溝鼠(新堂冬樹)
復讐、というのは、ほとんど考えたことがない。
どうやら僕は、比較的温厚な人間らしい。
というのは実は嘘で、まあめんどくさいだけなのだけど。
復讐をする、というのは、恐ろしくエネルギーのいることだと思う。正直、よくもまあそんなこと出来るなぁ、と僕は思ってしまう。
例えば、こういう話はよくあると思う。彼氏を他の女に寝取られた女が、その男と女に復讐をする。方法はまあいろいろあるのだとして、まあそういうことをする人は現実にいるのだろうと思う。
許せないとか、憎たらしいとか、そういう感情を持つことは、まあ理解できる。ただそこから、何らかの行動を起こして復讐をしてやろう、という発想が僕にはないのである。
よくいうことだけど、誰かを嫌いになったり憎んだりすることは、非常にエネルギーのいることだ。僕は、憎むという段階でもうめんどくさくなって、まあいいやと思ってしまう。
ただ、例えば先ほどの恋愛の話のような場合なら、まだ理解できなくもない。愛だとか恋だとかっていうのは、人を狂わせるものだし、まあそういうこともあるかもしれない。
しかし最近は、ほんの些細なことでも憎しみを覚える人間が多いようだ。
ニュースで、電車の中で口論になって一方が殺されてしまった、というニュースがあった。その発端は、くつを踏んだとか体が当たったとか、そういうレベルの話である。
たったそれだけのこと―僕にはそうとしか思えないことでも、計り知れない憎しみを感じる人間がいて、それに対して復讐をしてやろうと考える人間がいる。
なんとも恐ろしいものだと僕は思う。
これでは、いつどこで恨みを買っているか、その本人でもわからないということになってしまう。人それぞれ価値観は違うわけで、不快に思うこと、憎しみを感じる対象が異なるのは仕方がない。しかしそれでも、納得のできる理由とそうでない理由があると思う。
僕は、別に善人ではないけど、でもなるべく人に迷惑を掛けないようにしようと心がけているつもりではある。それは、トラブルに巻き込まれるのがめんどくさい、というだけの理由だけれども、それでも何らかのトラブルに巻き込まれてしまうかもしれない。なんとも生きにくい世の中になってしまったものだ。
復讐代行業。そんなものが実際に存在するかどうかはわからないけど(しかし前に、「別れさせ屋」という会社があるというのをテレビ番組で見た。夫婦やカップルが穏便に別れることが出来るようにあらゆる手を尽くす、というような会社で、依頼人もそこそこいるらしい。復讐代行業というものがあってもおかしくはないと思う)、なんだか歪んでるなぁ、と思ってしまうのである。
本作を読んで思ったことのもう一つは、お金への執着である。
僕は正直、お金に執着心がまったくない。
と言ってもなかなか信じてもらえないかもしれないけれども、本当である。
確かに、無駄なものにお金は遣いたくないなぁ、と思う。僕にとって無駄なものとは、僕にとって興味のないもの、ということであって、興味のあることには普通にお金を遣う。
なんというか、僕の周りの人間を見る限り、とにかくお金が欲しい、金持ちになりたい、と言っている気がする。
しかし、僕には特にそんな欲求はない。僕は今アルバイトで、別にお金に潤沢では全然ないけど、でもまったくお金に困ってはいない。僕の周りの人間は、何故だかとにかくすぐにお金がなくなってしまうらしい。僕からすれば、不思議な話である。給料日前になると、お金がないない言っている周囲の人間の話を聞いて、一体何にお金を遣えばそんなになくなるのだろうか、と思ってしまう。
僕の場合、とにかく満足できるお金の遣い方が少なすぎるのである。例えば世の中の人は、おいしい食事を食べる、存分に買い物をする、旅行に行きまくる、というような形で、お金を消費して満足を得ることができるのかもしれない。
しかし僕の場合、お金を遣って得られる多くのことに対して、特に満足が得られないのである。だからまああまりお金を遣わないのだけど。
本作に出てくる鷹場という男は、もうそれは恐ろしいほどのケチである。落ちている10円は拾うし、人におごる金なんて一銭もない。とにかく、1円でも多くの金を得て、1円でも出費を抑えるという男である。
どうにも僕にはそういう心境が理解できないわけで、お金を溜めることが目的になっている人というのは、何が楽しいのだろうかなぁ、と思ってしまうのである。
お金は、もちろんあるに越したことはないだろうと思う。しかし、そのあるに越したことのないお金を得るために、普段から犠牲を払わなければならないとしたら、それは満足のいく生き方ではないような気がするのである。
というわけで、いろんな意味で鷹場という男の生き方にはまるで共感できないわけで、世の中にはこんな人間もいるのかしらん、と思いました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
依頼人から話を聞き、最適な復讐方法を考え実行するという、復讐代行業でバリバリ稼いでいる社長の鷹場。鷹場を含め社員は皆、嗜虐的な性向を持っていて、とにかく、人の嫌がることをすることが快感で、人の苦痛に歪んだ表情を見るのが愉快で仕方がないという、筋金入りのサディスト集団である。彼らは、給料という実益のためというのもあるが、自らの趣味を満足させるために、日々仕事に勤しんでいる。
あるデート嬢に騙されたという依頼人からの要請で、そのデート嬢の髪を剃り、眉を剃るという屈辱的な仕打ちを与えたこともあった。彼らの仕事に手加減というものはないのである。
そんな、溝鼠のごとく荒んだ人生ではありながら、鷹場としては順風満帆だった人生が大きく歪んだのは、ある一人の男と再会したためだった。
源治。鷹場の父親でも元ヤクザ。
整形して別人のような顔になっていた父親。幼い頃から鷹場に虐待を加え続け、また姉と引き裂く原因を作った男に強烈な憎しみを感じていながらも、どこか未だ恐怖を引きずる鷹場。突然現れた源治にうろたえながらも、虚勢を張ろうとする。
しかし、源治の思惑を知るや、人生の歯車が大きく狂わされたことを悟った。
源治の持ちかけてきた話は、ある意味で魅力的なものだった。3人で―源治と鷹場と鷹場の姉である澪の3人で2億円を山分けしようという話。しかし、バックにはヤクザの影があるヤバイ話。ヤクザとは関わらないように生きてきた鷹場は断ろうとするが、罠に嵌められた自分は逃れられないことを知る。
ならば、この男を出し抜いて、澪と一緒に新たな生活をスタートさせる。それしかない。
一方で澪は、ある暴力団の組長の宝田に見初められ、その女になった。誰もが振り返るような完璧な美貌と、ほとんど働かなくても美を追求できる境遇。人から羨まれてもおかしくない境遇だが、澪は不満だった。
宝田という男の元から逃れられないこと。それが不満だった。
そこに振って湧いた一つの計画。ある大学病院の教授候補から2億円をかっぱらおうという作戦。澪は周到に頭をめぐらせ、すべてから自由になるために、計画に加担していく…。
というような話です。
もう、しょっぱなからぐっちゃぐちゃですね。もう、サディスティックな展開、バイオレンスな展開、ブラックな展開と、とにかく冒頭から突っ走ってます。ノアールを読んだのはかなり久しぶりですが、馳星周の「不夜城」や「漂流街」、小川勝巳の「葬列」なんかを思い出しましたね。こう、不快感を催すほどの過激で直接的な描写が満載で、いやはやよくここまで書きましたな、という感じですね。
しかも、2億円を巡って争われる物語なのだけど、仲間であるはずなのに裏切り・疑うということのくり返しで、とにかく醜いという感じでした。
ストーリーはとにかく、もうひたすらトップスピードでひた走る感じで、息つく暇も与えない、という表現がぴったりな感じです。この場面をどうやって切り抜けるんだろう?というようなシーンがたくさんあって、なかなか面白かったですね。
でも本作は、読んだ後に何が残るかといわれれば、ストーリーではなく、登場人物の強烈な個性ですね。ストーリーは忘れても、登場人物の倒錯っぷりは、忘れないでしょう。
鷹場と源治は同類で、ケチで嗜虐的である。両者のケチっぷりは本当に凄まじくて、それくらい別にいいんじゃないか?と思えるところまでこだわって、お金に執着しようとします。1億円以上の現金を持っているのに、道に落ちている10円を拾うという感覚が僕にはなかなか理解できませんね。
嗜虐的というのは、とにかく本作の登場人物のほとんどに当てはまる言葉で、それはもう異常としか言いようのないものでしたね。
澪ですら、源治の血を引いているが故に同類であって、他人の苦痛を知って快感を得るし、そういう人間の心境も理解できる人間だったりします。
しかしとにかく一番最悪に倒錯しているのは、八木という、復讐代理業の社員ですね。
八木はもうとにかく、他人が嫌がることを思いつく天才という感じで、しかもそれを冷徹に実行するということのできる人間です。しかも、ほんの些細なことで復讐心を誓うような人間で、電車の中で足を踏まれただけの人間の家族を一ヶ月調査し、母親と娘に復讐するというような感じです。もうホントに、八木のような人間が世の中に存在するなら、是非とも関わりたくない、と切に願うような、そんな人間でした。関わったら最後、どうなるかわかりませんね。
宝田というヤクザの組長も変態なのですが、もうそれがごく普通に見えてくるくらい濃い人間達ばかりで、とにかく醜くて醜くて、溝鼠の生き方は嫌だな、と思いました。
さてストーリーに話を戻しますが、全般的に面白かったですね。でも、最後の最後、アレはどうなんだろう?と僕は思ってしまいました。ちょっと、最後のあの鷹場の決断というか判断というか、そういうのは理解できなかったですね。今までずっとある一方に傾いていた天秤が、突然何もしてないのにもう一方に傾くようなそんな不自然さがあって、最後はちょっと台無しだったかなぁ、と思います。まあ、そうじゃない展開を考えても確かにチープな物語になってしまうのかもしれないけど、でももう少しやりようはあったんじゃないかなぁ、という気がしました。もうすぐページもなくなるけど、これどうやって終わらせるの?と思っていたら、突然あれ?って感じで終わってしまって、そこが僕としては残念なところでした。
今まで新堂冬樹の作品は、「血塗られた神話」「忘れ雪」と本作の3つを読みましたが、本作が一番よかったですね。あんまりというか全然爽快な物語ではないけど、まあたまに読むならこういうのもいいですね。
どろどろした醜い人間達が繰り広げる汚らしい物語です。そういうのが大丈夫な人は読んでみてください。
新堂冬樹「溝鼠」
どうやら僕は、比較的温厚な人間らしい。
というのは実は嘘で、まあめんどくさいだけなのだけど。
復讐をする、というのは、恐ろしくエネルギーのいることだと思う。正直、よくもまあそんなこと出来るなぁ、と僕は思ってしまう。
例えば、こういう話はよくあると思う。彼氏を他の女に寝取られた女が、その男と女に復讐をする。方法はまあいろいろあるのだとして、まあそういうことをする人は現実にいるのだろうと思う。
許せないとか、憎たらしいとか、そういう感情を持つことは、まあ理解できる。ただそこから、何らかの行動を起こして復讐をしてやろう、という発想が僕にはないのである。
よくいうことだけど、誰かを嫌いになったり憎んだりすることは、非常にエネルギーのいることだ。僕は、憎むという段階でもうめんどくさくなって、まあいいやと思ってしまう。
ただ、例えば先ほどの恋愛の話のような場合なら、まだ理解できなくもない。愛だとか恋だとかっていうのは、人を狂わせるものだし、まあそういうこともあるかもしれない。
しかし最近は、ほんの些細なことでも憎しみを覚える人間が多いようだ。
ニュースで、電車の中で口論になって一方が殺されてしまった、というニュースがあった。その発端は、くつを踏んだとか体が当たったとか、そういうレベルの話である。
たったそれだけのこと―僕にはそうとしか思えないことでも、計り知れない憎しみを感じる人間がいて、それに対して復讐をしてやろうと考える人間がいる。
なんとも恐ろしいものだと僕は思う。
これでは、いつどこで恨みを買っているか、その本人でもわからないということになってしまう。人それぞれ価値観は違うわけで、不快に思うこと、憎しみを感じる対象が異なるのは仕方がない。しかしそれでも、納得のできる理由とそうでない理由があると思う。
僕は、別に善人ではないけど、でもなるべく人に迷惑を掛けないようにしようと心がけているつもりではある。それは、トラブルに巻き込まれるのがめんどくさい、というだけの理由だけれども、それでも何らかのトラブルに巻き込まれてしまうかもしれない。なんとも生きにくい世の中になってしまったものだ。
復讐代行業。そんなものが実際に存在するかどうかはわからないけど(しかし前に、「別れさせ屋」という会社があるというのをテレビ番組で見た。夫婦やカップルが穏便に別れることが出来るようにあらゆる手を尽くす、というような会社で、依頼人もそこそこいるらしい。復讐代行業というものがあってもおかしくはないと思う)、なんだか歪んでるなぁ、と思ってしまうのである。
本作を読んで思ったことのもう一つは、お金への執着である。
僕は正直、お金に執着心がまったくない。
と言ってもなかなか信じてもらえないかもしれないけれども、本当である。
確かに、無駄なものにお金は遣いたくないなぁ、と思う。僕にとって無駄なものとは、僕にとって興味のないもの、ということであって、興味のあることには普通にお金を遣う。
なんというか、僕の周りの人間を見る限り、とにかくお金が欲しい、金持ちになりたい、と言っている気がする。
しかし、僕には特にそんな欲求はない。僕は今アルバイトで、別にお金に潤沢では全然ないけど、でもまったくお金に困ってはいない。僕の周りの人間は、何故だかとにかくすぐにお金がなくなってしまうらしい。僕からすれば、不思議な話である。給料日前になると、お金がないない言っている周囲の人間の話を聞いて、一体何にお金を遣えばそんなになくなるのだろうか、と思ってしまう。
僕の場合、とにかく満足できるお金の遣い方が少なすぎるのである。例えば世の中の人は、おいしい食事を食べる、存分に買い物をする、旅行に行きまくる、というような形で、お金を消費して満足を得ることができるのかもしれない。
しかし僕の場合、お金を遣って得られる多くのことに対して、特に満足が得られないのである。だからまああまりお金を遣わないのだけど。
本作に出てくる鷹場という男は、もうそれは恐ろしいほどのケチである。落ちている10円は拾うし、人におごる金なんて一銭もない。とにかく、1円でも多くの金を得て、1円でも出費を抑えるという男である。
どうにも僕にはそういう心境が理解できないわけで、お金を溜めることが目的になっている人というのは、何が楽しいのだろうかなぁ、と思ってしまうのである。
お金は、もちろんあるに越したことはないだろうと思う。しかし、そのあるに越したことのないお金を得るために、普段から犠牲を払わなければならないとしたら、それは満足のいく生き方ではないような気がするのである。
というわけで、いろんな意味で鷹場という男の生き方にはまるで共感できないわけで、世の中にはこんな人間もいるのかしらん、と思いました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
依頼人から話を聞き、最適な復讐方法を考え実行するという、復讐代行業でバリバリ稼いでいる社長の鷹場。鷹場を含め社員は皆、嗜虐的な性向を持っていて、とにかく、人の嫌がることをすることが快感で、人の苦痛に歪んだ表情を見るのが愉快で仕方がないという、筋金入りのサディスト集団である。彼らは、給料という実益のためというのもあるが、自らの趣味を満足させるために、日々仕事に勤しんでいる。
あるデート嬢に騙されたという依頼人からの要請で、そのデート嬢の髪を剃り、眉を剃るという屈辱的な仕打ちを与えたこともあった。彼らの仕事に手加減というものはないのである。
そんな、溝鼠のごとく荒んだ人生ではありながら、鷹場としては順風満帆だった人生が大きく歪んだのは、ある一人の男と再会したためだった。
源治。鷹場の父親でも元ヤクザ。
整形して別人のような顔になっていた父親。幼い頃から鷹場に虐待を加え続け、また姉と引き裂く原因を作った男に強烈な憎しみを感じていながらも、どこか未だ恐怖を引きずる鷹場。突然現れた源治にうろたえながらも、虚勢を張ろうとする。
しかし、源治の思惑を知るや、人生の歯車が大きく狂わされたことを悟った。
源治の持ちかけてきた話は、ある意味で魅力的なものだった。3人で―源治と鷹場と鷹場の姉である澪の3人で2億円を山分けしようという話。しかし、バックにはヤクザの影があるヤバイ話。ヤクザとは関わらないように生きてきた鷹場は断ろうとするが、罠に嵌められた自分は逃れられないことを知る。
ならば、この男を出し抜いて、澪と一緒に新たな生活をスタートさせる。それしかない。
一方で澪は、ある暴力団の組長の宝田に見初められ、その女になった。誰もが振り返るような完璧な美貌と、ほとんど働かなくても美を追求できる境遇。人から羨まれてもおかしくない境遇だが、澪は不満だった。
宝田という男の元から逃れられないこと。それが不満だった。
そこに振って湧いた一つの計画。ある大学病院の教授候補から2億円をかっぱらおうという作戦。澪は周到に頭をめぐらせ、すべてから自由になるために、計画に加担していく…。
というような話です。
もう、しょっぱなからぐっちゃぐちゃですね。もう、サディスティックな展開、バイオレンスな展開、ブラックな展開と、とにかく冒頭から突っ走ってます。ノアールを読んだのはかなり久しぶりですが、馳星周の「不夜城」や「漂流街」、小川勝巳の「葬列」なんかを思い出しましたね。こう、不快感を催すほどの過激で直接的な描写が満載で、いやはやよくここまで書きましたな、という感じですね。
しかも、2億円を巡って争われる物語なのだけど、仲間であるはずなのに裏切り・疑うということのくり返しで、とにかく醜いという感じでした。
ストーリーはとにかく、もうひたすらトップスピードでひた走る感じで、息つく暇も与えない、という表現がぴったりな感じです。この場面をどうやって切り抜けるんだろう?というようなシーンがたくさんあって、なかなか面白かったですね。
でも本作は、読んだ後に何が残るかといわれれば、ストーリーではなく、登場人物の強烈な個性ですね。ストーリーは忘れても、登場人物の倒錯っぷりは、忘れないでしょう。
鷹場と源治は同類で、ケチで嗜虐的である。両者のケチっぷりは本当に凄まじくて、それくらい別にいいんじゃないか?と思えるところまでこだわって、お金に執着しようとします。1億円以上の現金を持っているのに、道に落ちている10円を拾うという感覚が僕にはなかなか理解できませんね。
嗜虐的というのは、とにかく本作の登場人物のほとんどに当てはまる言葉で、それはもう異常としか言いようのないものでしたね。
澪ですら、源治の血を引いているが故に同類であって、他人の苦痛を知って快感を得るし、そういう人間の心境も理解できる人間だったりします。
しかしとにかく一番最悪に倒錯しているのは、八木という、復讐代理業の社員ですね。
八木はもうとにかく、他人が嫌がることを思いつく天才という感じで、しかもそれを冷徹に実行するということのできる人間です。しかも、ほんの些細なことで復讐心を誓うような人間で、電車の中で足を踏まれただけの人間の家族を一ヶ月調査し、母親と娘に復讐するというような感じです。もうホントに、八木のような人間が世の中に存在するなら、是非とも関わりたくない、と切に願うような、そんな人間でした。関わったら最後、どうなるかわかりませんね。
宝田というヤクザの組長も変態なのですが、もうそれがごく普通に見えてくるくらい濃い人間達ばかりで、とにかく醜くて醜くて、溝鼠の生き方は嫌だな、と思いました。
さてストーリーに話を戻しますが、全般的に面白かったですね。でも、最後の最後、アレはどうなんだろう?と僕は思ってしまいました。ちょっと、最後のあの鷹場の決断というか判断というか、そういうのは理解できなかったですね。今までずっとある一方に傾いていた天秤が、突然何もしてないのにもう一方に傾くようなそんな不自然さがあって、最後はちょっと台無しだったかなぁ、と思います。まあ、そうじゃない展開を考えても確かにチープな物語になってしまうのかもしれないけど、でももう少しやりようはあったんじゃないかなぁ、という気がしました。もうすぐページもなくなるけど、これどうやって終わらせるの?と思っていたら、突然あれ?って感じで終わってしまって、そこが僕としては残念なところでした。
今まで新堂冬樹の作品は、「血塗られた神話」「忘れ雪」と本作の3つを読みましたが、本作が一番よかったですね。あんまりというか全然爽快な物語ではないけど、まあたまに読むならこういうのもいいですね。
どろどろした醜い人間達が繰り広げる汚らしい物語です。そういうのが大丈夫な人は読んでみてください。
新堂冬樹「溝鼠」
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