哀愁的東京(重松清)
例えば、テレビの画面を近くで見てみる。当たり前だけど、それは赤・青・緑(だっけ?)の三色の配列から成り立っていて、どんな色でもその三色があれば作り上げることが出来る。つまりテレビの画面の構成要素は、三色の色であると言えるだろう。
あるいは本であれば、最小単位は文字だ。どんな華麗な文章であろうと、どれだけ素敵な物語であろうと、本という形態をとっている以上、突き詰めていけば最小単位は文字になる。
あるいは、世の中のものを微細に分解して行けば、最後には分子だの原子だのに行き着くわけだし、どんな実際的な物事であれ、どんな抽象的な概念であれ、それには基本となる構成要素があるはずである。
さてでは考えてみよう。『東京』という街は、一体どんな構成要素で作り上げられているだろうか?
僕のイメージでは、どれだけ微細に分解していっても、『東京』という街を構成する要素は見えてこないような気がするのだ。
例えば、京都であれば「歴史」と答えられるかもしれない。大阪であれば「人情」や「お金」なんてのもいいかもしれない。北海道であれば「自然」や「雄大」、沖縄であれば「米軍」なんて答えも一つかもしれない。他のどんな土地であっても、特産品やら名物地みたいなものはあるだろうし、積み重なってきたものもあるはずだ。そこに生きる人々が守り続けているものがあるだろうし、そこで生まれそこで生きる人々の心の奥底に残っているものを挙げることも出来ることだろう。
しかし、『東京』というのはどうだろうか。一体『東京』というものは何から出来ているのだろうか。構成要素は、本当に存在するのだろうか。
『東京』という街は間違いなく存在する。僕もまあそこそこ長い時間をそこで過ごしている(実際は神奈川なのだけど、川を越えればもう東京なので)。そこに住んでいる人はものすごい数に上り、また他の街にはないものがたくさんある。日本の首都として、ある意味で世界と闘って行けるだけの経済力があり、日本のあらゆる機能がそこに集中している場所でもある。『東京』という街はそういう街であり、れっきとして存在しているわけだ。
しかし、何から出来ているのかわからない。細かく細かく『東京』という街を細分化していっても、何も見えてこない。細かくすればするほど、印象が薄れて行ってしまう感じもする。
だから、『ない』ものから出来ているのかもしれないと思った。
『東京』という街は、『ない』ものから出来ている。
それはきっと、ありとあらゆる『喪われたもの』なのだと思う。そういう『喪われたもの』が長い期間を経て降り積もって行くことで、『東京』という街は生まれたのだろう。
それは、夢であってもいいし希望でもいい。時間でも感情でも支えでも友でもなんでもいい。とにかく多くの人間が『東京』へとやってきて、そして『東京』で多くのものを喪うのだ。人々はそれを、『東京』という街のせいにしようとするだろう。『東京』という街が、俺の何かを奪ったのだ、と。
そうした想いが、形を失ったはずの『喪われたもの』と積み重ねて行くことになったのだろう。形もなく音もなく手触りすらもないままにそれは降り積もり、見えもせず邪魔もしないのにそこにいる人間を排除していく。『喪われたもの』が壁となって東京を取り囲み、それが逆に『東京』という街の幻想を一層大きくさせ、さらに多くのものが喪われていくのだろう。
誰かの大切だったものを踏みしめながら、『東京』という街は息づいている。それは、まさしく『哀愁的』という言葉に相応しい街かもしれない。
これからも『東京』という街は、静かに『喪われたもの』を積み重ねていくことだろう。そこに住む人々は、自分の足元に無残に踏みしだかれている『喪われたもの』を眺めながら、『哀愁的』な気分になることだろう。感傷が日常と同義になるこの街で、僕らは『喪われたもの』と『喪われずに残ったもの』を眺めながら暮らしていくことだろう。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、著者としては9章に分かれた長編という扱いをしているようですが、読むほうとしては9編の短編が収録された短編集という方がわかりやすいと思います。それぞれの内容を紹介しようと思います。
まず主人公の進藤宏について少し書きます。進藤は、絵本が描けなくなった絵本作家。4年前に書いた作品はとある権威のある賞を受賞し、絵本作家としての地位も高まったはずだが、しかしあるきっかけから描けなくなった。今では絵本作家であるということはほとんど忘れ去られている。
一方で、どちらが本業だかわからないほど、フリーライターの仕事をやっている。文章を切り売りする仕事だ。楽しくはないし寧ろ辛いが、しかし苦痛ではない。
そんなフリーライターの仕事を通じて、様々な人間と出会う。その物語である。
「マジックミラーの国のアリス」
時代のヒーローと呼ばれた男、田上幸司。ネットビジネスの世界でカリスマ的な存在であった彼も、今ではかなりの落ち目である。インタビューを引き受けることになったのだが、その後個人的な事情から彼から依頼を受けた。
学生時代の頃、『アリスの部屋』という覗き部屋みたいあ風俗店があった。そこの看板女優であったアリスを探してきて欲しいんだ。会って話をしたいんだ…。
「遊園地円舞曲」
ノッポ氏から葉書がきた。遊園地の廃業に伴って、ピエロの衣装を脱ぐという話だった。友人と呼べるような間柄ではなかったが、閉演間際の遊園地に行ってみることにした。
ノッポしはかつて、ビア樽氏とコンビを組んでピエロをやっていた。賞をもらったあの絵本との関わりも深い。しかし一方で、彼等との出逢いがあったからこそ、自分は絵本を描けなくなったのだ、とも言える。お互い、かつての苦さを思い出しながらも、しかし久々の再会を果たす…。
「鋼のように、ガラスの如く」
タイフーンという名の四人組のアイドル。その解散に併せて出すアルバムのボーナストラックとしてつける小冊子の原稿を書くことになった。
メンバーにインタビューをすることになったのだが、タイフーンの『姫』と呼ばれているワガママ娘がいつもの如くごね出したのだという。いつものことだと言いながら疲れを隠せない担当である河口くんを、しかし僕はいつの間にか裏切ることになっていた。何故か、レコーディングを勝手に抜け出した『姫』とドライブをすることになった…。
「メモリー・モーテル」
エロスを売りにした週刊誌の編集長を務めるカズさんは、部数の伸び悩みを理由に編集長を下ろされることになった。最後だということで、心残りだったある写真を週刊誌に載せたいのだという。その手伝いをすることになった。
それは、自分が描いた絵本で目元を隠した裸の女性と、その女性を後ろから抱く男の写真であった。編集部に送られてきた時、これは載せようと思ったのだそうだ。しかし、一緒に写っている男が自殺したために敢え無く断念した。この写真を、是非最後に載せたいんだ…。
「虹の見つけ方」
一時代を作った…そう評してもいいだろう作曲家がいる。マスコミに出ない、私生活もその他何もかも情報がない、アイドルに歌を提供し続けチャートで1位を取り続けた、新井裕介である。そんな彼に取材をすることになってしまった。
往年のような勢いがなくなってしまったかつての伝説は、今では酒に浸るような生活だった。虹を描けと言われて描けなかった自分を、それでもプロか、と詰った。そう、新井祐介は間違いなくプロだ。
そんな彼の頼みごとだ。最後のアルバムの最後に、書き下ろしで歌を書く。それを、当時から使い続けた『虹』という名のコーラスグループに歌わせたい…。
「魔法を信じるかい?」
担当編集者に連れられていった一軒のバー。そこには一人の女流マジシャンがいた。新たな絵本のアイデアが浮かぶかもしれないと取材を申し込んだのだが、ある条件がついた。
あるテレビディレクターに、その取材の風景を撮って欲しい、というものだった。知り合いだったので話を聞いてみると、なるほど少なくない関係があるようだ。ストイックな映像を作り続けるそのディレクターの過去の話。
「ボウ」
大学時代の、友人と呼んでいいかなんとも言えない知り合いから、突然連絡があった。いつでもいいからとにかく会いたい。頼むよ。学生時代、そんな言い方をするやつではなかったのに。
会うと、まるで病人みたいな形相であった。自分がゼロになってしまうのが恐ろしいのだ、と彼は言う。だから、自分のことを文章にしてくれないか。文章を書いてる知り合いはお前しか思いつかなかったんだ。歯切れの悪い返事をしてその場を去る。
担当編集者が、心理ゲームのようなものを出してくる。いいですが、「ボウ」と聞いて思い浮かべる漢字はなんですか?
「女王陛下の墓碑」
昔からの友人と会った。彼女は女王様だ。そういう店で、50歳になろうかという年齢で現役で女王様をやっている。
彼女とは昔取材で知り合った。取材でプレイを体験し、乗り気でない自分に気付いた向こうがあっさりと止めた。どこを気に入られたのか未だによくわからない。それでも、時々こうして会う。
この前なんか、三回もチェンジって言われたよ。そう明るく話す彼女が纏う寂しい雰囲気を描く物語。
「東京的哀愁」
ビア樽氏に病室で会った。その娘さんと話もした。父は、あなたにずっと会いたがっていました、と。
お願いがあるのだ、と言う。
父は、あるホームレス同士の結婚の仲人をする予定であったのだが、病気で入院してしまった。代わりに会ってくれませんか、という話だった。二人とも、僕の描いた絵本が好きなのだという。
アメリカで暮らす妻と娘が日本に来た。そして妻とは、正式に離婚することになった。娘との関係は、まあ当然だがうまくいかない。
担当編集者も、営業に異動になるのだそうだ。
段々僕は、一人ぼっちになっていく…。
というような感じです。
やはり重松清の作品はいいですね。僕としてはやっぱり、家族だとか学校だとかがテーマになっている作品の方が、作品としての深さもあるし読んでいて泣けたりして好きなのだけど、本作は本作で別の良さがあります。
冒頭で僕は、『東京という街は喪われたもので出来ている』みたいなことを書きましたけど、まさにそんな感じの話でした。進藤が出会う人々はそれぞれ、全盛期には素晴らしく輝いた場所にいたのだろうけど、今ではその輝きが失われしまった人々ばかりです。かつてのよき思い出を語り、見失った自分を振り返り、先にある自分の姿を思いやる。そうやって、崩れるその最後の瞬間の灯火を、全力で輝きに変えようとする人々がものすごく哀愁を漂わせていて、読んでいて哀しい気分になってきますね。『東京』という街に降り積もる『喪われたもの』は、人と人との距離までも隔ててしまうみたいで、誰もが寄り添えない孤独の中で寂しさを切り刻んでいるように思いました。
一方で、そんな様々な人々の人生を垣間見る側である進藤も、寂しい人間の一人です。毒にも薬にもならないとわかっている、ただ読み捨てられるためだけに存在する文章を日々紡ぎ生計を立てている一方で、絵本を描きたいとは思うのだけど描けない自分を諦めきっている。担当編集者に逃げていると言われても、反論も出来ない。他の人々と同じく哀愁を漂わせる人間です。
僕がこの作品の中で一番好きなのは、担当編集者のシマちゃんだ。進藤の描いた絵本を、冗談ではなく何百回となく読みこなしている彼女は、進藤の新作をとにかくひたすらに待ちわびている。絵本を作るために出版社に入り、進藤の絵本を担当するために部長にごり押しするくらいのファンである。進藤はそんな彼女の期待を常に裏切り続けているわけで、そんな二人の関係は、見ていてどこか苦しい。
シマちゃんは、絵本をまったく書こうとしないでフリーライターの仕事に明け暮れる進藤に苦言を呈しながらも、それでも決して見捨てることだけはしない。正直、進藤は彼女に甘えているんだろうなぁ、と思うのだけど、それを本気で愚痴ることもない。いい子なのだ。そのシマちゃんの優しさとか真っ直ぐさみたいなものが、本作の中では逆に眩しすぎて痛くて、だからすごくいいと思った。
好きな話は、「マジックミラーの国のアリス」「遊園地円舞曲」「虹の見つけ方」「哀愁的東京」です。とくに、「虹の見つけ方」は結構いいなぁ、と思いました。
重松清の作品で、これを一番初めに読む、というのはあんまり勧めないけど、重松清の作品を何作か読んでみて、その後で、「こう言う話も書くんだ」という感じで読むのがいいかなぁ、と個人的には思います。読んで見てください。
重松清「哀愁的東京」
あるいは本であれば、最小単位は文字だ。どんな華麗な文章であろうと、どれだけ素敵な物語であろうと、本という形態をとっている以上、突き詰めていけば最小単位は文字になる。
あるいは、世の中のものを微細に分解して行けば、最後には分子だの原子だのに行き着くわけだし、どんな実際的な物事であれ、どんな抽象的な概念であれ、それには基本となる構成要素があるはずである。
さてでは考えてみよう。『東京』という街は、一体どんな構成要素で作り上げられているだろうか?
僕のイメージでは、どれだけ微細に分解していっても、『東京』という街を構成する要素は見えてこないような気がするのだ。
例えば、京都であれば「歴史」と答えられるかもしれない。大阪であれば「人情」や「お金」なんてのもいいかもしれない。北海道であれば「自然」や「雄大」、沖縄であれば「米軍」なんて答えも一つかもしれない。他のどんな土地であっても、特産品やら名物地みたいなものはあるだろうし、積み重なってきたものもあるはずだ。そこに生きる人々が守り続けているものがあるだろうし、そこで生まれそこで生きる人々の心の奥底に残っているものを挙げることも出来ることだろう。
しかし、『東京』というのはどうだろうか。一体『東京』というものは何から出来ているのだろうか。構成要素は、本当に存在するのだろうか。
『東京』という街は間違いなく存在する。僕もまあそこそこ長い時間をそこで過ごしている(実際は神奈川なのだけど、川を越えればもう東京なので)。そこに住んでいる人はものすごい数に上り、また他の街にはないものがたくさんある。日本の首都として、ある意味で世界と闘って行けるだけの経済力があり、日本のあらゆる機能がそこに集中している場所でもある。『東京』という街はそういう街であり、れっきとして存在しているわけだ。
しかし、何から出来ているのかわからない。細かく細かく『東京』という街を細分化していっても、何も見えてこない。細かくすればするほど、印象が薄れて行ってしまう感じもする。
だから、『ない』ものから出来ているのかもしれないと思った。
『東京』という街は、『ない』ものから出来ている。
それはきっと、ありとあらゆる『喪われたもの』なのだと思う。そういう『喪われたもの』が長い期間を経て降り積もって行くことで、『東京』という街は生まれたのだろう。
それは、夢であってもいいし希望でもいい。時間でも感情でも支えでも友でもなんでもいい。とにかく多くの人間が『東京』へとやってきて、そして『東京』で多くのものを喪うのだ。人々はそれを、『東京』という街のせいにしようとするだろう。『東京』という街が、俺の何かを奪ったのだ、と。
そうした想いが、形を失ったはずの『喪われたもの』と積み重ねて行くことになったのだろう。形もなく音もなく手触りすらもないままにそれは降り積もり、見えもせず邪魔もしないのにそこにいる人間を排除していく。『喪われたもの』が壁となって東京を取り囲み、それが逆に『東京』という街の幻想を一層大きくさせ、さらに多くのものが喪われていくのだろう。
誰かの大切だったものを踏みしめながら、『東京』という街は息づいている。それは、まさしく『哀愁的』という言葉に相応しい街かもしれない。
これからも『東京』という街は、静かに『喪われたもの』を積み重ねていくことだろう。そこに住む人々は、自分の足元に無残に踏みしだかれている『喪われたもの』を眺めながら、『哀愁的』な気分になることだろう。感傷が日常と同義になるこの街で、僕らは『喪われたもの』と『喪われずに残ったもの』を眺めながら暮らしていくことだろう。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、著者としては9章に分かれた長編という扱いをしているようですが、読むほうとしては9編の短編が収録された短編集という方がわかりやすいと思います。それぞれの内容を紹介しようと思います。
まず主人公の進藤宏について少し書きます。進藤は、絵本が描けなくなった絵本作家。4年前に書いた作品はとある権威のある賞を受賞し、絵本作家としての地位も高まったはずだが、しかしあるきっかけから描けなくなった。今では絵本作家であるということはほとんど忘れ去られている。
一方で、どちらが本業だかわからないほど、フリーライターの仕事をやっている。文章を切り売りする仕事だ。楽しくはないし寧ろ辛いが、しかし苦痛ではない。
そんなフリーライターの仕事を通じて、様々な人間と出会う。その物語である。
「マジックミラーの国のアリス」
時代のヒーローと呼ばれた男、田上幸司。ネットビジネスの世界でカリスマ的な存在であった彼も、今ではかなりの落ち目である。インタビューを引き受けることになったのだが、その後個人的な事情から彼から依頼を受けた。
学生時代の頃、『アリスの部屋』という覗き部屋みたいあ風俗店があった。そこの看板女優であったアリスを探してきて欲しいんだ。会って話をしたいんだ…。
「遊園地円舞曲」
ノッポ氏から葉書がきた。遊園地の廃業に伴って、ピエロの衣装を脱ぐという話だった。友人と呼べるような間柄ではなかったが、閉演間際の遊園地に行ってみることにした。
ノッポしはかつて、ビア樽氏とコンビを組んでピエロをやっていた。賞をもらったあの絵本との関わりも深い。しかし一方で、彼等との出逢いがあったからこそ、自分は絵本を描けなくなったのだ、とも言える。お互い、かつての苦さを思い出しながらも、しかし久々の再会を果たす…。
「鋼のように、ガラスの如く」
タイフーンという名の四人組のアイドル。その解散に併せて出すアルバムのボーナストラックとしてつける小冊子の原稿を書くことになった。
メンバーにインタビューをすることになったのだが、タイフーンの『姫』と呼ばれているワガママ娘がいつもの如くごね出したのだという。いつものことだと言いながら疲れを隠せない担当である河口くんを、しかし僕はいつの間にか裏切ることになっていた。何故か、レコーディングを勝手に抜け出した『姫』とドライブをすることになった…。
「メモリー・モーテル」
エロスを売りにした週刊誌の編集長を務めるカズさんは、部数の伸び悩みを理由に編集長を下ろされることになった。最後だということで、心残りだったある写真を週刊誌に載せたいのだという。その手伝いをすることになった。
それは、自分が描いた絵本で目元を隠した裸の女性と、その女性を後ろから抱く男の写真であった。編集部に送られてきた時、これは載せようと思ったのだそうだ。しかし、一緒に写っている男が自殺したために敢え無く断念した。この写真を、是非最後に載せたいんだ…。
「虹の見つけ方」
一時代を作った…そう評してもいいだろう作曲家がいる。マスコミに出ない、私生活もその他何もかも情報がない、アイドルに歌を提供し続けチャートで1位を取り続けた、新井裕介である。そんな彼に取材をすることになってしまった。
往年のような勢いがなくなってしまったかつての伝説は、今では酒に浸るような生活だった。虹を描けと言われて描けなかった自分を、それでもプロか、と詰った。そう、新井祐介は間違いなくプロだ。
そんな彼の頼みごとだ。最後のアルバムの最後に、書き下ろしで歌を書く。それを、当時から使い続けた『虹』という名のコーラスグループに歌わせたい…。
「魔法を信じるかい?」
担当編集者に連れられていった一軒のバー。そこには一人の女流マジシャンがいた。新たな絵本のアイデアが浮かぶかもしれないと取材を申し込んだのだが、ある条件がついた。
あるテレビディレクターに、その取材の風景を撮って欲しい、というものだった。知り合いだったので話を聞いてみると、なるほど少なくない関係があるようだ。ストイックな映像を作り続けるそのディレクターの過去の話。
「ボウ」
大学時代の、友人と呼んでいいかなんとも言えない知り合いから、突然連絡があった。いつでもいいからとにかく会いたい。頼むよ。学生時代、そんな言い方をするやつではなかったのに。
会うと、まるで病人みたいな形相であった。自分がゼロになってしまうのが恐ろしいのだ、と彼は言う。だから、自分のことを文章にしてくれないか。文章を書いてる知り合いはお前しか思いつかなかったんだ。歯切れの悪い返事をしてその場を去る。
担当編集者が、心理ゲームのようなものを出してくる。いいですが、「ボウ」と聞いて思い浮かべる漢字はなんですか?
「女王陛下の墓碑」
昔からの友人と会った。彼女は女王様だ。そういう店で、50歳になろうかという年齢で現役で女王様をやっている。
彼女とは昔取材で知り合った。取材でプレイを体験し、乗り気でない自分に気付いた向こうがあっさりと止めた。どこを気に入られたのか未だによくわからない。それでも、時々こうして会う。
この前なんか、三回もチェンジって言われたよ。そう明るく話す彼女が纏う寂しい雰囲気を描く物語。
「東京的哀愁」
ビア樽氏に病室で会った。その娘さんと話もした。父は、あなたにずっと会いたがっていました、と。
お願いがあるのだ、と言う。
父は、あるホームレス同士の結婚の仲人をする予定であったのだが、病気で入院してしまった。代わりに会ってくれませんか、という話だった。二人とも、僕の描いた絵本が好きなのだという。
アメリカで暮らす妻と娘が日本に来た。そして妻とは、正式に離婚することになった。娘との関係は、まあ当然だがうまくいかない。
担当編集者も、営業に異動になるのだそうだ。
段々僕は、一人ぼっちになっていく…。
というような感じです。
やはり重松清の作品はいいですね。僕としてはやっぱり、家族だとか学校だとかがテーマになっている作品の方が、作品としての深さもあるし読んでいて泣けたりして好きなのだけど、本作は本作で別の良さがあります。
冒頭で僕は、『東京という街は喪われたもので出来ている』みたいなことを書きましたけど、まさにそんな感じの話でした。進藤が出会う人々はそれぞれ、全盛期には素晴らしく輝いた場所にいたのだろうけど、今ではその輝きが失われしまった人々ばかりです。かつてのよき思い出を語り、見失った自分を振り返り、先にある自分の姿を思いやる。そうやって、崩れるその最後の瞬間の灯火を、全力で輝きに変えようとする人々がものすごく哀愁を漂わせていて、読んでいて哀しい気分になってきますね。『東京』という街に降り積もる『喪われたもの』は、人と人との距離までも隔ててしまうみたいで、誰もが寄り添えない孤独の中で寂しさを切り刻んでいるように思いました。
一方で、そんな様々な人々の人生を垣間見る側である進藤も、寂しい人間の一人です。毒にも薬にもならないとわかっている、ただ読み捨てられるためだけに存在する文章を日々紡ぎ生計を立てている一方で、絵本を描きたいとは思うのだけど描けない自分を諦めきっている。担当編集者に逃げていると言われても、反論も出来ない。他の人々と同じく哀愁を漂わせる人間です。
僕がこの作品の中で一番好きなのは、担当編集者のシマちゃんだ。進藤の描いた絵本を、冗談ではなく何百回となく読みこなしている彼女は、進藤の新作をとにかくひたすらに待ちわびている。絵本を作るために出版社に入り、進藤の絵本を担当するために部長にごり押しするくらいのファンである。進藤はそんな彼女の期待を常に裏切り続けているわけで、そんな二人の関係は、見ていてどこか苦しい。
シマちゃんは、絵本をまったく書こうとしないでフリーライターの仕事に明け暮れる進藤に苦言を呈しながらも、それでも決して見捨てることだけはしない。正直、進藤は彼女に甘えているんだろうなぁ、と思うのだけど、それを本気で愚痴ることもない。いい子なのだ。そのシマちゃんの優しさとか真っ直ぐさみたいなものが、本作の中では逆に眩しすぎて痛くて、だからすごくいいと思った。
好きな話は、「マジックミラーの国のアリス」「遊園地円舞曲」「虹の見つけ方」「哀愁的東京」です。とくに、「虹の見つけ方」は結構いいなぁ、と思いました。
重松清の作品で、これを一番初めに読む、というのはあんまり勧めないけど、重松清の作品を何作か読んでみて、その後で、「こう言う話も書くんだ」という感じで読むのがいいかなぁ、と個人的には思います。読んで見てください。
重松清「哀愁的東京」
Comment
[1768]
[1769]
お久しぶりですね。まだ春休みじゃないですか?いろいろ大変そうですね(自分が中学の頃のことはほぼ忘れたので、適当に言ってますけど 笑)
西尾維新いいですね。あれだけページ数の少ない本で、あれだけ楽しませられるのはさすがです。僕も、基本的に本を読むのは早いですけど、あれはさらに輪をかけて早くなりますね。初めの設定もいいし、そこから徐々に深まって行く感じも素晴らしいです(七花のポロっと口から出た告白とか。気になりますよね~)。
「まにわに」は僕も大好きですよ。西尾維新が、「このままだとまにわにの本作での役割は噛ませ犬になる」とかなんとかって自分で言ってしまってる辺りが最高だと思います。あと、第二話の逆から喋るやつとか。まさに噛ませ犬だったけど(笑)
そう、あの回想シーンが僕にはなんとも理解が難しくて…。いやホント、国語力がないのは僕の方ですね。あれは迷彩の話でしたか。歴史がどうのみたいな話がよくわからなかったです。いやはや、恥ずかしい限りです。どこから僕の国語力を判断してくれたかわからないですけど、それは100%勘違いですね。
そうそう、まあ相変わらずブログを見てるわけですけど、「文章書き続けてる」って気になりますね。是非是非読ませてくださいね。小説ですか?
あと、これも果てしなくどうでもいい話ですけど、僕の誕生日が真夜さんのちょうど一ヶ月前だったりします。だからなんだよ、って感じですよね(笑)
ではでは。これからもまあほどほどに頑張ります。基本的に、無気力で無能なダメ人間なんで(笑)真夜さんも、死なない程度に頑張ってくださいね~。
西尾維新いいですね。あれだけページ数の少ない本で、あれだけ楽しませられるのはさすがです。僕も、基本的に本を読むのは早いですけど、あれはさらに輪をかけて早くなりますね。初めの設定もいいし、そこから徐々に深まって行く感じも素晴らしいです(七花のポロっと口から出た告白とか。気になりますよね~)。
「まにわに」は僕も大好きですよ。西尾維新が、「このままだとまにわにの本作での役割は噛ませ犬になる」とかなんとかって自分で言ってしまってる辺りが最高だと思います。あと、第二話の逆から喋るやつとか。まさに噛ませ犬だったけど(笑)
そう、あの回想シーンが僕にはなんとも理解が難しくて…。いやホント、国語力がないのは僕の方ですね。あれは迷彩の話でしたか。歴史がどうのみたいな話がよくわからなかったです。いやはや、恥ずかしい限りです。どこから僕の国語力を判断してくれたかわからないですけど、それは100%勘違いですね。
そうそう、まあ相変わらずブログを見てるわけですけど、「文章書き続けてる」って気になりますね。是非是非読ませてくださいね。小説ですか?
あと、これも果てしなくどうでもいい話ですけど、僕の誕生日が真夜さんのちょうど一ヶ月前だったりします。だからなんだよ、って感じですよね(笑)
ではでは。これからもまあほどほどに頑張ります。基本的に、無気力で無能なダメ人間なんで(笑)真夜さんも、死なない程度に頑張ってくださいね~。
[1770]
お早う御座いますー。
ぬ?!
もしかして通りすがりさんが回想シーンと云ってるのは序章の事でしょうか?
だとしたらアレはわたしもとがめの事じゃないかなぁと思ってます。
とがめと、とがめのお父さんだと妄想してまs((強制終了
恒例の場面回想は、P161のやつです。
うはーわたしの国語力が無い為に通りすがりさんに勘違いさせてしまって申し訳ないです…!
文章を書き続けてる、それは、はい、小説です。
もう次から次へと…もう纏まらなくてぐちゃぐちゃです。
そして、いま書いてるのはHP用のブツですね。
1週間くらい前にやっと更新できまして、この調子で書こうかな!と思っていたところを母にパソコンやり過ぎって怒られました((笑))
死なない程度に頑張ってみようと思います。
お!
誕生日が1ヶ月前ですか!
てことはもう直ぐですね? 御目出度う御座います!!!
それではー!!
ぬ?!
もしかして通りすがりさんが回想シーンと云ってるのは序章の事でしょうか?
だとしたらアレはわたしもとがめの事じゃないかなぁと思ってます。
とがめと、とがめのお父さんだと妄想してまs((強制終了
恒例の場面回想は、P161のやつです。
うはーわたしの国語力が無い為に通りすがりさんに勘違いさせてしまって申し訳ないです…!
文章を書き続けてる、それは、はい、小説です。
もう次から次へと…もう纏まらなくてぐちゃぐちゃです。
そして、いま書いてるのはHP用のブツですね。
1週間くらい前にやっと更新できまして、この調子で書こうかな!と思っていたところを母にパソコンやり過ぎって怒られました((笑))
死なない程度に頑張ってみようと思います。
お!
誕生日が1ヶ月前ですか!
てことはもう直ぐですね? 御目出度う御座います!!!
それではー!!
[1771]
こんばんわです。
なるほどなるほど、回想シーンですね。勘違いしました。
迷彩の回想シーンは僕もいいなぁ、と思いました。流派へのこだわりのなさが、最終的に敗因にもなったわけだしね。
冒頭のあれはホントなんだろうね。とがめの話ってのがやっぱ妥当なのかなぁ。
あー、俺の国語力がないばっかりに申し訳なく思わせてしまってすいません(笑)
小説かぁ。すごいわ、まじで。次から次へと書けちゃうわけですよね。羨ましい。
それはもう是非是非読ませてくださいね。HPに載せるんですよね。チラ見します(チラ見かよ)
書きすぎで死んだら、それはそれで本望…ってことにはならないですね(笑)
パソコンやりすぎで怒られるのは辛いやね。遊んでるわけじゃなくて、文章書くのに必要なのにね。まあ遊んでるように見えるのかもだけど。
頑張ってくださいね~。
なるほどなるほど、回想シーンですね。勘違いしました。
迷彩の回想シーンは僕もいいなぁ、と思いました。流派へのこだわりのなさが、最終的に敗因にもなったわけだしね。
冒頭のあれはホントなんだろうね。とがめの話ってのがやっぱ妥当なのかなぁ。
あー、俺の国語力がないばっかりに申し訳なく思わせてしまってすいません(笑)
小説かぁ。すごいわ、まじで。次から次へと書けちゃうわけですよね。羨ましい。
それはもう是非是非読ませてくださいね。HPに載せるんですよね。チラ見します(チラ見かよ)
書きすぎで死んだら、それはそれで本望…ってことにはならないですね(笑)
パソコンやりすぎで怒られるのは辛いやね。遊んでるわけじゃなくて、文章書くのに必要なのにね。まあ遊んでるように見えるのかもだけど。
頑張ってくださいね~。
[1772]
アインシュタインさん、こんばんは。
文庫本を書店で見ましたが、表紙がハードカバーの時とは全く違います。お猿さんが少し憂えたように横を向いているあの表紙には、愛着があります。文庫本では、“東京”が強調されているような気がします。ハードカバーは中国っぽい(?)です。タイトルにもなっているように、進藤の娘さんが中国語に興味を持ち「~的○○」と表現する場面がありましたね。読んだのが、だいぶ前ですのであらかた忘れてしまいましたが…(泣)。
>東京という街は喪われたもので出来ている なるほど!ですね。
喪失感というと村上春樹や(私の場合、本多孝好)を連想しますが、重松さんは、かなり鈍くさく(?)お書きですよね。その辺が上手いですし、人間の心理に迫っていると思います。
私は重松ファンですが、この作品は私のBEST5に入ります。知名度が低いのが気になっていたくらいです。シマちゃんの存在が何とも言えず好いですよね。進藤を幻の童話作家に終わらせまいと孤軍奮闘しますが、進藤本人が半ば筆を折っていますので…辛いですよね。シマちゃんに去られた後の進藤も興味深いところです。歌手などにも一発屋と呼ばれる人がいますが、作家の場合、一作だけが脚光を浴び、その後 鳴かず飛ばずの方も多いのでしょうね。「芥川賞残酷物語」というようなタイトルの本がある、と教えてくれた知人がいますが、何かイメージは解りますね。『夢を与える』は、この話と比べると素晴らしいことです! しかも、あの若さで! まぁ、若さ故に売れている、という考えもできますが。
そういえば、評論家になる方法ですが、栗本薫さんは、確か中島梓という名前で、評論部門でデビューされた記憶があります。調べましたら、
>『文学の輪郭』で第20回群像新人文学賞評論部門(1977年) とあります。
私もこの頃、文芸誌は殆ど読んでいましたので(今の少なくとも10倍くらいは本を読んでいました。笑)、この『文学の輪郭』にも目を通しています。内容はもう忘れました(泣)が、紀伊国屋の解説には下記のような説明が載っていました。
>文学は、どこへ行くのか―。
絶対性を喪失した時代の中で、なお、作品の中に〈世界〉を把握し、構築しようとする埴谷雄高
『死霊』。
逆に〈感性の再現〉のみを志す、村上龍『限りなく透明に近いブルー』。
この二作を両極とする文学の地平に、中島梓は、つかこうへい『熱海殺人事件』を、
新しい第三の地点として導き入れる。
現実が既に何かのパロディとしてしか存在し得ない時代の始まり…。
埴谷雄高の対極に村上龍を位置づけ、この時代(1970年代)を語ったものでした。通りすがりさんは、未だお生まれになっていませんね。文学メッタ斬りのような感じで読んだように思います。すばらしく勇敢な女性評論家登場!という思いがしました。埴谷雄高の『死霊』って名前は挙がりますが、最後まで読破した人は日本に何人いるの?の世界でしょうね。忍耐力を試される作品です。
話が飛びましたが、そういう訳で評論家になるには、新人として評論部門に応募することですね。ご検討下さい。日々これだけ多くの本を読んでいらっしゃるのですから、底面に漂う流れを(一貫しているか?散在しているか?解りませんが)関数に見立てて表現しましょう。なんて、けしかけてみました(笑)。
一昨日の夕刊に北村薫さんが載っていました。正真正銘の男性でした。しかも、私が思っていたより年配でした。この風貌から『ひとがた流し』は結びつかないなぁ、と不遜にも思ってしまいました(笑)。
では、だらだら長くなりましたがこの辺で。やっと読書ライフに戻れそうです。お気遣いいただきましたが、腕はすっかり治りました。テニスでもバドミントンでもOKです(もう、こりごりですが…)。
文庫本を書店で見ましたが、表紙がハードカバーの時とは全く違います。お猿さんが少し憂えたように横を向いているあの表紙には、愛着があります。文庫本では、“東京”が強調されているような気がします。ハードカバーは中国っぽい(?)です。タイトルにもなっているように、進藤の娘さんが中国語に興味を持ち「~的○○」と表現する場面がありましたね。読んだのが、だいぶ前ですのであらかた忘れてしまいましたが…(泣)。
>東京という街は喪われたもので出来ている なるほど!ですね。
喪失感というと村上春樹や(私の場合、本多孝好)を連想しますが、重松さんは、かなり鈍くさく(?)お書きですよね。その辺が上手いですし、人間の心理に迫っていると思います。
私は重松ファンですが、この作品は私のBEST5に入ります。知名度が低いのが気になっていたくらいです。シマちゃんの存在が何とも言えず好いですよね。進藤を幻の童話作家に終わらせまいと孤軍奮闘しますが、進藤本人が半ば筆を折っていますので…辛いですよね。シマちゃんに去られた後の進藤も興味深いところです。歌手などにも一発屋と呼ばれる人がいますが、作家の場合、一作だけが脚光を浴び、その後 鳴かず飛ばずの方も多いのでしょうね。「芥川賞残酷物語」というようなタイトルの本がある、と教えてくれた知人がいますが、何かイメージは解りますね。『夢を与える』は、この話と比べると素晴らしいことです! しかも、あの若さで! まぁ、若さ故に売れている、という考えもできますが。
そういえば、評論家になる方法ですが、栗本薫さんは、確か中島梓という名前で、評論部門でデビューされた記憶があります。調べましたら、
>『文学の輪郭』で第20回群像新人文学賞評論部門(1977年) とあります。
私もこの頃、文芸誌は殆ど読んでいましたので(今の少なくとも10倍くらいは本を読んでいました。笑)、この『文学の輪郭』にも目を通しています。内容はもう忘れました(泣)が、紀伊国屋の解説には下記のような説明が載っていました。
>文学は、どこへ行くのか―。
絶対性を喪失した時代の中で、なお、作品の中に〈世界〉を把握し、構築しようとする埴谷雄高
『死霊』。
逆に〈感性の再現〉のみを志す、村上龍『限りなく透明に近いブルー』。
この二作を両極とする文学の地平に、中島梓は、つかこうへい『熱海殺人事件』を、
新しい第三の地点として導き入れる。
現実が既に何かのパロディとしてしか存在し得ない時代の始まり…。
埴谷雄高の対極に村上龍を位置づけ、この時代(1970年代)を語ったものでした。通りすがりさんは、未だお生まれになっていませんね。文学メッタ斬りのような感じで読んだように思います。すばらしく勇敢な女性評論家登場!という思いがしました。埴谷雄高の『死霊』って名前は挙がりますが、最後まで読破した人は日本に何人いるの?の世界でしょうね。忍耐力を試される作品です。
話が飛びましたが、そういう訳で評論家になるには、新人として評論部門に応募することですね。ご検討下さい。日々これだけ多くの本を読んでいらっしゃるのですから、底面に漂う流れを(一貫しているか?散在しているか?解りませんが)関数に見立てて表現しましょう。なんて、けしかけてみました(笑)。
一昨日の夕刊に北村薫さんが載っていました。正真正銘の男性でした。しかも、私が思っていたより年配でした。この風貌から『ひとがた流し』は結びつかないなぁ、と不遜にも思ってしまいました(笑)。
では、だらだら長くなりましたがこの辺で。やっと読書ライフに戻れそうです。お気遣いいただきましたが、腕はすっかり治りました。テニスでもバドミントンでもOKです(もう、こりごりですが…)。
[1773]
こんばんわです。アインシュタインって呼ばれるのは嬉しいですけど、才能と釣りあわない呼ばれ方だから恥ずかしいですね(泣)
ハードカバー版と文庫版で出版社が違うみたいですね。重松清の作品にはそういうものが多いですけど。その猿の表紙は僕も見ました。確かに、中国っぽいですね。
進藤と娘が「~的~」って言い合ってるところはありました。あれ、いいですね。似非中国語って感じで。しかも、なんとなく通じるし。「哀愁的東京」も、かなりいいです。
僕の中ではベスト5には入らないですけど、でもいい作品だと思います。確かに、他の作品と比べると知名度は低いですね。
なんと言ってもホントに、シマちゃんが最高でしたね。書けないという進藤の言い分も分かるのだけど、でもシマちゃんの頑張りを見ていると、おいおい進藤そろそろ絵本の一冊や二冊書きなさいよ、みたいな風に思ってしまいました。
一発屋は多いでしょうね。業界的にも、まあ稼げればいい、みたいな発想はあるでしょうし。育てるのが根本的に下手なのかもですね。ホラー小説大賞を受賞してデビューしたのに作家として食べていけずに、再度江戸川乱歩賞に挑戦して受賞した早瀬乱という作家のことを思い出しました。ホラー小説大賞受賞の段階できちんと育てていればよかったのに、とか思います。
確かに、村上春樹などとは違うやり方で喪失感を描く作家だなと思います。適当に思いついたことを書けば、村上春樹は観念的な、重松清は実際的な喪失を描いているということでしょうか?
そうなんですよね。『栗本薫』=『中島梓』は知ってるんですよね。でも、評論の新人賞があるというのは知らなかったです。
しかし評論かぁ…。いつも適当な文章しか書いてないから(頭で書くというより指が書いているというような文章なんで)、難しいですね。植谷雄高と村上龍を対極に据えて時代を読み解く…。まず100%不可能ですね、そんな芸当は。
でも、関数に見立てて解析するという発想は面白いですね。実際どうすればいいのかさっぱりですけど、うまくやればうまくいきそうな感じはします。なんでしょうね。パラメーターを設定したりとか、増減加減みたいなものを調べたりとか出来るのかなぁ。数学で文学を評論する、みたいな(笑)
確かに、北村薫の年代で「ひとがた流し」というのはイメージが難しいですね。僕も、北村薫らしいと思いながらも、一方で相変わらず若いなぁ、なんて思いました。
まあデビュー作のシリーズも、若い女子大生を主人公にした溌剌とした物語なので、そういう作品を書くのがやっぱり得意なんでしょうね。
仕事は一段落しましたか?本を読めないのは辛いですからね、よかったですね。
僕は日々、適度な運動はしなきゃいけないよなぁ、とか思っているんですけど、結局脳に文字を送り込むだけの生活ですね。なんで人に言えたことではないんですけど、運動は少しはした方がいいですよ~。
今「100万分の1の恋人」を読んでます。文章がうまいですね。新人とは思えないです。かなりいい作品だと思います。勧めてくれてありがとうございます。感想はまあ明日にでも。
ではではおやすみです。
ハードカバー版と文庫版で出版社が違うみたいですね。重松清の作品にはそういうものが多いですけど。その猿の表紙は僕も見ました。確かに、中国っぽいですね。
進藤と娘が「~的~」って言い合ってるところはありました。あれ、いいですね。似非中国語って感じで。しかも、なんとなく通じるし。「哀愁的東京」も、かなりいいです。
僕の中ではベスト5には入らないですけど、でもいい作品だと思います。確かに、他の作品と比べると知名度は低いですね。
なんと言ってもホントに、シマちゃんが最高でしたね。書けないという進藤の言い分も分かるのだけど、でもシマちゃんの頑張りを見ていると、おいおい進藤そろそろ絵本の一冊や二冊書きなさいよ、みたいな風に思ってしまいました。
一発屋は多いでしょうね。業界的にも、まあ稼げればいい、みたいな発想はあるでしょうし。育てるのが根本的に下手なのかもですね。ホラー小説大賞を受賞してデビューしたのに作家として食べていけずに、再度江戸川乱歩賞に挑戦して受賞した早瀬乱という作家のことを思い出しました。ホラー小説大賞受賞の段階できちんと育てていればよかったのに、とか思います。
確かに、村上春樹などとは違うやり方で喪失感を描く作家だなと思います。適当に思いついたことを書けば、村上春樹は観念的な、重松清は実際的な喪失を描いているということでしょうか?
そうなんですよね。『栗本薫』=『中島梓』は知ってるんですよね。でも、評論の新人賞があるというのは知らなかったです。
しかし評論かぁ…。いつも適当な文章しか書いてないから(頭で書くというより指が書いているというような文章なんで)、難しいですね。植谷雄高と村上龍を対極に据えて時代を読み解く…。まず100%不可能ですね、そんな芸当は。
でも、関数に見立てて解析するという発想は面白いですね。実際どうすればいいのかさっぱりですけど、うまくやればうまくいきそうな感じはします。なんでしょうね。パラメーターを設定したりとか、増減加減みたいなものを調べたりとか出来るのかなぁ。数学で文学を評論する、みたいな(笑)
確かに、北村薫の年代で「ひとがた流し」というのはイメージが難しいですね。僕も、北村薫らしいと思いながらも、一方で相変わらず若いなぁ、なんて思いました。
まあデビュー作のシリーズも、若い女子大生を主人公にした溌剌とした物語なので、そういう作品を書くのがやっぱり得意なんでしょうね。
仕事は一段落しましたか?本を読めないのは辛いですからね、よかったですね。
僕は日々、適度な運動はしなきゃいけないよなぁ、とか思っているんですけど、結局脳に文字を送り込むだけの生活ですね。なんで人に言えたことではないんですけど、運動は少しはした方がいいですよ~。
今「100万分の1の恋人」を読んでます。文章がうまいですね。新人とは思えないです。かなりいい作品だと思います。勧めてくれてありがとうございます。感想はまあ明日にでも。
ではではおやすみです。
[1774]
お早うございます。やはり呼びかけは、通りすがりさん のままにしましょう(笑)。
今、朝刊を見ましたら(朝日新聞 読書欄)『ひとり日和』を斉藤美奈子さんが解説されています。そう言えば、彼女もかなり軽妙な語り口の文芸評論家ですね。この作品の「絶賛されていたけど、どこがいいわけ?」とか「何か、うす味」という世間の声に対し、こう反論されています。
>たとえば鉄道と駅を軸に、『ひとり日和』を読んでごらんよ。
ちょっと違った景色が見えてくるから、、、
この小説には駅前の電車の行き来する音、ホームの乗客…そういう人の「気配」が背景として存在するのでしょうね。隠し味のように。そう言われてみると、な~るほど、そんな読み方も可能かな?と思いますが、再読する勇気はありません(笑)
重松氏は北杜夫の『どくとるマンボウ回想記』についてお書きです。
この年齢になると“回想”なんですねぇ。新作ではなく! おもしろそうなので読んでみよう、と私は思いますが、マンボウさんや狐狸案センセイに馴染みのない世代の方にとっては、どうなのでしょう。お勧めというわけにはいきません。両氏にとっては本作の『楡家の人々』や『沈黙』ではなく、軽いエッセイを読んで(しかも、その先に行かず)ファンになった中高生に、「愛読者」を名乗られるのは、どんな気持ちだろう?との気遣いまで見せています。
関数で読み解く、という方法は吉本隆明の『言語にとって美とは何か』で使われていました。相変わらず、難しい本には変わりありませんし、f(x)でもありませんが。
では、このへんで。雨の日になりましたね。晴耕雨読ということで、私も『DIVE!』を進めたいと思います。
今、朝刊を見ましたら(朝日新聞 読書欄)『ひとり日和』を斉藤美奈子さんが解説されています。そう言えば、彼女もかなり軽妙な語り口の文芸評論家ですね。この作品の「絶賛されていたけど、どこがいいわけ?」とか「何か、うす味」という世間の声に対し、こう反論されています。
>たとえば鉄道と駅を軸に、『ひとり日和』を読んでごらんよ。
ちょっと違った景色が見えてくるから、、、
この小説には駅前の電車の行き来する音、ホームの乗客…そういう人の「気配」が背景として存在するのでしょうね。隠し味のように。そう言われてみると、な~るほど、そんな読み方も可能かな?と思いますが、再読する勇気はありません(笑)
重松氏は北杜夫の『どくとるマンボウ回想記』についてお書きです。
この年齢になると“回想”なんですねぇ。新作ではなく! おもしろそうなので読んでみよう、と私は思いますが、マンボウさんや狐狸案センセイに馴染みのない世代の方にとっては、どうなのでしょう。お勧めというわけにはいきません。両氏にとっては本作の『楡家の人々』や『沈黙』ではなく、軽いエッセイを読んで(しかも、その先に行かず)ファンになった中高生に、「愛読者」を名乗られるのは、どんな気持ちだろう?との気遣いまで見せています。
関数で読み解く、という方法は吉本隆明の『言語にとって美とは何か』で使われていました。相変わらず、難しい本には変わりありませんし、f(x)でもありませんが。
では、このへんで。雨の日になりましたね。晴耕雨読ということで、私も『DIVE!』を進めたいと思います。
[1775]
おはようございます。
評論というものになかなか目を通さないですけど、新聞にはいっぱい載ってるんでしょうね。
斎藤美奈子の著作や評論は読んだことはないですけど、毒舌が多そうな評論家揃いの中で(?)、軽妙な感じというのも珍しいような気がします。
「ひとり日和」の読み方ですかぁ。確かに、鉄道と駅という背景があるのは分かるけど、それで新しい景色が見えてくるかなぁ、という感じもします。まあ、読み方は人それぞれですからね。
「どくとるマンボウ」というのも、名前だけは聞いたことありますねぇ。エッセイなんですか。僕のいる本屋にも棚に一冊くらいはあったような気がします。
北杜夫も狐狸庵先生も、僕からすれば夏目漱石や太宰治と同じくらい古いと感じている作家ですからねぇ。なかなか読む機会はなさそうです。でも時々、どこかの誰かが絶賛してそういう作品が売れたりしますからね。前も、女性誌モデルの誰か(押切もえだったかな)が太宰治の「人間失格」を勧めてたりとか、あるいはこっちは推薦者が誰だか忘れたけど狐狸庵先生の「わたしを棄てた女」を勧めてたりして、そういう影響で売れているところもあるみたいです。
吉本隆明というのも聞いたことありますね。現池袋リブロの副店長で、それまでにいろんな本屋を経験してきた人(名前は忘れました)が出した「書店風雲録」という本に何度も名前が出てきたような気がします。一時期すごかったらしいですね。全然知らないですけど。
今日は事情があって、珍しく休みの日に外に出なくてはいけないのに、残念名ながら雨だったりします。めんどくさいです。
評論というものになかなか目を通さないですけど、新聞にはいっぱい載ってるんでしょうね。
斎藤美奈子の著作や評論は読んだことはないですけど、毒舌が多そうな評論家揃いの中で(?)、軽妙な感じというのも珍しいような気がします。
「ひとり日和」の読み方ですかぁ。確かに、鉄道と駅という背景があるのは分かるけど、それで新しい景色が見えてくるかなぁ、という感じもします。まあ、読み方は人それぞれですからね。
「どくとるマンボウ」というのも、名前だけは聞いたことありますねぇ。エッセイなんですか。僕のいる本屋にも棚に一冊くらいはあったような気がします。
北杜夫も狐狸庵先生も、僕からすれば夏目漱石や太宰治と同じくらい古いと感じている作家ですからねぇ。なかなか読む機会はなさそうです。でも時々、どこかの誰かが絶賛してそういう作品が売れたりしますからね。前も、女性誌モデルの誰か(押切もえだったかな)が太宰治の「人間失格」を勧めてたりとか、あるいはこっちは推薦者が誰だか忘れたけど狐狸庵先生の「わたしを棄てた女」を勧めてたりして、そういう影響で売れているところもあるみたいです。
吉本隆明というのも聞いたことありますね。現池袋リブロの副店長で、それまでにいろんな本屋を経験してきた人(名前は忘れました)が出した「書店風雲録」という本に何度も名前が出てきたような気がします。一時期すごかったらしいですね。全然知らないですけど。
今日は事情があって、珍しく休みの日に外に出なくてはいけないのに、残念名ながら雨だったりします。めんどくさいです。
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色々落ち着いてきたので、またコメントさせて頂きますね。
この記事に関係のない事で、スミマセン。
[刀語 千刀つるぎ]わたしは昨日読み終えました。
本当はもっとずるずる1週間ぐらい読んでいたかったのですが、
流石に話の展開が早いので途中で止められないですね。
四季崎記紀の刀といい、その所有者といい、わたしとしては本当に総てに嵌るような感覚です。
それに“まにわに”の彼らはどんどんいい味出してますよね!
まあ実際のところ、所有者の流派や技の説明の為だけにバッタバッタ死んでいってるような気もしないでもないですけど。((笑))
刀の蒐集と同時進行で彼らが登場するのも中々悪くないと思います。
恒例の場面回想では、敦賀迷彩の先の大乱の頃でしたね。
己の流派を誇りに思う事も無くその流派を続けるのは、はてさて何の為だったんでしょう?
とまあそんな感じの感想をわたしは抱いた訳ですが、通りすがりさんの国語力には到底届きそうにないです…!
これからも更新頑張って下さいね。
それでは。