時代が変わってしまったのでしょうか。

日本人の美徳といえば、『恥を知る』ということだったと思います。

儒教を基本に、武士道精神や葉隠れに代表されるように、人としての生き方に日本人はこだわってきました。

『道』や『礼』という1文字の表現に、全ての深い意味が込められているように、日本人に共通する人としての生き方の目標であったのです。

しかし、バブル期の頃から、この日本人の美徳は失われてしまったようです。

現在においては、もはや『恥を知る』という言葉は、死語になったような感じさえ受けてしまいます。


子供に対して「恥ずかしくないのか!」という叱り方をしても、恥ずかしいという理解が根本的に違ってしまっており、意味のない叱り方になっているのです。

いまどきの女子高生は、当たり前のように、ハンバーグを食べながら町を歩いています。
大きな口を開けて、友人と大きな声で喋りながら、そして歩きながらなのです。

電車の優先座席は、高齢者など関係なく、若い連中が平気な顔して座っています。
早く座ったものが、当然に優先な席だとでも思っているのでしょう。

たとえ満員電車でも、座っている若い女性は時間を無駄にせず、せっせと化粧にいそしんでいます。
いかに女性が変身するのか、実演会を見せつけられているようで、見ている方が恥ずかしいものです。

若者が集うと、そこが公共の場であろうとも楽しい憩いの場になるのか、座り込み大声で騒ぎゴミを撒き散らします。
廻りを行き交う大人たちは、見て見ぬふりをするしかありません。

これらは、ほんの一例であり、若者だけでなく、多くの日本人が恥を知る行動をとれなくなったように思います。


戦後、欧米の文化が流入してきましたが、その過程において、日本人は大きな過ちを犯してしまったのではないでしょうか。

当然に、根本的な文化が違うのですから、全てを受け入れる必要はなく、取捨選択しながら日本流にアレンジして受け入れるべきだったのです。

ところが、取捨選択など出来ずに、しかも都合よく拡大解釈までしてしまったものですから、そういう過程・環境で教育を受けた者がある事に勘違いをしてしまい、恥を知ることが出来なくなったように思います。

そのある事とは『権利』です。

特に、個人の権利の主張が誤解され、『道』や『礼』どころか、義務や責任さえよりも優先するものと捉えられてしまっているのではないでしょうか。

義務や責任を果たす前に、権利だけを先に主張するのが当然のような傾向となっているのです。

権利など主張せずに飲み込み、義務や責任をきっちりと優先的に果たすのが日本人の美徳でしたから、その美徳が完全に失われてしまったのです。

その結果、『恥を知る』ということができなくなってしまいました。


日本人が、恥を知ることを放棄し、平然と権利の主張をするようになり、もっとも大きな影響を受けたのがクレームではないでしょうか。

問題があれば、何でもかんでもクレームをつければいいという風潮になり、責任転嫁も含めて自らの責任を放棄するのが当たり前のようになってしまっています。

製造メーカーや販売店などは、クレーム処理に大変な環境になってしまいました。

クレーム処理は最大の営業チャンス・・・などと言っていた時代が、懐かしくさえなっており、日々、クレーマーと化したお客様の苦情対応に心身をすり減らしているのです。

果ては、モンスターピアレンツなどと呼ばれる父兄が発生し、学校の先生に無理難題を吹っ掛け追い込んでいるのです。

子供を信頼してお預けし、教育をしてくださる先生なのに、もはや呆れるしかない状況です。

このような状況は、今後もますます拡大していくでしょうし、問題が事件に変化しても珍しくもない時代になると思います。


『道』や『礼』を、しっかりと教えて行かないと、日本は大変なことになるのではないでしょうか。

学校での道徳教育は当然のこと、武道などの習い事も活用し、子供に限らず大人も含め修得する必要を感じます。

ある意味、教育の基本に据え、目的にするぐらいにしないと駄目なのかもしれません。

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