アシンメトリー(飛鳥井千砂)
内容に入ろうと思います。
本書は、四人の主要人物が二度ずつ描かれる、全部で8編からなる作品(連作短編集っぽい長編)なのだけど、ちょっとこの作品については、未読の人が知らない方がいいだろうデリケートな部分があって、それに僕は触れずに感想を書くつもりなので、内容紹介もちょっとざっくりしたものにしようと思います。そのデリケートな部分に触れないままで感想を書くってのはなかなかハードル高いんだけど、ちょっと頑張ろう。
主要な四人は、秋本朋美、辻紗雪、藤原治樹、夏川貴人。
朋美は、両親の離婚に伴って母親と二人で東京に出てきた。契約社員として事務の仕事を始めた時、紗雪と出会った。紗雪は、アパレル関連の仕事に就きたいと思っている子で、力業の奇抜なファッションがよく似合う都会的な女の子。黒髪で地味目な朋美とはまるで違ったタイプだったけど、二人はすぐに仲良くなった。
結婚観がまるで違う二人。朋美は、結婚を望むのは当然で、そうやって幸せになっていくもんだって疑いなく信じている。一方紗雪は、結婚が必ずしも人生の中心にある必要なんてなくて、相手と気持ちが合えばすればいいけど、そうでないなら別に特別こだわっていない、というスタンス。その結婚観の違いから、一瞬だけ気まずくなってしまったこともあったけど、大した問題じゃない。
朋美が衝撃を受けたのは、紗雪が結婚する、と聞いたから。しかも、治樹と結婚するのだという。
紗雪の高校時代からの友人だと言って紹介されたのが、雇われ店長として店を回している浩樹だった。東京に出てきて友達のいなかった朋美は、必然的に紗雪の友人と関わるようになったけど、紗雪の友人は紗雪と同じく奇抜な感じの子が多くてちょっと気後れがあった。治樹は、洗練された雰囲気だったけど、それまで会ってきたような紗雪の友人とはまた違っていて、朋美はなんとなくいいなと思うようになった。自分から行動しない朋美が一人で通っている、と紗雪に驚かれるくらい、頻繁に治樹の店に通うようになった。
その二人が結婚するのだという。式や披露宴はしないけど、ちょっとしたパーティみたいなものはやるらしく、そこに着ていく服を選ばないと。なんだかそのパーティに出るのも気が重い。
パーティ当日。やっぱり自分なんかがいるような場所ではないような華やかな感じで、朋美は乾杯も終わっていない時点で、もう帰ろうと思った。そんな時に出会ったのが、パーティに遅れてやってきた貴人だ。貴人は紗雪と治樹の高校時代からの友人で、みな一個ずつ学年が違うのにずっとつるんでいる感じだった。明るく元気な貴人の雰囲気に惹かれていく朋美…。
というような感じなんですけど、これやっぱり、デリケートな部分を除いたままで内容紹介すると、なんかどこにでもありそうな恋愛小説って感じになっちゃうなぁ。全然そんなことないんですよ。僕が普段考えているようなことや、あるいは、普段なかなか考えたことのないようなことまで、色んなことを深く考えさせる素敵な作品です。
本書のメインとなるデリケートな部分には触れないと決めたので、この作品について書けることは多くないんだけど、本書を読んで、普段僕が感じている『普通』ということについて強く考えさせられた。
僕は『普通』というのが好きじゃない。と書くと、なんだよ、自分が人とは違っていることを誇ったりしてるのかよ、とか思われちゃうかもだけど、そういうつもりはないんです。
僕は、『みんながそうだからこれが普通』という価値観が凄く嫌いなんですね。同じ『普通』の言動をしていても、『それを自分で選び取った』と思っている人はいいんですけど、『みんながいいって言ってるから』みたいな風に思ってる人って全然ダメなんです。
一番わかり易い例は、ブランドもののバッグかな。ブランドもののバッグを持ってる人って、大きく二つに分けられると思うんです。一つは、『なんかみんな持ってるし、流行ってるみたいだし、だから私も欲しい』っていう人。そしてもう一つは、『このブランドのバッグは質がちゃんとしてるし長持ちするから選んだ』という人。
同じブランドもののバッグを持っている人でも、後者の人は僕は大好きです。自分の価値観・判断でそれを選びとっている。でも、前者の人は大嫌いなんですね。それは、自分の価値観じゃない。周りの価値観に合わせることが『普通』だと思っていて、それが『幸せ』だと思っている人は、気持ち悪くて話も出来ないんです。
最近は、前者のような、自分の価値観で判断できない人が多い気がするんです。テレビでいいって言ってた、雑誌で紹介されてた、あの芸能人が使ってるんだって…。そういう人の存在を否定するつもりはないんですけど、僕はそういう人とはたぶん親しく出来ないし、話も通じないんだろうなぁ、と思うんです。
僕は子どもの頃、この『普通』って感覚に凄く苦しめられました。今でこそ僕は、人と外れた感じでいてもいいや、周りに合わせなくてもいいや、と思えるようになりましたけど、子どもの頃はそういう風には全然思えなかったんです。周りから浮くことを極度に恐れていたし、自分が良いと思うかどうかではなく、周りから良いと思われるかどうかが判断基準のほとんどだったと思います。
でも僕自身は、そういう自分が嫌いだった。別に周りに合わせたいわけじゃなかった。でも、学校とか家庭っていう狭い世界の中では、そういう風にやっていかないと、とてもじゃないとやっていけなかった。だから、特に中学高校時代はキツかったなぁ。『普通』という枠の中に、その枠とはまるで違う形をした自分をどうやって押しこむか、そして押しこむことで自分が感じる苦痛をどう扱うか。結局そういうことばっかりにほとんどの思考が取られていたような気がします。
今は本当に、凄く楽になりました。『普通』という枠を無視してもいい、という立ち位置に、うまく自分を誘導していったんですね。というか、そうでもしないととてもじゃないとやっていけなかった。今僕は、傍から見れば適当な生き方をしていると思うんだけど、ある意味で僕の中でこれが最適解だなと感じることがあるし、自分をここに辿り着かせるためにしてきた様々な決断を後悔したことはありません。
『普通』という枠に、苦痛を感じることなく自分の形を馴染ませることが出来るなら、もう少し生きていくのって楽だろうなぁ、って思うんです。だからある意味で、『みんながそうしてるから』っていう『普通』の価値観を違和感なく持てる人って羨ましく思う。僕がずっと抱え込んできたような鬱屈みたいなものを、たぶんその姿形さえ想像しなくてもいいような生き方なんだろうな、と思うんです。でも、僕にはそういう生き方は出来ないって知ってるし、子どもの時のように『普通』の枠に自分を押し込めなくても生きていける今の感じは、決して嫌いじゃありません。
僕は、朋美が大嫌いなんですね。
朋美は、僕がさっきから言ってきたような、『普通』の枠に違和感なく馴染める人、なんです。ホントに僕は、朋美の価値観が垣間見える度に、うわーっていう気になりました。例えば、仕事で一緒になるくらいならまだ我慢できるけど、朋美とは親しい付き合いは出来ないだろうなぁ。
朋美は、自分が『普通』だと思っていることが、世間一般の常識だと思っている。世の中にはいろんな人がいて、色んな考え方があるのに、自分の『普通』こそが最適で、それ以外は『普通ではない』って、ナチュラルに思い込むことが出来ている。そういう価値観は、不愉快で仕方ないんですね。
もちろん、朋美に感情移入ができないからって、この作品がつまらないとかそういうことは全然ないんです。不愉快だからこそ気になる、という部分もあって、こういう時朋美はどんな発想をするんだろう、って楽しみになる感じもあります。
対照的なのが紗雪で、トリッキーな人間が好きな僕としては、紗雪は凄くいいキャラですね。女子同士で群れないとか、自分が正しいと思ったことは先輩相手でも通すとか、激しく周りから浮くキャラで、僕も中学高校時代に紗雪と出会っていたら、周りの人から目をつけられないように紗雪とは仲良くしなかったかもしれない、と思わせるようなエキセントリックさなんだけど、今なら凄く仲良くしたい感じの人です。正直に言うと、紗雪の章を読んで、紗雪の内面を知ると、うーむ、と思う部分も出てきたりはしたんだけど、でも紗雪はいいなと思います。
朋美と紗雪のやり取りは、怖いですね。うわー、女だなぁー、って感じがします。女同士の醜い部分が時折垣間見えて、そういう部分も上手いなと思いました。飛鳥井さんの作品ってそこそこ読んでるけど、こういう女同士のうわーって部分が、そこまで強く描かれてる作品ってあんまりなかったような気がします(気のせいかな)。本書では、ある意味で『バトル』と言ってもいいくらいの紗雪と朋美のやり取りは、かなり読みごたえあります。
最後の最後で朋美はちょっと変わるんだけど、その変わった朋美は結構いいかも。なかなかそんなに、憑き物が落ちたように変わるものなのか僕はちょっと半信半疑だったりするけど(『普通』って価値観に縛られてる人って、その価値観から動く理由があんまりなさそうな気がするんですよね)、確かに朋美が経験したことって『ちょっとしたこと』ではないし、朋美の変化はなかなかいい感じだなと思いました。
治樹についてはちょっとあんまり書けることが多くはないんだけど、治樹と紗雪の関係も、回りまわってなかなかの着地点に辿りついたような感じがあって、いい終わり方な気がします。
貴人は、なんだかんだ言って濃い他の三人と比べると薄味のキャラクターなんだけど、結局物語をかき回すことになるのは貴人だったりするんだよなぁ。ただ個人的には、貴人には特別思い入れはないかな。大嫌いな朋美の方が気になる存在だったりします(笑)
本書のデリケートな部分については、他の小説でも時々そういう感じのものがあったりして、そういう小説を読んだ時にはちょっと考えるけど、やっぱり普段なかなか考えることは少ないよなと思います。彼らが何をどう感じ、どう生きているのかを、少しでも理解できた、なんて表現することはおこがましくて出来ないけど、見て見ぬふりをしなくてもいいような感じになればいいんだけどなぁ、という感じがしました。
最後に、紗雪の言葉で、僕が結構好きなフレーズがあるので、それを抜き出して終わりにしようと思います。
『だって結婚って二人でするものだから、相手があって初めて成立するものでしょ?相手がいないときでも、結婚だけしたいっておかしくない?』
『だいたい「普通」という言葉を使いたがる人は、どういう意味で言っているのだろう。大多数?平均?標準?正常?
大多数、平均、標準は譲ってもいい。でも、大多数じゃないからと行って、何故責められたり笑われたりされなければいけないのか』
僕の内容紹介だと、なんとなくフワッとした恋愛小説っぽいけど、全然そんなことありません。相手の気持ちを必要以上に推し量ることでしか自分を守れない、そういう強さと弱さを兼ね備えざるをえなかった人たちの、傷だらけになりながらも前に進んでいく物語です。是非読んでみてください。
飛鳥井千砂「アシンメトリー」
本書は、四人の主要人物が二度ずつ描かれる、全部で8編からなる作品(連作短編集っぽい長編)なのだけど、ちょっとこの作品については、未読の人が知らない方がいいだろうデリケートな部分があって、それに僕は触れずに感想を書くつもりなので、内容紹介もちょっとざっくりしたものにしようと思います。そのデリケートな部分に触れないままで感想を書くってのはなかなかハードル高いんだけど、ちょっと頑張ろう。
主要な四人は、秋本朋美、辻紗雪、藤原治樹、夏川貴人。
朋美は、両親の離婚に伴って母親と二人で東京に出てきた。契約社員として事務の仕事を始めた時、紗雪と出会った。紗雪は、アパレル関連の仕事に就きたいと思っている子で、力業の奇抜なファッションがよく似合う都会的な女の子。黒髪で地味目な朋美とはまるで違ったタイプだったけど、二人はすぐに仲良くなった。
結婚観がまるで違う二人。朋美は、結婚を望むのは当然で、そうやって幸せになっていくもんだって疑いなく信じている。一方紗雪は、結婚が必ずしも人生の中心にある必要なんてなくて、相手と気持ちが合えばすればいいけど、そうでないなら別に特別こだわっていない、というスタンス。その結婚観の違いから、一瞬だけ気まずくなってしまったこともあったけど、大した問題じゃない。
朋美が衝撃を受けたのは、紗雪が結婚する、と聞いたから。しかも、治樹と結婚するのだという。
紗雪の高校時代からの友人だと言って紹介されたのが、雇われ店長として店を回している浩樹だった。東京に出てきて友達のいなかった朋美は、必然的に紗雪の友人と関わるようになったけど、紗雪の友人は紗雪と同じく奇抜な感じの子が多くてちょっと気後れがあった。治樹は、洗練された雰囲気だったけど、それまで会ってきたような紗雪の友人とはまた違っていて、朋美はなんとなくいいなと思うようになった。自分から行動しない朋美が一人で通っている、と紗雪に驚かれるくらい、頻繁に治樹の店に通うようになった。
その二人が結婚するのだという。式や披露宴はしないけど、ちょっとしたパーティみたいなものはやるらしく、そこに着ていく服を選ばないと。なんだかそのパーティに出るのも気が重い。
パーティ当日。やっぱり自分なんかがいるような場所ではないような華やかな感じで、朋美は乾杯も終わっていない時点で、もう帰ろうと思った。そんな時に出会ったのが、パーティに遅れてやってきた貴人だ。貴人は紗雪と治樹の高校時代からの友人で、みな一個ずつ学年が違うのにずっとつるんでいる感じだった。明るく元気な貴人の雰囲気に惹かれていく朋美…。
というような感じなんですけど、これやっぱり、デリケートな部分を除いたままで内容紹介すると、なんかどこにでもありそうな恋愛小説って感じになっちゃうなぁ。全然そんなことないんですよ。僕が普段考えているようなことや、あるいは、普段なかなか考えたことのないようなことまで、色んなことを深く考えさせる素敵な作品です。
本書のメインとなるデリケートな部分には触れないと決めたので、この作品について書けることは多くないんだけど、本書を読んで、普段僕が感じている『普通』ということについて強く考えさせられた。
僕は『普通』というのが好きじゃない。と書くと、なんだよ、自分が人とは違っていることを誇ったりしてるのかよ、とか思われちゃうかもだけど、そういうつもりはないんです。
僕は、『みんながそうだからこれが普通』という価値観が凄く嫌いなんですね。同じ『普通』の言動をしていても、『それを自分で選び取った』と思っている人はいいんですけど、『みんながいいって言ってるから』みたいな風に思ってる人って全然ダメなんです。
一番わかり易い例は、ブランドもののバッグかな。ブランドもののバッグを持ってる人って、大きく二つに分けられると思うんです。一つは、『なんかみんな持ってるし、流行ってるみたいだし、だから私も欲しい』っていう人。そしてもう一つは、『このブランドのバッグは質がちゃんとしてるし長持ちするから選んだ』という人。
同じブランドもののバッグを持っている人でも、後者の人は僕は大好きです。自分の価値観・判断でそれを選びとっている。でも、前者の人は大嫌いなんですね。それは、自分の価値観じゃない。周りの価値観に合わせることが『普通』だと思っていて、それが『幸せ』だと思っている人は、気持ち悪くて話も出来ないんです。
最近は、前者のような、自分の価値観で判断できない人が多い気がするんです。テレビでいいって言ってた、雑誌で紹介されてた、あの芸能人が使ってるんだって…。そういう人の存在を否定するつもりはないんですけど、僕はそういう人とはたぶん親しく出来ないし、話も通じないんだろうなぁ、と思うんです。
僕は子どもの頃、この『普通』って感覚に凄く苦しめられました。今でこそ僕は、人と外れた感じでいてもいいや、周りに合わせなくてもいいや、と思えるようになりましたけど、子どもの頃はそういう風には全然思えなかったんです。周りから浮くことを極度に恐れていたし、自分が良いと思うかどうかではなく、周りから良いと思われるかどうかが判断基準のほとんどだったと思います。
でも僕自身は、そういう自分が嫌いだった。別に周りに合わせたいわけじゃなかった。でも、学校とか家庭っていう狭い世界の中では、そういう風にやっていかないと、とてもじゃないとやっていけなかった。だから、特に中学高校時代はキツかったなぁ。『普通』という枠の中に、その枠とはまるで違う形をした自分をどうやって押しこむか、そして押しこむことで自分が感じる苦痛をどう扱うか。結局そういうことばっかりにほとんどの思考が取られていたような気がします。
今は本当に、凄く楽になりました。『普通』という枠を無視してもいい、という立ち位置に、うまく自分を誘導していったんですね。というか、そうでもしないととてもじゃないとやっていけなかった。今僕は、傍から見れば適当な生き方をしていると思うんだけど、ある意味で僕の中でこれが最適解だなと感じることがあるし、自分をここに辿り着かせるためにしてきた様々な決断を後悔したことはありません。
『普通』という枠に、苦痛を感じることなく自分の形を馴染ませることが出来るなら、もう少し生きていくのって楽だろうなぁ、って思うんです。だからある意味で、『みんながそうしてるから』っていう『普通』の価値観を違和感なく持てる人って羨ましく思う。僕がずっと抱え込んできたような鬱屈みたいなものを、たぶんその姿形さえ想像しなくてもいいような生き方なんだろうな、と思うんです。でも、僕にはそういう生き方は出来ないって知ってるし、子どもの時のように『普通』の枠に自分を押し込めなくても生きていける今の感じは、決して嫌いじゃありません。
僕は、朋美が大嫌いなんですね。
朋美は、僕がさっきから言ってきたような、『普通』の枠に違和感なく馴染める人、なんです。ホントに僕は、朋美の価値観が垣間見える度に、うわーっていう気になりました。例えば、仕事で一緒になるくらいならまだ我慢できるけど、朋美とは親しい付き合いは出来ないだろうなぁ。
朋美は、自分が『普通』だと思っていることが、世間一般の常識だと思っている。世の中にはいろんな人がいて、色んな考え方があるのに、自分の『普通』こそが最適で、それ以外は『普通ではない』って、ナチュラルに思い込むことが出来ている。そういう価値観は、不愉快で仕方ないんですね。
もちろん、朋美に感情移入ができないからって、この作品がつまらないとかそういうことは全然ないんです。不愉快だからこそ気になる、という部分もあって、こういう時朋美はどんな発想をするんだろう、って楽しみになる感じもあります。
対照的なのが紗雪で、トリッキーな人間が好きな僕としては、紗雪は凄くいいキャラですね。女子同士で群れないとか、自分が正しいと思ったことは先輩相手でも通すとか、激しく周りから浮くキャラで、僕も中学高校時代に紗雪と出会っていたら、周りの人から目をつけられないように紗雪とは仲良くしなかったかもしれない、と思わせるようなエキセントリックさなんだけど、今なら凄く仲良くしたい感じの人です。正直に言うと、紗雪の章を読んで、紗雪の内面を知ると、うーむ、と思う部分も出てきたりはしたんだけど、でも紗雪はいいなと思います。
朋美と紗雪のやり取りは、怖いですね。うわー、女だなぁー、って感じがします。女同士の醜い部分が時折垣間見えて、そういう部分も上手いなと思いました。飛鳥井さんの作品ってそこそこ読んでるけど、こういう女同士のうわーって部分が、そこまで強く描かれてる作品ってあんまりなかったような気がします(気のせいかな)。本書では、ある意味で『バトル』と言ってもいいくらいの紗雪と朋美のやり取りは、かなり読みごたえあります。
最後の最後で朋美はちょっと変わるんだけど、その変わった朋美は結構いいかも。なかなかそんなに、憑き物が落ちたように変わるものなのか僕はちょっと半信半疑だったりするけど(『普通』って価値観に縛られてる人って、その価値観から動く理由があんまりなさそうな気がするんですよね)、確かに朋美が経験したことって『ちょっとしたこと』ではないし、朋美の変化はなかなかいい感じだなと思いました。
治樹についてはちょっとあんまり書けることが多くはないんだけど、治樹と紗雪の関係も、回りまわってなかなかの着地点に辿りついたような感じがあって、いい終わり方な気がします。
貴人は、なんだかんだ言って濃い他の三人と比べると薄味のキャラクターなんだけど、結局物語をかき回すことになるのは貴人だったりするんだよなぁ。ただ個人的には、貴人には特別思い入れはないかな。大嫌いな朋美の方が気になる存在だったりします(笑)
本書のデリケートな部分については、他の小説でも時々そういう感じのものがあったりして、そういう小説を読んだ時にはちょっと考えるけど、やっぱり普段なかなか考えることは少ないよなと思います。彼らが何をどう感じ、どう生きているのかを、少しでも理解できた、なんて表現することはおこがましくて出来ないけど、見て見ぬふりをしなくてもいいような感じになればいいんだけどなぁ、という感じがしました。
最後に、紗雪の言葉で、僕が結構好きなフレーズがあるので、それを抜き出して終わりにしようと思います。
『だって結婚って二人でするものだから、相手があって初めて成立するものでしょ?相手がいないときでも、結婚だけしたいっておかしくない?』
『だいたい「普通」という言葉を使いたがる人は、どういう意味で言っているのだろう。大多数?平均?標準?正常?
大多数、平均、標準は譲ってもいい。でも、大多数じゃないからと行って、何故責められたり笑われたりされなければいけないのか』
僕の内容紹介だと、なんとなくフワッとした恋愛小説っぽいけど、全然そんなことありません。相手の気持ちを必要以上に推し量ることでしか自分を守れない、そういう強さと弱さを兼ね備えざるをえなかった人たちの、傷だらけになりながらも前に進んでいく物語です。是非読んでみてください。
飛鳥井千砂「アシンメトリー」
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