黒夜行

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「大いなる不在」を観に行ってきました

いやー、これはホント、なんとも言えない「ざらつき」をずっと感じさせられる作品だった。「自分は今、一体何を見ているんだ?」という感覚に何度も襲われたのだ。それぐらい、描かれているのは「不条理」に満ちた世界なのだが、しかし僕らは、これが「自分の人生の先にも待ち受けているかもしれない日常」であると理解できてしまう。その恐ろしさを、観ている間ずっと感じていたように思う。

本作は、僕の感触では、「物語」としては成立していないと思う。結局最後まで観ても「分からない部分」は残るし、まあそれ自体は別にいいのだが、「過去」と「現在」のあまりの結びつかなさが、「物語」という形にまとまることを拒んでいるような感じがした。

ただその一方で、「物語世界」としては成立していると思う。本作では「認知症」が描かれるが、「認知症」という圧倒的な「不条理」によって物語が展開されていき、それ故に「物語」としては成立していないのだが、しかし、描かれている「世界」は、まさに今も、この世の中のどこかに存在しているのではないか、と思わせるリアリティがある。

そしてこの、「『物語』としては成立していないが、『物語世界』としては成立している」という本作の特異さが、「ざらつき」となって観客に届くのではないかと感じた。

物語は冒頭から、異様な形で始まっていく。ある民家を、警察の特殊部隊のような集団が取り囲むのだ。緊迫した雰囲気が漂う中で彼らは突入を決めるのだが、しかしその直後、玄関から男性が出てきた。

それが、認知症になった遠山陽二である。そして「なぜ特殊部隊が集まっていたのか」は、映画の最後まで分からない。

さて、父親の逮捕を受けて、脇役ながら大河ドラマにも出演している役者である卓は、妻・夕希を連れて九州へとやってきた。行政とやり取りし、施設への入居が決まるが、しかし卓にはなかなか自分事には思えずにいる。というのもこの30年間、卓は父・陽二と数えるほどしか会っていないのだ。

卓が幼い頃に両親は離婚。そしてその離婚を機に、卓は陽二と疎遠になった。陽二はその後、直美という女性と結婚。卓は、結婚の報告などの折に何度か陽二を訪ね、直美さんとも関わりを持っていた。しかし結局、父・陽二のことなどほとんど関係ないような形で、卓は人生を歩んできたのである。

行政からの帰り、夫婦で父親の家へと向かったのだが、自分たちではどうにもならないと、直美さんの携帯に電話をすることにした。しかしその携帯は、家に置きっぱなしで直美さんとは連絡が取れない。それどころか、父親の逮捕を境に、直美さんの行方が分からなくなってしまったのだ。

一体何が起こっているのか? 卓は、家に残された手紙やメモ、写真などに目を通し、また「拉致されて外国に収容されている」と思い込んでいる、施設で暮らす陽二に話を聞いたりするのだが、何も見えてこない。それどころか、見知らぬ男性の訪問を受けたり、見知らぬ女性が陽二の家で食事の宅配を注文していたなど、謎は増えていくばかり。

一体、何があったのだろうか……?

とにかく圧倒的だったのは、遠山陽二を演じた藤竜也。演技のことを言語化するのは得意ではないが、とにかく細部まで含めた存在感が圧巻だった。認知症を患う前の「絶妙に嫌な雰囲気を醸し出す老人」の雰囲気も、認知症を患ってからの「狂気を狂気だと理解していない狂気」みたいな振る舞いも、ちょっと凄いなと思う。本作はとにかく、「遠山陽二」という人物のリアリティにすべてがかかっていると言っていいだろうし、それを藤竜也が完璧以上の演技で成立させたと感じた。

はっきり言って、「物語としては成立していない」というのは、遠山陽二があまりにもムチャクチャだからなのだが、しかしそれでも、「遠山陽二という存在」は実にリアルで、よくもまあこんな絶妙なバランスを成立させたものだと感じた。僕は映画を観る時、どうしても「物語」ばかりに目が行ってしまうので、あまり「役者の演技」に打ちのめされることはないのだが、本作の場合は、とにかく「藤竜也の演技」に驚かされたし、揺さぶられたし、感動させられた。

さて、本作のタイトルには「不在」という言葉が入っているが、では「存在する」とはどういうことだろうか? 本作の最も深い問いかけは、ここにあるのではないかと思う。

少しまで、今泉力哉のオールナイト上映のイベントに行き、そこで初めて映画『退屈な日々にさようならを』を観た。そして、合間のトークで今泉力哉が、この作品を作るきっかけみたいな話をしていたのだ。大学時代の友人が亡くなったという連絡をもらったのだが、もちろん彼はそんな想像などまったくしていなかった。つまり彼の中でその友人は「生きていた」のだ。そこまで親しい友人ではなかったのだろう、亡くなってから3ヶ月後にその連絡をもらったそうだが、実際に命を落としてから今泉力哉が連絡をもらうまでの3ヶ月間、今泉力哉の中では、その友人は「生きていた」のである。こんなエピソードを話していた。

これはつまり、「記憶の中に存在していれば、リアルに存在しているのと大差ない」みたいなまとめ方も出来るだろう。「もう存在しない」という情報によって記憶が更新されてしまえばそうもいかないわけだが、そんな「更新」がなされない内は、「記憶の中の存在」と「リアルでの存在」は大差ないのである。

さて、しかし本作では、「記憶が失われていく」という認知症が扱われている。先程の話を逆にそれは、「記憶の中の存在」が消えてしまえば、仮にリアルに存在していたとしても、「リアルでの存在」も消えてしまう、ということになるだろう。本作ではもちろん、このような難しさが描かれている。

しかしそれだけではない。本作の非常に興味深い点は、「記憶が物質として残っている」ということにある。

あまり具体的には書かないが、本作には「大量の手紙」が登場する。そしてそれは、「陽二と直美の記憶そのもの」と言ってもいいだろう。「記憶」が脳内に留まっているだけだと、認知症のようなきっかけで失われてしまいもするが、「手紙」という形で物質になっていると、また違った存在の仕方が可能になる。

良かれ悪しかれ。

さて、この点に関しては少し、僕自身の話を書いてみたいと思う。

僕は20歳ぐらいの頃から「本を読んでブログで感想を書く」ということを始め、その後映画でも同様のことをやるようになった。現在41歳。途中まったく本にも映画にも触れなかった数年間があるものの、概ね20年近く文章を書き続けていることになる。

また、僕の文章を定期的に読んでくれる方には理解してもらえると思うが、僕は割と「その時々の自分の思考・感覚・価値観」を「本・映画の感想」の中に織り交ぜていくというやり方をしてきた。

なので僕にとっては、「昔のブログ記事を読み返すこと」は「タイムカプセルを開ける」みたいな感覚がある。

正直、昔のブログ記事を読み返すを読み返すことはほとんどないのだが、たまにそういう機会があると、「そうか、昔の自分はこんな風に考えていたのか」なんて感じることも多い。正直、「20代の自分のことを、全然別人に感じられる」みたいな感覚さえある。僕自身はずっと連続した存在としてこの世に生き続けてきたわけだが、どの時代で切り取るかによって、僕自身の見え方が全然変わってくるのである。

そして同じことが、「手紙」に対しても言えるだろう。陽二と直美は、結婚して30年が経っている。そして、その「手紙」が書かれたのは、2人が結婚する以前なのだ。

30年前と今とでは、同じ自分だろうか? はっきりとそんな風に突きつけられることはないものの、本作にはそんな問いも含まれているように感じられた。

さて、本作はそんな「陽二と直美を巡る物語」が主軸の1つになっているのだが、もう1つ、「卓が状況を把握するために動く」という描写も主軸だと言える。そしてこちらも、実にややこしい。

こちらのややこしさは先程とは違い、「『記憶』に類するものがほぼ存在しない」という点にある。陽二と直美のややこしさは「存在したはずの『記憶』が失われる」ということによって浮き彫りになるわけだが、卓が直面したややこしさは「そもそも『記憶』なんてなかった」という点にあるというわけだ。

卓の視点からすれば、「父親が誰だか分からない人と再婚し、そうかと思えば突然警察に捕まった」みたいな感じだと思う。陽二と直美の夫婦関係も、他の人との関わりも、何も知らない。そんな「何もない」ところから彼の奮闘は始まっていくのである。

もちろん、「父親との『記憶』が何かあったら、状況に変化があったのか?」と言うと、なかっただろう。陽二と直美の問題は、そんな領域とは関係ない部分で深まっていくからである。しかし卓は、「あまりにも何も知らない」ことによって、どう動くべきか分からずに困惑することになる。

なにせ、父親は認知症になり警察に捕まり、父親の再婚相手は行方不明で連絡も取れないのだ。施設に収容された父親から話を聞くことは可能だが、意味不明な話ばかりするため、まともな会話は成立しない。日記、手紙、メモ、写真など、残された情報は膨大だが、しかしそれらを読み解くとっかかりさえ無いのだ。

観客は、「陽二と直美の過去のやり取り」を回想という形で知ることが出来るが、卓にはもちろんそんなことは不可能だ。そういう意味では、卓もまた「認知症的状態」にあったと言っていいかもしれない。

そしてそんな「認知症的状態」にある2人が、まったく交わらない世界線の中で、肉体的にのみ接触しているという状態を捉え続けるのが本作であり、まさにお互いにとってお互いが「不在」だったと言えるだろうと思う。

とまあ色々書いてはみたものの、本作を上手く捉えきれているのかどうかよく分からない。というか本作の場合、「正しい捉え方」など存在しないようにも思う。物語というのは大体、終盤に向けて収束していくものだが、本作はとにかくひたすら発散し続けている感じがあり、だから「全体像を的確に捉える」ことなど出来ないように思う。観た人が、琴線に触れた部分を切り取って、「これが私の捉え方だ」と表明していくしかないのだろう。

面白かったかどうかという質問には馴染まない作品だが、とにかく「圧倒された」ことは間違いないし、観て良かったなとも思う。久しぶりに、なんとも言えない「特異さ」を孕む作品を観たという感じで、個人的にはとても満足だった。

「大いなる不在」を観に行ってきました
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