TENGU(柴田哲考)
世界は広い。僕らが想像している以上に広い。
例えば以前、こんなニュースを見たことがある。オーストラリアだかどこかの国で、人跡未踏の広大な森が発見された、という話である。もちろん、現地の人間がいれば足を踏み入れたことぐらいはあるだろうから、専門家や調査団が入ったことがない、ということだろうけど、それにしても世界にはまだそんな場所があるのだなぁ、と思ったものだ。北南極を制覇し、文明からは遥かに離れた地の民族の言葉さえ研究されている世の中で、未だに人の手が加わっていない森があるというのも不思議な話である。
また、シーラカンスが発見された、という事件もかつてあった。もちろん、発見されたと言っても、現地の人間はそれを知っていた。公式に発見されたということであるが、太古の昔に絶滅したと思われていたシーラカンスがまだ生存していたというのも、なかなか驚いたものだ。
人間は、その有り余る好奇心を以って、世界を調べ尽くしてきた。そんな努力により、毎年生物の新種が発見されたり、または新しい彗星が発見されたりと言った小規模なものから、それまでの常識を覆すような重大な発見がなされたりすることになる。
しかし、どこまで行っても、人間はこの世界を知り尽くしたことにはならないだろう。そこに、人間の限界がある。
僕らは、見たモノしかしか信じられないし、時には見たモノですら信じられないようなことがある。ただこれだけは言えるかもしれない。人間は、信じたいものしか信じない生き物だ、と。
かつて、ミステリーサークルというものが話題になった。今でも一部では根強く信仰されているのかもしれないが。UFOが着陸した跡だ、というような説が本気で考えられるほど、それは美しく人間業とは思われないもので、それを人間以外の存在の仕業だと信じたい人は多かっただろうし、実際信じた人も多かっただろう。
しかし、後年あれは人間のイタズラであることが明かされた。ごく簡単な装置だけで出来てしまうものだということがわかったのである。
同じようなものに、ネッシー騒動があった。湖の底に潜んで生きる巨大生物に、世界中が興味を持ったモノだが、あれもイタズラであることが後年明かされている。
それでも人々は、こうしたモノを飽かず信じる傾向にあると思う。心の底から本気で信じていなくても、もしかしたら、という思いを消すことは難しい。
世界は広いのだ、という思いもどこかにはあるだろう。人間がまだ知らないだけ、解明していないだけで、実はそういうこともあるのだろう、と。
科学の台頭によって、世の中から不思議なモノというのはどんどんとなくなって言った。科学が、それを次々に解き明かしていったのだ。しかし同時に、科学の台頭は不思議なモノを切り捨ててきたとも言えるだろう。科学で割り切れるものだけが正しくて、そうでないものは間違っている、と。
その考えを否定するつもりはないけど、でも僕は思う。不思議なものはいつまででも残っていて欲しい、と。別に眉唾モノでも、ありえなさそうな話でもいい。でも、世界のどこかには、まだまだ不思議なものがあるんだ、と思えるほうがいい、と思う。科学で解明できないものはない、という姿勢は、科学者の思い上がりだと思う。世界は、僕らが想像している以上に広いのである。
そろそろ書いていることがよくわからなくなってきたので、内容に入ろうと思います。
中央通信社の記者である道平慶一は、26年前のあの事件の現場となった村を久しぶりに訪れた。
衝撃的な事件であった。人間業とは思えないような死体の状況。足跡などから推定される、人間とはとても思えないような体格。当時その村では、天狗の仕業だ、とまことしやかにささやかれていた、そんな事件だった。
あの事件から既に26年。長い年月が経った。
彼が村を再訪したのには理由があった。当時事件の鑑識を担当していた大貫という男から連絡があったのだ。
二人は、取材時によく酒を酌み交わした小料理屋で、久しぶりの再会をした。そこで大貫は、是非あの事件をもう一度考えてはくれないか、と言ってきた。当時の捜査資料はすべてやる。当時のことを知っている人間にも合わせる。頼む、もう俺には時間がないのだ、と。大貫は、癌だった。
そうして道平は、「鹿又村一家三人殺人事件」と名付けられた第一の事件から、当時のことを回想しつつ、ジャーナリストとして今自分が出来ることから手をつけることにした。さし当たっては、当時偶然手に入れることが出来た、犯人の体毛のDNA鑑定である。
鑑定結果は驚くべきものだった。猿でもオラウータンでもゴリラでもないが、人間とも明らかな差異がある…。
一体あの事件の犯人は何者だったのか?米軍の影が背後にちらつくのが見えるなか、道平は地道に調査を進めていくが…。
というような話です。
本作の著者は、「下山事件」という作品で一躍話題になった人です。自分の祖父が実行犯かもしれない、という視点で描かれた作品で、かなり話題になりました。そんな著者の作品なので、読み始めは本作もノンフィクションだと思っていたのですが、どうも違うようですね。本作は小説でした。途中で、事件が起こったとされる「鹿又村」というキーワードでネットで検索をしても大したものは出てこなかったので、おかしいなと思って巻末を見ると、本作はフィクションです、と書かれていたわけです。まあフィクションでもいいんですけど。
初めはノンフィクションだと思っていたので、これがどういう結末に辿り着くのか、と思っていたわけですが、小説だと分かったので、まあどんな結末でもありえるな、と思い直しました。
ストーリーはでも、なかなか面白かったです。事件当時の回想と現在の道平の行動の描写がなかなかうまいこと描かれているし、さすがノンフィクション作家というべきか、細かいところまでしっかり詰めてあるな、と思える作品で、なかなかいいと思いました。日本の片田舎で起きた事件が、アメリカの謀略と繋がってるという部分も、まあ読む人が読めば荒唐無稽な部分もあるんでしょうけど、素人が読む限り、なかなかうまく出来ている、と僕は思いました。最後の結末は、まあ認められない人は認められないかもしれないけど、でもそういうことがあってもおかしくはないよな、と僕なんかは思ったりします。
ただ、下手に恋愛的な要素を組み込んでいるのが、ちょっとなぁ、と思いました。なんというか、恋愛の部分の描写がそこまでうまくないと僕には感じられて、ちょっと全体の雰囲気を壊してないかな、と思ったりしました。もちろん、その部分も作品の流れとしてはまあ必要なのかもしれないのだけど、もうちょっとなぁ、と思わないでもなかったです。
全体的には、ノンフィクションの手法を使ってミステリーを描いているという感じで、僕はアリだと思いましたけど、でも人によって評価は分かれそうな作品だとも思います。特に、ガチガチのミステリ読みにはあんまりオススメは出来ないですね。そういう読者が望んでいるような方向にストーリーは進んでいかないので。あとは、ラストの展開を受け入れられるかどうか、ですけど。
興味があるという人は、読んでみてもいいと思います。悪い作品ではないと思います。
柴田哲考「TENGU」
例えば以前、こんなニュースを見たことがある。オーストラリアだかどこかの国で、人跡未踏の広大な森が発見された、という話である。もちろん、現地の人間がいれば足を踏み入れたことぐらいはあるだろうから、専門家や調査団が入ったことがない、ということだろうけど、それにしても世界にはまだそんな場所があるのだなぁ、と思ったものだ。北南極を制覇し、文明からは遥かに離れた地の民族の言葉さえ研究されている世の中で、未だに人の手が加わっていない森があるというのも不思議な話である。
また、シーラカンスが発見された、という事件もかつてあった。もちろん、発見されたと言っても、現地の人間はそれを知っていた。公式に発見されたということであるが、太古の昔に絶滅したと思われていたシーラカンスがまだ生存していたというのも、なかなか驚いたものだ。
人間は、その有り余る好奇心を以って、世界を調べ尽くしてきた。そんな努力により、毎年生物の新種が発見されたり、または新しい彗星が発見されたりと言った小規模なものから、それまでの常識を覆すような重大な発見がなされたりすることになる。
しかし、どこまで行っても、人間はこの世界を知り尽くしたことにはならないだろう。そこに、人間の限界がある。
僕らは、見たモノしかしか信じられないし、時には見たモノですら信じられないようなことがある。ただこれだけは言えるかもしれない。人間は、信じたいものしか信じない生き物だ、と。
かつて、ミステリーサークルというものが話題になった。今でも一部では根強く信仰されているのかもしれないが。UFOが着陸した跡だ、というような説が本気で考えられるほど、それは美しく人間業とは思われないもので、それを人間以外の存在の仕業だと信じたい人は多かっただろうし、実際信じた人も多かっただろう。
しかし、後年あれは人間のイタズラであることが明かされた。ごく簡単な装置だけで出来てしまうものだということがわかったのである。
同じようなものに、ネッシー騒動があった。湖の底に潜んで生きる巨大生物に、世界中が興味を持ったモノだが、あれもイタズラであることが後年明かされている。
それでも人々は、こうしたモノを飽かず信じる傾向にあると思う。心の底から本気で信じていなくても、もしかしたら、という思いを消すことは難しい。
世界は広いのだ、という思いもどこかにはあるだろう。人間がまだ知らないだけ、解明していないだけで、実はそういうこともあるのだろう、と。
科学の台頭によって、世の中から不思議なモノというのはどんどんとなくなって言った。科学が、それを次々に解き明かしていったのだ。しかし同時に、科学の台頭は不思議なモノを切り捨ててきたとも言えるだろう。科学で割り切れるものだけが正しくて、そうでないものは間違っている、と。
その考えを否定するつもりはないけど、でも僕は思う。不思議なものはいつまででも残っていて欲しい、と。別に眉唾モノでも、ありえなさそうな話でもいい。でも、世界のどこかには、まだまだ不思議なものがあるんだ、と思えるほうがいい、と思う。科学で解明できないものはない、という姿勢は、科学者の思い上がりだと思う。世界は、僕らが想像している以上に広いのである。
そろそろ書いていることがよくわからなくなってきたので、内容に入ろうと思います。
中央通信社の記者である道平慶一は、26年前のあの事件の現場となった村を久しぶりに訪れた。
衝撃的な事件であった。人間業とは思えないような死体の状況。足跡などから推定される、人間とはとても思えないような体格。当時その村では、天狗の仕業だ、とまことしやかにささやかれていた、そんな事件だった。
あの事件から既に26年。長い年月が経った。
彼が村を再訪したのには理由があった。当時事件の鑑識を担当していた大貫という男から連絡があったのだ。
二人は、取材時によく酒を酌み交わした小料理屋で、久しぶりの再会をした。そこで大貫は、是非あの事件をもう一度考えてはくれないか、と言ってきた。当時の捜査資料はすべてやる。当時のことを知っている人間にも合わせる。頼む、もう俺には時間がないのだ、と。大貫は、癌だった。
そうして道平は、「鹿又村一家三人殺人事件」と名付けられた第一の事件から、当時のことを回想しつつ、ジャーナリストとして今自分が出来ることから手をつけることにした。さし当たっては、当時偶然手に入れることが出来た、犯人の体毛のDNA鑑定である。
鑑定結果は驚くべきものだった。猿でもオラウータンでもゴリラでもないが、人間とも明らかな差異がある…。
一体あの事件の犯人は何者だったのか?米軍の影が背後にちらつくのが見えるなか、道平は地道に調査を進めていくが…。
というような話です。
本作の著者は、「下山事件」という作品で一躍話題になった人です。自分の祖父が実行犯かもしれない、という視点で描かれた作品で、かなり話題になりました。そんな著者の作品なので、読み始めは本作もノンフィクションだと思っていたのですが、どうも違うようですね。本作は小説でした。途中で、事件が起こったとされる「鹿又村」というキーワードでネットで検索をしても大したものは出てこなかったので、おかしいなと思って巻末を見ると、本作はフィクションです、と書かれていたわけです。まあフィクションでもいいんですけど。
初めはノンフィクションだと思っていたので、これがどういう結末に辿り着くのか、と思っていたわけですが、小説だと分かったので、まあどんな結末でもありえるな、と思い直しました。
ストーリーはでも、なかなか面白かったです。事件当時の回想と現在の道平の行動の描写がなかなかうまいこと描かれているし、さすがノンフィクション作家というべきか、細かいところまでしっかり詰めてあるな、と思える作品で、なかなかいいと思いました。日本の片田舎で起きた事件が、アメリカの謀略と繋がってるという部分も、まあ読む人が読めば荒唐無稽な部分もあるんでしょうけど、素人が読む限り、なかなかうまく出来ている、と僕は思いました。最後の結末は、まあ認められない人は認められないかもしれないけど、でもそういうことがあってもおかしくはないよな、と僕なんかは思ったりします。
ただ、下手に恋愛的な要素を組み込んでいるのが、ちょっとなぁ、と思いました。なんというか、恋愛の部分の描写がそこまでうまくないと僕には感じられて、ちょっと全体の雰囲気を壊してないかな、と思ったりしました。もちろん、その部分も作品の流れとしてはまあ必要なのかもしれないのだけど、もうちょっとなぁ、と思わないでもなかったです。
全体的には、ノンフィクションの手法を使ってミステリーを描いているという感じで、僕はアリだと思いましたけど、でも人によって評価は分かれそうな作品だとも思います。特に、ガチガチのミステリ読みにはあんまりオススメは出来ないですね。そういう読者が望んでいるような方向にストーリーは進んでいかないので。あとは、ラストの展開を受け入れられるかどうか、ですけど。
興味があるという人は、読んでみてもいいと思います。悪い作品ではないと思います。
柴田哲考「TENGU」
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