、奏と家族の関係があんまり描かれないので、どうにも奏に関する印象がぼやけてしまう感じがしました。その中であのラストだと、ちょっと唐突な感じがして、余計に奏のことがよくわからない感じがしちゃいました。そこがちょっと残念だったかなぁ。奏も、老人ホーム内でのキャラクターはちゃんと確立していたと思うんだけど、そこに家族の話が割り込んでくると途端にぼやけてしまうというか、ちょっともったいない気がしました。
ストーリーは、老人ホームでの日常を描きつつ、次第にちょっとした謎が出てくる感じなんだけど、この展開はまあよかったと思います。特に、老人ホームの日常を描く部分が結構よかったりします。昔、「メゾン・ド・ヒミコ」って映画を見たんだけど、そこで描かれる男たちの日常のように、何でもないんだけどそのなんでもなさが結構愛しいという感じで、狭く閉じられた環境の中で、あれだけ幅広く老人ホーム内の人間関係を描けているのはなかなかうまいと思いました。
後半、ちょっと謎めいてくる辺りから、田村が存在感を増し、奏の存在感が曖昧になっていったなぁ、という感じがするんですけど、謎自体もそこまで大したことなかったりするんだけど、でも割と読ませますね。やっぱり、うまいことキャラクターの描写をして、輪郭付けをしておいたのが功を奏してるという感じです。ストーリー性というか、日常の描写とキャラクターで読ませる、という感じの小説ですね。これでさらにストーリー性が加わったら、結構伸びる作家なんじゃないかなぁ、と偉そうなことを書いてみます。
あと、奏が白髪だという設定は、どうしても必要だったのかなぁ、という感じはしてしまいました。13歳で総白髪っていうのはちょっと違和感あるし、物語的に必須な設定というほどでもなかったと思うから、別にそうしなくてもよかったとは思ったんだけど。なんかのメタファーだったりするのかな?
老人ホームを舞台にしてるんで、病気とか死とかって話が身近に出てくるんだけど、重い雰囲気にはならない感じで、結構ほっこりさせる作品に仕上がっていると思います。なかなか面白い作品だと思います。読んでみてください。
大沼紀子「ばら色タイムカプセル」
父子家庭に育った、ストレスにより白髪になってしまった森山奏は、父親の再婚に伴い、13歳にして家出を計画し、実行に移した。流れ流れて千葉の海岸にたどり着いた奏は、死のうと思って死にきれず、とある老人ホームにたどり着くことになった。
そこは、老人ホームらしからぬ老人ホームだった。まず、要介護老人がいない。入居の条件に、要介護ではないことが含まれているらしい。老人はみな元気だ。特に、暴走ましまし娘と呼ばれる三人の老女は、歌舞伎にどハマリしており、歌舞伎のおっかけのためならありとあらゆることをするというバイタリティの持ち主。元々クラブのママだったという女性が曜日限定のクラブを開いていたりとか、自分の食べるものは全部自分で作る人とか、とにかく自由なところなのだ。
そんな老人ホームで奏は、年齢を偽って働くことにする。病気や死の話も悲壮感なく話、それまでのお年寄りのイメージを覆された奏は、お年寄りパワーに圧倒されるも、仕事を覚え知識を身につけ、どんどんと馴染んでいった。
ひょんなことから出会った同世代の男の子とも仲良くなり、老人ホームの名前の由来にもなった庭の薔薇の手入れにも習熟し始めてきた頃、奏はある噂を耳にする…。
というような話です。
新人の作品で、割と面白い作品でした。
キャラクターがなかなかうまく描けているんですね。老人ホームのかしまし三人娘なんかは物凄くパワフルで楽しそうだし、風来坊の料理人・田村は憎めないし掴みきれ無いキャラクターで凄く好きです。奏と仲良くなる少年・山崎も、人懐っこい猫みたいな性格で奏に限らずいろんな人の懐にじゃんじゃん入り込んでいっちゃうし、他にも老人ホームに関わる人はなんだか出っ張ってるキャラクターが多くて、なかなか面白いなという感じがしました。
ただ、主人公の奏が僕の中ではイマイチ掴みきれ無かったなという感じはあるんです。これは、ラストの印象から来てるのかもしれませんが。老人ホームでの話がメインで、奏と家族の関係があんまり描かれないので、どうにも奏に関する印象がぼやけてしまう感じがしました。その中であのラストだと、ちょっと唐突な感じがして、余計に奏のことがよくわからない感じがしちゃいました。そこがちょっと残念だったかなぁ。奏も、老人ホーム内でのキャラクターはちゃんと確立していたと思うんだけど、そこに家族の話が割り込んでくると途端にぼやけてしまうというか、ちょっともったいない気がしました。
ストーリーは、老人ホームでの日常を描きつつ、次第にちょっとした謎が出てくる感じなんだけど、この展開はまあよかったと思います。特に、老人ホームの日常を描く部分が結構よかったりします。昔、「メゾン・ド・ヒミコ」って映画を見たんだけど、そこで描かれる男たちの日常のように、何でもないんだけどそのなんでもなさが結構愛しいという感じで、狭く閉じられた環境の中で、あれだけ幅広く老人ホーム内の人間関係を描けているのはなかなかうまいと思いました。
後半、ちょっと謎めいてくる辺りから、田村が存在感を増し、奏の存在感が曖昧になっていったなぁ、という感じがするんですけど、謎自体もそこまで大したことなかったりするんだけど、でも割と読ませますね。やっぱり、うまいことキャラクターの描写をして、輪郭付けをしておいたのが功を奏してるという感じです。ストーリー性というか、日常の描写とキャラクターで読ませる、という感じの小説ですね。これでさらにストーリー性が加わったら、結構伸びる作家なんじゃないかなぁ、と偉そうなことを書いてみます。
あと、奏が白髪だという設定は、どうしても必要だったのかなぁ、という感じはしてしまいました。13歳で総白髪っていうのはちょっと違和感あるし、物語的に必須な設定というほどでもなかったと思うから、別にそうしなくてもよかったとは思ったんだけど。なんかのメタファーだったりするのかな?
老人ホームを舞台にしてるんで、病気とか死とかって話が身近に出てくるんだけど、重い雰囲気にはならない感じで、結構ほっこりさせる作品に仕上がっていると思います。なかなか面白い作品だと思います。読んでみてください。
大沼紀子「ばら色タイムカプセル」
乙女の密告(赤染晶子)
内容に入ろうと思います。
本書は、芥川賞を受賞した作品です。
舞台は、京都の外語大。外語大というのは女性の比率が高く、そして皆、乙女である。
授業中、ドイツ語のスピーチのゼミを担当しているバッハマン教授が、授業に割り込んでくる。いつもの光景。スピーチコンテストの暗唱の部の課題である「アンネの日記」の一節を明日までに覚えてきなさいとムチャ振り。
「アンネの日記」を心の底から好きなみか子は、『壇上で覚えたことを忘れる』という恐怖と闘いながら、「アンネの日記」と格闘する。
しかしその後、バッハマン教授に関わるある噂が流れ…。
というような話です。
正直、よくわからないなぁ、という作品でした。
僕は、結構女性向けの作品も読める人間だと自分では思ってるんですけど、でも、女性向けの作品にも、合う作品と合わない作品がくっきりと分かれています。どうもその、合わない方の作品だったようで、なんだかよくわからないなぁ、という感じで最後まで進んでしまいました。
確かに、女性というのは噂を信じて真実を追い求めようとはしない生き物かもしれないなぁ、とは思いましたけど、うーんだからどうなんだろう、という感じ。短い話だから最後まで読みきれましたけど、このままの感じで長編作品だったら、ちょっと途中で挫折していたような気がします。
というわけで、僕としては合わない作品で、面白さはよく分からなかったですけど、女性が読んだら結構面白かったりするのかもしれません。気になる方はどうぞ。
赤染晶子「乙女の密告」
本書は、芥川賞を受賞した作品です。
舞台は、京都の外語大。外語大というのは女性の比率が高く、そして皆、乙女である。
授業中、ドイツ語のスピーチのゼミを担当しているバッハマン教授が、授業に割り込んでくる。いつもの光景。スピーチコンテストの暗唱の部の課題である「アンネの日記」の一節を明日までに覚えてきなさいとムチャ振り。
「アンネの日記」を心の底から好きなみか子は、『壇上で覚えたことを忘れる』という恐怖と闘いながら、「アンネの日記」と格闘する。
しかしその後、バッハマン教授に関わるある噂が流れ…。
というような話です。
正直、よくわからないなぁ、という作品でした。
僕は、結構女性向けの作品も読める人間だと自分では思ってるんですけど、でも、女性向けの作品にも、合う作品と合わない作品がくっきりと分かれています。どうもその、合わない方の作品だったようで、なんだかよくわからないなぁ、という感じで最後まで進んでしまいました。
確かに、女性というのは噂を信じて真実を追い求めようとはしない生き物かもしれないなぁ、とは思いましたけど、うーんだからどうなんだろう、という感じ。短い話だから最後まで読みきれましたけど、このままの感じで長編作品だったら、ちょっと途中で挫折していたような気がします。
というわけで、僕としては合わない作品で、面白さはよく分からなかったですけど、女性が読んだら結構面白かったりするのかもしれません。気になる方はどうぞ。
赤染晶子「乙女の密告」